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2007/06/04

酔っぱらいは何ひとつ学ばない

“酔っぱらいは何ひとつ学ばない。酔っぱらいはただずるずる崩壊していくだけさ。その崩壊の過程のある部分は、なかなか愉快なものだ。しかしそれ以外の部分はとんでもなくおぞましいものだ。”

正気のときだって、ミスをする。村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー、早川書房)を買ったときがそうだった。5月15日だったかな、大宮駅で新幹線に乗り換えるのに時間があった。コンコースの本屋の前に立った。目の前にはベストセラーが積まれてあった。なんの気なしに『ロング・グッドバイ』を手にとった。パラッとあとがきを見た。「チャンドラーとフィッツジェラルド」という見出しが目にとまった。村上春樹らしいあとがきだと思い、パラパラと見る。そしてなんの気なしに、その本をレヂにもっていき、カネを払った。店の外へ出て、本をバッグに入れようとしてシマッタと思った。こんなに厚くて重い本を、これから出かけようというときに買わなくてもよいじゃないか、これを担いで歩かなくてはならないんだぜ。遅かった。

たぶん、うっかり買ってしまったのは、「チャンドラーとフィッツジェラルド」のところにあった、上に引用した文章が気になったからだと思う。

本文中で、作家のロジャー・ウェイドが、酒を控えるように忠告するマーロウに向かってこのように述べる。そして村上春樹は、この引用のあと、こう続ける。

“ウェイドの言う「崩壊(disintegration)」の感覚は、晩年の(といってもまだ四十歳を過ぎたばかりなのだが)フィッツジェラルドが描いた「崩壊(cracked-up)」のそれと見事なまでに呼応している。フィッツジェラルドはすでに割れてしまった美しい皿の中に、自らの敗退と幻滅のイメージを見いだし、それを自虐的なまでに克明に、しかしあくまで美しく描写した。ロジャー・ウェイドも、テリー・レノックスも、オールを失ったボートに乗り、崩壊という巨大な瀑布に向けて川を流されている。”

おれは、ああよかった、おれは酔っぱらいをやっているけど、こういう感覚はないねと思う。ヤケクソになって自棄酒を飲むこともないし、自分はたいした人間だと思っていないから自己嫌悪や自己憐憫とも縁がない。なにしろ、左サイドバーのイラストの下に書いてあるように「それゆけ30~50点人生」だからねえ。“深い罪悪感を心に背負い込み、そのせいで酒に溺れ”なんてこともない。楽しいうまいから、楽しくうまく飲むだけ。

ま、でも、「酔っぱらいは何ひとつ学ばない」ってのは、たしかのような気もする。いいじゃないの、ほかでいろんなこと学んでいるから。

しかし、この『ロング・グッドバイ』だが、買ってから半月以上たつのに、まだ半分ぐらいしか読んでない。重くて持ち歩けないから、枕元において、寝酒がわりに読んでいるだけ。だけど酔っ払って寝ちゃうことがおおいから、なかなかすすまないのだ。やはり「酔っぱらいは何ひとつ学ばない」

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