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2008/10/20

またまた大宮いづみやで飲んだくれ。

きのう。吸うさんが大宮のほうまで用があって来るから、いづみやで飲もうということになった。18時、いづみやの本店。生ビールを飲み始めたところで、吸うさんあらわれる。3月ごろ以来らしい。とりとめなく、おだをあげる。1年に1回ぐらい、笛太鼓の音がする祭りがあるのはいいことだ。という結論。上中里駅そばの、俺がお気に入りの神社は、平塚神社。生ビールのちポン酒燗、梅割り。

飲んだくれていても引っ越しができる体制にあるので、飲んだくれているが、やはり荷物かたづけの少しはやっているわけで、疲労が蓄積している感じがあり、めずらしく閉店の22時まで飲む元気がなく、酔いがまわり、21時半ごろ切り上げ、帰るとそのまま服も着替えずに寝てしまった。

ここに10年住んで、引っ越しするのだが、10年が早く過ぎた感じはない。ま、のろのろでもないが、「はやい」という感慨はない。年取ると時の過ぎるのを早く感じるといわれるが、そういわれるとそうかも知れないと思うこともあるが、たとえば、好きな女がいて、なかなか会えないといった、待ち遠しいことがあると、時の過ぎるのは遅く感じるものではないだろうか。それは生きがいにもなりよろこばしいことだろうが、そうではなく、生きているのがめんどうになったりすると、一日は長いし一年も長く感じるのかも知れない、これはあまりよろこばしいことではないだろうな。どのみち時空間なんてのは人間が考え出したものだから、いいかげんなのだ。人生なんて、ラララララ~なのさ。

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コメント

おお、そういえば、ふんどしコスプレ飲みをやるんだった。どこでやるんだろうねえ、王子神社の境内か飛鳥山公園だろうか。

投稿: エンテツ | 2008/10/20 13:51

次回は祭の季節。褌締めて呑みませう。

投稿: 吸う | 2008/10/20 10:20

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