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2008/11/13

「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。

ときたま居酒屋などで隣に座った男の客から、東京の居酒屋のランキング、たとえば「名店の上位5店は…」「3指に入る名店はどこそこ」といった話や、あるいは東北地方のどこそこのなになにのナントカという居酒屋は名店でありどうのこうの、といった話などを聞かされる。そういうときは、まずは相手のいうことに逆らうことなく俺はテキトウに聞いている。たいがい、そういう話には、正確さも深みもなく、その人が「敬愛」しているらしい著名な居酒屋めぐりの著書の受け売りやそのバリエーションあたりが、せいぜいなのだ。「ファン心理」の「思い込み」に本気になって逆らうほどバカバカしいことはない。だけど、テキトウに聞いていると、相手はこちらも同好の仲間と思ってかエスカレートする。で、うっとうしくなると、俺はそういう話を聞きにココに来ているわけじゃないとピシャッと言ってしまう。

たまーに、食べ歩き飲み歩きといった分野で、俺よりはるかに活躍している売れているライターさんと飲むこともある。彼らが、いい店があるからと連れて行ってくれて、どうですここはいいでしょう、どうですここの刺身は、とか言われると、それほどじゃないナと思っても、やはり逆らわない。ま、そういう話をしたくて飲んでいるわけじゃないから、相手をいい気分にさせておいても、自分はソンはない。それに、俺が付き合うひとには、自分の考えを押し付けて来る人はほとんどいない。だから、いいのだ。

「人気店」「繁盛店」というのは、「名店」より実態がわかりやすい。モンダイは、そういう店の味の話になったとき、有名なライターのAさんとBさんと、たとえば、どこそこのラーメンの話になったとき「コッテリ」とか「アッサリ」や「サッパリ」とかの基準が、かなりちがうなと思うことがある。しょっちゅう会って、そういう話をしていると、そこにあるていど共通の認識はできそうだが、たまにで、しかも地域がとんでいる店の話になると、お互いにそのへんがうまく噛み合っていないなと意識しながら話している感じもある。んで、とにかくあそこは「名店だよ」あれは「絶品だよ」「そうだ」「そうだ」ってなところで、一杯機嫌で盛り上がっておわる。この場合、「名店」だの「絶品」だの印籠語は、酒の景気づけ酒のつまみで、本気でそう思っているかどうかは別だ。お互いにそのていどのことはわかっている。

「人気店」「繁盛店」あるいは「名店」といわれる店には、「何度いっても、うまい」といわれる店がある。「あそこは、いついってもうまいよね」「あきないよね」、多数がそういう。それは、もしかすると「無難な味」という可能性がある。…って言おうものなら、ツバをとばして反論をくらいそうな気配もある。しかし、そうかも知れないと考えてみる余裕は欲しい。「うまい」といわれる味には、無難な味もあれば、一年に何度かなら「うまい」と思って食べられるかもしれないが、しょっちゅう食べたいとは思わない「うまさ」や、あきがきそうだけどいまは「うまい」という「うまさ」などさまざまだ。自分が、どんなとき、どんな味を好むかを知っていることは大事だなと思うことがある。

そして、書くとなると、さまざまな判断のうえに、どう書くかというモンダイがある。

以前から、山口瞳さんの文章は、とてもベンキョウになると思っている。このあいだ読んだ、この文章などは、まさに。文章以前の人間性や判断の仕方も、ベンキョウになる。『酒食生活』(角川春樹事務所、グルメ文庫)の「庄内のフランス料理」から。


 初孫が冷してあった。二級酒の小瓶(こびん)というのは、市販されていない酒であることを意味している。暑いので上衣(うわぎ)を脱いだ。
「上衣を脱いで、腕まくりをして、手掴(てづか)みで食べるのがうちのフランス料理です」
 佐藤さんが言った。彼は、こうも言った。
「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」
 その言葉は、おそらく、私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう。
 ここで公正を期するために、また、嘘(うそ)を書くのが厭(いや)なので言っておく。
 初孫は私の口に合わない。ノド越しのときの味が、私の好(す)かない味である。総じて庄内の酒は私には合わない。葡萄(ぶどう)には葡萄酒用の葡萄と生食(せいしょく)用の葡萄とがあるが、日本酒も同じであって庄内米(まい)はコメとしてはうまいが酒用としてはどうだろうかというのが私の率直な感想である。後でお目にかかることになった杜氏(とうじ)も、庄内米では酸味が出ないと言っておられた。
 さらに公正を期するために『四季の味』編集長の森須滋郎(もりすじろう)さんの文章を紹介しておこう。
「一(ひ)と口、舌の上で転がしてみると、昨夜の"越乃寒梅(こしのかんばい)"よりも、さらに淡泊だ。冷たいのが快くて、一と息にグーッと飲むと、まるで谷清水(たにしみず)でも飲んだような清冽(せいれつ)さだった。食前酒らしくない飲み方だが、食欲は大いにそそられる」(新潮社刊『食べてびっくり』のうち「感激!庄内のフランス料理」より)
 これは間違いなく私の飲んだのと同じ酒であり、秋もそう思うのだけれど、問題はノド越しのあたりのことになる。
 そうは言っても、私は、かなり早いピッチで初孫を飲んだようだ。

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