新潟日報コラム「甘口辛口」の掲載紙が揃った。
新潟日報に10回連載のコラム「甘口辛口」の掲載紙が届き全部そろった。10のタイトル、掲載日と、文章の一部を転載しておく。
8月4日 「おふくろの味」の謎
リクツをいえば、「おふくろの味」という味はない。なぜそんなアイマイな表現で、もっとも自分たちの身近な食や料理を語るようになったかについても、私は興味がある。
8月5日 生活のなかの料理
豆腐はありふれた食材であるが、品質と値段はさまざまだ。何度も食べるのだから、豆腐の味によって、薬味や調味料などを作りかえ、やっこ料理を何種類つくれるかは、うまい豆腐屋や豆腐料理屋を何軒知っているかより、日々のおいしい生活には大切だと思う。
8月6日 家庭料理こそが食の原点
働いて生き、生きて働く日々の食事を輝かしいものにしてきたのは、家庭料理や郷土料理とよばれるものなのだ。
8月7日 生活と味覚
とくに戸畑区には、独特の細い蒸しめんを使用したチャンポンがある。
それは製鉄と共にあった町の生活のおいしい物語でもある。
そんな味覚が、たくさんあるはずだし、もっと見つけたい。
8月11日 広い世界と狭い知識
付き合いの長いアサツキに、こんな食べ方があるとは知らなかったし、そもそも、もりそばには刻みネギとワサビが「正しい」と思い込んでいた。
60代なかば、なおかつ身近なもので、こんな初体験があると、味覚の世界の広さと、自分の知識の狭さに、あらためて気づく。
8月12日 隣は何を食べるひとぞ
ときどき、子どものころ遊んだ近所の同年代の連中は、どんな味のものを食べていたのか考えるが、まったくわかならい。
味覚は個人に属するものだからこそ、多様でおもしろく探究のしがいがある。
8月13日 「そんなもの」が目玉に
日常の身近な食には、それなりのよさがある。どこにでもあるようなものでも、土地ならではの物語がある。その魅力を発見することだろう。
8月14日 祖父母の代は霧の中
食に「上品」「下品」をあてはめる悪癖をやめなくては、食の実態も未来も見えてこない。
8月18日 ココロの問題
なんでも他人のココロの問題にするより、自ら政策的見通しを持つことがカンジンだと思う。
8月19日 快食
庶民が、ちょっと夢の経済大国を体験したぐらいで「美食家」を気どることはないと思う。かといって、「粗食」や「清貧」に耐えることもない
ザ大衆食のサイトで、全文ご覧いただけます。…クリック地獄
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2008/08/09
新潟日報コラム「甘口辛口」。
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文章のオベンキョウをしてみるかと思うこともある。北九州から電話。
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