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2008/04/08

マイコメ=コメディ+コメそして「美味しいまちづくり」。

難しい判断をしなくてはならないことがある。花への未練を洗い流すように風が吹き雨が降るが、そうは潔く結論が出ないこともある。ま、でも、おれは、いつも判断がはやすぎるといわれるほど、はやいらしいのだが。それは、いつまでもおなじことを考えているのがメンドウなだけなので、とりあえずというかんじで、さっさとあきらめたり、はやく結論を出す。すると電車が動き出して景色がかわるように、いろいろかわっていくものだ。もちろん去ってゆく景色は二度ともどらないのだけど、そのことに思い煩うより、たいがい新しい景色をみるほうが忙しくなる。そして、わたしは今日まで生きてみました。

「わたしは今日まで生きてみました」というのは、吉田拓郎の「今日までそして明日から」にあるセリフ。

わたしは今日まで生きてみました

時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて

時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて

時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって

てなセリフのなかに、おれが不満なのは、こんなセリフがないことだ。やはり「よいひと」のうたなのかな。おれなら、こんなセリフをいれたい。

時にはだれかをうらぎって
時にはだれかの手をふりはらい

うむ。難しい判断をしなくてはならないときは、これだ。ビジネスは、みんなが得をするというのは、タテマエだからね。うぐぐぐぐぐ。先日も、おれより20歳も若いがおれより経験豊富ベテランのライターさんと、ちかごろの若いライター志望とかは、ビジネス稼業がしんどくてやりたくなくて、ビジネスからの逃避としてライターをやりたいとおもう、文章の世界にロマンを描くやつが多い、困ったカンチガイだ、という話をしていた。そんなことじゃ、ビジネスだらけの現実や対象を把握したり理解したりできないだろう。文章も写真もビジネスだし、およそプランが関係することでビジネスでないものはない。

そして、ビジネスは、だましのテクニック。惚れたふりが上手な、酒場オンナのテクニックのようなものですね。ようするに、虚虚実実のかけひきのビジネスこそおもしろいのであり、人生なのだと。そんなふうに、わたしは今日まで生きてみました。「時にはだれかをうらぎって、時にはだれかの手をふりはらい」。

うらぎった分だけが儲けになるのがビジネスだとしたら、おれはうらぎりかたが足りないようだ。なぜなら、あまり儲けていないから。それでも、ハテ、誰をうらぎってやるか、悩ましい。ぐふふふふ、あんたをうらぎるぞ。そういうことがお互いにわかっていて、なおかつ、誠実に付き合うのが「大人」というものなのだな。

これは「馴れ合い」とは、おおいにちがう。しかし、とかく、誠実を欠きやすい。「馴れ合い」を誠実や優しさとカンチガイしやすい。そうなったら退廃というものだろう。ほんのちょっとでもあればよい、フェアプレイの精神も良心のかけらもない、うらぎりの「馴れ合い」。そういう退廃で成り立っているビジネスは、メディア関係にもみられるし、すくなからずある。そんなことならば、誰をうらぎってもよいではないか。なーんてね。ますます退廃は拡散する。

いやはや、タイトルは「マイコメ=コメディ+コメそして「美味しいまちづくり」」だったが、最初からズレた。なにしろ、いろいろなコトが同時進行しているもので。

「マイコメ」は、サイトに「米」のキャラクターがつかわれているように、「コメディ」の「コメ」の部分を「米」とかけている。んで、「コメのめし」「コメの汁(酒)」の「エンテツの大衆食道」がつながってくるのだな。これは、以前にも書いた、まだいろいろ展開するプランがあるのだが、予定よりかなり遅れてしまった。ほとんど手つかず状態だが、そろそろボチボチやろうとおもっている。

「美味しいまちづくり」は、これはいまおもしろいことになっているし、うまいもの食べながらで楽しみなのだが、もう書くのがいやになったから、後日に。きっと、読みごたえのあるルポができる。わたしは、あなたを、うらぎりません。…はてね。

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