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2008/01/31

大車輪呑み、わめぞ激励。「雲のうえ」6号発行、えっ5号はもう「在庫切れ」涙。

Kumonoue6大車輪のなか、きのうは木村衣有子さんと、木村さんの紹介で、関西における関東の『散歩の達人』に一番ちかいといわれる雑誌を発行する出版社のM女さんと、荻窪で18時半待ち合わせで呑み。

出かける前に、今日締切りの「観光」の原稿を、万が一の呑み倒れに備え、イチオウ仕上げておく。なにしろ木村さんとだから、どれぐらい呑んで、不倫にはしらないまでも、どういうことになるかわからない。

荻窪といえば、あそこだ。何度行っても名前おぼえない。だいたい看板があるのか。ビールから、ただちに燗酒大徳利。M女さん、20歳代だけど、ぐいぐい呑む。いやあ、頼もしい。うれしくて、どんどん呑む。話は、とっちらかり放題。そいえばおれ、いいアイデアを出したよな。ひとつは覚えているぞ。

木村さんがトツゼン、M女さんを古書現世の向井さんに紹介したいと言い出す。じゃあ、そのうち一緒に飲む機会をつくろうと言うと、木村さんは毅然キッパリ、「いえ、いまからでなくてはいけません」と言い、向井さんの携帯に電話をする。向井さんは、すでに池袋で飲んでいた、なんやら話しているうちに急遽そちらへ行くことに。じつは、木村さんが向井さんに会いたかったのではないかと思う。会いたがる若い人妻がいるなんて、向井さんがウラヤマシイ。おれの立場は、どうしてくれるんじゃい。

ってわけで、もう酔っている身体を、おれはどうせ帰り道だ、池袋に運ぶ。東通りの、飲み屋の名前忘れた(向井さんのブログを見たら〈世界の山ちゃん〉だった)、着くと、向井さんのほかに、名前は立石書店なのに早稲田に移ったイチローくん、ほか初めての男1人に女2人。男は、おおこのひとがかの有名な退屈男さんか、女は、おおこのひとがかの有名な武藤良子さんか、おおこのひとがかの有名な旅猫雑貨店の金子佳代子さんか。だった。つまりはわめぞの頭脳と手足。「わめぞ」はエライ。

わめぞブログ……クリック地獄

ま、とにかく、呑んだ。武藤さんと、ボタンのかけちがいについて話していたことは覚えている。おれは「ボタンのかけちがいなんか、あってもいいじゃないか、気にしない」派、なのだ。あとは、ほとんど覚えていない。帰りは、どうだったのかなあ。向井さんと木村さんと退屈男さんが、カラオケに入って行ったな。M女さんと池袋駅で別れたような気がする。

気がついたら朝の寝床だった。

ゆっくり書いてはいられない。大車輪中だ。さきほど、「観光」の原稿を見直して送った。どんなに呑んでも締切り守るおれ。えらいなあ。

そんな中、「雲のうえ」6号が届いた。特集は「街の劇場」。パラパラパラ。
写真は、久家靖秀さん。
おっ、大谷道子さん、「路傍の松」か。おれも北九州滞在中に泊まったホテルの前にある、「無法松之碑」。だけど、いま読んでいられない。
おお、石田千さんが書いているぞ。だけど、いま読んでいられない。
なぬなぬ、イッセー尾形さんも登場しているぞ。かっこいい写真。牧野さんと味のあるオシャベリ。だけど、いま読んでいられない。
「芝居は特殊なものじゃない。日常そのものが劇場。それに、この街は「つくる街」なんだから。」の見出し。そうだそうだ。だけど、いま読んでいられない。

最後のページ。「雲のうえ」1号「在庫切れ」、2号「在庫僅少」、3号「在庫僅少」、4号「在庫僅少」、
5号……「在庫切れ」、
えっ、もう在庫切れかよ、おれも数冊しかないから、50部ぐらい欲しいと思っていたのに。増刷、増刷、増刷……と叫んでもダメか。おれの書いたものは、出版社がつぶれるか、絶版にされちゃうか、在庫切れになってしまう。そりゃまあ、はやく「在庫切れ」になったのはうれしいことではあるけど。

どこかの出版社で、この「雲のうえ」の合本を出してくれたらいいのに。

とにかく、「雲のうえ」6号、よろしく~。はやく手に入れないと、みな在庫切れになっちゃうぞ。
無料。送料のみ。申し込みは、北九州市企画政策室にぎわいづくり企画課。……クリック地獄
「第6号は「北九州芸術劇場」を舞台にした「街とフィクション」の特集となっています。
 日夜上演されるさまざまなドラマ、訪れる人や働く人の表情を客席や舞台裏などさまざまな角度から眺めました。
 街のリアルな息遣いと、ドラマティックなフィクションが交錯する場所の醍醐味をお楽しみください。」っとな。

さあさあ、こうしちゃいられない、明日の呑みも参加したいし、そのためにも片付けなくてはならない大車輪。
身体、もつか。もつだろう、酒呑んでいるのだから。

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2008/01/30

「力仕事」は忙しい気分。

大車輪という感じ。新しい企画の立ち上げというのは「力仕事」だ。原稿を書くのとは大ちがい。原稿を書くのだって、おれは頭で書くのではなく肉体で書くから体力勝負だが、プロジェクトの立ち上げは、いかにも力仕事だ。損得欲望の摩擦、美学の衝突、ボタンのかけちがい、単純に約束を守らないやつ、のんきなやつ、せっかちのやつ、理不尽不条理がぐるぐる渦を巻いて、その渦と一緒に頭脳も筋肉も区別のつかない肉体を働かせなくてはならない。

ビジネスはおもしろい、ゼニをこえるおもしろさがある。それは複雑な世間とナマの人間が相手の取っ組み合いだからだな。乱交、やったことないけど、そんなものか。ビジネスは、最高の文化活動だよ。でも、くたびれる。何度もいっているが、トシヨリ=おれを、もっといたわるよーに。

ってえわけで、大車輪のところへ、トツジョ呑みの誘いがあり、それも女からとあっては断る理由はなし、大車輪の輪がさらに大回転。

おれは、隠遁隠者より、欲望にまみれつつ枯れる感じだな。

キモめしキモ酒脱インポ
大車輪 欲望しつつ 枯れの道

大車輪でも、こころは、おおらかに。

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2008/01/28

壊れゆくなかで。

053スキャナーが壊れた。困るなあ。新年早々にパソコンが壊れたばかりなのに。今年は、壊れる年なのだろうか。そういえば、パソコンとスキャナーのほかにも、壊れたものがあるな。脳みそは酒で壊れているし。

パソコンが壊れてデータのほとんども壊れたのだけど、昨年末に熱海をうろついたときの画像は、デジカメにまだ残っていた。

このなかに、男と女の関係が壊れる瞬間の銅像があった。蹴りをいれる貫一、「あれ~っ」というかんじのお宮。いかに名文句が残る名場面とはいえ、こういう男女のバイオレンスな銅像はめったにないのではないだろうか。

この前で、お宮は悪くない、では貫一が悪いのか、しばし議論になった。まじめにやる議論じゃなく、ほんのお遊びだが。その間に、若い女たちが来ては、記念撮影をして去る。「きゃあ、蹴る貫一さんって、かっこいい」という声はなかったが、「お宮さんって、かわいそう」という声も聞こえなかった。みな、とてもうれしそうに記念撮影をして行く。ま、たかだか小説の舞台にすぎないが、熱海の「観光名所」なのだから、たいしたものだと、なんだかわからん感心。

おれは、このあと、お宮と貫一は、たぶん別々だろうが、何を食べたか気になった。想像してみたが思いつかない。アジの開きあたりだろうか。キンメの開きじゃないよな。貫一は酒をあおったにちがいないと思った。酒をあおり、お宮の記憶を壊そうとしたにちがいない。でもパソコンじゃないから記憶を完全に壊すのは難しい。かわりに性格が壊れ、復讐の金色夜叉、鬼の高利貸になる。すごい銅像だ。拍手。

酒で壊れた脳に、さらにうまい酒「秘田」(この生酒、うまい、かなり好みな芳醇)をそそぎ込み、考え、「観光」の原稿を書き出すタイトルを決めた。タイトルが決まれば、もうできあがったもおなじだと、また、さらに呑む。べつに消したい記憶はないし、蹴られたり蹴ったりの女の記憶も消すつもりはないが、酒で壊れた脳のほうが勝手に消してしまう。とりあえず、いま思案の末に決めた原稿のタイトルだけは、消えないうちに、メモ。

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「雲のうえ」たっぷり。

「たっぷり」というのは、ナマ浪曲のときのかけ声だ。演者が舞台に立ち、うなりはじめたあたりだったかな?そのあたりで、「にっぽん一」とか「たっぷり」と客席から声がかかり、会場の雰囲気が盛り上がる。

北九州市のフリーペーパー「雲のうえ」は、今月25日に6号、特集「劇場」が発行になった。が、まだ5号のお声が絶えたわけではなく、今日28日の中村正三郎さんの「ホットコーナーの舞台裏」では、「帰ってきました。北九州紀行。「雲のうえ」。やっぱ、すごいぜ、北九州」のタイトルで、たっぷり熱く語られている。

拝見すると、中村さんは、門司の出身なのだ。こんなぐあいに感動を書き始め、ご自分のちゃんぽんへの思い入れや、いや、こちらが感動してしまった。
http://iiyu.asablo.jp/blog/2008/01/28/2584520


 この特集「はたらく食堂」というのが非常によかった。感動すら覚えた。
 やっぱ北九州すごいよ。
 働き者の街を支える大衆食堂が市内にたくさんある。いずれも昭和の熱の名
残りを残す。特に名物があるわけではなく、グルメでもなく、無論、高級店で
もない。
 だがしかし、黙々と働く男たちを黙々と支える女たちが早朝から晩までやっ
てる、そんな食堂たち。なにげないけれど、街を根っこから支えている食堂た
ち。
 森でいえば、大きな木ではなく下生えのような存在。下生えがなければ森は
死ぬ。それがまだこんなにちゃんとある。森は死んでないよ。


