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2007/09/30

酒のツキアイ

二日酔い。きのうは、18時から御徒町の安い底辺居酒屋を二軒はしごして、身体をいためつけるような飲み方をしてしまった。それもまた、よきかな。

考えてみると、おれには、仕事やアソビ関係なく、酒飲むときだけのツキアイというのが、おおい。酒飲むとき以外のことは知らない。おれは、それでよいと思っている。いいじゃないの、シラフで仕事しているときがホントウの姿で、酒飲んでいるときはウソ、なんてことはないのだから。シラフで、よくウソをついたり、見栄ハッタリかけひき、いろいろやるじゃないか。おれは酒を飲んでいるときのほうが、ウソがないのではないかと思うことが、おおい。ま、ニンゲンは、それほど単純ではないとは思うのだが。

でも、シラフのときに、アレは酒飲んでいるときのことだから、と否定されることがある。すると、おれはカナシイ。そんなことされたら、おれの人生の大部分は否定されかねない。

酒以外の仕事やアソビでのツキアイがあるひとをうらやましく思わないことはないけど、でも酒のツキアイだけという結果であるにせよ、そんなに悪いものじゃないと思っている。

そもそも仕事やアソビのツキアイがあるひととは、その関係というか惰性で、飲む機会は自然に多くなりやすい、そちらに流れやすい。おれは、なるべく、そうならないように、飲み会をする。だいたい考えてもみなよ、仕事やアソビも一緒で、酒飲むときも同じニンゲンなんて。ツキアイじゃなくナレアイじゃないの。あるいは、仕事になる相手となら飲むという打算。でも、好きなひとなら、それでもよいのかな。ってことは、あっ、そうか。

とにかく、アレは酒飲んでいるときのことだから、といわれてしまうと、酒飲んでいるだけのツキアイの多いおれは、ボーゼンとするしかない。トツゼンこの世で孤立した状態におかれた気分になる。天をあおいで、ああ、と、ためいきでもついて。ま、孤独は嫌いじゃないから、耐えるのはカンタンだが、一抹のさびしさは残る。そもそも、ニンゲンとしてのツキアイのあいだに酒があると思って飲んでいるのに、アレは酒飲んでいるときのことだから、といわれたら、その時間のおれは、死んでいた、ということになる。ま、それも、いいか。おれは、そのていどの簡単に否定されうる軽い存在の飲兵衛にすぎないということは、そんなに悪くはないな。

とにかくおれは、酒飲んでいるときだって、そちらのほうが人間としてのツキアイをしているつもりだという、「信念」というほど大げさじゃないが、ま、そういう人生なのだ。それが否定されるなら、そりゃまあ、仕方のないことなのさ。って、なにをグダグダ書いているか、二日酔いのタワゴト。

ま、でも、酒飲んで酔っているときの話を本気にしては、本気にするほうがいけないのだな。本気にされたほうが可哀そうだもの。困るだろうことは、わかる。フツウは、そういうものなのだ。

そうそう、いま思い出したが、きのうの一軒目は、御徒町の安酒場で、広いのにパラパラとしか客がいない。おれたちだけは5人。おれのうしろに、おばさんというほどではないが、中年女性が2人で飲んでいた。18時に、おれが入ったときにはすでにいて、おれたちが9時半ごろ出るときにも、まだいた。その女たちが、誰か男のことを、「あいつはデリカシーがないの」「野蛮」とかいっているのを聞いて、おれのことをいわれているような気分だった。「おまえら、そんなにデリカシーのある紳士がいいのか!」と、思わず怒鳴りつけたくなる衝動をこらえながら飲んだので、悪酒になってしまったのだ。たぶん。

しかし、ミャンマーは、どうなっているのだ。あんな軍事政権が存続していること自体おかしい。アイツらは、あれをシラフでやっているのだ。

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2007/09/28

「くさった女」とな

いやあ、ちとメールを整理していたら、これをこのまま埋もれさせるのは惜しいという一文があったので、ここに忘れないよう転載しておこう。

これは、頂戴した用件のメールに、2007/09/11「グッドバイ 太宰治」をご覧なったあとの余談としてあった。名前は載せると「有名人」だから、やっぱマズイでしょうね。載せないでおこう。このメールを頂戴した頃は忙しくて、このことについては返事もテキトウだったように思うけど、あらためて読むと素晴らしいね。とくに後半。最後の一行、傑作ですね。このひとは、やさしいおとなしそうなお嬢さまのような顔した30代なんだけど、ときどき男のケツの穴から手を突っ込んでハラワタをかきまわすようなことを言うんですよ。惚れちゃいそう。

ちかごろは「辛口」だ「毒舌」だといっても、誰にでもあるような上っ面のミスや欠点を突っつくようなものばかりで、そんなことして大見得切っているダメな男のダメな芸でしかなく、このような腰のすわりもなければ、鮮やかさもない。

しかし、「くさった女」ってのは、どいつだ。「くさった男」は知っているが。女なら、くさっても女は女。なーんてことだと、男はやられてしまうのだろうか。ま、とにかく、以下のごとし。一部省略。


ブログの太宰論、面白く読ませていただきました。
フィッツジェラルドが好きで、金持ちのゴタクには比較的理解があると
自認する私ですが、太宰は確かに痛いですね。
(でも、人気漫画家が装丁した「人間失格」の文庫が
 近年、若者にバカ売れしているそうですが)

けっこう昔に書かれた水木しげるのエッセイで、
(何かの雑誌で「太宰について書け」と御題を渡されたらしい)
玉川上水に行ってみた感想を書いたものがあるのですが、
「こんな猫も死なないような(浅瀬の)ところで死ねるのだから、
 よほど軟弱な、女のくさったような奴だったんだろう」と書かれていました。
遠藤さんやKさん、そして水木さんが怒る太宰。
太宰を叱れてこそ大人の男、ということでしょうか。

でも、水木御大にひとこと言わせていただくなら、
くさった女の凶悪さに勝てる男はいないと思いますけどね(笑)。

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瀬尾さんの土器と、おれの土器。縄文人に近づけたか。

Doki_seo数日前、自作の土器が届いた。これは、「四月と十月」古墳部東北縄文の旅のとき、7月27日に秋田県大湯環状列石(大湯ストーンサークル館)で、制作したものだ。それが、なるべく縄文時代のままにと、自然乾燥と野焼きでやるというので時間がかかり、やっと出来上がって、送られてきた。

料理研究家の瀬尾幸子さんからも、「届いた!」のメールがあったので、画像を送ってもらい、一緒に掲載する。上が瀬尾さん作、下がおれ(おれの土器の大きさは、高さ10センチぐらい)。おれんのと瀬尾さんのは、かなり違う傾向の形と文様だ。その話は、あとまわしにして。

荷を開けてみるまでは、もしかして「爆発」していたらとドキドキだった。というのも、当日土器づくりを指導してくれた学芸員の話では、ちゃんとつくらないと、焼いている最中に「爆発」して壊れてしまうというのだ。そのときは「ポン」という音がするんですよと、うれしそうに話していた。かりに「爆発」しても、そのザンガイを送ってくれることになっていた。

土器は、ねんどをよくこねて、ちぎって棒状にのばし、そのまま巻き上げるようにカタチをつくっていくか、いくつもの輪をつくり重ねてカタチをつくるかする。そのとき、少しでも中に空気が残ると、焼いたときに膨張して「爆発」につながるというわけだ。実際、つくるときに、最も注意が必要なのは、空気が残らないようにねんどをのばしながら成形することだった。やってみると、けっこう難しい。おれは輪を重ねるやりかたでやったのだが、輪と輪のあいだに、どうしても空気が残りやすい。その作業をやりながら思ったことは、当時の縄文人は、空気が残っていると「爆発」につながるということはわかっていたというオドロキだ。もちろん「空気が残っていると」というのは、いまの言い方だから、べつの認識だとは思うが。

いつの時代か何度か失敗しながらだろう、そのことに気づいたか、とにかく、それは直接、目に見えないことに関する知識なのだから、かなり「科学的」な思考だったのではないかと思われた。縄文人というと、狩猟と採集で呪術的な、自然のままの暮らしというイメージが根強いが、偏った見方だろう。すでに一部では栽培もやっていたことがわかっているし、だいたい料理技術からみれば、基本的なことは、ほとんど縄文時代に行われていたのだし。けっこう「科学的」だったのだ。

Doki_oreそれから、形と文様だが、瀬尾さんのとおれんのと比べてみてもわかりやすいが、瀬尾さんの壷のほうが縄文人のものに近い。おれんのはどちらかというと、かなり弥生的であり現代的だ。そのちがいは、作ってみるとわかるのだが、どうしてもおれの場合、輪郭線にたよってしまう。これは定説かどうかは知らないが、作ってみて感じたことは、縄文の形や文様は、輪郭線に頼っていては作れない。そこなんだなモンダイは。それで考えたことを書くと長くなるので、今日は、ここまで。いずれにしても、機会があったら、やってみることをおすすめします、いろいろなことを発見できるでしょう。

