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2007/12/16

「ちかごろ口がおごってしまった」

さきほど『てくり』の紹介で引用したオコトバだが、「僕が、いま、盛岡で暮らしているのは偶然なのですが、現在の年齢で来られたことが良かった、そう感じています。落ちついた大人の街だから、若い時では分からなかったかもしれない。盛岡という場所の面白さが…。」っての、考えれば考えるほど素敵なオトコのオコトバだなと思う。ただただ対象をよいか悪いかでみるのではなく、対象と、対象の面白さを感じる自分を見ている。

何度も書いているけど、あるものをうまい、あるいはまずいと思う自分をみる視線、味覚の批評にも必要な姿勢だと思う。

あるときオンナと焼肉屋に入った。どうってことない安いチェーンの焼肉屋だ。そこで彼女は、「ちかごろ口がおごってしまったようで、いけないのだけど、ここの安い焼肉はよいとは思えない」というようなことを言った。彼女は、料理やグルメとかの、表現関係のシゴトが主だ。シゴトでだが、ミシュランの三ツ星も2か所行っているし、あちこちのいわゆるうまい店について詳しい。自分で料理もつくって、おれは食べさせてもらったことはないが、その腕はけっこうなものらしい。それは話を聞いていても、わかる。彼女は、そう言って、でも、その店の最も安い焼肉を頼み、そして高い和牛も頼んだ。おれは、こういうオンナを、素敵だなと思う。惚れちゃうね。それは倹約や質素を知っているとか謙虚だとかいうことではなくて、たえず自分に対する視線があり、その安い焼肉がある事情などにも目配りがあり理解している、そういう関係のなかで食べる行為をやり味覚を考える、そのようなことだと思う。

ま、その肉は、はたして焼肉として使用するにはギリギリのものではないかと思うのだが、おれと彼女は、それを食べた。食べながら、「口がおごってしまった」と自覚できる、そしてなおかつよいとは思えないその肉を注文するオンナを、しみじみいいオンナだなあと思った。でも、その日が最後で、つかまえることができない。

牧野さんも、そうだ。サントリーヴォイスのシゴトを7年かそこらやって全国を飲み歩いているし、とにかく酒について詳しい。高級酒をたくさん知っている。彼がこだわってつくる、ハイボールは、たかがハイボールなのに、こんなに違うかとおどろかせるものがある。だけど、彼は、外で飲むとき、銘柄の好みを口にしない。ウンチクをたれない。あるものをうまく楽しく飲む。で、イザというときには、それなりの酒を選んだりする。ようするに、自分が楽しむことを知っている。素敵なオトコだと思う。ただね、飲み屋の選択がうるさくて、なかなか入る店が決まらなかったり、一歩入ってからイヤイヤをして出ようと言ったりする。おれは腹の中で、どこだっていいじゃないか、はやく飲みたいよーと思いながら、それに付き合う。

最悪の逆がいる。先日、その牧野さんの個展のオープニング飲み二次会で、おれと木村さんなどがいる席のあきにすわったオトコがそうだった。これはもうグルメ雑誌や番組などの影響もあるだろう、そういう知識の受け売りのようなことをいいつのり、自分のこだわりが正しいよいことだと思い込んでいる。こういうひとは「場の空気」を読むことも知らないから、こちらがガマンして聞いている気配も知らず、調子にのる。しかも初対面だぞ。くどい。説教になる。自分が気持よいだけなのだ。

おれは大竹さんを呼んで、横に座らせたが、オトコはますます調子にのる。おれは、いつもそうなのだけど、そういうことがあると、ガマンすることはしない。それほど度量があるわけじゃないし、忍耐強くもない。どんなにエライやつだろうが、その場で、すぐ注意する。笑顔でやんわりとね。「ああ、今夜は、そういう話をするためにここに来たんじゃないんだけどね」それで、撃退。きのう大竹さんに聞いたら、去年もこのひとがいて、大竹さんは延々付き合わされたとか。

最近は会ってないが、何度か一緒の会合で会い何度か一緒に飲んだ、エライ大学の先生がいる。専門は教育工学で、簡単にわかりやすく言ってしまえば、教育の評価方法、生徒や学生の評価方法のようなことを研究している。彼は、何か会合で発言するときやメーリングリストで発言するときなどは、最初に「○○の立場から発言します」というようなことを言う。つまり、その先生は、客観的に絶対によい評価法などない、立場や目的によって違ってくる、自分が研究しているものはそういうものであるということをよく自覚しているのだ。素晴らしい先生で、その「論」緻密、このひとに叩かれるような主張をすると、トコトン叩かれるとか、こわいほどスルドイ方との評判だが、とても謙虚で、それは先のオンナの話と同じで謙虚というより、自分と対象を知るだけなのだろう。

ところが、自分でモノゴトの評価法など考えたことのない人は、ひとが考えた評価法や、その結果を、「客観的」「絶対的」なものとして受け売りしやすい。いわゆるグルメのひとたちの評価や能書きなど、それに似たものだ。それはミシュランや、あるいはグルメ雑誌や番組のように、自分たちの評価が「客観」「事実」であるがごとき主張する連中もいるからだが。単に、ニンゲンや文化の程度の悪さを表現しているにすぎないように感じる。

年齢によって、同じ街が面白くも面白くなくも思えるように、食べ物だって、もっと複雑にいろいろなことが関係する。だから、そこで、それにどう自分が関わっているかを、たえず知っておく「視線」が必要なのではないかな。何かを「うまい」あるいは「まずい」と思ったということは、それを「うまい」「まずい」と思った自分がいることを示しているにすぎない。モンダイは、そこから何を考えるかなのだ。

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コメント

時間も時間だから酔っているのは承知。

アタシは好んで不幸な境遇にいるもんでね、ご苦労というほどのことはございませんや。

投稿: エンテツ | 2007/12/19 00:25

ん〜...酔っ払って書いたおいらのコメントは、我ながら意味不明ですな...
こんなおいらに返事を書く境遇の先生様、ご苦労様です。

投稿: 吸う | 2007/12/18 18:53

はてね、なかなか自分のことはワカラナイ。

投稿: エンテツ | 2007/12/17 07:25

こんな当たり前のことをわざわざ書かなきゃいけねえ境遇の先生様、ご苦労様です。

「信濃路」みたく、不味いが旨い。

投稿: 吸う | 2007/12/17 02:06

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