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2009/06/28

盛況御礼、第5回泥酔論inスロコメ。ミーツ別冊『酒場の本』。

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Mesiyasake004きのうのトークライブは、「めし屋酒の真実」ということで「凡庸の美学」について語ったのだが、初参加の山崎監督と浜野監督はじめ、凡庸じゃないひとがたくさん参加してくださった。初対面のかたも数人おられた。挨拶しきれないうちに帰られたかたもいて失礼した。

考えてみると、考えてみなくたって、このトークライブはトークそのものより、トークをネタにいろいろな人たちが集まって愉快に飲んで酔えばよいというものだから、回を重ねるにしたがい、ふだんなかなか会えない人や初めてのひとたちと飲む楽しみが増える。みなさん、ありがとうございました。いつも凡庸なトークですみませんが、懲りずに、また来てください。

ちょうど、出がけに、ミーツリージョナル別冊『酒場の本』も届き、これを持って行くことができた。「エンテツのめし屋酒のススメ」で、おれは「メシの鬼」や「日本で一番精力的な65歳」にされているけど、このタイトル写真がいいねえ。カメラマンは、本野克佳さん。どうも、いい写真をありがとう。「環状線高架下酒場紀行」を書かれた大竹聡さんも昨夜参加いただき、スロコメのあと新宿ション横で遅くまで呑んで愉快だった。先日刊行したばかりの『今夜もイエーイ』(本の雑誌社)、村上春樹の近著よりゼッタイおもしろいハズ、好評発売中。

「太田和彦、江弘毅、遠藤哲夫、大竹聡ら豪華執筆陣にも注目の、今行ってみたい京阪神「もうここしかない」ええ酒場集」という『酒場の本』のもくじは、こちらから。関西以外のひとが見ても、読み物、グラフ誌として楽しい。…クリック地獄

きょう28日のスロコメは、きのう電話で話したのだが、中本昂佑さん(公開中の「USB」に声で出演)の二人芝居だそうだ。毎回人気のコンテンツ、おれはきょうは都合悪い、みなさんよろしく~。

スロコメ店長の須田泰成さんが、経堂に開店のカフェ「さばの湯」は、きのうがなんとかオープン。こちらも、よろしく~。須田さんの本業は、コメディライターあんどプロデューサーですからね、このカフェの名前からして、かなりコメディなものか?企画も盛りだくさん。サイトも、おもしろい。
http://sabanoyu.oyucafe.net/

泥酔論の様子や『酒場の本』の紹介などは、あとで書きます。昨夜は帰りついたのが午前2時近く、今朝は二日酔い気味だが、きょうは、チト忙しい。

当ブログ関連
2009/06/10「6月25日発売直前予告、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』。」…クリック地獄

Mesiyasake009

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2009/06/26

「日本で最も美しい村」が気になって。揚羽屋のオヤジの命日。

いちどにいろいろなことを進めていると、脳みそが勝手に、いろいろなところへとんでしまう。電話の話で聞いた、「日本で最も美しい村」連合のことが気になって、ネットで調べたら、これ、おれが1990年ごろ関係したプロジェクトの理念やらプランと、かなり近い。チョイと気になるし、おもしろそうだ。こういうことなら、「地産地消」も意味ありそうだし。ああ、むかし「景観行政」やらなんやらオベンキョウしたの、思い出すね。ほとんど忘れてしまって思い出せないけど。
http://www.utsukushii-mura.jp/

今日中に仕上げるといった原稿は、月曜朝まで繰り延べだな。どうせ、金曜日に仕上げても、月曜の午前中ぐらいまでは寝てしまうのだろうから、かまわないだろう。と、勝手に延ばすことに決めた。と、延ばしたところで、明日の泥酔論の準備とホンバンで飲んで泥酔し、なにも楽になるわけじゃないが。

コメント欄のイガラシさんの投稿で、カルチュラル・タイフーン5日の午後のプログラムだったセッションが朝イチの9時半からに変更になったと知った。でも、行くぜい。二日酔いでも、発表者じゃないから大丈夫、とにかく行く。

9時半から11時10分の214号室、「Youth subcultures, local identity, and jimoto tsunagari : suburbia at the moment サブカルチャー、地域意識、ジモトつながり 郊外の現在」でありますね。

2009/05/19「水族館劇場新作公演迫り、『Fishbone』の校正もバタバタ終わる。」に書いた、『柏という「場」  地域意識、サブカルチャー、公共性』の調査活動のみなさんの報告。この報告書もおもしろかったし、楽しみだ。いまとにかく、食堂も「場所」だし、「場所」がおもしろいのですね。府中方面のひと、場所が東京外大で近いのだから、朝早くても来てちょうだい。

この5日のあとは、あまり予定がなく飲み呆けるハズだったが、とんでもない。おもしろく気分よくはやれそうだけど体力と脳みそがヘトヘトになること間違いない、ハードでヘビーな夏になりそうな打ち合わせが入って、ほんと、こりゃ、生ビールをたくさん飲んで体力を整えておかなくてはいけませんて。

なんか、それが終わると、一緒に夏も終わってしまうという、もう「真夏の恋の夢」なんていうドラマのある夏なんか縁がないトシだけど、この仕事で夏が終わってしまうという見通しが、いまからたってしまうのも、いささかツマランようでもあり。ま、ドンドンやりましょう。「日本で一番精力的な65歳」ということでもあるし。おカネは、たくさんチョウダイね。

パソコンが挙動不審だ。画面が、トツゼン、真っ暗になったり。暑さのせい? 

