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2008/09/30

『ミーツ・リージョナル』11月号が届く。「ザ・めし」特集の10月号は、もう「品切」。

きのう、明日10月1日発売の『ミーツ・リージョナル』11月号が届いた。特集は「週イチでも通いたい」のサブキャッチがついた「自腹レストラン」。忙しかったので、寝る前にパラパラ見る。まいど、担当編集者の含蓄のある文が載る、編集前記が楽しみだ。今回は、半井裕子さんが書いている。かなり、大切なことだなあと思うところを突いている。いま、忙しいから、あらためて取り上げて考えるとしよう。とにかく、いつものように、ミーツならではの料理の仕方で、いまどきの街場の「レストラン」を楽しませてくれる。

08nagahama_biwakoパラパラ見ていたら、「維新派、琵琶湖畔で4年ぶりに野外劇を上演!」の見出しが目にとまる。それで、先夜の中原さん宅で話題になっていた、その話を思い出した。長浜市の琵琶湖畔に水上舞台をつくって公演するのだ。そのあたりは、すでにブログにも書いたが、先日ウロウロしてきた。きょうは、ついでにレプリカ長浜城から見た琵琶湖畔の画像を掲載しておこう。湖北方面を撮影した。10月2日開幕だから、いまごろは、この景色のあたり、どこかに舞台がつくられているのだろう。

木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」第7回は、「天王寺動物園」。いいっ、しびれるううううっ、この文章、もう、おれの好みまっしぐら。あまりおれがほめると、引くひとがいるから、これぐらいにしておこう。しかし、また一段と磨きがかかったように思う。きのう、木村さんの携帯に電話したら、妻役をやりに夫役のもとに行っていて東京ではなかった。そのときはまだ、この「ミーツ」を見てなかったから、用件だけで終わってしまった。

さらにふとんのなかでパラパラ見ていると、木村さんの前のページに、「厳しき禅道のZAZEN BOYS。」の見出し。なんだか「野狐禅」と「銀杏BOYZ」をかけたような見出しだなあと思ってみると。「ニッポン・カルチャーをこよなく愛する無骨三兄弟の日々」ってことで、「ザ・めし」特集で担当の藤本和剛編集ほか、男3人で巡礼やら座禅やらをやるもので、「野狐禅」も「銀杏BOYZ」も、 「ZAZEN BOYS」も関係ない、でもTシャツは 「ZAZEN BOYS」の、あやしい「J-BOYS」なのだ。な、なんじゃ、こりゃ。とにかく、「大衆食堂」ならぬ「大衆禅道」がある、らしい。おお、大衆の道が、ここにもあるのか。「ミーツ・スタイル」なニッポン・カルチャーの親しみ方で、なかなか楽しい。

とかね。

で、とにかくだ、「バックナンバーのご案内」のページを見たら、なんと、一か月たっていないのに、「ザ・めし」特集の10月号には、「品切」「Sold Out」マークがついている。「やったぜ!」と、また起きて、酒を呑んだ。おれは巻頭エッセイの1000字弱を書いただけだけど、「ミーツ」で、「ザ・めし」特集で、「品切」という売れ行きは、うれしい。

ということ。

だから、もう10月号はいいから(まだ書店にあるのを見つけたら、すぐさま買いですよ)、11月号を手にとってみましょう。明日発売です。

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2008/09/29

中原さん宅で「前期高齢」祝い。

0809nakahara_tera

2008/09/03「『雲のうえ』5号を送ったらエロ雑誌の返礼。介護保険被保険者証が届く。」に書いたように、今月は誕生月で65歳、ムリヤリ「前期高齢者」にさせられた。

そして、きのう、中原蒼二さん宅におよばれし、中原さんの手づくり料理で、誕生と先の短い人生を祝いかつ慰めていただいた。

0908nakahara_nisikitamagoなにしろ、「こだわりの中原さん」と言うと、嫌がるからますます言ってみたくなるのだが、「こだわりの中原さん」の手料理だ。この昔から祝い料理に欠かせない錦玉子なんざ、20年ぶりに食べたが、「あれっ、錦玉子って、こんなにうまかったかな」と思うほど、きめ細かく舌触りからまるで違う。

中原さんが、きのう28日のブログ「馬毛裏ごし器」に書いているが、「馬毛裏ごし器」で手間のかかる裏ごしをしたのだな。…クリック地獄

ビールで始め、焼酎、清酒、飲んで飲んで飲んで、「こだわりの中原さん」のマグロとイカの紅白にぎり寿司で仕上げ。

どうも、ありがとうございました。ごちそうさまでした。

0908nakahara_susi初対面のグリックスのアートディレクター、森田康史さんご夫妻がおられ、楽しくすごした。オモシロイ話があって、それをブログに書いてやろう、と思ったような記憶があるのだが、思い出せない。かなり酔った。

中原さん宅に着いたのが17時ごろ。帰りは、はて、何時だろうか。とにかく逗子からだとウチに帰り着くまで2時間かかるのだが、途中どこかの駅で森田さんご夫妻と別れ、そのあたりから完全に記憶喪失。

行きにコンビニで「『新宿でしぼりたての日本酒を飲みたい!』企画賛同のお願い」の請願署名用紙をコピーして持っていたのに、着いていきなり怒涛のごとく飲み食いするうち忘れ、持って帰ってきてしまった。

いちばん上の画像、中原宅への途中で撮影した。中原宅ではない。

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2008/09/28

見たか。『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」。絶好調とな。

これは宣伝扇動の記事です。

09meets9月8日、愛媛・西条市の藤田さんを訪ねたとき、すでにアマゾンで購入されていた。九州の人も、北海道の人も、買っている。そうそう、おれの故郷の新潟・南魚沼市は高千代酒造の稲刈りに、これを買って行ってくださった兵庫の方もいるそうだ。ありがと~、うれしいね。みなさん、この方たちの熱意に続きましょうぞ。

もっと、買って。もっと、宣伝して。毒コメが出回ろうが、リーマンがどうかしようが、毎日めしくって生きなきゃなんねえんだよ、めんどくせえなあ。めんどくせえと思ったら、思わなくたって、力強くめしをくえ、ってんだ。まだ知らないひとは、このエントリーを。
2008/09/01
防災のキホンは「めし」。『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」9月1日発売。

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瀬尾幸子さんから『おつまみ横丁 もう一軒』。

0809hon_seo_otumami瀬尾さんから、『おつまみ横丁 もう一軒』(池田書店)が届いた。ありがとう、ベストセラーおめでとう。

これは、いうまでもなく、もう40万部?をこえるベストセラーの『おつまみ横丁』の続だ。奥付では、明日29日の発行。でも、もう大きな書店には並んでいるだろう。

まだパラパラと見ただけだが、編集スタイルは前回と同様で、レシピを3ステップでまとめている。瀬尾さんの無駄のない「スピード感とリズム感のある料理」の特徴が、うまいぐあいに編集とマッチしている。それもベストセラーの一因だろう。

おれもつくっている似たようなメニューが、けっこうあって、なお楽しい。なるほど、瀬尾さんのばあいは、こうするのか、とか。たとえば、堂々と「油揚げ焼いただけ」なんて、ネーミングの勝利だね。でも、その「油揚げ焼いただけ」の、油揚げの切り方が、チトおれとはちがって、シャレていたりするのだな。ありふれたものでも、そうやって見ると、また楽しい。

チョイと忙しいので、とりあえず、こんなところで。みなさん書店で手にとってみてください。

瀬尾さんは、『四月と十月』の古墳部でも一緒だったりするから、当ブログにはよく登場しているが、瀬尾さんのおつまみ本について書いたいくつかをピックアップした。

この春、おつまみ本がブームということで『サンデー毎日』の記者にインタビューされた。そのとき、なかでも瀬尾さんの『おつまみ横丁』は15万部をこえてダントツ、これはブレイクするでしょうという記者の話で、とくに『おつまみ横丁』に関する話になった。それについては、以下の二つのエントリーに書いている。

2008/05/23
瀬尾幸子『おつまみ横丁』は絶好調。

2008/05/28
オシャベリな食の「船場吉兆」と台所に立つ「つまみ」。


昨年、『おつまみ横丁』が発売になる少し前だったと思うが、学習研究社から『簡単!旨いつまみ』を刊行している。これはグラフィックな大判のスタイルで、おつまみ本としては使い勝手がイマイチなのだが、瀬尾さんの料理の特徴が凝縮しているようにおもった。

2007/08/10作る楽しさ、食べる楽しさ、飲む楽しさ! 瀬尾幸子「簡単!旨いつまみ」


そして、「[書評]のメルマガ」に連載の「食の本つまみぐい」に紹介した。そのとき瀬尾さんの料理の持ち味を「スピード感とリズム感のある料理」と特徴づけ、タイトルにした。

[書評]のメルマガ vol.332 2007.10.15発行…クリック地獄


画像は、以前に下諏訪のすみれ嬢にいただいた、残暑見舞いのひょうたんと一緒に撮影した。もう残暑見舞いという時期ではないが、似合っている。そうそう、一昨年の夏だったかな? 古墳部の旅ですみれ嬢のところで宴会をやったとき、瀬尾さんも一緒だった。そんなご縁の、ひょうたんと本ですね。

ああ、酒は一年中うまいが、秋は秋で、酒がうまい季節だなあ。

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2008/09/27

玉城素さん、9月14日に亡くなっていた。

訃報ニュースを見逃していたらしい、知らなかった。
玉城さんには、お世話になったし、よく2人で飲んだ。何回、新宿でトコトン飲んだことか。飲んで、酔っ払った玉城さんのめんどうをみたことも、けっこうある。

シラフのときも、ヨッパライのときについても、エピソードの多い人だった。それに、朴元韓国大統領に招待されたり、じつにいろいろな顔を持っていて、ナニモノなのか、正体がわからんところもあって、それでますます「怪人物」におもわれたり、ウワサの多いひとだった。ま、ニンゲン、正体なんて、どうでもいいのだ。おれにとっては、おもしろい飲兵衛で、けっこうアブナイシゴトでも、おもしろがってのってきてくれる、いい飲兵衛だった。

何年前だったかな喉頭あたりのガンがみつかり、手術した。仕事にもどって、そのころ電話で話したのが最後だな。その後も、あいかわらず元気にやっているようだったが。

82歳。
悪いやつほど長生きするということだとしても、このトシでは、どちらなのか。
そのへんも玉城さんらしい死に時だったか。
はて、天国へ行ったのか、地獄へ行ったのか。
ご冥福をお祈りいたします。

玉城さんのことは、一度、玉城さんと出会ったころのことも、2005/11/20「「粘膜」の再発見」に書いている。…クリック地獄

それから、おれが初めてチゲ鍋を食べたときのことを2006/10/03「キムチ鍋・チゲ」に書いている。新宿西口の小さな朝鮮料理屋だったのだが「そこへ初めて連れて行ってくれたのは、パク大統領に招待されたことがある半島情報通で知られる某氏だった。それから一緒に、いつも飲んだくれては、何度も行った。そういや、思い出したついでに書いておこう、あのころ某氏とは、新宿東口の百果園の数軒先あたりにあった「麦」という、ばあさんがやっているうらぶれたバーにもよく行ったな。…」この「某氏」は玉城さんのことだ…クリック地獄

彼は、TBSブリタニカの編集長もやっていたことがあって、一時、おれの上司に着任し、おれに編集を仕込もうとしていたのだが、そんなものになる気がないおれに手を焼き、「きみは編集者やライターには向いてない」と、うれしい引導を渡してくれたひとでもある。そして、彼を取締役から解任したのは、おれだった。だけど、そのあとおれと彼は組んで「大仕事」をした。おたがい、あまり世間的な「常識」に拘らない、楽しいつきあいと仕事ができた。

玉城さんについては、まだ書いてないことが、タップリある。新宿二丁目の飲み屋での乱闘とか。おれとアナーキストとして著名な玉川信明さんを引き合わせたのも玉城さんだし。そういえば、玉川さんも、もう鬼籍のひとだな。あのころの彼らは、いまのおれより若かったのだなあ。ま、、なんでも、思想的・政治的・道徳的にしかみれない短絡頑迷な連中が多いなかでは、あまり書かないほうが無難だな。

みんな死んでいく。めしくってセックスして、そのあいだに、そのために、いろいろなことをやって、いいことも悪いこともやって、んで、死ぬのだ。ごくろうさん。

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「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」そして「おかん文化人」など。

Kitakyu_3_takadasake2北九州の「市民プロデューサー講座」9月6日土曜日は、「街じゅうアートin北九州2008」が始まる日で、いつもなら講座に参加する大勢が、そちらのオープニングセレモニーに関係していた。そのなかのお一人、大野浩介さんだが、途中たしか高田酒店で角打ちをしているころに駆けつけた。そして、おれの手に「床漬」を渡すと、また忙しく街じゅうアートのほうへ去った。

その床漬は、大野さんチに100年伝わる糠床で、キャベツ4分の1カットを漬けたものだった。

「床漬」とは「糠漬」のことだが、北九州では独特の文化を形成している。そのことを『雲のうえ』5号「はたらく食堂」に書いた。若松区の駅前食堂で、120年続く糠床の床漬に感動したからだが、それをおぼていて、持ってきてくださったらしい。とにかく、うれしかった。

