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2007/08/31

食べた後、書き出す前。山陰の日本海。

Hutami_syokudou食べ散らかしたあとの片付けをやっている気分だ。先月中旬に始まった、北九州の大衆食堂を中心に食べ書く仕事というか作業は、取材を終え、いまや第3コーナーから第4コーナー、来週の編集委員との打ち合わせが終われば、肉体にムチをいれ原稿を書きゴールに向かって駆け抜けるのみだ。

「地方にとって難しい時代だからこそ、腰をすえて埋もれた北九州の魅力をざっくり掘り起こす」雑誌、とおれは見ている『雲のうえ』らしく、「おいしく食べて、働き、生きる充実感のようなものが」クッキリ表現できるか、それはこれからなのだなあ。あああああ、思い切り酒飲みてえ~、なんて言っているばあいじゃないのだな。とにかく、取材や資料の整理を始めたら、こりゃまあ一度に片付けるのだから、大変だ。

7月16日(日)に寝台特急で北九州へ。18日朝、小倉駅の7,8番ホームで立ち食いうどんを食べたのが第一歩。いま資料を見直したら、22日の昼過ぎに小倉を離れるまでのあいだに、門司区、小倉北区、小倉南区、戸畑区、八幡東区、八幡西区、若松区の主な地域をまわり見て歩き、45店で食べている。多い日は、一日に11店。こうなると難行苦行だ。そのほかに、ロケハンの対象外の、休憩とか、角打ちや居酒屋。もうヤケクソのような。

そして絞った20数店、最終的には25店の本番取材。きのう書いたように、22日夜に北九州入りし、23日朝6時から始まり、28日の朝7時半ごろ、最後の1店が終わる。死ぬ思いの苦しいロケハンのおかげもあってか、手ごたえは十分だった。が、しかし、ページ数と、これまでの「雲のうえ」らしい表現を考えると、どうも店数が多すぎる。おれはいつも、あまり構成など考えず書き出し、なりゆきで書いていたのだが、今回はそうもいかないようだ。ま、とにかく、頼りになる編集の大谷さんとデザイナーの有山さんがいるから、知恵を出し合えばなんとかなるだろう。

って、ことで、とりあえず食べ散らかしたあとの片付けのように、あれこれ狭い部屋に広げ整理に没頭。やりはじめてわかったのだが、パソコンのなかに整理されているものでも、プリントアウトして見ながらでないと整理しにくい、頭に入らないということが、けっこうあるのだな。おれの頭がアナログなのか、単なるボケか。

そんなわけで忙しいから、ブログには、山陰の「うに丼」の画像でもアップしておこう。ホテルの都合と取材相手の都合で、25日(土)は門司港のホテルに泊まった、その翌日は20時からの取材まで時間がポッカリあいてしまった。そこで、齋藤さんとおれは牧野さんの運転するクルマで関門海峡を走り、「沖縄の海のようにきれいだ」といわれる山陰の土井ヶ浜まで行って来た。土井ヶ浜の海も、途中の海沿いに走る景色も、きれいだった。

Hutami_unidon帰り、二見ヶ浦というあたりで鮮魚料理を食わせる食堂がある、そこの「うに丼」がうまいと牧野さんがいうので食べた。このへんのうには「下関うに」の名前で出回ることが多いと思われるが、北海道のうによりかなり小粒で、大きさも色合いも、もちろん味もちがう。この味のちがいを、どう表現すべきか、そのときも考えつかず、いまでも考えつかないが、とにかくちがうのだ。そして、とにかく、すぐ目の前の海でとれるうにだから、うまくてアタリマエなのだが、うまいのだ。

このとき山陰を見たおかげで、取材終了後、1人で各駅停車に乗り長門に向かってしまったのだが、そのことはいま書いていられない。

画像、上は、食堂の前から響灘(だと思う)を望む。店名は、少なくとも目に付くところにはなかったので、わからない。海沿いの道路沿い。「うに丼」の幟が風ではためいていた。

画像、下は、うに丼を食べるおれを、おれのデジカメで牧野さんと齋藤さんがかわりばんこに撮っていたなかの一枚。たぶん牧野さんが撮影したものだろう。うには最初からめしの上にのっているのではなく、小鉢にもられている。画像では崩れて小さくなったように見えるが、そうではない、カタチはしっかりしている。これだけで、何十個分だろうか。そのうにをめしのうえにかけ、さらにワサビをといた醤油をかけて、混ぜながら食べる。ほかに当地の産品である、ところてんと果物がついていた。

うまいぞ、うまいぞ、うまいぞ。2000円したぞ。ひとつの「観光食」ですね。

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2007/08/30

秋雨前線の季節になってしまったのだなあ

Kitakyusyu_2先月16日からの北九州ロケハンの本番取材。22日の18時半ごろの飛行機で北九州へ。編集の大谷さん、写真の齋藤さんと一緒。別便で牧野さん。遅れて26日にデザインの有山さん合流。23日朝6時から始まり、28日の朝7時半ごろ、最後の1店が終わる。

合計26店!なんとまあ、よくやったというか、チト多すぎのかんじ。なるべく多くという思いにとらわれ、減らすことをあまり考えていなかったからなあ。あとはなんとかうまく構成し仕上げるしかない。有能な面々がそろっているから、なんとかなるだろう

Kitakyusyu_mituhosiレイコさん、エツコさん、スミコさん、マキコさん……クワモトさん、マルヤマさん……たくさんの方々にご面倒をかけお世話になりました。ありがとうございました。

そのあと1人で山陰の長門と山陽の広島と中間の下関をウロウロし、昨夜、帰ってきた。あえぐほど暑く、ヒリヒリ眠れないほど日に焼け、そうこうしているうちに、秋雨前線の季節になってしまった。

やることたまっているので、とりあえず、ここまで。

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2007/08/22

料理も食べることも仕事も生活(生命をつなぐ活動)だから

埼玉の残暑も厳しいが北九州の蒸し暑さもかなりのものらしい。蒸し風呂サウナに入って旺盛に食べまくるようなことをしなくてはならない。幸いに体調はよい。バカだから、平均的に体調はよいのだが、この夏はそのバカも風邪で寝込んだおかげで、すっかり元気になってしまった。

「うまいものが食べられる仕事なんていいですねえ」といわれることがあるが、とんでもねえのだ。そもそも、おれは料理や食べることは好きだが、それが趣味のわけではなく好事のことでもない。生活であり、そしていまでは仕事でもあり、仕事となれば、なんだって苦労がつきまとう。

知り合いが勤める会社の若い20歳代の営業マンが自殺した。営業という、あまり尊敬されない職種とはいえ、大会社だから希望を持って仕事についたであろうに。

近頃は、死ぬやつは潔いなあと思わないこともない。自分の実績や名を残すために汲々としているやつらをみるにつけ、そう思う。

彼は、なんの実績も名も残さず死んでいった。いまや自殺なんかめずらしくないから、偉そうな評論つまらないイベントやタイクツな本のように、新聞などに名を残すこともない。懸命に生きて死に至る絶望にたどりついたということかもしれないが、それが生きた結果なら、十分ではないか。冥福を祈ろう。

ただひたすら生きるのだ。とか、考えながら、あれこれアタフタ片付けた。出かける準備をした。気がつけば、もう8月の20日をすぎた。3月から半年がすぎようとしているのだなあ。半年前には大きな別れがあったが。ふっついたり、離れたり、生きたり、死んだりということなら、やっぱり、ふっついたり、生きたりのほうがいいなあ。なーんて考えてみたり。

