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2009/04/30

「場所の力」と「ちゃぶ台ごはん」。

世間は大連休状態らしい。イベントの案内が多い。都心方面ではイベントを競っているようだな。東京は、群れて競いあうことが好きな人たちには、よいところなのかも知れない。ここ埼玉は、そういうことはなく、のんびりしている。人の歩き方からちがうもんな。などと考えながら、いろいろなイベントの案内を見る。が、わざわざ人ごみのなかへ出かけていく理由もない。

連休明けからあわただしくなりそうなので、埼玉ペースでのんびり過ごそう。なーんて思っていたら、講演や原稿の依頼が舞い込んだ。講演は、まだ先だからボチボチの準備でよいが、原稿は比較的急ぐ。しかし、ちょうどよいタイミングだ。

原稿のテーマは3月7日に大阪市大で行われた「場所の力」シンポジウムにからむ。だけど、大阪から帰ると、ブログに少し報告して、「あとで詳しく」と書きながら、ほったらかしだった。録音や画像の資料も、ほったらかし。肥やしになるはずの話が、そのまま記憶の底に埋もれやすいから、ありがたい原稿依頼なのだ。どりゃ、せっせとやろう。

という感じなのでありますね。

講演の依頼も、テーマは食のことだけど、「まちづくり」が関係するから、これも「場所の力」がからむ。そのように、閉塞するのではなく、あれやこれやが関係しながら広がっていくのは、とても楽しい。可能性を感じる。

それで、講演のテーマに少し関係する、瀬尾幸子さんの『ちゃぶ台ごはん』の売れ行きは、どんなアンバイかとアマゾンを見た。すると、『ちゃぶ台ごはん』のなかの、「ものぐさとろろ」と「炒め牛皿」の動画があるのだ。瀬尾さんが作り方を説明しながら作ってみせている。うーむ、これを見ると作ってみたくなる。たしかに、『ちゃぶ台ごはん』は、作ってみたい気にさせるし、料理の説明もよくできている。自分で書き込みながら、自分だけの一冊にできるという点もよいね。あまり褒めすぎないようにしよう。アマゾンの動画はこちら。…クリック地獄

アマゾンとしては、これで本の販促にしよということなんだろうけど、いろんなことをやるんだなあ。どんどん「進化」しているんだなあ。でも、まあ、おれは、おれのペースで、おれの山に登る。

これからの「まちづくり」は、人を集めての派手なイベントだけじゃなく、こつこつ地味な日常のなかに、どう「まち」をつくるかということが大事になりそうだ。そのために、イベントやメディアは、なにをできるかということを考え直す時期でもあるようだ。これまでの「まちづくり」は、広告屋イベント屋的な手法、都市計画屋建築屋的な手法、などだけが先行しすぎた。それは、ともすると、かりにイベントなどは成功しても、「場所の力」を破壊しかねないのだな。イベントは成功しつつ、「まち」は衰退する。過去に、そんな例は、いくらでもあった。

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2009/04/29

絶滅危惧種か、絶滅させてはなるめぇ、手火山方式で生の近海カツオを使って鰹節を作っている御前崎。

いただいたメールに「現在手火山を使った鰹節製造者が3軒おります。かたくなに伝統製法を守っています。一番火から最後の15-20番火までそれに生の近海カツオを使って鰹節を作っている所は御前崎だけとなっています」とあって、おどろいた。

そりゃまあ、なんでも鰹節が一番とは思わないが、とくに東京あたりじゃ、鰹節で育った人が多いはずだし、飲食店も鰹節にこだわっているところが多いようだ。もちろん、ねこまんまとくれば鰹節だ。

押しも押されぬ日本文化のはずじゃないか。だけど、もう、こんな状態なのだ。この川口博康さんが、がんばっているようだが、もっと応援したいね。ってことで、まずは、ここに紹介。こういう生産技術の振興に、「景気対策」のカネをつかってほしいよ。

NPO法人「手火山」
http://www.npo-tebiyama.org/index.html

パイプオヤジ この人 2008年03月29日NPO法人「手火山」理事長 川口博康氏
http://paipu.eshizuoka.jp/e87680.html

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2009/04/28

東大宮駅立ち食い「小庵 喜多」のうどんそば。

Kita009宇都宮線東大宮駅改札口入ったところにある。立ち食いだが、腰掛も数席ある。電車を一本遅らせても食べることがある。いまのところ、えびのこうばしい味わいのかきあげ天ぷらを最も多く食べているが、かけでも十分よい。

汁が、好みの味に近いこともある。かつお節のほかに、さば節をつかっていると店内のポスターに説明があるが、そのせいか、少しクセのあるダシがおれの好みなのだ。

ウチでつくる味噌汁は、たいがい混合の雑節でダシをとる。なんでも、たいがい雑節を使用するのが、近年のおれの傾向だな。ま、うふふふ、上等の野暮な味を追求しているというか。「雑味」を排除するのではなく、うまくコントロールすることを考える。深い「旨み」を得るには、よいのではないかと思う。

かつておれは、たいがいダシは煮干だった。麺つゆも煮干だけでつくっていた。その場合、けっこう醤油を選びたくなるのが難点だなと気づいて、雑節を多用するようになった。煮干で育っているから、かつお節や昆布その混合のダシは、嫌いじゃないしうまいとは思うが、それほど執着はない。

それから、この店のうどんそばは、麺と汁のバランスが、埼玉あたりの特徴を持っているように思う。埼玉というより、詳しくは調べてないが、北関東的な傾向かも知れない。

まだ、おれとしては仮説的だが、うどんそばに、三つの大きな傾向を感じている。

麺の喉越しを味わうために汁を用いる。あるいは、汁の賞味が主眼で麺にたっぷり汁を含ませる傾向。そのどちらでもない、麺と汁の微妙なバランス、つまり麺に汁をからめた状態で麺をかじり粉の風合いを賞味しようというもの。

いまのところ、この三つの傾向を、おれは考えている。それは、すいとんやそばがきなど、麺以前の、ほかの「こねもの」と汁の関係でみると、そんなに外れてはいないような気がしている。もちろん、その中間的なものもあるだろうし、かなり均質化されているのだろうが、大きな傾向としては、この三つというのが「体験的」な整理なのだ。

地域的な特徴も関係しているように思う。そして、ここ埼玉あたりは、この三番目の傾向が、わりと濃厚ではないかと思っている。

ま、そういうことは、いずれボチボチ書いていくとして、喜多で食べながら、あらためてそのことを思っている。とにかく、この立ち食いが東大宮の駅にあるので、うれしい。

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2009/04/27

大いに興味深い、「農的若衆宿2009春 はじまりのたね」。

前にも書いたと思うが、「農」あるいは「農業」というと東京から遠く離れた「田舎」をイメージしやすい。だけど、都心から20キロかそこらの近くにも、こんな動きがあるのだ。大いに興味深い。泥酔しながら、大いに興味深い。次回の泥酔論は「農」でやるか。おいで、見沼たんぼに。

晴耕雨読人類往来記「農的若衆宿2009春 はじまりのたね」
http://blogs.dion.ne.jp/coppe/archives/8314287.html

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盛況御礼。昨夜の泥酔論「スナック礼讃」。

いやあ、ほんと、スロコメがほぼ満員状態でした。たくさんの方に来ていただき、ありがとうございました。

おれは17時過ぎに到着。もうコンさんがホッピーを呑み始めていた。となりのパンニャでカレーを食べているカップルもいた。プレゼンスライドが動くか、チェックし、18時開始にはホロ酔いになるよう呑みはじめる。サイカメさんも18時ごろ到着。

お客さんもどんどん来るが、パンニャのカレーを食べに行く人が多く、ま、陽がのびたことだし、遅らせて始めることにして呑む。ホッピーを中身多くと注文し、どんどん呑んでいたら、19時開始のときには、なんだかみんなの顔がグルグルまわる状態になっていた。

あとは、ままよ、流れのまま。サイカメさんが意外にもキンチョーしているようなので、チョイとからかいながら、すすめる。途中から口がはやすぎるかなと思ったが、もう調整できない止まらない。約1時間15分ぐらいトーク、無事に終える。

終わって泥酔。もうろうとスロコメを出て、帰ったら、ひたいから血を流していた。なぜなのか、わからない。思い出せない。ひたいの真ん中に小さなかさぶたが残り、痛い。

いつものみなさんのほかに、初めての方、ひさしぶりの方も多かった。経堂のバーのママさんなど、カウンターのなかの方もいた。スナックのママはオッパイが大きくないとダメかしら、なーんて声もあったが、そんなことありませんよ。大きいのは、サイカメさんの趣味にすぎませんから。
Deisui4008

「正しい人たち」のあいだには、スナックに対する偏見が少なからずある。サイカメさんと独断と偏愛をもって、「スナックの真実」にせまった。

須田泰成店長が、「スロコメ日記」に画像をたくさんアップしています。そちらをごらんください。「エンテツ泥酔論♪スナック論・大盛況でした!」…クリック地獄

当ブログ関連
2008/10/08「虚実皮膜の間。スナック。」

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2009/04/26

今日は泥酔論4回目。

Snack002前回、3月21日の当日になって、「今日は泥酔論3回目」のタイトルで「自分でも、おもしれ~と思うプレゼンスライドをつくった。いまから、いまからでも、このブログを見た人だけが間に合う。下北沢のスロコメへ」と書いたら、それを見て初めて来てくれた方がいた。なので、また、こうして当日の朝、書く。

やはりまた、自分でも、おもしれ~と思うプレゼンスライドをつくった。いまから、いまからでも、このブログを見た人だけが間に合う。下北沢のスロコメへ。

今回は、すでに2009/04/24「スロコメ@下北沢トークライブ泥酔論第4回「スナック」は、明後26日」のコメントに、ナオコさんという方から投稿があるように、初めての方が参加されるようだ。うれしいね。

ま、とにかく楽しくやりましょう。

Snack003

なお、きょうは幸い晴れたので、きのう雨で順延になった、「第1回 鬼子母神通り みちくさ市」も開催されます。おれが勝手に応援する「わめぞ」と「鬼子母神通り商店睦会」が組んでやるリージョナルなイベントの1回目です。おれのトークライブは18時からなので、余裕のある方は、昼間こちらにも顔を出してみるのもよいかもね。鬼子母神の木々の新緑もきれいでしょう。

下記のような案内がありました。
詳しくは「鬼子母神通り みちくさ市」ブログhttp://kmstreet.exblog.jp/


”商店街が、一日だけの古本街!”
第1回 鬼子母神通り みちくさ市

昨年11月30日にプレ開催した商店街での古本フリマ「みちくさ市」が
正式にスタートします。

2008年6月、東京に新地下鉄・副都心線が開通し、雑司が谷駅が誕生
しました。ちょうどその駅の真上には、ひとつの商店街があります。鬼子
母神通り商店睦会。安産・子育の祈願で知られる鬼子母神堂付近から”ちん
ちん電車”都電荒川線の「鬼子母神前」停留所を抜け目白通りに至る商店街
です。

この地の利をいかした、地元に根付くイベントを開催できないかと、この
たび「鬼子母神通り商店睦会」と「わめぞ」が組んで、一般参加型の古本を
メインとしたフリーマーケットを開催することになりました。商店街の店先
で一般参加者が古本や雑貨などを販売し、わめぞによるミニ古本市も商店街
内数か所で開催します。鬼子母神通りが一日限定の古本街になります。

▼開催日
2009年4月26日(日)
雨天のため順延となりました(明日が雨の場合は中止となります)
10:00ごろ~16:00

▼会場
雑司が谷・鬼子母神通り
東京都豊島区雑司が谷2丁目・鬼子母神通り周辺
Google地図 >> http://tinyurl.com/6xmc4y

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2009/04/24

スロコメ@下北沢トークライブ泥酔論第4回「スナック」は、明後26日。

Snack180前のエントリー「野菜工場」のことは夜中に酔って書いた。朝みると、酔っているにしては、けっこうまっとうなこと書いている。

さてそれで、愛と憎しみのみなさま、近づいてきました26日にちようび。泥酔全裸で捕まった有名人もいるようだけど、そんなことで逮捕だのなんだのと騒ぐなんて、大らかさが足りないねえ。夜中の公園で、初めて全裸になって、誰か困った嫌な思いをした人でもいるの?