Kitakyu_4_nukaduke持って帰って、そっと、おれだけで食べたいものだったが、そうはいかない。糠から出したら日持ちはしないから、はやくうまいうちに食べなくてはいけない。というわけで、そのあとすぐ、打上げで行った小倉の居酒屋で切ってもらい、みなで食べた。そのうまさ。みなは、おれが土産にもらったものだということなんか関係ないように、うまいうまいと競って食べる。たちまち鉢の底が見えてくる。おれも負けないように食べていたら、写真を撮るのも忘れ、このアリサマになって、あわてて撮影したのだった。

床漬は、北九州の文化だ。つまり「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」と呼んでいよい人たちがいるはずなのだ。全国的「糠漬」にしても、そうだろう。

だけど、「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」といったことは、これまでの文化だの芸術だのからは、いちばん遠いところにおかれた。

そして、文化だの芸術だのは「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」ことを軽蔑し、「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」ことは、文化だの芸術だのとみなされなかった。糠みそくさくない、生活くさくない、書斎やアトリエや街や自然から、文化や芸術は生まれるのであると。
そして、ともすると「糠みそクサイ」イコール「生活クサイ」連中は、ダサイ「愚民」あつかいされた。
そして、糠みそに手を突っ込んだこともない、文を書いたり絵を描いたりのたぐいをやる連中が、えらそうにしていた。
そして、食や生活を、あるいは街や自然を、趣味や道楽の対象としてしかみないのが、文化や芸術であるかのような風潮も蔓延している。
そして、いまでも、料理を「芸術」だなんていうのは、そういうことに関係があるだろう。
そして、糠みそくさくないイコール生活くさくないものが、「おしゃれ」だの「かわいい」だのということになる。

でもね、そういうものは力強くは生きられない。「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」を含む「おかん文化人」のたくましさが、実際は、これまでも文化や芸術、それに関わる人たちを生み育ててきた。北九州の百年床を食べ考えると、そのことをしみじみおもう。「街じゅうアートin北九州2008」なんてことができる北九州の底力も、この力強い「おかん文化」と関係あるのかもしれない。

ところで、そういう床漬を食べて活躍の、大野さんの名刺の会社名は「株式会社 鎚絵」である。なんとまあ、ユニークな。ちょっと、このサイトの表現では、なにをどうする仕事なのかわかりにくいのだけど、ごらんください。
http://www.tsuchie.jp/
ようするに「鎚」というのは、鍛冶屋の鎚のことで、鍛冶技術を造形技術として、いろいろな分野に展開していこうということなのではないかと思われる。

とにかく、遅くなったけど、大野さん、おいしい床漬、ありがとうございました。大半は、北九州の方が、おいしいといって食べてくださいました。

高田酒店のおばんも「おかん文化人」だった。

Kitakyu_3_takadasake

「これは、糠漬くさいところがよいですね、最高の作品です」とか「すごく生活くさい文化ですね、すばらしい」といった褒め言葉が、もっと通用するようになるとよいのに。

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2008/09/26

悪魔に酒はアタリマエかもしれないが「愛」や「夢」や「おもちゃ」もいる。

きょうは、ひさしぶりに「大悪魔作戦」の日だった。2008/02/29「うたは大事。うたのオベンキョウ」に書いたが、「作戦」とはいえ「プラン」によるものではなく、「関係性」だけのもので、もちろんそこからなにかプランが生まれるかもしれないが、キホンは儲かるかどうか損得ぬきの「関係性」つまり「愛」や「夢」だから、お互いの目先のカネ稼ぎスケジュール優先で細々と続いているわけだな。

ってことで、きょうは朝から日中、新宿にいた。朝の9時半ごろに飲んだ生ビール、うまかった。ついでに忙しくてなかなか会えないタケカメ嬢から、請願用の署名集めを頼まれ用紙をもらう。これがなかなかおもしろいチャレンジで、その署名のタイトルは「『新宿でしぼりたての日本酒を飲みたい!』企画賛同のお願い」というやつだ。

ご存知のように東京にも蔵元はあるが、都心にはない。だけど「蔵元で飲むつくりたての日本酒はおいしい」のだ。そこで「「蔵元自体が消費マーケットである都会に出てくる」という方法があるのではないか」ということなのだ。

「醸し人・村上滋隆は、国酒である日本酒を新宿でていねいに醸造し、しぼりたてをフレッシュなまま飲むことができるようにしたい…… というロマンを持っています。
 趣旨に賛同していただければ幸いです。」

都会のビルのなかで酒を醸造することは、近年どこだったか忘れたがすでにやっている。アボットチョイスのオーナーである柿添さんが以前に、ご自分のブログ(KQZ on authentic)にそのことについて書いておられたと記憶しているが、今回のこの件についても最近、あまり詳しくないが、書かれている。そのあたりが「震源地」らしい。アボットチョイスは毛唐の酒や食べ物を提供しているが、柿添さんは、かなり日本酒(清酒)好きで造詣も深い。

ネットで検索すると村上滋隆さんは、神楽坂に開設を考えておられるようだ。それ以上のことはおれは知らない。とにかく、なかなかおもしろい「愛」と「夢」のある企画なので、署名を集めるのを引き受けて用紙をもらった。これは請願署名で、蔵元開設に請願が必要とは知らなかった。

タケカメ嬢とはほかに「デトロイト・メタル・シティ」のこと。なかなかおもしろかった。「愛」「夢」というとかわいい系に流れやすいし、そちらに憧れやすいが、悪魔系ヘビメタだって「愛」や「夢」に支えられている。「ノー・ミュージック、ノー・ドリーム」。好みはそれぞれだろうが、どんな系統でも、音楽は、すばらしい、ってこってすね。

ところで「大悪魔作戦」のほうは、関係者だけ知っておけばよいことだが、イチオウ書いておく。前回の、新宿下層労働者キモ男がいる近くの焼肉屋だったのだが、そういえば、キモ男は田舎に帰ってしまったのだ。田舎の清らかな水ときれいな空気があわなくて、また戻ってくるのじゃないかなあと思っているのだが、ま、そのことはいいや。今回の「大悪魔作戦」は、なんでか、とくに「おもちゃの研究」になってしまった。

おもちゃというと、おれは日常的には、ほとんど縁がない。もちろん大人には「おとなのおもちゃ」ってのがあるのだが、それだって縁がなかった。ちなみに、きょうの「おもちゃの研究」では、「おとなのおもちゃ」というのは、正しくは(なにが「正しくは」か知らないが)「ジョーク玩具」というのだそうだ。べんきょうになった、知らないことは、まだまだ多い。「大悪魔作戦」、細々だが、回を重ねるにしたがい、広がりと深みと味わいのある「関係性」が築かれていくようだ。来年あたりは、ここから何かプランが生まれるか。生まれると、いいなあ。「ジョーク玩具」も、おもしろくなったりして。そうだ、紀伊国屋書店にならぶような、「ジョーク玩具」の本をつくるってのは、どうだろうか。ぐふふふふ。

きのうやり残した仕事もあって、15時過ぎにはおわり、まっすぐ帰ってきた。あれこれ片付けていたら、めしもくわずに、まもなく23時だ。

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2008/09/25

滋賀県長浜の「まちづくり」を「観光」したこと。中島屋食堂。

Nagahama_hokkoku前に書いたが、北九州の9月6日の「市民プロデューサー講座」に行く途中、4日に滋賀県長浜に寄った。なにやら「まちづくり」関係者のあいだで話題になっているから、ついでに見ておこうというわけだ。

いま「開発途上」の様子で、なかなか面白かった。そのことを書こうと思いながら、ああ、日にちはすぎて、もう9月も終わり。と、今日も、なにやら、まもなく22時過ぎなのだけど、今日中のことが片づいていない。ま、でもマジメに酒も飲まずで見通しもついたから、チョイとブログでも。

とにかく、画像を掲載しておこう。

大雑把に見た感じだと、建造物を中心にした「まちづくり」は、こんなアンバイだ。

レンガ風デザインを取り入れた「近代レトロ風」に建て替えられた駅周辺。駅の西側は琵琶湖に長浜城と竹生島など、ま、昔からの型の観光地だ。

Nagahama_02daitsujiいま話題の「まぢづくり」は、駅東側の、東に向かう駅前通りの北側の地域。駅前通りと交差し、北へのびる北国街道(最初の画像)、その東側に並行する長浜御坊表参道通り(二番目の画像)が囲む地域が中心だ。

駅前通りと平行して北側には、大手門通りというアーケード商店街がある。これが北国街道と長浜御坊表参道通りを結んでいるのだけど、そこが商業地の中心だったところらしい。そして、いま観光地の中心にかわりつつあるといったアンバイなのだな。

Nagahama_03ramenけっこう広い範囲に古い建物があるのだが、それを生かした「まちづくり」で、大手門通りと北国街道が交差するあたりは、「黒壁スクエア」と命名され、テーマパーク化が進んでいる。

三番目の画像の長浜ラーメンは、その一角にあって、古い建物が整備され「ロマネスク五号館」と名づけられ、貸し出されている。このあたりは、こういう建物が多い。また、建物の概観は小樽や門司とちがうが、ガラス館やオルゴール館といったような、比較的新しいテーマパーク的な観光まちづくりが標準的に装備するような「定番アイテム」が揃っている。「まちづくり」イコール「不動産の活性化」ということだろう。

Nagahama_04yokotyoが、しかし、まだ、フツウの商店や住居として機能している古い建物が大半を占め、その暮らしの落ち着きに味がある。長浜御坊表参道通りは、東京でいえば、柴又帝釈天前の通りに例えられそうだが、それより規模が大きい。そして、通りは柴又帝釈天前の通りほどは観光ムンムンではなく、むかしながらの時計屋や「田宮」の看板のある模型屋や、仕立て屋などがあって、模型屋では通りの「和」の雰囲気とはちがう「洋」の懐メロの音を鳴らしていた。一歩路地を入れば、朝顔のつるをはわした格子戸のある家など静かなたたずまいや、傘や、箒や、帽子などの店もあるのだった。

おっと、このへんで。

Nagaham_06nakajimaおれが入ったのは、この中島屋食堂だった。ここは、駅前通りにあって、しかも「まちづくり」が活発な北側ではなく、むかしのやや寂れた商店街がしのばれる南側なのだ。家屋にしても北側ほどの「風格」はないが、窓枠にいたるまで古い木造には、気どらない働く庶民の生活が磨きあげたような、あたたかい輝きがあった。いや実際、その窓枠には、ためいきをついた。めしの味わいも、そのようなものだった。

この食堂のことは、いずれ、ザ大衆食のサイトに掲載する、つもりだ。いい食堂だった。

画像は、人が少ないけど、避けて撮影しているだけで、平日にもかかわらず、観光バスが乗り付けたり、お決まりガハハおばちゃんグループ、若いグループや、1人ブラブラなど、けっこう多彩な観光客がいた。

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素顔のままに。酒は愛か涙かトックリか。

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2008/09/20
「東京・八重洲でアヤシイ社長たち。泥酔。」
の続き。

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2008/09/23

「めし」への思い。「ザ・めし」の人びと。

おまえは今回の「事故米」「汚染米」騒動について、ブログに書かないのかといわれた。書かない。もうウンザリだ。あんたたち「頭のよい人たち」の稼ぎ場にしたまえ。

食料自給率モンダイ、この前のギョーザ騒動、その前のBSE、あれこれ書いた。でも「頭のよい人たち」にはかなわない。それに、みんな「頭のよい人たち」にしか耳を傾けない。おれなんか、ただの下層の便利屋自由文筆労働者、フリーライターだもんね。

書けば繰り返しになるだけだ。食を「栄養」と「グルメ」に矮小化したすえに「食育」。そうだ、ザ大衆食「食育基本法と食育問題のおべんきょう 食育ナンダロアヤシゲ」…クリック地獄から、カンジンなところだけ抜粋しておこう。

…………………………………………

そもそも関係者が「食の乱れ」と騒ぎ立てる問題は、食育の欠落が原因なのか。安全性にせよ、自給率の低下にせよ、食事や料理にゆとりのない生活にせよ、ほとんどは政府と与党の政策によるものである。個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか。
  ああ、書いてしまった。これじゃ、食育ネタで声がかからなくなる、稼げなくなる。
  しかし、そうなのだ。国益優先で生活後回し政策を重ねた結果を、消費者のダラクといい、消費者の精神や知能の問題にすりかえたところに、いまの「食育」があるのだ。

けっきょく過去と同じレベルの蒸し返しなのだなあ、と思う。私が、食に特別な関わりを持つようになったのは、一九七一年秋のことだ。ある企画会社に就職し、大手食品メーカーのマーケティングの下請け仕事をやるようになった。そのころすでに問題だったテーマや議論のレベルから一歩も踏み出していない。まったく進歩がない。あいかわらずピントはずれである。

そして消費者は、働くため生きるため、現実的な食を選択するだけである。ダラクといわれようと。「食育」では安全性や自給率の解決にならない。「食育」をまっとうにやるつもりなら、生産者の独善をやめ、消費者の生存の権利として位置づけ深めるべきである。