恥ずかしながら、「遠藤哲夫さんは、お名前を存じ上げなかったが、「大衆食堂の詩人」といわれているそうで、文章はうまいね。ああ、食いてえと、その気にさせるもん。」と、涙の絶版の著書まで紹介いただいている。ありがとうございます。

ついでだが、去る1月3日ごろには、多くの地方紙が、「人気も昇って「雲のうえ」 北九州市発行の無料情報誌」という見出しで記事を載せている。各紙とも、見出し本文が同じなので、おそらくどこかの通信社の配信のものだろう。取材風景の写真を同時に掲載した「福島民報」の記事にリンクをはっておきます。

福島民報
(2008/01/03 17:41)
人気も昇って「雲のうえ」 北九州市発行の無料情報誌
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4161&blockId=463759&newsMode=article

先日、「良心的」と定評のある中堅出版社の編集者と呑んだとき、その編集者も今年になるまで「雲のうえ」を知らなかったそうで、「こんなによい雑誌なのに知らないひとが多いのは残念です」といわれたが、地方のフリーペーパーが中央の有力誌紙で紹介されるチャンスはなかなかない。その「上」をみながら日々をすごしているひとが大勢のわけで、地方は埋もれやすい。ま、活字編集銀河界は、「中央紙島宇宙」や「神保町島宇宙」あたりの、中央意識バリバリのセンセイ方を中心に動いているからねえ。

「雲のうえ」、来年度は、どうなるのだろうか。いま予算編成が進行しているが、生き残れるかどうか。生き残って続いてほしい。

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2008/01/27

東中野で泥酔、土産を駅でばらまく。

きのうは東中野で飲んだ。正式には6時からだったのだが、おれは5時に行くからといっておいた。会場の大衆酒場に着いてみると、もう3人ばかりいた。5時ちょいすぎに乾杯して始めるころには、シノさん、タノさん、オッタチトウフさん、クマさん、スコッチさんがいた。みな好きだねえ。

まもなく、マリリンさん、コンさん。中野のやどやのボスが飛び入り参加。そして、いつも呑みだす前にクスリを飲んでそなえるヤマイモさんの登場で、参加予定の全メンバーが揃った。今回は、野暮ったい男たちだけではなく、女が3人モいた。

呑む会なのだから、まいどのことだが、とにかく、呑んだ。と、書いておけば十分である。とにかく、呑んだ。マリリンさんは、本日の新宿マラソン参加にそなえて、ウーロン茶に切り替えた。

やどやのボス、それから、だれだったかな、スコッチさんか? わけあり途中退席。めずらしく、オッタチトウフさんが酔いすぎて、途中脱落退席。

しかし、1軒だけでおえられないだらしなさがワレワレである。おれなどは、もう十分に酔って記憶がないのに、もう1軒。入った店は覚えている、東中野駅そばの「呑兵衛」のハズだ。

080127マリリンから、里帰りの土産をもらった。彼女の故郷は、愛知県の、だけど尾張名古屋と一緒にされるのを嫌う三河地方だ。そのあたりのスーパーでは、ごく日常のアタリマエだが、東京では手に入りにくい食品。コーミソースと、マリリンのような地元民は「麦しょうゆ」とよぶ、たまり醤油。赤だし味噌。それから、これは初めての「オーギ亭 チャオ オリジナルソース」だ。このソースは、スパゲティにかけて食べるとよいらしい。デンプンでトロミをつけた、ようするにむかしのカレーライスの「ソース」とおなじような原理のものらしい。ただしトマト味がベース。いかにもトマトの「愛知県」らしいといえるか。いずれもコイイかんじだ。それから画像には入れ忘れたが、カタクチイワシの甘露煮。

東海地方ではメジャーなコーミソースの味を、ほとんどの参加者が知らなかったので、さっそく揚げ物を注文し、かけて食べた。

ほんの東京周辺をのぞけば、まだまだ日本は地方色のある個性的な味覚が健在だ。まるで藩制時代を思わせるものがある。そのちがいが、日本の食文化をにぎやかにしているのかもしれない。ま、でも、こういう個性的な地方にも、ちかごろは「サイデリア」のような安い外食ナショナルチェーンが進出している。そういうことについても、飲みながら語り合っていたな。

2007/12/27「やっぱり年末だ。」に書いた、シノさんが所有の福島県は白河の、福島県らしからぬ酒「秘田」の生酒一升瓶。これを、昨年暮れから誰かの家なりに集まって呑みたいと思っていたのだが、テキトウな場所がみつからないまま、コンニチにいたり、もしかして持ち込み料を払えば飲ませてもらえるかとシノさんが持ってきた。しかし、店の許しは出ず、かといって寒いなか公園で飲むわけにもいかず、シメシメおれが貰うことになった。ま、実際は、みつからないように店のとっくりに入れ、二合ばかり味見をした残りだ。

帰り。これらの土産を、おなじ紙袋に入れていた。たぶん東中野駅だったと思う。紙袋の底がやぶけ、ばらまいてしまった。酒が無事なのがなによりだった。いつもならデーバッグをかついでいるのが、小さなショルダーバッグだった。そこにマリリンの土産をはみだすように突っ込み、一升瓶の箱を抱え電車に乗った。

二軒目から、ところどころしか記憶にない。ヤマイモさんとしゃっべっているうちに新宿に着いて別れたような気がする。あとタノさんがいたような気がする。ほかのひとは、どこでどう別れたか記憶にない。

なんだかわからないけど、楽しかった。それで、いいのだ。

午後になっても、目の奥に鉛が入っているような感じだ。

もう27日だから、「エンテツ年頭消息 2008年正月号」のハガキの宛名書きをして出さなくてはならないのだが、やる気がおきない。締め切りの原稿がある。「秘田」が気になって仕方ないから、これを呑むとするか。

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2008/01/26

味覚主体の、耐えられない軽さ。

『存在の耐えられない軽さ』の新訳が出るらしい(もう出ているのか?)ので、このようなタイトルを思いついた。おれは、このブログでもよく「存在」という言葉をつかうが、好きなのだな。

そもそもイチオウ1962年に哲学科にはいった当時は、マルクスとサルトルに通じたような顔をして、「存在」を、知ったようなことを言いながら酒のつまみにするのが哲学科的交際だった。もちろん元気のよい●●学会青年部も愛●党青年行動隊みたいなのも、よだれたらしながら川口あたりの当時の「トルコ」の話が好きなやつもいたが、イチオウ、そういうことだった。ホッピーは、ジョッキに焼酎とホッピーを割ったものが入っているだけだった。ジョッキも冷えていなかったように思う。なんといっても、高粱焼酎のパイカルが安く酔えた。

そして、ニーチェなども読むうちに、小学生のときから、子供の無邪気さに欠けると教師にいわれつづけてきたおれには、なんかニーチェ風な気分があるなあ(哲学や思想というほどのものじゃなくて気分ね)と気がついた。そして、さらに、「存在」という言葉が、おれの肉体のなかで、ある位置を占めるようになった。らしい。もう、マルクスもサルトルもニーチェもなにも覚えていないが、「存在」という言葉だけは残った。

強固にみえる「カレーライス伝来説」の外堀を埋めるような指摘を一つしておくと、そこには「味覚主体」が不在か、じつに軽い存在でしかないことだ。その軽い存在を、おれは『汁かけめし快食學』で「デクノボウ」という、やや屈折した言葉をつかって表現した。

「味覚主体」というのは、「労働主体」「消費主体」といわれたりする「生活主体」の、料理に関係する機能に限定した表現として、おれはいまつかっていると理解してもらってよいだろ。

料理は、味覚主体がつくるか食べるときにしか、料理として存在しない。(ほらまた、「存在」だ)。できあがったときから、刻々と存在が変化し、食べたら消える存在。(ほら、またまた「存在」だ)それは一緒にいるときしか存在が確認しえないような不確かな存在の女のようでもある。(と、またまた「存在」だ)

料理のできたてと、時間をおいたあとでは、ともするとカタチも変化するが味が変化することは、ほとんどのひと(味覚主体)が経験ずみのはずだ。

あとは、『汁かけめし快食學』314ページ、「デクノボウの台所」から引用。

 台所でくりかえし再現されないかぎり、料理は伝わってひろがったことにならない。料理はつくられなければ存在しないし、食べればなくなってしまうからだ。料理の普及とは、台所での再生であり生成のくりかえしの連続でありひろがりである。
 そしてカレーライスを語るとき、忘れてはならない人間といえば、そのくりかえしの現場のおふくろであろう。おふくろは、ながいあいだ台所の全知全能だった。おふくろは台所を意味し、おふくろの味は台所の味を意味した。
 おふくろをぬきに、どんな食品も料理も普及しなかった。どんなに有名な料理人が本に書いたところで、軍隊が何万人で押しかけても、おふくろ、つまり台所でダメなものはダメであり、そこがどうであるかだった。

と、まあ、味覚主体という言葉はつかってないが、このように書いている。続いて。

 だが、ほとんどのカレーライスの歴史では、黄色いカレーライスをつくったおふくろつまり日本庶民の台所は、いつも感覚や意思や精神のないデクノボウあつかいである。西洋料理である軍隊の料理である男の料理であるカレーライスを、まねし、手ぬきし、自堕落なものにしたデクノボウ。
 デクノボウだろうが、感覚や意思や精神がある。それがデクノボウなりに、料理にどうはたらいてきたかが料理の歴史ではないのか。

と、まあ、そういうことなのだけど、文章なんぞを書いてカネもらうようになった「エリート意識」は、デクノボウなんぞは歴史にならないと思っている。というか、はやいはなし、そんな存在の軽いものたちのことなんぞを書いても売れない。本を買う人たちも、自分とおなじデクノボウの話より、一歩も二歩も「上」のことを知りたい。そのことによって、自分はデクノボウとはちがう一歩も二歩も「上」の人間であると思いたい。とかとか、いろいろな事情があるようだ。

たとえば、かの有名なブリア-サヴァランさんの『美味礼讃』などとくらべてもすぐわかることなのだが、日本のグルメ本や食通本あるいは料理史のたぐいというのは、料理を対象にしたオハナシだけが熱心なのだ。料理を、モノとしてとらえているのだな。だからモノとしての料理とモノづくりとしての料理への関心は高いようだが、味覚主体の存在の軽いこと、はなはだしい。

