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2007/06/03

批評精神のない食文化なんか腐った食品とおなじだ

2007/04/07「不機嫌な一日の機嫌なワタクシ 書評のメルマガ発行」に、“そうそう、2007/03/05「街、食べる飲む、語る。こだまひろしさんに拍手」に書いた「こだまひろし」さんだが、この「食べログ」をやめて、mixiに引っ越すのだそうだ。”と紹介したが、きょう見たら「日記の再開を検討中」とあり、きのうの日付で「レビューガイド遵守試文 」を書いている。なかなかおもしろい。…クリック地獄

前にも書いたように、こういう試みは、どんどん増えてほしいと願っている。レビューは、「教科書」や「指導要綱」とはちがうのだ。もちろん通信簿でもなければ、通信簿のコメントとも違う。「レビュー」なのだ。考え、表現を練ることが、料理文化や食文化の成長のために必要だ。それこそ批評精神というものだろう。しかも料理文化や食文化は、あらゆる文化の結節点になるのだから、もっとも精神の自由が息づいていなくてはならない。どこのゴミ箱(グルメ雑誌のたぐいなど)にもころがっているような、型押しのスカな言葉が並ぶ「レビュー」なんて、冷めてまずいコンビニ弁当のようなものだ。と不肖エンテツは思い、自由闊達を推進したいわけであります。

ま、「少数派」が不利なのはトウゼンだから、と、こだまひろしさんを勝手に「少数派」にしてしまうが、いろいろ迷いながらも、したたかに生きていくことをしなくてはならない。おれとしては、キライなmixiに引っ越されるより、いまのまま続けていただいたほうがうれしい。

「少数派」といえば、おれのような、食育批判、食育反対のものは、孤立した少数になりそうだ。いまや「食育国民運動」は、もっとも批評精神を失った「食育翼賛運動」になっている。食文化の腐敗、ここにきわまれり、といったアリサマだ。腐りきった食品を、それがわからないように、「美しい」が毒だらけの調味料で過剰にくるみ、国民みなで食べようという運動だ。どんなニセモノ食品より悪い。

しかし、こうしてブログを書いていると、2007/06/02「やっぱり、ないよりマシというのはマチガイの「食育」」に、河合知子さんから初めてのコメントをいただいたりと、励みになるうれしいことがある。

河合知子さんのブログのことは、2006/12/29「本気で考える「好食」」で、「なかなか頼もしいブログをみつけた」と紹介している。…クリック地獄
また河合さんは、昨年『問われる食育と栄養士』(筑波書房)という本を共著で出版されている。

おれが正しいと主張したいわけではない。批評精神を大切に、自由闊達に、しぶとくやりたい。ということなのだ。それ以外にないというか。

文章は元気よいが、ここんとこ、チト疲れているおれ。

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