…………………………………………こんなところか。

なかでも「そもそも関係者が「食の乱れ」と騒ぎ立てる問題は、食育の欠落が原因なのか。安全性にせよ、自給率の低下にせよ、食事や料理にゆとりのない生活にせよ、ほとんどは政府と与党の政策によるものである。個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか」ってところと「「食育」をまっとうにやるつもりなら、生産者の独善をやめ、消費者の生存の権利として位置づけ深めるべきである」ってことだろうな。

今回のモンダイについていえば、なんでも消費者のダラクの責任にして、「食育」の御旗を掲げ、「個別の政策で解決を図るべきこと」をやってこなかった、「消費者の生存の権利」を追求してこなかった、その「食育」の旗振り大明神の「栄養士利権」が仕切るらしい「学校給食」に、「事故米」「汚染米」が使用されていたというのは、皮肉というしかない。

もしかして「栄養ボケ」や「グルメぼけ」が「事故米」「汚染米」そして農水省を許してきた、といってみたくなる。

とにかく、今回のジケンは、かなり不可解のことが多い。実被害者が出たギョーザ騒動は、解決のメドもたっていないし、誰も責任はとっていない。そして、今回は、実被害者は出ていないが、なんやら「マスコミ主導」の大騒動。いつもなら「原因究明と解決こそが私の責任」などと開き直るはずの大臣もさっさと辞め(更迭?)、あとは例によって、「頭のよい人たち」やマスコミの独断場ですね。かくてまた「想像的事実」がはびこる。

そんなことなんだけど、しかし、フツウのひとはマットウに『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし」特集を楽しんでいることを考えると、食の未来は、そんなに暗くはないとおもう。ようするに「フツウのめしくう生活」の基本を見失わないことがカンジンなのであり、そういうひとたちは、ちゃんといるのである。と、話を、ここにつなぐのだな。

ブログから、いくつか反応をひろった。ていねいに全部を検索してないから、ほかにもあるだろうけど、ここに見られるのは、「究極のめし」といったグルメのことではなく、日々の「うまいめしをかきこむ喜び」を楽しみにしているひとがいるということだ。

グルメもいいだろう、コンビニ弁当もいいだろう、あやしい学校給食もあるだろう、だけど、スタンダードな「在り方」は「ザ・めし」特集に、うまくまとまっているようである。というふうに見られるのではないかな。「うまいめしをかきこむ喜び」があるフツウの生活を大切にしよう。

気どるな!力強くめしをくえ! ということですね。


「それでも明日はくる」9月18日「見て楽しむ読んで楽しむ食わねども」
http://makoto55.jugem.cc/?eid=1372
面白かったのが「めし喰らい大研究」

「おしゃれ日記」9月14日「ごはん」
http://blog.livedoor.jp/akiradoor/archives/2008-09.html#20080914
ご飯はうまい!

「リリィの羽」9月8日「Meets Regional という才能。」
http://ameblo.jp/nighthare/entry-10136999191.html
ちなみに『ザ・めし』のサブタイトルとして「忘れるな、うまいめしをかきこむ喜びを。」とあります。
ああもう、なんか素敵だ。

「株式会社カナヤマ」9月5日「めしカッ食らう秋の始まり」
http://t-kanayama.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_3243.html
み〜んなうまそうなんだけど、関西の店だから食いに行けんのよね。札幌にもこんな「街の雑誌」ができんもんかねえ〜。

「なんかぼやいてます」9月2日「食い気に執念深い女」
http://ameblo.jp/nekotorayan/entry-10134698626.html
もう表紙買いしました。

「アロマセラピーサロンNap timeブログ~take a nap~」9月1日「Meets」
http://ameblo.jp/naptime-blog/entry-10134076812.html
ご飯だらけなのでご飯好きの人はぜひ!

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2008/09/22

よーするに「下々が「それぞれ自分の生活をデザインする」こと」だな。

ブログというのは、やりにくいことがある。きのうの続きを書こうと思っていて、なんとなく中原蒼二さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」を見たら、「2008.09.22 Monday 秋雨、降り続く…」に、おれが書きたいとおもっていたような結論が書いてあるのだ。やれやれ。…クリック地獄

2008.09.22 Monday 秋雨、降り続く…

 『神田神保町とヘイ・オン・ワイ―古書とまちづくりの比較社会学』を読む。
 「本によるまちづくり」は可能か否か、という助平ごころがあるのです。
 ただし、おれはこの頃「まちづくり」とか「まちおこし」という言葉が最初に出てくると、そ
 れだけで、あぁーまたかという気分になってしまう。
 お上が主導する「都市計画」が惨憺たる有様なのだから、下々が「それぞれ自分の生
 活をデザインする」ことを繋ぎ、集積して、それがコミュニティになり、町になるといった
 ありかたを、試行錯誤してみてもいいのではないか、この頃、おれは本気でそう思って
 いる。


よーするに、そういうことなのだな。そもそも「まち」は「つくる」ものじゃなくて「在る」ものなのだ。ま、つまり、もし「つくる」ことがあるとしたら、ファンキーにやれる自由、つながる自由をどれだけつくれるかであって、なにやら「芸術」だの「文化」だのに関わる人たちの美学だか価値観だか知らないが、そういうもので場所や街頭を演出することじゃないとおもうわけだ。もちろん、それはあってもよいのだけど、それが「まちづくり」なんてのはオカシイとおもう。まちは、そこに生まれたくなかったひとや、そこでそんな暮らしをしたくなかったひとも含め、「在る」ものではないか。

とくに、「芸術」や「文化」のひとたちというのは、「演出」についてはプロだから、「演出」をこえて「干渉」のようであり、うっとうしい。もっと、それぞれが自分の生活をデザインする延長に「場所」が位置づく関係をつみあげることだとおもうし、そこに芸術なり文化なりが役立つ方向があるようにおもうのだが、それだと、コンニチの「芸術」や「文化」や「伝統」の「まちづくり」にならんわけだな。

散歩ですら「試行錯誤」を避け、ガイドブック片手に「効率よく」行われようとするイジョーな時代だ。自分の「趣味」ではなく、自分の「生活」をデザインする力が基礎にならなくては、積み木崩しみたいな「まちづくり」が続くだろうとおもう。

ついでに。「神田神保町」は、「本屋」「本商売」が多いまちだったかもしれないが、「本のまち」ではなかったとおもう。「大学」あるいは「学術」のまちだったのであり、それの付属あるいは寄生として「本屋」「本商売」が生きてこられた。だから、都心から大学が去るにしたがい衰退した。本が根付いた生活があるまちではなかった。本が根付いた生活を提案する力を持ったまちでもなかった。それはまた、生活ではなく、「大学」あるいは「学術」といったものを中心になりたっていた出版文化と密接だった。一部の人たちから揶揄をこめらていわれることがあった「朝日・岩波文化」なるものとも無関係ではなかったような気もする。おれは、そうおもっている。

詳しくは知らないが、その意味では、都心を離れ高遠の地に「本の家」を始めたのは、とてもファンクでおもしろいとおもう。

一人ひとりがファンキーにやることなのだ。そして、つながることなのだ。

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2008/09/21

「負の遺産」とかいうが、それは「正の遺産」と一体なのだ。

右のコメント欄に藤本男さんが書いていて、メールもいただいているが、おかげさまで『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」は絶好調とのことだ。「飲みにいって快哉をあげたい」ほどらしい。おれも飲みたいよ~。大阪まで飲みに行くか。でも、まだまだ、もっともっと、多くのひとに読んでほしい「ザ・めし」なのだ。

09kitakyu_kokuraekiところで、最初の画像は北九州市の小倉駅だ。頭上のレールはモノレールだが、この位置の左手、つまり小倉駅を背にして、すぐ右手は、いわゆる歓楽街あるいはピンクゾーンといわれるところだ。それも、歌舞伎町のように何階建てものビルが並ぶところではなく、低い、それこそ昭和30年代風の小さな営業店が多い。まさに昭和の歓楽街といったほうがよいだろう。

09kitakyu_kokura_nomiyoko二番目の画像が、最初の画像を撮影しているデッキの左手下、駅前大通りに面してある、その一角への一つの入り口だ。いかがわしさムンムンの雑居ビル、「大丸ビル名店街」の看板。なるほどな~、世間には、いろいろな名店があるのさ。

この1階の通路は立ち飲みが多い。撮影したのは14時ごろだけど、もちろん、飲んでいるひとがいる。たいがいは、そんなに安くはない。そんなに安くはないが、こういうところでないと落ち着いて飲めない、こういうところのほうが落ち着いて飲めるというひともいる。

入り口の中央に、「小倉駅西地区再開発準備組合事務所」という看板がある。そういうことらしい。

三番目の画像は、二番目の画像の通路をぬけて、反対側から撮影した。右手前、見よ「名画座」ここにあり。成人映画専門館であるが、ヤマザキ監督が得意とする?バラ族専門館でもある。テレビやビデオの時代に、劇場映画を愛してきたのは誰か。その先にストリップ劇場。ナマの舞台を愛してきたのは誰か。その先に「大丸ビル名店街」の裏側が見えている。ここならではの名店街であるには、ちがいない。ま、こんなアンバイの一角なのだ。

09kitakyu_kokura_pinku2_2いま、「まちづくり」「再開発」というと、こういう景色は「負の遺産」として始末されるのが前提になっている。

そのことに異論を唱えるつもりはない。では、そのときの「正の遺産」とは、なんなのだということを問いたいのだ。この北九州のことではなくて、ちかごろ気になる傾向として、こういう、「一般的」に印象がよくないことにおいてわかりやすい景色を「負の遺産」として排除することで、あたかも自分たちの「芸術」や「文化」や「伝統」などの「まちづくり」が「正の遺産」を継承しているかのような主張をモンダイにしたいのだな。

おっと忙しい。続きは、あとで。

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2008/09/20

東京・八重洲でアヤシイ社長たち。泥酔。

0919yaesu_rojiああ、雨の八重洲裏通り。

きのうは会社プレイの日だ。台風接近中、荒れ模様が似合う連中だからいいだろう。今後の動静を握るといわれているフィクサー、某社の社長らと飲むのだ。ヤクザな連中のはずなのに、ネクタイ、上着着用だという。政治家もそうだが、悪いやつらほど、かっこうつけたがる。10数年ぶりに夏用スーツを着ようとしたら、体重は変らないのに腹が出てパンツのファスナーが閉まらない。たくましかった胸毛が10センチほどある厚い胸板や盛り上がっていた肩の筋肉が落ちて腹にたまりやがった。いつものチノパンに、白ワイシャツにネクタイ、上着で出かける。

東京は八重洲の飲み屋、17時半の待ち合わせ。今夜の風雲をつげるような、アヤシイ黒い雲が空を覆っていたが、まだ雨は降っていなかった。

0919yaesu_hukube_1飲み屋のおやじにまで「社長」とよばれる男、坊主頭で見るからにアヤシイ。色白の腰ぎんちゃくのような男も、やや長めではあるが、これも坊主頭。ダークの、高そうなスーツを着ている。悪いことをしているのだろう。社長の命令とあらば、ケツの穴まで差し出しそうだし、なんでもやりそうな男だ。ナントカという兵法学者のファンだそうで、戦略室長なんていうエラソウな肩書。

ちょうど、出張所から支社に格上げになったばかりというハワイ支社長という男もいて、この男だけはアロハシャツを着ている。売人のような感じであり、実態はそうなのかもしれない。スラリとしたピンクのシャツを着た30ぐらいの女は、旅行旅館部門の部長とのことだ。東南アジア系の顔で清純そうだが、ものおじしないかなりふてぶてしい態度で食べまくる。まっとうな旅行旅館ではなく密入国や出国あるいはウラ金融などをあつかっているのではないかとおもわれる。いずれも油断ならない。

遅れて、某役所に出向中という係長が来た。みるからに小役人の風情だが、こういうやつにかぎって弱そうなマジメなふりして、アクドイことを平気でやる。いったい、この会社が役所に出向させるなんて、どういう癒着関係なのか、じつにアヤシイ。最後に、社長秘書という女があらわれた。これまた、いかにも、社長のためなら、相手が見たくないといっても服を脱ぎそうな女で、仕事はできそうだが敵にまわすとこわそうな女、アヤシイ。社長を影であやつるサドマゾ女のようにおもえる。

マグロのヒレの付け根の肉の蒸し焼き。刺し盛りなど、めずらしく豪華な肴。おれは生ビール二杯のち、ボトルでとった焼酎。取り引きの話は順調にすすみ、トウゼン飲み代は社長が払うものとおもっていたのに、割り勘! そんなのありか。

にもかかわらず、もう1軒というので、もう1軒。八重洲あたりのビジネスなファッションの若い男女で混雑のモンテローザ系。やつらはこういうところで飲んでいるのか。サブマネージャーみたいな店員の態度が悪くむかつき喧嘩になりそうだったが、社長たちがいたので、ちょっとクレームつけただけで、こらえる。

