« 青山でスソアキコ帽子展、渋谷でアルシーヴ社。 | トップページ | 安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。 »

2008/11/06

「四月と十月」10月最新号。

Sigeru_ton_mono003

きのうスソさんの帽子展でもらった『四月と十月』の最新号、ほんと、読みごたえ見ごたえがある。

だけど、この号から、ここに、俺が連載の1人として登場しているのが、フシギだ。アレッ、俺が、どうしてここにいるのだろう、いいのか? の気分。ニンゲン、どこに転がっていくか、わからん。とくに俺のような、ぶらぶらニンゲンは。

そのことは、自分から説明するより、中原蒼二さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」の11月4日のエントリー『四月と十月』をご覧いただいたほうがよい。…クリック地獄

そこにも書かれている。『四月と十月』は、美術系同人誌といってよいと思うし、「同人誌」といえば、たいがいは、一般の商業出版からは、まだ注目されてないか、発表の場所のない人たちが、ビンボウ臭く「自費出版」のように発行するものだけど、この雑誌はちがう。広告界や出版界などの「一流」とか「大手」といわれるところで活躍し、実績を残し、いくらでも発表の場は引く手あまた、実際に忙しくてしようがない人たちがズラリ揃っている。しかも編集発行人の牧野伊三夫さんはじめ、40歳代の脂がのった人たちが中心。

その中にだね、俺、トシだけはくっていて、枯れて朽ちそう、ビンボウ臭い「自費出版」でもするしか発表の場がないのに、カネがなくてそれもできないほど、売れない男、新人なみに世に知られていない、たいした実績も残していない男が、いるんだなあ。

ちがうだろ、なにか間違っているんじゃないか、お前は場末の饐えた臭いのうす汚い酒場に、女にもカネにも見放され、うす汚れた姿で座っているのがお似合いじゃないか。と、自分でも思うのだが……ま、でも、これまでも、こういうことは何度もあった。ほんとうは、気にしてない。うふふふ、じつは、「場違い」こそ、ぶらぶらな俺の居場所なのだ。

で、俺がここにいることになったのは、大胆にも、そんな「場違い」をつくってしまう牧野伊三夫さんのおかげなのだが、中原さんは、俺の文について、こう書いている。

 今号から遠藤哲夫さんの連載が始まった。この人は美術関連ではなく(イヤ、
 おれが知らないだけでそういう関係者かもしれない)、文章の本職である。
 美術関連の方々がなにげなく、静かで良い文章を書かれる中で、エンテツさ
 んは本職としてやりにくいかもしれない。
 しかし、さすがである。熊狩りの猟犬になり損ねた小犬の話しであるが、おれ
 は読んで笑いながら少し泣いた。

もちろん、俺は美術関連ではない。

それに、中原さんの俺に対する贔屓目があるだろうけど、それはさておき、たしかに、「やりにくい」と思わなくはなかった。それは、自惚れすることない、まっとうな判断力がある証拠だと思いたい。これまでの、とくに「アトリエから」に書かれた同人のみなさんの文章を読んだら、「やりにくい」と思うのがフツウだろう。

ま、そこで、いくらか考えて書いた。タイトルを10数本考えて、「ウマソ~」の一本を選び。書き方は、何十通り考えたか。それは「ゼッタイいいもの、負けないもの、うならせるもの」というより、どうせなら、いろいろな試みを盛り込んでみたいと思ったからだ。

文章原稿に、写真原稿を一点用意することになっていた。これもアレコレ加工してみて、10点ほど作ってみた。その中から、ここに掲載の写真を、最初に送ったのだが、考え直し、けっきょく、まったく加工しないものに差し替えてもらった。写真の説明は本文にも書かなかったが、見れば豚の頭とわかるだろう。

俺の話は、いいや。今号のメモ。

この号から、古墳部で一緒だったことのある、セキユリヲさんが同人として参加している。
宇田敦子さんの「自炊」は、スゴイおもしろい。ひとは、なぜ、「自炊」するのか。
教頭先生、田口順二さんの絵日記、8月26日の「夏休み(日曜日)ぐらいは休みたい」に笑った。
久家靖秀さん、広告もあるが、『久家靖秀写真集 庭と園』(フォイル)を刊行。それにからんで、

 「庭」とは旅の途中に遭遇する突然の風景。
 「園」とは約束された場所を訪問することで出会える景観。
 
 建築と境界の間に「配列される」空間が庭園であり、
 知覚と言語化の「交叉上に」写真が生成する。
 
 「中間の中間は存在しない」のか?

と、書く。なるほど。中間の中間は、存在しても把握が困難なのかも知れない。

有山達也さん、原田郁子さんに絵を描かせている。読んでると、俺も絵が描けそうな気がしてくる。
言水ヘリオさん、彼の持論中の持論らしいところを書いている。「生活の中の料理」と大いに関係あることなので、これは後日別に話題にしたい。
仕事場訪問は、牧野さんが書いている。登場するは、吉増麻里子さん。知らなかったひと。激しく興味をそそる。「絵を書くためには、もちろん知識が必要です。でも、それが先行するのは私は好きではありません」
牧野さんは書く。「未完成だが大きな展望を秘めた吉増さんの作品群に、僕はそうはなりたくないと思いながらも自分が嗜好が定まりかけた偏狭な画家に思えてきて、打ちのめされた」と。そう思えているうちは、まだよいのだが。気をつけよう。
あと、いつもの古墳部の活動(糸魚川)に山部(日光・戦場ヶ原)の活動。

「四月と十月」公式サイト…クリック地獄
四月と十月展開催中(今月17日まで)…クリック地獄


関係ないが、きょうは、来年展開のいいアイデアが浮かんだ。

|

« 青山でスソアキコ帽子展、渋谷でアルシーヴ社。 | トップページ | 安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 青山でスソアキコ帽子展、渋谷でアルシーヴ社。 | トップページ | 安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。 »