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2008/06/21

高度経済成長のハレの味か? ビフテキ。

きょねん4月発売の『QJ クイックジャパン』vol.71の「永久保存版 高橋留美子」に「高橋留美子の好きなもの」っていうぺーじがあって、「好きな食べ物は?」つう質問に、「ステーキ」と答えている。

そのコメントに「やっぱりいくつになってもハレの日の食べ物ですね。そういう世代なんだと思う」とあって、おれは、いろいろ考えてしまった。

ぴょ、およ、へろ、あれっ……いくつものことが頭に浮かぶが、「そういう世代なんだと思う」ってところが、イチバン気になる。そういう世代なのか。そうかも知れない。

とにかく、高橋留美子さんは、1957年新潟市生まれ。実家は古町の病院(産婦人科?)。いまでは衰退の色濃い商店街だが、当時の古町は、東京でいえば、有楽町・銀座・・人形町・日本橋といったところだろうか。都心の、おぼっちゃま、おじょうちゃま地帯だ。おれは高校生の1960年ごろ、よく故郷の田舎町から3時間ほど列車に乗って、新潟市の親戚の家へ行って泊まり、一人で古町ブラし、映画をみたり食事をしたり遊んだりした。映画は「風と共に去りぬ」など洋画をよく見たが、なんといっても、夢も希望もない「墓にツバをかけろ」だな。音楽の「褐色のブルース」もよかった。

『大衆食堂の研究』にも書いたが、1960年代、ステーキを食べるとなると、大衆食堂で食べるひとが少なからずいたはずだ。メニューには、「ビーフステーキ」や「ビフテキ」とあった。

ザ大衆食のサイトの、北区十条の「てんしょう(天将)」(クリック地獄)では「ビーフステーキがある大衆食堂」と紹介しているし、そこにも書いたように、渋谷区笹塚の「常盤食堂」(クリック地獄)では、1960年代中ごろのままの行灯のメニューのビフテキの上に、ガムテームが貼ってある。

北九州市の『雲のうえ』5号の食堂特集では、八幡西区黒崎のエビス屋昼夜食堂のメニューに「ステーキ」を見つけ、「ズラズラズラと並ぶ壁のメニューに「ステーキ」を見つけたときは、静かに感動した。北九州出身の作家・松本清張も『紐』の中で活写している。かつて1950年代60年代、ステーキは大衆食堂の花形だった」…ウンヌンかんぬん書いた。

Suteiki_syougetu『雲のうえ』5号には、残念ながら事情があって登場しないが、やはり八幡西区の新日鉄八幡製作所の玄関口ともいうべき八幡駅から少々の「松月食堂」にも「ビフテキ」1000円があって、これを牧野伊三夫さんが注文し、一口たべさせてもらった。肉を焼いたあとの肉汁で、刻んだ野菜をいためてソースをつくってかけてあった。ソースの味に、「北九州」を感じた。

いまでは、高橋留美子さんのように「ステーキ」といえば、ビーフのステーキに決まっているが、かつては「ポークステーキ」「ポークソティー」があったゆえの「ビーフステーキ」や「ビフテキ」だったという見方もできるだろう。文句なく、最高級のハレだった。中流意識を持つ前の大衆、労働者のハレだった。

それと、おなじハレでも、高橋留美子さんの「世代」では、ハレの意味合いがちがうような気がする。「ハレとケ」というが、その気分や実態は、かなり変化しているように思う。

Kikakyusyu_syougetuま、それだけじゃなく、いろいろ気になったので、忘れないうちに、とりとめなく、書いておく。みなさんの「ステーキ体験」や「ステーキ観」も気になるところだ。「ビフテキと日本人」という本ができそうだ。

ビフテキ、ちかごろ食べてないなあ。

画像は、きょねんの7月21日、松月食堂。ビフテキには、すでにナイフが入っていたが、紙ナプキンにくるんだナイフとホークが添えられていた。気分は、ハレ。

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