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2007/09/05

悩ましい「濃い」テイスト

Kitakyusyu_syouyu九州というと「うまくち」醤油が取り沙汰されることが多い。これは、おそらく本州、あるいは中央の東京、あるいはかつての中央だった関西からの視線が強いからだろう。

今回の北九州取材では、その「うまくち」醤油と正面から向かいあうことになった。味噌の味についてもそうなのだが、味噌については「うまくち」という表現はないようだ。とにかく、それは簡単に言ってしまえば「濃い」「濃厚」な味だし、北九州のひとも、そのように説明した。

が、「濃い」といっても、「こいくち」「うすくち」の「濃い」とは、あきらかにちがう。その意味では「うまくち」という表現は、実態を反映しているように思えた。その濃さは、旨みの濃さがもとになっているのではないかと思われた。

そして、そこがモンダイなのだ。この醤油と味噌の味には、正直いって、けっこう悩まされた。あまり自分には馴染まない味なのだ。しかし、それが、今回の取材の主な対象となったような飲食店が継承している、「基本的」な味だった。

おかげで、そこを考えているうちに、あるヒラメキがあった。いま、それについて書いている余裕はないが、そのことを確かめるためには、北九州の「うすくち」を理解する必要がありそうだ。

おれのばあい、←左サイドバーの「リンク」にあるように大衆食は「普通にうまい」ことが大事だと思っている。「普通にうまい」は味覚の表現であって、なるほど国語的な表現としてはおかしいかも知れないが、日本語は大衆的な味覚を適切に表現しうる力をつけているかどうかというモンダイもある。今回のこの「うまくち」「こいくち」「うすくち」モンダイは、それとも関わる。

とにかく、「普通にうまい」という味覚を、味のレベルで考えるとどうなるか。とりあえず大衆食にかぎってだが、おれはイチオウ、ダシを基本にバランスがとれているかどうかを目安にしている。俗にいう「甘酸辛苦」のどれかが突出していたら、チト要注意と思う。「手づくりだからよい」だの「自然だからよい」というイイカゲンな判断基準はもたない。

それは、あるていど、うん、これはもうちょっと砂糖をひかえたほうがよいな、とか、醤油をもう少しといった判断につながるものだ。それが料理の実際だろうと思う。

だから、また、この「うまくち」醤油には当惑してしまうのだ。チト忙しいから、こんなところで。

手づくりだからよいなら、ウチは毎日のように手づくりをしている。手づくりにはサジ加減がある。それがモンダイなのであって、「手づくりだからよい」と大衆食堂あたりで手づくり礼賛しているひとは、実際には料理をつくらないか、味覚と味の区別もつかず、観念的に「手づくり」にアコガレているだけで、味の判断をしてないひとだろう。

画像、上は、ある酒店で角打ちに入ったら、酒の一升瓶のあいだで「うまくち」が自己主張しているように見えた。酔眼の画家のエムさんが「芸術家というのは職業だと思うんですよ」といった。デザイナーのエイさんが、やや異議ありというかんじで「ということは職業欄に芸術家と書くわけですね」といった。となりのカネもオンナも自由自在という60過ぎの地元の「紳士」が、黒霧島の一升瓶をドンとおいて「飲め」といった。画家のエムさんはエイさんに「難しいモンダイですね」といった。おれは「うまくち」の瓶を撮影しながら、その難しさを、また思った。

Kitakyusyu_syouyu2画像、下。北九州滞在中は、日程がビッシリ組まれているため、一人で街を歩いたりスーパーに入ったりの余裕が、ほとんどなかった。ちょっとのスキを見て、スーパーに入り、醤油の棚を大急ぎで一枚だけ撮影した。東京圏のスーパーの醤油の棚とは、ずいぶんちがう。そして、そのちがいは誰でも指摘できるが、「ちがうちがう」と騒ぐだけではダメなのだ。ちがいを、理解することがカンジンなのではないか。それは人間の個性を理解するのと似たことかもしれない。

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