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2009/01/18

サルを食べ、あえて異性である必要はないで終わる。

きのうはブログをアップして大急ぎ出かけた。京王線幡ヶ谷駅19時5分前という微妙な時間の待ち合わせ。早めに着いたので、このあいだ幡ヶ谷在住のスタイリッシュな才媛と幡ヶ谷ローカルな話で盛り上がったとき、彼女が大衆食堂の山幸園は閉店したといっていたから、イチオウ確認に西原商店街を流す。なるほど、たしかに、表札までなく完全に無人の佇まいになっていた。ついでに急いでもどり甲州街道を渡り、以前入ったことのある数店の飲み屋の存在を確認。六号通り商店街、おととし森林再生機構で行った、「ねばり屋」の存在を確認しようとするも、あったと思われる場所には見当たらず、駅にもどる。(1月21日追記=ネットで調べたら「ねばり屋」は健在のようでもある。場所を、おれがカンチガイしていた可能性もある。)

質問人形あらわれ、一人は風邪で脱落、ほかの二人は店を知っているからと先に行く。すぐにヤーンさんあらわれる。質問人形は忘れていたが、ヤーンさんとおれは顔を見て、初めてではなく遠太で飲んだことを思い出す。日本語の達者なスウェーデン人。ヤーンさんは、あれは4年前ぐらいだという。今朝調べたら確かに2004年の12月のことだった。そのときのメンバーを彼は全部おぼえていて、この三人のほかに、もう三人の名前をいう(小沢男さん、松木女さん、小瀧女さん)、オドロキの記憶。まずはビールで乾杯、料理は前菜という感じで、とりのローストで始まる。紹興酒を燗で頼む。というあたりで初対面の志村女さん。また乾杯。

Hatgaya_saru_004サルは、なんと、二皿目に出てきた。おお、イキナリか。みなサルは初めて。料理の仕方は、チンジャオロースーの牛肉をサル肉に変えた感じ。うーむ、これがサルの味か。ああでもない、こうでもない、あれこれ言い合いながら食べる。お店の人に聞くと、高知県のサルの腕の肉とのこと。

小動物を食べる話が暴発する。旺盛に食べ楽しく語るは、首が飛び血が滴る生々しさ、料理以前の、しめるところや解体のことまで。内澤旬子さんがいたら、どんなことになっていたか。えーと、登場した動物は、イノシシ、クマ、イヌ、ウマ、ウサギ、ヒツジ、日本のシカ、北欧のシカ、ラクダ、ダチョウ、トナカイ、カラス、スズメ、カエル、ヘビ、ニンゲンはどこの肉がイチバンうまいか……、それらを話で無残に食べながら、目の前の料理を食べ、酒をグイグイ飲む。

メニューはなく、ストップをかけるまで皿が出てくるシステム。で、覚えている限りでは、そのあと、黄ニラ炒め(黄ニラと自家製ベーコンを炒めたもの)、きぬ茸、上海蟹とまんじゅう、スッポン、シカ(シカ肉をナッツの衣で揚げ、バクチーと塩で食べる)、カジキが出てきたところでストップ。紹興酒は二本あいていた。話もなんだか自由奔放おもしろく、大満足の宴会だった。

もう時間がない最後のあたりで、唐突という感じで「同性モンダイ」になる。よく話が見えないうちに、「男はダメ」「あえて異性である必要はない」と女たちが過激なことを言い出す。そういえば、質問人形は、いつも、もう席を立たなくてはならない終わりごろのおれは酔いがまわったころに、大事な過激な発言をする。前にも、言ったと思うが、そういうおもしろい話は、おれがあまり酔わないうちに始めてちょうだいよ、おもしろいから。

とにかく、彼女たち、ヤーンさんも、「男はダメだ」という。それは彼らの周囲、30歳代ぐらいの同年代で、かつ日常の出版業界あたりの話が主なようなんだが、とにかく「男はダメ」。やさしいけど、というか、なんなんだろうか、甘いというか、臆病というか、悪党になれないから善人をやっているていどの、男なら手に入れやすい小役人的小権力的思考や行動から離れられないということなのか。

このあいだは出版業界ではない、一般の、いまそういう言い方があるか、いわゆる「キャリア・ウーマン」二人と飲んで、どちらも男がほっておかないだろう美才女なのだが、バツイチで、もう男なんかイラナイという感じだった。

日本の男は、そんなにダメなのだろうか。でも、結婚している男女もいるわけで、では、結婚している男は、みなダメな男ではないかというとそうでもないようだし。だから、そこに女のほうのモンダイもありそうだ。すべてを満たす男なんていないだろうから、テキトウにあきらめ、満たされないところは、結婚しても別の男で満たせばよいじゃないか。成りゆきでいいんじゃないの。と。

しかし、性的レベルのことになると、そうは単純にいかないだろし。それに知的レベルのことも含まれそうだ。「あえて異性である必要はない」ってことについては、もっと突っ込みたかったなあ。

でも、若い男たちに、なんとかなってもらわないとなあ、たしかに、なんてのかねえ、男は、男や女を意識しすぎるのかもねえ。女とみれば、ねちねち迫りスグやりたがったりとか。でなければウジウジ思案だったりとか。とにかく、よく「男はダメ」という話を聞くようになった。なんか恋愛対象とかセックス対象とか以前の、そして経済的にはともかく、人間的基本的なところで、男はダメと判定されているようだ。女から見ると「大人」じゃない男が多いという感じか。ま、女にもダメなやつはいるだろうし。しかし、そういう単純なことでもない、だからまあやっかいなこと。

女にボロクソに言われても、平気で立ち向かえるぐらいのコンジョウが、男には必要なようでもあるなあ。でも、鉄面皮みたいな男もいるなあ。ああ、めんどうくせえ。あえて異性じゃなくてもいいじゃないか。とにかく男も女も関心を示さない低反応の相手を追いかけていてもしようがないってことだ。とか、帰りの電車で、やや酩酊の頭で、フラフラ考えもしなかったのだった。

ヤーンさんと志村さんのラオス、メコンを渡る話、印象的だった。
料理がうまいというのも大事だが、一緒に食べるひとの会話が楽しいと、さらにうまくゴキゲンチャン。そんな夜だった。

Hatagaya_008帰り店の外に出てから、ご主人の料理人と立ち話、ラクダはコブしか輸入できないとのことだ。サルもクマも、「国産」の駆除もの。

つぎは、ラクダのコブを食べることに。

さて、きょうはきょうとて。

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コメント

ああ、エンテツでいいんですよ。

ねばり屋、そうです、納豆のねばり屋です。六号通り、けっこう新しい店が増えていて、ここにねばり屋があったはずというところは、自信がないんだけど、「牛角」になっているように思われました。

幡ヶ谷駅周辺は、中華やエスニック風が増えている感じだし、毛唐の姿も目につく。だけど昔の飲み屋は、けっこうそのまま残っていますね。山幸園はなくなったけど。商店街は前より活気がある感じ。

投稿: エンテツ | 2009/01/20 09:50

申し訳ありません。誤って投稿してしまいました!

実はエンテツから
→実はエンテツ“さん”から

とんでもないことです。大変失礼いたしました。本当に申し訳ありません。

投稿: おけい | 2009/01/19 18:46

ねばり屋。あの納豆の、ですよね。
実はエンテツから本を直接お会いし購入する数ヶ月前までは幡ヶ谷におりまして毎日の様に六号通り商店街を通っておりました(お話したかもしれませんね)。この記事を読みこりゃまた、ふらりと出かけてみよう、そう思ってしましました。大黒屋も懐かしい…

投稿: おけい | 2009/01/19 18:44

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