そこで、当代の日本においては、わが味覚のことを語るとなると、大げさな、あるいは威嚇的な形容によって、そこをとりつくろうとする。

たとえばの話しだが。

安い箱入りの酒を飲む。イチオウ純米酒である。常温でよい。

これを呑むときに、塩をなめなめ呑む。それから、羊羹でも砂糖でもよいが、味の素かフリーズドライ製法による粉末だしの素の昆布あたりでもよい、それを、なめなめ呑む。また、レモンの薄切りの一片をかじってから呑む。また、唐辛子、赤いやつでいいが、あれをかじってから呑む。これがイチバン面倒なのだが、苦味渋味というものが、簡単な調味料としてはない。そこで、ま、サンマの内臓でよいだろう、サンマを食べるときに、その内臓を口に含んで食べたのち、おなじ酒を呑んでみる。塩は、元日本専売公社で現JTの「食塩」をつかったり、朝青龍な味のモンゴル岩塩のカタマリをつかったりしてみるのもよいかもしれない。

なにもそこまでしなくてもよいのだが、おれは、ただ朝酒を呑んで朝から酔っているわけじゃねえぜ、仕方ない、これもわが職業で呑んでいるのだと、言ってみたりしたいわけだね。するとね、それも簡単な、わが味覚主体の存在の確認になるというわけだ。ともすると、少々食べあるいた飲み歩いたぐらいで、大げさな形容や装飾でテキトウなことを書いているグルメ文章の内容のインチクくさいところが、ピンとわかるようになるかもしれない。それは、おれのオソマツな貧乏人ならではの「体験主義的方法」の一端なのだ。

ある味覚を得るのが料理だとしたら、こういう行いも料理の一歩だと思う。なかなかオモシロイ。こんなことでも、けっこうな発見がある。

ただいま午前1時。酔っているにしては、今夜は、ちょっとイマイチだな。酒が足りなかったか。

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2008/01/25

「明大応援リーダー部」解散すればすむ問題なのか。

明大応援リーダー部が解散へ=元部員の自殺問題で-上級生の暴行は慣行・調査結果
1月25日12時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080125-00000063-jij-soci

 明治大(東京都千代田区)の応援団リーダー部員だった学生が自殺した問題で、同大は25日、リーダー部を解散することを決めた。同日午後、納谷広美学長が記者会見して発表する。自殺したのは、理工学部3年の男子学生。同大によると、男子学生はリーダー部の複数の上級生からたびたび暴行を受けていた。下半身を裸にされ、熱湯を掛けられたことも判明した。
(以下略)


いくつか「体育会系」の不祥事が続いているのだけど、部を解散しちゃうってのは、どうかなと思う。いや、ま、それがどういう基準かによるのだが、たいがいアイマイなのだ。

そもそもだよ、こういうときは「文化系」の連中は、他人事のような顔をして裁くし、たいがい大学の幹部というのは「文化系」なのだ。そして、こういう問題がおきたときは、大学の「文化」の問題として問題化させない力が働いているように思う。問題を限定して処理する、よくある方法だ。

「暴行が慣行」というのは、文化的に根深い問題があるはずだ。それはこの応援団に突出して表面化したけど、セクハラやパワハラなど、表面化してないような先輩後輩や師弟などの関係に、慣行となってしまった、個人の尊厳に鈍感な文化があるのではないかと疑いたくなる。

おれはかつて、仕事の関係で大学や学会の偉い先生方とつきあいがあったけど、これはヒドイなと思うことが、たびたびあった。それは教授と、その研究室に出入りしている「弟子」たちのあいだにみた光景だけど。忘れられないのは、私立ではよく並んでいわれれる有名エリート大学二校のうちの一方の、学部長経験者の教授と約一年にわたり仕事をしていたときだ。

その研究室の「助手」みたいな、だけど身分的にはよくわからない、そのときはウエイティング・ドクターといって、大学教員への就職口を待って、教授の研究室に出入りしながら教授の手伝いをしているひとがいた。教授の名前で出す原稿を書いたり、ありとあらゆる下働きをする。教授の奥さんの買い物のお供もすれば、飲んでいる最中に教授が見たいテレビ番組のビデオのセットをしに教授の家に行かされたり。あのころは、まだ携帯電話がなくてよかった。

彼は、いつも秘書のように教授について歩き、見ているのもかわいそうなぐらい教授に気をつかう。教授は、またなんでも言いつけて、おれにも、この男は自由につかってください、なーんていうのだ。それはもう、人間あつかいとは思えなかった。

彼とは、よく飲んで、おれと飲むと彼はもうムチャクチャ飲んで酔う。そして自分が大学の教員になりたいために、いかにその教授のもとでガマンしているかを話した。たしか30歳ぐらいだった。大柄で大酒を飲み、おとなしい、人のよい男だった。彼は、東北のある地方の大きな地主というか農家の一人っ子で、親が全部の山林を手放してもよいから大学の先生になれと言っていたからカネには困っていなかった。それに小さなスナックを経営する2歳ばかり年上の愛人もいた。

で、彼は、めでたくある地方の「3流」といわれる私立大学の教員に就職できた。ところが、それから一年ぐらいのうちに、あっけなく死んでしまった。死因はガンで、発見されたときは手遅れ状態だった。おれたち、その仕事の関係者と、彼の愛人は、あの教授に殺されたのだと言った。

ああ、思い出して悔しい、Aさんに黙祷。

「体育会系だから」というのは、もしかすると肉体の扱いが乱暴になる可能性はあるかもしれないが、後輩や目下のものを軽んじたりいじめたり奴隷あつかいするのは、「体育」の問題ではない。悪しき慣習、文化風土の問題であって、それはウラをかえせば、というより、こちらがオモテなのだが、「学閥」や「人脈」となって有利にはたらく関係と表裏に存在する。

おれは「体育会系」であり、かつ大学は出てないからこそかもしれないが、そういう見方をしている。

解散させて、コトをおさめようなんて、いかにも「文化系」の高学歴者の悪知恵にしか思えない。「文化系」を誇るなら、真正面から文化の問題として解決する道を選ぶべきではないか。「文化系」が、なんでえ、ずる賢いだけじゃねえか。そういう連中が幹部だから、学内暴力が慣行になっていたんだよ。

食料をエサぐらいにしか考えていない連中も含めて、人を人とも思わない文化的退廃を、もっと問題にすべきだ。

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世間を狭くしつつ弧底に生きる。

しかし、考えてみると、食育基本法に反対したり、カレーライス伝来説に異論を唱えたり、食べ歩き飲み歩きグルメをからかったりすることは、じつに損なことだ。

そもそも、おれはよかれと思ってやっていることだが、相手にとってや世間の常識からするとそうではない。おれは、そのようにして「孤立」を深めてきたのだなあ。よかれと思ってやるほど、嫌われるのだ。ま、やりかたが不器用で、上手とはいえないこともあるが。

これが「孤高に生きる」ということなら、それなりにカッコイイのだが、おれのばあい世俗にまみれた下品な男で、ヘドロの湖底で孤立するようなアンバイの泥まみれなのだ。

そうわが身をふりかえりながら、朝酒をすることのうまさよ。不器用な男でござんす。なんてね。でれでれでれでれ。

そうすると、チャイムが鳴って、ドアをあけると、ばあさんが2人。彼女たちは、必ず2人で来る。男のばあいは1人でというのが多いから、2人というのは、ばあさんでも女だから、なにかを警戒してのことだろうか。

なんとかというキリスト教系の人たちだ。おれは貧相なうえ寝巻き姿の無精ひげで、朝から酒臭い息で出るものだから、彼女たちは哀れな貧乏な孤独な1人暮らしの老人と思って、とことんターゲットにしている様子なのだ。そう思われても無理もないか。

おれはどこかの「島宇宙」に属するより、ひとりの湖底で酒を飲んでいるのが好きなのさ。くそくらえ。

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2008/01/24

なんだか楽しい、カレーライスの歴史。

ザ大衆食のサイトの「汁かけめし(ぶっかけめし)とカレーライス・丼物など、とか」のページに追記をした。…クリック地獄

ご覧いただけばわかるが、以前に、

「丼物は、汁かけめしの歴史に位置づけられるようになったが、カレーライスについてはまだである。「カレーライス伝来説」ともいうべき、根拠のないあるいは誤った歴史が、依然としてはびこっている。

その「説」には、きわめて単純な誤りも多い。たとえば、『ウィキペディア(Wikipedia)』の「カレーライス」にある、「ライスカレーという名称は明治期に登場し、カレーライスという名称は昭和初期に登場した」というのは、単純な間違いで、すでに明治期にカレーライスという名称は登場している。こうした単純な間違いが多いのは、さまざまな先入観が強すぎるからだろう。調べることも考察することも足りない。」

と書いておいた。

きょう、その『ウィキペディア(Wikipedia)』の「カレーライス」の項を見たら、かなり書き換えられていた。その名称については、「実際には、1872年、北海道開拓使の公文書では「タイスカリイ」(ライスカレーの意味)という語が使われ、樺太の医師・三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録では「カレーライス」という語が使われており、カレーが日本に入ってきたきわめて最初期から、「ライスカレー」、「カレーライス」という語が併用されていたことが分かっている。」となっている。

こうやって指摘されたらあらためるのはよいことだけど、そもそも「カレーライスの原型となった料理は、明治時代の日本に、インドを植民地としていたイギリスによって伝えられた。そのためインドをルーツとする料理でありながら、日本では長く洋食として扱われてきた歴史がある。」という先入観についてはあらためてないのだから、まだまだ問題がある。

その一つひとつを、これからまた指摘していきたい。

こうやって、一度に問題点を指摘せずに、チクチクじわじわ一つひとつあげていくのは、とてもサディスティックに楽しい。そもそも拙著『汁かけめし快食學』をマジメに読めば、こんなことはないはずなのに、まったく無視しているから、こういうことになる。

この『ウィキペディア(Wikipedia)』の記述には、まだまだ、大きなモンダイがあるのだ。さて、それは、いつ指摘するとしようかな。指摘されるまえに記述を正確にしておいたほうがよいよ。できるかな?