土器作りをしている様子は、2007/07/31「四月と十月古墳部東北縄文の旅。帰ってきた。」に画像が掲載してある。……クリック地獄

古墳部のなかには、すでに以前に一度、埼玉県行田のさきたま古墳で土器作りを体験しているひともいて、かなり手馴れた様子のひともいた。ま、なんでもそうだけど、一度体験しておくかどうかってのは、けっこう大事だからな。

環状列石も、なかなか興味あるもので、写真も撮ってきてあるが、まだ掲載できないでいる。そのうちに。
大湯ストーンサークル館……クリック地獄

瀬尾さんの最新刊、『簡単! 旨いつまみ』(学研)もよろしく~……クリック地獄

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2007/09/27

えっ、松露のじいさん、亡くなったの

Syouro_jisan知らなかった。中野45番街の松露のじいさんが亡くなっていたなんて。この夏を越せなかったのか。じいさんというが、たしか、おれより6歳かそこら上なだけで、ばあさんより10数歳若かったはずだが。癌がみつかって、アッというまだったのだなあ。とにかく冥福を祈ろう。

画像は、03年7月。右端がじいさん。45番街も地上げのため姿を消す。在りし日の松露。……クリック地獄

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ポルトガルで、てれんぱれんとやっていたいと思う

きのうは、ポルトガルへ行くことを真剣に考えた。なにしろ、おれはいま心身ともに疲れている。夏バテ気味のところに、心にも深い傷を負い、いまこそ絵に描いたような傷心だの癒しだのというクソ旅に出るべきではないか。おれだってバカな繊細なのだ、というところを知らしめるべきではないか。

あなたに傷つけられた心を抱えて、わたくしは大西洋を望むポルトガルの海岸へと旅立ちます。もうあなたと会うことはないでしょう。あなたにとっては、それが、うれしいことでしょう。こんちくしょう。わたしはポルトガルの海から吹く冷たい風にあたりながら、タコを食べ、できたらタコ焼き屋でもやりながら、あの地ではてることにしました。……なーんていう手紙を送りつけて。誰に?

かの地は、とてもビンボーだから、タコ焼きは一個いくらにしたらよいかしら、ああ、それより世界的な小麦の値上げでタコ焼きどころではないかしら、そうだ、まずは品質が悪く売り物にならなかった小麦を大量に手に入れなくては、と、こういうときはそういう商売をやっている連中がいますね、アイツとあいつを思い浮かべてみて、そうだアイツに女を抱かせて横流しやってもらおう、うむ、それがいい、と、アレコレ非紳士的な思案をしてみたり。

しかし、日本も、いま大きな流れとしては円安に推移していて、もう二度とかつてのような円高になることはなく、かのポルトガルのように、過去の栄光から悲惨な転落となるわけだけど、まだ頭の切り替えができていない連中が多いから、こういう連中を相手に稼ぐほうがてっとりばやいね、と、いま某社のボスにメールを一本送信したところだ。

いやいや、なぜポルトガルということになったかといえば、まりりんから「来週、行きます」のメールがあったからだ。アメリカとポルトガル、なんの土産がよいかというメールで、おれはそんなときに「酒」なんていう野暮はいわない。ちゃんとアチラでなくては手に入らない軽いものを注文した。

でも、ああ、おれもポルトガル、とにかく行ってしまえば、いっさいカネはいらない滞在中のめんどうはみてやるというやつがいて、またおれはそれぐらいのことはしてもらってもトウゼンと思っているわけで、とにかく行けばよいのだ。

ま、それはいいが、ポルトガル、マジで考えていた。書き下ろしの原稿、どうしようかな、とか……。うふふふ、本当に行きそうな気分になった。航空運賃だけなら、なんとかなるもんな。そのように、フラッと旅立つのは得意だし。ま、しかし、ご安心ください、書き下ろし、約束どおり、必ず、やります。たぶん。

Yadoya_tanukiおれはこの夏の忙しさで、やどやなどワールドG関係もほおりだしていたけど、いろいろなことがすすんで、なんと、Tシャツなんぞまで作って。このキャラ、タヌキは、きっと、あの店頭によくあるタヌキの置物、あれをガイジンたちがよろこぶので、それでこれにしたと思うのだけど。ほかに、いくつか、大きな動きもあった。だんだん、楽しみも増しているけど、シッカリやらなくてはな。

たまには、「旅人文化ブログなんでも版」でもごらんください。ただいま、まりりんが出発準備中。……クリック地獄

「旅人文化 旅の写真館」の写真と文も、いいよ~……クリック地獄

旅人文化に興味あるかた、おれまで連絡ください。

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「てれんぱれん」の「まんなおし」

Mannaosi_kokura『文學界』7月号を図書館から借りてきたのは、都甲幸治「村上春樹の知られざる顔」を読みたいと思ったからだ。ところが、パラッとめくると、巻頭小説、青来有一「てれんぱれん」。「てれんぱれん」こりゃなんだと思ったら、書き出しがこうだ。……

「てれんぱれん」というのはなんとなくぶらぶら過ごしているさまを表す方言で、なまけている人を非難するときによく使います。長崎近郊の方言だろうとわたしは思っていましたが、佐賀、福岡といった九州の北の方で広く使われているばかりでなく、どうやら山口あたりでも使っているようです。

……引用おわり。この「わたし」は主人公。

そこで「まんなおし」を思い出した。7月17日朝、寝台車で小倉に着き、まずは7、8番線ホームの立ち食いで「名物」といわれる「かしわうどん」を食べたのち、改札を出て待っていた役所の方に案内されたのが、「まんなおし食堂」だったのだ。

「まんなおし」初めての言葉だ。同行の方に、どういう意味か聞くと、「げんなおし」のことだという。どこらへんで使われている言葉か聞くと、誰もはっきりしたことはわからない。熊本あたりでも使われているから、そこらから北のほうかも知れないということだった。

この「まんなおし食堂」は、今回の特集には登場しないが、ほかにも「まんなおし」という食堂があって、そちらは登場する。

そして本番の取材の最後は、8月28日の朝7時すぎから、その「まんなおし」だった。すでに書いたように、取材は8時すこし前に終わり、おれはそのまま戸畑駅から電車で下関へ向かった。その日、下関から山陰本線で長門、仙崎へ行って、また下関にもどったことも、すでに書いた。

Mannaosi_simonoseki_s28日の夕方、下関でホテルをとり散歩に出て、ウロウロした。2007/09/25「「みんなちがって みんないい」ってのは、いいのかな。」の写真を撮影した新地のあたり、そこからさらに先まで歩き、なんとなく古い小さな建物が多い路地があったので気になって曲がった。そのあたりから市場のほうへ向かえば、いい酒場か食堂があるだろうと思ったこともあった。よく、大通りより路地裏のアヤシイ方へフラフラ入ってしまう。1人のときは、とくに、自分ひとりのことを考えておけばよいのだから、よりアブナイな、というかんじのところを選んだりしてしまう。

Mannaosi_simonoseki_2すると、そこはアブナイかんじではない古い小さな住宅が並ぶ旧街道のような、だが飲食店などなさそうな暗い狭い通りに、ボーっと明るい一軒の看板があった。近づいて見たら、炉辺焼き「まんなおし」とある。おおっ、下関にも「まんなおし」があるではないかと思い、なんだかよさげな佇まいだし、とにかく戸をあけて中に入った。8時ごろだったと思う。大混雑で、なんとか1人分、カウンターに席を確保してもらった。ここは裏通りのヘンピなところにあるけど、かなり人気な店らしい。たしかに、よかった。

ま、その話はよいとして、カウンターごしに、大忙しのオヤジに「まんなおし」は、このへんではフツウなのか聞いた。するとオヤジは、いやそんなことはない、ウチは大正からやっているけど、下関ではあまり聞かない、岩国のほうがあるようだ、という返事だった。

「てれんぱれん」も、似たようなかんじだ。使われている地域も近い。その言葉を使っている本人は、それがどこの範囲で使われている言葉であるかなど、あまり気にしない。「自分の言葉」なのだ。でも、その「自分の言葉」も、しだいに失われていくことがある。

ところで「まんなおし」、原稿を書くにあたってイチオウ調べたら、広辞苑に載っている。しかも「方言」という説明はない。その解説から、北九州にこの言葉が残って使われているのは「えびす様」信仰と関係がありそうだというヒントを得た。そのことについては、特集に書いたので、10月25日の「雲のうえ」5号の発行を待って見てちょうだい。

おれも「まんなおし」をしなくてはいけないかなあ。しかし、よくよく嫌われるのは、げんが悪いのではなく、紳士じゃないからということがあるかも知れん。「業界紳士」になんか、なりたくないしね。ふん。野蛮でもいい、嫌われてもいい、広い荒野で、たくましく生きていくのさ。いや、広い荒野で、てれんぱれんとやっているのがイチバンいいかもしれないのだが。