もっと泥酔讃歌しましょうよ。「泥酔は地球を救う」と、「酒とつまみ」社長のナベさんは言いました。そうですね、そうですね。喧嘩も逮捕もやめて泥酔しましょう。いらっしゃい、いらっしゃい。泥酔して失敗したひとも、くよくよしないで、いらっしゃい、いらっしゃい。まだ泥酔したことないひと、ひとりで呑めないひと、なんでもどうでもよいから、いらっしゃい、いらっしゃい。

今回のゲスト、『酒とつまみ』で活躍のサイカメことフィリピンパブの巨匠・齊藤正カメラマンから、スナックの妖艶なママさんの写真も送られてきて、おれは、またまた楽しく当日つかうスライドを作っています。おもしろくなりますよ。

Snack109スナックで泥酔。誰でも食べたことがある「スナック」、なんだか近寄りがたい「スナック」。はて、なにが飛びだすか。

上のエントリー「お知らせ」に、案内があります。18時スタート。チャージなし、自分の飲み食い代だけ。トークは1時間ぐらいで終わり、あとは、ただの飲み会です。スロコメのとなりの松尾貴史さんのカレー屋「パンニャ」も、お試しください。

ミクシィのコミュ「エンテツさんの泥酔論が好き!」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4194088

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大いに考えたい、この「景気対策」ドサクサにまぎれた「野菜工場」「植物工場」と大新聞のタレ流し報道。

いやあ、これは、怒り心頭というより、あきれかえって、アングリ口があいたままだぜ。読売新聞4月8日の「野菜工場」の記事を見たとき、すぐこのブログに書こうかと思ったが、「もしかすると」と思い、様子を見ることにした。そのうち忘れてしまったのだが、今日、ヤッパリ、朝日新聞が載せている。いや、読売でも朝日でもよいのだが、ヤッパリ、農水省のタレ流し。前者、読売新聞は、経産省のタレ流しだ。こうも、簡単に、おれのような「あほぼけかす」に、「もしかすると」と予測されるていどの「報道」とは、あきれかえるしかない。

朝日は経産省のタレ流しをしたかどうか確かめてないし、また読売は農水省のタレ流しをしたかどうか確かめてないが、このまま、読売=経産省=「親米」、朝日=農水省=「親中」とか妄想しちゃうと、悪い冗談だが、それはそれでオモシロイ。とはいえ、読売も朝日も同じ穴のムジナなのだ。ようするに、「政官財」癒着を批判しながら、みずからの「記者クラブ」特権体制を維持し官と癒着しつつ、情報公開の促進を阻み、読売朝日すみわけながら仲よく官と結び延命しようという。

経産省が「野菜工場」というから「野菜工場」、農水省は「植物工場」というから「植物工場」。なんだろうね、この情けないぐらいイジマシイ官僚根性と、それと一心同体の大新聞。ちなみに、読売の4月20日付社説は、「消費者庁 できるか縦割り行政の打破」だよ。これって、「できるか」って、もしかして、「やるならやってみろ」自分たちが縦割りを固く守るっていう決意なの。そう見えちゃうよ。縦割り記者クラブにしがみついているのは、自分たちじゃないか。

こんな記事を見たら、そう思いたくなるじゃないか。それとも、読売朝日じゃ、国民読者はバカだから疑問を持たないとおもっているのだろうか。こんなタレ流しみえみえの、しかも国民読者をバカにしている官と同じ視線で、「安全・安心」だの「ミシュランガイド」だの、「ビジネスチャンス」だの「景気対策」だのとタレ流していれば、みんな丸め込めるとおもっているのか。あるいは、そうかもしれない。国民読者は、オリコウだからなあ。大新聞を信用しているのですよ。んじゃなきゃ、新聞代払うわけないだろ。

大新聞も官も、トコトン読者国民をバカにしている。そんな新聞をありがたがるのはオカシイ。この二つの記事を並べてみれば、それがよくわかるだろう。記者は、ほとんど独自の調べも検証もせずにタレ流しているのだ。文末に「という」とかつけて、責任逃れ。官のいうままを記事にする、それが大新聞社の「組織の常識」「報道の常識」になっている。ようにみえる。ちかごろの社説なんか、あんたら、それが常識かとおもいたくなるものを、偉そうに書いているが、社説なんか、みっともないからヤメロ。

ま、そういうことは、もうあきらめているから言わんでおこう。イワン。「野菜工場」(「植物工場」も同じ)のことは、前に一度、このブログでチョイと書いた記憶がある。たしか、1990年ごろ、話題になった。バブルで高騰する地価対策もあって、将来的に野菜工場を韓国だか、とにかく地価の安い地域につくるという構想だったとおもう。

記憶が間違っているかもしれないが、この「野菜工場」の最大の問題点は、南極のように農環境に適さない所でやっていることを、ワザワザ国内の経済産業ベースでやろうという点。

それから、「野菜工場」も他の工場とおなじだから、システムが完成してしまえば、簡単に海外に移れるってことだ。安い場所、安い人件費を求めて。とくに、その点が、「野菜工場」そのものがはらむ問題。

もっと大きな大問題は、食育基本法や農業基本法と矛盾してるんじゃないの、ってこと。もちろん、頭のいい官僚が考えたことなので、法的には矛盾してないってことになるだろうけど、政策的には、まったくおかしいんじゃないの。こんなんが、40兆を超す国債を発行して、いまやることなの。食育だの、食にウンチクを傾ける人たちは、こういうときにこそ、考え、言うべきじゃないのか。

ま、書いても、どーせ、なんにもならないのだが、書いておくわけだ。腐った大新聞の記念碑として。省庁や財界の広報機関になりさがった大新聞の記念碑として。

「野菜工場」政府支援…室内で安定栽培、レタス20連作も(2009年4月8日14時38分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090408-OYT1T00643.htm

 1~3月にかけて経済産業省内に設置されたモデル野菜工場。イチゴとレタスを栽培している野菜や果物を、室内で安定的に栽培する「野菜工場」の普及に、政府が本格的に乗り出す。

 工場建設費の低利融資や設備投資減税などを行い、今後3年間で工場数を約4倍の150か所、生産量を約5倍に引き上げることを目指す。「安全・安心」の食材として外食産業などでの需要が高まっている上、新たな雇用を生み出すと期待され、政府・与党が取りまとめる追加の景気対策に盛り込む。

 野菜工場は、内部を外気から遮断し、空調で温度や湿度を一定に保ち、植物の生育に必要な光や水、二酸化炭素のほか、温度や栄養分などはコンピューター管理する。品質や形を均一にしやすく、害虫の混入も防げるため農薬も使わずに済む。すでに大手食品メーカーなどが全国で約40施設を稼働させている。品目はレタスやトマト、イチゴなど約10品目で、レタスは年20回の連作が可能だという。

 野菜工場の設置場所は、工場跡地や耕作放棄地、商店街の空き店舗などを想定している。遊休地の活用と、高齢化が進む農村対策に有効で、新たな雇用を生み出す期待もある。だが、大規模な野菜工場の建設費は十数億円に達する上、農業と工場を組み合わせる野菜工場は、立地規制があいまいな面もあるため、政府は法整備を進める。

 空調コストなどから、野菜などの店頭価格は通常よりも2~3割高くなる「欠点」を解消するため、野菜工場の省エネルギー技術化を支援するなどし、生産コストを今後3年間で約3割減らす目標も掲げている。

植物工場、3倍増の150カ所に 農水省が普及に本腰 (2009年4月23日21時38分 朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0423/TKY200904230248.html

温度や光、水、栄養分などをコンピューターで管理し、野菜や果物を安定生産することができる「植物工場」の普及に、農林水産省などが本格的に乗り出す。今後3年間で生産コストを3割削り、工場の数を3倍の150カ所に増やす計画だ。昨年10月に稼働した東京都府中市の小津産業の工場では、レタスなど8種類の野菜が育っていた。

 農林水産省などが本格普及を目指す「植物工場」は、気候などに関係なく安定生産できることに加え、無農薬で栽培でき、細菌が少ないため長持ちするというメリットがある。民間企業も新たなビジネスチャンスと期待している。

 植物工場は、全国に約50カ所ある。レタスでは国内生産量約50万トンのうち、0.6%がすでに工場産だ。一部の商品は首都圏にある「ミシュランガイド」の二つ星レストランでも使われているという。

 作物の生育を人間の都合に合わせることもでき、長野県小諸市の「こもろ布引いちご園」の工場では、苗の植えどきや花を咲かせる時期を調節し、春休みとゴールデンウイークにイチゴが採れる。

 南極の昭和基地では08年春から、約16平方メートルのミニ工場でレタスやハーブ類を作っている。装置を納めた「みらい」(千葉県松戸市)にネットで生育データを送り、電話やメールで栽培の指示を受けている。1日2株のレタスが収穫できるという。

 工場をつくる動きは90年代に本格化したが、高コスト体質が足かせだった。一定規模の工場をつくるには数億円かかる。照明や空調の電気代もかさみ、作物の店頭価格は露地ものより2~3割高い。しかし、最近は消費電力が少ないLED(発光ダイオード)の開発が進んでいる。

 農水省はコスト削減に弾みをつけようと、新品種の実証実験などのため、経済危機対策に96億円、09年度当初予算に計61億円を計上した。同省生産流通振興課は「よく洗わなくていいので手間が省けるし、レタスなどは外側を捨てないのでロスも防げる。外食産業などに販路を広げられるはずだ」と期待を寄せる。(茂木克信、寺西和男)

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2009/04/21

信濃路でゲイバーと化す。ミーツ別冊『横浜本』あんど『東京出張』近日発売。

Meets_yokohama001きのは19時から鶯谷の信濃路で『東京ひとりめし』の打ち上げ。おかげさまで売れ行き好調。みなさま、ありがとうございます。さらに、よろしくお願いします。

京阪神エルマガ社東京ムック編集の三人の編集者、ライターの高松孟晋さん、大竹聡さん、木村衣有子さん、おれ。とにかく、呑んだ。ってことです。テンシンとモウシンのゲイコンビの楽しく優しい話で、ワレワレの一角だけゲイバーのような有様。

帰り大竹さんと鶯谷駅で電車に乗り、上野で別れ宇都宮線に乗換え、座ったあたりから記憶がない。よく乗り過ごさずに帰った。それとも乗り過ごしてもどったのだろうか。

それはそうと、ちょうど昨日できあがった、ミーツ・リージョナル別冊『横浜本』と、ミーツ本誌に連載の永浜敬子さん×サコカメラさんの『東京出張』をいただいた。

「これって関西にはないよなあ…から入る店選び」の『東京出張』は、単行本になるといいなあと思っていた。ハンディなA6サイズで151ページ。定価980円に、「安い、いいんか」と声を出してしまった。ほんと。まあ、書店で手にとってください。

『横浜本』は、これまでの関内中心のハナコ的観光的横浜イメージと一線を画す、まさに「ロマンを駆り立てるリアルなヨコハマ」「港町のごきげんは下町にあり!」の看板どおり。いわゆる「関外」、ま、「下町」というより「場末」な感じ漂う地域まで。「横浜本」というにふさわしい。

「居酒屋礼賛」の浜田信郎さんが野毛をたっぷり書いているが、とくに「野毛礼賛」がいい。武蔵屋の年輪と情緒を、しっとりと伝える文章。「テレビもなければ音楽もない。ざわざわと流れる酔客たちの軽いざわめきの中に身を置いて、……」。読んでちょうだい。写真もいいよ。『東京ひとりめし』の信濃路を撮影した岡本寿さん。そういえば、信濃路の取材は、武蔵屋の取材の翌日だったかで、その話も聞いていたのだった。

そして、←左サイドバーのアステア・エンテツ犬の作者、内澤旬子姉御が、「横浜ラストピース」と題し、「浄化対策」で変りゆく黄金町をイラストルポしている。最後に黄金劇場で「ストリップをナマで見るのははじめてでありましたが」「男たちは赤子のようにふにゃふにゃになってました。彼らの哀しいくらい無防備な笑顔を眺めていると、こういう場所を「浄化」すると言い切ることの残酷さを思わずにいられませんでした」。

旅館や料亭も登場。横浜は関内だけじゃない、こんなに、こんなに、おもしろいところがあるんだ。編集者たちとまちの声が聞こえてくる。誌面から漂う「土着な香り」がいいね。舟橋左斗子さん、佐々木香織さん、知り合いの酒好き女ライターも、のびのび活躍している。

近日中に書店に並びますから、よろしく~。

ミーツの元気から目が離せませんな。もしかすると、来月日程の調整さえついたら、大阪へ行きます。そういえば、23と24日も関西だな。

Meets_yokohama004

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2009/04/20

「書評のメルマガ」発行。「実用書」をバカにしちゃいけないよ、めしを作る覚悟の『ちゃぶ台ごはん』。

去る17日に、「食の本つまみぐい」の「書評のメルマガ」が発行になっていた。…クリック地獄

2009/04/07「『おつまみ横丁』の瀬尾幸子さんの新著『ちゃぶ台ごはん』。」に書いたように、ちょうどその原稿の締め切り前日に瀬尾さんと花見酒をやり、この本をいただき、パラパラ見ていた。見ているうちに付箋を貼りだし、「ほかの本を予定し、付箋をはりおわっていたのだが、急遽この本にかえ、深夜に至り無事に原稿を書き上げ送った」のだった。

ちょっと褒めすぎたかなと思ったし、一昨日、瀬尾さんや「酒とつまみ」一派と飲んだときも、「ちょっと褒めすぎだったかな」「愛を感じるね」なんて言い合っていた。ま、だけど、読みかえしてみると、「「実用書」をバカにしちゃいけないよ」のタイトルには、悪くない内容かなと思う。

ようするに、たかだかレシピ、料理のハウツーに、どれだけの内容があるか、アンガイ読まれてない。読書好きで文学に親しみ薀蓄を傾ける人でも、 いや、フツウの文学を語るひとほど、こんなものに「文学性」があるなんて思っていないものだ。

たしかに、無味乾燥なテキストのような料理本もあるけど、背景に生活の物語が隠れている本書のようなものもある。それは、マニュアルにしても、書く人によってずいぶん違うのと同じだ。そこが不思議でおもしろいのであり、本来、レシピやハウツーなどは、誰が書こうが、ゆで卵はゆで卵のそれなのだが、書く人でちがいがある。その違いは、いったい、どこからくるのか。

