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2007/12/17

高岡さんのミカン。情熱のない世界に青年は住めるだろうか。

熊本県の高岡オレンジ園のことは何度か書いている。今年の初めにも、けっこう思いを込めて書いた。

2007/01/05
「食育以前、自然と食に生きるといふこと」

071217takaoka_mikanその高岡さんから、ミカンを頂いた。しかも、どっさりと。このミカンは、とりわけいまのおれにとっては重い、宝のようなミカンだ。

あのころだってそうだが、年月が過ぎるほど、この高岡さんや栗屋さんに頭が下がり、どんどんどんどん下がり、頭が地べたにふっつき土下座したくなるような思いがする。しかし、土下座すればすむモンダイではない。

すでに書いたが、高岡さんが、ミカンの無農薬有機栽培に踏み切った決断というのは、おれが現在の東京圏の生活と仕事を捨て、ポルトガルかなんかへ行って新生活を始めようとするような、とてもリスクの大きい決断だった。彼は、それをお子さんが出来てから、いや、お子さんが出来たからこそ、踏み切ったのだった。上のリンクをたどれば、ザ大衆食のサイトの「高岡オレンジ園」にジャンプできるが、そこにも書いた。

1990年ごろの当時は、無農薬有機栽培は空念仏が多く、自らの研究や工夫に頼るしかなかったし、その上、高岡さんは、まさにそれで「一家心中するしかない」と追い詰められたのだけど、無農薬有機栽培のまがったキュウリを農協は引き取らなかったように、高岡さんのミカンもワックスのツヤがないどころか見た目が悪く、農協は引き取ってくれなかった。

売る方法がない、売れない。真面目に数年の年月をかけ土壌から変えてやって、その結果がこれだった。一年どころか数年分ぐらい無収入と同じ状態におかれるのだ。家族を抱え、これほどの苦悩はない。その苦悩の最中におれは高岡さんと出会い、及ばずながら販路の開拓の手伝いをさせてもらうことになった。

そのころ、ほかのお茶栽培農家の方で、やはり全面的に無農薬有機栽培に切り替えた結果、ほぼ失敗し、一年分の収入をパーにして借金まで背負ったひとも知っていた。彼は、その後「低農薬」栽培に切り替え、無農薬をやる決断にいたらないが、その気持はとてもよくわかる。

だからなお、高岡さんの決断と実行はスゴイ男の決断と実行だったと思う(なんだか選挙演説みたいだな)。そのことの重みを、ますます感じるこのごろなのだ。そして、ときどき、自分は、あそこからナゼ東京へもどってきてしまったのだろうと問い返しながら、この東京圏から離れられないでいる。だけど、問い返すことが、なんだかここで、ある種の「情熱」を持ってやっていられる、何かになっていると思う。

あのころ高岡さんを動かしていたものは、無農薬有機栽培への熱い情熱だったと思う。もちろんそれだけではないが、成功するかどうかわからないことを、それが「理想」であるからというだけでやるには、熱い情熱が必要なのだ。

東京は、カネ=有名のためなら、多少あるいはいくらでもゆずってもよいという都であり、理想など一文の値打ちもない。現実におれなどは、高岡さんたちの努力とベクトルのちがう雑誌などのシゴトをしてカネをもらったりしている。これは無農薬有機栽培を旗印にしながら、農薬を使い新種の肥料を使っているに同じようなものだ(いま、たいがいのグルメ雑誌は、そうだ)。船場吉兆と、たいしてかわらない。それは「食うため」に許されると、身勝手な回答をあたえて過ごすのだが、いったん無農薬有機栽培を掲げた生産者には、それはゼッタイに許されない。

であるならば、いったい、おれはどうしたらよいのか。多少の鬱屈を抱えざるをえない。だけど、それは東京圏で生きるのなら捨ててはならない鬱屈だろう。

能書きなグルメなどに感情的に反発するのは、その鬱屈のバクハツでもあるかも知れない。それで嫌われても、トウゼンの報いなのだ。それがイヤなら、どんなに苦しい生活になったとしても、あそこからもどらなければよかったのだ。

たまたま、先日来、連夜の飲み会対策として山口瞳『酒呑みの自己弁護』を読んでいるが、「鬱屈の頃」を読んで衝撃に近い感銘をうけた。いまどき、作家はゴロゴロいるし、「辛口評論家」とやらもゴロゴロいるが、こういうことを書く作家はいない。それ自体が、情熱が失せた時代の証拠だろう。みな、オリコウぶっているだけだ。

山口瞳さんは、25歳の鬱屈の頃をふりかえって書く。「情熱のない世界に青年が住めるだろうか。」という。それは、連合赤軍岡本某のイスラエルはテルアビブ事件の話だ。「イスラエルにおける岡本某の如き青年は狂人であり無知識の甚だしきものである。しかしながら、これを狂人として、無視し、葬り去ることができるだろうか。」

「私は正直に書こうと思う。二十五歳のとき、私もまた一箇の「狂人」であった。いまの世の中で、それを、かりに光化学スモッグの時代であるとして、私が二十五歳であるとすると、私が狂人とならないでいられるかということに関して、全く自信がないのである。ひどい時代になったものだ。」

この本、1973年3月の発行だ。すでにあのころ「情熱」は無くなっていた、「ひどい時代」になっていた。

高岡さんが無農薬有機栽培に取り組んだのは、あるいは「情熱=狂気」だったかも知れない。農協の指示のままに大量の農薬と化学肥料を使う、たいがいの農家や農協は、「狂人」と見ていたかも知れない。売れるものなら良い、見た目がよければよいという大多数の都会の人たちからすれば、あきらかに「狂気」だったといえる。

ああ、高岡さんのミカンの話が、「情熱のない世界に青年は住めるだろうか。」のタイトルのおかげで、とんでもないところへ転がってしまった。

高岡さんのミカンは、もちろんうまい、その上、おれにとっては特別な味わいなのだ。
どうも、ありがとう、高岡さん。

青年だけじゃない、おれのようなトシの者だって、情熱のない世界に住めない。おれは狂人だよ。こんなにマメにブログの更新をして。そのあいだにマメにメールもして。鬱屈と狂気のバクハツだ~。おれに近寄るな、火傷するぞ。がははははは……。

さあ、高岡さんのミカンを食べて、さらに情熱と狂気を燃やそう。この、ひどい時代に理想を失わないために。
いくつになっても、青くせえなあ。

画像は、早稲種の小玉、皮ごと食べられる。一個だけ、レモン。このレモンがまたいいんだな。

そうそう大事なことを書き忘れた。ミカンと一緒にメモがあって、「畑でRKBラジオから遠藤さんの声が聞こえてきて、びっくりしました。……」。あの放送、ぐうぜん聴いてくださったのだ、しかもまだ八時前のミカン畑で。ああ、高岡さんのミカン畑、思い出すなあ~。

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