それで、そんなわけで、この夏は小諸の揚羽屋さんへ行けそうにない。あゆの背ごし、食べたいけど、あそこでうまいのは、ほかにもたくさんあるし、きょうが命日のオヤジ、田村秀樹さんが自慢のソースカツ丼だって食べたいし。秋まで、がまんしよう。

オヤジの命日にあわせ、ザ大衆食のサイトの「揚羽屋」を、もう少し見やすく美しく整理しようとおもっていたのだが、それもしてない。…クリック地獄

とにかく、2005年6月26日に永眠された田村秀樹さんに、黙祷であります。

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2009/06/25

凡庸の美学。

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昨夜の深夜便では、おそまつな画像を掲載した、明後日のトークライブ「泥酔論」第5回「めし屋酒」の、プレゼンスライドのトップ、作り直しました。これでいきます。このあとは、まだ、まったくできてないけど、なんとかギリギリまで、あれこれの合間をぬって作るツモリ。

とにかく「めし屋酒」となれば、これはもう、「凡庸の美学」だ、「凡庸礼讃」であるね。

そもそも、なぜ「めし屋酒」にしたかというと、きょう発売予定のミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』に「エンテツのめし屋酒のススメ」で登場するからだ。この発売にあわせて、「めし屋酒」にしたんだった。

『酒場の本』、きょう、ちゃんと発売になっているのだろうか。ふだんなら、発売日前に、掲載見本誌が届くのだが、今回は、まだ届いてない。さきほど出かけたついでに、のぞいた本屋は『東京ひとりめし』は売っていたが、『酒場の本』はなかった。

それはともかく、この原稿依頼と一緒にメールで送られてきた企画書は明快で、ほぼ、おれは何を書けばよいか理解できた。おれは、スグ、「なぜめし屋で酒なのか」となれば、「凡庸礼讃」しかないとおもった。

酒場本や酒本のたぐいでは、「特別」「非凡」が礼讃されてきたし、だいたい、近代日本においては、何かにつけ「特別」「非凡」がもてはやされてきた。もてはやすことによって、もてはやしたものも「特別」「非凡」な仲間になれる。コリコウぶって、凡庸を見下し、いい気分になる。酒場本や酒本のたぐいには、「特別」「非凡」をたたえる、大げさな形容に満ちている。

だけどね、めし屋の酒は、そうはいかないのだ。だいたい、「エンテツのめし屋酒のススメ」にも書いたが、「たいがいのめし屋では、酒の銘柄が少ない。ふだんの普通にうまいおかずと普通の酒を楽しむ」のだな。これは、つきつめると「凡庸の美学」に、たどりつく。

そして、左サイドバーのアステア・エンテツ犬のところに「それゆけ30~50点人生。」を掲げるおれにとっては、まさにうってつけの、テーマというか切り口でもある。なにも、コリコウぶることはないんだよ。

じつは、『酒場の本』の取材しながらの打ち合わせでは、大阪・京都・神戸をわけずに、ひとつのエッセイ原稿にまとめる構成だったので、そのように頭の中で文章を描いていた。だけど、最終的に原稿にとりかかる直前、ラフレイアウトで詰める段階で、全体の構成上、大阪・京都・神戸を見開きごとにわけることになった。もちろん、一本に流して書き下ろすのと比べたら、やりにくいのだが、できないことではないから、そのようにした。それなりに、なんとかまとめたのだが、不足はいなめないし、語りつくしたという感じではない。

ま、そういうこともあって、明後日は、そこに書けなかったことも含め、めし屋酒の「凡庸の美学」を語りつくしたい。たぶん、3回目の「野暮」にも関連するだろうね。とりあえず、そういうこと。

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こんなことで大丈夫か。27日に迫った、泥酔論inスロコメ。

たいがいそういうものだが、あれこれあるときにかぎって、なにやかにや、ややこしいことが重なって、たいへんややこしいことになる。はやくサラリと解決するのでなく、ややこしくすることで、カネを稼いでいる連中もいるからな。

そんな中、スローコメディファクトリーでのトークライブ「泥酔論」の第5回が、今週土曜日、といったら、もう寝て起きたら(いま、24日の25時半すぎね、つまりヨツパライ深夜便です)明後日の27日ではないか。先日、店長の須田さんと相談し、テーマを「めし屋酒」にしようと決めたまま、なにも考えずにほったらかしだった。うーむ。

とりあえず、プレゼンのスライドを作らねばと、やりはじめてみたが、最初の1ページ目が、こんなぐあいになってしまった。エンテツ、コジャレ系に路線変更宣言。なーんて、ことがあるか。あるわけないよな。なんとかせねば。なんとかなるだろうか。なんとかならなくても、一緒に酒飲んで泥酔すればよいじゃないですか。みなさん、来てください。スライドも話題提供になるぐらいには、かっこうつけるツモリ。

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しかし、須田さんも、経堂店のプレオープンが27日で大忙しのようだが、大丈夫なのか? ま、たいがいのことは、なんとかなっていくものであるが。なんともならんのが、トシとオンナ?

4回目 スロコメ日記 2009/04/26(日) エンテツ泥酔論♪スナック論・大盛況でした!
●どなたでも参加できます。チャージなし。自分の飲み食い代のみ。初めての方、このスロコメ日記のカテゴリーに、スロコメ@下北沢アクセスがあります。

3回目 当ブログ 2009/03/22 盛況御礼、トークライブ泥酔論3回目「野暮」。

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2009/06/24

「どうしてこんなウソがまかり通るのでしょうか」って、ねえ。

「やりながら考える」ことは、よくあって、原稿を書きながら、企画の詰めの足りないところに気づく。自分の媒体の企画なら、書きながら自分で詰めてしまえばよいが、たいがいは、そうはいかない。編集者や関係者と、やりながら考え、やりながら相談し、やりながら詰める。詰めたところで、原稿を書き直したほうがいいこともある。そのばあいは書き直す。そのプロセスを、面倒くさがらずにやるかどうかで、かなりちがった結果になる。印刷された文章に残るのは、その結果にすぎない。おれにとっては、そのプロセスが他に替えがたいし、それは肉体のどこかに蓄積され、生かされるか忘れられるかして、肉体と共に滅びる。文章の「オリジナリティ」だの「個性」だのは、おれにとっては、そういうものだ。