都甲幸治「村上春樹の知られざる顔」は、いまボチボチ読んでいる最中。

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2007/09/26

はすみふぁ~むの巨峰、大阪コナモン博、なかだえり「大銭湯展」とか

イマイチ気分が優れぬゆえ、案内3つ。


ワイナリー&ブリュワリーを造りたいと、長野県に移住して農業ビジネスに励む若者ニックさん。毎年お知らせしている、はすみふぁ~むの巨峰販売開始。おいしいよ~。よろしくね。…クリック地獄

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大阪コナモン博覧会 10月1日から12月25日まで。いろいろ企画が盛りだくさんだから、こちらを見てください。日本コナモン協会公式サイト…クリック地獄

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こちらは短期だからお見逃しなきよう。今回は、かなり気合が入っているかんじ。

なかだえり水彩画「大銭湯展」
~会場も絵も銭湯づくし~

●会期:10月6日(土)~14日(日)※12日(金)は休業
●会場:・第1(メイン)会場「タカラ湯」足立区千住元町27-1 13時~24時
    ・第2会場「蔵アトリエ」 足立区千住5-6-11 13時~18時
    ・第3会場「梅の湯」蔵アトリエ前 16時~23時
●問い合せ:03-3882-4942

今回は銭湯を描いた絵を中心とした展覧会です。
会場はズバリ「銭湯」で、会期は10月10日「銭湯の日」を含む日程です。
また蔵アトリエでは、通常の蔵展のような風景、静物画などを展示します。
のんびり下町散歩しがてら各会場をまわっていただければ幸いです。
(入浴料各430円、観賞のみ無料)

●展示内容
・『1010』表紙/東京都浴場組合発行(2004年~現在:22枚)
http://www.1010.or.jp/1010/1010.htm
・『銭湯といえば足立』表紙/足立銭湯組合発行(1号~現在:23枚)
・第2会場「蔵アトリエ」では風景、静物画など30枚程度

なかだえりさんのサイト…クリック地獄

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2007/09/25

「みんなちがって みんないい」ってのは、いいのかな。

Simonoseki_sinchiこのあいだ、下関で撮影した画像のなかに、金子みすゞが死の直前まで住んでいたあたりがあった。なんという偶然。これは仙崎から下関にもどった、8月28日の夕方撮影したものだ。

『金子みすゞの生涯』(矢崎節夫著)によれば、みすゞは、1930年(昭和5)3月10日に下関市西之端町の上山文英堂内で自殺する。その年の2月に別居離婚し、そこへ移る前まで住んでいたところが、下関市上新地町だ。その上新地のなかを亭主の啓喜と転々とするのだが、啓喜が「仕事上のつきあいもあったろうが、頻繁に遊郭通いを始めた。悪いことに上新地には遊郭があった。そして、みすゞにまで病気を移すことになった。」という、そこだ。

Simonoseki_sinchi2画像は、新地西町の信号。旅館つる八の角を入っていくと上新地町だ。おれが立っているこちらがわは、新地町。どの範囲に遊郭があったかは知らないが、「新地」という地名のところは遊郭が多かった。この画像は、旅館つる八の右側の建物の並びが、いかにも遊郭風だなあと思って撮影した。

2007/09/21「山口県 長門 仙崎 昔「かまぼこ」 今「金子みすゞ」」のヤマザキさんのコメントに、「尾崎翠原作の映画『こほろぎ嬢』でも音楽監督を担当してくれた吉岡しげ美さんが、金子みすゞの詩に曲をつけて、長年歌っていますが、馴染みのあるフレーズ「みんなちがって、みんないい」が、こんな風に使われていたのが可笑しい」とある。

たしかにそうなのだが、この「みんなちがって、みんないい」は、

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

というぐあいに書かれているものだ。
一見、相田みつを風でもあり、個性尊重の風でもある。これについては、「喜多圭介のブログ」の 「金子みすゞ(3) [ 俳句・短歌と現代詩 ] / 2007-01-31 11:16:19」の解釈が興味ある。チト、どうかな極論かなという点もあるが、 金子みすゞの作品には、どことなく捨て鉢なニヒルな風があるのは、おれも感じる。ま、どっちかというと、おれはそういうニヒルなニオイが好きなもので。

これは、よく動物好きとかネコ好きとかにも、そういうニオイがすることがあるけど、小さい可愛いものに寄せるおもいというのは、とかくイマイチ現実社会の人間関係を信頼できない、捨て鉢なところがあるからという関係が働くときがあるように、おれはみている。

ま、ひとのココロの奥底は、なかなかわからない。わからなくてよいのだが。

「みんなちがって みんないい」は、捨て台詞のようでもあって、そこがよいのではないか。という見方もしておきたいと思う。ヤサグレ、必ずしも悪くない。金子みすゞについていえば、父親と早く死に別れ、不幸な結婚をし、亭主に遊郭の病気まで移され、そういうなかでも美しい心を持ち家族愛に生きた聡明な女性なんていうイメージをつくられ観光資源となっては、自殺も浮かばれないだろう。だいたい、その死は、前日に写真館で記念撮影をするという、覚悟の壮絶ともいえる自殺なのだし。

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すぎていくこと、よみがえること、シャッターは閉じたままか

きのう世間は休日だったらしいがアレコレあり、アレコレすぎていくうちに、「雲のうえ」5号の入稿前の校正も終えた。オオタニさんから深夜のメール便で入稿作業も終わった連絡があり、初校は来週。完成が楽しみになってきたが、それより、すぎた暑く熱い日々が思い返される。

このシゴトは、おれのまあ、あと残された人生の記憶に残る屈指のシゴトになったことは間違いない。まだ完成してないし評価もわからないうちに、こんなことを書くのはオカシイかも知れないが、他者の評価と自分の評価はちがうからね。他者は、結果を見ての評価で、それはそれ。

いま振り返ってみると、めったにない顔ぶれが、そもそもおれがそこにいることがイチバン不思議である顔ぶれなんだけど、それにしても、写真のサイトウさんも、編集委員のマキノさんも、オオタニさんも、もちろんアリヤマさんは押しも押されぬ、みな専門分野で高い評価を得ているひとたちが、その才能など世間の評価は高くても、自分にとってはまるで関係ないかのように、きわめて愚直にやる姿を見た、というか、そのようにシゴトはすすんだ。それは、いつものことらしいが、今回はとくに、役所の担当者も含めて、食堂という愚直に生きる以外ない対象をテーマにするには、またとない顔ぶれだったといえる。その意味で、おれは幸運に恵まれたと思う。その幸運を、うまく生かすことができたかどうかは別にして。

とにかく、いわゆる出版業界の仕事では、そこにあるヘドロのような歴史的沈殿物を意識しながら仕事をせざるを得ない。もちろん、おれは、そんなことを気にするほど繊細ではないのだけど、やはり、そこにある小賢しさ、とくに東京的中央的小賢しさ、業界的小賢しさ、あるいは文章表現的という意味での文学的な小賢しさをイヤらしく感じながら仕事をしてきた。今回のシゴトでは、それが、まったくなかった。

いま、そのことが何なのか、その拠っているところは何なのかといえば、わかりやすく言えば『クウネル』のキャッチフレーズ?にある「ストーリーのあるモノと暮らし」ということになるだろう。おれは、『クウネル』の熱心な読者じゃないけど、『クウネル』の優れているところは、そこだと思う。

愚直に、「モノと暮らし」にあるストーリーを発見し、かつ、そこに自分なりに(ということは編集は編集なりに、デザインはデザインなりに、写真は写真なりに、文章は文章なりに、読者は読者なりに)ストーリーを織り上げていく。ま、人生、どんなことをしていても、それしかないはずなのだ。そういうふうに、今回の編集作業は、すすんできたと思う。

そうすることで、とくに現代のマーケティングや消費主義的行為のなかに沈殿してしまいそうなモノや暮らしがよみがえる。のだと思う。

おれとしては、今回は、なるべく「うまいもの」話を避けた。「うまい」という表現も、個別の食べ物に対する表現としては避けた。そのことによって、一つは、もっとも直接的には、とくにグルメブームによって、舌のことに矮小化されてきた味覚を、その感覚を自由によみがえらせることができると信じているからだ。

もう一つは、なにか残るものとして文章を書くのではない。ましてや、そのことで自分の実績や名を残そうなんてのは傲慢だろう。記録は、記録されることに意味があるのではなく、そこにどういうストーリーがあるかなのだ。

いまの関係をどうするか、つまりは関係する人たちと、ストーリーを、どうつくっていくかという取り組みだ。そういうものとして、おれの取材や文章を書くということがあった。ようするに、生きているときの関係が大切なのだ。それが小賢しいものならば、そういうものしか実態としては残らない。表現は、「ごりっぱ」でも。

ま、そういうことを、いま振り返っている。シャッターは閉ざされているのか、少しでも開くのか、まったくわからない。しかし、その前に立ちながら、そのように積み重ねる以外ない。愚直だろうと。