同じ料理でも、作る人によって味の強調点が異なることも関係する。その違いは、大きくいえば、それぞれの人生の違いだ。また、家に台所があるのに、料理をする人としない人がいる違いにも似ているだろう。料理を作るんであっても、ほかの家事、掃除や洗濯や家の中の細々をやり、はたまた時間や会社に拘束される仕事もやり、その忙しいなかで、時間のやりくりと家計のやりくりをしながら買い物するひと、そうでないひとの違いも料理に出る。トータルな家計のやりくりから安いものを求めるのと、ただよいものが安かったからと買うのでは、もちろん違いが出る。

そんなことを考えながら、料理本のレシピを見るのは、なかなかおもしろい。レシピといえども、いや、レシピだからこそ、作るひと書くひとが表れる。

「食べることについては、食べることができて文章さえ書ければ、誰だって書ける。だからだろう、文章を書くたいがいの人が、書く。そして、たいがい、調子にのってアヤマチを犯すことが少なくない。ま、それを文章の「表現力」だか「技法」だかで、フツウの読者は誤魔化せても、おれは誤魔化されないよ、と、おれは自信満々なのだ」と、今回の書評のメルマガで見栄を切ったが、誇張はあれど嘘じゃない。

『ちゃぶ台ごはん』を読んで、この本のように、自分が作る料理のレシピと解説を書こうとすれば、こういうことはスグ思い当たるだろう。

何度も書いたが、おれは、料理は手づくり、家庭で作るものという考えはない。それが人間不変の原則とは思わない。ただ、作ることを、おれの生活の基本にしたいと思っている。

日本のばあい、家庭で料理を作る環境は、インフラを含め、よく整っている、恵まれている。だから、なるべくなら作るほうがよいだろうと思う。ただし、主体の条件は、あまりよくない。生活を楽しむ余裕が、国家レベルや産業レベルの政策としてもない、労働に追われる日々だ。そこが「生活の中の料理」としては、大いに課題のわけで、『ちゃぶ台ごはん』は、そのへんまでシッカリ視野に入っている。

おれは、自分で作る料理について、あまり書かないが、旅に出たとき以外は、家で毎日なにがしか作って食べている。ほぼ毎日、台所に立ち料理を作る。ウチの冷蔵庫は、前は80リットルの小さいのから、ここに引っ越して大幅格上げで二百数十リットルになったが、クルマがないから、そんなに多くのまとめ買いはできない。けっきょく、冷蔵庫の中は80リットル時代とたいして変らず、毎日のように買い物に行かなくては、たちまち枯渇する。昨今のように忙しい日が続くと、その買い物の時間をつくりだすのも容易じゃない毎日だ。そこでは、必然的に、料理以外の家事も含め、合理性が求められる。また合理性は、ネライによって基準が異なる。

でもまあ、年がら年中、朝から夜十時十一時まで働いている人も少なくないなかでは、自分が好きな時間に買い物できるほうではあるだろう。

ときには、いらつく細かい仕事をしながら、どうにも腹が空いてめしを作らなくてはならことがある。冷蔵庫には、買い置きが、これっきゃない。ってときが、イチバンの料理力の発揮どころになる。

Mesi002とりの皮付きモモ肉一枚。使いかけのキャベツとモヤシ。トマトとタマネギとトウガラシをレモン汁で漬けといたやつ。これで、どんな味を出すかだ。ネライによって、料理の仕方は異なる。

とりの皮付きモモ肉一枚を、そのまま、厚手のナベの底に、皮を下に置く。弱火で、ゆっくり加熱する。皮の油が、たっぷり出たあたりで、塩コショウし、その上にキャベツの切ったのとモヤシをのせ、また塩コショウ。ナベにふたをして、蒸すように、熱を通す。大皿にめしを盛り、ナベのものを、そのままズルッとめしの上に移す。その上に、レモン汁漬けをかける。

このとき、イチバン迷ったのは、キャベツの切り方だった。『ちゃぶ台ごはん』を読んだあとなら、もっと違う切り方をしていたような気がする。

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2009/04/19

見沼たんぼ。宇都宮線、東側。

Minuma_tanbo006

Minuma_tanbo002これまで掲載した、たんぼはない緑地「見沼たんぼ」の画像は、宇都宮線の西北方面の上流域だ。きのう天気がよかったので、反対の南東側を撮影しに行った。

東大宮駅から、宇都宮線の東側線路沿いの道を、一つ大宮寄りの土呂へ向かってデレデレ歩く。10分少々ぐらいで、見沼たんぼに出る。東南方面の下流域は、この先へ行くほど、さらに広がるはずだ。こんどは、そのうち、そちらの下流域へ向かって歩くとしよう。

そのまま土呂駅へ出ようかとおもったが、浅草橋18時待ち合わせの電車の時間が気になった。またデレデレ歩いて東大宮駅へもどった。このあたりを歩き回ったのち、モツ焼きで一杯というイメージが、かなり固まってきた。うむっ。

みなさん、連休なんぞは、遠出することもないし、都内の人ごみへ向かうこともない。観光地でも名所でもない、とくに高尚そうな歴史や文化や自然も感じさせない、このあたりをデレデレ散歩し、ちょっとばかり農と食に思いをはせてみたり、「名店」とはいわれないが、手ごろなモツ焼き酒場で一杯やる。どーです。こういうところでの発見や想像こそ、「有名」やら「権威」やら「芸術」やら「情報」やらなどにふりまわされない、実になるものだと思います。

下のカテゴリー「見沼区・宇都宮線・東大宮(散歩)」をクリックすれば、これまでの掲載分が見られます。

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浅草橋「泥酔は地球を救う」で泥酔記憶喪失帰宅。

Snack008ネオンが怪しく招く「魔界の入り口」。いかがわしいからこそ、楽しみも泥酔も深い「スナック」。

きのう18時、浅草橋「西口とんちゃん」で「酒とつまみ」のサイカメさんと待ち合わせ。来週26日のトークライブ「泥酔論」第4回「スナック」の打ち合わせという名目の呑み。「酒とつまみ」に「つまみ塾」を連載の「おつまみ横丁の瀬戸幸子さん」も誘った。

天気がよかった。早めに家を出て、東大宮駅東口前に、以前から気になる回転寿司があって、そこで腹ごしらえ。のち、宇都宮線の東側の見沼たんぼを撮影に散歩。これらは、あとで別に掲載する。

18時ちょうどぐらいに浅草橋に着く。だけど、なぜか東と西と方角まちがい歩き。気がついて西へもどる。途中で、西口やきとんを探している瀬尾さんとばったり。ところが、何回か行っているし、このあいだは五十嵐さんたちと行ったばかりなのに、なかなかたどり着けない。すぐ近くにいるはずなのだが、見つからない。脳みそがアルコホルにやられて記憶の損壊が回復されないのか。瀬尾さんがナベちゃんに電話。

着くとすでにサイカメさんは飲んでいる。やがて「酒とつまみ」社長のナベちゃんもあらわれる。さっそく「スナック」やらの話。神保町で呑みドライフラワーの花びらをまとっての泥酔記憶喪失帰宅の話に爆笑。はたまた泥酔の翌日の冷蔵庫のなか、みんなやってるんだなあ。とにかく、たくさん、泥酔論のネタになりそうな話が続々。年内はテーマに困らない、どんどんやれる泥酔論。ナベちゃんが「泥酔は地球を救う!」と。そうだ、それでいこう。泥酔しても恥じゃない、人との約束さえ守っていれば。ってことで、二軒目!

Asakusabasi012秋葉原寄りに歩き、初めてのロック立ち飲みの「おかめ」に案内される。だんだん記憶が怪しくなる。何を話していたか思い出せない。帰り、秋葉原か浅草橋か、どっちの駅で電車に乗ったかも思い出せない。デジカメを見たら、総武線高架の画像があった。ずいぶん高い高架だから、秋葉原寄りだろうか。撮影時間23時3分だから、おかめを出たあとにちがいない。

なんだか、すごいおもしろい話をしながら呑んでいた、泥酔論はおもしろいことになりそうという印象だけあるから、ま、いいだろう。

26日には、また前回に続きスライドをつくって行く。写真プロのサイカメさんの画像も入れる。サイカメさん、忘れないで画像送ってちょうだい。

すでに行きますメールを数人の女たちからもらっているが、みなさん、誘い合って来てください。もちろん、お一人さま、フラリ参加も大歓迎。酒呑めなくても、いいですい、おもしろいでしょう。チャージなし。上のエントリー「お知らせ」に案内があります。よろしく~。

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2009/04/18

戦時社会で戦争を問うように、消費社会で消費を問う。

このブログでは、かなりしつこく消費主義あるいは消費主義的傾向を批判している。すると消費主義的な情報誌などで仕事しながら、そういうのはオカシイじゃないかという人もいる。

ま、それほど仕事の依頼があるわけじゃなく、干されているレベル以下の、無視された存在だと思うが。おれに消費主義的な内容が期待されているわけじゃない。そして、消費主義的な内容でなくても、消費主義的な情報誌が読者に提供できることはあるのだ。

それから、これは、ある編集者と話したのだが、これまでの消費主義的な内容一本やりは限界になっている。ってこともある。つまり、より「生活誌」的な志向だ。生活のなかに消費を位置づけなおすこと。

あと、こういうことがいえる。とりあえず簡単に書いておく。

一つ。いま、たいがいのひとは、消費から逃れることはできない。みな消費者になりさがった。消費は環境なのだ。その環境に、どう生存するかってことでの、消費主義批判である。おれのばあい、自己否定というほどのものじゃないし、反資本主義というほどのものでもないが。

二つ。おれの消費主義批判は、生きること働くこと食べること、つまり生活のなかの料理から出発している。戦時下でも生活はあるように、消費社会でも生活はある、その生活を消費主義に埋没させてはならないだろうということだ。消費のなかの生活から、生活のなかの消費を志向している。

この消費社会に生きながら、いろいろな角度から消費を問い直すことが必要になっているのではないか。いまの消費社会でいいのだシャンシャンじゃすまないだろう。

たとえば、上田假奈代さんのブログ『日々。生きる現代文学』。2009年04月09日「ビッグイシュー「生きのびる」 」には、こんなことが書かれている。
http://booksarch.exblog.jp/8157233/

消費者になりさがったわたしたちは
とりもどさなくちゃならん 
生きる意味 働く意味
それらを表現するちからを

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大きな約束、小さな約束。

「マニフェスト」なんて言葉がいつから使われるようになったか。「公約」が守られたことなく、言葉としての権威や新鮮味を失ったから、言葉だけ「マニフェスト」に変えて信頼性を取り戻そうということなのか。横文字カタカナ語をつかえば、例によって、なんだかありがたそうに見えるってことか。

この世のことは、時間や空間からして、もともとあるものじゃなく、人間同士の約束事で成り立っている。約束の連鎖で社会も人間関係も成り立っている。どの約束を選ぼうが自由だが、選んだ結果は自分にはねかえる。

日本にいたら、日本の時間に縛られ、アメリカにいけばアメリカの時間に縛られる。情報化によって、バーチャルには、日本にいながらアメリカの時間に合わせた約束事を実行しやすくなった。もちろんアメリカだけじゃなく、どこの国でもよい。で、その国ごとの時間差を利用して儲ける商売が盛んになった。株をはじめ、たいがいのビジネスの根幹は、いまそれで成り立っている。

いまやネットを利用して、ちがう時間と空間にいるものと同時に取り引きできる。ネットオークションなんかそうだろう。

こうなってくると、生身の人間同士の約束なんか軽いものになる。つまり、誠実にコツコツ小さな約束を守って積み上げるより、その場でテキトウなことを言って、うまくやろうという二枚舌のやつがはびこる。もともと政治家なんぞは、そういう連中だが、どいつもこいつも、それがフツウになる。

こっちで保護主義をいい、あっちで反保護主義をいうように、こっちじゃあんたが好きよといいながら、あっちじゃあんたが好きよという。しかも愛人Aとデートしながら、愛人Bに「愛してる」のメールを秘かに送ることもできる。政治もビジネスも、そんなふうに一瞬に世界中を駆けるメディアを利用する。それぐらいは、アタリマエだ。アタリマエだから、どの約束も守ればよい、守らなくてはならない。守られれば、二枚舌も、存在しうる。そういうことは、よくある。どうせこの世は虚であり、だから約束事で成り立っているのだから。

だけど、守る気のない約束をすると、そこからほころびが出る。いや、ま、最初から守る気のない約束は、それこそウソというやつで、そういうことはあまりないとしても、簡単に約束を破棄して別の方へなびくってのは、守る気のない約束のうちだ。これは、裏切ったら、信用されない、ツケがまわるだろう。

「マニフェスト」つまり「公約」は、一度に大勢のひととする約束ってことになるか。たしかに、一人で三、四人の愛人を手玉にとるのとわけがちがう。だけど、たとえば自民の「マニフェスト」は、自民とオレの約束というふうに、オレは受けとめるのがフツウじゃないかと思う。つまり、オレに関係する約束が守られたら、ほかの部分はよいのである。機能するのは、大きな約束より、オレとオマエの小さな約束なのだ。

ってわけで、こっちで保護主義をいい、あっちで反保護主義をいう二枚舌は通用するし、二枚舌そのものを非難しても、何も解決しない。私はウソをつきませんというウソほど大きなウソはない。

どの二枚舌を選ぶかなのだな。ま、めしと住まいの心配だけはさせません、という一点で、いまじゃ十分じゃないかと思うが、なかなか、そういうやつはいないね。なぜなのか?

