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2009/01/27

北九州市折尾の学生食堂の閉店と橋本食堂の休業。葬儀屋と保育園。

Orio_horikawa0074ナントナク、落ち着かない。でれでれ続いて締め切りのない仕事がある。終わったのか終わってないのかわからない。システムのメンテナンスのような、あるいは行方の知れぬ恋のような。

いろいろなニュースが飛び込んでくる。といっても新聞ネタではない、近辺ネタだ。クボシュンさんから電話があって、ブログネタになりそうな話が、たくさんあった。なかでも老化防止策として、「胸がときめくような恋をしたい」は、おもしろかった。胸がときめくような恋か、いいねえ~。だけど、よほど惚れないかぎり老化対策ぐらいじゃ恋なんかメンドウなだけだろう、それに、これぞとおもう女に冷たくされ相手にされなかったら、苦悩だろう。老いらくの失恋と苦悩は、たぶん、身にこたえて、イノチを縮めるぞ。…そういうことじゃない。けっきょく二人の話が行き着いたのは、前立腺の老化に関する諸モンダイと対処について、なのだった。こんな話をしたなんてブログに書くなヨといわれたから、カンジンなところだけ書いた。彼は職場の休憩時間中の携帯だった。

大阪のココルームから、3月7日のシンポジウム「場所の力」のチラシが届いた。欲しい方、配布していただける方、連絡ください。

さて、ほかに、いろいろあるが、これは、まちがいなく重大ニュースだ。

「吹ク風ト、流ルル水ト。」を見たら、北九州へ行ってきたらしく、こんなことが書いてあった。
http://ho-bo.jugem.jp/
2009.01.27 Tuesday

エンテツ 様

 折尾・堀川沿いの「学生食堂」おかみさんの高齢化で閉店。
 特チャン(特製チャンポン・200円)で名高い、「橋本食堂」の入口には「しば
 らく閉店」の貼り紙、どうやら高齢のご主人が亡くなられたようです。
 以前から、今にも崩れ落ちそうだった橋本食堂の屋根にも、雪が降り積もって
 いて、あらゆるものが往き過ぎていく…、そんな思いの折尾行でした。


学生食堂も橋本食堂も、おととしの『雲のうえ』5号で取材した。

学生食堂を一人でやっていたおばさんは、すでに、身体の具合が悪いといって、動きも何かをいたわるようにゆっくりだった。橋本食堂のご主人は元気そうだったが。

とにかく、画像を掲載する。

どちらの食堂も、北九州市八幡西区の折尾駅に近い、堀川(最初の画像)をはさんで、ほぼ向かい合っている位置にある。堀川は、奥地で産出する石炭を運ぶため掘削整理された川で、折尾と北九州だけではなく、日本の近代を語る、貴重な場所だとおもう。近代の産業と労働と生活の風景が凝縮しているところ。が、例によって、区画整理で、この景色は変えられようとしている。

Orio_hashimoto0092橋本食堂は、その区画整理に反対する文章を店の前に貼って営業していた。文面を正確に覚えていないが、「私たちの記憶が溜まっているところを奪うのか」というようなことが書いてあった。自分が生きる「場所の記憶」に対するおもいが感じられた。建物も、ここで生きぬき、老朽の道を歩んでいる風情だった。

『雲のうえ』では、橋本食堂について、本文中、こう書いている………

 『橋本食堂』は200円の「特製チャンポン」一本勝負。八幡西区折尾の学園門前町ともいうべき立地で、周辺には、東筑(とうちく)、折尾、自由ヶ丘、折尾愛真(あいしん)などの高校短大がある。そこの子供たちは、もう家族みたいなものだ。特製チャンポンのほかにも、ソフトクリームなど簡単な甘味もある。開店40年、あるじは黙々とチャンポンをつくる。その後姿に長年の一徹とやさしさを感じる。また会いたい、忘れられない、名物にしたいような背中だ。

………引用、おわり。

Orio_hasimoto011また、写真のキャプションには、こう書いている。「夏休み中でも、体育祭の準備や部活の子供たちで混みあっていた。卒業した先輩が後輩と連れだって来る。思い出になる場所なのだろう。その思い出には、あるじ夫婦がいるにちがいない。」

