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2007/09/21

山口県 長門 仙崎 昔「かまぼこ」 今「金子みすゞ」

Sanin_senzaki_eki8月28日(火)朝、北九州の戸畑で最後の取材を終えたおれは、戸畑駅発8時8分の下関行き普通電車に乗った。どこへ行こうという目的があるわけではなく、とりあえず、日本海沿いを走る山陰本線の普通列車に乗ってトコトコ行きたかった。それから、とりあえず、長門まで行きたかった。「仙崎かまぼこ」は長門だからなあ、ていどしか考えてない。ま、べつに理由もなにもないのだから、なにも考えてないにひとしかった。

下関に着いたのは8時半ごろだったと思う。ガイドブックも時刻表も持たないから駅員に聞くと、その先、長門まで行くとなると、いちばん早く着く列車が10時40分発までない。それは快速で、2時間ぐらいで着くという、それにしても長門に着くと13時に近い。急に前途が見えなくなった。

だけどもともと何かを期待して展望や計画を持っていたわけではないので、ま、いっか、とその時間まで下関市内をウロウロし時間をつぶした。朝からガンガンの暑さだった。

10時40分発の快速というのは、普通運賃で乗れるのだが、2両編成のうち1両が座席指定で、その座席が海側を向いているという「観光車両」だった。シャイにできているおれは、そんなのこっぱずかしいから普通車両。

この快速は仙崎行きで「みすゞ潮彩」号という名があり、プレートが着いていた。それを見たときは、「潮彩」のほうが気になって、どうして元国鉄のJRのセンスというのはこうなのだろう、素直に「潮騒」でいいではないかと思い、「みすゞ」については、まったく気にならなかった。ついでにいえば、ちかごろ「盛春」とかいうの、アレやめてほしいね、ぞっとするよ。

Sanin_umi_2ま、とにかく、日本海を見ながらトコトコ行き、走る車窓からキレイな水底の波打ち際を撮影したり、そうそう、この列車は、何度かビューポイントというところで1分間停車するのですよ。晴れていて景色はよかったですが。

長門市駅に着きました。列車は長門市駅の一つ先の仙崎まで行く。仙崎は益田や出雲方面へ行く山陰本線上ではなく、盲腸のように長門市から仙崎だけ一駅が枝分かれして終点になる。とりあえず、長門市は初めてだから降りてみたかった。

降りるとすぐ、駅舎の中だったかどこだったかに、「ようこそ金子みすゞのふるさとへ」という仙崎のポスターが目にとまった。そこでやっと、ああそうかと思った。ああそうか、そうだったのか、金子みすゞは尾崎翠と同じあたりだと思っていたが、同じ山陰には違いないがこっちだったのかと思い出した。それで、「みすゞ潮彩」だったのだ。

金子みすゞのことは、以前に図書館で「尾崎翠と金子みすゞ」だか、その逆の題名の本があって、近頃はどうしているか、前にときどき当ブログにコメントをいただいていた、ヤマザキさんたちがつくる尾崎翠の映画が頭にあったので、その本をとってパラパラ見たときの記憶しかなかった。

長門市駅も駅前も、「市」だからなにかあるだろうと思っていたが、なにもない。観光案内所もない、降りてすぐ食堂を見つけて入ろうと思っていたのに食堂もない。その何もなさは、みごとだった。

待合室にいたジイサンに、仙崎へ行けば、観光地らしいから食べられるところはあるかと聞いたら、仙崎というところは、むかし、あそこから線路を萩のほうへ延ばす計画があったときに反対して、それであんなふうになってしまって、いまごろ慌てて何かやっている、と、まったくトンチンカンな答えをする。

その話はおもしろそうではあったが、外へ出てタクシーの運転手に同じような質問をすると、駅の反対側へ行けばアッチのほうが町だからラーメンぐらい食べられるという。だけど鉄道を越える陸橋のほうをまわらなくてはならない。コッチの方には飲食街はないのかと聞くと、そりゃいいとこあるよ、だけど夜じゃないと。いやだから、そういうところじゃなくて、昼めし食べてないから腹がすいているんだよ。

タクシーの運転手は、今晩はどこへ泊まるつもりだと聞くから、まだ決めてないこれからだと言うと、おれのことをなんと思ったか、正しく貧乏人と見抜いたのだろう、駅の向こう側の山のほうには湯本温泉といういい温泉があるけど、あそこは観光客が行くところだから高い、仙崎の民宿のほうがいいかもしれんな、安くて海のうまい魚たくさん出してくれるよ、と言う。

