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2009/03/31

男と女のバイオレンスな時代なのだなあ。

なんだか、今日明日は、あわただしいぞ。今日3月31日は、今年度最後の日だ。まずい、やばい、明日はもう、すべてがウソの4月1日だ。どうなるのか、どするのか。新年度も続くのか続けるのか、各種作戦。なんだか戦争好きそうな連中は、北ロケットで、「平和憲法平和ボケ」日本人の危機感を煽るために好都合とばかりはしゃいでいるようだが、こちとらの作戦は、そんな洗練された戦争屋の作戦とはちがい、野暮で色っぽくて平和的なのだ。

新年度作業のために資料を片付け、というより探していたら、さいたま市が発行する男女共同参画社会情報誌『夢』という冊子の3月1日発行号が出てきた。「恋人同士でもDVに注意!携帯電話によるデートDVも…」の見出しの記事。

「急に機嫌が悪くなったり、優しくなったりして、いつも気をつかわされる」「「バカ」「頭が悪い」などと暴言をはかれる」ってのが、その精神的暴力、DVになるらしい。

ま、わからなくはない。おれもずいぶん同様な目にあって、精神的に悩まされ傷つき汚れ屁をたれ、酒量が増えた。だけど、これって、ようするに「気まぐれ」のやつ「気難しい」やつってのは、けっこういるんではないだろうか。気まぐれで気難しくて「急に機嫌が悪くなったり」「いつも気をつかわされる」やつ。おれのまわりにもいる。

よく考えれば、誰だって、そういう面はあると思う。もっと、ひとの「気まぐれ」を楽しむ余裕というか、「気まぐれ」を楽しむコミュニケーションも必要なのじゃないだろうか。だいたいね、いつも「優しく」なんてしてらんないよ。それに、そんなに、いつも優しいぬくぬくした関係って、ただメンドウがないというだけで、空虚なんじゃないだろうか。

いや、ま、この記事が言わんとすることは、そのていどのものじゃないのだろうが、片方で、ではヒドイ暴言を吐く「気まぐれ」と、どう付き合うかは考えられているのか。と、おれは言いたいわけであります。

それに、「無言」「無視」の、圧力や脅迫もある。「無言」「無視」が、大きな精神的暴力になることもあるだろう。無視された人間は怒り、「殺すぞ」なんて、バイオレンスな言葉を吐くこともある。それがストーカー行為になることもあるようだ。実際に、やっちまうこともあるようだな。相手の「無言」「無視」を心配して、「気をつかわされる」ことだってあるだろう。そのような「無言」「無視」なバイオレンスは、いったいどうなるのだろう。やはり、これだって、「無言」「無視」と、どううまく付き合うかという問題もあるんじゃないだろうか。もちろん「無言」「無視」ではなく、ちゃんと意志なり考えを伝えることを前提としてだが。

ようするに、いつだって、異文化人とコミュニケーションするような、覚悟や方法が必要ってことか。まわりじゅう異人種だらけなのだ。

てな、ことをですね、今年度の終わりにあたり、考えたのであります。

ようするに「精神的」ってことになると、個人差がある。心配して声をかけても、「うるさい」なんていう反応があったりするほど、相互の違いは大きい。おれなんか「口が悪い」といわれるが、口の悪さだって、個人差がある。

だからこそコミュニケーションが大事だと思うが、近頃はコミュニケーションの課題としてどうするかではなく、すぐコレはダメ、アレはいけない、それはバイオレンスだ、嫌いだ好きだウンコだ、ってことで杓子定規に片づけようとする傾向が気になる。荒っぽいコミュニケーションだってあるのだ。人間関係は、禁煙強制のように、ヤバイことは封じ込めてしまえばよいなんていう考えで、うまくいくのだろうか。

それに、ネット上にも氾濫する「恋愛マニュアル」のようなものって、「マナー」だの「コミュニケーション」だのと言いながら、「かけひき」のたぐいが多い。

なんか、けっきょく、「かけひき」か「バイオレンス」か、という感じになってしまうんだなあ。もっと大らかなコミュニケーションを追求したいものだ。世の中はカリカリしているけど。だからこそ。

いじょ、今年度の総括と来年度への展望であります。

そうそう、この冊子の特集「女性のチャレンジが社会を元気にする!」だって。「諦めなければ いつか必ず夢は叶う」ってな記事もある。ぶっ、諦めなければ、ストーカーになったり、殺人者になったり、無一文になることもあるんだが、たいがいこういう話をするひとは「成功者」だけだからね。「夢」もいいが、どう生存するかのことが欠けたら、しらけるだけ。

男女共同参画社会基本法にもとづくお役所仕事の出版物だろうから、役人の考えている「男女共同参画社会」が、晴れ着の下のボロのように見える。

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2009/03/30

めしくってむなし、宮本むなし。

13_mesiyamiyamoto004えっ、これ、めし屋の名前かよ。そう思った。

去る3月6日の夜泊った、大阪・十三のホテルに隣接する商店街にあった「宮本むなし」。正式には「めしや 宮本むなし」という食堂チェーン店だ。梅田の阪急裏のへんや、阪急東あたりでも見かけた。

6日の夜飲んで泥酔記憶喪失、目が覚めたらホテルの部屋だった。しかも10時チェックアウトなのに、もう9時半。急いでしたくして出た。二日酔い状態なれど、腹が空いているのに気づき、どんなアンバイか入ってみた。朝から、子連れの家族がいた。朝帰りらしきカップルや若い男や女。自動券売機方式で、フロアーはファミレスのようなユトリはなく、実務的機能性トコトン。

ネギトロ丼(650円)を食べた。ああ、これが「むなし」味か。とくにネギトロ丼のばあい、このテの店のどこで食べても同じようなものだ。ああ、「むなし」「むなし」と、十三駅へ。電車に乗って梅田、大阪市立大のある杉本町へ向かった。

13_006宮本むなしがあった十三の商店街は「フレンドリーストリート」といって、時間帯によってはけっこう賑わっていた。

「宮本むなし」という店名は、洒落なのか駄洒落なのか、いいか悪いか、関西的には受けるのか、知らない。何かへの「こだわり」「執着」は感じる。いずれにせよ東京の人間なら付けそうにない名前だし、食のマーケティング的にみれば、かなり冒険のように思える。

だけど、「フレンドリーストリート」というネーミングは、どこでも通用する実務的な名前だ。「こだわり」「執着」は感じない。あまりにも「空しい」。ときどき、商店街のイメチェンやイメージアップとかいって、こういうカタカナ名を見かける。まるで土地の記憶を消すかのように。あるいは土地の記憶が、商売にとって邪魔になったということなのだろうか。


関連
2009/03/09飲んだ、しゃべった、歩いた、楽しんだ。「場所の力」シンポジウム、ありがとうございました。

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2009/03/29

『THE JRHokkaido』3月号「特集 ビバ!大衆食堂」。

2009/02/26「北海道の「ビバ!大衆食堂」。」に簡単に紹介したままだった、記事内容の要約を、ザ大衆食のサイトに掲載した。いいねえ、北海道の大衆食堂も。…クリック地獄

しかし、この古いホームページビルダーで作っているサイトは、文字組みが読みにくいねえ。バージョンアップ版を買えばよいのだろうが、カネがないうえに、カネにならないものに投資はできないもんな。募る寄付。

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2009/03/28

ついでに、さらにまた、虚実皮膜の間の棲家。

Uti_1f015なにやら今日明日はイベントの案内が多い。だけど連夜の泥酔で仕事がつかえ、外出自粛アタフタ状態だ。ま、息抜きに、きのうの続きの棲家、はやく載せろといわれていた、画像を掲載しよう。

壁紙やカーテンなど、インテリアのカラーの基調は、ベージュ系でコントロールされている。画像で白に見えても、実際はベージュ系だ。窓周りは、ロールカーテンか、布または木のブラインド。

床はユーティリィティと浴室洗面を除いて、キッチンコーナーも含め赤松の板張り。この赤松というのが、柔らかく、普通のスリッパでも表面が傷だらけになってしまうというシロモノだ。なので、専用のスリッパを用意するらしいのだが、素足のほうが気持よい、冬も裸足ですごした。

床暖房はないが、床板の厚さを3センチにした。今年の冬は暖かだったことがあるかも知れないが、冷たく感じることはまったくなかった。いつも、木の柔らかなぬくもりが足の裏に心地よい。

板張りは、なぜか「洋」のイメージだが、庶民の間に畳が普及したのは近代になってからだ。多くの庶民は、板の間と土間で過ごしていたのだ。戸は板戸だ。屋根だって板葺きだった。瓦や襖や畳や障子は、高価で贅沢なものだった。いまでも、そうだけどね。

赤松の床となれば、地方によるが、庶民の伝統といえる。だけど、いまどきは、「洋風中流風」に見えちゃうってのが、おもしろい。一方、知識のある「高級志向」の人たちは、赤松や杉なんか、バカにしている。人間の知識や感覚なんか、いいかげんなのだ。

ウチのばあい、というわけで、赤松と杉を主にしている。戸は、ぜんぶ、板の引き戸だ。貧乏庶民の狭い家は、板の引き戸が伝統であり普通だった。ただそれを意匠する人間は現代に生きている。その自分の「生活の柄」としてインテリアを選ぶ。伝統うんぬん、高級感うんぬんではない。結果的に伝統は破壊され再生される。

前にも書いたように、いたるところ、狭い家に対する工夫が追求されている。ウッドデッキも、おしゃれな流行というより、狭いリビングを広く見せるため。吹き抜け階段も、そう。

もともとモノがなく、自動車もテレビも自転車もタンスもない。ここに引っ越したときは、ほとんどの家具は造りつけだったから、持ってきたのは唯一、テーブルとイスだった。このテーブルのことは前に、2006/07/29「ワンカップ大関のお洒落な飲み方」に書いた。ウチの家具調度のなかで、おれが選んだ唯一のものだ。気に入っている。

Uti_1f01カンディハウスの、突き板張りトップ直径110の丸テーブル。突き板張りか、一枚板のつなぎかは、好みの問題だろう。どちらかといえば、突き板のほうがカジュアルなタッチで、一枚板のつなぎは重厚なイメージといえるか。狭い家に丸テーブルは贅沢であり、これだけが一点豪華主義のシロモノだ。最初は白っぽかったが、使い込んで、アメ色がいい感じになってきた。この木造の家も、そうなるだろう。

また文章がほめられることになってはいけないから、あまり書かないにしよう。おれは、こうして書いているが、前にも書いたように、ほとんど何も関与してない。家の外と中、虚実皮膜の間のデザインは、同居のツマのシゴトであります。

Uti_kaidan005Uti_kaidan005a

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2009/03/27

虚実皮膜の家の外側。お待たせの外観。

Uti_soto006aべつにもったいぶっていたわけじゃないが、ほかに書くことがあって、掲載するタイミングがなかった。とにかく外観を見せろという注文がウルサイので、載せる。