しばらく楽しませてもらおう。うふふふふふふ。

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年賀状統計、ロストジェネレーション。

先日も書いたように、年賀状を出さないで、「エンテツ年頭消息 2008年正月号」というハガキを出している。毎日、テキトウに宛名と一言添えて書いて出すというのをコツコツやっている。だんだんイヤになってきたけど、まだまだ続けなくてはならない。

それで思い出したが、昨年は、イヤになって途中でやめてしまったから、年賀状をもらいながら出さずにおわったひとがけっこういるのだな。いやあ、すまないねえ。もともと自分がおもしろくてやっているもので、イヤになるとやめちゃうのだ。

だいだい差し出す宛名書きの優先順位は、好きな女、カネになるひと、あとはテキトウ。どうせ仕事ですぐ会うからというのは、この例にはならないかもしれない。確実に後回しになるのは男、なかでも昔からつきあっているカネにならないジジイ。いや、ウソウソ。いや、でも、人情として、好きな女から先に出すよな。すでにこのハガキを受けとった女がいたら、そこんとこを考えてもらいたいね。あははは、テキトウてきとう。

こうやってノロノロやっていると、先に会って飲むことになって、手渡しなんてこともあるんだな。あさっての土曜日には、そういうことになりそうなひともいる。

年賀状を、あらためてまとめて見ると、いくつか「統計的」な特徴があるのに気づいた。

まず、出版関係者は1割ぐらいだ。しかも版元となると、もう数パーセント。いかにおれが版元にとってカネにならないライターであるか、正直だね。そもそも出版関係が一割というのもライター稼業にしては少なすぎるだろう、そのうえたいがいは飲み友。

ほかは、とくに偏った業界や職種というのがなくバラバラ。公務員やメーカーの社員が、けっこういるな。フリーや自営だと、やはり時代もあるし、むかしの仕事の関係もあって、IT関係の技術者、経営コンサルタント、市場調査の関係や広告関係か。業界は、バラバラだけど、社長になっているやつが多いね。おれがプランナーで現場にいたころ、20歳代ぐらいだった若造は、いまや社長。うふふふ、おれと組むと得をするとよく言われたからな。おれは自分じゃカネにあまり興味がないから周りのひとが儲かる。やはりカネというのは最初からあるなら別だけど、ないところから始めたらカネに執着がないと集まらないものだ。おれもプランナーとして組むばあいは、カネに執着のある人と組むようにしてきた。そうでないとプランは成功しない。ケチというのではなく、カネに執着があったり競争意欲があって、なおかつ「こころざし」や信念があって、セクハラのようなバカはやらないマナーのよいやつ。このばあいの「こころざし」というのは、権力欲や権威欲じゃなく、政治家になりたいとか出世したいとか功名心とかではなく、問題意識の高い人ってことなんだが。こういう人と組まないと、どんなによいプランでも成功しない。実行段階で崩れてしまう。

じつは、おれは、こうして若いやつらを成功させて、老後は、その連中の会社から月一万円ずつでも出させれば、10人いたとして月10万円の小遣いがはいると目論んで、親切丁寧にめんどうを見てきたのだが、かれらはやはりシッカリした男たちで、いま何もしないおれに一万円出すこともしない。いや、ま、それでよいのだが。年賀状を見ながら、こういう連中が社長の会社がふえれば、ちったあ日本もよくなるだろと思うのだった。

えーとあとは、農業、林業。ほか、かわりばえのしない零細飲食店経営者や、毎年没落の様子を知らせてくる元会社の同僚の本屋のカアチャンとか。小規模商店経営者がいちばん大変のようだな。

で、そうそうタイトルの「ロストジェネレーション」だ。「ロストジェネレーション」といえば、ヘミングウェイやフィッツジェラルドだと思っていたら、昨年あたりから? アホな朝日新聞あたりが言いだしっぺなのか、いまの日本の20歳代中ごろから30歳代中ごろを、そうよぶらしい。じつにエンテリマスコミのインチキくさいもので、とても正気の沙汰とは思えないけど、とりあえずそれにのってみると、年賀状のうちの約2割ぐらいが、この年代なのだ。とくに30歳代前半が圧倒的に多い。しかも女が多い。これは、どういう現象なのか。おれは、その年代の女にモテルということなのか? いやいや、謙遜じゃなく、そんなかんじではないな。

そのことに気がつき考えてみたりしているのだが。

いまのビジネス界ってのは、なんてのかな、この年代の女が、けっこう行動的積極的であるようにみえる。それなりの経験をつんで、男なら係長あたりで逆に中間管理層的な重み(課長になれるかどうかのプレッシャーなど)が行動力や積極性を控えさせてしまうことがあるけど、女は自分のアイデンティティのままに動く。ま、それほどキレイゴトじゃなくて、女は、あいかわらず男天下の日本ビジネス界で、生きるために必死にならなくてはならない事情もあるのだが。とにかく、何かというと、この年代の女たちと出会う機会が多い。ということではないだろうか。

そんなことを思ってみたりみなかったり。

ここで、トツゼン、おわり。

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2008/01/23

農水省がなくなればよくなる。

おいおい、どーなってんだよ、といいたくなる。

尊敬する営業マンのオコトバを思い出しちゃったよ。かれは、文部省や学校など教育畑を対象にした営業を、長年つづけている。飲みながら「教育再生」の話をしていたとき、彼はキッパリと「文部省をなくせば、すくなくともいまよりよくなりますよ」と言った。なるほどと思ったのだが、下記の記事を読んで、そのことを思い出した。「農水省をなくせば、すくなくともいまよりよくなる」のではないか。


コメ、「学校給食の全部に」 意見相次ぐ 農水省会議で
2008年01月22日10時13分
http://www.asahi.com/politics/update/0122/TKY200801210499.html

 「コメ製のめんをもっと普及させよう」「学校給食を全部コメに」――。食料自給率が40%を割り、世界的に食料事情が逼迫(ひっぱく)する中で対策を探っている「食料の未来を描く戦略会議」(座長=生源寺真一・東大大学院教授)の4回目の会合がこのほどあり、主要穀物で唯一自給できていながら、需要減と価格下落が目立つコメの消費をどう増やすかの案が出席委員から相次いだ。

 「東南アジアで食べられているきしめんのようなコメのめんがある。これを、もっと日本で食べられるようにしてはどうか」。ベトナムの「フォー」を念頭に、こう発言したのは米倉弘昌・住友化学社長。コメ自体の消費量は年9%ずつ減っており、新たな需要を開拓していくべきだとの意見だ。

 野菜生産を手がける沢浦彰治・グリンリーフ社長と川勝平太・静岡文化芸術大学学長は「給食の影響は大きい。(小中学校の)給食すべてをコメにすべきだ」と主張した。文部科学省によると、国公私立の小中学校などで、給食で米飯が出る回数は06年度で週2.9回。3回に増やす目標を掲げるが、都市部などではなかなか増えないという。食文化をはぐくむにはパンなどを食べることも大切、との意見もある。

 コメを、ビーフンなどのめんやパンにして消費を増やそうという動きは出始めているが、コメの価格が輸入小麦の4、5倍もすることがネックになっているという。

 コラムニストのももせいづみさんは「食べ物を強制的に押しつけるようなメッセージはよくない」と述べた。

 昨年スタートした同会議は、3月に具体的な提言をまとめる方針だ。


なんとまあ幼稚な「戦略会議」の議論だこと。こんなこと、こんな連中に税金をつかっているのか。

このあいだ「くず米」のことを書いたが、「生産者」サイドには、「くず米」をそのまま市場に流すからコメ全体の価格が下がる、だからコメの粉食を開発し、高価格が維持できるコメだけを流通させようという考えがある。ま、よろしいんですけど、なんてのかな、まったく自分たちのご都合主義で、マーケティングの思想も方法もない。これじゃあ現代を生きていけないだろうな、と思う。

ま、粉食開発もけっこうだけど、そういう商品開発をやればやるほど、消費者の立場に立つことが求められる。そのことがわかっているのだろうか。

そもそもコンニチのような事態になったのは、食料を「国民」という動物のエサぐらいにしか考えていなかった農業行政があり、その下で、まるで国営事業のように成り立ってきた農業がある。そこをどうするかの「戦略」について議論がなくては、未来などとても描けない。

こういう調子だから、やはり「改革派学者」のダレソレさんのカムバックを期待したくなっちゃうんだよな。ほんと、こんな議論しているより、農水省をなくし、各県経済連を株式会社組織にし、自由にやらせたほうがよっぽどよいと思ってしまう。

生産者が消費者の立場に立つマーケティングをしないかぎり、どんな産業だって未来は描けないのだ。

もっと消費者の主体としてコメが選択され好まれるような「マイコメ」が必要なのさ。
いつまでも、日本人だからコメを食べるのがトーゼンといった「精神論」の押し付けじゃだめなのさ。

そういや、きのうのグリッツの話。あれは、挽き割りトウモロコシのお粥だが、「くず米」は、そのまま炊くからマズイといわれるのであって、お粥かなんかにしてトッピングに工夫して食べれば、またちがうはずだ。炊いてくうことを前提に品質を決めてしまうのは、「素材主義」の悪いところだろう。もっとも、くず米をおいしく食べられては、ますます米価の下落につながるか。国民が安くうまく食べられることをよろこべなくなった主食は、どういう存在価値があるのだろう。

アルコール米汁=清酒も、もっと安くなってほしい。もっと安くうまい清酒を飲みたいよ~。

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2008/01/22

「アラバマのグリッツ」にカレーライスの歴史を考える。

たいがいの本当(真実)は、ごみくずにまみれたようにある。ごみくずをかきわけながらさがすものだ。いっぽう、偽や嘘は、人びとがすぐとびつきやすいように、わかりやすく本当らしさを強調する。たとえばメッキの銀や金。それは、詐欺師の手口であり、「振り込め詐欺」などは、どうしてこんなことでひとは簡単にだまされるのかと、ついつい被害者を腹立たしく思うほど、単純な構造だ。そのわかりやすさに、ひとはだまされる。その意味で、「わかりやすい」ことを鵜呑みにするのは、間違いをおかすリスクをともなっている。そのうえ「たのしい」ときたならば、危険このうえない。たいがいの大衆的なテレビ番組や本や雑誌の記事は、「わかりやすく」「たのしく」だ。

