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2009/01/21

寒中見舞い葬式結婚「春の雲」。1909年生まれ、生誕100年。

長野県下諏訪のすみれ洋裁店から葉書大の封書が届いた。あけると、「寒中お見舞い申し上げます」の書に、一年前の寒中見舞いもそうだったがミシンでものを作っているひとらしく、紅白の糸を縫いつけたカード。そのカード、片面がドッキリ「わたしのお葬式」と。

清らかな秋晴れの空の下、地元の諏訪大社にて
私、松崎緑は無くなりました

すでにブログに書かれているが、結婚されたのだ。「わたしのお葬式」をひっくり返すと「わたしの結婚式」になる。

清らかな秋晴れの空の下、地元の諏訪大社にて
私、松崎緑は結婚式を挙げました

新しい名前は、最近のブログに書かれている。遅まきながら、おめでとうございます。

続続・すみれ日記 
http://sumire-yousaiten.blogspot.com/

Simosuwa_sumire_002

封書には、ほかに、昔の藁半紙の文庫本の1ページのようにデザインされた「徒歩10分の場所」という、すみれ洋裁店の道案内の文章が入っていた。「信州の小さな町、下諏訪の駅の改札口は一つしかありません。/その改札を抜けると、大きな御柱が駅正面の両側に門のように聳え立っています。」と始まる。

そうだ、あの場所だ、あの看板だ、あの、一度行けば記憶に残る店だ。この文章、ただの道案内なのに、ただの道案内の文章じゃない。うーむ、素晴らしい。「道案内文学大賞」の大賞を贈りたい。力強く簡潔で芳醇にして爽やか、腰が据わっている。清酒にたとえるなら…って、そんな清酒があるか。

そして、もう一つ「案内」が入っていた。中綴じ四頁の小冊子。あまり文学してないおれは、初めての題、初めて著者。「春の雲」、「「善光寺平」より」とある。

「善光寺平」津村信夫著/國民圖書刊行會発行(一九四五年一二月)より抜粋、なのだ。

これは、「信州といふ國」への案内の導入部にあたるらしい。「信州の人々にとっては、「春」と云ふ言葉は、あなた方が考へるよりも、もつともつと深い味はひがあるのです。」「それはなぜかといふと、この信州といふ山國の冬がたいへん長いためなのです。」「長い冬は、また寒さもたいへんきびしいです。」

おれは越後の雪深い南魚沼の育ちだが、信州には、魚沼地方にはない厳しい寒さがある。ことに盆地の下諏訪あたりは、真冬にも何度か行った、「行った」というより「通った」のであり、山やスキーの帰りの「途中下車」のようなものだったが、凍った諏訪湖も見て、その厳しい寒さを味わった。

「春の雲」には、その諏訪湖畔に住まいがあった、島木赤彦さんの歌がある。

信濃路はいつ春にならむ夕づく日
入りてしまらく黄なる空のいろ

島木さんの代表的な歌の一つにあげられる。津村さんは「赤彦さんは、きつと静かな冬の一日、氷をはりつめた美しい湖のそばで、この歌をよまれたことでせう。」「この歌は、すべての信州の人の春を待つ気持をたいへんよく云いあらわしてゐると云ふことが出来ませう。」と書く。

20090116

通勤通学

天気 晴れ 気温 -1℃

この冬一番の寒さ。
ほっぺが痛い寒さ。
息を吸うと肺が凍りそうな寒さ。
歩いても歩いても温かくならない寒さ。

20090115

団塊の世代

天気 晴れ 気温 1℃

いよいよストーブが気温に追いつかない時期になる。全力で燃えてくれるけれど、なかなか暖まらない。

…とブログに書く旧松崎緑さんの気持でもあるだろう。冬の厳しさと春を待つ強い気持が、肉体の芯に蓄えられ、すみれ洋裁店の作品に実を結ぶ。のだと思う。

ところで、「春の雲」の奥付だが、発行日:二〇〇九年一月五日、発行所:クラウス、デザイン:笠原直樹、そして、「二〇〇九年(西暦)は、詩人・津村信夫生誕一〇〇周年です。」とある。

生誕100年といえば、いま出版文学業界では、松本清張と太宰治が華々しい。この二人が同じ年の生まれというのは意外だったが、おととし2007年の夏には偶然、1か月のうちに松本清張さんの生誕の地(北九州)と太宰治さんの生誕の地(青森県金木)を訪ねた。

それは、どうでもよい、この小冊子がなかったら、こんなに見事に、春を待つ雪国の人々の気持を書いた津村信夫さんのことは知らずに終わったかも知れない。

そして、父の生誕100年であることも、思い出した。松本清張や太宰治の生誕100年では思い出さなかったが、この津村信夫生誕100年では思い出したのだ。100年前、明治42年、1909年、父は南魚沼の雪深い地に生まれた。

この世には、あまりにも奇怪かつ不可解な、書くこと訴えることすらできない境遇に置かれることがある。永遠に春が来ない冬のようなものだ。それでも父は重い鉛色の空を呑み込んだまま、それから40年以上84歳まで生き、たぶん、春を見ないまま、春に死んだ。

津村信夫さんは、おれが生まれた翌年、1944年に亡くなられた。
日本が占領下におかれる前年。

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