営業マン、がんばれよ。めし、くえよ。くそ、しろよ。

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2007/08/20

南のホルモン、北のホルモン

Horumon_kitakyusyu_2また北九州へ行くのだけど、先月の中ごろから、北九州と北東北そして秩父の山奥をウロウロし、あらためて地域ごとの食文化のちがい、味や味覚の差異について考えさせられた。そういう差異を個性とみるか、それとも優劣の序列に位置づけるか、いまのところメディア上では後者の「グルメ」や「B級グルメ」の傾向がにぎやかで圧倒的だ。

とくに近頃は、「ご当地グルメ」ということで、食べ物で地域の観光をリードしようという競争も激しく、それは個性を打ち出しながらも優劣の序列のなかで勝たなくてはならない競争でもあり、それらがますます序列化を煽っている。ともいえる。はたして個性は、どうなるか。人間を全国一律の学力テストで序列化するように、一部のグルメのリーダーたちがすすめる全国一律的味覚の基準のもとに、序列化されるのか。

でも、まあ、メディアや情報通のひとたちは、どこがイチバンうまいとか、どっちがうまいという騒ぎ方をするけど、ご当地の大衆はそんなことに関係なく、「大きなお世話だ」とばかり、それぞれ自分の好みを発揮しているようでもある。

それにしても、とうぜんのことだけど、ずいぶん味がちがう。悩ましいぐらいにちがう。旅に出たら、あまり情報に左右されずに、自分の足で歩き自分の舌で味わいたい。

ま、そんなこんな、9月の中ごろにいろいろ少し片付いたら、ここにも書きたいと思っている。とりあえず画像だけ。

上の画像は、北九州市の市場で見かけたホルモン売り場。このようにホルモンを売る店が、ところどころにあって印象に残った。

Horumon_hatinohe下の画像は、青森県八戸で食べ撮影した。生の鶏のハツ、心臓だ。「店の裏でしめたばかりの心臓です」というかんじで新鮮でプリプリ。ニンニク醤油かワサビ醤油で食べる。八戸の名前を忘れたが、屋台のような店が軒を連ねている横丁で入った店。店主が「ざこば」に似ているので、詳しいガイド役の鴨居さんが「ざこば」と呼んでいたことしか記憶にないが。

そんなこんな。

しばらくまた更新がとどこおることがあるかもしれないけど、よろしくお願いしますよ。一段落したら、って一段落するのかどうか、ま、いま大きな山が一つあるから、それが片付いたら、たくさんある北と南の画像をつかって、あれこれ考えてみたい。

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2007/08/19

アブナイ女2人と泥酔、電車乗り過ごす

Ouji_sanzengoku1まだ肉体に酒が残っているので、画像をつかい簡単に書いておこう。といいながら、長くなるかも。

きのうは、どういうイキサツでそうなってしまったのか、古い話なので忘れたが勢いのよい飲兵衛の女2人と飲んだ。「もう仕事やりたくないモード」の女(酒が飲めてうれしくてたまんなーいというかんじの画像左)と、飲みだす前に用意したクスリを口に含みシッカリ飲む準備をする女(まだまだいけますよというかんじの画像右)と。あなおそろしやこわや。

王子駅16時待ち合わせ。いつものように柳小路の福助の様子をうかがうが人の気配なし、80過ぎのアグ婆さん無事か元気か、気にしつつ予定の一軒目山田屋へ。が、まだ盆休み中、今週一週間まるまる休みなのだ。それならばと、近くの名前を覚えないが大衆酒場の暖簾がある、ときどき客と喧嘩する大将の店へ行くが、まだ開店してない。

ならば、前から気になっている店の新規開拓をしよう。駅へもどり、赤羽寄り改札口を王子神社側へ出て、すぐ右の線路沿い、その右側にある赤ちょうちん。名前覚えてない(追記、財布を見たらココのサービス券が入っていて店名住所判明、「やきとり道場 串乃介」だ。住所は最後に書いた)。ここは以前からあるのだが、建物が建て替えたのか比較的新しく、入り口周辺が白に木目調でカフェでもおかしくないような造りなので、敬遠していた。だけど、その前を通るたびに、入り口のガラス窓からなかをうかがうと、いつも地元民らしいオヤジやオバサンたちが飲んでいる。どうやら悪い店ではないらしいと気になっていた。

なかなかよい店だった。大きなカウンターがメインで、奥に10人分ぐらいのテーブル。大将も、働いている人たちみないいかんじ。ここの煮込みは、塩味で、しかもトロミがついている。大根など野菜がおおい。大将の説明によると、味噌の煮込みは夏になるとまったく出なくなるので、なんとかならないかと工夫した結果だそうだ。塩味では、なかなかまとめにくいので、しばらく試行錯誤があったらしい。「では、冬になると味噌味にするの」と聞くと、「いや、もうこれが評判なので、一年中これ。冬には、別に牛すじ煮込みを用意します」。やきとりもいい。塩で焼いて味噌ダレをつけてたべるのが店のオススメなのだが、この味噌ダレの味がよい。なかなか工夫をしているのだな。それにメンチカツやアジフライやポテトサラダといった大衆食堂的メニューがあるのもよいね。

生ビール、酎ハイ、ホッピーと、いきなりトップギアで飲む。3人とも、飲む気満々なのだから。本日の集まるテーマである? 浜松の独身美女のムコをいかに見つけ出すか、ではなく、近頃の独身男性はいかにしょーもないかという話で女2人は盛り上がり、おれはおれのまわりにはそういう男たちがいないので、異文化圏のデキゴトのようにそれを聞き、まあもうとにかく、この女たちにかかっては男はボロクソですなあ、こうして女たちはストレスを解消するのだねえ、それもいいだろう。あなおそろしやこわや。ぐいぐい飲み、ほぼ泥酔状態になる。

それじゃあ、つぎ。つぎは、酒屋でカップ酒を買って、飛鳥山公園のテッペンで飲むのですよ。テッペンの平たい大石の上で、寝そべったりしながら、本日の集まるテーマである? 来年の企画3人で何かやろうについて、そんな話は一つもなかったように思うけど、どのみち酔って何も覚えていない。

Ouji_sanzengoku3さあそれで、その飛鳥山公園からも見える、前から気になっていた店、「三千石」だ。ここはもう佇まいからして何かにおっていた。期待したとおりだった。大衆酒場メニューに大衆酒場値段。大将と女将、ご夫婦?が、いいねえ。

しかし、このならびに「一休御食事処」という気どった名前の割にはシッカリ大衆食堂があるのだが、そこといい「三千石」といい、店内はあまり片付けすぎないほうがよいということをモットーにしているようで、そのほどほどに雑然とした空間が、なんとも落ち着くのだなあ。こういうの好きだねえ。

某雑誌の編集者から、「旅」について書くよう話があって、今日明日中ぐらいに仕上げなくてはならない。それが、居酒屋をネタに旅について書くことになっていて、そんなことが酔っていても頭の片隅にあって、ついでにそこに使う写真も新しいほうがよいから撮らせてもらった。ところが、このまあ、のりのよさ。いいねえ。いいのだけど、のりがよすぎて、使えるだろうか。