カレーライスの歴史をはじめ、日本で書かれた料理の歴史の多くは、そのような詐欺師の手口に似ている。そもそも「料理とは」や「料理の歴史とは」を考えさせない。そんなことを考えてもらっては、その手口が成り立たなくなる。「料理とは」や「料理の歴史とは」といったゴミをとりのぞき、「わかりやすい」「たのしい」内容で、最初からインド元祖イギリス経由で伝来、軍隊と料理書から広がったという結論になっている。ニセモノの宝石を見せて、これがホンモノですと売りつける手口のように、ほかに考える材料をあたえない。そのテの本を読んでも、「料理とは」や「料理の歴史とは」について理解は深まらないまま、これが本当のダイヤモンドですといわれ、またそう思い込んでしまう、わかりすさがある。

だけど、カレーライスの歴史だけが単独で、料理や料理の歴史からはずれて存在しているのだろうか。そこんところはどうなのだ、えっどうなんだ、と椎名誠調でいいたくなる。

料理は、どう獲得されるのか、どう獲得されてきたのかの歴史とカレーライスの歴史は無関係ではないだろう。

ひとつ、料理は言葉より以前から存在した。もちろん本ができる以前からだ。
ひとつ、料理は食べたら消える、カタチを残さない。
ひとつ、料理は、ある味覚を得るための技術である。
ひとつ、料理は生活(生きる)のための技術である。
ひとつ、料理の普及とは、その技術の「習慣化」である。

などなどについて、こういう料理の歴史をどう考えるべきかは、拙著『汁かけめし快食學』に書いた。本などなくても、軍隊なんかなくても料理はつくられ、普及するものは普及した。そうして人間は新しい料理と味覚を獲得して生きてきた。カレーライスを含め、たいがいの料理の歴史は、技術レベルのことではなく、風俗レベルそれも出版風俗レベルのことで混乱している。それは、「料理とは」を考えてないからだ。さらにいえば、「料理」という言葉が、foodフードとcookクックの両方の意味を含んでいる混乱もある。

技術としての料理によって、新しい味覚が獲得される。

さてそれで、2008/01/17「再び「旅する舌のつぶやき」」の続き。「獲得された嗜好(アクワイアード・テイスト)」その一回目は、「アラバマのグリッツ」だ。

「グリッツ」というのは、挽き割りトウモロコシのお粥のことだ。ここでは、アメリカ南部アラバマ州のそれだ。著者の菅啓次郎さんは書く。

「南部にはグリッツという挽き割りトウモロコシのお粥がある。朝食は、毎朝これ。お皿によそい、バターを載せ、それが滲むように溶けてきたら、塩胡椒で味をつける。それだけのときもあれば、ソーセージかベーコンや卵を添えるときもある。」

自分で塩胡椒して味をつけるというのもオモシロイ。ラーメンにも胡椒をふったりラー油や酢をふったりすることがあるが、あれは料理を完成させる行為なのだ。というのも料理とは、ある味覚を獲得するためのものだからだ。

「365日のうち、300日は食べただろう。味? 別にいうほどのことはない。グリッツの味だ。そしてそれには慣れることができる。」

「はじめて口にしたとき、失望に近い重みが胸をみたした。でも毎日食べていると、ある日、離陸に似た現象が起きる。舌が馴染んでくるのか、うまいと思うようになるのだ。穀物だけに、癖はない。米ほどではないが、粘りがあり、おなかに残る。塩味は、砂糖の甘みよりも、ずっと飽きない(牛乳で煮たオートミールに砂糖を入れて食べる習慣には、ぼくはさいわい無縁だ)。そのうちおかわりするようになる。そのうち、それがなければさびしくなる。」

もし、これが旅行者のことだったらどうだろう。あるいは、何軒くいたおした、なんてことを自慢するていどの舌なら。たぶん、とても食えた料理じゃない、星一つもあげられない。ということでオシマイなのではないだろうか。

こういうことは、わが国内でも、たとえば「獣(けもの)くさい」料理などではあるようだ。九州へ行ってトンコツスープのラーメン屋に入ると、あの獣くさいニオイだけでダメというひともいる。そしてモツ煮などのモツ料理は、獣くさいところを洗いおとすようにして仕上げた、獣料理なのに獣くさくないほど「うまい」といわれることが、おおいようだ。それは、はたして獣料理を獲得したことになるのだろうか? でも、少なくとも、そのようにして獣は食物になっているといえる。そのことに理解がおよばないと、いつも単純にマルとバツをつけておわる。

「アラバマ州にはきっかり1年住んだ。以後、二度と深南部を訪れていない。アメリカのほかの地方では、グリッツは明らかに南部の地方食とみなされ、人気もなく、食べようという人も少ない。アメリカ社会の全体では、南部はいまもどことなく軽蔑されている。でもぼくは、ときどきスーパーマーケットの棚で箱入りのグリッツを買って、お湯を加えて軽く煮立て、たっぷりとお皿に盛るのだった。この味を、ぼくは「獲得」していた。誰にも話したことはないが、ぼくはずっと、南部もグリッツも大好きなのだ。」

ある料理は、ある味覚をつくりだすように成り立っている。それと食べるひとの嗜好は必ずしも一致しない。そのばあい、ほかに手段がないなら、その味覚に馴染んで獲得する。そして手段があれば、馴染んだ嗜好にあわせて新しい味覚を獲得することになるだろう。前者と後者では、まるでちがう料理になることもある。そのように料理は普及する。

「国民食」といわれるほど普及した黄色いカレーライスは、後者の手段、つまりカレー粉という新しい調味料を汁かけめしの料理によって獲得した味覚だというのが『汁かけめし快食學』の主張なのだ。インドのカレー料理とはもちろんちがうし、イギリス料理の構造でもないし味覚でもない。日本の料理の方法であり味覚なのだ。だからそれを食べても、インドやイギリスを好きになることはなかった。「おふくろの味」といわれた。

そのカレーライスを土壌にして、インド風のカレーライスやイギリスあるいはヨーロッパ風といわれる、日本の個性とはちがう個性のカレーライスを「レストランの味」として獲得した。それはまだ、「普及」ということでは、ほんのここ数十年のことなのだ。


もう正月がおわりそうなことに気づき、年賀状をやめてから例年化している「エンテツ年頭消息 2008年正月号」をあわててつくり、きのうから少しずつ発送している。宛名書きに一言そえて。ぼちぼち、はて何日間かかって発送がおわるのだろうか。とにかく今月中に発送を完了せねば。いちおう「正月号」だからな。

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2008/01/21

鉄橋のむこう。昭和な商店街に女の思い出は夢かうつつか。

01113時ごろの京浜東北線にのり王子へむかった。電車は川口駅を出て荒川の鉄橋をわたると東京都北区にはいる。北区は東京の北の端だが、埼玉県の大宮や浦和からは、いちばん近い東京だ。高崎線や宇都宮線の上りを利用しても、赤羽が東京の最初の停車駅になる。

新幹線ができる前は、長野や新潟や東北の青森からも、いちばん近い東京だった。わたしが上京した1962年もそうだった。荒川をわたるころに車内放送が、まもなく赤羽駅に着くことを告げる。その放送と荒川の鉄橋をわたる列車の音を聞くと、「ああ、東京に着いた」と思った。うれしくも悲しくもなかったが、うれしくも悲しくもあった。なんどか、それを繰り返した。

まさか東京で暮らし、60過ぎても電車に乗って荒川の鉄橋を行き来するようになるとは思っていなかった。

東京で暮らすイメージはなかった。固い意志ではなくバクゼンとだが、大学を出たら故郷にもどり、そこで一生が終わると思っていた。ほかのイメージが描けなかった。それが違ったふうに転がったのは、実家の家業が破産し、家も人手に渡り、両親も夜逃げのように身ひとつで東京に転がり込んできたからだった。おれたち家族は貧乏な田舎で落ちぶれて、東京で暮らすことになったのだ。

荒川の鉄橋をわたる電車のドアーに寄りかかり、外を眺めながら、そのことを思った。流れ流れて大都会のジャンク者。見下ろせば、真っ赤なライフジャケットを着た若い女を3人ほど乗せた大型のモーターボートが弧を描きターンするところだった。荒川から風景はかわり東京になる。

所要時間20分ぐらいで王子駅についた。都電王子駅前駅乗り換え口に出る。改札口から右手、都電の線路のうえを横切り、国立印刷局王子展示室の前をすぎる。その先は、明治通りを道なりに右へ行く。堀船公園を左へ曲がる。堀船小学校をすぎた最初の通りを右へ入る。道は梶原銀座商店街につながる。

わたしが高校卒業まですごした田舎町の商店街のように、ナショナルブランドな看板がない商店街。スーパーも地元だ。

パン屋に「ヤマザキ」の赤い看板があるのを見て、それが地元のパン屋をくいつぶすように進出を広げたのはいつごろのことだろうかと考えたが思い出せなかった。「ヤマザキ」のブランドには、たとえば「Pasco」や「神戸屋」のような都会のイメージを感じることはなかった。それだけに知らず知らずのうちに浸透したのかもしれない。

梶原銀座商店街は都電の梶原駅をすぎたところで明治通りに出る。明治通りを横断した先は上中里商店街になる。上中里商店街は高崎線と宇都宮線の踏み切りを渡ったあたりから、しだいに商店街の面立ちを崩す。だけど、道は京浜東北線をこえて上中里駅にいたり、そこから平塚神社に沿って本郷通りへつながっている。本郷通りにでたところにはクラシックなエキゾチズムの殿堂と申しましょうか旧古河庭園があり、その塀に沿って本郷通りを駒込駅のほうへむかうと、霜降銀座商店街の入り口にいたる。そこを入れば、その先は、染井銀座商店街、西ヶ原商店街とつながる。