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2009/04/17

地産地消の食育と反保護主義は、どういう関係なのだ。

血税無駄遣いの大盤振る舞いアホウなアソウが、少し前になるが、なにやらのサミット国際会議で、国際指導者ぶった、そのじつアメリカのお先棒かつぎにすぎない反保護主義をぶちあげた。

その内容は、ようするに食育基本法がすすめる「地産地消」と、まったく矛盾している。にも、かかわらず、食育論者、地産地消論者からは、おれの知るかぎりは、強い抗議はない。食育基本法に賛成した共産は、どうなんだろうね。いったい本気で食育や地産地消を進める気があるんかいな。子供たちに教えていることと、天下の首相アホウなアソウが「国際社会」で主張していることが違う。いいのかそれで、それで教育といえるのか。と、大いに考えたくなる、言いたくなる。

不況で売れないクルマのメーカーがある自治体などが、地元メーカーのクルマ購入促進の動きがあると、経産省あたりが反保護主義に抵触するのじゃないかと、シンパイしたりしたが。ならば、食育基本法を推進する、文部省、農水省、厚労省は、アホウなアソウの反保護主義の演説は、食育基本法と抵触しやしないかシンパイしてもよいのじゃないかな。

でもね、2004年、食育基本法が、まだ案の段階で、こんなことを書いている人もいたのだ。

「ま、自民党は、自由貿易協定については積極推進の立場であり、協定による食料輸入の増加は、さらに見込まれる状況を考えあわせれば、政府と自民党の食育基本法の腹の中は、自ずとあきらかである。小さなエサをまいて生産者との摩擦を避ける例のテだろう。そのエサにたかっているうちに、ますます問題は拡散するだろう。そして消費者は、働くため生きるため、現実的な食を選択するだけである。ダラクといわれようと。「食育」では安全性や自給率の解決にならない。「食育」をまっとうにやるつもりなら、生産者の独善をやめ、消費者の生存の権利として位置づけ深めるべきである。」と、なぜ反保護主義の自民党が食育推進をするかの「腹の中」を正しく指摘した人もいた。

あのころは、のちに反対にまわった民主党も含め、翼賛的に食育賛成の流れであって、反対するのは異端だった。こやつの書いたことは、ほとんど無視されたけどね。

コレ、朝日新聞社「一冊の本」2004年3月号に掲載の「「食育」ナンダロアヤシゲ」だ。書いたのは誰かと見れば、なーんだ、あのインチキ野郎、エンテツこと遠藤哲夫じゃないか。いまから読んでも無駄じゃないだろう。…クリック地獄

いまのところ、「反中国」ばかり目がいって、確かに中国からの食品輸入は減少しているようだが、全体的に見れば、とくに、低価格の外食や弁当など、輸入品の依存度が高い分野ほど不況のなかで好況な状態だ。なにしろ、野菜をのぞく必需のタンパク資源は、輸入品がなかったら、とんでもない高価格になる。

ってことは、そうかそうか、反保護主義のアホウなアソウ率いる自民は、貧乏人弱者のために大いに貢献していることになるな。アホウなアソウ、バンザーイ。反保護主義のおかげで、貧乏人弱者は、輸入食品の安いタンパクを補給し、生きていけます。なら、やっぱり、食育基本法は、なくしちゃいましょうよ。「地産地消」の「地」は「地球」の「地」だってことにすれば、いいじゃないですか。

それにしても、環境省は「地球温暖化」対策と称して「エコ」とやらをすすめ、経産省は地球温暖化対策で気温が1度下がるごとに何人の失業者が出るか試算し「エコ」に抵抗し、そういうドサクサにまぎれて、どうってことない商品に「エコ」マークをつけたぐらいで付加価値とやらを付け高く売りつける商売が横行する。真実は、どこにある。

えーと、何を書きたいかわからなくなったので、このへんでオシマイ。

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大悪魔作戦は消滅。

きのう、消滅あるいは崩壊あるいは瓦解…とにかく、終了。罪とか罰とか以前の「あほぼけかすキモイ」だった。ってことだな。コメントの必要もない。借りはなし赤字なし。ま、予感が的中したというか。これだけやってダメだったものは仕方ないというところまでやった感じはあるからいいだろう。なので、悩ましいこともなし。当事者にしても、好きなようにやってきたのだから、後悔はないだろう。

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2009/04/16

「生存」ぬきの「生命」の行方。

ババアが二人、立ち話をしていた。ババアといっても、ジジイのおれとおなじぐらいのトシに見えた。「なんにつかうといったって、つかいみちを考えるほどのカネじゃないよ、もともと足りないカネで生活しているんだから」「そうそう家計の足しにもならないね」。給付金のことだ。

生活が消費生活に矮小化されると、生活は家計に矮小化される。余裕がある人たちは、その関係を感じなくてすむことが多いだろう。生活と消費生活と家計の違いなど意識しなくても、すべてカネが解決してくれているからだ。

だけど、余裕がない生活では、「生活」と「消費生活」と「家計」の関係を、リクツでは知らなくても、肌で感じることになる。少ない収入で、コメやおかず、電気ガス水道、テレビの視聴料…、家計をまかなうのもやっとで生きている。必要なものがあっても、やりくりを考え、今日明日の生存に関わらないものは先のばしにして。だから、これぐらいの給付金じゃ「家計の足しにもならない」という言い方になる。そんな生活の中では、何のために生きているんだろう、働くんだろうと、「生活」や「生存」を考えることになる。

もともと国民が負担するカネを、政府が「給付金」なんてもったいつけるのもおかしな話しだし、マスコミが「家計の足し」のつかいみちを騒ぎ立てるのも、おかしい。ま、新聞の記事によっては、これでアホウなアソウの自公政権のヨイショ支えをやろうという意図がみえみえの感じもある。

大方の庶民にあっては、このババアたちの話のとおりだというのが実情じゃないだろうか。カネのつかいみちを考えるのは、本来は、「生活」のひとつだ。だけど、余裕のないものにとっては、考える余地などない、すぐさま家計として消える。

コンニチでは、たいがい深く消費生活にはまっている。そこでは、商品やサービス(これには、もちろんファンドなども含まれる)の選択をすることが「生活」である。それは「カネのつかいみち」を考えるのとは違うし、「消費生活」というべきものなのだけど、それで「生活」が過ぎていくことも少なくないようだ。

そんな生活であり家計なのではないかと思うが、きのうのこの記事は、忘れないようにしたい。……

15兆円出動、異例の容認 財政審 再建の道筋明示求める
4月15日7時57分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090415-00000103-san-bus_all

財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は14日の会合で、政府・与党がまとめた追加経済対策が15兆円と過去最大規模の財政出動となったことについて、妥当なものと容認した。財政健全化を議論する財政審で大規模な歳出拡大を評価するのは異例。ただ、対策後の財政再建への道筋を明示することが必要と強調。6月をめどに消費税増税を含む税制改革について意見をまとめる方針。

 西室泰三会長(東京証券取引所会長)は会合後の記者会見で、個人的な見解として「経済状況が危機的であり対策としては時宜を得たもの」と評価。100年に1度といわれる深刻な経済・金融危機への対応として約15兆4000億円の財政出動など今回の経済対策の妥当性を認めた。

 一方、経済対策の財源として新規国債発行額が10兆円規模になる見通しのため、財政審は急速に膨らむ借金の返済をどう進めるかなど財政健全化の具体的な政府方針の提示が必要との考えを示した。

 具体的には、政府が追加経済対策に盛り込んだ消費税増税など税制抜本改革の道筋を示す「中期プログラム」の改定を重要視。財政再建への対応の明示を求める考えだ。

……この記事は、「給付金」も含めた「経済対策」や「景気刺激策」が、すべて国民の負担であることを、あらためて明確にしている。それだけではなく、今回の「経済対策」や「景気刺激策」は将来の国民負担を軽くする見通しが、まったくナイことをさらしている。

では、いったい、国債40兆以上も発行しての、「異例」の大盤振る舞いは、なんのためなの? といえば、アホウなアソウが政権維持の人気とりのばらまきということもあるだろうが、ここに、西室泰三会長(東京証券取引所会長)なんていう株屋の大ボスがいることで察しがつくではないか。そ、また、まだ、泡銭師たちのために、国民のカネをつかおうというのだ。と、考えたとき、天下の大新聞が、なぜ、小沢民主党をたたきながら自公政権を支えようとするのかも、みえてくる。

ともあれ、忘れてならないのは、このことだ。のちに、消費税の大幅引き上げが議論になったとき、必ず、「福祉のため」という美しい脅迫まがいのリクツがつかわれるに違いない。

だけど、この記事では、消費税増税と引き換えに大規模財政出動が認められる方向を示している。あとでくる消費税の大幅引き上げは、それから未来の「福祉のため」ではなく、すでに、ここで泡銭師たちのためにつかうカネを、国民の負担で「国に返す」という関係である。「給付金」というが「借金」の押し付けだ。しかも、家計が手にする以上の巨額の押し付けなのだ。

家計もまっとうに成り立たない状態をつくっていて、給付金を手柄話のようにする政権党は、自ら放火をしては駆けつける放火魔消防士みたいなものだ。

もちろん、そこには、いま泡銭師たちにカネがまわる仕組みにしておけば、それ以上のカネになって、のちに国民に還元されるというリクツがあるだろう。だけど、そんなこと、すでにさんざんやってきた。マジメに働かないで博打ばかりやって、負けがこんでくると親に泣き付いてくるバカ息子のような泡銭師たちに、さんざんカネを恵んできたではないか。それで、このザマなのだ。

で、「バカ」といえば、この記事の見出しだ。

裁判官、反省の姿勢見せない被告に「バカ」2009年4月16日10時16分
http://www.asahi.com/national/update/0415/NGY200904150019.html

その内容を部分的に転載する。……

大量の漫画本を万引きしたとして窃盗などの罪に問われた被告は、公判で「漫画本を売って借金を返したり、大麻を買ったりした」と述べた。裁判官が「大麻が体に悪いという認識はあるのか」などと尋ねると、「体に悪いと思っていない」と即答。それを聞き、被告に向かって「あんたがバカだから分からないんだよ」と傍聴席に聞こえる声で発言した。

 その後、「害がゼロとは言わないけど、インターネットで調べたら、たばこや酒より害がないと書いてあった」と反論を続ける被告に、裁判官は「だまされているんだよ」と何度も諭した。約40分間の公判を、3人が傍聴していた。

……これは、また、とても、おもしろいことだ。前にも少し書いたと思うが、近年のヒステリックな、公権力をつかった強制的な「禁煙」は、大麻や覚せい剤の「普及」につながるだろうという、名前を忘れたが学者さんの指摘を、昨今の大麻汚染報道で思い出す。

大麻と覚せい剤を一緒にすることについては異論のあるひとがいるだろうが、いまはどちらも、それがヤミルートであることでは同じだ。そのヤミがはびこっている。妙な、現象だ。

また誰か学者さんがいっていたような気がするが、そもそもタバコが「健康」に害があるというのなら、もっと健康に悪いのは、労働だ、ストレスの多い労働、ストレスの多い社会。だけど、人間は「生存」のために、ストレスの多い労働や人間関係などを排除するわけにはいかない。そういう中で、自己のバランスをとっていくためにも、タバコのような嗜好品を必要としてきた。毒をもって毒を制するというか。だから、嗜好品は、制度的に排除するものではなく、生存や生活のあり方を考えるなかで、よりよい選択がされるようにすべきだろう。でないと、ヤミがはびこることになりかねない。

ともあれ、とりあえずイマの日本の禁煙周辺で、「健康」が問題になるときは、「生命」と連動している。つまり「健康で長生き」という一つの「理想」というのかな「欲望」というのか、見受けられる。そこでは「生存」のことは考えられていない。

この「「生存」ぬきの「生命」」の姿は、食育にも顕著だし、現代日本の食問題と密接にからんでいる。もっと「生存」を考えなくてはなあ、おかしなことがますますおかしくなるような気がする。

どれだけ生きるかは生存の結果だろう。生存が行きづまり自殺したり、生存のありかたで生命の長短が左右されたり、「いのちを大切に」なんていう空念仏じゃ生命の保障にならない。自分の食べ物、自分の嗜好、自分の生存ぐらい、自分に決めさせてよ。

てなことで、長くなったから、ここで、トツゼンおしまい。

関連
2009/04/11「わずかな「家計の足し」に釣られ40兆の国債発行と使途も問題にしない高学歴低脳大国。」

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2009/04/15

足下の食材といえば、「もち草」こと「よもぎ」。

Kusamanjyu004ガキのころ、空き地だろうと、道端だろうと、川の土手だろうと、どこにでもあって、ふだんはそれを踏んづけて遊びまわっていた。ま、のびるだって、そんなものだったが、のびるは「のびる」と呼んでいた。だが、これは無造作に「草」だ。

「もち草」と呼んでいた。「よもぎ」なんていうものじゃない、そのへんに生えている草なのだ。「もち草」を入れてもちをつくと、「草もち」になった。だんごにすれば、草だんごだ。

その、ほのかな草の香りと味は、遅い雪国の春を、実感させた。いまにして、思えば、そういうことだが、ガキのころは、ただ食べるのがうれしくて、季節感なんか念頭になかったのが、ほんとうのところじゃないかと思う。

自分でついて作った「草まんじゅう」を冷凍にしたものをもらった。くれた人は「よもぎまんじゅう」と呼んでいるが、それは「草もち」で小豆のあんをくるんだものだ。よもぎの「板もち」と区別するために、そう呼んでいるらしい。