外壁材は、近年よく住宅だけでなく軽便な倉庫などにも使われるようになった、比較的新しい素材のガルバリウムと、いちおう「和風」の板張り黒塗りを、シンプルに組み合わせた。ま、ようするに、安上がりだけど、なんだか「こだわり」ありげなデザインに見えるという仕組みだな。ガルバリウムは、縦に凹凸の加工がほどこされている。装飾性は、できるだけ押さえて、というか、ほとんどない。

10月21日に引っ越したときには、植栽関係が手つかずだった。それが出来上がったのが、1月末だったかな。植栽の間に照明をつける工事が終わったのが、それからさらに1か月たっていた。これで、いちおう予定していた工事の全てがおわった。前に書いたように、あらゆるデザインにおいて、おれの考えは、ほとんど入ってない。ま、なんの「こだわり」もないし。

Uti_soto005前に掲載した2008/10/02「「虚実皮膜の間」に建つ家。」について、おれの照明に関する文章をお褒めいただくメールが多かった。たとえば、「ブログに書かれた灯りについての文章は、ゆっくり読むと本当に深く感じるところがありました」というぐあいに、いろいろ感想をいただいた。

つまり文章をほめていただいても、照明デザインやインテリアを褒めてもらったことにならない。と、同居のツマのインテリア担当は不服らしい。なので、今回は、文章は書かないでおこう。忙しいことでもあるし。

ついでだが、インテリア関係については、まるっきりド素人のわけではない。素人に近いが、プランナー稼業で店舗開発や、家具メーカーのブランド開発をやった関係で、それなりにオベンキョウをし知識はあった。とくに間接照明については、アメリカのイタリア人デザイナーと組んだ店舗開発のとき、彼が、間接照明を使って、安上がりにうまいデザインをしたので、関心を持った。ってことにすぎない。

これからは、白熱灯が生産されず使えなくなるので、蛍光灯で白熱灯の柔らさを演出するためにも、間接照明が大事になるだろう。

Uti_uti002a
Uti_uti001

すでに掲載のものをご覧になりたい方は、↓下のカテゴリー「住宅・インテリア」をクリックしてください。

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昼から全モツ連あんどカラオケ、連夜の泥酔。

001おととい、マルオカさんサトウさん来たりて24時ごろまで飲む。きのう、その酒と寝不足でボンヤリしながら仕事を片づけていると昼近く、牧野さんから電話。用件を話しながら雑談、雑談しながら用件を話し長電話のち「飲みましょう」「いまから2時にハチ公で待ち合わせ」と。北九州から石飛さんが出張で来ているから飲むのだと。えっ、それを先に言ってよ、もう12時だから急がないと間に合わない。大急ぎでしたく。

ハチ公前、牧野さん、石飛さん、瀬尾さん、初対面桑島さん、秋山さん。石飛さんとは、一昨年の夏の河口屋以来か?東横線で祐天寺、忠弥。着いたのが14時半ごろで、開店が15時半ごろだから、一時間ぐらい待つのだ。開店早々でないと、これだけ大人数が座れないし、開店早々に売り切れになってしまうものがあるから、らしい。待つあいだ、どうでもよい話をしているうちに、全モツ連が結成された。開店ちょっと前に、鴨井岳ちゃん。合計7名。ほかに、3,4組並んでいた。

004一番のりだから、唯一の向かい合って座れる席を確保できた。なるほど、開店早々にいっぱい。とにかく、早く無くなるものから頼み、がんがん食べ、飲む。ひさしぶりに、かなり肉を食べた。話がカラオケのことになり、じゃあいまからカラオケに行こうってことになる。17時ごろだったかな?

渋谷へ。渋谷に着いたら、カラオケの前に、立ち飲みの富士屋でイッパイってことになる。みなはハムカツなどをつまむが、もうおれはアブラ系はいらない、トマトで通す。ホッピー、かなり酔う。出て、カラオケへ向かう途中で、前に岳ちゃんの背中が見えていたはずなのに、みなとはぐれてしまう。牧野さんの携帯に電話し合流。

富士屋の前か後、秋山さんが早退。

もう、なんといいましょうか、石飛さんの絶唱、ウワサにたがわずすごいものだった。おれは、牧野さんに全国酒飲み音頭を歌わされる。初対面の森下さん登場、まだシラフなのに、いきなり熱唱。イスの上で踊ったり、大騒ぎ。もちろんガンガン飲み、泥酔深まる。

007石飛さん、21時半の飛行機で帰るというので送る。のち、のんべえ横丁。ここは、初めて入る店だね。名前、忘れた。もうベロベロどろろ。牧野さんは板目状態。たぶん渋谷駅でみんなと別れたと思うのだが、記憶がない。あとは知らん、覚えてねえーよ。

とりあえず、こんなところで。ああ、調子がイマイチだ。考えてみれば、前夜の飲み疲れが残っているうちに、朝めしも昼めしも抜きで、いきなり飲みだしたのだからなあ。

牧野さんは、あいかわらず画業が忙しいようで、仕事を持って歩き、忠弥で待つ間に、バイク便のひとに渡していた。

そうそう、瀬尾さんの発作的口舌、「芸術家のくせに」がよかった。牧野さんに言い返しが必要なときは、「芸術家のくせに」というのだ。ぎゃははは、これは、いい。こんご使うことにする。

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2009/03/26

動物園前一番街入り口「成田屋」。

2009/03/09「飲んだ、しゃべった、歩いた、楽しんだ。「場所の力」シンポジウム、ありがとうございました。」にちょっとだけ書いた成田屋。
Naritaya101ここは「菓子問屋」の看板だが、おでんと酒もある。正面から、見ると、左半分が駄菓子屋、右半分がおでん屋という感じ。駄菓子屋がもんじゃやお好み焼やおでんをやる例は、昔はけっこうあったようだ。その延長だろうか。ほかに、これらは売り物なのか、たぶん飾りだろう、大将の趣味か、古い時計やら、いろいろな古物がある。
Naritaya108テーブルとイスが空間を埋めるように置いてある。二番目の画像の右端は一番街になるが、成田屋の建物より外側にも客席がある。ごちゃごちゃした掘っ立て小屋の雰囲気が、なぜか落ち着く。

酒は各種、発泡酒もちろん第三のビールもあったと思う。まるでコレクターのように、いろいろな酒が揃っていて、冷蔵庫から勝手に取り出して飲む。
Naritaya107駄菓子、一袋200円、三袋買うと500円で100円値引きという勘定。おでん、一個100円、四個買うと一個おまけで、四個の値段で五個食べられる。

というわけで、おれと原口さんは、駄菓子三袋と、おでん四個おまけ一個を買い、テーブルに座って飲みだした。
Naritaya105正面の信号の向こうはジャンジャン横丁になる。そちらから来る人たち、店の前を通る人たちを眺めながら飲む。「店内」には、ジャズが流れている。それが、なんとなく、この景色にあっている。

まったりとした時間が過ぎていった。

成田屋は小さいながら4階建のビルの一階にある。大将は一番街の奥で生まれ育ったという。子どもの頃、このへんには「ビル」といえるものが、このビルを含め、2、3軒しかなかったそうだ。その1軒が自分のものになるとは思わなかった。そう、気さくで愉しい大将は言った。この大将のアイデアがあふれだしたような店だ。

住所は大阪市西成区山王1-16-22ということになるらしい。背後は元の飛田遊郭の地だ。一番街をはさんで反対側はドヤ街に連なる。

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2009/03/25

毒をもって、毒をさらす。

どうなるかと思ったら、オザワの秘書が起訴されてオワリらしい。ならば、これは、やはり、政治情勢を背景にした、オザワねらいの「策略」ということになるだろ。これだけで十分、オザワ民主党のイメージダウンになる。そして規正法の厳正適用にしては、えらい中途半端だ。

これほどの不手際と不人気のアソウが、なぜノウノウとしていられるのか不思議だなあと二度ほど書いたが、こんな筋書きがあったのだ。

野次馬根性で常識的に見れば、アソウは、悠々としていすぎた。これを待っていたとしか思えない。もちろん、「策略」は、アソウのアホウができるわけではなく、支持率20%以下のアソウを支えてきた「力」の動きだろう。オザワ民主党に政権をとられては、絶対にマズイ連中がいる。それは、誰が見ても確かなことだ。

西松をちらつかせて、水面下でオザワとなんらかの取り引きがあり、それをオザワが拒んだ結果、こういうことになった。と、オザワの発言からも察しておいたほうが、オモシロイ。そもそも、東京地検の特捜が、このテの政治がらみで公正だったことがあるか?

2009年3月25日02時21分 読売新聞 「「やや乱暴では」「一罰百戒の意義」…検察OBの評価分かれる」の見出し。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090325-OYT1T00165.htm

地検を支持する「一罰百戒的な意義」ってのは、ようするにみんながやっていることなので、誰かをさらしものにして自戒を促すということだろう。それは、オカシイ。地検や地検を支持する人たちが言うように、それほど規正法が公正で重要であるなら、オザワも逮捕すべきだし、自民党議員だって容赦なくやるべきだ。それをしないで、「一罰」をオザワの秘書だけというのは、政治情勢を背景にしての「一罰」といわれても仕方ない。そもそも、このていどの「偽装」や「迂回」は蔓延している、それだけ規正法がザル法だったということではないか。ならば、なぜオザワの秘書だけなのかを、地検は説明する義務がある。規正法の重要性を強調するだけでは足りない。検察OBの評価は分かれても、そういう一つの事実を示している。

ってことで、とにかく、オザワ民主党に政権をとらせれば、意趣返しとして、またオザワ民主党の政権基盤を固めるために、自民党長期政権下の「秘密」や「腐敗」のどこかに手をつけるにちがいない。オザワの「激しさ」を考えれば、これはオモシロイ、見てみたい。あの、かつてのエイズのときの厚生大臣、いま民主党の管の働きを思い出してみればよい。

そのように、同じ穴のムジナ同士の権力争いをしやすい状態にしたほうが、いまの状況では、選択として、モアベターよ、ってことじゃないだろうか。彼らは、自己の利権確保のために、お互いの弱みをあばきあうにちがいない。国民にサービスするにちがいない。それだけ、政治は見えやすくなる。自公政権を続けさせては、闇取引と暗闘のなかに、多くが隠されたままになる。

どうせ多くがやっているのなら、「一罰百戒的な意義」より、「政権交代の意義」のほうが大きい。流動化させることに、意義がある。政党や政治家は、信用したり支持したりする対象ではない。情勢に応じて、利用すべきなのだ。

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2009/03/24

ド派手ジャンクな、ジャンクガレッジ。

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『大衆食堂の研究』に「東京ジャンクライフ」というサブをつけたおれとしては、見逃せない店名だ。ときどき前を通り気になっていたが、いつも時間の関係で閉まっていた。その見た感じは、クルマの部品屋なのか、といったところだ。

去る2月28日、昼ごろ店の前の長イスに座って待つ客がいて、ちょうど開店時間だったらしく、店員が中へ案内するところだった。

Web検索したら、ラーメン店で、けっこう話題の店らしい。ガツンとくるメニューのようだ。「ジャンク」をウリにするなんて、いいね。近くだし、そのうち入ってみようと思っている。

