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2008/07/07

糸魚川へ。思い出、ふらふら。

Kohun_kyoukouなにやら、帰ってきたら「トラブル」が待ちかまえていた。「トラブル」というほどのものではないのだが、笑ってすませておけばすむことも、キマジメに構えてしまうと「トラブル」になるのだなあ。おかげで、忙殺な渦中に。もっと、どっしりかまえて、おおらかに、いい加減に、ご気楽にいきましょうねえ。クレームや変更はアイデアの源泉。

ってことで、極楽トンボの、古墳部の旅を、少し細かに記録しておこう。

初日の2日、13時に糸魚川集合は、最短時間で行くには、大宮から上越新幹線で越後湯沢、ほくほく線経由特急はくたかで糸魚川というのがはやい。しかし、おれの故郷六日町から直江津のあいだは、大部分がトンネルで風情に欠ける。ということもあって、急ぐ旅ではないし、少し朝早くでればよいだけだから、長野経由で各駅停車を利用して行くことにした。

北浦和 7時35分~7時42分 大宮
大宮  7時52分~8時53分 長野(新幹線)
長野  9時23分~10時57分 直江津
直江津 11時57分~12時36分 糸魚川

長野から先、JRを利用するのは、30年ぶりぐらいだろう。列車は長野新潟県境にむかって登り、妙高高原を境に降る。むかし、妙高高原を起点に、妙高や火打に登ったり、スキーをした。それらの山々が車窓から見える(画像上、左が妙高、右の残雪のある山は火打)。

妙高に初めて登ったのは、高校2年の春だったと思い出す。1960年のことか。あのときのことは、なぜかよく覚えている。インターハイ登山競技の新潟県予選に、選手参加ではない翌年の正式参加に備えてのオブザーバー参加だった。

燕温泉に一泊し頂上をめざした。残雪の多い年で、たしか5月の連休ごろだったと思うが、燕温泉周辺も登山コースの沢も雪で埋まっていた。快晴だった。雪の沢を登りつめ、稜線に立つと、雪を蓄えた足元の勾配が先まで続き、そのままゆるやかになって若草色や濃い緑をのせながら、日本海に達している雄大な景色があった。その風景が強く印象に残った。まもなく、あれから50年になろうとしているのだと気づく。

新井と高田は、母方の祖父と祖母の故郷だ。祖父は、母が12歳ぐらいのときに亡くなったのだから、おれは知らないが、祖母は、おれが妙高に登った高校2年の冬に、六日町の病院で死んだ。おれは、小学校1年のときから、その祖母と一緒に住むようになって、夏休みや春休みに、たびたび新井や高田の祖父母の親戚の家ですごした。祖母が亡くなったあと、高校3年の冬、卒業して上京する前にも行き、それが最後になった。列車から見える高田の親戚があったあたりは、そのころのたたずまいのまま古びて、木造の雁木などは朽ちそうで寂しげだった。

直江津にむかって走る列車のなかで、中年の男たちが話していた。車窓から長野新幹線を北陸につなぐ北陸新幹線の工事が見える。このあたりにできる予定の新駅の名前が、決まっていないらしい。その名前について、やはり上杉謙信の居城があった「春日山」がよいとか、いっそのこと「上杉謙信」という駅名にしたらどうか、「いや、それじゃまんますぎる、春日謙信はどうか」といった会話をしていた。そのイントネーションというか、話し方が、むかしの親戚の人たちを思い出させた。このあたりは、おれの故郷の中越、あるいは北の下越とはちがい、京文化の影響を受けているという説もあるらしいが、おっとりやさしい。しかし、北陸新幹線が開通したら、この在来線はどうなるか。

直江津では1時間の待ち合わせだった。町へ出てみた。むかしの直江津は、大都会に思えたが、まるでちがっていた。簡単に食事するにも適当なところがなく、むなしく駅に引き返し、大宮で新幹線に乗ってから4本目ぐらいになる缶ビールを買って飲んだ。蒸し暑い昼。

北陸線に乗って、直江津から一つ目の谷浜駅は、海岸のすぐそばにある。その浜辺は、おれが小学1年の夏休みに、高田の親戚につれられて、生まれて初めて海水浴に訪れたところだった。そのとき仲よく遊んだ、同じ年のまたいとこの女の子の名前を思い出そうとしたが、ぼんやり表情は浮かぶのに、名前の記憶はもどらなかった。