わたしは梶原銀座商店街から、霜降銀座商店街、染井銀座商店街、西ヶ原商店街を続けて歩く予定だった。

梶原駅をすぎ明治通りを渡り、上中里商店街で商店の時計を見ると14時だった。急がないまでも、普通のはやさで歩いていたことになる。日曜日のことで、2軒の食堂もそうだったが、定休日のところが多かった。わたしは食事をすることにした。

あいていたトンカツ屋に入った。4人がけテーブル3台、4人分ぐらいのカウンター。先客は、幼子2人の夫婦、赤ら顔のオヤジが酎ハイらしいグラスを傾けていた。わたしはカウンターにすわり、50代と思われる白髪の多い疲れた表情の主に、650円均一のサービスランチの中からミックスフライを注文した。

ビールといいかけて、やめた。まだ全行程の4分の1も歩いてない。わたしは、北区の観光をテーマにした原稿を書くために、あれこれ思案しながら歩きたいと思っていた。それに西ヶ原のあたりは道が複雑で、以前ちがう方角から行ったところへうまく出られるかどうか自信がなかった。飲むのは歩きおわってからにしよう。

ミックスフライは、串カツとエビフライとイカフライの盛り合わせだった。その大きさもめしの量も、ギリギリやっている苦労がにじみ出ていた。めしも上手に炊け、ナメコのみそ汁もうまかった。新聞は産経新聞だった。

平塚神社の境内に入るのは初めてだったが、偉そうなこけおどしの高さがなく、普通の平屋のような高さで、質実そのもの、好きなタイプの神社だった。本郷通りで信号をわたり、旧古河庭園の塀を右手に沿いながら右へ曲がろうとして、交差点の左手のビルを何気なく見た。そこには「滝野川会館」の名前があった。わたしが高校のときから大学1年の間ぐらい付き合っていた女が結婚の披露をしたところだ。

あれは、何年のことか。わたしはすでに大学をやめ臨時雇用の仕事を転々としたすえに、やっと正社員のくちをみつけたころだった。まだ独身だった。彼女は、大学を卒業してすぐだったはずだ。

そのとき、初めて「滝野川」という地名を記憶したのだけど、あの日は、別の結婚式もあって、先にこちらに出席して途中退席したのだった。会場を去る前、新婚の2人の席に近づき挨拶した。それは、彼女と別れてあと、初めてかわす言葉だった。

彼女は、何年か前に離婚し、そして数年前に死んだ。彼女は東京を離れ、ある地方の寒村に一人で住んでいた。すい臓がんが発見されたときには手遅れで半月もたなかったとのことだった。彼女が死んでから、そのことを知らされた。

彼女も荒川の鉄橋をわたって、東京に入ったのだ。1962年5月、わたしと彼女は有楽町の映画館で「ウエストサイド物語」を見ていた。

彼女と最後に会ったのは、1982年ごろだろうか。滝野川会館以来のことだった。彼女は、冗談まじりに「離婚したい気分」を話した。わたしは離婚が決まっていたけど、言えずにさよならした。

あの日、滝野川会館を中途で退席して行った結婚式の新郎は当時の会社の先輩だったが、彼は、もっと早くに死んだ。もう20年ぐらい前のことになるだろう。わたしより2歳ほど上で、やはりガンだった。彼は西のひとだから、多摩川の六郷の鉄橋をわたったにちがいない。

わたしは霜降商店街の角をまがるころには、彼女との「はじまり」を思い出していた。少しひりひりするかんじの冷たい空気がほおをうった。ときどき学校で言葉をかわすようになった彼女が、初めてトツゼンわたしの家にあらわれた日も、そうだった。雪国のことで、11月の末だったが、いまにも雪が鉛色の空から落ちてきそうな日だった。彼女は、わたしの家の店の土間に立って、「きちゃった」と言った。「つぎの列車まで…」と言った。彼女は列車通学だった。男子生徒は長髪禁止で、男女の交際などは「不良」のようにみられていた高校だった。とにかくわたしの部屋に通した。第九が聴きたいというので、そのレコードをかけた。けっきょく、次の次の列車になり、わたしは駅まで送っていった。女の唐突で大胆な行動を考えた。それから「文通」が始まった。手にさえ簡単にふれられない時代のことだ。

わたしは霜降商店街を無意識のうちに半分以上すぎ、染井商店街が見えたところで、霜降商店街がおわりそうなのに気がついた。正確には、染井銀座商店街だけは、豊島区になるが、北区との境界線に沿って近い位置にある。

013西ヶ原で、やはり方向を失った。むかしの都電の線路と停留所が道路になっているあたりへ行きたかったのだが、なかなか出られない。そこに移転前の東京外大の学生が多く利用していた大衆食堂のようなトンカツ屋があって東京外大生と食べに行ったことがあった。そこがどうなったか知りたかったのだが、探せば探すほど方向を失った。うろうろしているうちに狭い路地に入り、道は階段になった。

ふいに都電の線路に出た。沿って歩いていると西ヶ原の駅に出た。王子方面へ向かい、明治通りに出た。あとは王子駅へむかうだけだった。

「エンドウさん、なによ、酔ったの、寝言いって、うたいなさいよ」
カウンターに突っ伏していた顔をあげると、ババアの顔が前にあった。
ほかの客はいなくなっていた。
「寝言って」
「だれか女のひとの名前じゃないの。いいから一曲うたいなさいよ」
「寝言で女の名前か」
わたしは、見ていた夢を思った。まさかね。
「よーし、じゃあ、うたうか、青春時代だ」
メロディが流れる。
「ちがう、これはちがう、銀杏BOYZじゃねえ」
「なによ、青春時代といえば、これじゃないの」
「ちがうんだよ、銀杏BOYZだ、銀杏BOYZをだせ」
「これっきゃないの、うちは、むかしのレーザーディスクなんだから」
「貧乏酒場はいやだね」
「フン、なにさ、貧乏人が」
ババアが、その青春時代をうたいだした。けつくらえ。
青春も青春時代も女も昭和な商店街も、げどろげどろに混濁していた。

そして荒川の鉄橋をわたって帰還したのだった。

なにが本当か、わからない。

悪川文学賞受賞の作品でした。

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2008/01/20

まだ終わったわけじゃない。

きょうは、っていうか、もうきのうか。東京サ行って、2件も打ち合わせをこなした。一日に2件、しかも新規企画だから、けっこう疲れる。いやさ、トシをかんじるというか。でも、疲れようが、どうしようが、ことしは、とにかく戦略転換なので、新機軸に積極的にのぞむつもりなのだ。

「あんたは逆境が好きだねえ」といわれるが、ほんと、そうらしい。

うっ、書き始めるまえは、モーレツに文章が湧いていたのだが、急にしぼんだ。

飲み過ぎたか。脳がフニャフニャ。

「まだ終わったわけじゃない。」というタイトル、なんだか未練がましい執着を感じるな。ひきながら強がりを言っているようで、すがすがしさにかける。あまり好きな傾向じゃないな。

だから、文章が湧いてこなくなったのか。おれって、センサイなんだな。うん、傷つきやすいんだ。

「まだ始まったばかりだ。」とすべきだったかな。

まだ始まったばかりじゃないか。64歳にもなって。

ぶっ。だめだ。

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2008/01/19

どうも不気味な。

やれやれ、おどろいた。こういうものがあるのも知らなかったが、@niftyのトップページに、「旬の話題ブログ」というタグがある。毎日3回、7時と14時と22時に更新され、1回に5件のエントリーが紹介される仕組みだ。その18日の22時の更新に、おれのエントリー「スナック菓子と「生きいそぎ」は不倫のにほひ。」が載った。以下のように、タイトルは「不倫連想との声でCM中止 ふさわしさってなんだろう」になっている。

http://www.nifty.com/
旬の話題ブログ

ココログから旬の話題をピックアップ!01月18日 22:00更新

スザンヌ不在でも、里田まい&その他精鋭がカバー
ひとりごと
あの頃は純粋に楽しめたのに…大人ってやつは…
朴念仁の昼休み
凶器は歯ブラシ!愛息子を襲った小さな出来事
ワーキングマザーの…
薬害肝炎の政府広報…行き渡らなかった理由を推察
伊藤高史のページ
不倫連想との声でCM中止 ふさわしさってなんだろう
ザ大衆食つまみぐい


これにより、22時から急激にアクセスが増え、1時間に約100ぐらいが、その関係らしい。いま午前1時を過ぎたが、まだその調子で続いている。それが、ほとんどは、このエントリーを見るだけ。ついでだから、ま、一杯やってゆっくりしていきなさいよと言いたいのだが、そうもいかないらしい。これだけ来ても、コメント一つない。レスするのが面倒だから、ないほうが助かるが。

おれは前にも書いたと思うが、落語の「三題噺」のように、なるべく3つぐらいのテーマを頭の中におきながら、ごちゃごちゃ書くようなことを遊んでいる。タイトルを置いて書き出すと、あとは自分でもどうなるかわからない。

どうやったらアクセスを増やせるかだの、読んでいる人がどう思うかなんてことはまったく関心がない。そんなこと気にしていたら、こうはやすやすと書けない。だいたいこんなに書いたのでは、読むのが大変だろう。

ネットのおかげで、いろいろなことに遭遇する。リアルな直接あっているときには問題がないのに、メールやブログのおかげで関係がマズくなったりとか、いいことばかりとは限らない。いいことは、あまりないな。切ないな。集まってくるのは、野暮ったいのんべえばかりだし。

とりわけ、この「数」が押しかけ去っていくアリサマは不気味ですらある。おれの得になるようなことは、ほとんどなさそうだ。ま、なくてもよいのだが。なぜ、こんな得にもならないことを続けるのだろうね。ああ、こりゃこりゃ、おどろいた。寝よ。

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2008/01/18

スナック菓子と「生きいそぎ」は不倫のにほひ。

「不倫連想」と抗議、CM中止 おやつカンパニー

1月18日16時31分配信 産経新聞

 「ベビースターラーメン」で知られる菓子製造販売会社「おやつカンパニー」(津市)は18日、愛知、岐阜、三重の3県で放映した不倫を想起させるテレビコマーシャルを、視聴者からの抗議を受けて打ち切った。

