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2008/07/26

「理解フノー」のはじまり。

一年前の7月25日の夜。岩手県釜石の呑べえ横丁の通りで、おれは「理解フノー」を叫んでいた。それが、はじまりらしい。

そのときの様子を、「酒場部会報」(2007年11月29日、集英社内/酒場部発行、著者・牧野伊三夫/鴨井岳、デザイン・横須賀拓)の、釜石呑べえ横丁「鬼灯」の項の最後に、鴨井さんが簡潔に書いている。


 店を出ると、長屋のどの店もお客さんで埋まっていた。鉄は冷えたが町は人のパワーがみなぎっていた。エンテツさんが突然若者に呼び止められてまたほえた。
「理解フノー」


ワレワレ古墳部の旅の先発組、牧野さん、鴨井さん、川原真由美さん、瀬尾幸子さん、アンドおれは、呑べえ横丁の「鬼灯(ほうずき)」で、しこたま食べて飲んだ。もちろんおれは酔ったが、まだ正体を失うほどではなかった。

呑べえ横丁は、下記のリンク先にある画像を見てもらえばわかるが、たくさんの小さな飲み屋が並ぶ長屋だ。おれたちは「鬼灯」を出て、「鬼灯」の女将に推薦された中華料理屋「新華園本店」へ向かった。おれだけなぜか少し遅れ気味に、ふらふら歩く。すると、呑べえ横丁の一軒から、2人の若い男が、肩を組んで元気よく路上にあらわれた。

彼らは、なにかさけんでいる。おれが呼びとめられたのか、おれが呼びとめたのか、そのへんは正確に覚えていない。三人で並んで肩を組むように、あるいは歩きながら輪になって、なにかをさけんだ。

そのとき、おれは頭のなかに沈殿していた何かをふりはらうように、「理解フノー、理解フノー」とさけんだのだった。「どこから来たんですか?」と問われ、「理解フノー」というかんじでも、さけんでいた。

その若者たちは、おれたちが連れて行ったのか、彼らが勝手についてきたのか、「新華園本店」にも一緒に入って、呑みかつ食べた。なんだかわけのわからんニギヤカな成り行きのなかで、おれは「理解フノー」を、さらに「ぼくらはみんな生きている」のメロディにあわせ「ぼくらはみんな理解不能」と、何度もうたっていた。

そのあと、これが気に入って、何度かくちずさみ、帰りに八戸から乗った東北新幹線を、おれはひとり盛岡で降りて、みなと別れるときも、これをうたった。

「理解フノー」だ。
「理解フノー」は一年をすぎ、いま新しい段階を迎えようとしている。
それはなんだか、いいことのような気がする。
理解フノーの女もいるのだが。

ま、やることをやってからだ。予定どおりなら、10月末にはカタチになるだろう。
そして、釜石の呑べえ横丁は「理解フノー」発祥の地になる。のだろうか。

それはそうと、釜石も、岩手の海岸線沿いの釜石から八戸も、よかった。そちらへ行く予定のひとは、地震キャンセルすることなく、行ってほしい。


関連
2007/09/06岩手県釜石 呑べえ横丁

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