↓カテゴリーの、前に掲載した、ジャンクな佇まいの「もつ焼きセンター」の並び、第二産業道路を、ちょっと北へ行ったところにある。

食べログのジャンクガレッジ…クリック地獄

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菜の花や、貧乏爪。

Tume003桜咲く放課後は、昔のこと。その昔、爪が変形した。貧乏だったからだ。貧乏で自分の足にあった登山靴が買えなかった。登山靴を買うカネもなかったが、買ってしまったら山へ行くカネがなくなる。もともと安物のために革が変形した登山靴を、そのまま履いて山行を重ねた。

高校3年生の夏。インターハイ、もどってきて山岳部合宿、もどってきて山小屋アルバイト、7月20日すぎから8月いっぱいぐらい、ほとんど家にいなかった。その間、その登山靴を履き続けた。歩いているあいだ、変形した靴のなかで、足の先に無理がかかる。いちばん負担の重い両足の親指の爪が、徐々にはがれていく。爪が、肉からはなれていくのだ。それはもう、頭の芯までスキズキ痛む。でも歩く。爪がパカパカ浮くようになる。根っこは、まだ肉の中だ。歩くたびに、頭の芯までズキズキ痛む。

右足の親指の爪は、きれいにとれて生え変わった。左足の親指の爪は、なぜか往生際が悪く、きれいにとれないで、新しい爪が重なって続いてしまった。その新しい爪が生えている最中に、また変形した登山靴を履いて山へ行く。そういうことを重ねているうちに、爪は曲がり変色し、やけに硬く厚くなった。一度こうなった爪は、もとにもどらない。その爪が、つぎつぎと靴下を破る。

気をつけて、なるべくヤスリで「磨きをかける」ようにはしているのだが、うっかりして、かつ歩き回ると、たちまち靴下を突き破る。

駅へ行く途中の畑で菜の花が咲いていた。菜の花が咲こうが、桜が咲こうが、ヤスリで磨きをかけなかったら、左足の親指の爪は靴下を突き破る。

もう昔のことは、忘れてしまったことが多いが、この爪が、いろいろなことを思いださせてくれる。貧乏の記憶まで。

貧乏は、いまもだが、昔の貧乏は痛かった。耐えたところで我慢強くなるより、性格のどこかが、この爪のように硬く曲がるだけだったかも知れない。貧乏は性格を悪くする。かな。

この足の親指に、セクシュアリティを、感じませんか?
感じない?
あっ、そう。

昔は、激しい労働で、手足の爪が変形変色しているひとはいくらでもいた。

Nanohana008

『dankaiパンチ』、いま発売の4月号で休刊なんだって? だとしてもおどろかないが、モツ煮さんは、どうなるの。

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2009/03/23

天下の大野暮男=塩山芳明の、どっちがタイトルかわからない『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』(アストラ)

Sioyamaきのう届いた。ありがとうございます。

すでに書いたように、3月1日、上野のエロ薔薇映画館、世界傑作劇場閉館の日、山崎邦紀監督の作品上映と舞台挨拶があって、打ち上げ飲み会になった。その席で向かい側に座った塩山さんが、この本を一冊贈ると言った。

かれは過去、自分の本を贈呈するようなことはしないと公言していたし、実際そうであったようだ。なので、あまりあてにはしていなかったが、また言ったことは守らないと気持悪いという律義なタイプなので、もしかすると本当かもしれない、ま、どっちでいいやと思っていた。

塩山さんか版元のアストラ、あるいは両者とも、かなり本気で売りたい、なりふりかまわず売りたいと思ってのことかも知れない。

だとしても、いいだろう、たしかに多くの人に読んでもらいたい本だ。エロ漫画界への低俗な興味本位、好奇心でもよいから、手にとってみると、そこには、何がある? 

もちろん、あきれたエロ漫画業界のアリサマだけど、それは出版業界のあきれたアリサマでもあるし、いわゆる高度経済成長の、つまり塩山さんがエロ漫画業界に入ったころからのニッポンのあきれたアリサマである。そのなかをみんなで、あきれたことをやりながら泳いできたのだ。

露悪趣味もへったくれもない、現実がクソッタレ醜悪なのであり、ひとは醜悪さのひどさに応じてカネを得ている。醜悪の泥沼は、上層にいくほどひどいという特徴を持っている。そして低層でうごめいているのが、下請けだ(塩山さん率いるエロ漫画下請け編集会社や、おれのようなフリーライターも含め)。ということが、あからさまに見えてくる。

大貧乏で醜悪な現実を、中流なキレイゴトに包装するのが文学だのアートだの洗練だのといわれるが、大野暮の塩山さんはミもフタもないほどさらす。

しかも、彼は低層に同情したり、低層だから「正しい」といったキレイゴトをとらない。池田●作やら警視庁やらの醜悪をつるしあげる一方で、読者について、こんなふうに書く。「誤植に寛容な読者も、クンニングスされているはずの女性が、次のページでパンティつけてたりすると(順番ミス)、誤字だらけの抗議ハガキを即寄こす」

笑える。笑った。きのう届いたのに、とりあえずぜんぶ目を通すはめになってしまった。

この本、奥付を見ると、「出版奈落の断末魔」がタイトルで、「エロ漫画の黄金時代」がサブのようだ。矛盾、正反対を向いているような感じだが、世間は、そんなものだし、どっちでも自分の好きな角度で読めるだろう。

「女流エロ漫画家」の見出しで、「社会主義、フリーセックス、立喰いそば屋等の言葉が、今ほど色あせてなかった時代に隆盛を誇ったエロ劇画は、文字通り<男の男による男のための世界>」と。

エロ劇画の「黄金時代」は、大衆食堂的な黄金時代でもある。それは、男の黄金時代でもあった。いま、女たちは、競って男の醜悪を真似し、先取りをしようとしているかのようだ。女のキレイゴトが表面を覆う。だけど女だろうが男だろうが、エロ漫画家はエロ漫画家だ。断末魔でも、お涙ちょうだいにもなりはしない。

そうか「エイズという言葉がマスコミに登場し始めた八〇年前後から、女流漫画家の数は一挙に増える」のか。

おれとしては、「忘年会は「三平酒寮」」に、グッときたね。

塩山さんは若いころ、遠山企画という会社でエロ漫画の道に入る。「遠山企画時代から数えると、二〇回以上の幹事を(自選だが)。いろんな店でしたが、近頃は「三平酒寮」一筋。料理がうまいとか、店の雰囲気がいいとかの理由じゃない。逆に、「店名がダサい」「会場の畳がボロすぎ」「トイレが男女共用なのは女性差別だ」「つまみが脂っこすぎ」「幹事が店と結託、不明朗な運営をしてる」等、不平不満はごまんと出るが、同店のルーズさが貴重。/チェーン店のように、「時は金なり!」的な運営をしていない。夜七時から九時の会場予約で、一〇時過ぎまで騒いでて文句を言わないのは、新宿広しとはいえ同店くらい」

序章 生息地域と生態系。第1章 編集者。第2章 漫画家。第3章 投稿者。第4章 当局。第5章 客。第6章 マスコミと版元。第7章 オレの会社。第8章 写植・製版・印刷業者。第9章 今日も泣き笑い。無粋なエピローグ 嫌われ者の記(断末魔篇)。

食と性は密接な関係がある。「表現の自由」を言うひとたちがいる。そのなかにエロが含まれているかどうか。NHKていどの「表現の自由」ではないのか。エロを排除して、表現の自由がありうるのか。そのへんのことは、イマ、かなり重要な局面を迎えているように思う。とくに東京都の「安全・安心」を錦の御旗にした条例の乱発や統制の徹底は、なんだか不穏なものがある。ひどくおかしい。いまや、多くの表現者がいて、本だの音楽だの芝居だの好きな連中が多そうな東京なのに、なぜ問題にならないのか、不思議なくらいだ。みなキレイゴトに飼いなされてしまったのだろうか。そう思えなくもない。

Sioyama01そこには「不純」なもの「汚い」ものは排除されてよいという、キレイゴトな「表現の自由」がかいまみられる。食育基本法とか健康増進法なんてもので、健康を強要し、体型や嗜好に制限を加える。それを、自分たちの「権利」と思っている。これは、すでにファシズムではないのか。そういうことも、この本を読んでいると想起される。エロは反ファシズム、表現の自由の、「外濠」といえる。

ってことについては、もう、おれはあきらめている。野暮といわれようが野暮にやるだけ。KYなんか関係ないね。だけど塩山さんは、もっと大野暮だ。

Sioyama02この本、「エロ漫画の黄金時代」がタイトルに見える装丁が、なかなか凝っている。一番外側は、いがらしみきおさんの漫画?イラスト?がある大きめの腰巻。それをはずずとカバーになる。左サイドバー←の「アステア・エンテツ犬」の作者でもある内澤旬子さんの戯画がある。やはり、塩山さんを犬化した戯画だ。

そして、そのカバーをはずした本体の表紙には、コレ、誰が描いたのか、タッチからすると内澤さんか、塩山さんをイラストにしている。外の白っぽいカバーや腰巻は、キレイゴト化した現実、その下には、エロ漫画編集者として大野暮の低層を生きる現実。これはまあ、たいがいの実態だろう。肩書が美しく見えるかどうかのちがいがあるにすぎない。

塩山芳明(しおやま・よしあき)さん、おれよりちょうど10歳若い1953年生まれ。
塩山さんの会社、漫画屋のサイト…クリック地獄

たまたま、以前から右サイドバー→トラックバックの欄に、「書店の風格/第8回 模索舎で「ロスジェネ」を買う (月刊「記録」編集部) 」があるが、これは本書の版元、アストラのブログからだ。アストラはエロ出版社ではない。

とりあえず、また塩山に「おまえの文章は長すぎる」と怒られそうなほど、だいぶ書いたが、そういうこと。
チッ、くそ塩山の本を、本気こいて紹介してしまった。でも、読んで欲しいよ、この本。


関連、塩山さんが写っている画像がある。
2009/03/02「世界傑作劇場閉館。「古きよき」薔薇と桃色の宴。」

関連、三平酒寮は昨年5月以来行ってない。このときも、まだ便所は男女共用だった。畳みもすり切れていた。
2008/05/25「饐えたニオイの新宿の酒場で酩酊。」
Sanpei

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2009/03/22

盛況御礼、トークライブ泥酔論3回目「野暮」。

Yabo009連休の真ん中、しかもお彼岸とあっては、日頃のロクデナシも墓参りぐらいやることがある。はて、どのくらいの人が集まるのかとおもいながら、餃子を食べ生ビールを飲んで、下北沢のスローコメディファクトリーに着いた。

人は集まらなかったら須田さんと飲んでりゃいいのだが、もっと心配のことがあった。せっかく作ったスライドだが、フリーソフトのOpenOffice.orgで作っている。これがウインドウズでしか動かない。ところが須田さんのパソコンはマックだ。どうにもならない。ああ、せっかくのスライドが……と落胆するのは早かった。

Yabo010中本昴佑さんのノートパソコンを貸していただき、OpenOffice.orgのインストやらテレビとの接続やら、いろいろやっていただき、無事に使用できる状態になった。ありがとうございました中本さん。