 打ち切りとなったのは、三重県限定で先月から販売している土産用菓子「地元伊勢の国うす焼えびせん」のコマーシャルの「男女編」。伊勢に出張した夫が土産で買ってきた同商品を、妻が不倫相手と思われる男性と食べるというもの。

 コマーシャルは今月15~20日に東海地方の民放4局で10回放映する予定で、これまでに7回放映された。視聴者から「不倫を題材にしたコマーシャルはスナック菓子としてふさわしくない」という抗議が数件寄せられたため、同社は打ち切ることにした。

最終更新:1月18日16時31分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080118-00000091-san-soci

この記事をみて、倫理的なみなさまには申し訳ないが笑ってしまった。「不倫を題材にしたコマーシャルはスナック菓子としてふさわしくない」ということだが、スナック菓子なら不倫はふさわしいのではないだろうか。三食をキチンと食べることを崇拝する常識的な倫理からすれば、スナック菓子は不倫な食べ物だと思う。スナック菓子に、清新な倫理のイメージを描くとしたら、その認識も想像力も、かなりオカシイ。不倫は、倫理があるから成り立つと、リクツではいわれるが、実態からすれば、倫理は、たいがい不倫の土壌に成り立つのであって、人間そのものが俗悪な不倫な存在なのだ。それが食べ物にも反映してトウゼンだし、その不倫を恥ずかしがることはない。存在の実態なのだ。スナック菓子は、ある種のうしろめたさをクスグリ、ついでに、人間のわずかな倫理を気づかせる。まさに不倫な存在だ。スナック菓子メーカーは、惣菜屋ではないのだから、もっと毅然と開き直ってほしい。またスナック菓子メーカーと惣菜屋を混乱するような要求をすべきじゃないだろう。大らかにいきたいねえ。

おれは、そう思うね。

話はちがうが、「生きいそぎ」という言葉がある。その概念や定義は難しいところがある。単なる「せっかち」ではない。おれは自分は「生きいそぎ」タイプではないと思うが、おれの感覚からする「生きいそぎ」タイプが、けっこう好きだ。一緒に仕事をするにしても、飲むにしても、けっこうオモシロイ。おれの周辺では、どちらかというと女に多い。Tさんには、「あんたは生きいそぎすぎ」といったことがあったし、そうは面と向かっていったことはないが、Yさんも、Mさんもそうだ。男では、あまり出会わない。おれと一緒に会社をつくり、いまでもその会社の社長をしている男は、もう天下御免の生きいそぎで、誰からもそういわれていたし、おれより10ぐらい若いが生きいそぎすぎて死にかかり、いまでは心臓ペースメーカーで生きている。

「生きいそぎ」は、倫理や不倫と相関関係はないと思うが、けっこうカッとくる、すぐカリカリしたり、カリカリしなくてもハラハラさせたり、マイペースといえばマイペースで、こっちがつられてカリカリハラハラしているときに、本人は平然としていたりする。そのカリカリ感やハラハラ感と、独特のマイペース感は、人気を得るスナック菓子と似てなくもない。と思ったりして。となれば、「生きいそぎ」は、スナック菓子のような不倫な存在ってことになるか。

スナック菓子は不倫な存在だから、倫理が気になるのだろうか。

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まちづくりと商品開発は難しくも楽しい。

きのうのこと。北区まちづくり公社が発行する冊子『街よ!元気になれ』の編集会議に出席のため、北区の東十条へ行った。

「東十条」と聞いて、その位置や街をイメージできるひとは、どれぐらいいるだろうか。いくつかの有名になった大衆酒場を語るひとはいるが、その口調は、どことなく辺境や秘境に「文明」を発見した得意やおどろきのようである。

そのへんの住民と思われる、吸うさんのブログ「ただ呑んでるだけ」(このブログには「キモ酒大好きキモイ男の駄目ブログ」のサブタイトルに「※シラフデ讀ムベカラズ」という注意がある)の2008年01月11日には、「端」のタイトルで、こうある。

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本屋の店頭に平積みしてある雑誌が目に入った。

東京なんとかって、巷氾濫する食べ歩きだか街歩きだかの雑誌。
確か前に「槇島」も取材受けたやつだね。
まあ、おいらがあんまり好きじゃない類の本だな。

んで、表紙に、
もう東京の端とは言わせない 赤羽・王子...なんたらかんたら...
と、なんか端であることが恥ずかしい事であるかのように書いてある。

端でいいじゃねえか。
端だからいいんじゃねえか。

端で悪いか。

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雑誌や本というのは、「中央」の視線、もっと端的にいえば「神田神保町」の視線だ、神保町の三省堂や東京堂の視線だ。そこを見ている視線だ。

そして、確かに、東京の北の端には、「中央」とちがう時間が流れているし、「中央」にはない空間がある。「端」だからこそで、「端だからいい」のだ。

それはともかく、京浜東北線東十条駅がある十条地区は、比較的にぎやかな「赤羽・王子」のあいだに陥没していた。いや、ここには昔から根強いファンがついている都内有数の商店街があるのだが、ま、でも、そういうファンは「珍しい」たぐいだったろう。これまでは。

以前にチョットだけ書いたが、北区まちづくり公社が発行する冊子『街よ!元気になれ』は、年二回の発行で、そのうち一回は「地域版」で北区の赤羽や王子や西ヶ原といった地域がテーマになっている。もう一回は、「全区版」で、横断的なテーマで編集される。

今回おれが参加している「全区版」は「観光」がテーマなのだ。11月の編集会議に初参加、12月の編集会議は都合悪く、きのうが二回目。

企画編集委員は、みな巷の働くボランティアで、編集専門用語が通用しない。いわゆる「シロウト」で「学級新聞」をつくる楽しさがある。でも、「まちづくり」という、けっこう重い課題を背負っている。しかし、ここでもやはり女たちが積極的で、彼女たちは、なんでも「楽しく」やろうとする。

そもそも、おれがここに参加しているのも、その女編集委員の一人の方から、ある日トツゼンのメールをもらったからだ。その文面は、知らん顔はできない、ひとを動かすほどの熱意にあふれていた。おれのこのブログや「ザ大衆食」をご覧いただいて、どうしても会ってみたい!ということもあったようで、その意思を行動に移す積極性も感じられた。

うふふふ、いまどきおれに目をつけるのは、かなり目が高いひとだ。

ま、もともと、おれは楽しく酒を飲みながらできることなら、カネにならなくても首を突っ込むのではあるけど、チト興味を持った。それに、何度も書いているように、北区は好きなところだ。

19時から始まった編集会議は、えーと、女5人、男6人(おれと事務局男1含め)。若い女はいるのに、若い男はいないというのが、いくらおれが若い女が好きだとしても、チトさみしい。21時チョイすぎにおわり、11月にも行った居酒屋へ。

ここでガゼン盛り上がったのは、まちづくりにつながる「商品開発」のことだ。じつは、この、これもまた女編集委員たちの活躍なのだが、北区は面積が狭いわりにはJR駅が多く、そこで「北区ふるさと駅弁コンテスト」というのをやって成功をおさめている。そのパワーをどう継続させ発展させるか、商品開発のアイデアがとびかう。ここでも女たちは「楽しく」であり、楽しくやれないものは却下。その熱気の中で、男は、でもショーバイとなると楽しいだけじゃないよと、そっと弱音を吐いてみたり。でも、イメージに走るのではなく、なかなか地に足が着いたアイデアが多く、なにか生まれそうな気配が感じられた。

女4人男4人で始まった呑みは、途中で男2女1が帰り、もちろんおれは残り組みで、焼酎一升瓶をあけたころには、0時ちょうど、おれは電車の時間で先に退散した。

この居酒屋、前回も入っているのに、名前を覚えてない、安くてよい。十条には安くてよいの飲み屋がたくさんあるね。

「街の腸(はらわた)の中で」(フイッツジェラルド「マイ・ロスト・シティ」村上春樹訳から)たくましく生きようとする呼吸にふれながら、いい酒を飲んだ。

北区まちづくり公社
http://www.matikita.com/

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2008/01/17

再び「旅する舌のつぶやき」。

きのうのエントリー、菅啓次郎さんの連載『旅する舌のつぶやき』の「移住者が舌を学ぶとき」が何度読んでもおもしろい。ほかの号も読みたくなり、バックナンバーがないか狭い部屋の少ない資料箱を探した。

「移住者が舌を学ぶとき」の掲載は、2001年12月号だが、この雑誌はこれで「休刊」になっている。探すと、連載1回目の7月号から最終回6回目の12月号までのうち、8月号をのぞいて見つかった。

1、アラバマのグリッツ
3、トウモロコシと小麦粉のあいだ
4、唐辛子ビールで、乾杯!
5、ハワイ、味覚のアジアにむかって
6、移住者が舌を学ぶとき

というぐあいだ。みな、とてもおもしろい。食べることや料理を作り賞味する楽しみがひろがる。こういうふうに食べることや料理を語るひとに、本でも雑誌でも出会ったことがない。コーフンしている。

この雑誌が「休刊」になり、そのあとがないのも、このまま埋もれさせるのも、モッタイナイ。これを生かす方法を考えている。とりあえず、なるべく詳しく紹介しよう。

食べ物の話はたくさんあるが、あそこで、こういうものを食べた、あそこには、こういう料理がある、こんな材料でこんなふうにつくって、こんな味がする……、だいたいそういうたぐいのことがほとんどだ。その料理の「存在」と「関係」に関する考察が共通して欠けている。

その結果そうならざるを得ないと思うのだが、近頃はとくに、どちらかというと「文学的」な表現にこりすぎ、言葉あそびにすぎないような感じすらある。対象にせまってない。仔細な表現の多いこと。おおげさな表現の多いこと。もったいぶった表現の多いこと。気どった表現の多いこと。自分が「達人」「通」であるかのような表現の多いこと。そして内容が希薄なこと。

なるほど文章は上手なのかも知れないが、食べ物や料理は、書くひとの「原稿用紙」や「キーボード」の中のことになっている。外国のことであっても、本や雑誌のなかのことで終わっている。どこまでいっても、そうなのだ。いったい「世間」や「人びと」はどうなったの、あんたはナニモノ、と問いたくなる。