Ouji_sanzengoku2画像はすべて「三千石」で。

もう飲みすぎ、まだそんなに遅い時間じゃないと思うが眠くて身体を支えていられなくなった。そういうわけで、女たちにはすまないが、不倫もできずに帰りの電車に乗る。どうやって2人の女と別れたかも記憶にない。

そして電車の中で寝てしまい、大宮まで行って、そのままもどってしまったらしく(誰か終点で起こしてくれよな)、気づいたら田端あたりで蒲田行きなのだ。あわてて乗り換えたところまでは覚えているが、あとはわからん。とにかく、帰ってきた。

あの女2人は、まだまだ元気だったようだ。かないません。でも、またやろう。やることになるだろう。

三千石  東京都北区滝野川1丁目4-9 本郷通り都電荒川線飛鳥山駅そば
やきとり道場 串乃介 北区岸町1-3-2 王子駅北口徒歩1分 森下通り
王子は労働者の町だからだろう、安く気分よく飲める。

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2007/08/18

ある大衆食堂で

Menu

このメニュー書きが目に止まったとき、そこはかとなく静かに胸がときめいた。そして、はやるココロをおさえながら、デジカメをかまえ、シャッターを切った。シャッターを切った、撮ったぞ、という感触が余韻として残った。

クライマックスというのは派手でにぎにぎしいものとはかぎらない。めずらしい特異なものとはかぎらない。派手でにぎにぎしい非日常やめずらしい特異なものにしかクライマックスをかんじられないとしたら、日々はじつにタイクツすぎるのではないだろうか。そんなタイクツから逃れるように趣味を求め特異を求め流行を追う日々は、がつがつあたふたあわただしいだけだ。しかも、そのあわただしさをクライマックスとかんちがいする。

日常的な、なんでもない風景のなかに、クライマックスはいくらでもある。それをキャチできるかどうかなのだ。そう思うことがある。

しかし、女ごころは、わからんねえ、キャッチなんかできないよ。わからんわからん、考えたくない、なりゆきなりゆき。考えたいような女、いるんですか。おれとかれは、焼酎をグィッとあおった。

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2007/08/17

木村衣有子さんの新刊「もうひとつ別の東京」は、木村さんらしいと思う

2007/08/03「木村衣有子さんの新刊「もうひとつ別の東京」」に本の画像だけをのせて、「あとで、詳細を紹介する。」と書いたまま、日にちがすぎてしまった。この間に、なんとなく読み終えていた。そう、この本は、なんとなく読み終えて、そしてまたなんとなく手にとってパラパラ見てしまう本なのだ。

はがき二枚より一回り小さいかんじの大きさ。1見開き1景、左ページに写真、右ページに文章が5百字前後といったところか、合計55景。北の丸公園、小石川植物園、東京女子大学……。

木村さんは女に人気の作家らしい。本の作りは、それを感じさせるものがあるが写真や文章は、男でも女でもない。

2006/11/21「わたしの文房具で小沢昭一的」に書いた、木村さんの「わたしの文房具」を読んだときも感じたが、一個の「動物」あるいは「人間」あるいは「女子」…ま、コンニチまで生きてきた生物としての、というか、その現実的存在が光を発し、文房具に光をあて、今回は東京の景色に光をあて、光が反射しはねかえってくるものを書く、という感じが、おれとしては好きだ。ちょうど写真を撮る感覚だろうか。

そこには「私」という存在があるのだけど、「私」がでしゃばる感じにはならない。また日本的私小説的な、「自分さらし」ともちがう。たとえれば、「私」は、間接照明のような位置というか存在というか。こんな文章が増えるといいなあと思う。おれも木村さんのように書きたいし、木村さんのような書き方がふえるといいなあと、いつも思う。

ついでにいえば、ちかごろ、というか、これまで、エッセイだのなんだのには「私が私が」がシャシャリ出過ぎるものが多いように思う。ああ、わかったよ、あんたはカッコイイ。オリコウだねえ、あるいは変人だ、ふつうの人とちがう、よく知っている、すぐれた有能な人だ、なんだかモノスゴイ人だ、いい人生をしているね祝福してあげよう、と言いたくなるほど、「私が私が」で、対象は「私が私が」を押し付けるネタにすぎない感じを受けることが多い。とくに飲食系はね。

このことについて、なぜか?と考えるともなく考えてきたが、最近すこし思い当たることがあった。その「私が私が」は近代個人主義によるものと思っていたが、そうではない。まったくちがって、むしろ「前近代性」の強い残存としての「私が私が」らしいのだ。自身のうちなる「前近代性」を克服しようとしてないか、してないところにある「前近代性」、それが「文章を書く」というときに露呈する。そのように気づいたことがあった。

それはともかく、本書はサブタイトルに「ひそかに愛し、静かに訪ねる55景」とある。そのように、静々と55景が展開される。が、静々といっても、平坦ではない。

つべこべいわずに、おれがイチバン気に入ったのは。木村さんらしいなあと思わず笑ってしまった、「砧公園 世田谷美術館の「手拭い」」だ。本書のタイトルは「もうひとつ別の東京」だから、これは砧公園の世田谷美術館のこと、そしてそこの便所にある手拭いのことではなく(たぶんないと思うが)、美術館で売っている手拭いが関係する、とタイトルから想像できるし、そのように読みすすんだ。すると、たしかに話は、そのように展開するのだけど、最後に意外な飛躍がある。つまり、このように、なぜ世田谷美術館の「手拭い」が気に入っているかの話で終わるのだ。

「手拭いはここ数年で、いろいろな柄のものを試してみたけれど、結局、渋めのほうがいいと思った。それは私が、手拭いを主に台所で、布巾として使っているからでもある。自分で作るのは簡素なおかずが主なので、台所道具はやっぱり見た目はシンプルなほうがいい。」

たしかに、ここまで含めて、木村さんの「もうひとつ別の東京」なのだ。こういう、ある種、自由な感覚的な飛躍が、木村さんらしいと思う。おとなしく静々でおわらない。ってことで、木村さんの文章、あるいは文章を書く姿勢が好きなので、ほめまくりました。

景色は、そこに「客観的」に存在するようだけど、じつはそうではない。それぞれが見たようにしか存在しない。関心や興味の持ち方で、景色は変わる。もっとも本書は、「55景」とあるが、必ずしも、いわゆる「景色」を追ったものではなく、「東京らしさ」について考えたものだから、なかには「九段下 『ゴンドラ』の「ショコラ・ゴンドール」」といった食べ物もある。

写真も木村さんで、同居のツマが、「木村さんて写真うまいね」といっていた。なにか感じるところがあったらしい。

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北九州市城野の河口酒店で角打ち「部活」を書きたいのだが

0707_kawagutiya1またまた、なかなか書いているヒマがない?シリーズ。

去る7月17日、この日の朝、寝台特急で小倉に着いて、そのまま仕事にかかったのだが、夕刻7時ごろ日程をこなし、小倉出身のエムさんに連れられ、城野駅前の河口酒店へ角打ちをやりに行った。

そこにはエムさんの高校の同期生と、おなじ会社の人たちがいた。彼らは、「部活」と称して角打ちを楽しんでいるらしい。いい「部活」です。

河口酒店は、入り口から向かって左が酒を売るスペース、右がカウンターのある角打ちスペース。うなぎの寝床のように奥に長く、奥でも店と角打ちスペースがつながっている。カウンターの真ん中へんにおでん鍋。

