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2009/01/30

カレの味覚の居場所をめぐって。

もちろん、このタイトルは、3月7日シンポジウム「場所の力――歩きながら考える」で、五十嵐泰正さんとおれがやる「都市の隙間―<貧乏くささ>の居場所をめぐって」からのパクリ連想だ。

前のエントリーの「葬儀屋と保育園」については、イマイチ言葉が足りなかったような気がする。ようするに「葬り屋」と「育て屋」ではちがう。そんなことは、誰だって知っていそうなものだが、なんだか、近頃とくに「葬り屋」が「育て屋」のような顔をすることが少なくないような気がした。消えてゆくものに、「伝統」や「未来」をみているわけでもなく、懐古、追悼、追憶…などの、アートな素晴らしい墓標や記念碑(文章などもね)をつくる。それが上出来だったとしても、それは、「葬り屋」の仕事であって、「育て屋」をしているわけじゃない。それを、あたかも「育て屋」をしているがごとくふるまったり、自慢したり自己顕示するから、オカシイのだ。

おれは、ニュースを見て、警視庁に「少年育成課」があるのに、おどろいた。警察は「育成」が仕事なのか、警察が「育成」の仕事ができるのかと、いぶかったのだ。

ま、警察官が、どのような「育成」の技術や方法や知識を身につけているか知らないし、それが、教育委員会のような他の地方自治体の役所の「少年育成」とおなじなのかちがうのかも知らない。警察は「育て屋」の仕事ができるのか、そういう仕事をするところなのか。「育成」は看板であり「取り締まり」ではないのか、もし「育成」が看板どおりだとしても、警察が「育て屋」に手を出すのはよいことなのか、そうおもった。

井上ひさしさんが、何かに書いていた。彼は子どものころ、数か月ぐらい、岩手県の一関に住んだ。きょねんの夏、一関市の世嬉の一酒造さんを取材したときも、その話を聞いた。

で、井上少年は、本屋で盗みを働いて、その場で本屋のおばさんに見つかってしまう。おばさんはどうしたかというと、本を一冊盗まれることが本屋にとってどんなに大変なことかを話したのち、裏庭かどこかに連れて行って、まき割りをさせる。まき割りが終わったころ、おばさんは、その本(たしか国語の辞書だったと記憶する)を井上さんにあたえ、そのうえ、おカネも渡す。そのカネは、まき割り賃から、本代を引いたものだった。おばさんは、働けばカネがもらえて、カネを得れば、こうやって買えるのだ、そうするものだと、諭す。たしか、そんな話だった。

まさに「教え諭す」つまり、おばさんは「教諭」をしたのだ。

実際、ひとを教え諭すのは、簡単ではない。そのことに知恵をしぼっていなくては、その場面になってからでは、できることではない。

子供を信頼するだけではなく、子供はまちがったことをするものだとの覚悟がいる。教え諭すことを「生活の知恵」として日頃から考えていなくては、その場になって、大声出したり「体罰」したりという、自己の怒りまかせた行動になってしまうだろう。でなければ、警察にまかせることになる。

おれも、イザとなると、このおばさんのようにできるかどうか自信がない。本を読むより愛人を大事にしなさい、と諭しそうだ。あまり「健全な人間」になりたいとはおもわないし、自信はないが、子供も大人も、人はまちがいをおかしやすいものだから、教え諭すことが、「育てる」ことの基本になっていなくてはおかしいだろうとおもう。それでこそ、「罰」は生きるのだとおもう。

教え諭すことが前提になっていない、その方法も知識も考えられてないところで、「育成」をはかると、どうなるだろうか。

性善説だの性悪説だのを、わかったようにふりまわす前に考えなくてはならないこと。体罰がいいか悪いか以前に考えなくてはならないこと。野宿者に「怠け者」のレッテルを貼って排除すれば済むモンダイなのかということ。

これは、くえないものをうまく食べられるようにしてきた料理と似ているところがある。そうおもって、「カレの味覚の居場所」のタイトルをおもいついたが、きょうは、もうアタマもキーを打つ手もくたびれた。

未来をよくする知恵をしぼっていなければ、未来はよくならない。ありふれたものをおいしく食べる知恵をしぼっていなければ……。

ま、備忘のメモってことで。
24時を微妙にすぎてしまったな。

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