そういうわけで、コツコツ素早く、やっているあいだに、アルシーヴ社の佐藤さんと電話で打ち合わせがあった。電話を切って、ちょろっと彼のブログ、「雑誌『談』編集長によるBlog」をのぞいたら、2009年06月18日「血液がドロドロ/サラサラ……、どうしてこんなウソがまかり通るのでしょうか。」に、こんなことが書いてあった。健康だの栄養だの食育だのには、このテの話が多すぎとおもうが、ほんとに「どうしてこんなウソがまかり通るのでしょうか」。…クリック地獄

東京大学生産技術研究所教授・渡辺正さんは言います。「酸性食品/アルカリ性食品というのがあるでしょう。この概念も用語も日本にしかないんです。科学的根拠はゼロ。そもそも大正時代に阪大の医学部の某教授が学会の口頭で行った発表で「うなぎに大根おろしをしこたま食わせたら血液が酸性に傾いてうなぎがおかしくなった」と言ったんですが、それが発端(笑)。だいだい血液のpHは7.40±0.02。7.20になったら昏睡状態になっちゃうくらいですから、食べもので体内のpHがかわるなんてことは絶対にありえないことなんです。なのに、そんな80年前の発表が生き続けているわけです。血液がドロドロ/サラサラは本当かって? そんなのあるわけないじゃないですか」どうも、わが国には、健康絡みのウソ、デタラメがまかり通っているようです。
(以下略)

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2009/06/23

不況と自炊。

Nomi162いくつかのことが、錯綜しつつ整理されつつ、乱れつつ編まれつつ、歓喜しつつ落胆しつつ、酔っぱらいつつ白けつつ、ウンコしつつめし食いつつ、アレしつつコレしつつ、しつつしつつと時間がすぎる。

先日、悪からずおもっているカワイイ女からメールがあって、こんなことが書いてあった。

> 「特に用事はないんだけどさ」と
> 電話をすることはあっても、
> メールだとそれがあまり起こらないのは、
> やっぱり一方通行だと分かっているのでしょうね。

なるほど、たしかに思い当たることがある。それはそうと、考えてみると、 「特に用事はないんだけどさ」と電話できるひと、とくに女となると、ほとんどいない。おたがい遠慮があるかも知れない、用事がない電話やメールを邪魔におもう余裕のなさもあるかも知れない、それも含めて邪魔におもわれたくないエゴもあるかも知れない、知れない知れないと時間がすぎる。

ほかにも、かなり親しいのに、まったくご無沙汰の女から、長文ファックスが入った。えーと、A4何枚かに、筆ペン書き。この女のファックスは、いつも爆笑的におもしろい。おもしろいというと怒られるかも知れないが、何かと身辺のゴタゴタを爆発させる。おそらくゴタゴタ続きで欲求不満状態に陥り、それを食べて解消するとなると、ただでさえ美麗豊満な肉体が、さらに美麗豊満度が増すから、おれにファックスで書き殴り欲求不満をおさめる。のではないかと推測する。そうか、彼女ですら、「特に用事はないんだけどさ」と電話をしてくることをしない。たぶん、おれが原稿書きなどといった辛気臭いことをやっている最中に、煩わせてはならないという優しいこころづかいがあるのだろう。ありがたいことだ。それでこそ友。と、こういうときは友を持ち上げておく。そして、おれはといえば、そのファックスに、返事すらしてない。そうして時間がすぎる。

こうやって書いておくと、このブログを見た、その女とかなり親しい男が、きっと彼女に伝えてくれるにちがいない。

きのうかな、案内のハガキが一通届いた。「オルタナ美術展ショーケース ――今可能な「美術」とは何だろう――」というものだ。みると、「同人参加」のところに言水ヘリオさんの名前があり、「一般参加」に太田尻家の太田尻智子さんの名前がある。6月25日、初日レセプションのDJにも、言水ヘリオさんの名前がある。これは、ゼヒ行きたいところだが、かなり難しい状態にある。

とりあえず、その主催団体らしい「オルタナ美術部」のサイトをみた。…クリック地獄
「「酒を呑む=美術」から考える*呑む事だけでなく」とある。おおっ、いいじゃないか。

「オルタナティブ」という概念は、興味がある。可能性をかんじる。それと無関係ではない、というより、おれはこれがキッカケでオルタナに興味をもった、カルチュラル・タイフーン2009年が近づいている。7月3、4、5日。5日の午後には「場所」に関係する報告があり、調査報告書もいただいているし、ぜひ参加したい。…クリック地獄

「まちづくり」と食とサブカルとアートは、いまや、かなり密接な関係になっている。食あるいは料理、これについては、いま、メディア的には、大きく三つのジャンルが中枢であるようだ。

サブカル的傾向、ここには食や料理を趣味嗜好で語る、ほとんどが含まれる。産業的傾向、つまり市場活動としての食や料理、ここには消費主義的傾向も含まれる。そして、生活実用、つまり、じゅうぶん自覚されてはいないが「生きること働くこと」の食と料理。この三者は、からみあいながらも、まったく交わることのない不幸もあった。それらについて、いま企画や原稿で考えることが多い。

しかし、おもしろいことに。この三つのジャンル、といえるかどうか、切り口にしては不足であり、「ジャンル」にしておくのだが、人的交流すら少なかった。だけど、ここのところ、すこし変化があるようだ。むふふ、おもわぬところで、いろいろつながりがあるものだ。きのうの「敵」は、きょうの「友」、あるいは、その逆も、か。なんにせよ、「仕事」や「趣味」という世間は、せまい。その、せまいなかで、ゆとりのない利権的競争は続く。