Kusamanjyu009解凍し、外側が少しこげるぐらいオーブンで焼くとよいといわれ、そのようにしてみた。ほのかな草の香り。割ると、ブッと屁をしたように、…と書いては品が落ちるな。割ると、フワッと湯気がたつように、その香りが漂った。と、書けばよいか。

うまい。野暮で無神経なおれだって、この繊細にして野性な香りと味を感じることができる。うまい。

しかし、いま道端のよもぎを見ても、それをとって草だんごを作る気にはならんな。なんでかな。のびるだって、見ても、それを酒のつまみにしようという気にならない。なんでかな。都会というのは、そういうところだ、ということにしておくか。

グルメやグルメな料理人、それから地産地消の食育のみなさんにおかれては、こうした足下の食材を大事につかうのでしょうかね。どこかのグルメ先進国の3星のオーナーシェフが、「自分の足元・周辺にある身近な食材が宝物」といってますよ。もっとも、某新聞の「どらく」のことで、ま、そういうのは、都会では、「生活」じゃなく「道楽」の能書きとしてしか存在できないのだろう。空虚な言葉が横行するところ。

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2009/04/14

飛田遊郭跡で、マクドナルドとミシュランを思考す。

(4月16日追記)このエントリーをご覧になった方から「内田樹氏のブログではそのミシュラン話と『「いき」の構造』がからめてあってこないだの泥酔論とちょっとシンクロしているな、と」メールをいただいた。知らなかったので見ると、偶然にも、同じ14日に内田樹さんのブログで江さんの「ミシュランの記者会見」を引用している。しかも、先月のスロコメ@下北沢のトークライブ泥酔論「野暮」でふれた九鬼周造の『「いき」の構造』までからんで、というわけ。こちらhttp://blog.tatsuru.com/2009/04/14_1011.php


Doubutuenmae_kabeはあ、気がついたら4月半ばだ。ただでさえトシとると月日が過ぎるのが早く、気がつけば棺おけに9割がた身体を突っ込んでいるってことなのに、このように晩年が過ぎていくのは、なんとも、それはそれでまあよいじゃないか。

しかし、なんだねえ、やはりいろいろな能力が低下しているから、老人は敬遠され孤独になる。インポで女に逃げられるのは仕方ないとして、一度に何でもこなせたのができなくなり、ちょっと忙しいくらいで、ほったらかしのことがたまってしまう。メールの返事も滞り、遡って見るのがコワイね。あれこれ取りこぼしが多い。……と、書き始めから、ぼやきかよ。

その溜まったメールのなかに、飛田遊郭の壁の中の写真があったら載せてというのがあった。というのも、以前に動物園駅前一番街を載せたときの、飛田遊郭を囲んでいた「壁」の写真にショックを受けてのことらしい。

あのね、「遊郭」って、短くは「郭=くるわ」といっていたわけだけど、それは「一定の区域の周囲に築いたかこい」のことだ。だから、むかしは、かこいの壁があって、トウゼンだった。もちろん中からの逃亡を防ぐためもあるだろうが、中には非日常な「遊び」がある、「かこい」。それが「遊郭」だ。とにかく、もう一度、一番街側の壁を載せる。これは西側の壁。

Tobita1では東側の壁は、どうなっているかというと、2番目と3番目の写真。こちらは、自然のガケを利用している。これは、大阪市のド真ん中を南北にはしる活断層、上町断層の露出なのだ。かつ、ここはドヤ街や飛田がある西成区と阿倍野区の境界になっている。高台の阿倍野区側は、再開発で高層マンションが、どんどん建っている。このギャップ、すごい。なにか、ニッポンの象徴的な欲望風景みたいだな。
Tobita2いまでは、高台に上がる階段があって、上から見ると、4番目の写真だ。「くるわ」は無くなったが、もっと目に見えない壁が見えるような気がする。高台のマンションから見下ろす「上から目線」の文化、そして見下ろされる「下から目線」の文化、そのあいだの壁。

ともあれ、この壁には「嘆きの壁」という名前があったらしい。

Tobita3この4番目の写真の飛田側に見える屋根は「料理屋」つまり「料亭」の屋根だ。3番目の写真のほうがわかりやすい。おなじ大きさと形の小さな、「料亭」の名前の看板が出ている。わかりやすく言うと、料亭で接待の「仲居さん」と「自由恋愛」する、それが現在のシステムであるらしい。

Tobita4最後の写真は、真ん中へんだ。ちょっと真正面からは撮影できなかったから、わかりにくい。左側の先に、「料亭」が長屋風に屋根続きである。一軒が間口1間半か2間ぐらい。戸が開きっぱなしで、土間の上がり口の正面に、「仲居さん」が妖艶な姿で座っている。豊満な乳房を見せつけるように前かがみになったり、あるいは太ももの奥が見えそうなぐらいひざをたてたり。そして、その隣というか、土間の右側には、いわゆる「やり手婆さん」がいる。「やり手婆さん」は、まだ寒かったから、たいがいコタツに足を突っ込んでいた。立ち止まると、手を差し出し、何かいう。

一ヵ所、「仲居さん」の姿はなく、つまり「接待中」らしく、「やり手婆さん」はコタツでコンビニ弁当のようなものを食べていた。どこでも見かける老いた婆さんの姿で、なんだか微笑ましかった。

この長屋式のところは、ファスト食欲処理のマクドナルドみたいなところだなと思った。実務的即席的に素早く、性欲処理をすすめるシステム。

一方、かつての遊郭は、性欲処理を遊興的趣味的に手の込んだものとして、非日常の「通文化」なるものをつくりあげた。そこには日常と隔絶した、遊びの「おきて」のようなものがあり、それを情報的に知っているか知らないかで優劣がつく。そのテの能書き情報は、江戸時代から「通文化」と一体で存在した。つまり、それは、食欲を遊興的趣味的に非日常の飲食として処理する、ミシュランのような世界ではないか。

食欲か性欲か、簡便にやるか手の込んだ趣味的にやるかのちがいはあっても、ある「装置」をつかって、欲望をカネで商業的に片づけるだけの、消費主義的処理方法であることは同一だ。

おれは、そのように、思考した。

マクドナルドとミシュランは、食欲の消費主義的処理として同一のものだということが、飛田を前にしたとき、より明白になる。マクドナルドとミシュランも、遊郭的な性欲処理装置の食欲版なのだ。もちろんミシュラン的なガイドブックや情報誌なども含まれる。

そのマクドナルドとミシュランが表裏同一の関係であることは、「編集集団140Bブログ」で、ミシュランの大阪・京都版にあたって、鋭く批判している江弘毅さんの「ミシュランの記者会見」2009-04-06 (月) を、ぜひご覧あれ。
http://www.140b.jp/blog/2009/04/post_365.html

また右サイドバーのトラックバック、「「ちょいワルおやじ」の〈消費〉生活のどこがおもろいねん (140B劇場-浅草・岸和田往復書簡) 」と「エンテツさんの「街的」 (編集集団140Bブログ) 」を一緒にご覧いただくと、より深められるだろう。

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空は青く、心は空、頭の中は曇り。

Top004午前1時過ぎ。やれやれ、終わった。メンドウは、また楽し。だけど、ドジは、たまりませんね。

この世では、なんでもありうる。そして、「たしか」「確実」ということはない。だからまた、「たしか」「確実」を求めるひとがいる。この世では、なんでもありうるということを覚悟できない。ひとの不安こそ、メシのタネだ。でも、ひとの不安をめしのタネにするって、なんだかなあ、暗いねえ。

いい天気続き、天窓を見上げれば、青い空。いや、空は青い。この色を、「青」と言い出したのは誰だ。ガキのころは「空色」と言っていたぞ。そのほうが正しいようだなあ。空の色は空色だろう。

井の中の蛙大海を知らず、されど天の青さを知る、とかいうセリフがあるらしいが、天の青さを知って、それが、なんだというの。さとり?妄想?オナニー? 井の中の蛙には違いないだろう。井の中の蛙の負け惜しみか。いやだねえ。

というわけで、今週末から来週あたま、呑みの予定が連なる。「正常化」といえるか?

おお、三省堂有楽町店最新BEST3発表!「ノンフィクション」部門の3位に「東京ひとりめし」が。

今週の注目本は、ノンフィクション3位にランクインした「東京ひとりめし」
コンビニめしは飽きたし、ファーストフードは味気ない。
でも「おひとりさま」だと、知らないお店には入りづらい。
そんな時に、非常ーに役立つ一冊。
「ひとりのほうがかえってゴキゲンな店」こんなにたくさんあったんですね!

……だと。…クリック地獄

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2009/04/13

清酒に親しむは、よきかな。春、山菜の季節、酒蔵を訪ねるは、よきかな。

Takatiyo014月19日、にちようび。毎年恒例、おれの故郷、南魚沼市の小さな酒蔵「高千代酒造」の蔵開きがあります。入場料千円で、蔵の見学や新酒の利き酒、そして土地の料理を食べながらタップリ呑めます。もちろん、蔵の方との、よい交流になるでしょう。

そして高千代でタップリ呑んだあとは、六日町の万盛庵本店へ行って、ほかの地元の酒、ま、八海山は有名だからよいとして、青木酒造の鶴齢(かくれい)を呑んでみるのもよいでしょう。それぞれ特徴があります。万盛庵には、うまいつまみや蕎麦など、いろいろあります。とうちゃんは、自他ともに認める、山菜採り名人。せがれのまんちゃんは、自他ともに認める釣り名人。

万盛庵で、ゆっくり呑んでも、日帰りできる。

きょうはドジがあって忙しいもので、あとで、案内を書き足します。おれは行けないのだが。

とりあえず、こちら、高千代酒造の蔵開き案内をご覧ください。
http://www.takachiyo.co.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=14

……と書いて、ここからは追記だが、東京方面から行くなら、午後1:00「湯沢駅東口 高橋屋商店様前 発」の無料送迎バスに間にあうように行くのがよい。以前のダイヤなら、新幹線を使わなくても、上野発の普通を乗り継いでノンビリ安上がりに行って、この時間に間に合うのが一本だけあった。いまでも、あるだろう。高崎か前橋と、水上でと、2回乗換えがあるが、この時期、車窓からの景色が気持よい。ビールやカップ酒を呑みながら、ゆっくり行くのもよいものだ。ああ、行きたくなるねえ。

そして帰りは、3:55「髙千代 発」の六日町行きの無料送迎バスに乗る。六日町に着いたら、町内に温泉があるので、あまり酔っていなければ一風呂浴びるのもよいだろう。でなければ、万盛庵に直行する。万盛庵は、休憩時間なしで営業しているから、いつでも呑める。日帰りなら、六日町発9時半すぎごろの越後湯沢方面行きの列車が最後になる。ま、それだけ時間があれば、タップリ呑める。余裕があったら温泉旅館に、素泊まりか朝食付きで泊るのもよし。町内の温泉は、どこも湯量豊富で、かけ流しのはずだ。

去年は行けなくて、一昨年のことになる。美酒を呑み過ぎて、当夜の六日町からの帰り、越後湯沢を乗り過ごしてしまい、山間の暗闇の駅のホームで寝ているというドジをやった。その顛末は、こちら。
2007/04/16「二日酔いの頭で原稿を書きます 追記」
2007/04/18「大雑把にだらしなく飲んだ結果そして予定」

ま、とにかく、とくに酒蔵を訪ねたことのない方は、この機会にぜひ。アホウなアソウの給付金が、こんなとき役に立つかも。大部分が交通費で、JRに吸い上げられるのが、シャクだけど。下の画像は、高千代です。高千代の酒粕を使った粕汁、ふきのとうやかじかの天ぷら、ぜんまいなどの煮物といった、地元の日常定番料理で呑みます。

高千代も、鶴齢も、東京なら王子の山田屋で呑めます。JRに吸い上げられるのがシャクなら、ここで呑むのもテだな。

Takatiyo02
Takatiyo03

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2009/04/12

ミクシィのコミュ「エンテツさんの泥酔論が好き!」がスタートだと。

泥酔千鳥足でヨロヨロ始まったスロコメ@下北沢でのトークライブだが、店長の須田泰成さんがミクシィにコミュを作ってくれた。おれはミクシィをやってないのだが、よろしくお願いしますよ。ま、おもしろくやりましょうぜ。

こちらリンクです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4194088

2、3日中に、26日の第4回泥酔論トークライブのため、「酒とつまみ」のサイカメさんと呑みながら、打ち合わせの予定。きっと、たいした打ち合わせにならず、呑んで泥酔するだけだと思うが、当日は、パンクなトークになるにちがいない。なにしろ、サイカメさんとだし、テーマは「スナック」だし。ぐふふふふふ。

須田さんは「最近のスロコメは、世代・国籍・ジャンルなどバラバラのいろんな方々が噂を聞きつけて、あるいは、ふらりと通りすがりに来ていただけるおかげで、なんか楽しいことが多く、みなさまに感謝しております」と言っているけど、ほんと、おれがスロコメを気に入っているのは、そこなのだ。仕事の場でも趣味の場でも出会うことがない、バックグラウンドのちがうものたちのコミュニケーションがあるところ。

いま、必要なのは、それだ。東京は、おなじ業界がらみ、おなじ趣味がらみ、あるいは世代がらみの「仲間うち」に閉塞する傾向が強い。そういう「わく組み」の平穏に安住していたのでは退嬰あるのみ、新鮮な活力は生まれない。だいたい、おもしろくないじゃないか。もっとぐちゃぐちゃに、パンクあんどファンクにやらにゃあああああ。

だから、泥酔論。

え~、まもなく、午前1時。呑んでいるけど、泥酔ってほどじゃない。明日がある。

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2009/04/11

わずかな「家計の足し」に釣られ40兆の国債発行と使途も問題にしない高学歴低脳大国。

あと、もう少しで大山をこえる。ぐわんばろう。ヤル気を奪う、このクニ。 市川準遺作映画「スーツを買う」でも観るか、アホウなアソウの給付金で。

参加しているメーリングリストで、 きょねん9月、突然亡くなられた市川準遺作映画『buy a suit スーツを買う』の上映案内があった。

〈もうわたしら、確かめ合うのやめよ…だれがだれになにをしたとか、だれとどんなふうに生きなあかんとか、生きとったらあかんとか…〉

ってのが、気に入った。そうだ、そうだ、食い物のことだって、そうだ。

「皆様に広くご紹介頂けましたら有り難いです!」と。もちろん、いいとも。以下に略す。よろしく~。

こちらに「映画の森」でのレビューがありまっす。
http://www.cinema.janjan.jp/0903/0903199674/1.php


4月11日より、東京渋谷ユーロスペース、大阪梅田ガーデンシネマにて
第21回東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門作品賞受賞作品
市川準監督、遺作、唯一のプライベートフィルム<スーツを買う>が公開されますので、ご案内させて下さい。
皆様に広くご紹介頂けましたら有り難いです!

