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2009/01/12

「東京現象」の行方。

前と、その前のエントリーに書いた「都鄙臨界地帯」のように、東京の地理的臨界は、目視しやすいところもある。が、目に見えにくいのが、文化的臨界だ。

1980年代以後の、「欲望循環」的バブリーな経済と両輪の消費主義の文化は、主に「東京」の「侵略」もしくは「蔓延」というカタチで進行した。といえるわけだけど、とくに文化的な面を掘り下げた代表的な著書というと、タイトルもズバリな『「東京」の侵略』(月刊アクロス編集室 編・著、PARCO出版)と『東京現象』(中野収著、リクルート出版)だろう。前者は何度かこのブログでもふれているが、1987年の発行、後者は1989年の発行だ。どちらも当時は話題の書だった。

もし、1980年ごろからあとの「欲望循環」的バブリーな経済が、「破産する人が増え」「最終的には国民の負担」となり行き詰まるとするなら(すでに行き詰まっているようだが)、その経済を背景やスポンサーとしていた消費主義の文化や「東京現象」の行方はどうなるか。そして、「東京現象」をモデルとしない生き方や文化を考えてみるとどうなるか。

もしかすると、文化的な臨界に、これからの望ましいモデルがありやしないか。だけど、文化的臨界は、どのへんにあるのだろうか。ってなことで、とくに「東京現象」の侵略もしくは蔓延について考え直してみるのもオモシロイ。

これは唐突のようだけど、大衆食堂とも関係ありそうだし、食と深い関係にありそうなのだ。
が、いまアワタダシイ、書いていられない。とりあえず、忘れないように、これだけメモした。

中野収さんが述べた「東京現象」とは、「消費するしかない時間と所得を手に入れた人々が、メディアとの相互作用で形成する特異な現象」のこと。実体よりメディアとの関係で人工的に存在する空間を浮遊する、まさにバブルな経済と文化のアリサマで、その空間は、どんどん市場や業界や趣味によって細分化を深める。グルメの世界が、どんどん単品化するように。それにしたがい、「地域」は解体され「東京現象」のどれかの「分野=市場」に組み込まれる。その「分野=市場」には、それぞれ「権威」となるリーダーがメディア的に「東京」に存在する。これが、実体経済からかけ離れた「欲望循環」を担い、実体の価値以上に価値あるような幻想を「創出」する「文化的」なセグメントあるいはエレメントとしての役割を果たす。細分化された分野の「専門家」や「評論家」が、一方ではマクロな経済の「欲望循環」を支える関係。「ミニ」「スモール」は、かつて、それだけで反体制非体制だったが、いまでは「欲望循環」をメディア的に支える体制の中枢になる。かつて反体制非体制だった「エコ」が、いまではメジャーになったように。

メディアの情報を頼りの食べ歩きや飲み歩き、ありふれた「厳選された素材」なども、この現象と無関係ではない。これは、もうジョークでありコメディだ、とみると、オモシロイ。

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