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2007/07/04

コロッケに関するアアダコウダ

2007/06/25「おれもバカだが、消費者もバカである」に「おれは、そもそも、コロッケが、牛肉入りだとかなんだとかに価値を認めない。これからは「牛肉風味」を開発すべきだろう。それなら偽装にならないし、そういうものに価値を認めるひとを満足させることもできる。」と書いた。

たかだかコロッケだが、よくよく考えると、なんで「牛肉入り」かどうかが価値を持ってしまったのか。貧乏日本人のたくましく切ない食文化の物語がそこにはあるようで、そのことについて当ブログで書いたことがあるような気がして、ブログ内を「コロッケ」で検索してみたら、ありましたありました。コロッケに関するアアダコウダということで、ここに拾っておこう。

2006/08/03「定番商品 鶏唐揚げとコロッケの待遇の違い」

そして、これは「ファンタジー」というぐあいに「創作風」に書きながら未完のままだが。

2003/07/30「再びファンタジー 「コロッケ傷害事件」」~2003/08/10「コロッケ傷害事件7」

2004/10/06「日記の文章と東陽片岡とコロッケそば」


ついでに忘れないうちに書いておく。むかし「肉入りコロッケ」を楽しむときは、ジャガイモを皮のままゆでてつぶした。すると、すりつぶされた皮が肉のような気分の色と感触になった。もちろん肉も、脂身をミンチにしたようのものを入れるわけだけど、そのようにして「肉入りコロッケ」を楽しんだ。おれが知っている家庭での手づくりの話だ。そして、70年代の肉屋のコロッケにも、そのようなものがあったと記憶する。昨今の「牛肉入り」と称しながらイロイロな混ぜ物をつかうのは、そういう「伝統」かもしれない。

むかしは手づくりでホンモノだったというのは、まちがっている。いや、ホンモノはホンモノだが、チューハイだってホッピーだってそうだが、豊かな想像力で安く、いろいろ混ぜて作ったものを楽しんだ。それをニセモノと否定するようなバカは、いないか少なかった。ということなのだ。

だから、いまの騒動、病人も死人も出ていない、いまの騒動は、ホンモノに対する日本人の認識かココロが変わった結果かもしれないという見方をしてみるのもよいのではないかと思う。少なくとも、「牛肉入り」といった「高級」なコロッケが食べられるほど生活は向上しているわけではないのに、「牛肉入り」といった「高級」なコロッケを食べられるようになったと錯覚しているかもしれない切ない「高級」な生活を考え直してみるのもよいかもしれない。

仕事に誇りがもてないほど安い賃金と長時間労働、あるいは契約社員や派遣やパートやアルバイトや、ともすると「二重労働」といわれるほど一日のうちに社員とアルバイトをかけもちし、そのために健康を損なうような生活をしている貧乏人が、安いニセモノを食べる必要のない連中と一緒になって右往左往することはないのだ、というふうに考えてみるのもよいかもしれない。

コロッケの上で、力強く開き直りたい。それが庶民文化のありかただろう。そんなふうに、考えてみるのもよいかもしれない。

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