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2008/06/20

不確かな感覚の存在、それとも不確かな存在の感覚。

Ninohe_tengusyouyu古墳部の旅では、土器をつくったりなどの「実習」があるのだが、「今回は縄文料理の実習が行われる予定」だと、いまや売れっ子の古墳部の料理の先生からメールがあった。だけど、売れっ子ゆえか、仕事の都合で古墳部の旅には参加できないから、おれに調理部長を…とのこと。もちろんレシピは料理の先生がつくる。どうやら、「縄文のハンバーグ(つくね)」などを予定しているらしい。おれが調理部長なら「縄文つまみ」にしてくんねえかなあと返事してやった。

どんぐりの粉をつかうというが、どんぐりの粉は話ではよく聞くがつかったことないし、どうするのだろう手に入るのかと思ってWeb検索で調べたら、韓国では常用らしく、それが日本でも手に入ることがわかった。

ガキのころドングリを生でかじって、その生っぽいエグサというか、すぐ吐き出したが、あんなものは粉にしたところでくえたものではない。もちろん縄文人もアクぬきをやっていた。

どんぐりの粉でつくった炭化した「クッキー状」のものは、あちこちの縄文遺跡で発見されていて、古墳部の旅でも実物を見たが、「縄文ハンバーグ」つまり肉をまぜたものについては、その科学的な分析法に疑いがあって、まだ確たる根拠はないといわれている。ま、でも、縄文のそれとおなじものでなくても、つくってみると、土器のばあいもそうだが、なにかしら体験的な発見はある。

いまのニンゲンのことでもわからないことが多いというのに4000年や6000年も前のニンゲンのことなんか、わかりっこねえよ。と、あきらめてしまうのは、早すぎる。4000年や6000年も前のニンゲンのことを想像することで、いまのわからねえニンゲンどもを想像する力がつくかもしれない。そもそも、わからないことがあるから、知りたいと思うし、わからないことがあってもいいのだな。

縄文人の味覚なんか、わからねえよ。だいたい、とにかく塩だって、どんな味だったか。わからねえよ。縄文人のレンアイなんて、どうだったのかねえ。もっと、わからねえよ。オレ、うめえ木の実がとれるところしってんだ、なんて、女を誘い出して、せまっちゃうのだろうか。このへんは、ステージや道具立てはちがっても、いまとあまり変わらないかもしれんな。けっ。

いまのことになるが、悩ましいのは、「甘口」「辛口」の関係だ。直接的には、醤油と砂糖の関係、そこにダシがからむと、こりゃもうややこしくて大変だ。とくに、醤油は、かなりちがう。いや、ちがっていたというべきか。

画像は、岩手県二戸で入った「金次屋」という蕎麦屋(この蕎麦屋のことは、そのうちザ大衆食に掲載の予定)にあった「テング醤油」。これはビンだけで中身はちがうかもしれない。調べたけど醸造元の、二戸の天狗山醸造がみつからない。ここで食べたラーメンは、スープが「甘口」だった。たぶん醤油そのものが、「甘口」のようにおもわれた。

となると、うるさいひとは「薄口」なのではないかといわれるかもしれないが、「甘口」だ。薄くても甘いし、濃くても甘い。そういう甘さ。

青森県の八戸でも、日本海側の鯵ヶ沢でも、いったいに料理の味付けが「甘口」だった。ときには砂糖の甘さのこともあったが、醤油が甘いのではないかと思われることもあった。それは、それぞれの土地の特徴が、まだあるということでよいと思うが。

そのことではない。このまあ醤油ってのがわからんもので、とくに飲食店などでは「業務用」をつかっている。それが、たいがいは安く仕上げるための「合成品」であることがめずらしくない。ことわっておくが、いま「合成品」という言葉をつかったが正式な呼び方ではないし、「合成品」を非難し差別しようというものではない。とにかく、いかに安い材料と工程で、遜色のない味にするか、工夫されたもので、そのへんは技術力として評価されるべきだろう。それは「第三のビール」にしてもおなじ。

モンダイは、なんだろうねえ。ここでトツジョおわるのだが、ま、ニンゲンの味覚って、かなりアヤシイってこと。そういう自分をわかっていたいってこと。だから、悩むし、悩ましいってこと。悩むこたあねえってこと。くそったれ。

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