おれは、まず生ビールを一杯やり、そのあと芋焼酎のロックにした。おでんを食べた。おでんは、北九州のいたるところ、という大げさかもしれないが、うどん屋にもお好み焼き屋にも、「いたるところ」というかんじであるのだ。どうやら、「とりあえず」おでんを食べるひとが多いらしい。いつも腹が減ってガマンならずに入るからなのか。事情はよくわからないが、そこに働くひとの日常の「生き方食べ方」をかんじた。それは角打ちにも通じるのではないかと思った。

0707_kawagutiya3飲むほどに酔い、酔うほどに飲み。女将が、自作でオススメの「ゴーヤ甘酢」を出してくれた。単純明快、ゴーヤを甘酢醤油辛子入りで漬けたものだ。うまい、つまみによい、タップリあって100円。どんどん飲む。焼酎おかわり8杯目ぐらいまでは覚えている。

9時をすぎていただろうか、閉店前に、エムさんがシェリー酒を飲もうと店の方へ行き、一本持ってきた。こういうことができるのも角打ちならでは。エムさんは、かなり酔っていた。おれも酔っていたが、まだシッカリしていたように思う。と、そんな差を強調してもしかたないが。

0707_kawagutiya2それまで、黙々と働いていた主人が、もう閉店が近づいたからだろうか、一緒に盛り上がる。かんじのいいご夫婦だねえ。記念撮影。顔つき目つきが完璧に酔って土偶化したエムさんはシェリー酒を持ち、高校の同期生と。

シェリー酒で乾杯したあたりから、かなり記憶がアイマイになる。でも勘定のとき、安くておどろいた。2千円ちょっと。ま、それだからこそ角打ちなのだろうが。ちかごろの居酒屋は、なんか過剰すぎると思う。能書きは多いし。

とにかく、つぎ、ということで、「部活」のみなさんも一緒に、城野の自衛隊の門があるほうへ向かい、そのあたりのバーに入ったのだった。バーボンをボトルでとって飲んでいたような気がする。

城野の自衛隊といえば、松本清張さんの「黒地の絵」の舞台になった米軍城野キャンプのあとだ。映画「無法松の一生」と「黒地の絵」で、小倉祇園太鼓を知ったが、実際に聴いたことはなかった。しかし、ちょうど、その小倉祇園太鼓の祭りのクライマックスが21日22日と近づいていて、街角で太鼓を練習する音が鳴り響いていた。

0707_kokurataiko1おれは、22日の午後4時ごろ北九州市を飛行機で離れたのだけど、滞在中のホテルは小倉の中心部だったから、毎夜のように太鼓の音を聴きながら酒を飲んだ。単調な、やややさぐれた感じの太鼓の音を聴きながらの酒。めったにやれることじゃない。格別の味わいだった。

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2007/08/16

夏休みは涼しいところでクウネル

0708_osizu113日から田舎の山奥へ。ようするに「休み」とは「休む」ことだ。食べるための若干のことはするにしても、なるべく何もしない。ひたすら、クウ、ネル。食って寝て、おきると、そばが打ってあるから、またクウ、ネル。もちろん呑む。
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標高600メートルの谷底。今年は、梅雨後半から雨が降らないとのことで、途中のダムは干上がり、底の方に残っていた水も緑色に濁っていた。道路の舗装も庭の石も土も、からからに乾いて熱をふくんでいる。例年なら扇風機はいらないのだが、日中になると「熱い、熱い」と扇風機をまわす。それでも谷底の水は枯れることなく流れ、縁側の温度計は20度台だ。戸を閉め切って寝て、明け方には布団を身体にかけていないと冷たくて目が覚める。そのかわり冬になれば、雪国育ちのおれが、よくこんなに寒いところに棲みついたもんだと思うぐらい、雪は積もるほど降らないが冷え込みが厳しい。
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うとうと昼寝していると、川から子供たちの声が聞こえた。このあたりは住人のいる家は19戸ばかり。子供たちの声が川に響くのは、近所の孫たちの里帰り、一年のうちお盆の一日か二日ぐらいだ。めずらしいジケンだから、起きて庭先に出て写真を撮った。このあと子供たちはヤマメが釣れたと興奮していた。年寄りが、近頃のヤマメは養殖放流だから腹がすくとスグかかる、欲の深い人間みたいだといって笑った。

ちょうど着いた13日には、3軒ほど隣の家の70歳半ばの主人の葬式だった。確実に人は減り、増えることはない。その「少子化人口減」の実感が、都会とはちがい、切実だ。人びとの関心や興味は、そこはかとなく確実に変化している。まだ大都会に巣くうバブリーな感覚は、すでにない。かつてのように大都会に対してこころが動かない。自分なりの日々の生活、身の回りのことだけ、愚痴をこぼし、悪口たたき、陽気に大笑いし、くって、ねる。これが少子化人口減の未来の姿なら悪くないかと思ったりする。何かを期待したり、役に立つことをしようとおもったり、そんなことは考えずに、自然体で生きていけるだけのことをしていればよいのだ……。

このまま人生を「休み」にしたいと思うが、そうもいかず。きのう15日、帰ってきた。風邪は完璧に直り、暑さに負けない体力充実。冷凍庫のイノシシの肉はどうするんだといわれたが、イマイチ夏にシシ鍋をする気がしないから、そのままにしてきた。
0708_osizu4
はたして、森林再生機構と森林は。

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2007/08/13

アリヤマデザインストアのち泥酔

Ariyama_4きのう午後アリヤマデザインストアで打ち合わせ。有山さん、大谷さん、初対面で写真の齋藤圭吾さん、遅れて牧野さん。終わってスタジオで有山さんたちのバンドの練習を牧野さんと見物。なかなかよい、練習風景ってのもいいものだ、バンド買い切りのぜいたくな気分。6時ごろ出て、東京駅へ向かって歩くも方向を失い、けっきょくタクシー。八重洲北口の飲屋街の一軒に入る。ジンマシンが出るから飲んでいけない(古墳部の旅行のときからそうだったけど)牧野さん、「一時間だけ」といいながら、「焼酎、ボトルで頼んだほうが安上がりだよね」ということで、2人でボトル一本あける。久しぶりに飲んだので泥酔、牧野さんも酔って土偶状態。帰り着くと、そのまま寝てしまった。

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2007/08/12

食堂、市場、横丁…青森駅前は刺激ビンビンなのだ、と書きたいのだが

なかなか書いているヒマ?がないんだよなあ。
Aomori_aoka
とにかく青森駅前は市場なんだよな。ま、青森の築地があるわけだ。いいねえ、こういう県都があって、いいじゃないか。たしかに、青森の経済は厳しそうだったが、どこも同じ県都の駅前に再開発するのではなく、こういう特徴を生かせないものだろうか。
Aomori_ekimetengoku
そこには、トウゼン横丁があるわけだ。表通りにも裏通りにも、トウゼン食堂があるわけだ。歩き回って、画像もたくさんあるのだけど、ここに載せるヒマがないんだよなあ。とりあえず、こんなところで。

Aomori_miyosisyokudou_2

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2007/08/11

九州も島だけど北九州には島がある 「雲のうえ」4号

Kumonoue4よっ。地方にとって難しい時代だからこそ、腰をすえて埋もれた北九州の魅力をざっくり掘り起こす。やわらかな表情に、そんな強い意志を秘めているように感じる、北九州市の「雲のうえ」は、創刊から一周年。4号が発行になった。今回の特集は「誰も知らない小さな島。」