156だけど、「仕事」や「趣味」をこえて、もっと広い地平で食や料理も、「オルタナ」という概念の影響を受けていくだろう。いろいろ「枠組み」も変っていくだろう。

で、不況と自炊は、どうなったのだ。

こうしちゃいられない。

そうそう、今年になってから、たくさんの別れ話があったなあ。

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2009/06/21

素晴らしきこの世界。

え~ヨツバライ深夜便どす。


笑った顔から怒った顔へ 感情の津波が波止場をおそうよ
ノードラッグ ノーアルコールで爆発しよう ユメをみる前に現実をみよう
素晴らしきこの世界

オレはいつでも ムキムキムキムキになる
くだらないことでも ムキムキムキムキになる
どうでもいいことでも ムキムキムキムキになる
大事なことなおさら ムキムキムキムキムキ

僕の体にあふれるエネルギー あらゆる困難もぶちこわし進むよ
悟り顔の若年寄にケリを入れて バネをきかせて世界を変えるよ
素晴らしきこの世界


この歌は、やっぱ、あいつがいいな。
http://www.youtube.com/watch?v=-Jv5xaXU5qQ&feature=related

ノーアルコールで爆発しよう
酒を呑んだときのことだけじゃなくて
そりゃそりゃないでしょ
酔いからさめたらウソなんて
アっソウ
おまえはヨツパライか
アっソウ
あきられたらオシマイよ
あのこはいってしまう
「好き」なんて戯れ
麻っ生
もうたくさんだ
いいこができた
捨てられた
ウソをつくバカつかれるバカ
麻っ生


いい事ばかりはありゃしない
なにも変っていないことに気がついて
坂の途中で立ちどまる
かねが欲しくて働いて眠るだけ

ほら 坂の途中で立ち止まるな

素晴らしきこの世界
ユメをみる前に現実をみよう
ムキムキムキムキ

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2009/06/20

料理写真を見ているうちに、万盛庵へ行きたくなる。

Manse008先日の撮影の料理写真、サムネイルでプリントされたものが送られてきた。料理が16品に、それぞれの作り方のポイントカット、イメージカットやおれと瀬尾さんのカットなど、あわせるとけっこうな数になる。

料理のカットをじっと見て、原稿を書く。いや、まだ、ぜんぜん書いてない。浮かんでくる言葉を記憶にきざむ作業だ。

料理のカットをじっと見る。あまりにもうまそうで、ヨダレが出てくる。めしがくいたくなる、ビールがのみたくなる。なんとかしてくれ~。

と、脳が飛躍して、なぜか、故郷の大衆食堂的蕎麦屋、万盛庵を思い出した。万盛庵の夏の料理、といえば、六日町の夏の料理になる。ナス漬とカグラナンバンにひき肉をつめたやつだ。これを、きょねん、9月12日に万盛庵で食べた。もしかすると、高校卒業して上京した、1962年以来かも知れない。

Manse012ナス漬のナスは、すっかり忘れていて、万盛庵のエッちゃんに言われて思い出した。首都圏のスーパーなどでは見ることもない、丸い、そしてかたくて漬物にでもするしかないやつだ。なんていうのかな、皮のかたさが実の半分ぐらいありそうな。庖丁で切ると、鉄の味や臭い?がうつってしまう。だから、手でちぎって食べる。「ほら、こうやってちぎってくうが、忘れたが」とエッちゃんが言いながらちぎってくれた。このかたいナスが、漬物にするとうまい。

カグラナンバンは、それ自身に辛味があるから、これにひき肉をつめ、たしか軽く炒め、みそ味で煮るのだったとおもう。(万盛庵のは、チョイとしゃれた作りで、どう作るのか、特製のソースをかけて食べるようになっていたようだ)

これらと、ナスの油炒めがあれば、完璧なる六日町の夏の味覚だ。めしが何杯でも、食べられる。その画像があったので掲載する。

Manse007南魚沼市の六日町は、今年は大河ドラマの「天地人」で盛り上がっているようだ。すでに、きょねんの、この日の万盛庵店頭の写真にも、その主人公である直江兼継の名と「愛」のシンボルマークが入った旗が立っている。

六日町駅の正面には、上杉景勝と直江兼継が幼少のころをすごしたという、標高600数十メートルの坂戸山の城址がある。頂上や山腹に山城のあとがある。おれがガキのころは、この山は遊び場で、城址の石垣は誰にも見向きもされず、崩れるままに、やぶのなかに埋もれていた。上杉景勝と直江兼継の生誕の地の碑があったが、誰のことか知らなかった。そのあたりで小学校高学年のころはチャンバラごっこしたり、春にはアケビやワラビをとったり、秋には山ブドウをとったりした。残雪のころに、子うさぎを捕まえたこともある。中学生では、女子と、デートでもないが山すそを散歩した。

高校山岳部に入ったら、ここがトレーニングの場所になった。血反吐を吐きそうな激しい訓練で始まった。岩登りの練習に、ほどよい岩場があって、土曜日の午後は、そこにはりついていることが多かった。その岩で、練習中、ケンちゃんが転落したときのことや、高校3年最後の雪中登山のことは、以前にザ大衆食に書いた。これを書いた日付は、2001年12月1日になっている。上杉景勝や直江兼継のことは思い出すこともなく、ふれてない。こちら…クリック地獄

Manse003駅正面のまっすぐの道を2、3分歩き、この坂戸山を仰ぐ交差点を左へまがると、3軒ほど先の右側に、いつも泊まる、わび簡素な「ホテル宮又」がある。ああ、宮又の飾り気のない湯治場のような風呂場の、湯量たっぷりのかけ流し温泉、いいなあ。入りたい。ニタリばあさん、元気にしているだろうか。

