「縄文料理」と「がんづき」。
とにかく難儀なシゴトをコツコツやっている。やりながら、きのう、木村嬢に借りた、クウネルの本『私の作る郷土料理』の「がんづき」をパラパラ見る。このあいだの岩手県一関の取材のときから「がんづき」が気になっている。なにが気になるかわからないのだが、なぜか気になる。それに、なんだかもう少しで、大事なことがピンときそうだ。
先日の「四月と十月」古墳部の旅の2日目に、「縄文料理」をつくったのだけど、そのときの画像と、『私の作る郷土料理』の「がんづき」をつくる手順の写真を見ていると、もう少しでピンときそうなのだ。でも、いま、そのことを追求しちゃいられないから、とりあえず、忘れないうちに、こうして書いておくのだな。
ワレワレがつくった「縄文料理」は、いま『おつまみ横丁』が売れにうれている、料理研究家の瀬尾幸子さんがレシピをつくってくれた。瀬尾さんは、残念ながら旅には参加できなかったので、ワレワレは勝手に瀬尾レシピを改ざんして、つくった。
簡単にいえば、瀬尾レシピは「どんぐり入り縄文つくね」と「どんぐり汁」の二つをつくるようになっていたのだが、ワレワレはそれを一つにまとめてしまったのだ。
どちらもどんぐりの粉がベースなのだけど、「つくね」は、こねた材料を木の枝にまき、火にかざして焼いて食べる。「汁」のほうはまぜた材料を、汁に一口大に落として煮て食べるというものだ。ワレワレは、どんぐりの粉と、やまいもや卵やひき肉やくるみなど材料全部を一緒に水でまぜて、汁に一口大に落として煮て食べたのだ。汁には、しめじやイノシシ肉のつもりの豚肉などを入れ、とても豪華であった。そんな豪華なものをつくって、「縄文料理」が理解できるか!といわれそうだが、それがなんだかピンとくるものがあるのだな。やはり料理というのは手先のことだから、手を動かしてやってみるのが、大事なのだ。そのピンとくるものが、「がんづき」とも関係ありそうな気がしている。
ま、きょうは、そんなところで。
がんづきとは関係ないが、この本のイラストレーションは、この縄文料理をつくっている古墳部の川原真由美さんだ。
やはり関係ないが、がんづきの次のページは「ぼたもち」で、故郷の南魚沼市の小幡薫さんが載っている。小幡という苗字のかたはけっこういるのだが、どこの小幡さんだろうか。
画像は、上から、男はかまどのしたく、女は料理の準備と自然にわかれて、けっこう夢中になっていた。おれは、ほぼ何もせず、だがやまいもをおろすのにおろし器がないという決定的なときに、そんなものはこうすりゃいいんだヨとやってみせ、おどろかせ、存在感を示した。
どんぐりの粉は、韓国ではチヂミなどに現役で活躍しているから、それを手に入れた。
途中で鍋を買おうとしたがテキトウなものが見つからず、しかも高い。スーパーで見つけた、アウトドア用のアルミで出来た、やきそば炒め用の四角い深さ5センチほどのフライパン状のものを買った。このほうが熱のまわりも早く煮立ち、煮あがりもよかった。ただし火の台が、安定していなくてはいけない。
標高1000メートル近くのキャンプ場で、こうしてきできた、縄文だんご汁を紙カップにとっては、冷たい水で冷やした地ビールを飲みながら、うがうがうめえうめえと縄文人の気分で食べたのだった。
瀬尾レシピは、たぶん次号の「四月と十月」に掲載されるでしょう。
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