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2007/09/23

まもなく誕生日なんだけど

030926_kagaya_asakusabasi_2えーと、何歳になるのかな。64歳?かな。どのみち、時間も年月も人間が考え出したことだから、誕生日などあまり気にしたことはない。早く死んでも、長生きしても、「一生」ってわけなのだ。ま、生きているあいだ。先のことなどケセラセラ、死んだら「一生」はオシマイ。やろうと思ったことをやる、「これだ」ってのを、ときには熱心にやったり、ときにはテキトウにやったり、なーんてことで、あまり深く考えたことはない。

こんなことを書くのは、たしかに誕生日が近づいていることもあるが、じつは、あまりというかほとんど手をつけてなかった、大衆食堂の書き下ろしの原稿、なにしろ編集さんにも心配かけっぱなしだったから、本気になってやろうと、画像を整理していたら、そこにまぎれこんでいた60歳の還暦のときの画像が出てきたからだ。

誕生プレゼントというのはあげたこともないし、もらったこともないが、このときは還暦だというので、やどやプロジェクトの人たちが、赤いちゃんちゃんこならぬ、画像のカウベルの赤いインナーとマフラーをプレゼントしてくれたのだった。

たまたま浅草橋で飲もうという日だった。画像の記録を見たら03年9月26日。この日は誕生日じゃなかったが、祝いもかねて。といっても、おれは当日のそのときまで、そんなプレゼントが用意されているとは知らなかったのだけど。

とにかく、いつもの通りよく飲んで、これは23時ごろだけど、もうベロンベロン。居酒屋のおばさんが「まあ、誕生日なの、還暦なの、すてき~」なんていって抱きついてきたり、ビールをお祝いだといってドンドン飲ませてくれたり。このおばさん、おれより10ぐらい上だと思うが、なんだかカワイイおばさんでしたね。元気にしているかな。

ここは、この日は2回目で、その前に「酒とつまみ」の編集部の人たちと行ったのが初めてだったのだけど、とにかくこんなぐあいだった60歳の誕生祝賀の一こま。しかし、こうやってみると、おれは酔っ払ってバカやっているうちに、歳月がすぎた、ということだね。ま、それもよいかな。いいじゃないの。

あっ。この記事、誕生祝いの催促じゃありませんからね。もちろん、もらってもよいのだけど。無難なのは、酒でしょうかね。いやいや、それにはおよびません。気持ちだけで、けっこうです。でも、気持ちをカタチにするのも、大事ですね。いやいや、おれが、ここで皆さんを祝福してあげましょう、こうしておれのブログを読んでいる至福の人生を。

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『西の旅』で牧野伊三夫さんが「小倉"発酵日記"」。中野でヨイヨイ。

Makino_nisinotabiいま発売中の『西の旅』15号(京阪神エルマガジン)は、「ふるさとのこの味が、郷土料理。」という特集。ここに、画家で「雲のうえ」編集委員の牧野伊三夫さんが登場している。牧野さんは小倉の出身なので、「小倉"発酵日記"。」のタイトル。牧野さんの故郷の味を案内している。10ページもあって、そのなかに見開きで牧野さんの絵と詩も載っている。小倉だけじゃなく、戸畑も折尾も行橋もある。

これ、おれが7月にロケハンで行っているときに、牧野さんもそれで帰っていて取材があったはずだ。おれも行ったことがある店も登場する。知っている顔も。また行きたくなっちゃうよ~。

角打ちの城野・河口屋、折尾・高橋酒店、あるいは丸和前屋台など、当ブログですでに紹介した店もある。

あと、知らなかったが、セキユリヲさんが、これは連載なのだろう「セキさんの買いものかご」ということで、「岩部保多織本舗」などを訪問している。

東京方面でも大きな書店では手に入ります。ご覧ください。

昨夜は、ひさしぶりに呑斉会に参加した。今年はじめて。場所は、いつもの中野の大将。3人のうわばみ女に1人の独身男。全体で40名ぐらいだったか。今回は高瀬さんの家に転がっていた酒の一斉処分で、自然に古酒になっているのが圧倒的に多かった。賞味期限が、かなり過ぎても、けっこう飲めるのが多かった。23年物になってしまった二級酒もあり、これは大丈夫だった。でも、かなりひどいのもあって、おれは味見して捨てるなんていうモッタイナイことはしないで、無理矢理ぜんぶ飲んだので、おわりごろには気持ち悪くなった。9時過ぎに退散し、アボチョイへ。例によってハギスやフイッシュ&チップスなどを頼み、独身男が女3人に「なぜ結婚しないの、できないの」と攻められえじきになっている様子をツマミに、ビールを飲み、先ほどの舌に残る古酒の味を洗い流す。

帰り新宿でまちがって、赤羽を出ると浦和に停まらず大宮まで行ってしまう電車に乗ってしまい、大宮で終電二本前の赤羽行でもどった。今朝は、チト酒が残った。あの古い酒のせいか。

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2007/09/21

山口県 長門 仙崎 昔「かまぼこ」 今「金子みすゞ」

Sanin_senzaki_eki8月28日(火)朝、北九州の戸畑で最後の取材を終えたおれは、戸畑駅発8時8分の下関行き普通電車に乗った。どこへ行こうという目的があるわけではなく、とりあえず、日本海沿いを走る山陰本線の普通列車に乗ってトコトコ行きたかった。それから、とりあえず、長門まで行きたかった。「仙崎かまぼこ」は長門だからなあ、ていどしか考えてない。ま、べつに理由もなにもないのだから、なにも考えてないにひとしかった。

下関に着いたのは8時半ごろだったと思う。ガイドブックも時刻表も持たないから駅員に聞くと、その先、長門まで行くとなると、いちばん早く着く列車が10時40分発までない。それは快速で、2時間ぐらいで着くという、それにしても長門に着くと13時に近い。急に前途が見えなくなった。

だけどもともと何かを期待して展望や計画を持っていたわけではないので、ま、いっか、とその時間まで下関市内をウロウロし時間をつぶした。朝からガンガンの暑さだった。

10時40分発の快速というのは、普通運賃で乗れるのだが、2両編成のうち1両が座席指定で、その座席が海側を向いているという「観光車両」だった。シャイにできているおれは、そんなのこっぱずかしいから普通車両。

この快速は仙崎行きで「みすゞ潮彩」号という名があり、プレートが着いていた。それを見たときは、「潮彩」のほうが気になって、どうして元国鉄のJRのセンスというのはこうなのだろう、素直に「潮騒」でいいではないかと思い、「みすゞ」については、まったく気にならなかった。ついでにいえば、ちかごろ「盛春」とかいうの、アレやめてほしいね、ぞっとするよ。

Sanin_umi_2ま、とにかく、日本海を見ながらトコトコ行き、走る車窓からキレイな水底の波打ち際を撮影したり、そうそう、この列車は、何度かビューポイントというところで1分間停車するのですよ。晴れていて景色はよかったですが。

長門市駅に着きました。列車は長門市駅の一つ先の仙崎まで行く。仙崎は益田や出雲方面へ行く山陰本線上ではなく、盲腸のように長門市から仙崎だけ一駅が枝分かれして終点になる。とりあえず、長門市は初めてだから降りてみたかった。

降りるとすぐ、駅舎の中だったかどこだったかに、「ようこそ金子みすゞのふるさとへ」という仙崎のポスターが目にとまった。そこでやっと、ああそうかと思った。ああそうか、そうだったのか、金子みすゞは尾崎翠と同じあたりだと思っていたが、同じ山陰には違いないがこっちだったのかと思い出した。それで、「みすゞ潮彩」だったのだ。

金子みすゞのことは、以前に図書館で「尾崎翠と金子みすゞ」だか、その逆の題名の本があって、近頃はどうしているか、前にときどき当ブログにコメントをいただいていた、ヤマザキさんたちがつくる尾崎翠の映画が頭にあったので、その本をとってパラパラ見たときの記憶しかなかった。

長門市駅も駅前も、「市」だからなにかあるだろうと思っていたが、なにもない。観光案内所もない、降りてすぐ食堂を見つけて入ろうと思っていたのに食堂もない。その何もなさは、みごとだった。

待合室にいたジイサンに、仙崎へ行けば、観光地らしいから食べられるところはあるかと聞いたら、仙崎というところは、むかし、あそこから線路を萩のほうへ延ばす計画があったときに反対して、それであんなふうになってしまって、いまごろ慌てて何かやっている、と、まったくトンチンカンな答えをする。

その話はおもしろそうではあったが、外へ出てタクシーの運転手に同じような質問をすると、駅の反対側へ行けばアッチのほうが町だからラーメンぐらい食べられるという。だけど鉄道を越える陸橋のほうをまわらなくてはならない。コッチの方には飲食街はないのかと聞くと、そりゃいいとこあるよ、だけど夜じゃないと。いやだから、そういうところじゃなくて、昼めし食べてないから腹がすいているんだよ。

タクシーの運転手は、今晩はどこへ泊まるつもりだと聞くから、まだ決めてないこれからだと言うと、おれのことをなんと思ったか、正しく貧乏人と見抜いたのだろう、駅の向こう側の山のほうには湯本温泉といういい温泉があるけど、あそこは観光客が行くところだから高い、仙崎の民宿のほうがいいかもしれんな、安くて海のうまい魚たくさん出してくれるよ、と言う。