日本も島だし、九州も島だが、北九州市にも島がある。北九州の海に浮かぶ島。謎だ、不思議だ、どうなんだ。ってえことで、島めぐり。いろいろな島がある。人工島もあるぞ。島になにがある。島から北九州を見たならば。

忙しいので、とり急ぎ、ここまで。あとで、たぶん、書き足す。

特集の文、宮田珠己さん。写真は立花文穂さん。そしてほかにも、いつもの牧野伊三夫さんの絵や大谷道子さんのコラムなどがある。大谷さんの「街のうた」は「川の中の島」、おもしろい。あんた、運動会の種目「川中島」を知っているか? 川中島を観戦しながら仏頂面の(かわいい?)男たち。アートディレクションは、いつもの有山達也さん。

「雲のうえ」4号、問い合わせは。こちらにも紹介があります。…北九州市企画政策室にぎわい企画課…クリック地獄

そうそう、次号予告(10月25日発行)は「必読」だ。次号の特集は「食堂の「食」道」。

 鉄(くろがね)の力を支えるのは、
 なんてったって鋼(はがね)の胃袋。
 次号、食欲の秋を食らい倒す!

勢いのいい予告だねえ。

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2007/08/10

再び書肆アクセスの閉店について

キーワード「書肆アクセス」の検索で2007/08/03「書肆アクセスの閉店について」にアクセスする人が増えている。

あれは、チト体調も悪いなか急いで書いたので、アイマイに終わっている。いま、ここに簡単に書き足せば、なぜそんなに「書肆アクセスの本」づくりを急がなくてはならないのだろうか、チト拙速ではないかというのが、印象だったのだ。

ま、おれは、あまり何に対しても期待を持たないほうだから、あきらめもはやく、ああ、世の中こんなものだなと思って、もうこのことについては二度と書くことはないと思うが、その印象は、じつに釈然としないものだったし、いまもって釈然としない。

古い考えかもしれないが、一つの店が経営にゆきづまり(という理由)で閉店するということは、けっこう重い問題だと思う。そこで働く人間にとっては、働く場が失われるのだ。ましてや、それが知り合いのことであり、しかもきわめて成り立ちの難しい分野での事業に関わってきた。

いや、それは、「書肆アクセスの本」づくりとは別のことですという考えは、たしかにあるだろう。自分たちが好きでカネを出し合い手弁当でやることです、ほっといてください。そういう言い分もあるだろう。それならそういうやり方があるだろうとも思う。

でも、どのみち、事実は「閉店」という一つのことから出発している。倒産とはちがうが、これは大勢が関係する一つの社会的ジケンなのだ。その一つのことに対して、まだあれこれ思案や当惑や疑問などの右往左往があるうちに、すぐさまやり手の葬儀屋がやってきて墓を建てるように「書肆アクセスの本」づくりというのは、いかにも、一つの店舗一つの職場、そこでの職が失われることについて軽い印象を受ける。というか、受けたのだ。

もっとも派遣労働者の問題も含め、ちかごろは仕事や働く場が失われることについて、とても軽くなってきたように思う。今回も、そういう世相の反映なのだろうか。労働や職場を大事に思う、おれはいまはフリーだけど、そう思う古い人間で、こういうことが気になりグズグズ考えるわけだ。

もしかしたら、こういう軽さが、閉店という結論につながる日常をつくっていたのではないか。自分は閉店には関係ないという顔をしてないで、そういうことも考えてみる必要がありそうだ。

それにしても、軽くなったなあ。
何か順序がちがっている。
世の中、こんなもんだよなあ。
という、これは、つ・ぶ・や・き。流れは、こんなタワゴトに関係なく、着々とすすむのだ。

塩山芳明さんの「日刊漫画屋無駄話 其の2244」によれば、「「書肆アクセス」の3人女、全員首なんだと」だそうだ。

首を切るほうも軽ければ、ただちにワイワイ集まりその記念碑のようなものをつくって既成事実化する動きも軽い。そして「記録」の華々しい「成功」のうちに関心は別のことに軽くうつっていくのだろう。

こんなやりかたで「記録」されるものは、それが「記録」として、どんなにリッパなものであっても、庶民からすれば価値のない一級史料のようなものではないか。ま、それでも、作ったものは「作った」満足が残るのだろう。しょせんその満足なのであって、地方・小出版流通センターの直営店「書肆アクセス」のことではない。そうとしか思えない。

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作る楽しさ、食べる楽しさ、飲む楽しさ! 瀬尾幸子「簡単!旨いつまみ」

Seo_umaitumami_2先日も書いたように、料理研究家の瀬尾幸子さんは、『酒とつまみ』で連載の「つまみ塾」とそれにからんでのタモリ倶楽部への出演などの影響もあってか、ちかごろは「つまみ研究家」にされちゃいそうだという。

タイトルの通り、ホラよアラよと簡単にできる、旨いつまみの作り方オンパレード。その瀬尾さんの実力のほどは、すでに『酒とつまみ』でも知られている。

随所に瀬尾さんらしさがある。たとえば、「感涙つまみ1」の「ねぎ塩つまみ」だ。「ねぎと塩とごま油を混ぜるだけなのに、やっこも肉も至福の味にしてくれる。ねぎが偉大であることを再確認。これはもう、作るしかない!」と、長ねぎと塩とごま油だけで簡単にできちゃう「ねぎ塩」の作り方がある。これだけでもつまみになるが、さらに多めに作っておいて、「豚肉のねぎ塩焼き」や「ねぎ塩やっこ」や「刺身のねぎ塩和え」を作るという発展的バリエーションが展開される。これは、考え方としては、当ブログで何度も紹介している、「タマネギとトマトのレモン汁辛子漬け」と共通する。

7月25日から29日まで、古墳部の旅で瀬尾さんとは一緒で、またまた愛を深めたのだが。といってもお互いの肉体の愛ではなく、料理に対する愛ね。おれも瀬尾さんも、ようするに日常の生活のなかの料理に熱い目をむけているわけだ。この本の最後に瀬尾さんのプロフィールがあって、こう書かれている。……

「初めてでも失敗なくできる」、「普通の材料でも簡単にできる」料理をモットーに、雑誌、広告などで活躍。

……引用おわり。

ニクイところは、「いつかは作ってみたかった 魚に勝負をいどむ!」と、この見出しは、チトいかにも編集部らしいが、ここにはアジをおろしてなめろうをつくったり、イカをさばいて塩辛をつくったり、あるいは窓辺でやる干物など、簡単な包丁さばきや魚の扱いがのっていることだ。これぐらいは覚えておくと料理が、さらに楽しくなる。つまり、本書は日常の料理の入門書としても、なかなかよいのだ。

ま、とにかく、まだパラパラ見ただけなので、詳しくは、また書き足す。ことになるだろう。

表紙に瀬尾さんの名前が入っていない。この本は、ブックの体裁だが、雑誌コードで、ムックだからということなのだろうか。学研「GAKKEN HIT MOOK」から、838円。

コキタナイ能書きたれながしていないで台所に立とう。

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2007/08/09

ドーダでドーダ

ヤスlogさんを覘いたら、「鹿島茂「ドーダの近代史」読み中」というエントリーがあった。

「ドーダの近代史」は、どうやら鹿島茂さんが東海林さだおさんの「ドーダの人々」にいたく共感して著したものらしい。

東海林さんの「ドーダの人々」は、ビックリ仰天イタタタタってぐらいおもしろい。『もっとコロッケな日本語』に収録されているのだけど、おれがもっているのは文藝春秋刊の単行本二〇〇三年六月第一刷で、文庫本になっているかどうかは知らない。

