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2008/01/11

やっぱり一年は365日しかないから。

きのう掲載の「「カレセン」と「しょぼくれ」」おもしろかったのに、どうした、という問い合わせ。いやあ、すみませんね、一部を訂正している最中に、なにしろ例によって深夜の酔いどれ状態だったもので、悪魔が来たりて指先を動かしたらしく、作業中に記事ごと消えてしまったので削除してしまいました。ヨツパライ運転に気をつけましょう。「枯れ」と「しょぼくれ」については、またそのうち書くかもしれないけど、どんどん新しい話題が生まれているから、どうなるか。

きょうは、続々、仕事と飲み会の話が重複するメールのやりとりで、どんどん時間がすぎた。一時はチャット状態で指を動かし、日時の調整、もう夕方だ。なんだかヒジョーに充実した一日だったような気するが、大部分は飲み会のスケジューリングであった。当面、決まった予定を見ながら、だんだん、よーし今年も、やるぞ!(呑むぞ!)という気分が盛り上がっている。

去年も、たしか5月ごろになって、1件、「新年会」ってのをやったが、こいつとは一年に一回ぐらいしか飲まないから、飲むときは「新年会をやろう」が合言葉のようになっている。そうでもしないと、なかなか日時が決まらない。みなそれぞれ忙しいからなあ。飲み人の会は、一か月に一度やっているが、一緒に飲みたい人をここに全部さそっていると、膨らみすぎちゃうから、そうはいかないし、それに男同士でも、二人だけでという話もある。

だいたいおれは、相手の職業貴賎社会的地位義理人情の重み、しごとに関係あるないカネになるならない考慮になく、早いもの順にスケジュールを組むクセなのだけど、やはりこちらでもこのひとと飲みたいってのもあるわけで、それはそれでこちらから声をかけたりする、そのへんが錯綜しながら一年がすぎていく。すると、気がつくと一年間に一度も会わなかったというひとができてしまう。

昨年末も、そういう一人から手紙をもらい、「今年は一度も会えませんでした」と書かれてしまった。このひとの場合もそうだが、ふりかえってみると、おれの周囲にはメールをやってないひとが、たくさんいる。電話や手紙のやりとりが、日常「交際」の手段である。すると、どうしても日時の調整がやりにくいし、飲み会の相談からはずれやすい。大衆食の会が、そうで、半分以上がメールがない。やろうと思っても、段取り連絡がめんどうな気分になる。

ほんとうは、メール時代以前は、それでもやっていたのに、メールのほうが先にスケジュールが決まっていくスピードからはずれて後回しになっているうちに、一年はイチオウ365日しかないから、終わってしまう。これ、ある種の、意図はしてないが、「情報格差」ということになるだろうか。それはまた人間関係が偏向するということでもあるな。ただでさえ人間関係が仕事がらみ傾きやすい世の中なのに。

いまも、一件、明日の飲み会の場所が、「魚系の店!」とまでは決まっていても、その店を決めるのに、アレコレ連絡とりあうってことになると、やはりメールになってしまうのだなあ。うーむ。

メール非利用者の救済策を考えなくてはならないか。いや、「救済」というのではなく、そのように無意識に生まれてしまう「格差」に気配りが必要なのだろうな。

はてさて、今年は、どうなるか。またイチオウ、大衆食の会をやろうという心積もりはあるのだが……。

それはともかく。そもそもですよ、飲むには飲み代がいるのだから、仕事のほうも、よろしくお願い致しますよ。

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コメント

はて、なんともレスしにくいのでありますが。

ま、おれやおれが書いたものをネタに、ああでもないこうでもない考えてもらえたら、よいかな。とか。

でも、おれはホントウにものぐさだし、育ちが悪いし、そのまま「向上心」もなくやっているだけなのであります。

とにかく、今年も、大いに飲みましょう。

投稿: エンテツ | 2008/01/12 00:39

こんばんは
大衆食の会の報告は主に90年代が主ですよね。
遠藤さんが日頃馴染んでいる食堂にいる方々の交流的色合いがありますよね。
のみびとの会などまず遠藤さんありきから出発してないような感じがします。
食堂の日常を傍観しつつ遠藤さん自身もその渦のなかにいるような風ですね。
沢木耕太郎さんが『一瞬の夏』においてそのものがたりの当事者でありながら、それを客観視する姿もあったりして。
そんなのにも重ね合わせてます。
私も含めて遠藤さんありきな感じであるし、生活そのもの生き様が仕事に直結している様を目の当たりにして、ライターという肩書きを背負う事は社会的な衣と謙遜しながらもその発言に責任を持っている証拠ですし、キモいという今年の目標自体市井の人間として全うに生きる覚悟を感じます。
酔っているときも自分いない時も自分。遠藤哲夫はいつでも遠藤哲夫でござい!という覚悟がありますよね。

スケジューリングも早い者順なんてまさに公平さを重んじる遠藤さんらしい。
なんでこんな白々しい事書いてしまったのは今日 南方熊楠展や知り合いの家具職人の展覧会を観た影響があるかもしれません。

投稿: スコッチエッグ♂ | 2008/01/11 18:58

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