0919yaesu_hukube_4まだまだ、もう1軒、「ふくべ」。一年前ぐらいに牧野さんと入って以来だ。この時間帯のほうが空いているのかもしれない。閉店まで。かなり雨足が強くなっていたが、酔いも深い。東京駅で、アヤシイ社長らはまだどこかへ行くという。社長秘書が一緒だから、カラオケで乱交でもやるのだろう。あの男たちは、みな社長秘書に頭があがらなさそうだった。旅行旅館部門の部長女は従わず、おれと改札をとおる。もしかしておれとホテルへでも行く気かと期待したがさにあらず、部長女はおれとは別の電車に乗るため別れる。そのあたりで記憶喪失帰宅。

取り引きの証拠を残すため、ふくべで社長と社長秘書を撮影したら、いい雰囲気なので、おそるおそるブログに画像を載せてもよいか訊ねるとよいという返事だった。うーむ、よくできている。まるで舞台で芝居をしているみたいだ。アヤシイ。社長はなかなかの役者だ。楽しかった。八重洲あたりじゃ、これがフツウだろうが、ひさしぶりにネクタイで酒を飲んだ。悪くない。

0919yaesu_hukube_3

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2008/09/19

北九州・小倉、深夜の屋台、丸和前ラーメンのにぎわい。

09kitakyu_maruwamaeすでに書いたように9月6日の土曜日は北九州市で市民プロデューサー講座「エンテツと街を歩こう」だった。前夜、正体を失うほど飲んだが、なんらモンダイはなく、内容的に無事だったかどうかはともかく、無事に歩きまわり、4時半ごろには鉄なべでぎょうざとビールをやり、そのあと角打ち二軒はしごし、そのまま小倉の居酒屋で宴会的講座に入った。

25時過ぎ、つまり7日の午前1時過ぎまで飲み、宿泊していたホテルの近くだったから中原さんと歩いてホテルまでもどり、そこでおれは部屋に入らず、1人で人影のなくなった旦過市場をぬけ、丸和前ラーメンを食べに行った。

画像の撮影時間では、午前1時半ごろだ。土曜の夜とはいえ、なんというにぎわい。

テーブル席は一杯で、テキトウに丸いすに座ってラーメンを頼むと、手の上に折りたたんだタオルをのせてくれる。できあがったラーメンは、その上にのせられる。酒のあとに、そうやってすするラーメンがうめえんだな。

この時間、小倉のほかの地域を歩いたことがないのでわからないが、ここがイチバンにぎやかなのではないか。丸和前ラーメンも、たしか4時まで営業のはずだ。

「丸和前」というのは、この画像を撮影している背中あたり、そこは旦過市場の小倉駅に近いほうの入り口になるのだけど、その角に「丸和」という24時間営業のスーパーがあるからだ。

こんな時間にここがにぎわう、小倉の地理的環境は、なかなかおもしろいものがあるようにおもった。「まちづくり」ということも、こういうところから考えるとおもしろい。そのことは、そのうちボチボチ書いていこう。

と、忘れないうちに書いておく。

北九州でも、小倉には小倉の、戸畑には戸畑の、若松には若松の…在り方があり、それはまた、トウゼン愛媛の西条の在り方ともちがう。そんなことは、こうして書けばアタリメエだろというものだが、「まちづくり」だの「都市計画」だの「都市再開発」だのってことになると、そういうちがう在り方が無視され、どこでも似たようなことをやるのだから、いとオカシイ。

それは、味覚は一人ひとりのものといいながら、一律におなじものさしで評価したり管理したりするごとし。

しかし、この丸和前ラーメンのラーメンは、飲んだあとにはピッタリだね。

丸和前ラーメンは、『雲のうえ』5号でも取材したし、以前にも書いている。
2007/09/08「もっと屋台、もっと屋台的に」

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2008/09/18

藤田家族の有機菜園だより。

さらにまた、きのうの続き。

09hujita_tusin2

藤田さんのブログにも載っているが、藤田家族では「藤田家族の有機菜園だより」というのを発行している。手書き、手づくりだ。おれが頂戴してきたのは、2008年8月~9月 vol.23。

トップ記事の見出しは「記録的な少雨の夏に畑は乾燥極まる」。画像で読めるだろう、本文には「茄子、ピーマン、オクラなども大きくならず、畑によっては樹そのものが枯死するものも出ています。水やりには限度があり、出荷も野菜セットに注力してなんとか量を確保しています。ま、いつかは降ってくれるでしょうが、それまで我慢比べ!?」

おれも畑で枯れた樹をみてきた。月刊経済誌『グローバルヴィジョン』10月号に藤田さんの寄稿がある。そのコピーも頂戴してきたのだが、「農のある暮らし」で「自然とたたかう」という見出し。

朝4時台に家を出て田畑の仕事、もどってきて野菜セットづくり、また田畑にもどり「日没後の暗闘での水やりを終え帰宅すると8時近い。子どもたちもバレーボールの練習で同じ頃に戻り、家族みんなで遅めの晩ごはん」といった感じで、日記風に暮らしぶりを綴っている。

そこにも少雨のことが書いてある。「午前中、野菜セットづくり。ほんの2~3週間前までは出荷し切れないほどたくさんの実をつけた茄子やトマト類が、急に勢いを失い、セットの数が多い今日は胃が痛くなりそうな分配の作業」「畑の野菜にとっても試練である」「うちの菜園では基本的に畑の水やりはしない。昨年も一昨年も暑い夏ではあったが、台風も近づき、それなりの雨量があった。研修先でも灌水は皆無に近かったのだが、今年のような乾いた夏が繰り返されるようだと厳しい」「「夏には夏野菜を」とたっぷり作付けたはずが、乾燥で品薄となり心苦しい。しかも暑さで傷まないよう冷蔵の宅配便で送るのだから、「自然にさからわず」「省エネで」という有機農業も、わかってはいるけど、自然とたたかう面が大きいことを痛感する」

なかなか発芽しないニンジンに水をやった。「しかし、逆に水を得て次々と芽を出す草を見ると、連日の骨折りが徒労に終わらないかと心配になる」

そんななかで、手書きでつくられる、「藤田家族の有機菜園だより」だ。

「秋冬野菜'08-'09気持ちだけオーナー 大募集」の記事。「ある野菜の生育のようすを気にかけてくださるだけの気持ちだけオーナー。援農不要、会費不要、名のりを上げるだけでOKです。野菜セットのお客様か、一度だけでも畑を見に来て下さる方が対象。初収穫時に1パック無料贈呈します。大根、人参、キャベツ、レタス、白菜など多種あり。詳しくはお問い合わせください」とある。近くに住んでいたら、気持ちだけオーナーも援農もやりたいところだ。

裏面には、ブログにも載る「畑のめぐみをそのままに 藤田家族の食卓から」や、「稲刈り援農募集!お子さん連れもどうぞ!!」などの記事。

西条市は、二毛作ができる温暖な気候で、たいがいのものはなんでも作れるのだそうだ。だけど、なんでもできるということは、なにか特徴のあるものが打ち出しにくい。そういう悩みは、この春の食とまちづくりの取材でも、ほかの地域で聞いた。いま情報社会では、なにか柱になる一本を持たないと、やりにくいという面があるのだな。

それは、個別の農家にとっても、同じことがいえるようだ。藤田家族も近隣消費の野菜セットが基本ではあるけど、就農から3年すぎて、なにかあるていどまとめて出荷ができる特徴あるものを待ちたいと藤田さんはいっていた。経営の安定のためにも、そうなのだろう。

当面まあまあ成り立つのだが、先を考えるとこれだけではイケナイという、似たようなモンダイは、あり方はちがっても、たいがいのところにある。存在のための、なかなか難しいモンダイなのだな。

西条市あたりは、藤田家族のような家族経営や、兼業経営の、少量多品種生産が、アンガイあっているのかもしれないし、これからはとくに、土地と歴史によって、かなりやり方が異なってくるだろうし、ちがわなくてはいけないような気がするのだが…。兼業も、あり方がさまざまで、地域内の企業に従事するのが一般的だったし、自営的なものでは観光農園みたいなのはよくあるけど、近頃は飲食店やケーキ屋や豆腐屋など自衛的ともいえる自営的兼業というか…。

まずは、西条市や周辺にお知り合いがいたら、藤田家族のことを教えてあげてください。
そうそう、西条市には、藤田さんのような新規就農の方が、40数世帯ほど?いるような話だったとおもう。

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2008/09/17

百姓になって3年、毎日出荷の休日なし愛媛・西条市「有機菜園 藤田家族」。

きのうの続き。

藤田家族の住まいは、伊予西条駅から3キロばかりの西条市飯岡にある。もとは農家の一軒家を借りている。

「有機菜園 藤田家族」の様子を、おれが聞いた話と、『土と健康』2008年3月号(日本有機農業研究会)に藤田さんが寄稿した「毎日出荷の休日なし農家」から、まとめてみよう。

飯岡は、市の中心部で18歳まで暮らした藤田さんにとっては、隣の小学校区。「大阪・泉州生まれの妻と神奈川・三浦半島で生まれ育った子ども二人にとっては未知の土地。その市街から3キロほどの緩やかな丘陵地に約8反の田んぼを預かり、自給用の米と露地野菜をあれこれ少しずつ作ってはあちこちに売る暮らしがなんとか定着してきた」。

「就農後すぐに始めた野菜セットは友人・知人の多い首都圏や関西が約半分を占めるが、菜園全体の出荷量の約7割は市内(人口約12万)で消費・購買されている」。

遠く離れた大消費地依存の経営とはちがう姿がみられる。有機栽培経営にとっては望ましいことだろう。有機栽培ものは、たしかにうまいけど、それをうまいうちに食べてもらうには、近隣消費が望ましい関係がある。有機栽培も追及しないで「地産地消」だけ謳うのは片手落ちだろう。

ただし、近隣消費に対応するには「土日祝日なし、雨雪台風関係なし、声が掛れば即出動の出荷体制である」。実際、藤田さんは市内配達で忙しそうだった。

「県内でも珍しく人口が増えており、マンションや郊外型店舗も新設が続く西条は、土の匂いのしない大都市とも、人の気配のない過疎地とも違う。「野菜はみんな家の畑で作ってる。有機だからって高く買う客がいるのか」。逆に「有機農業なら、もっと山奥がいいのでは」……。そんな問いは外からも、そして自分の中にもあった」

市の中心部の商店街は、かなりの衰退ぶりだったが、そこ以外、全体的には、そんなに「落剥」の気配はなく、落ち着いた暮らしやすそうな印象だった。

「しかし、始めてみればお客さんはいた。生産者の顔が見える、新鮮な、"安心・安全"な野菜や食べ物が求められる土壌は、先輩たちが作ってくれていたのだと思う。もちろん販路開拓は簡単ではない。売り先が1軒増えるのは、本当に何かの偶然やありがたい出会いから。作れば売れるというほど現実は易しくない。だけれど種は播かなきゃ芽は出ない、始めなければ始まらない。3度目の温床づくりで落ち葉を踏み込みながら、そんなことをまた思っている」

とりあえず、きょうは、こんなところで。
って、ほとんど藤田さんが書いた引用でおわった。
ちょっと忙しいものでね。

08_hujita_hatake「藤田家族」の畑。白い建物は小学校。小学校の左手の家の周辺の畑は違うが、小学校のところまであたりと、左手の画像からはみだしている奥までが藤田さんの耕作地。この夏、熱暑と降水不足に悩まされ、枯れてしまったものや、草とりが追いつかず草が野蛮にのびた畝もある。きのうのエントリーで藤田さんが写っている画像は、草が野蛮に伸び放置プレイ状態の畝の中に、もともと植えてあったゴーヤが実をつけ、熟れて種まではらんでいるのをみつけ、藤田さんがなんでかよろこんでいるの絵なのだ。藤田家族の畑は、ほかに2か所だったかな?