中本さんはNEGAのスタッフをやりながら役者もやっている。NEGAは奥秀太郎監督の会社で、6月上旬に「USB」がロードショー公開される。渡辺一志、桃井かおり、そして銀杏BOYZの峯田和伸が出演するのだ。なんとまあ。もちろん見に行きますぞ、と、あれこれ話す。

スロコメで前売り(1500円、渋谷シネマライズ)扱っています。

Yabo012さてそれで用意万全。始まるころには、そこそこ入っていた。途中で入ってくるひともいて、トークが終わるころには、盛況状態だった。泥酔画像や味のある飲み屋街の写真などふんだんに使ったスライドも、うまく動いてくれたし、やっているおれも楽しかった。懇親飲みも、なんだかもう、おおにぎわい。

いつもの顔ぶれに、初対面の方が数人いた。あとで話したらブログを見て、初めて来られたひと。それから2008/05/04「太田尻家運動会泥酔。」に登場する、「酒とつまみ」大ファンの泥酔女O嬢が、そのとき以来。「酒つま」のサイカメさん、ナベさん、そして大竹聡さんの豪華トリオも。

Yabo013サキさんと木村衣有子さんもいたので、4月3日発売の『東京ひとりめし』の執筆人、大竹、木村、おれが顔を揃えたわけだ。本が発売になったら、この3人でも泥酔しながらトークやりたいね。

そしてそして、サイカメさんと話をしていて、次回の泥酔論は、彼と「スナック」をテーマに話すことに決まった。こりゃまたおもしろなることまちがいない。

例によって終電の時間で、一足お先に失礼。もちろん泥酔帰宅だった。

スライドの一部を掲載しておく。

みなさん、ありがとうございました。ほんと連休の真ん中なのに。また次回、よろしく~。

コメディ・プロデューサーあんどライターにしてスロコメの店長、須田泰成さんのスロコメ日記にも、「エンテツさんの野暮論♪たまらないエンタメでした!」と報告があります…クリック地獄

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2009/03/21

今日は泥酔論3回目。

自分でも、おもしれ~と思うプレゼンスライドをつくった。いまから、いまからでも、このブログを見た人だけが間に合う。下北沢のスロコメへ。

007

3月21日土曜日18時から。須田泰成店長のスローコメディファクトリー@下北沢でトークライブ、泥酔論の3回目をやります。前回の映像より、さらに充実?おもしろさアップ?の予定。タイトルは「いまこそ野暮に!」てな感じかな。詳しくはスロコメ日記で。→→→クリック地獄

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2009/03/20

明日はスロコメ@下北沢で、野暮な泥酔。

世間は3連休だそうだ。ということは、明日の土曜日は3連休の真ん中じゃないか。ということは、人が集まりにくい。明日のトークライブ「泥酔論」第3回inスロコメ@下北沢は、人が来るのだろうか。

須田さんと日程を打ち合わせするときに、来週の28日は、チト都合悪くなりそうなので、明日にしてもらったのだが、3連休とは知らなかった。

ま、いいさ。泥酔は、おれ一人でもできる。最低、須田さんもいるから二人で泥酔すればよい。

ようするに、いま野暮な泥酔が日本を救う、ってことさ。そもそも、泥酔ってのは野暮であって、洗練された泥酔なんてありっこない。その野暮が、いまに続く「80年代的な嘘をひきはがす」(=by宮沢章夫)ってわけだ。もう、いいがんにやめよう、あの80年代的な嘘やグルメぼけ。泥酔すれば見えてくる、21世紀は野暮の時代だ。

先日の「少年メリケンサック」だって、東北の野暮丸出しで、かっこよかった。泥酔してゲロ吐き吐き、譫妄しながら、パンク中年を生きる。そう、これからは、ワイルドに、野暮が、ファンキーあんどパンクで、かっこいいのだ。

ってことで、先日の「場所の力」シンポジウムではスライドをつくってプレゼンしたら、自分でもおもしろかったから、明日も、スライドをつくって臨むとしよう。といっても、単なる泥酔態画像の寄せ集めだが。泥酔力があれば、こわいものなしだ。ビジュアルで、それを、確認しながら泥酔しよう。

ってことで、みなさん、どこかへ出かけるのはやめて、ムリヤリご参加ください。ご参加の女性には、おれからキスのプレゼントをさしあげます。男性には、そうですねえ、おれに一杯おごらせてあげましょう。

昨夜、京阪神エルマガの東京ムック編集の森本肉姫さんから、『東京ひとりめし』の校了が無事すんだとのメールがあった。発売予定日は、予約受付をしているアマゾンを見たら、4月3日になっている。泣けるほど野暮なたまりば、鶯谷の信濃路を、おれが愛をこめ力強く語っている。写真も、ばっちり信濃路だ。そういえば、この店名も、野暮でいいなあ。カタカナ店名なんか、クタバレ!だよ。 よろしく~。

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2009/03/19

大阪・庄内のパセミヤで。

Pasemiya_gobou

3月6日、「場所の力」シンポジウムの前日、午後2時ごろ五十嵐さんとパセミヤで待ち合わせた。阪急宝塚線で十三から二つ目の庄内は、新大阪から行きやすい。昨年8月に行ったパセミヤだが、またこんなに早く機会があったのは幸運だった。

よっちゃんには前もって知らせておいたら、最初に出してくれたのは、画像の、ごぼうの梅(梅酢)煮だった。まだ湯気がたっていた。

おれにとっては、ごぼうの料理は、難しい一つだ。ごぼうの味が、とれた土地や土によって、かなりちがうことがあるし、複雑で、よくいわれる「それ本来が持つ味を生かす」といったところで、ごぼうの味のどこをどう生かすかの判断が難しい。生を水にさらしただけで、味が変ってしまうものを。…とかとか、リクツをこねまわすと、余計に難しくなる。なので、たいがい、ごぼうの単品料理は作らない。

このごぼう梅煮は、なるほど、このようにつくればよいのかと思わせるものがあった。柔らかな優しい味わいのうちに、じつに微妙に、ごぼうの旨みとえぐみ、そして香りをコントロールしている。こうは、なかなかできんなあ。甘さも何もかも控えめの菓子のような味覚。

さらに、煎り酒をつくり、それを冷奴にかけて食べるようにしておいてくれた。これは、めったにつくれない。なにしろ、いい清酒を料理につかうのだからね、しかも投入した量の半分ぐらいに煮詰めるのだから。おれのように酒に意地汚い男にはつくれない。

そもそも、よっちゃんがパセミやのよっちゃんであることを知ったのは、おれが2008/05/02「江原恵さんの「煎り酒」そして「醤油とのあいだ」。」で、「検索で見つけ、まだよく目を通してないのでまちがっているかも知れないが、おそらく料理のプロと思われる方の、なかなかおしゃれなブログ「Art de Faire」の08年4月15日は、「醤油と煎り酒のあいだ」というタイトル。…」と書き、そしてよっちゃんに、そのときは「zenzo」というハンドルネームで、コメントをいただいたからだった。そういう記念すべき煎り酒なのだ。

煎り酒は、2008/05/02にも書いたように、醤油が普及する以前の刺身の食べ方で、江原恵さんの『料理物語・考』(三一書房)にある、江戸初期の料理本「料理物語」にしたがってつくったそうで、よっちゃんは、その本も店に持ってきていた。

もちろん当時と、酒も何もかも材料のつくりがちがっている。江原さんも、そのことで苦労しながら復元していたようだが、おれの感じでは、よっちゃんのは江原さんのより昆布だしの味が効いていたような印象だった。これを、ふきよせのような豆腐にかけて食べたのだが、これがまたうまい。ほんに、柔和で優しい味わいで、うまかった。

なんの料理でも梅干を用いるばあいは、それで何をどうコントロールするかの微妙な、まさに「塩梅」が必要のようだ。

とにかく、よっちゃんのブログを見てもわかるが、ほんと、器用だし、研究熱心だ。

ほかに、ネギたっぷりのお好み焼きと、今回はやきそばも食べた。おもしろいことに、お好み焼はよっちゃんがつくり、やきそばはおかんがつくるのだ。そういうふうにやってきたらしい。

おれと五十嵐さんは、それらを食べながら、生ビール、赤ワイン、クロアチアだかどこかの酒、焼酎、清酒を飲んだ。そうやって、いちおうシンポジウムの打ち合わせなどもやり、とにかく17時ごろまで、よく食べよく飲んだのだった。そして、それぞれ「夜の部」へと流れたのだった。

よっちゃん、遅くなりましたが、ありがとうございました。また大阪へ行く機会があったら、寄らせてもらいます。

お好み焼パセミヤのサイト…クリック地獄

関連
2008/08/29
大阪・庄内、お好み焼「パセミヤ」。

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譫妄ス

山崎薔薇監督の「影への隠遁Blog」を見たら、18日に更新があって、「18日遅れの有り難う!と老母の死」と、去る3月1日の上野世界傑作劇場閉館の上映会のことに続き、母上の逝去のことが書かれていた。…クリック地獄

その中で、「世界傑作劇場の舞台挨拶から半月後、すい臓がんを患っていた老母が亡くなった。病気が明らかになって、ちょうど1年後のことだったが、会津若松の病院への入院、川崎市の病院への転院、そしてケア病棟=ホスピスと、目まぐるしい日々だった。最期の一時期、譫妄(せんもう)状態に陥った母との対話は、……」という文があり、「譫妄(せんもう)」という言葉を思い出し、「これだ」と思った。

広辞苑によれば、「錯覚や幻覚が多く、軽度の意識障害を伴う状態」とあって、「アルコールやモルヒネの中毒、脳の疾患、高熱状態、全身衰弱、老齢などに見られる」と。

むかし、よく飲んだやつらと、この「譫妄」が話題になった。ま、アルコール中毒でなくても、飲み方や酔っ払い方によっては、あるのだな。たしか、人間はガキのころから場所と時間を覚えながら、そのなかに記憶をおさめていく。その構造が、論理の構造だったかな? が、酔っぱらって崩れる、すると妄想が生まれる。そういう酔い方がある。だけど、シラフのときの、ヒラメキってやつや、カンというやつも、一種のそれだとか。酔ったときに、いいヒラメキがあったと思うのは妄想で、たいがいは、酔いが覚めたときは役に立たない。また、幻覚が、あんがい場所と時間の陰にかくれていた真実を当てることもある。だから酔ったときの妄想が、あんがい当っていることもある。とか、ああでもない、こうでもない、話した。

ようするに大人が、場所、時間を知らなかったガキだか赤ん坊の頭にもどるというか。酔って、約束なんかどーでもよくなるのも、一種のそれであり、理解フノーのメールをしたりするのも、そのたぐいというわけだな。

ワレワレは時空の意識によって支えられている。子供にとって、親の手助けが必要なのは、その場所と時間を覚える過程で、10歳ぐらいまでに、その「箱」はできあがる。つまり「抽象」を考えられるようになる。そうして地球上で生きる力がついていく。で、トシをとると、その逆を歩む。そして譫妄が生まれる。ってな関係もあったような気がするが、忘れた。ま、しょせん、すべては錯覚や幻覚なのだ。時空の意識そのものがアヤシイのだから。

アルコールってやつは、どこに効くかわからん。

山崎さん、ネタにしてすみません。お悔やみ申し上げます。

あっ、いまね。午前2時すぎ。譫妄しています。

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2009/03/18

パンク泥酔しながら快調にとばすか?ミーツ別冊「東京ひとりめし」で突き抜けか?