その並びの先に、万盛庵がある。12日の夜は、いつものように、万盛庵で泥酔し、宮又に泊まった。それ以来、なかなか行けないでいる。

ナス漬とカグラナンバンがくえるうちに行きたいものだ。

この坂戸山、時代劇ファンの方はもちろん、登山愛好家であってもなくても、ぜひ一度は登ることをオススメしたい。いわゆる一等三角点で、360度の視界、眺望絶佳。魚沼三山から上越国境谷川連峰の山々がみわたせる。秋には、コシヒカリの田んぼが、黄金色のじゅうたんのように足元にひろがる。下山したあとの、万盛庵での生ビールと、温泉が、これまたよいのです。ああ、行きたい、行きたい。

万盛庵のマンちゃんのブログ「万盛庵通信」
http://mansean.exblog.jp/

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2009/06/19

いま、こんなおもしろい本を贈られたら困るじゃないですか大竹聡さん『今夜もイエーイ』。

Ootake_book001きのうのエントリー「アレコレあるなか27日のトークライブ「泥酔論」は「めし屋酒」に決まる」に、「えーと、あと、大竹聡さんの本『今夜もイエーイ』(本の雑誌社)が、そろそろ店頭に並んでいるころだと思います。大いに、よろしく~」と書いたら、きょう、その本が届いて、おどろいた。

手にして、パラッと開いたところが、「都会派Sさんは豊かな自然が大嫌い」だ。読み出したら、おもしろくてとまらない。いま、おれは忙しいんだからな、うん、こんな本を読んでいるばあいじゃねえぞと思いながら、最初の章「酒は旅づれ」の「かくも暑き伊東の二月」をひらく。一行目、「移動はローカル線で泊まりは民宿、温泉もあるでよ」に目がいったら、もうやめることができない。

それにしても、ネタがバカげておもしろいだけじゃなく、文章の技巧がね、うまいのですよ。前にも書いたかも知れないけど、うまい噺家の語りを聞くようであります。

「1章 酒は旅づれ」「2章 それでもオレは飲みに行く」は、これまで雑誌などに書いたものを収録。いまじゃ入手不可能の、『雲のうえ』創刊号の「角打ち特集」で、北九州市の角打ちをルポした貴重な文章もある。「3章 二日酔いライターの午前二時」は、書き下ろし。

ま、とにかく、書店で手にとってごらん。あっという間に立ち読みできてしまうおもしろさでしょう。いや、いや、買いたくなるでしょうよ。

読めば、たぶん、ああ、酒って、酒の出会いって、いいものだな~。と、平凡な言葉をかみしめ、酒のある平凡な男の人生(大竹さんもおれも、たいがいの男の人生ね)が、きよくおもえるにちがいない。

強いていえば、これは、「男の酒友讃歌の本」といえそうだ。そういう本としては、これまでないものだとおもう。まだ、全部読んでないのだが、ほんと、酒好きの男って、バカでどうしようもなくいいなあと、シミジミおもうのだった。

男たち! この本を読んで、もっと酒のある人生を楽しもうじゃないか。酒が友ってのはいいよ。うん。酒は、おれを裏切らない。

本の雑誌社。1600円+税。

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太宰治と長い別れをした一昨年だったなあ。そして去年の「甘口辛口」を掲載。

Sazai205なにかと考えなくてはならないことが多い。瀬尾さんと電話で話したら、先日の料理撮影は、ほかのスタッフもみな、慣れているとはいえ、新しい連載の最初の撮影なので、かなり疲れたようだ。ま、新しい連載ということもあるし、テーマがチョイとおもしろいのだが、ナマからイメージをつくりあげなくてはならない。それぞれが自分の持ち場をこなしながら考え手探り状態で協働しなくてはならない面もあって、少なからず緊張していたようだ。おれのばあい、まだ、文章を書きあげるまで、手探り状態が続く。ああ、孤独な作業だねえ。書く作業は、孤独なのよ。

だけど、おれのばあい、「孤独」とはいえないな。「単独作業」というべきか。登山なら「単独行」だな。加藤文太郎さんのように、「孤高の人」じゃないけど、「単独行」が好きだ。

孤独と単独のちがい。大野晋さんが、むかしの本『日本語の年輪』で、「孤独だとは、人々との間の繋がりがみな切れていて、どこかでその繋がりを求めている状態である。単独とは、一人でいて、ほかの人を心で求めないでいられる状態をいう。「さびしい」とは孤独だということで、奈良時代には「さぶし」といった」と書いている。

そういうことなら、おれは「ほかの人を心で求めないでいられる状態」にある。ただし、「心で求めないでいられる」が「肉体で繋がりを求めている」のだ。ってのは、うそうそ。

こうやって、あらぬことを書きながら、じつは深いことを考えているのであります。

考え考えしているうちに、去年の8月に短期連載の、新潟日報「甘口辛口」コラムの全文を、ザ大衆食のサイトに掲載した。考え出すとアレコレやりたくなっちゃうのだな。こちら、ご覧ください。…クリック地獄

関係ないが、きのう大谷さんと電話で生誕100年の松本清張と太宰治のことを話していて、おととしの夏を思い出した。その夏のひと月ぐらいのうちに、松本清張の生誕の地である北九州と、青森は金木の太宰治生誕の地と生家を訪問した。そして、とくべつ親しかったわけではないが、太宰治と「ロング・グッドバイ」したのだった。

Dazai215うちにはテレビがないので知らんかったが、テレビでは盛んに太宰の人物像の「見直し」みたいなこともやられているらしい。なんだか、受けネライな「俗物的」解釈が流布されている感じがした。もっとも太宰は、俗物が似合っている。だいたい作品を論じるならともかく、遠いむかしに死んだ作家の人物像を探ったところで、それぞれの都合のよい想像でしかないだろう。ま、太宰も、その自殺も、いまでは商品価値でしかない。