とにかく、金子みすゞ記念館もついでに見たいし、仙崎まで行くことにして、タクシーに乗った。タクシーの運転手は、仙崎に着くと民宿二ヵ所ほど教えてくれ、帰りはよそのタクシーを利用しないで、ウチに電話をちょうだいとカードをよこした。

それで、っと、長くなったので、読むのも大変だろうけど、書くのもイヤになったから、結論だけ簡単に。

とにかく、この日は火曜日なのに、しかもまだイチオウ夏休み中で、観光客らしいひともいたのに、そして「金子みすゞ通り」だのとやって、レトロっぽい演出したりアレコレやっているのに、この「金子みすゞ記念館」は休館日だったのだ。それにならってかどうか、ほとんどの店が休み。

その演出に比べ「やる気のなさ」の実態にあきれた。観光はサービス業だということが、わかっているのだろうか。なーんて、おれがいうことじゃないな。おれは人様にそのようなことをいえる男じゃありません。おれは単に、おれが行ったのに、腹すかして炎天下行ったのに、イチオウ火曜日だから大丈夫だろうと思って行ったのに、休みだったので腹を立てたのだ。

逆上したおれは、こんな仙崎なんか泊まってやらねえよと、ツバをはいて長門市駅にもどったのだった。そして下関まで、もどってしまったのだった。

Sanin_senzaki_syokudoしかし、この一番下の画像、これその「金子みすゞ通り」にあった食堂だけど、笑ってしまった。とりすまして無理して金子みすゞレトロやっている通りに、こういうのサイコー。左側のガラスには「レトロ仙崎」、右側の下には「みんなちがって みんないい」と。これはもうギャグですね。拍手。しかし、残念ながら、ここも休みだった。

それでも、おれはこのあいだ図書館へ行ったついでに金子みすゞの本を借りてきた。

なんか、「金子みすゞ」は死んでも可哀そう。
金子みすゞ。1903(明治36)年、仙崎に生まれ、1930(昭和5)年、下関で自殺。

あとで書き足すかもしれない。

おれから見たら、やる気のない「金子みすゞ記念館」の公式サイト…クリック地獄

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2007/09/20

雲のうえにいたる下関

Simonoseki昨夜というか今朝、オオタニさんに送った「雲のうえ」の原稿は、大きな直しはなく、すべて電話で解決。「よくできました」印?ぐらいにはなったか。

昨夜送るまえに読み返したときは、疲れていたせいか、なんだか勢いがなくてイマイチだなあという感じだった。ところが、朝起きて見直したら、けっこういいじゃないかと自分でも思ったぐらいで、心配するほどではなかった。

今回手こずったのは、写真のキャプション22本で、こういうのはほとんどやったことないから、しかも字詰字数に合わせながらだから、時間をくってしまった。最後は、いろいろ直されてから考えればいいやとヤケクソで書いて送ったら、これがほとんど直しがなく、オオタニさんに感心されたので、おれって、やはりなんかデキル男なのだろうかと、ま、そんなことはおもわねえが、やれやれと一安心。

「雲のうえ」に関しては、今週はこれでオシマイで、来週に校正、そして入稿。あとはバタバタとすすむことになる。

ふつうは取材からやる仕事を、ロケハンからつきあい、掲載する食堂の選択や全体の構成など、半分ぐらい編集委員の仕事にからんだ恰好だったので、オオタニさん、マキノさん、アリヤマさんたちのあいだで、いろいろ勉強になった。とくに編集のオオタニさんの手腕というか才能、助けられたし、ははん、このひとがいて「雲のうえ」はできているのかと思ったりもした。オオタニさんには宣言してあるけど、5号完成のときは、「オオタニ讃歌」を当ブログでやりたいと思っている。

それはそうと、7月のロケハンでは、行きに寝台特急を使った。この列車は関門トンネルに入る前、下関駅に少し長い時間停車した。そこで感慨深く思い出したのだった。

おれは1971年のおわりごろか72年あけてからか、あるいは72年のおわりごろ、下関へ行っている。28か9歳ぐらいか。それは、おれが食文化なんてものに関心を持つことになった、食のマーケティングの仕事にからみだしたばかりで、クライアントの主力工場や大きな得意先であるスーパーなどを取材したり見たりするためだった。

クライアントは丸の内に本社があるが、もとは下関が本拠地の水産会社から始まっている。下関漁港周辺に、大きな食品加工の工場や、さまざまな設備を持っていた。

そのとき下関では工場を中心に見たあと泊まって、九州へ行き、順序は忘れたが、小倉、博多、熊本、大村、長崎あたりをまわった。大村と長崎では工場を見た。と記憶している。佐賀も行ったかな?

というわけで、今回おれが北九州の食堂の取材をやることになったのは、もとはといえば下関を初めて訪ねたころから始まっているのだなあと、しみじみ、この世の人生の展開はどうなるかわからんものですなあとか、思ったりしたわけだ。

ってことで、本日は、その下関についた朝のホームの画像、鉄ちゃん風に、列車を入れて撮影した。これは7月17日(火)だね。このホームを、この先、門司へ向かって列車が走り出すと、すぐ右側の下関漁港の岸壁に、あのとき訪ねた工場が建っていた。おれは、数十年の歳月を思ったのだった。よく酒を飲んだなあ、と。

Simonoseki_gyokouそれで懐かしくなり8月末、再度、本取材で北九州へ行き、終わってから普通電車で下関へ向かった。けっきょく、その夜は下関に泊まることにし宿をとり、夕方散歩に出て、むかしの記憶を頼りに歩いてみたのだった。

画像は、そのとき、下関漁港の岸壁で撮った。正面奥が漁港の深奥部で、訪ねた工場は、そのあたりにある。これは、8月28日(日)の夕方だね。

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コツコツ、デレデレ。なかなか雲のうえに出られない。

たまには、夜中に書くか。いま3時半すぎだ。

こういうことは、めずらしいね。パソコンにむかっているのに、ブログの更新なし。メールだって、ろくすっぽう見てないよ。

細かい作業続き。書いてもしようがないが、イチオウ記録しておくか。

写真のキャプションが22本。これが2種類あって、本文中で話題にする食堂と、そうではないの。これ、それぞれ字詰と字数がちがう。

それから、すでにあげて編集のオオタニさんがチェックしてもどった本文の原稿を直しながら、アリヤマさんのレイアウトの字詰にあわせて書きながら、キャプションとの関係も整合性をとっていくという、まあ、ややこしいことこのうえない。

おまけに、どひゃ~だったのは、本文の字詰のゲージを17字でやっているつもりだったのに、18字になっていて、大幅カットしなければならなくなり。

きのう、もう一昨日か、オオタニさんから、アリヤマさんがマキノさんの絵をつかってデザインした表紙ともくじページがメールで届き、これがまあ、なんともまあ、勢いがあって、いいのだな。

ま、とにかく、それで、めずらしく夜中まで仕事をし、さきほど2時ごろか、なんとか恰好をつけて送ったわけだ。いじょ。まだまだ山は終わらない。

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2007/09/17

長丁場も最終段階。青森駅前おさない食堂を掲載。

きのうは、アレコレ落ち着かない日だった。とにかく、つぎの大きな山に登るのに、図書館へ行ったりアレコレ。

が、7月から長丁場だった、一つの大きな山は、9合目をこえたぐらいにはなった。原稿もイチオウ書きあがり、一昨日は編集のオオタニさんのチェックが終わって、もうメチャクチャ直しの注文があり絶望す、というほどでもなく。きのうはアリヤマさんのレイアウトもあがり、雲のうえ5号の食堂特集は遂に姿を表した。やはりアリヤマさんはたいしたひとだ。「うわわわ~」とアゴがはずれ感動するほど、サイトウさんの写真がうまくデザインされていて、こりゃもう文章なんかなくてもいいやというぐらい。

とはいえ、そのレイアウトの字詰め行数にあわせて本文とキャプションを仕上げなくてはならない。きのうからその作業にかかっているが、アレコレ出たり入ったりで落ち着かず、あまりすすまなかった。

この仕事、暑い最中にロケハン、本番の取材というぐあいに、とにかく暑さ続きのなかだった。そして、いよいよ最後の段階という、きのうからまた暑さがもどり、やれやれ暑さについている。ま、老体にしては、よく持っているが。緊張感を持続させるのに苦労するね。

岩登りは、もうあと少しでおわりというところで事故がおきやすい。一気に登ってしまおうとアセルからだ。おれも一度失敗して、あと3メートルぐらいで岩の上に立てるというところで、浮石をつかんで転落したことがある。ま、若いときのことだが。この仕事も、今日明日が勝負という感じだが、あせって台無しにしないようにしなくてはな。酒飲んで酔いながらというわけにはいかないが、あせるのもいけない。