Meets_hitorimesiときどき、スランプということではなくても、いくつかの難しい課題を抱え、悩むほどじゃないが、もっといい方法があるような気がして、アレコレ試行錯誤が重なることがある。ま。人生すべて試行錯誤の連続のようなものだけど、ときには急な坂を登っている感じがすることがある、と言ったほうがよいか。

そして、そこを突き抜けた感触を得ることがある。ここのところ、そういう人生の何回目かの「手ごたえ」がしている。

なんにつけても、長く人生を生き体験も豊富になれば、試行錯誤しなくても、手馴れたマニュアルちっくな方法で片づけるやり方もあるが、それではツマラナイというか、性分なんだろう、そうできない。それは、この「手ごたえ」をつかむ快感を、おれの肉体が求めているのかも知れない。

2009/03/15「梅田、天神、天満。ああ、中之島」に書こうと思って書いてなかった。その1965年ごろ以来の天神橋の上で、初めて、あのときおれはナゼ大阪出張を受けてしまったのか考えた。そのように過去をふりかえることは、あまりないのだが、やはりトシか。天神橋の上から見た景色の「激変」を前に、思わず、そんなことを考えてしまったのだな。

そもそも、あれは断ろうと思えば断れた話だった。臨時雇いを転々としたあげく、海外旅行専門の旅行社に、やっと正社員で入社。試用期間3か月が終わり、正式採用が決まったところで、いきなり大阪営業所開設準備のために、一年間大阪へ行ってくれと。

おれは21歳か22歳になろうというころだったと思う。会社には一つ二つ年長の大卒の先輩が、たくさんいた。もちろん彼らのほうが業務についても詳しい。それに、おれは試用期間中は、主に「業務」という、個人や団体の業務渡航を扱う課に所属して、観光ツアーの営業は経験なかった。ところが、大阪営業所開設は、主に関西での観光ツアーの営業を目的としていた。そのほうが利益率は大きく、営業所開設の投資も少なくてすみ回収も早い。

ほかに適任者は、いくらでもいたはずだし、会社は、おれが断ることも考えていたはずだ。たぶん、みな行きたくなくて、新入社員のおれにまず話を持ちかけ、ビンボー籤をひかせようというコンタンだったにちがいない。どんな組織にも、そういうふうに人を使うことだけは上手な頭のよい連中がいる。

ところが、おれは、よく考えもせず、その場で二つ返事で受けてしまった。無知の恐ろしさというか。関西という知らない土地へ行ってみるのもよいかな、という気分ぐらいだった。

天神橋の上で、気がついたが、おれは仕事をやるのに、上司や同僚と相談することは苦手というか、目標なりやることがはっきりしていたら、あとは一人でやるのが好き、というか、そういうふうにやっていた。ま、登山なら単独行が好きなのと同じか。まわりからすれば、もしかしたら、扱いにくい人間だったのかも知れない。あるいは、こいつなら一人でやらせるによいと思ったのか。いまでも、そのままで、とくに後ろ盾になる人や組織との付き合いはない。

大阪へ行って、初めての土地で、営業的には奈良、京都、神戸もカバーしなければならなかった。たしかに一人は大変だったが、アレコレ試行錯誤のなかで、その「突き抜け」の感覚を何度か覚えた。ほとんど休みなく働いていたから、身体はボロボロになったが、一年で営業所の正式開設にこぎつける集客も、なんとかできた。それは、「達成感」なんていう生やさしいものじゃなかったが、ま、たいがいのことは、なんとかなるものだと思った。

そんなことを天神橋の上で、ボンヤリ思い出していた。

んで、いきなり話は、かなりそれたが、ここんとこ昨年末からアレコレ試行錯誤の結果、なんか「突き抜け」感があって、ヤル気満々なのだ。といってもトシだからねえ、酒に弱くなったのか、酔い方もドロドロになる。ま、もうまわりは隠居か死んでいくやつが増えているのに、いまさらヤル気出してどうするんだというようなものだが、出ちゃったんだから、しょうがないね。惚れちゃったんだからしょうがないと同じ。惚れても、相手が女なら、冷たくされたら先にはすすまない。終わってしまう。でも、仕事のばあいは、そうじゃないんだな。やりようがあるわけだ。

ああ、それで、ようするに話は関係あるかないか、きのうきょうで、来月発売予定のミーツリージョナル別冊「東京ひとりめし」の校正が終わった。

ミーツリージョナル別冊、前回の発行は、「東京肉本」だった。好調な売れ行きらしい。おれが巻頭エッセイを書いたミーツ本体の昨年10月号特集「ザ・めし」は、売り切れになった。この「東京ひとりめし」も、うまくいってほしい。

おれは、「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話」を書いている。4ページのなかに、おれの写真が、ドカーンと載っていたりする。こんなジジイ顔を、そんなにでかく載せてどするんじゃい、という感じだが。この文章は、チョイとこのあいだからの「突き抜け」感のなかで考えていたことを生かしている。とりあえず関係者のあいだでは好評のようだ。

ほかに、大竹聡さんが浅草橋「西口やきとん」、木村衣有子さんが新宿西口「ベルク」を書いているとのことだ。なんだか、おもしろそう。

みなさん、よろくお願いしますよ。ちゃんと校了になってから、また詳しく報告します。

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2009/03/17

少年メリケンサックな昼酒とやどやな夜酒泥酔帰宅。

ああ、それで、まだ酔っているのか、きのうのことを書くのを忘れてしまった。

朝、銀杏BOYZ峯田イノチのタケカメさんからメールがあって、銀杏が出ている「少年メリケンサック」を観にいかないかという。11時10分からだという。間に合うので行く。歌舞伎町の東亜オデオン。

東大宮で、ちょうど来た湘南ライナーに乗ったら、新宿に早くついた。ション横でやきそばとビールを一本。朝から飲んでいる客は、シニアだらけ。そして映画の入場料、おれってシニアなので1000円なのだ。安いのはいいが、しみじみトシを感じる。

ようするに「パンクって、なんだ」という映画だが、単なる若者バンド映画じゃなく、パンクな中年おじさん人生ものとして、なかなかおもしろいものがあった。銀杏の峯田は、けっこう出ているだけじゃなく、セリフまであった。向井秀徳が音楽をやっていて、エンディングで峯田と向井の歌が流れる、これがよかった。この映画、けっこう「東北勢」ががんばって作っている。

おわって、歌舞伎町で昼から飲める安い居酒屋を見つけ入る。ここでガンガン燗を飲んだのが、はやい泥酔のもとだった。パンク映画見て、泥酔でパンク。17時ごろか?タケカメさんが帰る。居酒屋におれをおいて先に帰ったように思っていたが、よく考えたら、地下鉄の駅でわかれ、おれはヤドヤに渡すものがあって、中野へ行ったのだな。

やどカフェに入ると、澤畑ボスとマリリンそれに、なんとひさしぶりのツボイさん。あとから、これまたひさしぶりのアレックスもあらわれた。んで、澤畑ボスとマリリンとアレックスとで、近くの駒忠へ。もうヨレヨレ泥酔状態で、何を飲んでいたか、まったく記憶がない。身体を起こしているのもツラクなり、泥酔記憶喪失帰宅だった。

いま、13時だけど、まだ酔い眠いだるい。とりあえず、これだけ。

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理解フノー「右と左」、書評のメルマガ『残ぱん東京』。

Gaisen031近頃は泥酔状態でブログを書くことはなくなったが、特定のひとにメールを出すことがあるようだ。たいがい覚えてない。返事をもらうと、送信済みフォルダーのなかを見て、おやまあこんなメールを出していたかと思う。ま、たいがい酔っぱらいの戯言だが、「理解フノー」なことが書いてあったりする。昨夜は、実際に、メールの相手から「理解フノー」という返事があった。どうも夜中にスミマセンでした。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。またするかも知れないけど、お許しを。

それで、そういえば、ここのところのクソあわただしいなかで、美術系同人誌『四月と十月』に連載の「理解フノー」を書いて、すでに校正も終わっていることを思い出した。来月4月発行の号。

タイトルは「右と左」だ。毎号写真を同時に掲載するので、トリミングはちがうが、この画像をつけた。こういう景色、わりと埼玉県で見られる。「まち」ではない、田畑に囲まれた、建設会社の敷地らしいところに「街宣車」が停まっている。高崎線や宇都宮線で大宮をすぎると、車窓から、ときどき見える。街宣車は田舎から街へ出かけるのだな。

どちらかというとおれは「左」に見られることが多い。ま、「右」か「左」かという観念でモノゴトをみている人からすれば、そうかもしれないが、どちらかといえば「右」のひとに対するアレルギーはない。「左」のエリート意識自意識過剰のインテリたちのほうが、肌にあわないこともある。「中」で公平公正中立ぶっているやつは、ペテン師より手に負えない。と思うこともある。

かつてはプランナー稼業で、けっこう長いあいだ、ゴリゴリ「右」のエライ人と寝食を共にすることがあって、楽しくすごした。たしかに時には、そのやりかたはハードすぎはしないか、とか、考え方が短絡している、神がかかりすぎている、などと思うこともあったが、そういうことは「右」や「左」や「中」にかぎらす、あることなのだ。ようするに庶民大多数の生活の現実から出発しなければ、どっちだってたいして違いはない。

そして、自分が誠実にやっていれば、ハードな「右」を怖がることはない。そういうひとたちより、不誠実なやつらはいくらでもいる。

ま、たいがい、「右」だの「左」だの、「日共系」だの「反日共系」だのというタワゴトは、じつに観念的なもので、そういうのが好きな連中、ある種の偏執的な政治オタク思想オタク観念オタクのような連中が多い。ようするに、右だから悪い人物、左だから良い人物、あるいは思想節操が堅固だから立派な人物なんてことはないのだな。

そこらあたりを、食べ物の嗜好である「右党」と「左党」をからませながら書いた。前にも書いたと思うが、この連載は、自由にテーマや書き方を選べるので、毎回、チョイといろいろな表現的な試みをやってみようということだ。今回は、はたして成功したか?

