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2008/01/15

天下り規制以前のこと。

いま調べごとをしていて思いついた。天下り規制以前に、会社や団体の役員あるいは幹部社員のうち、天下りは、その経歴を、印刷物やネット上に公開する義務を課することが必要だと思う。

食品についてもそうだが、「情報リィテラシー」ということが言われている。その場合、情報公開が大前提でなければオカシイ。そして、現在のような極端な東京一極集中の中央集権制度のもとでは、「天下り」情報は欠かせない。

あたまから「天下り」を悪いというツモリはない。政治家や官僚には、その必要性の堂々たる主張もあり、これほどダメな国のことだから、その主張はわからなくはない。それが正しいかどうかを検証できうる保障として公開が必要なのだ。

もしかすると、よくある話だけど、そのコネを有難く思い、もみ手をしながら「天下り」を「プラス発想」で活用しようという機運が広範なものになるかもしれない。それは世間注視のなかで行われているのなら、そんなに責められることではないだろう。コソコソ隠すから、オカシイことになる。

また、「天下り」というと、官僚や役人のそれに限定されるようなイメージがある。ま、それでもよいのだけど、その根本は民主主義の未熟であり、セクハラも含め、非民主主義的土壌が根強くあることに関係する。発注者と受注者、先輩と後輩、師匠と弟子、親分と子分、あるいは親族関係、仲良し関係、同志関係、同趣味関係、宗教関係……そういう「上下」のコネが、あいかわらず、かなり重要な位置を占めている。

たとえば、ちかごろは私立大学や大学院で、けっこう自由に講座を設けられるようになっているが、外からみると、それがどういう仕組みなのか、実態としてはわかりにくい。講座の講師は、どうやって選ばれたのかなど、ほとんどわからない。よく調べていくと、某企業からの寄付で講座が成り立っていて、研究室の「助手」も、その企業からの「派遣」であるとか、もうなんだかわけがわからない。わからなさすぎて、この記述も正確ではないかもしれないが、そういうことがある。それなのに、モンダイは、そこに「権威」や「権力」の構造ができてしまう。

とにかく、その構造は、あってもよいから、他者からわかるようにしておいてほしい。それは「情報リィテラシー」に不可欠であり、「天下り」は、その結果よいことになるかもしれない。もっと、堂々と、やりましょう。誰のコネ、どこからの「天下り」で、いま私はココにいます。よい悪いは、その結果ではないか。情報社会というのは、それでなくてはオカシイ。

ミシュランが、「覆面調査員」をもって、「客観的」であるがごときだけど、いまは、そういう時代ではないだろう。「覆面」なんか、いちばんアヤシイ。すべてが公開され、そういうなかでの評価なのだと、お互いがわかって情報を活用するのが、いいのではないかな。民主主義とは、そういふ、大人になることなのだ。

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