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2008/02/22

料理は味覚を失ったのか?「いのちをいただく」お粗末。

ちかごろ料理雑誌などに「いのちをいただく」という言い方がたびたび登場するのに、おどろいている。

それを、しかも料理人も口にする。いったいどうしたのだ。いつからそういうことを料理人がのたまうようになったのか。坊主ならともかく、料理人や、フツウのひとが料理や食べ物を語るときに「いのちをいただく」なんていう言い方は、おかしい。かつては一般的ではなかったはずだ。歴史でも伝統でもない。

料理をつくったり、食べたりするときに「いのちをいただく」なんていう、そんな御託宣なんざ聞きたくない。そもそも、フツウにうまく食べられるように料理をつくれば、きれいに食べるのだ。それでこそいのちもむくわれるというものだろう。そういうものとして料理や味覚はあったのではなかったか。

さらに、それ以上に、牛がエサを食べてクソしているところをイメージしながら食べよというのか。それなら、「いのちをいただく」なんていう御託宣をたれる飲食店じゃ、牛のエサとフンを店内の装飾にすればよい。ホウレンソウにつかう肥料や農薬を飲食店の床にばらまいておけばよい。

「いのちをいただく」なんていうと、いかにもマズイ料理を、でもね、これはね、牛さんやホウレンソウさんやゴキブリさん(たぶんクジラのいのちを大切に思うひとはゴキブリのいのちも大切に思うだろうからね)の大切ないのちをいただくのですから、どんなにまずくてもガマンして食べなさい、きれいにくわねぇやつはいのちを大切にしないやつだ!といわれているようで、よい気分がしない。食事がまずくなる、残したくなる。

こういう御託宣は、料理のウンチクよりたちが悪い。料理のウンチクは、まだ料理や味覚の向上に役立つこともあるが、「いのちをいただく」では、料理や味覚の後退だろう。

マズイ給食を児童に食べさせて、残すと「いのちの大切さ」を知らないからだと、児童や父母に難癖をつける栄養士たち食育論者の無責任とおなじだ。料理人が、そういうことでよいのだろうか。料理人は、もっと、うまい料理をつくる職人に徹するべきじゃないだろうかと思うのだ。

いやいや、ま、しかし、これは、優雅な中流意識のキレイゴトをくすぐるハヤリ言葉のようだな。いまじゃ「スローフード」なんていう言葉を聞くこともなくなって、そのかわりだ。「環境」を口にしないと中流意識のキレイゴトの流行遅れであるかのような。そういうことでしょう。あいかわらずの思考停止症候群ってことだ。そんなハヤリ言葉をつかって料理を語らなくてはならないんて、どうかしている。すでに言葉づかいからして「いのち」を粗末に消費している証明ではないか。味覚の貧困であり、生活と料理の退廃だな。底が抜けているよ。

んなことより、自分たちのいのちが大切にされていないことに対策すべきだろう。アスベストをほうりだしたままで、なにが環境だ、「いのちをいただく」だ。

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