08_hujita_yama_2その畑を撮影したあたりから、畑と反対側を望んだ景色。西条市は四国山脈と瀬戸内海のあいだにあるのだけど、藤田家族の菜園は山側に近い、そして海に近い西条市街地にむかってくだる、緩やかな傾斜地にある。ハスの畑は藤田さんではなく、そのむこうに国道があって、国道のむこうの旧道らしきに家が連なっている。そのあたりに藤田さんの借家があり、そこと国道のあいだにも、藤田家族の畑がある。

08_hujita_sosui畑横の道路の疎水。きのうのエントリーからリンクがあるザ大衆食のページに書いたが、西条市は湧水が豊富なまちで、飲めるきれいな水が、あちこちで湧いている。疎水にも、飲めそうなほどきれいで豊富な水が、音をたてて流れている。でも、畑には、降水が必要なのであり、豊かに流れる水をながめながら、天をにらみ「雨が降ってくれないかなあ」と胃が痛む思いをするらしい。

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2008/09/16

愛媛・西条市。百姓になって3年の「有機菜園 藤田家族」。

08_hujita_san東京の実力ある出版社で編集者をしていた藤田敏さんが百姓になったことは、以前に書いた。9月8日、北九州で仕事を終えたあと、その地、愛媛県西条市の藤田家族を訪ねた。

その朝、ホテルを出るときも、小倉駅に着いてからも、行き先は決まっていなかった。とにかくまっすぐは帰らないということだけはハッキリしていた。そうだ、藤田さんのところへ行くのはどうだろうかとおもい、切符売場で時刻表を調べた。すると、9時半ごろの新幹線に乗れば、岡山乗換えで、13時10分ごろに予讃線伊予西条駅に着くのがわかった。なーんだ、意外に簡単だ。

藤田さんに電話をすると、晴れて百姓の野良仕事日和だったが、朝のためもあってかつかまった。「いまから行くけど、よいか?」、押しかけ訪問だ。

そして、藤田さんと、たぶん4年か5年ぶりぐらいに再会した。

…という話を書きたいのだが、チトあわただしい。
とりあえず、ザ大衆食のサイトに「四国は愛媛県・西条市 加茂川の河川敷で「いもたき」」を掲載してある。そちらをご覧ください。「いもたき」会場のようす、そのとき初めてたべた乾麺の中華めん、西条の特徴などの画像もある。…クリック地獄

着いた当日、トツゼンの訪問にも関わらず、市役所の就農や援農を支援する、藤田さんがお世話になっている若い仲間のみなさんも一緒に、河原で「いもたき」をやりながら飲みかつ歓談する機会をもうけてもらった。藤田さんやみなさんの話は、とても勉強になった。

むかしからの農家や、脱サラして農業に就いた、おれの知り合いのなかで、藤田さんのところが、イチバン気候的風土的にめぐまれているようにおもえた。だけど、それはそれで悩みの種にもなるのだな。ただ、自家用中心に田舎ぐらし農業をやりたいというひとにとっては、その条件は、いいだけかもしれない。となれば「楽農都市」建設も夢ではないかもしれない。

自家用とはちがい、田畑8反を経営する、面積的には立派な農家の「藤田家族」。3年がすぎ、これからが正念場のようだが、たのしみだ。

奥さんにも、2人のお子さんのうちの1人にも、初めて会った。
藤田さんは、土に鍛えられた手をしていたが、どことなく、身体から都会の編集者の空気が漂っていた。あるいは、これからの農業者には、そういうひとも必要なような気がする。農業も、ファンキーな経営者が必要なのだ。

08_hujita_ie_2

藤田さんのブログ「38歳からの百姓志願~実践編」には、すでに「エンテツさん、西条上陸! 」のエントリーがある。…クリック地獄

続きは、ここに書き足すか、あらたにエントリーをたてるかします。

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2008/09/15

北九州の気になるカラーのフシギ、不思議。

Kitakyu_iro05長浜のことも書きたいし、西条のことも書きたい、六日町の万盛庵で食べたものも書きたい、あれも書きたいこれも書きたい。だから、北九州のことは、とりあえず打ち止めにしたく、きのうのエントリーに、「北九州市には、フツウの生活が胸張って呼吸している地域がたくさんあるようにおもう」と加筆し、もう加筆も修正もしないことにした。

だけど、北九州について、前から、どうしても気になることがあるので、これだけは備忘の意味もあって書いておく。

北九州の建物の壁面の色だ。目立つ。気になる。コレ、なんといったらよいか、それは確かに、パーセントでいえば、ほかの都市のどこでもあるような色の建物が多いのだけど、その占める割合は、ほかの都市とくらべたらあきらかに低い。かわって、けっこう、ど派手な濃いいカラーが目立つ。それが大きな建物だけじゃなく、きのうのエントリーにあるような銭湯まで。

Kitakyu_iro01若戸大橋をクルマでわたると、海側は工場地帯で、山側に広がる街の景観がパノラマ状に見られるのだが、その建物の色が、ほかの都市のように単調でない。そして、単調な中に、ときたま目立つ色がある、なんてものじゃないのだ。どうして、こんなに色をつかうの、こういう色づかいは街中にあまりないよな~、おもしれ~。なのだ。

とりあえず歩いている最中に拾った画像を載せておく。

なぜなのだ。北九州は、やはり、アートなまちなのか?

Kitakyu_iro02_2
Kitakyu_iro06
Kitakyu_iro07_2
最後の画像、ラブホじゃない、マンションだよ。

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2008/09/14

エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…フツウの生活のありがたさ。

Kitakyu_3_tosen1「アートな若戸大橋の楽しみ方」だが、まえがき、能書きのようなものが長すぎた。今回で最後にしよう。

自分も関わっていることだが、ちかごろ「文化」だの「芸術」だのというまちや連中が増えているけど、うっとうしい。ロクなものでないとおもうことが、たびたびある。

それにくらべたら、今回、たまたまフラフラすることになった、若戸大橋のたもとになる戸畑駅の北側と洞海湾をはさんで向かい合う若松側周辺は、ゆったりとした時間が流れるところで、いま「文化」だの「芸術」だのといわれるものから、まことに縁遠い。かつての石炭や鉄の時代の繁栄とコンニチの落剥が話題になるらしい地域だけど、ここには別の「アート」(「文化」だの「芸術」だのをまとめてこういってしまうが)な暮らしがあるのじゃあんまいかとおもって、あえて、「アートな若戸大橋の楽しみ方」とした。

よーするに、「文化」だ「芸術」だのと騒ぐのは、「クリエイティブ・クラス」といった連中が「クラス」といわれるほど増えてしまった、ひとつのセツナイ情報社会あんど消費社会のアリサマでもあるのだけど、「アート」だのといって、やたら人を集めたり、衆目を集めたりしなくてはならない。そこでは演出という干渉が、日常のことになっている。まちを歩けば、クリエイターやアーチストといったひとたちが一役買った演出という干渉が、あふれている。イベントが多い、イベント性の高い街である。

ウルサイんだよ、ほっといてくれ、てめえらが好きでやっていることを、「まちづくり」だのなんだとのといって、街の空間を占領し、おれたちに押し付けないでくれ、「アート」でもなんでもない、単なる騒音や落書きとおなじだ。と、いいたくなるほどだ。

コワイのは、そういいながら、日々の、そういう喧騒に巻き込まれ、自分を見失うことだろう。そんな不安もある。だからね、そんないまどきの「アート」なまちづくりとは縁がなさそうな街を歩くと、失われたものごとを見つけ、とても癒される。そこにある「フツウの生活のありがたさ」をしみじみ感じる。

Kitakyu_3_tosen2_2そもそも地元の人には「ポンポン船」と時代がかった呼び方で親しまれている、若戸の渡船だが、まったく装飾性イベント性のない生活の実用である。100円払って、これに乗れば、にぎやかな街を埋めつくす文化的野望や芸術的野望から自由になれる。そこに自転車をかかえて乗っている人びとは、ワレワレのように写真を撮ることもなく、ただじっと船の外を眺めている。日常の中で、なにもせず、静かにじっと景色をながめる時間、これも「アート」に追い立てられるあわただしい生活が失ったことではないだろうか。

Kitakyu_3_turi見よ、堤防の突端で、居眠りな感じで、のんびり釣りをするひと。独創的な時間の過ごし方だ。彼こそナマのアーチストではないかとおもう。ナマの暮らしで、こんな時間をつくりだすアーチストは、すばらしい。

Kitakyu_iro04あるいは、銭湯「中将湯」も、すばらしい街角アートフルなカラーだけど、その向こうには若戸大橋が見え、そして、銭湯の先隣の建物の前ではオヤジがイスに腰掛けている。銭湯のあとの、夕涼みだろうか。彼は、それが生活の日課であるのか、そうでないにしても、すでに数え切れないほど、そこでそのように時間をすごしてきたにちがいない。その間に、道路や建物のようすも変わったであろうが、彼は、そこに座り続けてきたと想像できる姿だ。それが彼にとって「まちで生きる」ことであり、欠かせない一つのようにおもえた。釣り人も夕涼み人も、派手なパフォーマンスをしているわけじゃないし、アーチストではないかもしれないが、まちがいなく、わがまちのアートな存在なのだ。

Kitakyu_3_tetunabe渡船に乗る前に立ち寄った戸畑の「海岸食堂」のおばさんも、そこで下着姿でめしをくっていた赤銅色のオヤジも、「話芸は芸術」なんていっている連中より、はるかに巧みな即席の会話をする。若松の有名な、ぎょうざの「鉄なべ」。ぎょうざを焼く鉄なべごと出てくる、そのぎょうざがすごくうまいのはもちろん、働く重み、生きる重みまで味わえる。そもそも一日に、何個だったか、千数百個だったかな? 客席のそばで、小さくちぎった粉の練り玉を棒でのばしては、それでアンを包み、ぎょうざをつくる作業の繰り返し。そういう日々を生きてきた、ぎょうざアーチストおばちゃんは、ぎょうざを焼きながら、働くひとに厳しい言葉を放ったりしながら、カメラをかまえるおれに何回かポーズをとってくれた。プリントを送る約束をしてきた。いい交流。

働く重み、生きる重み、だからこその、釣りや夕涼みの味わいがある、食べる楽しみがある。そんな暮らしが、2008/09/11「エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…力強さのヒミツ。」に書いたように、実用の大橋の姿である若戸大橋のたもとにある。大橋も渡船も暮らしも、そのように共に在って、続いている。

過剰な演出の少ない、フツウの生活の景色を味わいながら、それを大切にし、自分の姿を見失わないように生きたい、なーんて、おもうのだった。そして大橋が見える角打ちで、いい心地になるのだった。

こんな散歩ができる街があるって、いいとおもう。
消費にまみれた文化や芸術のアカを洗い落とすと、じつにすがすがしい風呂上りのような気分になれる。
イベントやイベント性にあまりふりまわされない、フツウの生活のよさが、もっと評価される文化や芸術がほしい。
北九州市には、フツウの生活が胸張って呼吸している地域がたくさんあるようにおもう。

コツコツ働く暮らしをわきにおいて、「文化」だ「芸術」だという連中がのさばるようになった社会やまちは衰退しても仕方ないかな。生きる重みも働く重みも見据えられないような、自分たちがはしゃぐだけの文化だの芸術のまちづくりや食には、未来はないさ。

Kitakyu_3_tanaka_2

2008/09/12エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…共に在る輝きを見よ。

2008/09/11
エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…力強さのヒミツ。

2008/09/10
エンテツと街を歩こう in 北九州。

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2008/09/13

稲刈り近い南魚沼は六日町、万盛庵泥酔、ホテル宮又温泉泊。

Muikamachi_tanboまだ北九州の話は終わってないのだが。きのう、故郷の南魚沼は六日町の万盛庵で中学同期有志の飲み会。前日クボシュンさんからも電話があった。やることあるし疲れている感じだし、日帰りしようかどうしようか決められないまま行く。長いトンネルをぬけると、魚沼コシヒカリのたんぼが、稲刈り間近という感じで色づいていた。そういえば、明日の日曜日は、高千代酒造の酒造用自家栽培米の稲刈りだそうだ。

Muikamachi_miyamata_2六日町に着いたら、やっぱり飲んでから帰る元気がない。ホテル宮又に宿をとる。朝食付き4500円。宮又と万盛庵は1分ぐらいの距離だから、万盛庵で飲んで泊まるに絶好。大きなホテルなら部屋と食堂を行き来するようなもんだから、おれにとっては、万盛庵は宮又の「食堂部」のようなものでもある。それに宮又の、外観にも漂う、「質実」がいい。なにもかも過剰な時代に、温泉があればよいという感じの湯量だけは贅沢に流れっぱなしの風呂場もそうだけど、山奥の湯治場のような雰囲気と、これこそ「実質というサービスです」といった感じの、装飾やひとの演出や干渉が少ない「素なほったらかし」がいい。80歳代なかごろだろうニタリのばあさん女将が元気なのも、なにより。

Muikamachi_mansei_217時半ごろから飲み始める。生ビール。朝から腹も空いていたので、ラーメンも頼む。すぐコバとイサオがあらわれる。考えたら、六日町は、きょねん11月12日の飲み会以来だ。今年は、高千代酒造の蔵開きやファンの集いにも都合が悪くて行けなかった。ひさしぶりの面々は、シュンスケ、トシミ、モリオが加わり、もちろんエッチャンも。

まいどのことながら、とにかく、よく食べ、よく飲み、よくしゃべった。おれは生ビール3杯のち、高千代辛口をコップで4杯までは覚えている。宮又にもどってから温泉に入ったことも覚えている。

泥酔したが、しっかり食べながら飲んだせいか、悪酔いは残らなかった。きょう朝、目が覚め、坂戸山に登ろうとおもっていたが、障子窓を開けると外は雨だった。部屋から拝み写真を撮り(下の画像)、温泉につかって帰ってきた。

Muikamachi_sakado

なんとなく肉体が疲れている感じだ。この10日間のあいだ、動きまわり飲みまくりすぎか? トシかねえ。とにかく、このブログは頭で書いているんじゃなくて、指が勝手に動いてキーを叩いているものだから、疲れすぎると、なかなか指が動かず書けない。

万盛庵のセガレのブログ「万盛庵通信」…クリック地獄

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2008/09/12

エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…共に在る輝きを見よ。

Kitakyu_iro03恋愛小説より恋愛が先にあった。だけど恋愛小説ができると、人びとは恋愛小説のような恋愛を願うようになった。さらに恋愛小説がゴキブリのように増えると、いったいどのゴキブリが正しくおいしいのかを論じる評論が盛んになり、人びとは評論にみちびかれ恋愛小説を選び、その恋愛小説のような恋愛を願うようになった。そのようにして、恋愛小説より先にあったはずの恋愛は忘れられ、メディアがふりまく恋愛小説や評論に恋愛がふりまわされることになった。いまや恋愛は、メディアのハウツーに導かれるほどになってしまった。いったい、あの「場所」にあるはずの、自分の肉体で感じるべき「恋」や「愛」は、どこへ行ってしまったのか。