おれは太宰治についちゃ、なんの幻想も持っていなかったが、それでも生家を見て、ああ、もう、こりゃさっさと「アバヨ」したのだった。

そのことは、2007/09/11「グッドバイ 太宰治」に書いた。おれが現場で感じたことで、べつに、太宰崇拝者と論争なんかする気はないが。人物なら、松本清張のほうが、はるかに魅力的だ。だいたい、太宰は、不細工野暮な松本清張やおれとは反対で、色白インテリイケメン系だし、ずいぶんカッコウを気にするコジャレ野郎だってのが気にくわない。

Dazai212と、こんな与太をいいながら、深いことを考えているのだった。

ついでに、フロクとして、太宰の生家のなかの画像を掲載する。怒りで、手がふるえまくり、みな手ブレしてらあ。ってのは、もちんウソで、単に酔っていただけか。まったく、すごいオボッチャマだよ、こいつは。

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2009/06/18

アレコレあるなか27日のトークライブ「泥酔論」は「めし屋酒」に決まる。

Simizu065えーと、何から書くか。いろいろあって、あれこれアチコチに電話しているうちに、あわてまちがえ、『雲のうえ』の大谷さんの携帯に電話するという失礼までして、ひさしぶりに声を聞いたうれしさで、そのまま話させてもらった。

年に2回の発行になった『雲のうえ』の次号11号は、来月発行だそうだ。特集は、北九州市出身の作家で、生誕100年の「松本清張」ですよ。『雲のうえ』が、松本清張を、どう料理するか、大いに楽しみ。みなさんも、お見逃しなきよう。

『雲のうえ』の申し込みはこちら…クリック地獄

で、この間バタバタしているあいだに、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』が校了になったメールが入っていた。いよいよ来週25日発売。前にも書いたが、これまでにない酒場本になるだろう。担当編集の溝口さんも、「内容的には、今までにない店の本になったと思います。取材のアポ取りで直接伺ったり、ファックスのないところが多く、校正を郵送したり…というようなお店ばかりです。家族経営のお店が多いので……マネージャーとかカタカナ肩書きの人がいませんからね」などと申している。これも、大いに楽しみ。

まだまだほかにも大いに楽しみがある。これは初めての告知になると思うが、まいど「泥酔論」トークライブでお世話になっている、下北沢のスローコメディファクトリーの店長、須田泰成さんが、経堂にも出店するのだ。よくやるねえ。さきほど電話で話したところでは、今月末には営業が始められるようだ。その名も、お湯カフェ「さばの湯」。銭湯じゃないですよ。

詳しくは、こちら須田さんのブログをごらんください。…クリック地獄

須田さん、コメディ・ライターあんどプロデューサー稼業もやりながら、どこまでやるのか。みなさん応援よろしくお願いしますよ。ファンキーあんどパンクに、大いにチャレンジしようじゃありませんか。大いに、大いに。

さてそれで、27日のスロコメ@下北沢におけるトークライブ「泥酔論」5回目のお題は、さきほど須田さんと打ち合わせて、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』の発行にあわせ、「めし屋酒」に決定した。またまた画像をふんだんに使ったスライドを準備し、『酒場の本』に書いた「エンテツのめし屋酒のススメ」、これはお店のルポというより、「めし屋酒のココロ」を「吟じた」ものなのだけど、さらにそのココロを深く深く泥酔してみたい。また、7月末スタート予定の、瀬尾幸子さんとの新しい連載の予告編も、ごらんいただけると思います。

どなたでも参加いただけます。チャージなし。自分で飲み食いしただけ。トークは1時間ぐらいで終わり、あとは自然に懇親飲み会になる。大いに、大いに、よろしくお願い申す。詳しくは「スロコメ日記」…クリック地獄

えーと、あと、大竹聡さんの本『今夜もイエーイ』(本の雑誌社)が、そろそろ店頭に並んでいるころだと思います。大いに、よろしく~。

Meiji131いろいろあって、深刻な話もあるけど、とりあえず、そういうこと。画像は、『酒場の本』の取材のときのもの。

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2009/06/16

姿をあらわす新企画、「せおめし」16品の撮影のち泥酔、朝帰り。

Seo005いま午前9時。さきほど帰宅したくばかり。

きのうは、11時に瀬尾幸子さん宅集合で、料理の撮影。

2009/05/30「祝『四月と十月』20号10周年。神田神保町で泥酔『せおつまみ』。」に書いたように、瀬尾さんの料理+おれの文章という連載が始まる。その一回目の2カ月分16品の撮影。瀬尾さん宅までは、乗り継ぎやなんだかんだで1時間45分ぐらいかかる。朝9時すぎ、前夜の水族館劇場総打ち上げの酒が、デレッと肉体に宿っている感じのままウチを出た。

Seo013撮影は、おつまみ横丁以来の鵜澤昭彦さん、スタイリングもおなじく松下久子さん、編集は佐々木香織さん。快調な売れ行きの瀬尾本の制作を支える強力メンバー。いずれも、一緒に酒は飲んだことあるが、瀬尾さんも含め、一緒に仕事をするのは初めてだ。

出版社と編集さん、それから媒体については、もう少し進行し、全体の構成が決まった段階で、明らかにします。

11時過ぎに、スタート。もう休むまもなく、まさに「怒涛」の撮影だった。あとで、考えたら、ほかの撮影なら「お昼休み」などで、休憩があるが、この撮影は、できた料理を食べながら進行だから、まとまった「休憩」というのがない。スタートからノンストップなのだ。

Seo009おれは、食べて原稿を書くのが仕事だから、どんどん食べる。ついでに、ビールもポン酒もテキーラも飲んだけど。ほかのみなさんは、合間にチョコチョコ食べるだけ。立ちっぱなし。なかでも瀬尾さんは、味見ていどは口にするけど、つぎから次へと作り続けなので、ゆっくり食べる間もないし、あとから聞くと、やはり慣れているとはいえ、それなりに緊張するから、食べる気がおきないらしい。

ま、それで、16品目が終わり、瀬尾さんとおれの撮影も含め全部終わったのが19時ごろ。おれも最後の数品目は、食べきれないほど疲れていたが、みなさん緊張感が切れることなく、いい仕事ができた手ごたえ十分だった。