読者も、内容より「情報」ということになっているのだから仕方ないのかもしれない。それが売れる有名になる道なのかもしれない。

いったい、こういうことに馴れてしまってよいものだろうかと思う。自己の「存在」や「関係」にすら関心がないかのようだ。情報を中心に群れていればアンシン、同好のB級と群れていればアンシンという動物。気色の悪い風景。

ところで、1回目の「アラバマのグリッツ」だ。

「「獲得された嗜好(アクワイアード・テイスト)」という言葉がある。はじめは奇異で馴染めない味だったものに、少しずつ親しんで、やがてそれが大好きになる。そんな経過が感じられる、おもしろい表現だ。」と書き出す。

ワレワレの根源、ワレワレの関係性は、そのように存在する。奇異だから、嫌いだから、馴染まないからと避けるのではなく、少しずつ親しむ。「獲得された嗜好」で生きてきた人間だ、そういう人間だからこそ、摩擦や混乱や紆余曲折を経て、大好きになるということがある。

「圧倒的な多様性」こそ食べ物であり人間なのだ。この単純な「真実」がわかっていれば、食べ物やひとを単純に採点し切り捨てることはできないはずだ。マズイものマズイことを、単純に切り捨てることは、できないはずだ。とりわけ「B級」といわれる「大衆食」で考えなくてはいけないのは、そのことだが、「B級」のひとほど偉くなりたがるし、偉そうにしたがるものだからなあ。

だけど、実際に、あまりにもマズイがゆえに食えない料理もある。それはまた、別の問題。どのみち、誰かが偉そうにしていれば片づくことではない。

おっと、話がズレた。続いて、こう書かれている。

「ヒトはアフリカ大陸で誕生し、惑星中に移住して、土地ごとの生活をつくってきた。地上では、あらゆるものが食べられている、動物、植物、菌類、鉱物。毒でさえなければ(いや微弱なものなら毒であっても)、われら悪食のサルはすべてを口にし、よろこび、飽くことを知らない。その食物の圧倒的な多様性を織りなしたのが、このアクワイアード・テイストの連鎖だったことは、想像するだけで楽しい。」

菅さんは、ときどき、食についてウンチクを傾ける人たちが使う、常識的な、あるいは惰性的なステレオタイプな言葉を鋭くえぐる。「獲得された嗜好」の連鎖について。

「言いふるされた言葉だが、人はよく「はじめてナマコを食べた人は勇気があったね」などと語りあっては、感嘆し、何かに安心する。ナマコはホヤでも、クラゲでもいい。しかしこの言い方には意味がない。ヒトの食性は、明らかに言語よりも古いからだ。」

「ともあれ、こうして拡大した食物は、それぞれの土地で土地を形づくるあらゆる物質とのあいだに流れをうちたて、ぼくらの体は摂取されたタンパク質や脂肪やミネラルやビタミンが貯蔵されたり燃えたり処分されたりする、複雑な機械となった。「きみはきみが食べるもの」(You are what you eat)という格言は、本当に正しい。物質としての私は、それ以外ではありえない。そしてきみが旅をすればするだけ、きみの体は新たな食物によって再構成され、7年も旅がつづけば、きみは確実に新しい自分になる。」

日本人とくに大都会の住民は、この数十年のあいだに、みずから地理的移動の旅はしなくても、食材や料理のほうが旅してきて、旅したのと同じような環境におかれたといえるのではないだろうか。

和食がよいか洋食がよいかの議論より大事なことは、「確実に新しい自分になった」ことについて考え想像をめぐらしてみることではないかと思う。

とにかく、だけど、人間は「物質として」存在するだけじゃないのだ。「食は文化」といわれるし。

「人間の文化の最大の希望は、それが一世代で完全に取り替えることができるものだという点にある。この数年、自分の好物を語って「わたしにはイタリア料理のDNAがある」などと笑うべきことをいう人がよくいるが、そんなことはありえない。食は文化であり、遺伝とはまるで別の営みだ。生後まもない赤ちゃんは、世界中のどの家族に預けてもかれらの言葉と味を、完全に身につける。思春期の少年少女であろうと、成人に達してからであろうと、その気になればいつでも、われわれは言語と味覚という舌の二つの活動において、まったく新しいステージに立つことができるのだ。これにはすばらしい高揚感を覚えないだろうか。」

つまり、ワレワレは可能性に満ち溢れている。その可能性を閉塞させるような言動が、いまや満ち溢れているのだけど、この可能性に対する「すばらしい高揚感」を持ち続けたい。

「生きているかぎり、遅すぎるということはない。新しい言葉を学んでみよう、新しい何かを口にしてみよう。舌という自然が、未知の文化の透明な迷宮へ分け入ってゆくきみの、尖端となる。体の他のどの部分よりも、大きな勇気をもって。ぼくは大旅行家ではなく、グルメ(食通)でもグルマン(大食漢)でもなく、言語学者でもない。けれども誰でもそうであるように、「獲得された嗜好」について、限られた経験の中で、はっとするような覚醒を感じたことがある。それはいわば、自分の体内の、私という存在の、気象が変わった瞬間だ。そんな日々の記憶を核として、これからしばらくのあいだ、舌に小さな旅をさせてみよう。」

「生きているかぎり、遅すぎるということはない」。おおっ、おれのような老人にとっては、なんていう励ましだろう。と、その気になったりしても、大めしくえなくなったし、酒量も下痢するほど飲めないし、オンナも……、バカな中年男どもがのさばるのを見てなくてはならねえ、ってことじゃねえか。

こうして食の楽しさの扉がひらかれる。それも、どこにでもある、日常の食を食べながら。

グルメでもグルマンでもある必要はない。「「わたしにはイタリア料理のDNAがある」などと笑うべきことをいう」ようなひとがたくさんいて、競い合うように、そういうデタラメをいうのだけど、いまの日本では、グルメだのグルマンだのという、「私は●●好き」なんていう意識をもつことは、自らの可能性に対してマイナスに働くだろう。

自由な舌を自由に保つことだ。
気どるな、力強くめしをくえ!ということだ。そうすれば、舌が導いてくれるだろう。

チトやることがあるので、いまは、ここまで。「引用」には誤字脱字があるかもしれないので、あとでよく見て訂正しておきます。

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2008/01/16

ふらふら旅心のつぶやき。

002_2「旅する舌のつぶやき」を書いたあとに、旅心をそそる葉書が二通。

一通は、下諏訪のミドリさんからの寒中見舞。厚手の紙に、ミシンでものをつくるひとらしく、そしてミドリさんなので緑色なのか、糸をミシンでぬいつけて。ご存知の方もいるだろう、これぞ「かみさま」。視覚と質感のメッセージ。すみません、とりよせていただいたのだろうか、『雲のうえ』5号の感想も。「ごはんをモリモリ食べ、お酒をぐいぐいのみたくなりました」と。すぐさま下諏訪へ行って、温泉に入り、ミドリさんと一杯やりたくなり、ウエブで路線検索、時刻と料金を調べてしまった。

もう一通は、アメリカはコロラドのOK牧場のケンさんから年賀あいさつ。毎年のことだけど昨年暮れにはクリスマスカードもいただき、おれはクリスマスカードのかわりに『雲のうえ』5号を送った。ケンさんはおれと同じ歳で、大学卒業するとすぐ渡米したまま、近頃はとくに日本語と日本のめしに郷愁というか、きのうの「旅する舌のつぶやき」の話のように、冒険人生のなかに日本人である自分を確認しているらしい。めしのことには、とりわけ関心が高いから、『雲のうえ』5号はうれしかったようだ。その感想にそえて、「こちらは異常に寒く、マイナス30℃という冷凍の世界です。馬に毛布をかけてやりました。そのあとこごえる手で、みそしるを作ってゴハンにかけて食べる、これがウマイ」と。すぐさまコロラドへ行って、ケンさんと一緒にみそしるぶっかけ飯をかっこみながら一杯やりたくなり、ウエブで経路と料金を調べてしまった。

寒さのケタがちがうとはいえ、下諏訪もコロラドも冬は寒い。だけど、それも旅情のうちか、でも、やはりコロラドまで、この時期にでかけるのは……そもそも今年は早々にパソコンが壊れ、痛い出血出費があったばかり。今月末の「四月と十月」古墳部の出雲旅も自粛しているアリサマなのだ。であれば、あるほど、また出かけたい。ああ、こりゃこりゃ。

去年、北九州から東北のあいだを行ったり来たり、またポルトガルから魅力的な誘いがあって、刺激され高まる旅心を、「いかないで」というオンナの言葉で、おさめてきたのだから、おとなしくオンナにしたがっているか。しかし……。ぶつぶつぶつ。

とにかく、今日は、つまみの関係で、赤ワインをたっぷり飲むつもりなのだ。そうだ、まずは、赤ワインを買いに行こう。ただいま、昼どきです。

そうそう、おれは年賀状は出さないで、葉書で「エンテツ年頭消息」を出している。それがまだなのか、あそこにある、「●●歳になる」…というのを見ないと新しい年が来た気がしない、なーんていうメールや電話をもらっているけど、もう少しお待ちくださいよ。まだ、できていないし、今年は、なぜかうまく短く書けないで苦労しているもので。今月中には発送するようにしますです。

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旅する舌のつぶやき。

これは、菅啓次郎(すが・けいじろう)さんの連載のタイトルだ。市販されてなかった、そして休刊のままのある食の専門誌の2001年12月号。その6回目、「移住者が舌を学ぶとき」。

いつどう変わったか、「ぼくには本当にはわからない」、70年代80年代の「朝鮮漬け」から「キムチ」への変化をふりかえりながら、菅さんは、こう書く……

 「人の味覚は一世代で完全にとりかえることができる、それどころかときにはほんの数日で大きく変わる」とぼくはずっと思ってきたが、10年ごとの区切りで見たときの日本消費社会の食の嗜好の変化は、実際、あきれるほど大きなものではないだろか。
 だが変化を強調するだけでは足りないところが、舌をめぐる文化のおもしろいところだ。言葉がそうだった。