画像は橋本食堂の外観と、『雲のうえ』に掲載の齋藤圭吾さん撮影の写真。黙々とチャンポンをつくるあるじの後姿を、うまく撮っていてくれた。

学生食堂C&Dは、写真のキャプションに、こう書いている。
Orio_gakusei0075「橋本食堂と堀川をはさんでいる、同じ学園門前町だ。看板の下の赤いかすれた文字が「C&D」と読める。子供さんがつけたキャッチフレーズだそうで「チープ&デリシャス」の略。もう最高。中は、おれの記憶にある1960年代の学生食堂をほうふつとさせる。ひさしぶりに小麦粉の味がするカレーライス(350円)を食べた。」

Orio_gakusei0078

たくさんの食堂の閉店を見送ってきた。

すべてに始まりと終りがあり、「あらゆるものが往き過ぎていく」のだが、書き方はさまざまだろう。おれは、すでに何度も書いているように、そこに何がどのようにあるのか、その記憶を書きたい。懐かしく残念でも、懐かしがって残念がって、それで葬送を終えてしまうわけにはいかない。

「あらゆるものが往き過ぎていく」なかの、どこに「伝統」をみて、どこに「未来」をみるか。場所にふさわしい生活の原理や知恵などは、そこに成り立つ、ハズだとおもう。

「記録」は、葬送の墓石に刻むようなものと、保育園で未来のある子供たちに語るためのものでは、おおいにちがう。文章以前に、そのことがあるだろう。葬儀屋は保育園ではない、保育園は葬儀屋ではない。

たぶん、人間が生きていくためには、いつも黙って見つめてくれている存在が必要だ。このひとに見つめられている、とおもうだけで、なんだか安心だったり元気になる存在。「やさしさ」とはちがう「あたたかさ」というのは、そういう無言なものだとおもう。食べ物にしても、特別なものじゃないが、それを食べると、なんだかホッとするものがあるだろう。たいがいの食堂は、そういう食堂であるし、橋本食堂も学生食堂も、そんな食堂だった。

2011年11月12日、追記。
ここに書いた橋本食堂さんのご主人について、下のコメント欄に、亡くなられたのは奥様との情報をいただきました。とんだ間違いで、すみませんでした。お詫び申し上げます。

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コメント

折尾の200円チャンポンが懐かしく・・検索をしていたのですが・・もう何年も前に閉店されたのですね。とても淋しく悲しい気持ちになりました。もう1度 あのおばちゃんとおじちゃんがいるお店の中で あのちゃんぽん・・食べたかったです。 おばちゃん・・私のことは覚えてないと思うけど、私は覚えてるよ。2人とも愛想が良いわけではないけど何故かあたたかかったあのお店、ずっと忘れません。ありがとう。

投稿: ようこ | 2014/11/26 17:18

ふらりと寄りました。
折尾の高校に通ったという彼女と、いつも北九州に寄ったときには「得ちゃん」を食べていました。
更地になっていたときのショックは本当に忘れられません。
あの独特なちゃんぽんの味をまた食べることができないと思うと、残念でなりません。
とくちゃんとクリぜんは毎回食べていました。
(最近、知り合いの人に、「とくちゃん」のちゃんぽん麺は製麺所が折尾にあり、とくちゃん以外にも遠賀等にいくつか同系統の店が存在する、という噂を聞きました。今度回って調べてみたいと思っています)

あそこの食堂は味もそうですが、下校時間に学生でワイワイ賑わっている雰囲気もとても良かったですね。:)

投稿: とくちゃんファン | 2012/06/10 20:23

caramelpapaさま。

はじめまして。

橋本食堂さんのご主人については、このあと北九州の方にも確認し、その場所も更地になったと聞いていました。とんだ間違いがあったようです。貴重なコメントありがとうございました。

「橋本湯の隣の天狗屋」の話は、はじめて知りました。長い間土地と共に生きて、たくさんの方に好かれて思い出を残した食堂だったと、あらためて思います。

折尾も変わっていくような話を聞いていますが、場所の記憶は語り継がれることを願っています。

投稿: エンテツ | 2011/11/12 06:53

もう古い話題ですが
ご主人が亡くなったのではなく
奥さんが亡くなったのでやめられると言うことでした

お店が取り壊される時に
ご主人に会えました

いつの間にか
橋本食堂と呼び名が変りましたが
僕らが通っていた頃は
橋本湯の隣の天狗屋でした

お好み焼きと
特製ちゃんぽんと
ちゃんぽんうどんが売り物でした

 