そこで「ドーダ」について、東海林さんは、こう書いている。……

自慢話は「ドーダ!」である。
ドーダ、このようにオレはエライんだぞ、ドーダ、と言っているわけだ。

……引用おわり。

様々な「ドーダ」が東海林さんによって俎上にのせられる。

なんていう作家が言ったか忘れたが、エッセイなんてみな自慢話だ、にも共通する。だいたい自分のことを書いてみせびらかすなんて自慢以外のなにものでもない。競馬で勝ったオヤジが大宮のいづみやでホッピー飲みながら、一万円札がつまった財布をあけてみせているのと変わりない。ドーダ、おれの頭のなかには、こんなものが詰まっているんだぜ、頭いいんだぜ、いい感性しているんだぜ、物知りなんだぜ、こんなことを知っているぜ、世の中のことわかっているぜ、生活感覚はないし経済のことなど知ったことではないですなあ、人生は趣味道楽ですよ、どうですイイ趣味道楽しているでしょう、使われているだけのただのリーマン生活なんかクダラナイですよ、おれは原稿書きだぜ、本は残るぜ、今日は3枚書いた、とにかくあいつらクダランぜ、…ドーダ。それが活字だの本だのってことになると文化っぽい虚飾にまぎれる。箔になるというのかな。おれも、そこそこやっているなあ。

「ドーダの人々」はおもしろい。東海林さだおって、とんでもないことを思いつくとおもう。それにしても活字業界はドーダ人だらけだ。

ところで、ヤスlogさんのばあい、「ドーダの近代史」のことだ。おれは、この本があるのも知らなかった。読んで見たいとおもうが、ヤスlogさんの締めの文言がいい。「だから、忘れちゃいけない。ドーダが冗談だってことを。快刀乱麻のドーダの斬れ味が、歴史のうちに何かを見えるようにしたと同時に何かを見えなくしてしまっていることを。」

けっきょく、すぐ自慢しちゃうというのは、お調子者とか、謙虚でないとか傲慢だとか慢心だとかいわれるのだけど、そういうこともあるかもしれないけど、それだけじゃないだろう。あることのよい面、プラスの面だけを、それはたいがい自分にとって都合のよい面プラスの面であることが多いと思うが、そちらだけを評価し、そのことによって失われることやマイナス負荷については見てないということもあるような気がする。だから手放しで、礼賛したり、共感したり、よろこんだり、泣いたり、悲しんだり、舞い上がったり、して、ドーダをやりたくなる。ちかごろ、とくに縄文文化と向かい合ってきたりすると、とくにそれを感じる。

「快刀乱麻のドーダの斬れ味が、歴史のうちに何かを見えるようにしたと同時に何かを見えなくしてしまっていることを。」と書かれているが、「快刀乱麻のドーダの斬れ味」のみならず、ちかごろの人間の考えることやっていることは、そういうことがゴロゴロあるような気がする。情報社会のせいか?

ドーダ、やってしまうけど、みっともない。ま、アタフタふりまわされないことだ。ひとをふりまわすのもよくないが。ゆっくり交わりからみあって編み上げるようにすればよいのだ、縄文の文様のように。ちょっとぐらいのことで人の上にたつ何者かになった気のやつが多すぎる。というドーダなのだが、ドーダ!

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風邪回復へ。高校総体柔道 岩手代表アベちゃん応援。

Miyako_abe今朝の体温は36度だった。きのうは朝36度5分、夜は7度2分あった。まだ下がるのかもしれないが、これでよいことにする。今日は、「正常化」をはかり、ビールを飲むつもりだ。

寝ていると女のことをいろいろ考える。女といってもイロっぽい話とは限らない。アベちゃんも、その1人だが、うふふふの女子高生。彼女のことは、26日釜石から宮古へ向かうJR山田線のなかで知った。

その朝6時ごろ釜石を出発した電車は、2時間ほどかけて岩手県太平洋岸を北上し宮古にいたる。途中から、通学の生徒たちが乗って来る。どうやら「通学」電車であるらしい。どこの駅だったか、乗ってきた女子高生3人が、ワレワレ5人が占めるボックスの通路のところに立った。

ワレワレのうちの誰かが話しかけ、それがきっかけになったと思う。おれが話しかけたのではない、おれはそのときすでにカップ酒を片手の、だらしない飲兵衛オヤジだった。ま、とにかくそれで、話がはずんだ。

高校は夏休みに入っている。彼女たちは、それぞれ部活やらなんやら「用」「目的」があって登校するのだった。なかの1人が、8月に佐賀県で開催の高校総体(インターハイ)に柔道の岩手県代表チームで参加することを知ったとき、ワレワレはみな「えーっ」と声を上げた。「すごい」ということだが、なにがスゴイって、インターハイに出るだけでもスゴイのに、彼女は普通以上に小柄なのだ。ワレワレの一員である瀬尾さんなどは、「だって、あなた、150あるの?」と遠慮なく聞いた。彼女は、アベという姓だ。体躯の大きさなど、ナニゴトにもあまり関係ないのだが、小さいと、がんばっているなというかんじがするし、それなりにちがう鍛錬も必要だろう。

宮古につくまで楽しく語り合った。もう1人の女子高生は、音楽の部活をやりながら、じつは書のほうで、やはり何かの大会に出るらしい、もう1人は参考書を手にしていたが進学一途らしい。

この子たちのことを書いていると話がながくなるので、機会があったらそのうちということにして(みなすばらしい女子だった)、Webで調べたら、佐賀県で開催の高校総体の柔道は、きのう8日が開会式と男子予選開始で、女子は明日10日から始まる。がんばれ、アベちゃん。

2007青春・佐賀総体 柔道…クリック地獄

おれも、1961年高校3年の夏、高校総体の登山競技に出た。2006/04/11「書評のメルマガとドラム缶の風呂」に、「高校3年生の夏休みは、7月夏休みに入るとスグに、インターハイつまり全国高校登山大会に出場、ま、レベルの高い激戦の新潟予選を勝ち抜いて参加ってわけだけど、たいして自慢になることじゃないので、この話はあまりしてない、とにかくそれで朝日連峰縦走で麓泊も入れて4泊5日だったかな?」と書いているていどだが。 

高校で体育系の部活をしていれば、国体と高校総体は大きな目標であり憧れだ。国体への挑戦は、2年生のとき予選に出て、2位で出場かなわなかった。1位1パーティ3人しか参加できず、このときは、かなり接戦で、最後までどちらが勝つかわからないといわれたけど、たしか新発田農高だったかに負けた。

翌年のインターハイのときには、その新発田農高のチームにやはり2年生で参加していた本間さんが3年生で部長になり予選を突破していた。彼と、名前を忘れたが高田高校山岳部の男子とおれの3人で、パーティを組んだ。新潟県は、もう1パーティ、合計2パーティで参加した。ほかに、女子部門に1パーティ。

おれは登山競技には一貫して興味なかったけど、参加となれば、予選だって、やはり燃えちゃうね。それにインターハイの県予選には、ウチの山岳部は「有力」だったから、一年生のときからオブザーバーで参加する予算があり、1年のときは地元の八海山、2年のときは妙高に参加し、他校の山岳部員との交流は楽しかったし参考になった。3年のときは選手で浅草・守門の予選に参加したわけだけど、そのときには、「やあ」と言葉をかわす知った顔が数人いた。