どうぞこちらをご覧下さい。
http://www.eurospace.co.jp/

監督:市川準
出演:砂原由起子、鯖吉、山崎隆明、三枝桃子、松村寿美子、佐藤慎一、柏木慎一、宍戸貴義
2008年/日本/HDcam/47分/カラー
配給=市川準事務所+スローラーナー+マクザム

■初日舞台挨拶&トークショー

初日舞台挨拶
4月11日(土)21:05の回上映前
ゲスト:砂原由起子さん(主演)、末永智也さん(助監督)

トークショー
4月17日(金)21:05の回上映前
ゲスト:宮本まさ江さん(映画衣裳)

4月24日(金)21:05の回上映前
ゲスト:鈴木卓爾さん(俳優・映画監督・脚本家)

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なんでです。

Higasioomiya_yuhodou003

このアタフタ続きも明日で大山をこえるとおもったとき、おれの脳みそは春風に舞った。
ひらひらひら~

"その先には一体、何があんのか"とかなんとか
そいった類のどうしようもなくアホタレたこと
やっぱ考えたくなる
大いに、考えたくなる
(by竹原ピストル「ならば、友よ」)

何も考えないままに
半ば紳士チックにオマエにメールなんぞ送ってみれば
「なんでです」

なんでです……なんでです……なんでです……

大いに、考えたくなる

なあ、クソッタレよ
愛って言葉は、心貧しいものが思いついたのだろう
ならば、クソッタレよ
愛について語るのは、死ぬ間際でいいや


ああ、そういえば、きのうより死に近づいているんだなあ。
ひとりずつ死んでいったなあ。
「死ぬ間際」って、わからんときもあるなあ。
いつだ、「死ぬ間際」って。

地球もおれも、いつも傾いている。
大いに、呑みたくなる。
なんでです。

その先には、何も、ない。なくたって、いいじゃないの。生まれてきたついでに、おもしろく生きれば。

午前1時半、酔いどれ深夜便でした。画像は、ウチの近く。

関連(この歌、大いに、気に入っている)
2008/12/08ならば、友よ。

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2009/04/10

たいがいは偏見にすぎない。「北」への偏見も、そうだ。「オレの北摂」。

なにやら「北」のことで騒々しい。たいがい、北は南に、南は北に、東は西に、西は東に偏見を持っている。

関東や東京だと、西と南が、洗練された「ハイソ」であり、東と北が野暮な「ローソ」というイメージだ。しかも、そのイメージは、経済的実態ともいえるようだ。

たとえばだ。昨年末あたり、野村総合研究所の発表でチョイと話題になった、「全国のエリア別所得・金融資産を推計」などで、かなりハッキリ出ている。
http://www.nri.co.jp/news/2008/081007_2.html

それによれば、上記URLからの転載だが、私鉄沿線別の、
「世帯当たり年間所得・上位10路線」は下の通りであり、
081007_21

「世帯当たり金融資産・上位10路線」は下の通りだ。
081007_22

2009/04/08「自己満足道楽の衰微は、さみしいことだけど、トウゼンなのかも知れない」に書いたように、世帯あたり年間所得の平均は、すでに600万円を切っている、しかも平均以下が約7割いると推計されている。政府系データでも、約560万円以下が6割という数字になるようだ。

ということを考えれば、東京の山の手線周辺から西と南が「ハイソ」と見られても、それは単なるイメージではなく、経済的実態でもあるといえそうだ。

とにかく、関東や東京では、東と北に対して「ローソ」なイメージがあり、関東リージョナルなメディアでも、東や北は、あまり取り上げない。前にも書いたが、そんなことしても売れないからだ。

でも、「北」の赤羽や王子が最近よく取り上げられるようになった。たいがい、「下町」「人情」という偏見がらみだが。「東」も、そうだ。そうそう昨今は、それに「ホルモン」という偏見がからむことも多いな。

おれが住む、さいたま市見沼区東大宮なんて、なんの価値も認められない、ダサイタマ以外のイメージはないというのが、西や南の偏見の実態ではないだろうか。そもそも日本全体が、東北に対して「ローソ」なイメージでもある。

ところが関西リージョナルってことになると、チョイと位置関係が変る。「北」が「ハイソ」なイメージなのだ。大阪市の北の、神戸の山の手や京都へ連なる地域。

で、先月末に届いていた、『ミーツ・リージョナル』5月号の特集は、「オレの北摂」だ。「北へ」である。編集前記にあたるものを桃井麻依子さんが書いている。「創刊20周年で初の北摂特集、である」と。

「北摂とは、ちょっとハイソなクラスのご家族が居を構える街で(偏見)、その人たちが行くであろうレストランやカフェやブランジェリーには、ミナミからはちょっとイイ服に着替えて行かねばならん(偏見)のような感じ、的アウェー感を抱いていたのが恥ずかしながら実は…の話」

これを読んで思ったことは、大阪の都心って、やはり気軽な普段着のまちなのだってこと。そして、東京の都心って、かなり気どっているし、東京あるいは関東って、かなり「ハイソ」好きな連中の地域なのだなあってことだ。

いいのか、それで。だから、こんな貧困金満バカニッポンになってしまったのではないか。もっと、関東や東京の人間は考えを改め、東と北に価値を見出すべきだろう。未来は、そちらにある。黄金週間には、東や北へ向かうべきだ。と思ったのだった。東や北へ行き、東京=中央の消費主義にかぶれた脳みそを、ぐちゃぐちゃに冷すべきだ。

狭い日本で、この調子なのだから、その外のことになれば、どんなに偏見が激しいことか。

ところで、当ブログに何度か登場する、よっちゃんのお好み焼き「パセミヤ」も、この北摂地域になる。もっとも十三から阪急宝塚線で二つ目だから、大阪都心に近い北摂だけど。正確には、豊中市庄内。ここには、このあいだもパセミヤで飲んで行けなかった、豊南市場がある。その写真が「オレの北摂」の特集扉をドカーンと飾っている。よっちゃんがいうように、「下町」の生活臭むんむんだ。

この特集、初めての地域ということも関係するのかどうか、チョイとメリハリに欠けるが、偏見を捨てる第一歩だ。やはり、知らないところへ行くのって、大事だね。おれなんか、「ローソ」に住み「ハイソ」まで遊びに行って、「ローソ」の野暮を主張している。その逆は、なかなかない。

この号、木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」は、かやくごはんの「大黒」だ。東京ハイソな吉田健一の著書からの引用、しかも、「本ものの食べものの味がする」という、ケッ、愚にもつかない文の引用で終わっているのが気にくわないが、そんな引用がなくても、大黒のよさはわかる。

「大阪のぞき」は、Webでも連載している。最新の「第十九回 天満天神繁昌亭」が、なかなかよい。木村さんは、もしかしたら昨年末の浅草見番寄席以来か?落語に熱が入っているようだ。しかし、いくら天満天神にある落語定席だからといって、「繁昌亭」って名前は、いかにも「ローソ」な大阪都心ぽくていい。
http://www.lmagazine.jp/magazine/meets/osaka_nozoki/index.html

それにしても、所得や資産の地域的偏り、東京都心から西南部一極集中が、激しすぎやしないか。日本の高度資本主義のうまい汁は、このへんに集中しているのだ。これこそ、すべての偏見、諸悪の根源かも知れない。

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2009/04/09

邦子さんの訃報。

一人暮らしだったが、先月下旬に亡くなっていた知らせがあった。彼女、そして彼女の経理の腕にたすけられたひとは、何人もいるだろう。おれは、最も大変な時期に、たすけてもらった。

気がつけば、一昨年、電話で話したのが最後だ。いつものように「エンちゃん、まあ聞いてよ」で始まる、ほぼ一方的で元気な長電話。いつでも会える気でいたが…。

享年75。ご冥福をお祈り申し上げます。

とり急ぎ。詳しくは、のちほど。

……と書いたまま、夜は邦子さんを追悼しつつ飲み、泥酔寝したから、日にちが変り、いま10日の午前だ。たいがい電話やメールで問い合わせがあり説明してしまったが、イチオウ備忘と追悼として書いておこう。

ひとり暮らしだったが、「孤独死」ではない。亡くなるひと月前ぐらいに、義姉さんが訪ねたら、たいそうぐあいが悪かった。すぐ入院させ、そのまま一ヵ月後に亡くなったということだ。

彼女が、おれが勤める企画会社の経理に入ったのは、1970年代後半だったろう。それまで経理を取り仕切っていたベテランが飲食店を開業するため退社することになり、その後釜だった。彼女は、もう一人の若い経理の女性と仕事をしていた。

会社の経営は赤字を抱え、ボーナスも出なくなり、社長は経営を投げ出し会社をたたもうとする「騒動」が起きた。その火中の栗を、おれが拾って「再建」に手を出した。そのことは、少し2005/06/13「思えば70年代後半の会社クーデター」に書いた。

その再建から黒字転換の最中、彼女は献身的に手伝ってくれた。おかげで、かなり短期間に経営を好転させることができた。

そして、その「思えば70年代後半の会社クーデター」の最後に、「(おれは)諸悪の元凶で最低最悪の人間とのレッテルを貼られ、おさらばした。ま、火中の栗を拾う度胸も能もない世間とは、そんなものだ。言いたいやつにはいわせておけ、おれは男は愛嬌フラフラと不倫のオンナと手を取り合い、いくらでもあるオモシロイ山へ向かったのだった。ああ、東京流れ者」と書いたが、とんでもないジケンに巻き込まれたのだった。そのとき、イザというときに、おれの潔白を証明しうるし、逆に相手の不正を証明しうる書類を、彼女は秘かに用意してくれた。

そのことは2007/03/23「「負」または「ハードボイルド」な散歩」に、少し書いた。

「西新井は、かつておれが、会社の売買にからんで、仕組まれたワナにはまって濡れ衣を着せられ窮地にたったとき、密かに味方してくれた、おれより一回りほど年上のオバサンが大部分の人生を過ごしているところだ」

「あのジケンのときは、誰もがおれから離反していった。しかしそんな中でオバサンは、イザとなったら、というのは訴訟になったらということだが、おれの無実を証明しうる書類を作って渡してくれた。もちろん見つかったら会社の経理の書類の持ち出しだからクビがとぶ」「けっきょくおれはおとなしく身を引いたからか、訴訟にはならなかったが、ということはおおやけに濡れ衣をはらすチャンスはなく、まだときどき彼らの周囲から中傷の声が聞こえてくるのだが。いまとなっては、それを晴らすほどの執念はない、そうしようとしたところで疲れるだけでたいして得はない、あの書類は手元に残ったままだ。醜悪な欲望の泥沼からは逃亡するにかぎる」

その「オバサン」こそ、存命だったので名前を書かなかったが邦子さんだ。彼女は、人生の大半を西新井を棲家とし、その団地に亡くなるまで一人で住んでいた。

「会社クーデター」のときの舞台裏も、これは誰にも話してないし、話す気はないから、知っているのは邦子さんだけだった。彼女は、とても話好きでオシャベリだったけど、カンジンなところは口のかたい人だった。おれは黙っているよう頼んだことはないのだが、誰にも話さなかった。これだけは、けっして口にしてはいけないところを、よく判断できる人だった。経理の資質としては大事なことだ。

彼女は、その会社をやめてから、おれの知り合い関係の、いくつもの会社の経理を手伝った。腕のいい経理がつくかどうかは、とくに弱小零細経営の立ち上げのときは生命線といえる。彼女に経理を覚え、あとを引き継いでいる人もいる。

年金が入るようになった最近の10年間は、よく旅行をしていた。旅先から、いい酒を送ってもらったこともたびたびだった。旅で仲よくなった男の話をしては、笑ったな。

75歳という年齢は、「若死」ということになるだろう。だけど、よくがんばった。彼女は、たしか50に届く直前ぐらいに、乳がんが見つかり、片方を切除。しばらくして、やはり残ったほうも切除。そのあと、転移があって、何回入退院と手術を繰り返しただろうか。それでも、がんと一緒に生きているなんて、誰にも感じさせなかった。70歳を迎えたとき、年賀状に、これで年賀状は最後にしますとあった。