投稿: caramelpapa | 2011/11/11 19:24

oppoさま、ありがとうございます。
橋本食堂さんのチャンポンとソフトクリームは、たくさんの青春の思い出を残してくれましたね。
折尾のあたりは、再開発で、だいぶ変るようです。

高知へは、1980年前後ですが、よく仕事で行っていました。高知も、だいぶ変ったことでしょう。

投稿: エンテツ | 2010/03/11 09:58

橋本食堂の名前が懐かしく、検索していてたどりつきました。
ブログの文章からリンクさせていただきました。
 
懐かしくてキュンとします。

投稿: oppo | 2010/03/11 00:07

まきまきさま

そうですか、更地の現場を見たのですか。
私は、そこを見てないから、
いくらか救いがあるのかも知れません。

残念とさみしさを、
いいものを継承していくバネにしたいものです。

投稿: エンテツ | 2009/08/29 01:09

更地になってたのが信じられなくて今日行ってみたら・・

残念なことにホントに更地でした。。

だいぶ長い間休業してたのでこうなるような気がしてましたが

特チャンがなくなるなんてさみしくて仕方ありません。

投稿: まきまき | 2009/08/28 17:07

くにさま、コメントありがとうございます。

橋本食堂さんは、取り壊され、更地になったと聞きました。でも、橋本食堂さんが、みなさんに残した思い出は大切にされるにちがいないとおもっています。

堀川沿いの景色は、大きく変わることでしょう。変わっても思い出がたまる、愛着のもてるまちでありますよう願っています。

「雲のうえ」ご愛読ありがとうございます。これからも、よろしくお願い申し上げます。

投稿: エンテツ | 2009/08/11 11:40

昭和50年代に折尾で高校生活を送ったのですが、20数年ぶりに昨年秋に橋本食堂を訪問したら定休日だったのです。あのとろみのある特ちゃん、そしてクリームぜんさい、合計で300円の時代でした。部活の後に、そして仲良し同志でと、日々の生活に染込んだ味でした。近々帰省の予定があり、こんどこそはと思っていたのですが、残念です。とはいえ、再開の希望も持ちつつ折尾駅をおりてみたいと思っております。

雲の上、機内誌として頂きました。

投稿: くに | 2009/08/11 02:57

佐竹さま

コメントありがとうございます。
古い店、古いまちには、思い出がたくさんつまっていますね。

折尾へは2回行って、あまり時間はなかったのですが、高橋酒店さんで角打ちをやりました。「いごや」さんというのは、なんとなく記憶にあります。

また是非とも行きたいのですが、はたしてチャンスはありますか。

いい思い出を大切になさってください。

こちらにも折尾のことを書いています。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2007/07/post_effb.html

投稿: エンテツ | 2009/03/09 01:13

はじめまして。特チャンのご主人は、お亡くなりになられたのでしたか。
昨年春から折尾の実家に帰省して、懐かしく思い出しまして去年末からあの辺を散策ついで、何度かお邪魔したばかりでしたので驚きです。
私も福岡のSNSサイトなどで紹介して昔なじみの友人たちの間でも話題になり、『その後何度か行った」と言う声もあって、密かなブームになってたところだったのに残念です。
最近言った友人が「閉まっとったバイ」という話は耳にしていたのですが、まさかそんな事とは思いもよりませんでした。
橋本食堂の並び、東筑高よりに「いごや」と言うお好み焼き、もんじゃ焼きの店もあります。高校時代、初めてもんじゃ焼きを食べた思い出深い店でもあり、御年80のおばちゃんが今もマイペースで病院に行く日以外は営業されています。このおばちゃんも町の生き字引のような方で、取材されると面白いと思います。
また、店を出て左に折れた並びの「宮原酒店」という酒屋で角打ちの店の雰囲気は素晴らしいです。となりのトトロのメイの家の風情です。中庭を抜けてトイレに行くのですが、この景色が最高です。
ちょっとコメントするだけのつもりが、長々となってしまいました。
失礼致しました。
 

投稿: 佐竹僚太郎 | 2009/03/08 06:53

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