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2009/01/31

ぼうずコンニャクさん、怒りの幕の内弁当。

げhahahaha、ぐははははと笑った、「ぼうずコンニャクのうまいもん日記」1月21日「北陸本線特急はくたかで大友楼「能登和牛弁当」」…クリック地獄

こんなふうに怒っている、ぼうすコンニャクさん。

 やっと席についたら駅弁を売りに来た。
「何がありますか?」
 というと「ますのすし」に幕の内弁当だという。
 ボクは基本的に白いご飯が好きなので幕の内にする。
 値段1100円は高いなと思うが、幕の内的に豪華なんだろうと期待する。
 これが大失敗だったのだ。
 中をあけるとぜんぜん幕の内ではない。
 「はくたか」にのった初っぱなにイヤなことがあって、それでこれかよ。
 ますます不愉快になる。
 責任者出てこい。
 これは決して幕の内ではない。
 牛肉弁当とすべきだ。
 幕の内の基本は俵型に型押しした白いご飯に黒ごま、そこにちまちまとおかずというもの。

……まだまだ怒っているのだが。そうなのだ、この弁当は、どっちかといえばぶっかけめし弁当だ、「牛丼弁当」のようなものだ。

幕の内弁当は、芝居見物の芝居弁当から始まったといわれている。それは、『幕の内弁当の美学 日本的発想の原点』(榮久庵憲司著、朝日文庫2000年)にも、「芝居弁当の形式」に「食べやすい小型の握り飯に汁けのない数種類の副食物を添える形式をとっていた」とある。いまでは、ほとんどの幕の内弁当のめしに、俵型の押しがあるのは、俵に握ったにぎりめしの名残りだろう。幕の内弁当は、握りめしから発展した系譜と考えられる。

とにかく、めしと汁気のあるおかずが混ざってはならない、というのが、形式だけではなく料理としても、幕の内弁当の特徴であるはずだ。幕の内弁当と汁かけめしは、一つの器に一元化されている点は共通しているが、料理と結果であるめしの味覚は、まったくちがう。白いめしが食べたいとおもって幕の内を選んだぼうずコンニャクさんが、牛肉がめしの上にのっていて、タレ汁をかけて食べる牛丼弁当のようなものに怒ったのはトウゼンだ。

JRは、そもそも「JR」だの「びゅう」だのと、日本の言葉の伝統の破壊を気にしないでやっているところだ。「牛丼弁当」のようなものを「幕の内」だということなんか平気なのだろう。もっとも、国民食といわれるようになった黄色いカレーライスを汁かけめしとして認識できない状態なのだから、料理や伝統の見方そのものが、根本のところでイカレているのかもしれない。幕の内弁当まで、日本は迷走してますなあ。

『幕の内弁当の美学 日本的発想の原点』は、1980年にごま書房から刊行され、「日本文化論」として大変話題になった。全編にわたって、これでもかこれでもかと、さまざまな事象を幕の内弁当の美学につなげて、その強引さまでおもしろい。カンジンな一点は、「ほどよさ」の美学や発想だろう。とくにバブル以後、失われてきた、「ほどよさ」を考えてみるのもよいようにおもう。

この件については、きのう届いた『ミーツ・リージョナル』3月号(京阪神エルマガ社)の、あるコラムに関係するので、あとでまた書く。ミーツの特集は、「ラブ たまご」。めくるめくパーンクなたまごワールド。不況下の貧乏人も薄金持ちも見栄金持ちも楽しめる、たまご料理。じつにタイムリーだし、待っていたぜ、こういうの。という感じ。明日発売。書店で手にとってみればワカル。

きょうは『雲のうえ』10号(北九州市)も届いた。特集は「銘店巡礼」。食の「銘店」のことで、ま、どんな雑誌も一度はやる、やりたがる、人気がとれる無難なテーマ。はたして、「雲のうえ」らしさ、つまり「北九らしさ」はでたか? 「北九州における銘店とは」どういうものだろうか。大変興味深い。読んでから、後日紹介します。

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