おれのときの高校総体の開催地は山形県で、登山競技は朝日連峰を舞台に、縦走幕営二泊、下山後閉会式一泊という日程だった。登山競技は開催地の山岳の条件によってかなりかわるが、このときは「縦走」が中心だった。

寒河江の高校で開会式のあと、すぐ初日の幕営地にむかったのだが、たしか登山口に着いたのが午後1時をまわっていたと思う。雷の関係もあり、常識的には真夏に登山を始める時間ではない。それに一日目は全員おなじコースを登るのだから、おれたちがいた最後尾のほうは、幕営地に着いたときには日が暮れていた。それに、やっぱり夕立にあい、雷はひどくなかったが、テントを張る地面は雨上がりのあとで、たっぷり水分を含んでいた。

この縦走コースの組み方には、かなり無理があり、とくに二日目は幕営予定地に予定通りの時間で到着したのは、おれたち新潟県勢を含めわずかで、たいがいは遅れて到着するなど混乱が少なくなかった。とにかく、無理のあるコースに、ガンガン照りで、消耗しつくした。

最終日は閉会式のあと夜は交流会で、たしか天童の旅館に泊まり。翌日は「ごほうび」ということで、山寺あたりを観光しながら松島で泊まり(泊まりといっても旅館ではなく、海岸に幕営)、翌日帰宅した。そのあとすぐ夏山合宿、いったん下山してすぐ苗場山頂上小屋でアルバイト。

もう記憶があいまいだが、そんなふうだったと思う。ま、この夏の「青春」は体力勝負で、体力を燃焼しつくした、というかんじの夏だった。

いまでも、体力勝負の人生だなあ。とくにカネになるほどの専門知識や技術があるわけじゃなし。

ああ、話がどこへ転がったのやら。

そうそう画像のこと。宮古駅、左端の小柄な女子高生がアベちゃんだ(ほんと、小さいよね)。アベちゃ~ん、ファイト~。

画像の右端は瀬尾幸子さんなんだけど、きのう、瀬尾さんから新著が届いた。『「今宵の肴は自分で作る 簡単!旨いつまみ」アイデア自慢の速攻レシピ102点』学研のムックから。

パラパラと見ただけでも、作ってイッパイやりたくなりそうなのばかり。近日中に詳しく紹介する。よろしく~。

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2007/08/06

暑さにも熱にも負けず

今日は8年ぶりぐらいに医者へ行って、クスリをどっさりもらって、よろこんで飲んでいる。
同じ町内会の同じ班の内科医だが、ここを利用するのは初めて。
40歳ぐらいのアメフットをやっていたのではないかと思われる身体つきと目つき。

大雑把で気楽な医者だ。こんな会話があった。
医者「熱はありますか」
おれ「ありません」(自信を持って)
医者「測ってみました?」
おれ「熱、ないんだから、測りません」(断固とした調子)
医者「そういえば熱っぽい顔じゃありませんね」

そして診察の最後に医者「でもやっぱり熱を測ってみましょう」
体温計を見て医者「ほら、やっぱり熱があるじゃないですか、7度8分ですよ、よく平気ですね。解熱剤も出しておきましょう」
おれ「あれ、おかしいな、ボケたのかな」
医者「お年寄りには、少々の熱だとボケて気がつかないということがありますがね、まだそんなトシでもないでしょう、おかしいと思ったらまず熱を測ってくださいよ」

きのうもおとといも、炎天下買い物をし食事のしたくをした。身体中が痛くて、筋肉痛かと思っていたが熱のせいだったらしい。

ま、そういうわけで、クスリを楽しく飲んで、佳境にむかいつつあるいくつかのシゴトをこなしている。つもり。
いまのうちに風邪を引いて直しておけば、つぎの北九州行きのときには万全で臨めるだろう。

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2007/08/05

カラオケ大会優勝のこと

Kohun_hyousyoujyouめずらしくヒドイ風邪の状態が続き、今日で4日、アルコールを飲んでない。アルコールを飲まなくても、タブン、おかしくならずに生きている。

熱はないのだが、タンとセキに悩まされ、横になると咳き込むので睡眠不足。とはいえやることはあるので、またあったほうがよいので、やりながらなんとかねじ伏せようと思っていたが、筋肉の疲労感もあり、これは明日は医者へ行かなくてはダメかなと思っている。もし明日、医者へ行けば、八年ぶりぐらいになる。ついでに健康診断でもしておくか。

それはともかく、きのう古墳部部長のスソさんから画像が届いた。28日夜のカラオケ大会で、おれがスソさんから表彰状をもらっているの図だ。撮影は川原さんとのこと。スソさんは、わざわざイスの上にあがって、表彰状を読み上げ、おれは直立不動で頭をたれ、手を指先までキチンとのばし、神妙である。だけど、まったく覚えていない。とにかく古墳部は、遊ぶときも、とことん熱心に遊ぶし、撮影というと牧野さんがいつも細かいディレクションをするから、そんなクセがついているのだろう。

Kohun_karaokeところで、おれがどうして優勝したか。この日は、早朝に伊澤さんが帰京したので、参加者は男子5人、女子5人の10名だった。たしか1人が三曲うたって、投票で優勝者を決めようということで始まったと思う。最初の1曲はおれだった。「日本全国酒飲み音頭」をうたった。

会場のスナック「ワイマール」は、宿泊していた山海荘のなかにあって、比較的ゆったりした空間で、ダンススペースが広い。おれは、そこを桑田佳祐みたいに走り回りながらうたった。よーな気がする。すでにその前の宴会食事で、生の津軽三味線にあわせ踊り狂って、かなり酔っていた。ようするに、自分がうたいたいようにうたう。機械にあわせて上手にうたう必要なんかないのだ。

ま、とにかく、そのあとみなが歌っているときに、川原さんが「デュエットやろうよ」と言ってきた。それがきっかけで、二曲目は男女の組み合わせでデュエットをやることになった。というよーな気がする。おれと川原さんは、ふつうのデュエット曲ではなく、「黒の舟歌」を2人でテキトウに歌った。これは、それなりにウケがよかった。よーな気がする。

とにかく、こうしちゃいられない、結論を急ごう。
投票の結果は、おれが4票で1位、瀬尾さんが3票で2位だった。この1票の差がモンダイなのだ。

瀬尾さんは、文句なく上手だった。だからだろう、帰ってきてデジカメを見たら、瀬尾さんのうたがビデオで撮影してあった。

しかし、瀬尾さんは、その前夜の卓球大会でおれと対戦し、3本勝負のうち最初の1本をおれがとったあと、あとの2本を瀬尾さんがおれのバックに打ち込んで勝ったのだった。

それが記憶にあったわけではないが、おれは瀬尾さんって料理だけじゃなく歌もうまいねえと思いながら、瀬尾さんの名前を書かずに、じつは、おれはおれの名前「エンテツ」と書いたのだった。しかも、おれは集計をする川原さんやほかのひと何人かが見ている前で、堂々と「エンテツ」と書いたのだった。

ああ、投票で自分の名前を書くなんて、政治家ぐらいのものだ。
あとで、みなに自分じゃないとしたら誰を書いたかときかれ、「瀬尾さん」といいながら、でも、あのひとは卓球ではおれのバックに打ち込んで勝った人だからね、と密かに思っていた。かもしれない。