瀬尾さんとおれは、そのあと中野へ。銭湯に入り、のち男子1名と女子3名と合流。駒八で飲む。生ビール乾杯のうめぇこと。瀬尾さんは銭湯で体重を量ったら、減っていたそうだ。「疲れた」と言っていたが、けっきょく24時ごろまで飲む。中野駅で解散。

おれは男子1の中野宅へ。まだ飲むってことで、コンビニでビールを買う。2人とも半分眠りながら、ビールのあとウイスキーを飲み、モーローとしながら深刻性オシャベリをしたり、寝たりおきたり、飲んでいるうちに、寝る。

朝7時ごろ目が覚め、帰る。とりあえず、そういうこと。まいどのことながら、ライター仕事は、撮影のあとがホンバンなのだな。

Seo012

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2009/06/15

駒込大観音、水族館劇場からほうずき市。盛夏へ。

Komagome_008

Suizokukan001きのう、水族館劇場の総打ち上げ。小屋の取り壊しは、あと少しを残すばかり。16時半ごろから21時ごろまで。劇団員、応援の地元のみなさん、もちろんご住職も、それから応援の友人知人。語り、かつ、飲み、飲み、かつ、語る。きょうの午前から大事な仕事があるので、21時のお開きで、それ以上は飲まずに帰る。それでも、いま、朝だが、酒が肉体に若干のこっている。

ことしの水族館劇場は、入場者数の記録をぬりかえた。とくに最後の3日間は、超満員だったそうだ。そして、もう来年の、この場所での公演に向かって、動き出そうとしていた。

駒込大観音は、恒例の夏の風物詩、ほうずき市を迎える。7月9日(木)10日(金)。

Komagome_009

とりあえず、そういうこと。忙しい日が続く。

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2009/06/12

新宿でポルトガル帰りのワルと飲み、おたがいもの忘れのひどさをおもう。

やつが、いつポルトガルへ行ったか、このブログを検索したら、2006/06/09「中野でポルトガル送り、カルチュラル・タイフーンのこと」があった。そのころ行ったのだ。

そいつが帰って来て、帰ってきたら、女と会うほうが優先で、おれは後回しになり、きのうやっと会えて飲んだ。ま、「やっと会えて」というほど、帰りを待ち焦がれていたわけじゃないが。

きのう、ひさしぶりに、新宿の池林房系の犀門で会うことにした。18時半待ち合わせ。ボス、まりりん、やつ、おれ。

やつは、おれより二つばかり年上だが、見た目はやけに老け込んで、だけどヨボヨボな老け込みではなく、ようするに眉が白髪になったり、肉がおちたりということだが。やくざもんらしい老け込み方で、しかも頭を短く刈ったから、まさに、老けたワルな地回りやくざそのものな感じになっていた。

あれこれ話しているうちに、おれもポルトガルへ行く気になり、やめてしまったときのことになった。あれは一昨年の秋のことだった。あのときは、ほんとに行く気になり、先に行くまりりんとそんな話もしていたのだが、ドタキャンという感じで行くのをやめた。あれは、おめえ、どうしたことなんだ、なんでやめたのだという話になった。

いや、それは、カミさんはOKだったのに、どうしても行かないでという女がいたもので…。といっても、誰も本気にしない。ま、そりゃ、そうだ。しかし、あのとき行っていたら、ほんとに帰ってこないで長い滞在になるか、そのままアフリカへ渡ってしまいそうな話を聞かされ、いやあ、どうなっていたかわからんな、行かなくてよかったのかもと笑った。

生ビール飲んで、赤ワインをボトルでとって空け、んじゃ二軒目ということで出る。おれは「猫ちゃん」に行くのがよいかなと思っていたが、やつが犀門が入っているビルの向かい側の路地に、むかし通っていたジャズ・バーが、まだ健在なのを発見。そこにする。「猫ちゃん」のように年代もののバーだが、「猫ちゃん」よりコキタナイ大衆食堂のような感じだ。この店を知らなかったのはフシギだ。むかしのジャズをアナログ盤で聴かせてくれる。そのアナログな音が合う空間。

あとから来た客が、ドリス・デイをリクエスト。それを聴いて、みな知っているスタンダードで、やつとおれは題名を思い出そうとするのだが、「ほら、あれ」と言いあうだけで、なかなか思いだせない。むかし、最初に飲んだバーボンの話になるのだが、ブランドを思い出せない。しだいに、若かりしころの話になるのだが、ひとの名前が、なかなか思い出せない。「ほら、あいつ」とか、それでもおれとやつは通じるのだが。ボスとまりりんには、さっぱりわからん話を、とりとめなくやる。

新宿、23時発の湘南新宿ライナーに乗れて帰る。

東大宮の駅から歩いているうちに、思い出せなかった、むかし、やつとおれがよく利用した、歌舞伎町でイチバン「高級」といわれていたクラブのチーママをやっていた女の名前、思い出したぞ。ユミさん、だよ。

とにかく最後は、おたがいに「あれ」「あれ」「うーん、思い出せない」と、もの忘れのひどさに、酔いを深めた夜だった。

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2009/06/11

資料の整理がつかず、もつれた糸のなかにいるようだ。おれの人生は、そんなものかも知れない。

Syokudo_syasin004このあいだ、新しい企画の打ち合わせで、食堂の写真を印刷する必要があった。ところが、やり始めたら、選ぶだけでも大変だった。約50枚ほど選ぶのに、ずいぶん時間がかかり、たぶんストックの1割ていどぐらいの中から選んで済ましてしまった。

それで気になっていたのだが、また別の必要があって、おなじような作業を繰り返すことになっている。おれは、イイカゲンな人間だけど、イチオウ、こんな食堂の写真を探しているんだけどないかしらといわれると、引き受けた以上は、手持ちの中からイチバン適切なものを選んで渡したいとおもう。