谷浜と糸魚川のあいだを列車で通るのは初めてだ。親不知子不知とならんで有名な難所「つついし」の駅は、トンネルのなかだった。

糸魚川で改札を出ると、おれを呼びながら近づいてくる川原真由美さんがいた。去年の7月以来の再会をよろこびあう。

5分ぐらいで、大糸線の一両だけの列車が入ってきた。おととい書いたように、スソアキコさんと久家靖秀さんはいたが、牧野伊三夫さんはいなかった。久家さんが牧野さんの荷物を持っていた。そのおかしなおかしな顛末は、スソさんが「四月と十月」に書くだろう。ワレワレ4人は、しばし、再会をよろこびながら、牧野さんの「悪口」を楽しんだのだった。

駅前には、民宿「幸右衛門」のオヤジがクルマで待っていた。いったん「幸右衛門」へ行き荷物を置く。日本海のすぐそば、部屋からも日本海。オヤジは、とても身体のよく動くひとで、楽しく親切で、そして地元の言葉で半分もわからない。なので、しばらく、ワレワレのあいだで話題になった。

タクシーを利用するのだが、オヤジが駅まで送ってくれた。途中、ワレワレが遺跡や古墳を見て歩いていると知って、まわり道をして、北陸新幹線の工事現場で見つかった遺跡へ連れて行ってくれた。ちょうど、何人ものひとたちが発掘作業をしているところだった。このあたりは、遺跡だらけらしい。

駅からタクシーに乗り、長者ヶ原遺跡へむかった。

ま、とりあえず、こんなところで。

Kohun_sobaya
糸魚川は、また行きたい、また行くような気がする、まちだった。
Kohun_itoigawa_gangi

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コメント

やっぱり、あの銭湯は、そうなのですか。ちょうど写真まで撮っていたとは、奇遇です。ご実家のほうには気がつかなかったのですが。そのあたりをまがって路地に入り、海岸へ出ました。

そばについてきたのは「アサツキ」ですね。「ヘレツブ」とかいろいろな呼び方をされるようですが。ああいうそばの食べ方は初めてで、おもしろかったです。

City&Lifeのネタにするなら、「美味しいまちづくり」は終わってしまったから、「レトロなまちづくり」てなことでしょうかね。ま、とにかく、糸魚川へは、また行くような気がします。

投稿: エンテツ | 2008/07/09 04:19

加賀の井は意外とまともに飲んだことありませんでしたが、エンテツさんオススメとあらば、8月に糸魚川へ行く予定なので飲んでみたいと思います。

そうです、親戚なんです。
あのお風呂屋さんは本家らしいです。
そのまた隣が私の実家の家業でございます。
それは支店なのですが、本社が直江津にございます。

そういえば、そのお蕎麦屋さん、
自分もよくたべるのですが、地元では「ヘレツブ」と呼ばれる、にんにくの小さいやつが付いてきます。辛くて、ねぎの様な味です。
あれを食べると糸魚川でお蕎麦たべてるなぁ
と感じます。

エンテツさん、糸魚川をこれからもごひいきによろしくお願い申し上げます。
City&Lifeのネタにならないかなぁ。。。

投稿: いのけん | 2008/07/08 19:49

どーも、ごぶさたしています。
糸魚川、いいところですね。うまい食べ物があるし、飲食店の平均レベルもよさそうだし。

加賀の井にも寄ってみました。大資本参加でも残ってよかったと思います。あの建物だけでも価値あるし。

加賀の井の酒は、今回も飲みましたし、何度か飲んでいますが、よい酒です。私の野蛮好みからすると、ちょっと上品にまとまりすぎですが、よい酒にはちがいありません。

そういえば蕎麦屋の隣の温泉銭湯の「滝の湯」は、もとの古い名前が「井上浴場」とありましたが、もしかしていのけんさんと関係あり?

投稿: エンテツ | 2008/07/08 10:09

いつも楽しく拝見させていただいております。
糸魚川には祖母がいるので、よく行くのですが、
私もいいところだと思います。

蕎麦屋さんの近くの加賀の井酒造さんは、
経営者が大資本になる形で復活しております。
エンテツさん好みのお酒でしょうか??

ちなみに、この写真のお蕎麦屋さんの隣の隣が、
実家の家業を営んでいるところだったりします・・・

投稿: いのけん | 2008/07/07 20:00

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