と、殊勝なことを書いておくと、このブログを見たオオタニさんは、おっ今日明日中にちゃんと仕上げるようにやっているんだなとアンシンするにちがいない。でも実は、酒飲んで、ああもうこんなのやってらんねえよ、あとはオオタニさんが好きなように仕上げてくれ、と投げ出しているかもしれない。

とにかく、きのうはあまり集中できなかったので、気分転換に「ザ大衆食」に、7月の古墳部の旅行のときに入った、青森駅前の「おさない食堂」を掲載した。…クリック地獄

このあいだハードディスクのCドライブとDドライブのパーテーションを変える作業をしてから、ホームページビルダーの調子が悪い。どこをどうすればよいのやら。

「dankaiパンチ」の掲載見本誌が届き、見たら、おれの原稿は、そのまま載っていた。しかし、この写真のキャプション。知らない人がみたら、写真の男はおれだと思うぞ。それもよきかなだが、一緒の女がね…と言ったりして。奥付を見たら、クイックジャパンから移籍の森山さんは副編集長。この顔ぶれなら実質、編集長だろうな。なかの記事に、構成が「前田和彦」の名前があったけど、これはもしかすると大阪から上京したチンのことだろうか。だとすれば、ついに出版業界の悪い水を飲むようになったか。

あとスソさんから、「スソアキコの帽険」DVDが届いた。おもしろい。おれやマキノさんが、スソさんのデザインした帽子をかぶって登場している。

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2007/09/15

9月18日発売「dankaiパンチ」に書いているんだけどね

世間は三連休って、おれにハッキリ断ってくれないと、困るなあ。ほんと、月曜日が休みだなんて、おまえら、そんなに休んでいていいのか!この貧乏人どもが。

ああ、八つ当たり。

昨日14日締め切りの大山の原稿は、なんとか仕上げて送った。量は1万字でたいしたことないが、おさめなくてはならない食堂の件数が多いのと、一件、いまごろになってだが、チト全体の枠組みからはずれる感じのものがあって、それをどう書くかで苦労した。

おかげで、食堂と、そうではない専門店の境界の概念みたいなものを、よく考えることになって、それなりの考えを持った。

ところが原稿を送って、一晩寝て起きたら、なーんだ、こうやって書けば、うまく全体とのバランスがとれるじゃないかという方法に気がついた。アンガイそんなものだ。

もう原稿は送ってしまったし、あとで大幅なおしができれば、なおすとしよう。

しかし、もう9月の中旬だ。先月、北九州へ出発する前に渡した原稿の1つが、9月18日に発売だそうだ。それがね、「dankaiパンチ」10月号なのだ。…クリック地獄

あまりおれの柄じゃないと思ったが、ダンカイに擦り寄る必要はないどころか、ケチつけてもよいテーマだったので書いた。

「dankaiパンチ的旅考現学 「〝定年旅行〟!? ちょっと待った!!」」のなかの「そして、いま本当に行きたい旅とは?「極私的・旅の愉しみ」」にコラムを寄稿している。最後に、チクッと、立ち飲みツアーだの下町酒場ツアーだのやっているダンカイをからかったのだけど、そのまま載せてくれているのだろうか。じつは、フマジメ堕落者のおれは、原稿を送って北九州へ行ったまま、校正をまかせて見てない。

ま、ごらんなってくださいまし。

はてさて、ほったらかしていた、さらなる大山に登るとするか。

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2007/09/13

週刊文春[ 2007年09月20日号]料理番組のドン、服部幸應の「家柄」は偽装だった!

知人からの電話で知ったのだが、これだ。…クリック地獄

まだ読んでない。いまはそれどころではない。

このブログでも、たびたび服部幸應のことを俎上にのせてきたが、家柄の偽装の真偽に関係なく、この男の話はご都合主義で、根拠薄弱だらけだ。そもそも料理に家元を掲げる神経が、どうかしているし、それをありがたがる連中もどうかしている。こんなのに先導されて、いつまでも食育だのグルメだの食談義だのやっていたらおかしくなってしまうよ。いつまでも道楽気分でテキトウなこといってないで、もっと味覚や料理について、しっかり自分の考えを持たなくてはな。自分の生活なのだから。もっとおれのように、レトロ食べ歩きだのなんだのといった流行に流されず、コツコツ調べながらやっている人間の言うことに耳を傾けましょうね。

ま、またいずれ書こう。とりあえず、グルメと栄養の話はインチキが多いから気をつけよう。

このひとがらみで書いた当ブログで、比較的アクセスが多かったの。
2006/09/19「「食育」言葉のルーツ、誤解あるいは奇怪」…クリック地獄
2006/04/06「あけすけゼニ儲けの服部食育に感動す」…クリック地獄
2007/05/26「カレーライスの歴史 もうちょっと責任ある発言がほしい」…クリック地獄

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2007/09/12

北の市場と南の市場。青森県八戸と北九州折尾。

Kitakyusyu_orio_iciba_2そういえば思い出した。いまや東北は一ノ関から北ですよの名言をはいたサキナガさんは広島の出身だったのだ。2007/09/07「もっと市場、もっと市場的に! 広島の市場」をごらんになってメールをいただいたが、「広島の愛友市場は昔、荒神市場と呼ばれてました、そっちの呼び方の方がなじみがあります」と。なるほど、荒神市場のほうが、かっこいい、それに荒神様は竈の神様だから、台所のイメージだし。

それはともかく、というわけで、また市場の画像を掲載することにした。上の画像は、7月17日撮影の北九州市八幡西区折尾駅近く、「新市場」の魚屋。小売の市場だが、ほとんど丸のまま並んでいる。北九州の市場の魚屋は、この並べ方を楽しんでいる感じがあってオモシロイ。切り身とちがって、見ていて楽しい。うなぎ一匹裂いたまま、こんなに売れるのかというほど箱に入っていた。太刀魚、こんなでかいまま一匹。なにより大きい肉付きのよいマナガツオがうらやましかった。ウチの周辺の魚屋で、たまーにしか店頭に出ないマナガツオの、4倍はあろうかという大きさ、しかも値段がおなじぐらい。から揚げあんかけにして食べたかった。

Hatinohe_itibaいっぽう、7月27日撮影の青森県八戸市の陸奥湊の市場。ここは観光地化していて、市場のシステムはよくわからないが、店頭の感じでは卸と小売を兼ねているのではないかと思われた。この先スグのところが八戸港。ウミネコの島も近い。この魚屋の手前にある大洋食堂は、すでに掲載した。大洋食堂も観光名所で値段も観光値段。魚屋の店頭には、季節がらホヤが山積みだった。いくら安くてもそんなにくえねえよという値段だった。ほかに、種類はわからないが、カニも山積みだった。売り物じゃないし買う気もないが、オバサンの風情がよかった。

とりあえず、調べる間がないので、記憶で書いた。いよいよアレコレ胸突き八丁。

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2007/09/11

グッドバイ 太宰治

Dazainoie古墳部の旅行では、7月28日青森県金木町の太宰治記念館、つまり彼の生家を見物した。太宰治なんかどうでもよかったが、寄ってみてよかった。やはり縄文遺跡とおなじで、現場を見ないとわからないことがある。もうほんとうに、太宰治なんかどうでもよくなった。

どうでもよい太宰治の作品のなかでも、「津軽」(新潮文庫)だけは、ときどきパラパラ見ていたが、もうその最後のほうの、太宰の乳母だったか?子守だったか?「たけ」との再会を書いたくだりを思い出すだけでも反吐がでそうになる。自分は、下品で貧乏なたけに育てられ、自分のがらっぱちは、その育ての親のたけの影響なんである、悲しい貧乏人の友なのだ、てなことを述べるくだり、笑わせるねえと思った。ようするに太宰は、上品な金持ちの育ちであり、その本質そのものなのだ。がらっぱちに憧れていただけ。貴族の下層趣味みたいなものだ。

彼の生家をみれば、地主であっても、けっして素朴な地主ではなく、百姓仕事とは無縁なケタのちがう富裕だったことがわかる。屋敷が広大なだけではなく、宮様の住まいのような造りがあるのだ。実際おれはその一室を見ながら、東京都庭園美術館になっている元朝香宮邸の部屋を思い浮かべた。また1階には、金融を行っていた一角がある。土間からそびえるように高い、威圧的で重厚な木のカウンターがあって、金融といっても、つまりは現在のサラ金よりたちのわるい高利貸で何重にも小作を苦しめていたにちがいなく、その土間に土下座する小作人たちの姿を見た気分だった。とにかく見るごとに気色わるい。

1階から2階へあがりぐるぐる見てまわり、また1階に下りるころには、もう完全にあきれていた。そのケタちがいの富裕ぶり、そのバカボチャンのバカぶりに、完全にあきれていた。ま、太宰なんて、しょせん金持どら息子のナルシストなのだ。

階段のところで、べつのほうから来たKさんと一緒になった。Kさんはムッツリ不機嫌な顔をしている。ただでさえ鋭い目つきでコワイ顔なのだから、もうコワイ顔。彼は階段を下りながら、たまっていたものを吐き出すように「太宰は地主のせがれだというから、すこし同情していたけど、とんでもねえ、同情の余地なしだ、もう太宰なんかどうでもいい」と、それが大きな声でいうのだ。おれも、ほとんどその心境だったので、「まったく」と少し小さな声で相槌を打った。