それから、やはりあわただしいなかでお知らせするのを忘れていたが、「書評のメルマガ」に連載の「食の本つまみぐい」は、ひと月も前の2月13日に発行になっていた。今回は、『残ぱん東京』(佐竹利允著、食糧問題研究所1975年8月)を取り上げている。ザ大衆食のサイト、こちらからご覧いただけます。…クリック地獄

「四月と十月」のサイトはこちら…クリック地獄

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2009/03/15

梅田、天神、天満。ああ、中之島。

Tenjin_tenma
8日、午後1時過ぎにJR新今宮駅で原口さんと落ち合い釜ケ崎へ行く前、午前中は、対極のキタ、梅田から天神橋筋、天満橋筋あたりをウロウロし、大手前から大阪城公園を通ってJR森之宮駅へ出た。9時すぎから、約3時間ぐらい歩いたことになる。このあたりは、1965年ごろ一年間大阪へ長期出張したとき、仕事で歩いた地域だ。そして、それ以来はじめて、天神橋の上に立った。上の画像は、天神橋から上流、天満橋方面。ちょうどアクアライナーが、中之島の突端を、右の土佐堀川から左の堂島川へターンするところだった。下の写真は、天神橋の下流側、難波橋、淀屋橋方面。ここから見える景色、そして中之島界隈は、「激しく」変ったし、変っている最中だ。
Tenjin_nanba
Tenjin_satomi

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2009/03/14

動物園前一番街とココルーム。

Doubutuenmae_coco_2動物園前一番街は行政区画では、西成区山王に入るようだが、ドヤ街の太子地区と、飛田遊郭があった山王地区を東西に分ける境に位置する。

角に成田屋がある、JR環状線新今宮駅や地下鉄御堂筋線動物園前駅がわの一番街の入り口の写真は、すでに掲載した。こちら…クリック地獄

比較的入り口に近いところに「場所の力」シンポの主催団体、NPO法人ココルームがある。左隣は、角打ちありの酒屋。

すじ向かいには、公楽食堂。その右隣だが、画像でわかるだろうか「Welcome to Kimono shop」とサインがある和物の店だ。ドヤのゲストハウス化、利用客に外国人旅行者が増えているとのことで、こんな店が数軒あった。

Doubutuenmae_01

奥に行くほど、古いままの雰囲気になる。

Doubutuenmae_02

一ヵ所、店の建物を撤去したところがあって、背後に隠れている、飛田遊郭を囲んでいた壁の一部が、むきだしになっていた。ところどころにある切れ目を見ると、けっこう厚い壁だ。ともすると昭和レトロのネタになる遊郭だが、この厚い壁に囲まれた姿こそ、現実なのではないだろうか。そう思った。

Doubutuenmae_kabe

ココルームは、この日8日は朝早くに、代表の上田假奈代さんがイギリスに向けて発ったこともあり、夕刻19時からの開店なので中は見られなかった。酒類なども提供するインフォショプで、遠くの客、ブログを見ると、おれの地元近くの見沼たんぼからも訪ねている人がいるようだし、地元の面倒な人たちが暴れたりもするようだ。

上田假奈代さん、まもなく40歳にならんとする、ブーツに着物姿が似合う活発な「闘う詩人」だが、ブログを読んでいたら、重いキツイ病気を抱えているようだ。ここにショップを構えるだけでも大変だろうに、そんなこと、そよとも感じさせない。明るくアクティブで優しく鋭い。詩人やりながら実務もバリバリこなしているようだ。そして、仕事をどっさり持ったままイギリスへ行き、仕事を片付けながら研修の日々を送りながら、ブログを書き続けている。

少々のことで寝言や泣き言をいっているばやいじゃないぜと思う。また上田さんに会いに行こう。じつは、またドヤ街の立ち飲みにも成田屋にも行きたい。

上田さんのブログ「日々。生きる現代文学」…クリック地獄

「まち」と関わることは「まち」の難儀と関わることだ。難儀を避けたら、「まち」と関わっているようでも、じつは「商圏」や「市場」と関わっているにすぎない。それはそれでよいのだろうが、とかく「まち」と関わっているような錯覚を持ちやすいのがモンダイなんだろうな。

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2009/03/13

釜ヶ崎ドヤ街事情。

047日本寄せ場学会というものがあるのを知らなかった。広辞苑で「よせば」をひくと、「寄場」とある。「①人などを寄せ集めて置く場所。②人足寄場の略。③寄席に同じ」であるが、寄せ場学会の「寄せ場」は②の意味に近いだろう。

日本の「三大寄せ場」といえば、東京の山谷、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎といわれる。いわゆる「人足=日雇い」のまちであり、日銭稼ぎをしながら雨露をしのぐ宿が、その地にたくさんできた。

宿は「木賃宿」のことで、食事の提供はない。かつては、いつごろまでか、布団も賃貸だった。ほんとうに雨露をしのぐだけの宿だ。その「ヤド」をひっくり返して「ドヤ」。

Kamagasaki_taisi今回泊ったのは、太子一丁目にある、「ビジネスホテル ラッキー」だ。新今宮駅すぐ南の太子の交差点を南側にわたって(最初の写真)、左斜めの小路を少し行ったドヤ街のなかだ。

あたりは、むかしのような木造の宿は少なく、たいがいは低中層のビルの「ホテル」だ。「明るい清潔な部屋です」といった貼り紙もある。(二番目の写真、正面1階は喫茶店、2階はアパート。その右側の道を入った並びのホテルに泊まった)

おれはドヤ街に泊まるのは初めてだが、飯場暮らしはしたことがある。建物は仮設のプレハブだし、個室はないし、めし代も布団代も賃金から差っぴかれる。ただ、みな、お互いに清潔に利用していた。

山谷も寿町も釜ヶ崎も、ドヤは様変わりの最中だ。個室化そしてビジネスホテル化、あるいは外国人旅行者相手のゲストハウス化。個室化とビジネスホテル化のあいだは、名称を変えただけで、たいして違いがないものが少なくないようだ。「一般客でも大丈夫」という受入れ体制をアピールする、それが「ビジネスホテル」という表示のようだ。ラッキーも、そういうビジネスホテルだった。グーグルで「ラッキー」「ホテル」「太子」で検索したらヒットした。電話で予約できる。

Kamagasaki_hotel25階か6階建て、ワンフロアーに10部屋ぐらい。共同のガスコンロ一台に、流し場とトイレ。小さめの三畳の部屋に、胸の高さから上に窓がある。1泊1600円。東京なら山谷でも2000円以上するだろう、ゲストハウスのドミトリー並の値段で個室、共同だけど風呂もついている。

ここに泊ったのは、関東から来た、おれと五十嵐さんと成田さんだった。ワレワレは飲んだくれて夜中の24時過ぎに着いたので、風呂には入れなかった。風呂が利用できる時間帯は忘れたが、近くには朝からやっている銭湯もある。

こういうドヤ街のヤドは、ジメジメしたせんべい布団にくるまるイメージがあるが、そんなことはない。せんべい布団にはちがいないが、せんべいマットの上にそれをひき、パリッとした敷布と布団カバーにくるまって、ほっこり安らかに眠ることができる。

Kamagasaki_hotelほんに、一日のことをなし終えて、こうしてあたたかい布団に眠る幸せ、これとめしさえあれば人生は十分と思うが、それを得るだけでも、なかなか難儀なことなのだ。そして、野宿者が生まれる。ヤドに泊れるのと野宿の差は、天国と地獄の違いのように大きいだろう。

こういうドヤ暮らしや野宿者に、「流浪」や「敗者」や「ふきだまり」のロマンをみる貴族的な、あるいは文学的な、「下世話趣味」は、彼らに同情を誘うことはあっても、難儀の解決にはならない。そもそも、ほとんどのドヤの住民や野宿者が何故そうなったかといえば、「流浪」や「敗者」や「ふきだまり」にロマンをみたからではない。

ラッキーのなかには、「ネコにエサをやらないでくれ」というような貼り紙があった。通りや公園でも、ドヤの住人や野宿者が、野良猫や鳩にエサをやっているところをときどき見かけた。

難儀はドヤの住人と野宿者だけではない。釜ヶ崎と、その近隣、それを抱える西成区の難儀もある。どうなっていくのか。どう関わったらよいのか。その一端を、シンポジウムで永橋為介さんが、生々しく語った。

それは釜ヶ崎固有のこともあるが、「まち」とどう関わるかという基本は、どこにも共通する。「個性」「多様性」あるいは「共生」といった謳い文句は長く続いているが、ほとんどの「まち」の実態は、それからほど遠い。

とにかく、ドヤ街自体も変化しているし、ココルームのように、そこに関わる人たちも変ってきている。新今宮駅周辺や動物園前1番街では、外国人バックパッカーの姿をよく見かけた。

日本寄せ場学会…クリック地獄


関連
2008/06/30
横浜ドヤ街事情。

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2009/03/12

取材とはいえ午後2時から飲み続け、泥酔ヨレヨレ。

004きのうのこと。都内で午後2時から取材。おれが飲んでいるところを撮影するとかで、仕方なく飲む。もう一回、もう一回と何度も撮る。仕方なく飲む量が増える。撮影が終わってからも、そのまま編集の肉姫さんと写真の岡本さんと飲む。もう一本、もう一本と。最後は、もう一軒ってことになり、立ち飲み。二人とも関西人だから、行ってきたばかりの大阪のことや、東京との比較あれこれ、おもしろかった。

おれは、そのあとがあったので、たしか19時過ぎに立ち飲み屋でわかれる。いやあ、仕事で仕方ないとはいえ、よく飲んだなあと酩酊状態で、下北沢のスローコメディファクトリーへ向かう。

この日のスロコメのイベントは、スロコメ日記の告知では「シークレット企画」ってことになっていたが、前日仕事の件で瀬尾幸子さんとメールのやりとりをしたとき、瀬尾さんと西郷輝彦さんが対談するからと誘われ、行くことにしていたのだ。

が、着いたら8時半ごろで、すでに二人の対談は終わり、飲み懇親になっていた。ま、それもよし。西郷さんと久しぶりの握手。えーと、たしか、マチュカバー以来かな? おなじテーブルに、道玄坂清香園の李さんと瀬尾さん。そして初対面の挨拶をした方が、おどろいた、北九州のイシトビさんの上司なのだ。そういえば李さんと西郷さんは、その会社の社長さんに招待されて工場見学などをしているのだった。しかし、どこでどうつながっているかわからんもんだなあ。

「酒つま」のナベさんとサイカメさんのテーブルで、バカ話し。「ネオン川…」のあとのブログ中断の顛末がわかって、大笑い。ほかのテーブルにいた春風亭柳好さんが加わって、師匠がいうには、師匠は月イチぐらいしかスロコメに来ないのに来るたびにおれがいるそうで、なんというめぐりあわせなのだろうと。これは、いったい、よいめぐりあわせなのか? また師匠がいうには、「師匠」と呼ばれるのは、あまりよくない、なぜなら名前を覚えられていないから、「師匠」と呼ばれるのだ、と。なるほど、スルドイ。たしかに、柳好さんの名前を、思い出せなかった。こんどは、シッカリ覚えておこう。

そうそう、スロコメの隣に、松尾貴史さんがカレーの店「パンニャ」を出したのだ。その松尾さんが飛び込むようにあらわれ、「よっ」という感じの挨拶だけで、サッと忙しそうに店の方へ去って行った。この店の看板、大野さんの鎚絵でつくることになったという話を聞いていたのだが、もうできて掲げられているのかどうか、確かめるのを忘れていた。とにかく、これもまた、どこでどうつながっていくかわからん話だな。