「カネがささやけば人びとは耳を傾ける」、それは小さな庶民にとっては仕方のないことだ。だけど、静かに「義侠」に働く人もいる。「まがったことは嫌い」と見得を切ることなく、黙って「義侠」に働く。彼女も彼女の仕事ぶりもそういうものだった。たすけられた本人は気づいているかどうか、彼女が黙ってする、経理上の事務処理のサジ加減の「親切」にたすけられたひとは少なくない。おれをはじめ、やくざ稼業なような連中の面倒を、よく見てくれた。

一昨年、結果的に最後になった電話で、「エンちゃん、まあ聞いてよ」と彼女が話したことは、とてもサミシイことだった。というのも、彼女は退院したあとだったのだけど、入院のとき、日本の病院は保証人がいる。急な入院だったもので、すぐ連絡がとれた、彼女が長いあいだ経理の面倒を見てきて、まだ見ていた、おれも知っている小さい会社の社長に頼んだ。彼女にしてみれば、付き合いも長く、親のように格安のパート料金で経理の面倒を見ているし、いちばん頼みやすいと思った。ところが、断られたのだった。急いで入院が必要だったので、かかりつけの町医者の院長が保証人になってくれ、無事に入院はできたのだが。彼女は、よほど腹にすえかね、そして心もとなく寂しかったのだ。

いつだって、真実というものは、地味な存在だ。

そして、ひとりずつ、ひとつずついなくなる…。

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二葉屋酒造店は酒造りをやめたらしい。

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2006年の4月下旬。韮崎あたりに桃の花が咲き乱れるころ。ふとしたことがキッカケで、山梨県市川大門の二葉屋酒造店を訪ねた。

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最寄は甲府で乗換えの身延線市川本町という無人駅。廃業したらしい料亭や蔵造りなど、かつての繁栄を偲ばせる跡が転々とある古い街道沿い。100年の歴史を有するという建物の前には、栴檀の木が一本あった。

気さくなご主人と話をし、店内の写真を撮らせてもらい、酒を買った。

忘れがたい「栴檀」という酒は、いまでも時々その味を思い出す。

きのう知人から、きょねんで酒造りをやめたという話を聞いた。

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2009/04/08

自己満足道楽の衰微は、さみしいことだけど、トウゼンなのかも知れない。

昨夜10時過ぎ、須田さんと電話で話した。スロコメでのトークライブ「エンテツ泥酔論」4回目は、4月26日(日)にすることに決めた。「酒とつまみ」のサイカメさんと「スナック論」をやる。

ある「高級誌」が休刊になるそうだ。そのことで、ま、それはそれでさみしいことだけど、あのテの雑誌は、真剣に読者のことを考えていない、作り手の自己満足の道楽のようなものだから、消えていくのは当然かも知れないねと、アレコレ話し合った。

先日、田舎の人と話した。その人が「週に3日しか仕事がなくて、生きていけるか」と言った。東京=中央の「不況」と、田舎の「不況」は、おなじ日本の不況かと思うほどちがう。なんだかんだいっても、大都会で転々としながらでも生きていける人間は、恵まれている。その恵まれた環境の感覚で、「週に3日しか仕事がなくて、生きていけるか」という状態で、その土地で生きている人との接点を見つけるのは、なかなか難しい。

いま、どんどん状況は悪くなっているから、もしかすると世帯平均年収は500万円を割る可能性がある。平均年収以下が、7割近くいる状況においてだ。

だけど、東京=中央のメディアや周辺は、その7割ではなく3割のほうに身を置いて、かつ観念的な自分の美学だけの、自己満足道楽的な感覚であるとしたら、どういう結果になるだろうか。

それは料理についてもいえる。かっこよく話題になるハヤリの、たとえば有機栽培とかのものといっても、全流通量の1割ていどあるかないかだ。ほかの9割を買い、かつ世帯平均年収以下で、子供もいてということになると、それが全国平均で見れば普通のはずだが、メディアの上では逆のように見える。そのギャップは、あまりにも大きすぎる。

なるほど、「ナチュラル」な「ハイクオリティ」な生活は、素晴らしいだろう、望ましいだろ。けれども、それが素晴らしい望ましいことは、たいがいの人はわかっていることなのだ。わかっていて出来ない。おいしい話だけを聞かされて、オシマイ。いま、その切なさは、上級3割を憧れる余裕すら持てない。

ま、そんなことをアレコレ考えながら、前のエントリーに追記したように、瀬尾幸子さんの『ちゃぶ台ごはん』を紹介する原稿を書いた。この本は、平均以下7割の家庭が視野に入っている。そもそも普通をよりよくすることが、瀬尾さんの料理でもある。特殊な上質の1割の材料を使えるにこしたことはないが、いま、そんな話は、ほとんどの人にとって絵空ごと、他人の自慢話にすぎない。それはそれでさみしいことだけど、実態は、そうなのだ。

「週に3日しか仕事がなくて、生きていけるか」という絶望に近い状況のなかで、明日への楽しい活力を見つけること。なので、26日のトークライブ「泥酔論」は、「酒とつまみ」のサイカメさんと「スナック」なんだな。

「スナック」は、前回の泥酔論のあと、サイカメさんと飲んでいて決めたのだけど、その「週に3日しか仕事がなくて、生きていけるか」という田舎へ行っても、なぜか「スナック」だけはある。ほかの飲み屋がなくても、「スナック」だけはあるのだ。なぜなのか? そこに、絶望のなかの希望や楽しみがあるのかも知れない。なんだかスナックは、したたかで楽しい。いまこそ、スナックで泥酔を! てな、ことか?

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2009/04/07

『おつまみ横丁』の瀬尾幸子さんの新著『ちゃぶ台ごはん』。

小学館から発売。瀬尾さんのは、「卵かけご飯」にしても、「ちょっとしたコツ」がある。とりあえず画像、文章は、あとで。
Seo_gohan011

…と書いたあと、なかなかよくできているので付箋をはりながら見ることになった。きのうは、ちょうど今月中旬発行の「書評のメルマガ」の「食の本つまみぐい」の締め切りだった。ほかの本を予定し、付箋をはりおわっていたのだが、急遽この本にかえ、深夜に至り無事に原稿を書き上げ送った。

タイトルは「「実用書」をバカにしちゃいけないよ。」ってことで、「瀬尾さんが、こともなげに簡単にまとめていることを、注意深く読んでみよう。生きる心構えや生活の美しさは、即物的に見える料理のレシピ、ハウツーに宿るものなのだ。何か作りたくなるだろう。」と結んだ。ってことで、あと10日ぐらいのうちに発行になるだろう、書評のメルマガを見てほしい。

奥付を見たら、スタイリングは森下久子さん。なるほど、そうだったのか。

Seo_gohan012この「おいなり押しずし」は、「作ってみたい」と思った一つだ。

関連
2008/09/28
瀬尾幸子さんから『おつまみ横丁 もう一軒』。

ついでに、瀬尾さんから。「4月11日NHK総合テレビ午前11時25分からの放送に、福小町の木村酒造さんが登場するそうです。題名は「新日本紀行ふたたび」春風に凧が舞う~秋田湯沢市 です。昭和46年3月に放送された『新日本紀行「雪の中の春~秋田・湯沢~」を再編集した、人々の生活と地域の変化、新旧の映像の対比を描いた地域性・記録性の高い番組だそうです。きっと、いい映像が見られると思うので、ぜひご覧ください。」
木村酒造
http://www.fukukomachi.com/

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2009/04/06

「何処から…何処へ」浜田賢治展。土を被った太陽。

Hamada_kenjitenさきほど「浜田賢治展」へ行って来た。とり急ぎ、これだけ書いておく。

2008/11/23「生活の中の絵あるいは美術または芸術。」に、浜田さんからコメントをいただき、その件でメールのやりとりがあった。そして、この個展の案内をいただいた。見たら、おなじ見沼区の大和田のギャラリーが会場だ。徒歩で40分ぐらい。

できたらご本人にお会いしたいと思い、初日の今日行けば可能性は高いと思い、いい陽気だし、歩いた。やはり、浜田さんはおられた。

浜田さんの絵は、なんとなく想像していたより、かなり小さかった。このハガキに印刷された、原寸大ぐらいの絵が多い。だけど、見てるうちに、ゆらゆら揺れ動き、どんどんふくらんでくるのだ。

絵にかぎらず、「0.5」ていどのことを「1」かそれ以上に見せようという表現もあれば、「100」のことを「1」に凝縮して見せる表現もある。浜田さんは、もちろん、後者。浜田さんも、浜田さんの絵も、「土を被った太陽」みたいだなと思った。

浜田さんは、埼玉県の秩父の人で、小鹿野町で生まれ、秩父に腰を据えて創作をしてきた。無理矢理ジャンルわけすれば、「抽象画」ということになるようだ。抽象画は、わかりにくいといわれたりするが、絵を見てわかろうとするほうが無理というものだろう。感じればよいのだ。おれは浜田さんの絵に、「土を被った太陽」を感じた。

浜田さんは、テーマである「何処から…何処へ」をタイトルに、自費出版を続けている。その1号のあとがきに、「印刷製本担当」の鈴木いく子さんが、こんなことを書いている。「浜田さんの作品には、全てにおいて何か不思議なエネルギーが含まれています」「見ていて、何か疑いのない力強さが含まれている感じがします」。そのエネルギー、力強さは、ギラギラ照りつける太陽のようではなく、土を被っている感じなのだ。

某新聞の記者が取材に来ていて、浜田さんが答えているのが耳に入る。「絵というのは、もしかすると、たとえば病院の病人のように動けない状態、立ち止まった状態においてこそ必要なものではないか。自由に動けるひとには、絵は必要ないのかも知れない。立ち止まった状態の人のために何ができるかではないか」というようなことを言っていた。ナルホド、文学や文章も、そうかも知れないな。

見沼区大和田という、畑があったり、野暮くさい一角にある、小さなアートギャラリー「こはく」へ、どうかおでかけください。ゲージュツというと、生活感をそぎ落としたような都会的洗練のコジャレたまちとギャラリーがイメージされるけど、ここは、まったくちがう。近頃おれが礼賛する野暮な雰囲気のなかで、立ち止まって、浜田賢治さんの絵を見れば、身体の奥に忘れがちな「土を被った太陽」を覚醒できるかも知れない。

今日は、というか、最近は、「具象」がうっとうしく思われる気分だったような気がする。浜田さんの絵を見て、じつに気分がよくなった。解放された気分。だから、帰り、生ビールを一杯やった。うめえええええ~。

アートギャラリー「こはく」で、4月20日(月)まで。木・金休廊。
http://www.k5.dion.ne.jp/~g_kohaku/
さいたま市見沼区 大和田町2‐1181‐11
東武野田線大和田駅下車徒歩4分
JR大宮駅より野田線で6分
東武伊勢崎線春日部駅より16分


浜田賢治さんのサイト…クリック地獄

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発作的花見、野食い野酒、のちスロコメ@下北沢、パンニャの松尾貴史カレー初食い。

Hanami005きのうは朝から、ふんどしさるまたパンツのひもをグッとしめて仕事をしていると、瀬尾さんから電話。相談事アレコレ話しているうちに、トツジョ、花見をやろうということになる。

15時、井の頭線高井戸駅。駅に着く前に、線路沿いの神田川の桜が見える。発作的花見のため、誘った人たちは、みな都合悪し。瀬尾さんとおれだけがヒマ、ってことか。ま、なら二人でシッポリ花見といきましょう。コンビニで缶ビールを買い、歩道橋を渡れば、その桜並木。絶好調満開。缶ビールを飲みながら歩く。

縄文遺跡がある塚山公園の前の草が生える小さな空き地に宴を張る。瀬尾さんは、敷物やつまみ、出羽桜の燗酒!まで用意してきていた。

Hanami008a秋田の漬物、白焼きのう巻き、もろきゅう、それに京都錦市場で買ったというカレイの干物をあぶったの。おつまみ横丁「野食い野酒」編だ。入れ物のわっぱや、杯も、いいねえ。

不況の影響もあってか、自炊や自家弁当が増えているらしいが、家の中で食べるだけじゃなく、こうした軽便な野食い野酒もいいんじゃないだろうか。あれこれオシャベリ。最近、瀬尾さんが通っている不耕起農業の塾の話は、いわゆる「自然農法」ともまたチトちがって、チョイと普及が期待できそうな方法かと思う。不耕起農業も進化しているのだなあ。ま、瀬尾さんがつくるコメと大豆を楽しみにしよう。

ポットに入っていた500ミリリットルの燗酒を飲み干し、では、古墳部をやろうと、塚山公園をぐるり。広場を真ん中に200ほどの住居が囲む、意外に大きな環状集落跡なのだ。

のち、永福町まで歩く。歩くとホロ酔い気分が深まる。夕暮れどきという気配が漂うころ永福町駅。瀬尾さんがスロコメで仕事の打ち合わせがあるというので下北沢へ。

スロコメは大盛況。となりの松尾貴史さんのカレー屋「パンニャ」と合同花見会なのだ。スロコメの中に飾ってある桜の枝を眺めながら。松尾さんから、パンニャの缶バッチをもらう。となりへ行って、チキンカレーを注文。スロコメに出前してもらうのだ。そのカレー、ビミョーな難しい辛さのバランスを、ビニョーにクリアしていて、くせになりそう。