Kitakyu_2_totiというたとえを出して、これは味覚についても、たいがいのことについて言えることなんだけど、もう一度、「場所」にかえる観光のススメが第二話なのだ。

もちろん「場所」だってメディアではある。こうして写真をみれば、それがよくわかる。つまり写真というメディアの以前に「場所」というメディアが存在していることを、写真というメディアは教えてくれる。視覚的ではない文章は、たいがい、たとえば恋愛小説のように、「場所」から人びとをひきはなしてしまう。

Kitakyu_2_ebisuもっとも存在の原初的なメディアである「場所」にかえろう。とくに活字メディアやテレビなどによって、脳に注入された諸々から自由になり「場所」にかえろう。若戸大橋の一部がある景色を眺めながらね。

で、わが尊敬する原口剛さんは、バイトのコンビニでの商品の棚出し棚入れ作業が素早いだけじゃなく、『こころのたねとして』(ココルーム文庫)に、こう書いている。

「場所というメディアに特有の性質は、共に在ることを可能にし、また共に在るという地点から出発するしかない、というところにある」

そんなわけで、鉄の若戸大橋と共に在る「場所」を画像にしてみると、ようするに生活の場においては、たいがい共に在るのだ。人びとはもちろん、新も旧も、工業文明も非工業文明も、メディアによって観念的に敵対関係や二者択一関係のように語られている、なにもかもが、共に在る。だから、観念的な価値観や「まちづくり標語」や「まちづくり憲章」といった尺度を用いずに、「共に在るという地点から出発するしかない」というところにたつことだ。共に在る在り方を、そこから見つけられるはずだし、そうしたいとおもう。

まずは、よいか悪いかではなく、生活の場に共に在る、その輝きを考えてみようという話しなのだが、じつは、これから出かけなくてはならないから、画像だけアップしときます。

Kitakyu_2_sakaya
Kitakyu_2_meiji_2

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2008/09/11

エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…力強さのヒミツ。

Kitakyu09_hasi_tobaeki戸畑駅のホームからは、街並みの中に若戸大橋が見える。やや高い位置のそこからは、見方によっては、大橋は街並みの上をまたいでいるようでもある。街並みの上をまたいでいるように見える橋というと、自動車道などの道路がフツウだとおもうが、そのほとんどどはつり橋ではない。だけど、大橋は洞海湾をまたぐつり橋であり、つり橋ならではの美しさがある。しかし、その美しい姿は、いくつかの建物にさえぎられ、部分しか見えない。そこがオモシロイとおもうのだが、全貌が見えない橋は、観光的あるいは芸術的な橋の景色としては失格なのか、写真や絵ではあまり見かけない。

一年前の8月。その日の朝、戸畑駅北側のすぐそば、駅のホームから見える「まんなおし食堂」で、5日間ほど続いた『雲のうえ』5号食堂特集の最後の取材を終えたおれは、そのままJR線で山口県下関へ向かって北九州を離れるため、戸畑駅のホームに立ち、その景色を初めて見た。ちょっと「感動した」というと大げさだが、ま、そういうことだ、胸がときめいた。

それは大橋の景観というより、大橋がある景色であり、街の中の大橋、暮らしの中の大橋なのだ。ホラこれが若戸大橋だヨというかんじの観光写真のような類いとは、かなりちがう。はるかに日常的で身近な景色といえる。何気なくそこに見える、何気ない景色。だから見過ごされやすいかもしれないが、ちょっとほかでは見られない、ここにしかない、変化に富んだオモシロイ景色のような気がした。

下関へ向かう電車の中で思い返すと、7月と8月は、若戸大橋の若松区側と戸畑区側の橋のたもとの街をウロウロ歩き回ったが、狭い路地の向こうに、あるいは静かな佇まいの神社の頭上に、また市場やラーメン屋の前から、いつも大橋の一部が見えていた。それはあるところでは、胸から腹だったり、乳首のへんだけだったり、あるところでは、脚のスネのへんだったり、そんなアンバイなのだ。

「ほお~」とか「はあ~」とか感嘆するわけでもなく、これほど「しみじみ」生活感の漂う景色の中の長大橋は、ほかにはないのではないだろうか。なんとなく、若戸大橋って、大きいけど、生活の中の橋なんだなあとおもった。そして、『雲のうえ』5号食堂特集の原稿は、この景色の中から書き始めるだろうとおもった。(実際そのとおりになった)

高い展望台のようなところからしか見られない、静的な橋の景色より、何かが呼吸しているような、この街の中の大橋、生活の中の大橋の景色に未練が残った。そして、はからずも、一年がすぎ、再び戸畑駅のホームに立った。

9月6日の市民プロデューサー講座に招かれ、前日の5日に、天気が悪かった京都を早めにたち、新幹線で小倉駅に着いたおれは、コインロッカーに荷物をあずけ、すぐさま戸畑駅へ行く電車に乗った。降りてホームに立つと、その景色があった。もちろん大橋もあった。「まんなおし食堂」も、その右隣の、「えだや食堂」もあった。

一年すぎて見かけは、なにも変ってないようだった。だけど、「えだや食堂」に寄ってみると、たしか70歳ぐらいの、身体を悪くしなければよいがと心配なほど働いていた女主人は、身体をこわし、引退して姿はなかった。でも、かわりに、以前ここで働いていたという、たくましそうなおばさんが店を守っていた。大橋が見える暮らしも、少しずつ変っているし、また変りつつたくましく続いていることをかんじた。

えだや食堂の角から北へ真っ直ぐの大通りの先には、やや見上げる位置に大橋がある。その下、大通りの突き当たりには、大橋が架かる洞海湾の渡船がある。つまり大橋は自動車専用であり、徒歩や自転車で通勤通学のひとたちのために、大橋ができてからも渡船が活躍してきた。それもあってか、周囲は工場地帯だし、大通りには飲食店が多い。

渡船場にむかう途中の左側に、「八福」というラーメン屋がある。評判の店なので、そこで食べてみたいとおもって入った。15時15分前ごろという昼時をすぎたハンパな時間帯にもかかわらず、15名ぐらいで一杯の店内は、ほぼ満席だった。相席のテーブルにすわり、チャンポンを頼む。相席の男の客は、近所の勤め人らしい。チャンポンの大盛りとにぎりめしを食べていた。このあたりの働く食堂、働く人たちの「定番」のスタイルといえるか。

相席の客が去ると、すぐ馴染みらしいおばさんが入ってすわった。彼女は、冷し中華を注文した。日焼けしてたくましい肉体の、労働者風。彼女が冷し中華を食べているころ、客の山は越え、なかで料理していた主人が出て来て、客席の食器などを片しながら、おばさんに「チャンポンはどうするの」と聞いた。おばさんは、グハハハと笑って「食べる」。どうやら、彼女は、二人前それも一つはチャンポンを食べることが多いらしい。うへへへ、こいつはまいったね。

Kitakyu_hatihuku_cyanponおばさんの力強さに煽られ、キャベツがタップリ入ったチャンポンも食べ、たくましい男になった気分で八福を出た。大橋が見える。そのとき、大橋の骨太と、骨太に見える、その色が気になった。若戸大橋は、ちかごろ多い、白っぽい瀟洒なかんじすらするつり橋とは、ずいぶん趣がちがう。

Kitakyu09_hasi_hatihukuまず色が赤茶色系、そうか、あれは労働者の赤銅色に日焼けした肉体の色かとおもう。その色と骨太な鉄骨は、鉄の街の象徴なのかも知れないが、洞海湾を臨んで、たくましく働き生きてきたひとたちの象徴なのかもしれない。この街の暮らしには、白っぽい瀟洒なかんじのつり橋より、この大橋の姿こそ美しい、それが日々の生きる力になる「アート」なのだろう。

何気ない生活にとけこんだ何気ない大橋の姿を、働く暮らしを支える何気なくうまく安い八福と一緒に撮影した。暮らしに生きる「実利美」の景色といえようか。八福はラーメン350円、チャンポン400円、おにぎり50円。チャンポンは細い蒸し麺の戸畑独特のチャンポンだ。

とりあえず、第一話、ここまで。
文章も、少し修正があるかもしれない。

画像は、上から順に。戸畑駅ホームから大橋のある景色。八福と大橋。キャベツがタップリの八福のチャンポン。下、八福と反対側の小道を入ると「藤の家」という古い旅館がある、その路地から見た大橋の「オッパイ」あるいは「屹立チンポ」なアート。

Kitakyu09_hasi_hujinoya

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2008/09/10

大竹聡と『酒とつまみ』11号と『西の旅』秋号。

Nisitabi_saketuma11北九州の報告じゃないが、きょう届いた2冊の雑誌は、いずれも大竹聡さんがらみなので、緊急宣伝させてもらう。どーせ季刊を謳いながら年刊の『酒とつまみ』11号。その大竹聡編集長は、ホッピーマラソンや酩酊マラソンをやっているだけじゃない。ナント、四国特集の『西の旅』19号(京阪神エルマガジン社)で、「遍路でさらば、煩悩よ」とありえない遍路さんをやっているのだ。

先月、大阪のエルマガ社で編集のナガタ嬢に会ったとき、うれしそ~な顔で「大竹さんに遍路さんで四国を歩いてもらいました」といっていたが、そのうれしそ~な顔のワケがわかった。うれしいはずだ、四国八十八カ所霊場めぐりのうち1泊2日だけだが、大竹さんは炎天下「禁酒」で歩きづめ。ナガタ嬢はサドの女王か。でも、もっと禁酒のまま歩かせてやったほうが、大竹さんの通風のためにもよかったかもしれない。でも、酒を飲ませないと『酒とつまみ』はできないのだな。しかし、飲みすぎて、年に1回しか出ないというアリサマでもあるし。うーむ。

それにしても、四国特集なのに、おれが行ってきたばかりの西条市は、かろうじて石鎚山が載っているだけ。西条だって楽しみ方はある。北九州の報告が終わったら、西条についてもタップリ書くから、『西の旅』を買って西条へ行こう。

『酒とつまみ』、酔客万来は「酒と安部譲二と男と女」。まだ読んでない。「つまみ塾」の瀬尾幸子さんの写真が、カワイイ美人になっている。本が売れると人相もよくなるのだろうか、いやいや、前からカワイイ美人でしたが。35万部をこえるベストセラーとなった『おつまみ横丁』は、9月に第2弾が出る予定と書いてある。大竹さんの「山手線一周ガード下酩酊マラソン」に、「この話、「大衆食堂の詩人」といわれる遠藤哲夫さんからつい最近聞いたばかりの話なのだった」という話があるのだが、おれはそんな話をしたの、どーせ酔っていたのだろう、覚えていない。でも、たいがい酔っているときのほうが、正しい話をしている。

とにかく、『酒とつまみ』と『西の旅』は、買わなくてよいから、おれが登場している、いまいちばん熱い街雑誌『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」を買ってね。四国の人も北海道の人も九州の人も買っているよ。ありがとう、さんきゅー、もっと買って、もっと宣伝して。

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エンテツと街を歩こう in 北九州。

Kitakyu_kouza02「市民プロデューサー講座」は北九州市の関連団体、ヒューマンメディア財団が主催している。仕組みの詳細は知らないが、『雲のうえ』を生んだプロデューサー中原蒼二さんが、コーディネーターのようなプロデューサーのようなことをしているらしい。

各地で「まちづくり」なるものが盛んだけど、「まちづくり」は「メディアづくり」という側面が欠かせない。と、おれはおもう。つまり街の魅力をどう発見しとらえ、どうメディアに表現し伝えていくか、それがわりとキモになる。

そういう「専門家」もいるのだけど、とかく、詳しい専門家まかせで、一般市民は、あまり考えたこともなく無関心か、それを「客観的」に「批評」するだけという関係が、けっこうある。

あるいは、こういう事例が多いのだが、いわゆる「関係者」だけの「まちづくり」で予算がつかわれておわる、予算消化のような「まちづくり」が、たくさんあるのだ。たとえば、予算がついて、さまざまな印刷物はつくられるけど話題にもならず捨てられる。あるいは街角に「まちづくり推進協議会」や「まちづくり憲章」のような標語を書いたモノを建てるだけで、補助金が出て何かをしたことになる。そういう残骸は、いたるところに見受けられる。

そうではなく、市民が自らプロデューサーとして、その「まちづくり」に関わる。それは自分のやれることからやればよいのだけど、どこから手を着け、何をどうしたらよいかわからないひとも少なくない。