ま、ワレワレは、そういう印象を持った、ということだ。

階段を下りたあたりの部屋に、太宰が愛用していたというマントと同じ、当時のものがあって、それを着て写真撮影ができる。そこでKさんが、これ着て写真でも撮っておくかというので、おれのデジカメで交互に撮った。Kさんは写真家として高い評価を得ているひとだが、初めてのおれのデジカメでフラッシュもつかなかったからブレてしまった。おれが撮影したKさんは、まだ不機嫌が残っているような鋭い目つきで、こういうワルがいそうだ、もうこんなのに因縁つけられたらタマランというかんじで写っている。太宰をビビらせるには十分だ。

そうして、Kさんとおれは、太宰治にグッドバイしたのだった。正確には「ロング・グッドバイ」だけど。

しかし、腹を立てたおかげで、おれは、この太宰の生家の2,3軒となりに、千住で飲み屋をやっている女将の実家があるのを思い出して見てこようと思っていたのに忘れてしまった。あの女将、まだ生きているかな。たまには行って見なくては。

いまはそれどころではない。

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2007/09/10

佳境の北九州、気になる東北、東北ルネサンスびびび

Morioka_syasinkan北九州の食堂取材の成果は、はたしてどう表れるか。自分でもまったくわからないが、野暮用にも付き合いつつ、原稿は佳境に入っている。南の北九州へ頭がいっていると、相対性ふりこ原理かどうか、東北が気になる。三内丸山遺跡のことは書いた。気になっているところへ、おもしろそうな東北ネタがメールで届く。おれの頭は、まさに「東北ルネサンス」(という本が、文庫で出ているらしい)。

東北といえば仙台、ではない。そうだな、たしかに、あの女は仙台だ。浦霞も好きな酒だ。しかし、いまや東北は一の関から北ですよ、仙台までは東北じゃないですよ、そういったのはサキナガさんだが、この夏その思いを強くした。

杜の都は、もはや仙台ではなく盛岡だ。いや、仙台の女、愛しているよ~。って、誰が自分のことかと思うのだろう。あんたのことじゃない、あんたのことだよ。と書くと、私のこと!?なーんていうスパンメールが届いたりして。煙草ぷかぷか大酒がぶがぶのジイサンは元気なのか。ジイサン、愛してるよ~。と、ジイサンを攻めてどうする。なんでもないなんにもない。そういえばナベさんは、どうしてるかな。こっちに出張はないのかよ。まったく、この夏は東北でホヤをよく食べた。

気になるのは南部藩だ。八戸の博物館で、その一端に触れたとき、頭の中でチカチカひらめくものがたくさんあった。そして盛岡。盛岡藩といえば、南部藩が江戸時代に改まった名称。という理解でいいのかな?とにかく盛岡あたりから北、青森東部の地域。ここいらは仙台の向こうに霞んでいた。しかし、大藩であり、なかなか文化の集積のあるところだったのだ。その深さは、盛岡を歩いても感じられた。

ながいあいだ岩手県といえば「日本のチベット」というイメージだった。「日本のチベット」とか「関東のチベット」とかいう言い方は蔑視であり差別ということで、ちかごろは使ってはいけないらしいが、おれが高校生のころは、タイトルかサブタイトルが「日本のチベット」で岩手県のことを書いた岩波新書があり、おれはそれを読んで、うーむ、まさに日本のチベットだなと思ったのだが、それはとんでもないまちがいなのだった。ということを今回あらためて思った。

南部氏といえば、料理物語の成り立ちに関わりそうな記述のところに、ほんのその名称だけチラッと登場する。はて、遠い北の田舎の南部氏がこんな中央貴族の周辺と、どういう関係なのかと気になったままほっておいたが、南部氏は中世から中央貴族との関係は深かったことを今回知った。料理物語のこともあって、南部藩への関心は高まるのだった。

Morioka_kawa盛岡市は県都だけど、市役所の裏の川にアユが生息しアユ釣りはできるし、サケは上ってくるし、小鳥はおおく、おれが行ったときには子供たちが集団で川遊びをしていた。そんな清流が市の中央部を流れている。自然はあるものだが、自然を保つのは文化の力なのだと思った。町のあちこちにそれを感じた。冬の寒さはしらないが、散歩にいい、落ち着いた暮らしのある町という印象が残った。画像、あまりうまく写っていないが、右の建物が市役所。前夜の雨で川の水は少し濁った。

盛岡のバスセンターもよかったなあ。岩手県はバスが活躍するところだ。と書くと「遅れた」ところというイメージになってしまうかな。そうじゃないのだよなあ。

Morioka_yokocyo盛岡では「てくり」のバックナンバーを買ってきた。創刊号は売り切れだったが。素晴らしいリトルマガジンだ。いずれ紹介したい。以前、木村衣有子さんにいただいて簡単に紹介した「てくり」5号は、こちら。2007/07/06「近代日本食の深層海流からジンギスカン盛岡「てくり」じゃじゃ麺」…クリック地獄。じゃじゃ麺や冷麺など食べ物のこともそのうちに。

さあそれでは、相対性ふりこ原理によって、北の女のところから南の女の原稿にもどろう。

画像は、すべて7月30日盛岡で撮影。
最後の画像。これを見たときは笑った。なんとも愉快で楽しい。しかし、このアイデア、おもしろい。古い横丁飲み屋街を、キタナイアヤシイところといって潰したり雑居ビルにおさめてしまうより、こんなあんばいに横丁の雰囲気を残しながらビルと共存させていく方法もあるんじゃないかと思った。

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2007/09/08

もっと現場、もっと現場的に! びっくり青森の三内丸山遺跡のヒスイ

Sannaimaruyama_hisuiこの夏のオドロキといえば、7月29日に「四月と十月」古墳部で訪れた、青森県の三内丸山(さんないまるやま)の縄文遺跡だが、なかでも、このヒスイにはおどろいた。

直径4センチぐらいか、あるいは5センチはあろうかという大きさ。これはヒスイで有名な新潟県糸魚川の姫川のヒスイなのだ。いまから4000年前ぐらいか、この遺跡の縄文人は、なんらかの方法で新潟県の富山県境に近い位置にあるそこから、これを、たぶん原石だろうが手に入れ、美しく仕上げる加工をした。

たしかに東京は上野の国立博物館へ行けば、さまざまな選りすぐりの出土品にまじり、見事なヒスイの装飾品を見ることができる。だいたい、出土品のなかの選りすぐりは、東京の学術的権力や権威が、地方から召し上げてしまう。地方の学芸員は歯軋りしながら、それに従わざるをえない。だけど東京の連中は、それがそこにあるのはアタリマエと思っている。不思議に思わない。買ったと思っているのか?これはなんだか、大英帝国が「未開地」から略奪的方法で、いろんなものをかきあつめた大英博物館の構造に似ている。近代日本は、なんでもイギリスの真似をしてきたことを思えば、さもあらん。

たしかに東京は上野の国立博物館へ行けば、選りすぐりをみることはできるかも知れないが、陳列棚にならぶそれらを見ても、実験室で実験サンプルをみるとおなじだ。オリジナルな感触は、わずかにしか伝わらないし、微細は観察できても、全体像は把握できない。タコツボのなかで微にいり細をうがつ隘路に入る。だから東京にいると、そういう通ぶった微細な話が好きになるのだろう。すべては他のものと一緒に現場にあるべきであり、現場へ行き、現場のなかで、五感を働かせ、眺め考えるべきなのだ。

Sannaimaruyama_hasira三内丸山のばあい、現場に立っておどろいたのは、その広大な面積だ。そして、子供の墓場、大人の墓場、ゴミ捨て場など、あるていどの「計画」を思わせる配置だ。マスコミの報道でも有名になった、巨大な構造物。報道されたのは、どこかの学者が、土にあいていた穴の大きさや深さ、そこに残っていたクリの大木などから、想像したもので復元でも複製でもないのだが、現場で見ると、その想像は間違っているのではないかと思われるほど違和感があった。そういうことも含め考えさせられる。

そして、いったい、そこにあった文明や文化はどんなものだったのか、彼らはどんな人間で、いったいワレワレの先祖といえるのか、日本人はどこからきたのか、どこへいくのか、などなどいろいろな想像がわく。

すでに2007/08/01「縄文のコメは何を語るのだろうか」に書いたが、青森の他の縄文遺跡では日本最古といわれるコメが出土している。だけど、そこでは農耕の痕跡のたしかなことはわかない。ところが、この三内丸山遺跡では、木の実などの収穫のために、それらを栽培していた痕跡があるとのことだ。ここの縄文人は栽培文化を持っていたらしいのだ。ならば、そういうことが、このヒスイにも関係あるはずだ。縄文人は狩猟と採集の生活で栽培はしてないというのが、これまでの常識だったのだが、栽培をするようになった縄文人は油断ならない連中だったにちがいない。

