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2009/01/25

生活。

引っ越しをすると、「生活」が鮮明になる。「生活環境」が変るからだ。駅までの道順、買い物の道順…。たとえば買い物をする店。何軒か試しに買ってみて、近頃は、ほぼ固定した。値引きシールが何時ごろ貼られるかも覚えた。

ウチは新聞をとってないから、チラシを見比べて買い物することはできない。店に行ってから、今日は何が安くてよいかを知る。いちいち計算しながら買うことはしないが、同じ店で買い物をしていると、これでだいたい千五百円ぐらいだろうとか二千円ぐらいだろうという見当が、ほとんどはずれないようになる。つまり習慣的な判断ができるようになる。習慣的な判断は、道順の選択のように、たいして意識されることがない。それが、新しい生活環境に慣れたということなのだろう。

通いなれた生活のなかの酒場だったら、メニューを見ずに頼んでも、勘定の判断がつくだろう。まだ、ここに、そういう行きつけはないが。

習慣、広辞苑の第五版を見たら「日常の決まりきった行い」とある。ようするに、くりかえし行う日常の決まりきった行い、これが、生活ってもんだな。

ときには、ヨシッ今夜はフンパツして鯛のしゃぶしゃぶをやるかと二千数百円の鯛を買う(モチロン養殖)。そのときは習慣的な判断とはちがう「フンパツ」な判断をしている。そして、ちゃんと、その金額は超過になっている。

ひさしぶりに鯛をおろした。約35センチの鯛で、まな板からはみだす。やりにくい。でも、ひさしぶりにしては、うまくやれた。鯛をおろすのは習慣ではないが、何度かやったことがあり、包丁さえ切れれば、大過なくできる。自慢するほどのことじゃない。

ひとのイノチやココロにとっては、習慣的な判断が大事だとおもうが、仕事と趣味のかげで生活が軽視されがちできた近代日本では、非日常的なイベント的な、派手なこと、特別なこと、珍しいこと、新奇なことなどが注目され、習慣的な判断の基準は、あまり問われないし話題にならない。

不況になると、「倹約」が流行る。それはまあトウゼンのことなのかもしれないが、なんだかオカシイ。カネがあるなら贅沢をし、カネがないから倹約ということならば、生活のプリンシプルやポリシーってのは、どうなっているのかとおもう。

とかくカネを気にしないで買い物するのが、カッコイイ、出世というか成功というかの証しのようにおもわれている節もある。もちろん、見栄も関係する。所有するだけ所有し、占有するだけ占有し、蒐集するだけ蒐集する。数をやりたおす、ナンパも、飲み歩きも食べ歩きも、おなじ。消費主義が、それに輪をかける。そこには、優越感や自慢や自己顕示はあっても、生活のプリンシプルがない。

プリンシプルのないところ、処世術がものいう。倹約も、不況脱出までの処世術にすぎない。もう何度も繰り返してきた。おごった口は倹約できても、おごった気分と態度は、処世術ぐらいじゃ、なかなかあらたまらない。

『平成ノ歩キ方 4』(木村和久著、小学館)をパラパラ見た。「平成不況を吹き飛ばす」「不況よ、さらば」の言葉が腰巻にある。1994年の発行。風俗の仔細は変わっても、またくりかえしだ。とくに、おごれるテレビや出版などのギョーカイ人や周辺は、あいかわらずだねえ。

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