また何人かの初対面の方と挨拶したが、とにかく、どこでどうつながっていくかわからん、気をつけようという、わりと「芸能界」な夜だった。

ちょっと身体を支えるのもつらい泥酔状態でスロコメを出る。新宿で電車を乗り間違えるが、帰巣本能の正気が機能したか、無事に帰って来れた。

こんど西郷さんと会ったときに松永伍一さんの話をしたいと思っていたのに、酔って忘れていたことを思い出した。つぎは、忘れないようにしよう。「酒つま」のナベちゃんとサイカメさんと、「酒つま」の「酔客万来」に、西郷さんに登場願おうと話していたが、実現してほしいものだ。

ってことで、前に紹介したことあるけど、西郷輝彦さんのブログ…クリック地獄
松尾貴史さんのカレーの店「パンニャ」…クリック地獄


来週の土曜日、21日は、おれのトークライブ「泥酔論」だからね、よろしく~。
はて、取材でタップリ飲んだはよいが、原稿を書かねばならない。

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2009/03/10

まち、飲食、アート。ココルームとフェスティバルゲートと場所の力。

046_2
047_2今回の「場所の力」シンポジウムは、1980年代後半ごろから疑問に思っていた、近頃は主に「まちづくり」という言葉で表現されることや、模索し続けている、たとえば飲食店や食べ物のことを書くにしても消費主義に流されない表現に、強い示唆を与えてくれた。

おかげで、酒でデレデレに腐った脳みそが、晴れ晴れとしている。きのう試しに、だいぶ飲んでみたが、その晴れ晴れは失われることはなかった。脳みそは酒にただれても、けっこう、気分は晴れ晴れで、興奮し、ハイなのだ。すごく力が湧いてきた気分なのだ。

と、新たなヤル気を出しているところへ須田泰成さんから電話があった。須田さんは大阪出身だ。時間があったらシンポに行きたいと言っていたのだが、忙しくて残念だったので、さっそく電話でアレコレ話した。んで、上の「お知らせ」にあるように、泥酔論の第3回目をやることになった。来週の土曜日21日、よろしく。シンポで一段と酒力とヤル気をつけてきたおれのトークが、「野暮」で、泥酔暴発するでしょう。

さて、それで、自分のためにも、ちょいと今回のシンポジウムの根っこのところを整理しておきたい。まずは、なんといっても、主催者のココルーム、そしてココルームが今回のようなシンポにいたることになった「場所」―フェスティバルゲートのことだ。

『こころのたねとして  記憶と社会をつなぐアートプロジェクト』(こたね制作委員会、ココルーム文庫)の一章の最初に、NPO法人ココルームの代表である上田假奈代さんが、「こころのたねをもつこと アートと社会の関わりの可能性をさぐる」の見出しで書いている。


 他人の人生を聴きとり、言葉として声として身ぶりとして現前させ、当人にとっても他者にとっても人生をであいなおす試み、それが「こころのたねとして(通称、こたね)」である。おしゃべりという日常のなかにある形式で聞き取り(録音することもある)、メモし、聴き取った人が自分なりの仕方で詩や散文にして朗読発表する。聴き取られた人やその家族、近所の人などが訪れ、耳を澄ます。それらの文章を提示することもある。


これが、「こたね」の手法なのだ。続けて上田さんは、こう書いている。


 「こたね」の手法が生まれた背景には、二〇〇三年から五年間、新世界フェスティバルゲートで活動したココルームというアートNPOの存在がある。このNPOの活動がなければ、着想もなければ実施する体制もなかっただろう。他者に聴き取り、他者の記憶の作品化を試みるという手法にいたり、その手法自体を公開する……そんな取り組みにいたった経緯を、ココルームの検証を交えながら、振り返りたい。なぜアートが社会に関与するのか。


続いて、「フェスティバルゲートという失われつづけた場所の力」の見出しだ。じつは、おれは、この『こころのたねとして』を読むまで、「フェスティバルゲート」の存在すら知らなかった。今回、そこへ行った。というか、原口剛さんが手配してくれて、7日に泊ったところは、JR環状線新今宮駅南側の、いわゆる「釜ヶ崎」あるいは「あいりん地区」と呼ばれる中の一泊1600円というヤドであり、その新今宮駅のすぐ北側に、「フェスティバルゲート」が、いまは巨大な廃墟としてあるのだ。東京なら山手線の一駅のそばに、こんなものをつくり、そして廃墟にしてしまう「フェスティバルゲートという失われつづけた場所の力」。


上田さんの文章をつなげていくと、こうだ。「フェスティバルゲートが建設される土地は、もとは霞町車庫で路面電車の拠点だった」「一九九七年(平成九年)、車庫跡地に都市型遊園地としてフェスティバルゲートが建設された。交通局から土地を借り、四つの信託銀行が株式会社として運営をはじめた。珍しい施設に当初は行列ができるほど話題になったが、警備費などの莫大な経費や想定よりも集客数が伸びず、運営は困難を極め、経営は破綻する」「飲食店などのテナントは退店し、シャッターが目立つようになる」「二〇〇二年、大阪市ゆとりとみどり振興局が空き店舗を活用し、「新世界アーツパーク事業」をたちあげた。評価の定まらない現代芸術の拠点形成と情報発信を行うもので、行政とNPOとの協働事業である」


そこに、「翌二〇〇三年に、こえとことばとこころの部屋(cocoroom)が入居する」。


 わたしが知るフェスティバルゲートは二〇〇三年からのものだ。それまでの話は地域の人や退職した交通局の職員から聞いたものである。多くの人がフェスティバルゲートの話をするときに眉をひそめる。「あんな場所では無理だわ」「あの場所にアートは似つかわしくない」とする意見である。


そういうことろで、ココルームは活動を続けた。そして、「フェスティバルゲートは十年の間に急激にさびれ、持ち主が何度も変わり、批判され、場所の力を失ってしまった。一階のバスターミナルと二階の通路部分を除き、誰も立ち入ることのできない巨大な空き地。わたしたちがその最後の五年間をともに過ごしてきたことが「こたね」の着想のひとつにつながる。都市に積み重なっている記憶を開発という仕方で失いつづけてきた。開発が近代以降の人間の営みであったことはよくわかるが、もし少しでも場所の記憶に耳を澄ませたら、ささやかに都市の力は積み上げられるのではないだろうか」

「フェスティバルゲートは開発型の時代の空気と巨大さゆえに場所の力を失いつづけてしまう結果になった。空き店舗が増え破綻がみえてきたから、わたしたちはそこに呼ばれ、最後フェスティバルゲートに立ち会ってしまった。さびれたこの建物は、大きな問いをわたしたちに投げかけたのだ。公共的な空間に対し、閉塞する社会に対し、アートは何ができるか、を」

その活動の結果は、『こころのたねとして  記憶と社会をつなぐアートプロジェクト』にまとめられ、今回のシンポジウムになった。さらに、これからまた次の展開がある。

ところが、ココルームやほかの、フェスティバルゲートに入居した団体は、10年という約束も反故にされ、5年で追い出されてしまった。

そのあと、ココルームが向かったところは、より「あんな場所では無理だわ」「あの場所にアートは似つかわしくない」ような、「釜ヶ崎」の商店街、きのうの写真の最後にある「動物園前1番街」だった。

ココルームは「インフォ・ショップ」「インフォ・カフェ」とよばれる飲食店営業もしている。荒っぽいこともあり、警察を呼んだりすると、その腹いせに店が壊されるといったことがある繰り返しのなかで、記憶と社会をつなぐアートプロジェクトは続いている。

きょうは、ここまで。

上田さんは、1969年生まれ。詩人。

関連
2008/05/08
ぜひ読んで欲しい本です『こころのたねとして』。

画像、1番上は、新今宮駅の南側の太子の交差点から、JRのガード越しに見たフェスティバルゲート。2番目は、おなじ太子の交差点から、カメラを右にふった、「釜ヶ崎」の太子地区のドヤ街。この画像の、さらに右手が、西成警察などがある「釜ヶ崎」の萩之茶屋地区になる。

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上、新今宮駅ホームから見た、フェスティバルゲート。この裏手方面にジャンジャン横丁があり、カメラを左にふると通天閣が見える。

下、最後の画像はフェスティバルゲートのなか、2階通路。日曜日だが、トウゼン、人の姿はない。
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2009/03/09

飲んだ、しゃべった、歩いた、楽しんだ。「場所の力」シンポジウム、ありがとうございました。

0199日の午前2時になろうとしている。8日の昨夜、19時過ぎに大阪をたって帰って来た。みなさん、ありがとうございました。主催のココルーム、大阪市立大学都市研究プラザのみなさん、ありがとうございました。東京から来てくださったかた、思いがけない方がいらして、おどろいたりうれしかったり。そして神戸のからすさんご夫妻。ありがとうございました。

0096日は朝から雨だった。午後2時に、庄内のお好み焼き「パセミヤ」よっちゃんのところで、五十嵐泰正さんと落ち合った。イチオウ打ち合わせということもあったけど、とにかく食べて飲んだ。17時過ぎ、「パセミヤ」を出て、おれは十三で降り、五十嵐さんとは別行動。ホテルにチェックインしてから、女体の詩人石井さん手配の飲み会。取材で大阪に来ていた木村さんアンド村瀬さん溝口さん。女体の詩人の職場のメンバー3人。合計7人で、豪快に飲んだ。途中から、ほとんど覚えてない。とにかく、見えているホテルに泊まるのだからと、アンシンして飲みまくった。最後は十三トリスバーだったようだ。とにかく、よっちゃん、石井さん、ありがとうございました。

7日、目が覚めたら9時過ぎていた。あわててチェックアウト。完璧に酒が残っている。電車乗り継ぎ、阪和線で市大のある杉本町へ向かう途中の駅で偶然、原口剛さんが乗ってくる。

あれこれ、みな準備が忙しそうだが、おれはボッとしている。ココルームの代表、上田假奈代さんと初対面挨拶。上田さん、坂本竜馬みたいに、着物を着てブーツを履いている。みなで弁当を食べることになったが、とても食べられない。水や茶だけを、がぶがぶ飲む。

思っていた以上に参加者が多く、おどろき、ややや、これは二日酔いしている場合じゃないとキンチョーするが、いまさら間に合わない。パワーポイントを持っていないから、フリーウエアのスライド作成ソフトを使って作ったプレゼンツールが無事に動くかどうか心配だったが、最終的にうまく動いたから助かった。

024詳しいことは後日書く。みなすばらしかった。1部のドラマリーディングライブ。やはり、朗読にすると、また違う。SHIGO☆西成さんのばあいはラッパの調子だから、これがまたいい。

2部、永橋為介さんの「対話が生み出す場所の力」は、はあ、そんなことができるのか、と、ただ驚くばかりだったが、一度大学をやめさせられる事態になってもNPOをつくって実践し、その実績でまた大学に復帰したというのもスゴイ。なにをやったかは、後日書く。櫻田和也さんと成田圭祐さんの「場所をつくる/メディアをつくる」の話は、すぐ使えるネタで、おもしろかった。メディアにも、いろいろあるんだな。ようするに裁縫しながら井戸端会議、ってなことをやればよいのだ。ま、この話も、後日。終わったあとの懇親会で、成田さんと話したら、チョイと何か一緒にやれそうなスジがありそうなので楽しみだ。

032_2それらと比較すると、おれと五十嵐さんの話って、なんだったのだろうか。なんの実践もないような。「都市の隙間―貧乏くささの居場所をめぐって」なんてね。誰が、こんなテーマを考えたのやら。でも、まあ、イチオウ、それらしい話をしたのだな。

幸い、おれと五十嵐さんは最後の出番で、しかも時間が押して17時になっていたから、二日酔いから覚めだしたところだった。でも少し身体がふわふわして思考がまわらない状態で始める。これが、かえってよかった。

ま、この話も後日。みんな後日にして、ほんとに書くのか?