一緒に見ていた古墳部の美術家の一人が、ここの人たちのセンスって都会人のセンスだね、三内丸山は縄文の都会だったんだ、と言った。なるほどな、あんなにデカイごみ捨て場まであるのだし。ゴミ捨て場は、海岸を埋めたてるのと同じように、谷を埋めるように造られていて、おれは山間の産業廃棄物処理場を思い出した。栽培したり、ゴミをたくさんだしたり、三内丸山の縄文人は都会人のような環境破壊者でもあったのだろうか。だんだん縄文人がちがってみえるのだった。都会人は油断ならないものな。

縄文は、まだまだ謎だ。

いろいろなこと、謎は多い。だから現場へ行くのだ。

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もっと屋台、もっと屋台的に

Kitakyusyu_maruwaはあ、原稿量一万字だから、2,3日で書ける。と思っていたのだが、カバーしなくてはならない食堂の数が、ちがうのだ。どうやっておさめるか。メモをひっくりかえし、画像をみているうちに、食べたくなりヨダレが出てくる。まもなく午前1時。たいして飲んでいないし、たいして酔っていない。意地酒、真夜中の酔いどれ便も、近頃なくなったなあ。やはり落ち着かない日々だったし、元気とはいえ、ややバテたか。

Kitakyusyu_maruwa_odenこの屋台は、朝の4時まで営業している。泊まっているホテルの近くにあったので、何度か行った。ラーメンもおでんもうまい。ああ、食べたいよう。おでん食べながら飲みたいよう。酒類は近くの酒屋やコンビニで買って持ち込むシステム。いいねえ。ここと比べたら、東京の飲食店なんか、たいがいボッタクリだ。その余剰あるいは過剰は、情報が支配する肥大した観念によって支えられている。屋台と屋台的な現場とは正反対の方向をむいているのが中央である東京なのだ。ともあれ、この屋台は掲載予定なので、詳しくは本誌をオタノシミに。

日焼けでむけた皮が狭いアパート中にちらばる有様は峠をこした。残ったのはアバタの身体。もうこのトシで出来たシミは消えることはないだろう。いいのだいいのだ、酒さえあれば。でも、それでもいいという女がいたらどうするか。いやん、こんな肌見せられない、なーんてことはねえだろうな。でも、このトシとはいえ女を選ぶ、というほどモテもせず。チッ、やはり酔ったか。ひさしぶりに、愛しているよ~、と言ってやろう。

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2007/09/07

もっと市場、もっと市場的に! 広島の市場

Hirosima_ekimae北九州の市場の数と規模は、かなりのものだ。「雲のうえ」2号でも市場特集をしていて、その数100ヶ所以上という。アジ一匹100円から、野菜一山100円から、生活に密着した市場で、そのなかや周辺には、市民がくつろぐ安い飲食店がある。よい飲食店と近隣の市場は深い関係にある。

東京では、そういう関係が崩れ、築地を権威とする情報が支配する時代が続いたが、築地は観光地化し、いまや移転の憂き目をみようとしている。市場は都市のインフラだ、という考えは、もうない。そんなことがあったことも記憶から失せようとしている。「昭和レトロ」なんていうが、かつて東京のアチコチにあった市場のことは話題にもならない。つまり、それがナゼ消えていったのか、その記憶すら捨てられてしまったようだ。そして東京の生活は迷走へ向かった。「昭和レトロ」なんてのは、その迷走の姿そのものであり、過去に寄りかかり想像力も創造力も枯れた、ていどの悪い、クレイジーでイージーなブームにすぎない。

たしかにどこの都市の市場でも、シャッターが降りた店も増えているようだが、一方で空いた店舗を若い人が利用し開業する例も増えている。新しいビルは、若者の自立の意志や前途や希望を打ち砕くかのように、カネがかかるのだ。そのようなビルがふえる都会の未来は、見た目の派手さや明るさにくらべ、けっして明るくはない。

土建屋不動産屋国家であるがゆえに、高いデカイ建物が注目を浴びるが、市場や市場的なものは都市の生命であり生活だ。

ということを、とても考えた。北九州で歩いた市場の数、まだ数えてないが、たくさん。下関の市場も行った。その前に、すこし書いて未完だが青森の市場と八戸の市場も行った。きょうは広島の市場の画像を掲載しよう。忙しいので、説明は簡単にする。そのうち、行った全部の市場について、詳しく書きたい。

Hirosima_ichiba1Hirosima_ichiba2広島駅舎の南側に立つと、正面に再開発されたイマ風の商業ビルがある(一番上の画像。愛友市場の側から撮った。右手が広島駅)。ところが駅を背に左手を見ると、猥雑な佇まいの市場が広がる。一番駅寄りの入り口に「愛友市場」の看板がある。通路を行くと、なかはいくつもの横丁や市場に別れている。魚、野菜、乾物加工食品、雑貨…なんでもある。この一角は、まとめて「駅前市場」と呼ばれ、観光資源として利用しようという動きもあるようだ。午後になっても魚扱いなどは商品があるかぎり営業している。駅前大通りを行けば、この奥には、鮮魚の猿候橋市場がある。

Hirosima_ichiba3こういう風景が駅前一等地にあると、土建屋不動産屋国家的見方からは、コキタナイだの、恥だイメージを落とすだのといわれ、おなじ市民に邪魔者あつかいされたりする。だが、よく考えて見よう。東京は、そういう再開発をたくさんやってきた。その結果は、どうだったか。

以上、時間がないので、簡単な演説でした。画像は8月29日撮影。

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2007/09/06

岩手県釜石 呑べえ横丁

Kamaisi_nobeyokotyo_2話は、南と北をゴチャゴチャに行き交う。ま、そのような夏だった。まだまったくふれてないが、広島にも短時間だが途中下車で行っている。

それはともかく7月25日は、朝9時42分大宮発の東北新幹線に乗り、新花巻経由で釜石へ行き、泊まった。釜石といえば、「孤独のグルメ」を読んだひとは、その巻末にある久住昌之さんの「釜石の石割り桜」を思うかも知れない。ワレワレ一行5人は、その居酒屋を訪ねることはしなかった。

夕方、宿泊するホテルにチェックインすると、すぐそばの「呑べえ横丁」という名の一角へ行った。ありふれた名前だが、ズラズラズラと長屋式に並んだ飲み屋街の佇まいは、いまやありふれた景色とはいえない。その入り口には、「呑べえ横丁」の看板が名所の碑のようにあった。

さて、どこに入るか。もちろん、誰もガイドブックなどの情報は持ち合わせていない。たいがいそうなのだ。現場に立って、五感を働かせ判断する。ワレワレが選んだのは「鬼灯」という店だった。その名前、その看板に、ビビッと反応するものがあった。これが、素晴らしいアタリだった。ワレワレは料理が出てくるたびに歓声をあげ、大いに飲み、そして最後は安くておどろいた。

この夜は、ここから楽しい展開が始まり、最後は、この店で聞いた「タウンホール」という、なかなかよいジャズバーで締めとなった。途中で、呑べえ横丁の一軒から出てきた、酔っ払った愉快な赤の他人の若い男2人を拾い一緒に、これも「鬼灯」で聞いた、「新華園本店」という中華料理屋に入った。たしかになかなかうまい店で、ワレワレは、そこでも大いに食べ飲み、おれは酔っ払った愉快な赤の他人の若い男2人と、おれが即席に思いついた歌、「ぼくらはみんな理解不能」を、「ぼくらはみんな生きている」のメロディで何回も歌ったりした。それから彼らと別れて、「タウンホール」へ行ったのだった。

と、書いていると長くなるな。こうしちゃいられないから、いまはここまで。あとで書き足すだろう。たぶん。

画像、一番上は、その夜はデジカメを持っていなかったので、翌朝ホテルを6時に発つ前に撮影した「呑べえ横丁」。この下は、川なのだが、暗渠ではない。この長屋の部分だけが、川にふたをするように建っている。上部に写っているのは同じ建物ではなく背後の工場だ。「鬼灯」の女将に、おれが飲食店の下が「下水」では悪いかなと気をつかって「川」というと、女将は「下水ですよ」といって笑った。ここだけじゃないが、釜石は河口の町なのに、きれいな水が流れていた。

Kamaisi_hotelつぎのこの画像は、一番目の画像を撮影した位置、「呑べえ横丁」の看板の前から、宿泊したホテルの方向を撮った。右の高い建物がホテル。一階がコンビニで、中心商店街との交差点に建っている。そこを左へ行った右手に「新華園本店」があった。まっすぐ山のほうへ向かって行くと、「タウンホール」があった。

Kamaisi_umi最後の画像はオマケ。釜石に着いた日、釜石港から遊覧船に乗って外へ出た。新しい型の双胴船の遊覧船の乗客は、ワレワレ5人だけだった。

かつてラグビーで名をはせた新日鐵釜石は、とくに北九州の新日鐵を見たあとでは、あっけないほど小さく見えた。