今回の「市民プロデューサー講座」の企画は、そうした現実に応えるものといえるだろう。

とにかく、中原蒼二さんがメールで呼びかけた文章は、こういうものだった。

タイトル
「いつもと違う、風と光を感じ取る、それをミニコミとして情報発信する、というワークショップ」

内容
「今回のプロデューサー講座は「エンテツさんと街を歩こう(仮)」というのをやります。 これは大文字の「観光」だけではなくて(それはそれで頑張るとして「観光協会」とか)、ふだん見慣れた街の見慣れた光景のなかに、少し角度を変え、あるいは視点を変えることによって、今まで気づかなかった見落としていた自分たちの街の「宝物&資産」を見出そうという試みです。そうです。もう気づかれた方は多いと思いますが、乱暴にも簡単にいってしまうと『雲のうえ』の基本的な取材&編集方針に近いものです。ただし、『雲のうえ』にはそれなりのフレーム(ミッションとか規模とか)がありますが、今回はそれよりも身近なもの、本当に自分の生活に隣接・密接しているもののなかに新たな価値をみいだしてみようではないか、ということです。エンテツさんと一緒に街歩きをしながら、彼は何を見て、何を掬い上げ、何に価値を見出し、写真を撮り、どんな文体でそれらを情報発信するのかを、よくみる・感じることができる、あまり機会のないワークショップになると思います。(以下略)」

このポイントは、タイトルにあるように「いつもと違う、風と光を感じ取る、それをミニコミとして情報発信する」ことにある。感じ取るだけではなく、それを表現し実際にメディアをつくるのだ。「メディアをつくる」といっても大げさなことではなく、このブログだって、そういうものであり、実際に、講座に参加した方は、紙メディアにするための原稿をつくるのだけど、おれはこのブログに表現し、それを参加者に見てもらう。

とにかく中原さんの文章を読んでおれは、昨年末から今年にかけて関わって寄稿もした、東京は北区のまちづくり公社の『街よ! 元気になれ』の冊子(街の魅力「新北区紀行」~観光のススメ~)を思い浮かべた。なので、その冊子を一冊、持って行った。

Kitakyu_kouza016日土曜日午後1時から、小倉駅北側のビルにあるヒューマンメディア財団の会議室で始まった。

まず、歩くコースを大雑把に決める。戸畑区と若松区を結ぶ、洞海湾に架かる若戸大橋の両側のたもとのへんを歩く。その具体的なコースを決める。その段階ですでに、若松区に職場があるのに、そのへんのことは知らない、小倉のことは知っているけど、そのあたりは知らない、昨年そのあたりを歩いたおれより知らない。そういうひとが少なくないことが判明した。とくに北九州市は、戸畑市、若松市、小倉市、門司市、八幡市など、いくつかの市が合併したこともあって、ただでさえ自宅と通勤先のあいだ以外のことは疎くなりやすいのに、自分の関係する区以外のことになると知らないことが多い。もう、この会議室にいるうちに、これはおもしろいことになるぞ、という期待が高まった。

中原さんとおれがちょっと話をし、持って行った『街よ!元気になれ』も見てもらい、あとでコピーをとって配布することにし、午後2時すぎ出発した。

総勢12名だったかな? 最年少大学生。この日から「街じゅうアートin北九州2008」が始まり、そのオープニングセレモニーが、ちょうどこの時間帯にぶつかっていた。いつも講座に参加のひとたちは、そちらでも活躍しているから、講座の参加者は少なくてこの人数だというのだが、むしろこれぐらいの人数のほうがよかった。

Kitakyu_kouza03小倉駅から電車で戸畑駅。戸畑駅から歩き始める。歩きの出発点になる戸畑駅の北側すぐには『雲のうえ』5号に登場の「まんなおし食堂」と「えだや食堂」がある。えだや食堂の女主人は、働きすぎではないかと心配だったが、やはり身体を壊されて引退、以前ここで働いていたおばさんが店を守っていた。渡船場へ向かう大通りを歩いて、蛭子神社、若戸の渡船場前を通り、海岸沿いに海岸食堂、若戸の渡船場にもどり渡船(渡船の料金は50円から100円になっていた)、洞海湾沿いに北へ小道を行く、小路に入り蛭子神社、小路を行き丸仁市場に裏側から入る、丸窓の天ぷら(すり身を揚げたもの)を買って食べる予定だったが着いたのが16時過ぎ売り切れ店じまい中、すきっ腹をかかえ明治町銀天街、料亭「金鍋」、山田食堂の前を通ってぎょうざの「鉄なべ」ここで食べかつ飲む。レトロ観光開発中の洞海湾沿いのバンドを歩き渡船で戸畑にもどる。角打ち田中酒店、高田酒店、「角打ちは街の学校だ」店主と楽しく会話しながら、得るものが多い。戸畑駅から小倉、打上げの居酒屋(名前忘れた)。途中から参加のひともあり、最後に駆けつけたひとは、この打上げ会場に午前1時ごろだった。プロデューサーというのは、人脈や人間関係が大事だから飲み会参加だけでも大切なのだ。

さて、それで、おれの発表だが、このあと今日中か明日のエントリーになる。「アートな若戸大橋の楽しみ方」というタイトルを考えている。

最後に、おれがマジメにシゴトをしている様子がわかる画像を、参加者のミカ嬢が撮影し送ってくれた。ありがとう。
Kitakyu_kouza04


ヒューマンメディア財団
http://www.human-media.or.jp/
北区まちづくり公社
http://www.matikita.com/

中原蒼二さんのブログ
http://ho-bo.jugem.jp/

当ブログ関連
2008/03/15
北区の『街よ! 元気になれ』。
2008/04/09
「手づくり観光」と「B級グルメ」とまちづくり。
2008/08/26
頭は北九州モードのなかで。北九州市の渡船。

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2008/09/09

北九州、の前の滋賀・長浜、の後の愛媛・西条。

どーも、みなさま、お世話になりました。ありがとうございました。
と、イキナリ書いても、わからないひとがほとんだろうけど、北九州市の「市民プロデューサー講座」ってのに招かれて行って来た。いろいろな人とであい、いろいろお世話になったので、まずは帰還の報告をかねてお礼。

市民プロデューサー講座については、ここに書くという約束のこともあって、明日から詳しく書く。講座に参加の方は、明日からマジメに見てください。

まずざっと、この一週間近くの備忘メモ。

09naghama_toraya講座は先週6日土曜日で、おれは5日金曜日の夜にホテルに入っていればよい日程だったのだけど、どうせいくなら途中下車やまわり道のクセで、4日の朝9時ごろウチを出た。ちかごろ滋賀県長浜の「まちづくり」のウワサを聞くので、どんなアンバイなのかと新幹線の米原で乗り換え長浜へ。なーるほど、小樽や門司が、いわゆる近代赤レンガ遺産を活用した「レトロ・テーマ・パーク化」としたら、こちらは、飛騨高山、ちかごろの京都・祇園、関東だと小規模ながら川越の小江戸といった、「何風」というべきか「木造土蔵風レトロ」とでもいうのか、そんなアンバイの古い街並みを生かした「テーマ・パーク化」が着々とすすんでいる。

詳しくは後日。おれとしては、そこで、おもわぬ収穫。そそられる食堂。こちらは「テーマ・パーク化」とは関係ない、そのまんまの姿。入らずにはいられない、入る。食べて出て、ちょっと歩いたら、また一軒。うーむ、腹が一杯だから無理だ、写真だけでも。それが画像の「とらや食堂」。「小さな食堂・大きく感謝」

長浜では琵琶湖畔の民宿にでも泊まって、暮れゆく琵琶湖を眺め、琵琶湖周航の歌を口ずさんだり屁を放ったりしながら、ゆくえの知れぬ恋の道かなと孤独を慰めるつもりだった。だけど、たいがいのところは見てしまい、琵琶湖畔に行ってみれば、水は泊まりたいほどキレイでもなく、ハテどうしようかと思っているうちに雲行きが悪くなる。「そうだ、京都へ行こう」ついでに夜の祇園のそぞろ歩きなんて、カネがなくてもいいじゃないのと電車に乗る。米原までもどったころ雨が降り始め、京都に着いたら土砂降り。ついてねえなあ、土砂降りに流される恋の道かなと、あまり濡れずに行ける1960年代から愛顧の店で、昔からコンニチまでの、ここの料理の味の変遷を思い出しながら、生ビールをあおる。

5日朝も雲行き悪いから、一気に北九州へ。北九州は晴。アチコチうろうろ。夕方、中原蒼二さんとホテルで落ち合う。18時過ぎ、一緒に小倉駅北側の角打ち。北九州市きっての才媛というウワサの嬢あらわれ、生ビールで乾杯のち、焼酎一升瓶を買う。これがいけなかったというか、よかったというか。

09kitakyu_sudo翌日の仕事があるから、あまり飲みすぎるわけにはいかない。講座の事務局である、北九州市で最も忙しい女2人のうちの1人というウワサの吉武あゆみさんが夜10時になったら、ワレワレの飲みすぎをチェックする電話をかけてくるから、それで切り上げる。イチオウそういうことで始まった。

ところが、おれはまだ会ったことがない、角打ち文化研究会の会長、須藤輝勝さんに中原さんが電話すると、来られるという。その須藤さんがあらわれてからなのか、その前なのか、そのへんの記憶が、すでにさだかでない。トツジョ、「四月と十月」同人で古墳部、美術家にして中学校教頭先生の田口順二さんがあらわれた。これには驚いた。まったくの偶然遭遇らしいのだが、田口さんは、このブログを見ていて、中原さんとおれが一緒なら、この酒屋の角打ちに来るのではないかという、カン働きはあったらしい。すごいカンというか、ワレワレの行動パターンが単純すぎるというか。

とにかく、それで、田口さんも須藤さんも入り乱れての酒宴になったうえ、吉武さんは忙しく携帯の電池が切れるほどだったそうで、電話はなく、心ゆくまでの飲んだ。おれは先に1人でホテルにもどったらしい。気がついたら翌朝、ホテルのベッドの上で、ふとんもかけず、パンツいっちょうで寝ていた。とにかく、思いがけず、須藤さんや田口さんにあえて、うれしかった。初対面の須藤さんとは、記念撮影もし、何度も握手をした。

09kitakyu_wakato6日土曜日、明日から詳しく書く。泥酔記憶喪失の深酒にも関わらず、目覚めはよく、かなり歩き、そして深夜まで飲み、快調にすごした。

7日日曜日、ようするに前夜も、講座の参加者と午前1時過ぎまで飲んだ。この日からは自前の泊まりでありフリー。午後2時に中原さんと吉武さんと、北九州市で最も忙しい女2人のうちの1人というウワサの染織家、築城則子さんに会う予定だったが、落ち合うすし屋の都合で17時に変更。時間が空いたので、下関へ。ウロウロウロ。小倉にもどり旦過市場、赤壁で角打ちとおもったが、日曜日で休み。

旦過市場のなかに「大学堂」なる、去年はなかった、フリースペースができて、牧野伊三夫さんの「雲のうえ原画展」をやっているではないか。そこで店番の人とオシャベリしているうちに、待ち合わせの17時。築城さんとは昨年も会っているが、初めて名刺交換。ここに北九州市で最も忙しいというウワサの女2人が揃ったのであるが、そして、やがて忙しい女2人は忙しく先に去り、中原さんと2人残る。疲れて21時半ごろにはホテルにもどって寝たような気がする。

8日月曜日、朝~。6時半ごろ目が覚め、また眠ると何時になるかわからないので起きてしまう。あとどうしようか決まっていない。チェックアウト、小倉駅へ行き、ロッカーに荷物を預け、「そうだ、今浪うどんを食べよう、あそこなら朝からやっている」。モノレールに乗る。今浪うどんのご主人と一年ぶりの再会、握手。うどん、満足。またモノレールでもどりながら、「そうだ、西条へ行こう」とおもう。このブログにも何度か登場の、東京の会社員をやめて百姓になった、愛媛は西条の藤田家族さんのところへ行くアイデアが浮かぶ。

09saijyo_imotaki小倉駅に着いて、時刻表を調べる。藤田さんチに電話する。天気がいい朝に百姓のウチに、トツゼン電話して、「いまから行ってよいか」。新幹線岡山経由、瀬戸大橋線に乗り換え、伊予西条駅へ。13時半ごろ藤田家族宅に着く。畑を見せてもらう。藤田さんの「食と農」の仲間たちと一杯やって、西条に泊まることにして、駅にもどりホテルをとる。そして画像のように、川原で「いもたき」をやった。いやあ、西条市民、平日、月曜日の夜というのに、こんなアンバイに川原で、「いもたき」をやるのだ。いいねえ。そのことや西条の詳しいことは、後日書く。トツゼンの押しかけ訪問なのに、藤田さん、西条市のみなさん、お世話になりました、ありがとうございました。

ああ、きょう9日火曜日。もっと、ついでだから高知も徳島も行きたいという誘惑を断ち、17時ごろウチに帰り着いた。

いじょ。

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2008/09/03

『雲のうえ』5号を送ったらエロ雑誌の返礼。介護保険被保険者証が届く。

Ta_01_2(来週まで更新はありません)