とにかく、金子みすゞ記念館もついでに見たいし、仙崎まで行くことにして、タクシーに乗った。タクシーの運転手は、仙崎に着くと民宿二ヵ所ほど教えてくれ、帰りはよそのタクシーを利用しないで、ウチに電話をちょうだいとカードをよこした。

それで、っと、長くなったので、読むのも大変だろうけど、書くのもイヤになったから、結論だけ簡単に。

とにかく、この日は火曜日なのに、しかもまだイチオウ夏休み中で、観光客らしいひともいたのに、そして「金子みすゞ通り」だのとやって、レトロっぽい演出したりアレコレやっているのに、この「金子みすゞ記念館」は休館日だったのだ。それにならってかどうか、ほとんどの店が休み。

その演出に比べ「やる気のなさ」の実態にあきれた。観光はサービス業だということが、わかっているのだろうか。なーんて、おれがいうことじゃないな。おれは人様にそのようなことをいえる男じゃありません。おれは単に、おれが行ったのに、腹すかして炎天下行ったのに、イチオウ火曜日だから大丈夫だろうと思って行ったのに、休みだったので腹を立てたのだ。

逆上したおれは、こんな仙崎なんか泊まってやらねえよと、ツバをはいて長門市駅にもどったのだった。そして下関まで、もどってしまったのだった。

Sanin_senzaki_syokudoしかし、この一番下の画像、これその「金子みすゞ通り」にあった食堂だけど、笑ってしまった。とりすまして無理して金子みすゞレトロやっている通りに、こういうのサイコー。左側のガラスには「レトロ仙崎」、右側の下には「みんなちがって みんないい」と。これはもうギャグですね。拍手。しかし、残念ながら、ここも休みだった。

それでも、おれはこのあいだ図書館へ行ったついでに金子みすゞの本を借りてきた。

なんか、「金子みすゞ」は死んでも可哀そう。
金子みすゞ。1903(明治36)年、仙崎に生まれ、1930(昭和5)年、下関で自殺。

あとで書き足すかもしれない。

おれから見たら、やる気のない「金子みすゞ記念館」の公式サイト…クリック地獄

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コメント

もう一度、「金子みすゞの生涯」の死ぬ前の状態をよく読んだら、亭主の啓喜が「仕事上のつきあいもあったろうが、頻繁に遊郭通いを始めた。悪いことに上新地には遊郭があった。そして、みすゞにまで病気を移すことになった。」とありますが、これですね。

投稿: エンテツ | 2007/09/23 21:23

どーも、なんだか呼び出したようで、すみません。仙崎の金子みすゞ通りは、どうやらどの家も金子みすゞの作品の中から選んだ言葉を、何かに書いて自分の家の前に出そう、という取り決めでもあるらしく、たいがいの家がテキトウに小さな板とかにそれを書いてつるしたりしているのだけど、この食堂は、こんなアンバイだったのです。旦那に梅毒を移されたエピソードは知りませんでした。いま読んでる「金子みすゞの生涯」には、離婚した相手に娘をとられそうになって、それを阻止するために自殺したとか、チト自殺の理由にしてはおかしなことが書いてあって、ほかに理由があるんじゃないのではと思っていましたが。ま、とにかく、結婚からしていいことない可哀想なことでした。北九州ネタは、まだまだやりますのでよろしく~。

投稿: エンテツ | 2007/09/23 08:28

大兄の大車輪のご活躍に、ただもう目を瞠っています。旧い友人のマンガ家、畑中純氏が小倉の出身なので、一度遊びに行ったときの記憶とか、彼から聞いた話などを思い起こしながら、北九州のエンテツさん流の紀行を拝読していました。それにしても、仙崎の駅の写真と食堂桃屋の対照、通りにみなぎる「やる気のなさ」には笑いました。尾崎翠原作の映画『こほろぎ嬢』でも音楽監督を担当してくれた吉岡しげ美さんが、金子みすゞの詩に曲をつけて、長年歌っていますが、馴染みのあるフレーズ「みんなちがって、みんないい」が、こんな風に使われていたのが可笑しい。金子みすゞは、誰でも思うことでしょうが、旦那に梅毒を移されたエピソードが、なんとも可哀想です。

投稿: ヤマザキ | 2007/09/22 11:38

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