大野さんに電話してみようかなと思っていたら、その本人があらわれる。なんとまあ、よいタイミング。須田さんに、次に経堂に開店する、立ち飲み屋の図面を見せてもらう。思っていたより広い。壁側のテーブルは開閉式で、閉じてギャラリーにもできる仕組みだ。やるねえ。

ちゃんと「こんにちは」や「さようなら」の挨拶もできないのに、仕事やセックスはできるようになるってことについて、話していたな。ま、一区切り、気分一新というところか。

宵も酔いも深まり埼玉の空の下に帰る時間。下北沢駅で瀬尾さんとバイバイ。よく歩き飲み、ヨロヨロ酩酊帰宅。

瀬尾さんから、きょう4月6日発行の、『ちゃぶ台ごはん』(小学館)をもらった。うむっ、なかなかいいぞ。腰巻に「『おつまみ横丁』の瀬尾幸子さんが作り続けてきた愛蔵のレシピ101」なーんて。チトきのう遊んじゃったツケを片付けなくてはいけないから、あとで紹介する。

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2009/04/04

料理の構造。

けっきょく、今日は一日、忙しかったなあ。急いでやっても、結果は同じなのに。まったく、せかせか、カリカリしおって。「北」にふりまわされて醜態さらしの政府みたいじゃないか。

2009/04/02「「スパゲッティな景色」と「スパゲティな景色」。」に、五十嵐さんとこだまさんからコメントをいただいた。これは、なかなか、おもしろい。まだまだ、おもしろいことがありそうだ。

こだまさんについては、2007/03/05「街、食べる飲む、語る。こだまひろしさんに拍手。」や2007/04/07「不機嫌な一日の機嫌なワタクシ 書評のメルマガ発行」などに、書いたことがある。「食べログ」で活躍していたのだが、店や料理について奔放な文章で紹介し、刺激的だし楽しかった。

たびたびの「圧力」「迫害」があったようで、「平成19年4月:昨年に引き続き自己紹介を兼ねた冗談レビューを最後に無期限ハンガーストライキに突入」と書いたあと、行方がわからなかった。ところが、改名して復活していたのだ。コメント欄にリンクがあるので、ぜひ、ご覧いただきたい。

それで気がついたが、以前の「食べログ」は、星5つマークでランキング分類するようなことをしていたが、いまでは「おすすめ用途」で分類しているようだ。それはトウゼンだろうし、となれば、ますます、こだまひろしさん改めヒロシマオクトパス三世さんのような文章が楽しみになるというものだ。

さてそれで、その「「スパゲッティな景色」と「スパゲティな景色」。」、それから2009/04/03「『TascMonthly』4月号「雑穀のブームと居場所」。」に関係することだ。

『Tasc Monthly』2000年10月号に、『談』編集長の佐藤真さんが「ソシュール食堂のすすめ」を寄稿している。8ぺーじにわたるのだが、おもしろい図表がある。

この記事は、当時、めきめき売り出しの「カリスマ」といわれた料理研究家、有元葉子さんや長尾智子さんなどが使用していた、クイジナート、ル・クルーゼ、グローバルといったキッチンツールのブームの背景を探ったものだ。

そこで、イタリア料理ブームの特徴にふれ、なぜ「イタリア料理は容易に日本の家庭料理に入り込むことができたのだろう」と考察している。それを解き明かすのに、ソシュールの言語学を用いている。言語と料理の構造の近似性は、前から指摘されていたことだけど、それを佐藤さんは、図解しながらやってみせた。

いわゆる「通時言語学」「共時言語学」ってやつの組み合わせなのだが、これは、表現は違うが、動作分析などでも「経時」と「共時」に分けて行われるし、各種のオペレーションのプランニングやマニュアルにも共通するものがある。

1970年代ごろから、料理をマニュアル化するときは、料理人が料理している全てをビデオに収め、それを見ながら動作を分析しマニュアル化することをしていた。先日、映像関係の方と話をしたら、いまでも行われているようだ。

そのとき、同一時間内に行ういくつかの作業、これが「共時的」ということになり、時間の経過ごとに行われる作業が「通時的」あるいは「経時的」ってことになる。

佐藤さんは、まず、イタリア料理の基本構造を示す。最初の画像の上の図だ。右へヨコに流れる作業が「通時的」で、タテに並ぶのが「共時的」作業。この基本構造自体が、とても簡素だ。

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この基本構造に、最初の画像の下になる、応用例「ペペロンチーノ(スパゲティ)」をあげている。続いて、「カルボナーラ(スパゲティ)」「ピッツア」があるのだが省略。

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最後に、「サラダ」である。これは、皿に盛るを含め、3ステップだ。というと、あの瀬尾幸子さんのベストセラー、3ステップでレシピをまとめた、『おつまみ横丁』を思い出しますね。

とにかく、料理の構造が簡単なのだ。佐藤さんは、「カリスマ料理研究家たちのレシピをみてつくづく感じることは、どれもとにかくシンプルであるということだ」「そして見逃せないのは、こうしたシンプル・クッキングは、料理の世界でどんどん広がっていることだ」「キッチンツールの三種の神器は、要するに調理を合理的に進めるアイテムである。調理の効率を上げるためのサポーターが、クイジナートでありル・クルーゼでありグローバルなのである。それらは明らかに料理をより簡単な方向へといざなう道具である。調理をより合理的にすることによって、結果的にシンプルな料理へとたどり着く。それは複雑なプロセスを縮約させることによって、よりわかりやすいものへと向かうことなのだ。つまり、今や家庭料理は構造的に明解な、シンプルでかつカンタンな料理の方向へと大きく舵取りを始めたといえるのではないだろうか」と書いている。

『おつまみ横丁』にかぎらず、家庭に普及したイタリア料理、エスニック料理といわれるたぐいを思えば、この指摘は、じつに的を得ていた。クイジナートやル・クルーゼやグローバルなどを、ファッションとして装飾品のように所有している人たちもいるが、これらの道具に追求されている合理性をみれば、ひどく何かゆがんでいる。

で、この図についてだが、いまは書いていられないが、とても使い道がある。よく料理をしているひとなら、思い当たることが少なくないだろう。そして、この図が理解できれば、国民食といわれるようになった黄色いカレーライスは、「伝来」の料理ではなく、汁かけめし料理の系譜に位置づくことはスグわかるはずだ。

ところで、この佐藤さんの文章には、「パスタ料理は、ロングパスタであるスパゲッティ(太さによって細分化されている)、ペイネなどのショートパスタ」といった表現がある。本人に確認してないのだが、佐藤さんは、料理は「スパゲティ」で、材料としてのロングパスタは「スパゲッティ」と、わかりやすく分けて表現しているようにも見える。これは、これで、わかりやすい。

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2009/04/03

『TascMonthly』4月号「雑穀のブームと居場所」。

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あわただしいので、とりあえず、これだけ。あとで、詳しく紹介したい。しかし、なんかみな、あせりすぎじゃないの。状況もよくわからんのに、そんなに結論を急いで。とかね、いいたくなるほど、バタバタしてますね。

財団法人たばこ研究センター(TASC)が発行する、『Tasc Monthly(タスク・マンスリー)』4月号に、「雑穀のブームと居場所」を寄稿したのだが、その見本誌が今日届いた。B5版で5ページもいただき、充実の自信作。これ、多くの方に読んで欲しいのだが、残念ながら年会費(3000円)会員向けで、一般市販はされない。誰でも会員になれますから、3000円払って、これを読んでもらえば、そりゃもう、3000円以上の価値でしょう。

表紙は、「版画・たばこのある風景」。「夏目漱石「我輩は猫である」より<夏目漱石像>木版-関野準一郎」。

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TASCといえば、知るひとぞ知る『談』であり、その編集長はアルシーヴ社の佐藤真さんだが、「雑誌『談』編集長によるBlog」は、こちら…クリック地獄

当ブログ関連
2009/02/23「雑穀のブームと居場所。」

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2009/04/02

「スパゲッティな景色」と「スパゲティな景色」。

きのう掲載した『東京ひとりめし』の「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話」だが、おもしろいことがある。おれの本文では、「スパゲティ」と表記しているが、編集部が書いた写真の説明は「スパゲッテー」だ。

校正のときに気がついて、そういえば、確かに、店のメニューでは「スパゲッテー」だったなと思った。さて、どうしようか、「スパゲッテー」に直すかどうか迷った。あれこれ考えたあげく、けっきょく、そのままにした。校正のとき、いちばん悩ましかったのは、このことだった。

同人ではないが、美術系同人誌『四月と十月』の古墳部にも参加し、エッセイの連載もさせていただき、編集長の牧野伊三夫さんはじめ美術系のみなさんとは親しく付き合わせてもらっているが、いつも酒飲んで騒ぐだけで、美術な話をしたことがない。だけど、牧野さんたちは、よくスケッチというかデッサンというかをする。それを見ていると、描く対象とスケッチブックに没頭して、牧野さんなどは目つきが完全にちがっているほど一心不乱かと思えば、ときどきスケッチブックを目から離して、描いた絵を眺めるように見ている。

ビジュアルなものを制作するときは、よくそうしていることに思い当たる。また印刷されたB5サイズの写真でも、手に持って見るだけではなく、目から離したり、あるいは切って壁にとめ離れて見ることはできる。だけど、文章のばあいは、そういうことはない。せいぜい老眼で、チョイと目から離して見たりするが、それは文章というより文字が、よく見えるようにするためで、絵を離して眺めるのとは違う。

文章は手に持って見る(読む)もので、離して眺めることはない。物理的には、そうなのだが、実際に書くときは、絵を離してみるような「作業」をしている。

読むほうは、どうなのだろうか。

とにかく、記憶では、「スパゲティ」は比較的新しく、昔は「スパゲッティ」が普通だったと思い、調べた。まだ細かく調べきってはいないが、1970年代は、ほとんど東京も大阪も、「スパゲッティ」か「スパゲッティー」だ。80年代なかごろになると、「スパゲティ」が散見できる。

「ゲ」の後に「ッ」があるかどうかの違い。小さく見れば、そういうことだ。しかし、その小さな違いは、表記が正しいかどうかをこえて、大きな、「時代」といってもよい、景色の違いである。

文章の書き方は、いろいろで、読み方も、いろいろだろう。小さい面積のなかにかきこまれた絵でも文章でも、手に持って目に近づけた感覚だけで読んでいるのと、それらを、ある背景や景色のなかに置いてみるのとでは、ずいぶん受け取り方が、違うはずだ。

小さな面積のなかだけの、「表記の統一」や「ウソやマコト」を気にしていると、背景や景色が見えなくなることがある。ま、何かの一文だけを取り出すと、そういうことが起きやすいから、あえてそれを利用して、自分の都合のよい論理を展開するというテクニックは、よくあることだ。

あれこれ考えた。おもしろい。どのくらいの読者が気がつくかはわからないが、ここには「スパゲッティな景色」と「スパゲティな景色」があるのだ、ということを忘れないうちに書いておく。

ちなみに、この『東京ひとりめし』では、信濃路の「スパゲッテー」以外は、ほとんど「スパゲティ」だ。

さらに、ちなみに。あまりあてにならない、「ウィキペディア(Wikipedia)」では、「スパゲッティ」と表記され、「スパゲッティ(イタリア語:Spaghetti)は、イタリア料理で使われる麺類であるパスタのひとつで、紐のように細長いものをいう。スパゲティやスパゲティーと表記される場合もある」と。

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2009/04/01

見てるだけで楽しい×トコトン実用的=ミーツ・リージョナル別冊『東京ひとりめし』発売。

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これまでウソばかり書いてきたが、今日は、ほんとのことを書く。

4月3日発売予定の見本誌が届いた。「街なかのひとりごはんを解決!」「エリア別お助けめしマップ付き」「ホンマにいい店しか載ってません」の言葉が表紙にある。表紙をめくった1ページ目の大扉には、「ひとりごはんはもっと楽しい!」と。見ていると、ほんと、楽しそうだ。見ているだけで、お散歩気分になる。

本文170ページ、広告わずか、フルに誌面を使いきって、ひとりめし、ひとり酒の楽しさを追求している。最後のインデックスまで、かゆい背中にも手が届くほど、上手につくっている。ミーツならではの、強力な東京本。本文はひとりめしスタイルごとに構成され、楽しく読める一方で、最後に「昼にひとりで行ける」「夜にひとりで行ける」マークのついた地域別インデックスがあって、とても便利な、こころにくい編集だ。掲載店約150+マップ紹介店(マップ上に、本文に掲載できなかった簡単な店の紹介など地域情報が盛り込まれている、とても役に立つ)。

コラムで三人揃い踏みは、「大竹聡のイケナイ昼酒。」「木村衣有子のよりぬきベルク通信。」「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話。」。おれ1943年生まれ、大竹聡1963年生まれ、木村衣有子1975年生まれの競演、熱演。

こんな楽しい雑誌をわきに置いてシゴトしなきゃいけないなんて野暮な話だが、野暮なおれだ、いま若干クソ忙しいもので、とりあえず、もくじの画像を掲載する。

お見逃しなきよう。よろしく~。

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はて、このおばちゃんは?↑

関連

2009/03/12取材とはいえ午後2時から飲み続け、泥酔ヨレヨレ。

ザ大衆食「台東区鶯谷駅前 信濃路」…クリック地獄

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