過日、都内の大衆酒場でぐうぜん出会った、そして大衆酒場で、しかも昼酒時間帯にぐうぜん出会う以外、最近は会うことがない男がいる。彼は、塩山芳明腐れ縁一派というか、エロ漫画業界人。『雲のうえ』5号を見損ねているが見たいという。塩山や、その腐れ縁一派の南陀楼綾繁のような日本的私小説的フマジメなやつらがいうことなら知らん顔しているのだが、彼のばあい、チトちがう。脳の血管が切れたかつまったかして三途の川のあたりからもどり、再発したら死ぬ状態で、なおかつ昼間から酒を飲んでいる。そのうえバクチが好きで借金の山、えーと、このあいだ幾ら借金が残っているか聞いたが忘れた、それでもなおかつバクチをやる。口先だけ一丁前のこというが、日本的私小説的フマジメで、やることはヘタレな趣味のケツの穴なめあいな塩山や南陀楼とはチトちがう。なにがちがうって、ま、塩山や南陀楼のように小賢しくない、おれに近いマジメバカだ。だから、この広い東京の空の下、大衆酒場の昼酒時間帯にあったりするのだろう。そこで、もはや入手困難な『雲のうえ』5号「食堂特集」を送った。すると、豪華なエロ雑誌が送られてきた。同封の手紙には、この雑誌は塩山芳明編集で、南陀楼綾繁と山崎邦紀が映画評と書評を書いているとあった。うれしいことに、毎年小倉競馬へ行くから、そのときに掲載の食堂に寄ってみたいともあった。さすがだ、『雲のうえ』を差し上げた甲斐があった。ところで、そのエロ雑誌は「家庭内姦系の漫画&ヌード!!」を謳う『本当にあった禁断愛』だ。編集人、塩山芳明。発行人が、おおっ、多田在良。投稿をもとに漫画や記事を仕立てる「実録」風だ。近親愛、まさに愛の極地にして極致か。ああ、愛と性と生の哀歓、ここに極まれり。いまこの近親憎悪と不毛な愛の荒野の時代に美しく咲くのは、近親愛も含め、婚外の愛、禁断の愛なのだ。これこそ真の愛。と、兵庫のおじさんなら絶賛するだろう。そこへいくと南陀楼綾繁と山崎邦紀のプロフィールのロレロレ。南陀楼綾繁のばあい、「1967年島根県生まれ。『本とコンピュータ』の編集を経て現在フリー。本、映画、音楽を縦断する雑学派。著書に『路上派遊書日記』(右文書院)他。」だって。ゲレゲレゲレ、このエロ雑誌を見る連中の前で「本、映画、音楽を縦断する雑学派」、大きくでたなあ。そういや『路上派遊書日記』の2冊目は、どうなったんだ。あの本、出るんでしょうかねえって、そんなことおれは聞かれるが知らねえよ。日本的私小説的フマジメなやつだから常識がちょっとちがう、ひとのことなど顧みず放り出したまま別のことやる、そこがオモシロイのだ。黙って許してやれ。誰かに許されて立つチンポ、じゃない、立つ男もいる。嫌なら一緒に仕事をしなきゃいいだけさ。山崎邦紀のプロフィールのばあい、「印刷業界誌記者、タウン誌編集、エロ劇画誌編集、性風俗ライターを経て、ピンク映画脚本・監督、ゲイピンク映画監督。60歳。」だ。この「60歳」、泣けるねえ。「60歳」、還暦の男の、これが一生ですというプロフィールだ。もし、この、「監督」というのがなかったら、と考えた。この「監督」がない「60歳」を想像してみよう。なんでもいい「監督」というのはスゴイのだ。「監督」になれて、よかったね。ああ、おれのばあい、65歳になるというのに、なんの監督にもなれない。そうなのだ、今月で65歳になるというので、さいたま市から届いたのが、介護保険被保険者証とシルバーカードなのだ。シルバーカードってのがね、裏に住所や氏名や生年月日、血液型、緊急連絡先などを書いて、角の穴にヒモを通して首からぶらさげるのですよ。つまり認知症で徘徊したときも役に立つ、ってやつなんですね。ああ、おれはこの保険証とカードを手にして、生と愛を奪われ、急に老けこんだ気がした。これはなんというのかね、生きる希望を失わせるね。そりゃまあ、どんなに元気にしていても、死ぬときは死ぬのだが。これは、ハイ棺おけ行き手続き、第一カテゴリーです、というかんじだ。そこへいくと、まだまだ60歳すぎても禁断愛でがんばっているジジイたちが活躍するエロ雑誌『本当にあった禁断愛』は、希望だね。エロ雑誌をバカにしちゃいけないよ、老人たちに夢と希望、生きがいを与えるのだ。とくにこれは、塩山芳明や南陀楼綾繁や山崎邦紀といった、救い難い奇才が関わっていることだし。この『本当にあった禁断愛』は、たしかコンビニでも売っていると思うが、公費で全国の老人施設や老人福祉センターなどに置くべきだろう。さすれば、老人たちは腹上死あるいは腹下死するまで、希望と夢と元気に生きるにちがいない。それは老人医療の負担の軽減につながる。と、兵庫のおじさんなら主張するだろう。ともかく、よしっ、おれは、シルバーカードを首からぶら下げて、禁断の婚外愛に燃えるぞ。愛を叫ぼう。愛してるよ~。
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ってことで、ひさしぶりに、ハッタリ塩山と南陀楼に、監督山崎の、3バカのリンクだ。
塩山芳明総指揮の漫画屋のサイト…クリック地獄
南陀楼綾繁のブログ…クリック地獄
山崎邦紀…クリック地獄
忘れるところだった、画像で読める見出しは、塩山編集の仕事だとおもう。内容が希薄な評論めいた文をサイトに書きなぐっては本にするズボラをしているより、こういう見出しを集めて本にしたほうが、はるかにオモシロイ。やっぱ、それなりの編集者なのだな。と、ほめて?おこう。
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(文章の都合上、ご高名なみなさんの敬称は略し、呼び捨てにさせていただきました)

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2008/09/02

「お好み焼型」と「たこ焼型」。

2008/08/29「大阪・庄内、お好み焼「パセミヤ」。」に、「「お好み焼」は、広く深い食べ物なのだと、あらためて感じ入った」と書いてから、あらためて気になっている。実際に、お好み焼は「広く深い」。どんどん焼、フライ、ちぢみ…ちがう名前だけど、おなじような料理が各地にあるし。

に対して、たこ焼は、「狭くて深い」といえるだろう。タイトで深いのだ。なにしろ、あの丸い型だけでも、タイトだ。となれば、お好み焼は、「ルーズで深い」といえる。

こういうふうにパターン分けして、そこにいろいろなことをあてはめてみる。たとえば、「お好み焼型」の料理と「たこ焼型」の料理。「お好み焼型」の人間と「たこ焼型」の人間。「お好み焼型」の情報と「たこ焼型」の情報。「お好み焼型」のブログと「たこ焼型」のブログ。…とか。

拙著『汁かけめし快食學』の解説を書いていただいた、日本コナモン協会会長の熊谷真菜さんは、卒論の「たこやき」が本になったのだけど、なぜ「お好み焼」ではなく、「たこやき」だったのか。また、2008/08/28「大阪、ダイビル140Bの「140B」」に登場の江弘毅さんの著書は『「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ 』であるのだけど、たこ焼屋は街の学校になりえないのか、とか、考えていたら、いろいろ連鎖的に妄想がわいた。

江さんが、「お好み焼き屋は街の学校だ」と書いたのには、それなりの必然があるのだけど、 かりに、一般的に考えてみるなら、たこ焼屋を学校にするか、お好み焼き屋を学校にするかで、ずいぶんちがいがでるような気がする。やはり街の学校としては、考えれば考えるほど、たこ焼屋は不向きではないかという気がしてくる。

もしかすると、江さん嫌いの方などは、あんがい、たこ焼屋を学校にしているのかもしれない。そういえば、江さんを嫌いなわけじゃないが、『「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ 』はよくわからないといっているひとが知り合いにいるけど、たこ焼型のような気がする。ねえ、あんた。

「お好み焼型」と「たこ焼型」は、情報社会においては、対立の関係ではない。だけど、情報社会以前の見方や思考をひきずっていると、対立の関係にみられるかもしれない。世間には、そういうことがよくある。ブログやなんかの、うすっぺらな表層的な「評論」めいたこと(とくに、いまどきの政治?政局?について書いていること)に、こういうことをあてはめてみると、けっこう笑える。げはははっは。

と、やっているうちに、けっこういろいろ片づいた。

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2008/09/01

そうだ、旅に出よう。めしを食おう。

Tabibito_t1「旅人文化振興会」という、あえてダッサイ名前の「旅人文化」だが、ドンドンなにやらやっている。「旅人文化」のキャラクターやスローガンが決まり、Tシャツや缶バッジをつくった。「やどやゲストハウス」も、人気の「たぬきキャラ」をつかったTシャツに加え、てぬぐいをつくった。いずれも、先日、原宿であった、なんやらのイベントで販売した。

Tabibito_t2旅人文化振興会と「やどやゲストハウス」の事務所をかね、中野に7月オープンした「カフェやどや」も、大忙し。正式に飲食の営業許可もおりて、ますます忙しくなるようだ。通販事業も始める予定あり。

バックパッカーたちのアイドル若女将で大活躍のまりりんは、先日『ファンキー・ビジネス』(博報堂)を読んでいた。「やどやゲストハウス」も「カフェやどや」も「旅人文化」も、とにかくファンキーだ。「本読み」「本好き」は、そうは思わないかもしれないが、たいがいのことは、現実のほうが先にすすんでいるし、興味深い真実が存在する。

ファンキーユー、「ユニークになれ」「法人化せよ」「つながれ!」。

法人化する意義は大きい。法人化して存在するためには、必ずヴィジョンが必要だ。そのことによって、この資本主義社会に、バーチャルにではなく、オシャベリではなく、現実に存在を確かにしうる。「やどやゲストハウス」も「カフェやどや」も、コアの法人は、もうある。旅人文化振興会は「やどや」とは別組織であり、別に法人化する構想でスタートしている。ますます楽しくなって、ますます忙しい。そして、ますます展望が開けるなら、ファンキー・ビジネスの未来は明るい。小さくまとまるのではなく、「大」をめざすわけでもなく、小さく始めて、ファンキーにダイナミックに動く。ぎゃほほほほほ。

Tabibito_tenuguiしかし、このタヌキのてぬぐいを見ていたら、これでフンドシをつくりたくなった。このキャラは、なぜかガイジンに人気らしいのだが、これでフンドシつくったら、さらに売れるのではあるまいか。おれだって、ほしいぞ。そうだ、このフンドシをつくったら、「旅人音頭」というのをつくって、フンドシ盆踊りをやろう。いや「盆踊り」じゃ世界中でやれないから、名前は「旅人音頭ファンキーダンス」にしよう。ああ、プランは、妄想から生まれる。

そうだ、旅に出よう。旅に出るのだ。まず今週は北九州でシゴトのついでに旅するのだ。のつもりで、アレコレ片付けて、ガツンガツンへろへろ。喧嘩も、いいだろう。みんな「俺一人」から始まるのだ。その一人ひとりが、集まって「団子」になるのではなく、「つながる」のだ。こじんまり「団子」のようなカタマリになるのと、「つながる」のとでは大いにちがう。ガツンガツンつながろう。そのためには、やっぱ、めしを食わなきゃな。酒も飲まなきゃな。俺会社、俺事業、俺仕事、俺まち、俺めし、俺酒…一人から始めて、つながるのだ。

であるから、ファンキーユーには、「ユニークになれ」「法人化せよ」「つながれ!」に加え、「旅に出よう」「めしを食おう」「酒を飲もう」がいるのだ。おれのばあい。

めし、なら、「ミーツ」10月号「ザ・めし」特集を見ろよ。

旅人文化のTシャツ、缶バッジ、たぬきのてぬぐい、中野の「カフェやどや」で販売しています。
←左サイドバーのリンク、YADOYA Guesthouse、旅人文化ブログなんでも版、をご覧ください。
「カフェやどや」では、これから、いろいろなイベントが予定されている。つながれ!

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防災のキホンは「めし」。『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」9月1日発売。

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特集巻頭エッセイで「茶碗や丼の「街メシ」に、「俺メシ」を獲得する。」と題して書いた。編集者からの依頼は、「街に出て力強くメシを食うこと」について書いて欲しいとのことだったので、とくに関西にこだわることなく書いた。でも、大阪の街を歩き食堂でめしを食べたときの空気を身体に蓄えて、書いた。

扉ページの右は特集タイトル、左に、その文章と、取材した、店名からして、これぞ大阪の大衆食堂というかんじが漂う「成金屋食堂」でおれがめしを食べている写真など。いま、もっとも熱い街雑誌で、「俺メシのあるところ、俺の街だ」と熱く語った。ただし、傷だらけの俺の原稿ゆえ、一カ所文字の間違え凡ミスがある。ま、大勢に影響ない。素直に読んでいる人は気づかないかもしれない。

グッとくる会ってみたい娘がいる食堂や、よくこれだけ「メシ」ネタを集めたものだ。オシャレなバランスもよく、街と人とメシが息づいているパワフルな誌面だ。めしを食うことが、より楽しくなるだろう。全国のめし食うみなさんに見て欲しい。

木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」は「海遊館」。どうかお見逃しなきよう。東京の「大」書店でも、買えます。埼玉なら大宮のジュンク堂にありますよ。宣伝も、よろしく頼みますよ。

京阪神エルマガジン社「Meets Regional」…クリック地獄

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