表彰状をもらうのは、高校卒業して以来だ。高校のときの表彰状は、みな体育系だし。おれは、これでブンカジンになったのだろうか? このおれの姿をひと目死んだ母に見せたかった。おれを捨てた女に見せたかった。おれはこうしてリッパな紳士へと成長しています。…そんなわきゃないだろ~。

瀬尾幸子さんは、「つまみ研究家になっちゃいそうだよ」といっていた。「酒とつまみ」での連載や、そのつまみネタでのタモリ倶楽部出演などの影響もあってだろう。これから何冊かつまみの本が出るらしい。

川原真由美さんの「かわはらむ」…クリック地獄
スソアキコさんの「スソさんのせかい」…クリック地獄

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2007/08/03

書肆アクセスの閉店について

先月中旬、北九州にいたとき、同行者のあいだで東京神田神保町の「書肆アクセス」の閉店が話題になった。そのときその場をおおった雰囲気は「困ったことになった」というのが正直のとこだったと思う。その場にいたひとたちは、「雲のうえ」の関係者であり、また牧野伊三夫さんは「四月と十月」の編集長としても、みな「書肆アクセス」を販路としてお世話になり、命綱のように頼りにしていた。つまりは個人的な関係や感傷を越えて、「困ったことになった」という関係がある。それは、いわゆるリトルマガジンの発行者に共通することではないかと思う。

市役所の若い人が、「(店長の)畠中さんには、ほんとにお世話になりました、一度会ってお礼を言いたい」といっていたが、それが「実態」だろう。

南陀楼綾繁さんの「ナンダロウアヤシゲな日々」退屈男さんのブログを見ると、「書肆アクセスの本」(仮題)をつくる動きがあり、そのためのブログもできたようだ。…クリック地獄

こういう動きに水をさすつもりはないが、おれは死者の棺を担いで注目されるようなことは嫌いなので、閉店が決まった「書肆アクセス」のために何かをしてあげる考えはない。畠中さん個人に対してなら別だが、「書肆アクセス」は個人商店ではなく、イチオウ、株式会社地方・小出版流通センターという法人の傘下にある店だし。

おれがむしろ気になるのは、「書肆アクセス」あるいは「書肆アクセス」の店長・畠中さんを頼りにしていて、「書肆アクセス」がなくなると困る、リトルマガジンの発行者や編集者は、どうしたらよいのかということなのだ。

こういうことは、いつも結論が出てから話題になるのだが、閉店や倒産といった結果は日常の関係性の延長にあるのであり、ブログ上で「書肆アクセスの本」(仮題)をつくる動きをみると、個人的な関係や感傷に流れている面が多分にある。あるいはそういうファンに「書肆アクセス」は支えられていたということかもしれないが。そういう美しい話だったら、個人の思い出に留めておけばよいことだろうと、おれは思う。

とくにリトルマガジンの将来にとっては、みんなの記念碑のような「書肆アクセスの本」をつくって葬送を行う以上に考えなくてはならない大事なことがあるような気がしてならない。そのことが、「書肆アクセスの本」をつくる過程で掘り返されるのだろうか。

7月30日 書肆アクセス店長 畠中理恵子さんの閉店の挨拶には、こうある……

 閉店の大きな理由は、報道にもある通り売上不振です。
 ここ5年間、序々に売上げが下降しており、3年前から目立って売行不振となりました。昨年は、書店卸が前年比50%となるなど大きな落ち込みとなりました。

……この部分は「出版不況」だからで片付けられやすい。しかし、一般的にもそれではいけないだろうし、ファンとなれば、なおのことだと思う。これは、おれが畠中さんと知り合ってからの期間に、ほぼ重なる。おれは熱心なファンとはいえないが、気になることはあった。

とり急ぎ、とりとめなく書いた。

後日の追記。2007/08/10「再び書肆アクセスの閉店について」…クリック地獄

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木村衣有子さんの新刊「もうひとつ別の東京」

Hon_kimura留守中に木村衣有子さんの新刊が届いていた。サブ・タイトルに「ひそかに愛し、静かに訪ねる55景」と。とりあえず表紙の画像だけ。あとで、詳細を紹介する。

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2007/08/01

縄文のコメは何を語るのだろうか

Kohun_126_komeやることがたまっているので、気分転換に、とりあえず、このことを簡単に書く。

縄文遺跡には生と死と、そのあいだにある生活の跡しかない。戦争の跡もゲージュツの跡もブンガクの跡もない。なかでも今回のおれの興味は、縄文のコメを見ることだった。米作は弥生時代に大陸から渡来し始まったという常識で育ったおれだが、縄文のコメが、しかも東北の青森県の遺跡にあったのだ。

それは青森県八戸市の縄文学習館(もしかすると八戸市博物館だったかもしれない)にあった。顕微鏡で現代のコメと比較できるように陳列されていた。見ると、現代のものよりでっぷりしたかんじだった。画像でも確認できるが胚芽のところが欠けている。これは風張遺跡の縄文後期末葉(いまから約3000年前)の竪穴住居跡から発見されたもので、いまのところ日本で最古のコメといわれているらしい。

このコメがどのように作られるようになり、どんな味のものか、まったく想像がつかない。何度も顕微鏡をのぞいては想像をめぐらすのだが、酒を飲んでいない昼間のせいか、なんのひらめきもなかった。しかし、米作をしていたらしい縄文人は、一挙に近くかんじられた。

縄文のコメが北の青森県で出土したことについては、学芸員の方の説明であっさり片がついた。つまり、そのころ地球は温暖化の時代であり、現在より平均気温が摂氏2度ばかり高く、海面も5m?ぐらい高かった。それが丘陵の上の風張遺跡でコメが発見されたことに関係あるらしい。

しかし、チト学芸員の説明には疑問があったのだが、それを話すまもなく、見学は時間切れになってしまった。今回は、めったに行く機会のない東北だからと、グルメ観光や温泉観光など盛りだくさんで、ゆっくり遺跡見学ができなかった。カタログも吟味する余裕もなく、一冊も買ってこなかった。

Kohun_252_kaiyaki28日の「居酒屋じょじょ長屋」での宴会食事のときに、「貝焼き」なるものをたべた。大きなホタテの貝殻にだし汁を張り、切ったホタテの身やヒモや野菜などを煮て、最後に生卵を溶いてかけとろとろのうちにたべる。その基本的な方法は、火床に土器をつかい、貝殻を鍋がわりに使用する、縄文人流のままではないかと思った。ま、そのときは、だいぶ酔っていたが、酔ったアタマで、フトそう思うと、ひとの一生も歴史も一瞬に思えた。めしくって生きて、めしくうために何かをし、それで十分なのだ。

前夜の宴会食事の席で、筋むかいにいた写真家のケイさんが、絵も写真も後世に残そう伝えようとするとろくなものができない、というようなことをいっていた。あるいは、後世に残そう伝えようとするろくでもない画家や写真家がふえてろくでもねえ、とかいっていた。そりゃモノカキもおなじだね。などと、酔って話していたのだが、ようするに、めしくって生きて、めしくうために何かをし、それで十分なのだ。残そうとする必要はない、生と死のあいだの生活のなかで、残るべきものは残っていく。

残り伝わるのは、気どらず力強く生きる文化なのだ。と、手前味噌、でした。

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