終わって会場で懇親会。残ったのは大学の教員や研究員の方が多かった。東京から来ていたOLさんがいて、大学生のとき授業で『大衆食堂の研究』を読まされたと聞いておどろいた。この話も、後日書くとしよう。

懇親会は、とうぜん二次回に流れた。杉本町駅近くの、ま、食堂のような居酒屋。ここで11時過ぎまで。隣のテーブルで集団で飲んでいた中の50がらみのオバサンがトイレに立った帰り、おれに「テイーチャー」「いい男」とか言いながら頬ずりしてくるのにはマイッタ。おれは、どうも、酔っ払いの女に遊ばれやすいのだろうか。

泊りは、原口さんが、新今宮ようするに釜ヶ崎のドヤを手配してくれた。めったに泊らないところだ。写真も撮ってきたので後日紹介する。

110そして8日。朝8時半ごろ宿を出て、天満橋筋と天神橋筋あたりをうろうろし、午後1時45分ごろ、新今宮駅で原口さんと落ち合う。原口さんの案内で、釜ヶ崎をウロウロしながら飲むのだ。

西成警察近くの立ち飲みで一杯やってから、ふらふらと飛田新地へ。あれはイマなんて呼べばいいのでしょうかねえ、まさか「赤線」とはいわないだろうし、いやあ大阪はヨイところですな感じの、「飾り窓の女」風の通りを冷やかしながら歩き、んで、動物園前一番街のココルームへ行ったのだが閉まっていた。

そうそう上田さんは、前夜の懇親会も途中で引き上げ、朝の飛行機でイギリスへ向かったのでした。なので、一番街入り口の成田屋で飲む。成田屋の前の広い道路を渡り、ガードをくぐれば、ジャンジャン横丁だ。原口さんとおれは、オープンエアな成田屋のテーブルに腰をかけ、勝手にケースから好きな酒を取り出しては飲み、ジャンジャン横丁の方から出てきて、コチラつまり釜ヶ崎に向かって来る人たちを眺めながら、あれこれオシャベリ。ようするに飲んだ。

飲んでイイ気分になったところで、電車に乗り、西九条で原口さんと別れ、帰って来たのだった。

原口さんには、シンポジウムにお招きいただいたうえ、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
新年度になったら、こんどは東京で楽しいことやりましょう。ということでしたね。

とりあえず、そういうこと。

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2009/02/15
浅草橋西口やきとんの「貧乏くささの居場所」で泥酔記憶喪失。
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3月7日シンポジウム「場所の力――歩きながら考える」公式案内。

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2009/03/03

泥酔、記憶って、なんだろう。

090228_001もともと、自分のことは信用してない。記憶は穴だらけだし、気分はコロコロ変る。だから、まちがわないようにしようとするが、まちがう。たびたび書いているように、このブログに書くことは、本気にしてはいけない。たいがいは、こうありたいという願望や原則であって、そんなことは知ったことじゃない日常だ。

とはいえ、これには、おどろいた。2009/03/01「鶯谷、上野、新宿。昼酒夜酒。」に書いた、28日のことだ。そこには新宿でバー猫や(こんな名前のバーはないが)へ行くまえに、喫茶店「らんぶる」へ行って、クリームソーダを飲んでいることが書いてない。

そのはずだ、記憶になかったのだ。たしかに、猫やへ行くのに、新宿駅のほうから行かずに反対側から行った記憶はあった。ところが、なぜそちら側から行ったのか、思い出せない。ありえないことだ、おかしい。と思っていた。

一緒だった大野さんから、携帯で撮った画像がメールで送られてきた。
見て、アッ、と声を出した。

そういえば、おれが上京した当時の、1960年代前半のままの店内が残る「らんぶる」を、大野さんも神さんも知らないというので連れていったのだ。そしてクリームソーダを頼んだのだ。

しかし、不思議だ。そのあと行った、猫やで、こちらが美女連れだったからか、御機嫌なマスターに聞きたかったことを聞いた。それは、よく覚えている。

そもそも、おれが1970年台前半ごろから、ここに来るようになったときからいたマスターは、どうしたのか。ときどきあらわれていた女が、やがて、そのマスターに替わるように店に出るようになったイキサツは何か。そして、あんたは、いいトシだけど、どこにいたのか。また、この店とCとの関係は、などなど。あと、このように古い渋い店が、ガイドブックや情報誌などに登場しないのは、なぜなのか、取材拒否ならば理由は。

そのことについて、マスターが答えたことは、たぶんかなり正確に覚えている。ようするに、あの古い、いつも神経質そうな不機嫌な色白の顔のマスターは、やはり亡くなったのだ。たぶん、おれより少し年上だっただろうが、若死にだ。彼は、やはり、オーナーではなく、雇われ店長だった。そして、女は、そのマスターの娘かと思っていたが、オーナーの娘だったのだ。これで、いろいろなナゾがとけた。Cは、やはり同じオーナーの持ち物だ。ほかにもあって、そこはおれは知らなかったが、いまのマスターは、そこから移ってきた。

取材拒否は、ガイドッブックや情報誌を見てくる人たちは、そのときだけだから、常連がいやがる、常連がいやがるから出ないことにしている。ということだった。ま、あまり大きな店じゃないし、また、いわゆるオーセンティックなバーともちがうがゆえに、本当に好きで通っている、ややクセのある常連が多いのだ。

てな話は、ちゃんと記憶がある。だいたい、地下2階の猫やに入る階段を下りるところから覚えている。なのに、その前の覚えがない。上野で、まだ9時だからという話をしていたあとが、すっぽり欠落している。

不思議だなあ~。

しかし、クリームソーダ、とは…。酔うと何をしているかわからん。
しかし、「らんぶる」は、よく残っている。うれしい。だいたい地下1階と2階が吹きぬけなんて、いまどきの世知辛い新宿じゃありえない。
昨年2008/07/09「酒を避け難儀にむかうこともある。」に書いた、7月8日以来だった。

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2009/03/02

世界傑作劇場閉館。「古きよき」薔薇と桃色の宴。

Bara_004すでに紹介のとおり、3月1日は、世界傑作劇場閉館の日。前夜の二日酔いが残るまま出かけた。劇場につくと、前に山崎邦紀監督が、またもや故郷の舘岩村の消防団の法被を着て立っていた。

そして。と、詳しく書きたいが、二晩続けて泥酔で三日酔いぐらいの状態のうえ、もろもろ綱渡り状態になってしまい、余裕がない。

とりあえず、これだけ書いておく。

舞台挨拶で、山崎監督と壇上に上がった、3人の男優の若い一人、20歳そこそこだろう人、しっかりした話をしたが、「こういう古きよき薔薇映画や薔薇映画館は残ってほしい」と言った。「古きよき」という言葉は、まさに、こういうときにこそ使うものだろうと思った。

監督によれば、薔薇専門映画館は、この閉館で全国に4か所だけになるそうだ。そのうちの一館は、前に画像も掲載した、北九州市の小倉駅そばにある「名画座」だ。

2008/09/21「負の遺産」とかいうが、それは「正の遺産」と一体なのだ。

北九州のみなさん、是非、山崎監督の作品を見てください。

Bara_006打ち上げ飲みには、20名ばかりの人たちが参加した。京都から来られた人もいた。

世界傑作劇場閉館の支配人は、佐々木正さんだ。約1年前、ピンク映画館の大宮オークラが閉館したときの支配人でもある。飲みながら貴重なお話を聞くことができた。

二次会は、御徒町の鳥園だった。オークラの関係者以外は、ほとんどの方が参加した。いい飲み会だった。いつもカネ勘定している鳥園のおやじ、トシを聞いたら91歳だ。

仕事が残っているため、早く帰ろうとしたのに、赤羽まで帰るエロ出版老舗の一水社の多田さんにつかまった。競馬で勝ったぶんぐらい奢るというので、ただ酒に意地汚いおれは誘いにのって、鶯谷の信濃路へ。多田さん、ごちそうさまでした。

そこで、なんと、吸うさんにも会った。貴重なものをいただいた。ありがとう。いい日だった。

泥酔記憶喪失帰宅。朝目が覚めたら、着替えもしないで布団の中だった。

とりあえず、そういうこと。山崎監督の映画については、あとで書く。たしかにピンクより、かなり気合の入り方がちがう映像だった。やはり、ソクラテスだのニーチェだの折口信夫だのと、リクツっぽいのだった。

山崎監督のブログ…クリック地獄

Bara_008
Bara_012撮影した記憶がないのだが、いい写真だ。「古きよき」エロを担う三人。『出版業界最底辺日記 エロ漫画編集者「嫌われ者の記」』(ちくま文庫)の著者、塩山芳明さん(クリック地獄)は、今月中に新著『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代~』が出版になるらしい。今回の作品ではプロデューサー役だった、『女が映画を作るとき』(平凡社)の著者、浜野佐知監督。若い美形の男が多かった打上げで「こんどは薔薇を撮りたい」と言った。競馬好きの多田在良さんは、小倉まで競馬をやりにいき、「雲のうえ」5号に掲載の玉川食堂で食べてきたそうだ。
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山崎監督、佐々木支配人、ありがとうございました。

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2009/03/01

鶯谷、上野、新宿。昼酒夜酒。

090228ameyoko012きのう。早めに出て、アメ横周辺をブラブラしてから鶯谷駅、午後2時、中原さん、大野さん。ささのやは開店準備中のためラブホ街を突っ切り信濃路、ほぼ満席。あとから森田エロ夫妻。大野さんのアモイ出張の石屋の話し、おもしろかった。めずらしく、村上春樹、大江健三郎、丸山健二などネタに飲む。5時過ぎまで。ラブホ街を突っ切りもどり、ささのやで立ち飲み。のち上野までバイク街薔薇街を歩き、いわさき。美麗の神さん合流。9時ごろ出て、中原さん、森田さんと別れ、大野さん、神さんと、まだ9時だからというので、新宿のバー猫やへ。10時半ごろだったか、もうヨレヨレだし、やることあるし、お先に失礼と帰る。ようするによく飲んだ。ただそれだけ。

とりあえず、そういうこと。あとで書き足すかも知れない。

きょうは、←「最近の記事」にある、この日だよ。
2009/02/24
かつて一世を風靡した〝薔薇族映画〟の専門館、上野の世界傑作劇場が、3月1日で休館する。

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