だけど、データベースが整理されてない。そもそも、なんについても、蒐集癖がないうえ、自分の過去や実績データを商品にする気がない。飲んで食って、オシマイなのだ。

ま、それで、どこで飛躍したのか、トツゼン、もう少し「ザ大衆食」のサイトを整理しようと思い立ち、手をつけてしまった。そのクリック地獄が、いくらなんでもひどすぎる。

忙しいときにかぎって、そのように道をはずしやすい。これまでも、そうやって道をはずしてきた。キミのゆく道は、はてしなく続くわけでもなく、遠いわけでもない。はずれて、こんがらがっているだけである。ま、嫌いじゃないが。

いくつか整理したのだが、ザ大衆食のトップの表現を少しいじった。カテゴリーのはっきりしているものを一まとめにして、カテゴリーのトップをつくり、そこにリンクをまとめることもした。その一つは、「四月と十月」関係だ。

これは、まだ混乱はなくまとめやすいうえ、まだ掲載してない食堂も多いし、これから増える可能性があるから、トップをつくっておくと少しはプラスになるだろう。こんなぐあい。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/wa/4_10_top.htm

先日、2009/05/30「祝『四月と十月』20号10周年。神田神保町で泥酔『せおつまみ』。」に書いたが、「四月と十月」の最新号は20号で10周年。その10年をふりかえっている記事の、19号のところに、こんなことが書かれている。

「「理解フノー」連載開始。古墳部活動中、夕食の席で、遠藤哲夫さんの生き方自体が芸術ではないかという話題になった。その場で原稿依頼、快諾をいただいた。」

いつだったか、飲んでいる最中に、トツゼン連載の話になったのは覚えているが、おれの生き方自体が芸術なんて話をしていたなんて、知らなかった、まったく記憶になかった。

はあ~。

そういえば、何人かのひとに、おれの存在そのものがコメディだといわれたこともあったな。

はあ~。

いけねえ、ためいきついているばあいじゃない、時間がない。

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2009/06/10

6月25日発売直前予告、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』。

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校了間近「ただいま怒濤の校正まっただ中でございます」というメールと共に、表紙とイントロの一部のPDF版が届いた。好調快調の4月3日発売『東京ひとりめし』に続き、「エンテツのめし屋酒のススメ」で6ページにわたって登場の『酒場の本』、これで税込み700円とは安い。どーか、よろしくお願いします。大竹聡さんも、『東京ひとりめし』に続き登場です。

Meets_sakaba002

いつも、なにかやってくれる、ミーツ・ドキュメンタリー。イントロの一部を読んでもらえばおわかりいただけるだろう、ミーツならではの「いま」の街場の酒をとらえた、これまでにない切り口が楽しい酒場本。おれは、大阪、神戸、京都のめし屋で飲みながら、「めし屋酒のココロ」を書いている。関西人ならずとも手にしてほしい1冊。

関連。
2009/05/31
よくがんばった2週間、「日本で一番精力的な65歳」?
2009/05/16
大阪、神戸、京都、三都めし酒物語。

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2009/06/08

おやじとおやじめしに関する復習あるいは詮索。

Narikin011おれは、「おやじ」だし、大衆食堂のめしといえば、その客の姿からして「おやじめし」以外の何者でもない。ごく自然に、おやじでありおやじめしを食べている。でも、ちかごろ、ワザワザ、おやじとおやじめしを意識している。

そもそも、世間的に「おやじ」が意識されはじめたのは、いつごろ、なにゆえだったのか。体験的にふりかえってみると、「ギャル」の出現によって、おやじが相対的に識別されたのが始まりではなかったかとおもわれる。70年代後半ごろから、あらわになり、雑誌「Hanako」の出現もあって、ギャルは頂点にむかう。

それまで、「亭主族」だのなんだのといわれていた、とくに既婚男性は、ギャルと相容れない感性の男子種族として、「オヤジ」という蔑称をあたえられ、軽蔑の対象となった。つまりギャルがもてはやされ、オヤジは揶揄の対象になった。オヤジを揶揄することで、どんな女でもギャルとして、えらそうにできた。ただし、えらそうにできたのは、カネをつかうギャルだけである。

その背景には、消費主義の台頭があった。ファッションなど消費性向の強いギャルがもてはやされ、小遣いに制限があり消費に限界のあるオヤジは相手にされない。という、相対関係のもとで、「オヤジ」は浮上した。ギャルが、この世の春を謳歌し、「おやじ」はカタカナで「オヤジ」と表記される蔑称をいただき、しかし、経済や政治の実権をにぎり続けた。たくみにギャルを利用し、儲けていたのである。

80年代後半、バブルの時期、「フラメシ」や「イタメシ」が流行する。それを支え、あるいは牽引したのも、ギャルだ。このばあい「メシ」というが、「コメのめし」ではない。ここでも、ギャルが好む「イタメシ」「フラメシ」が、おやじが好む「コメのめし」に対して、蔑視や無視をあたえつつ相対的に識別され、優位を占めていった。

それは、おやじは「コメのめし」をくう存在であることを、より鮮明にした。しかし、ギャルを「イタメシ」「フラメシ」に連れて行っておごり、ギャルの歓心を買うべくつとめていたのも、おやじである。昼飯も夕飯もおやじのおごりですごし貯金を増やすギャルは、珍しい存在ではなかった。ギャルは、消費主義の「広告塔」であったともいえる。

かくて、激しい地上げもあって、表面上は、おやじめしの担い手だった大衆食堂は、後退する。

ギャル×オヤジの構図は、90年ごろ変化する。先年若くして亡くなった、中尊寺ゆつこの漫画をもって語られる「オヤジギャル」の出現だ。

はなしを簡単にするために、焦点を「めし」にしぼるが、オヤジギャルは、おやじワールドだった立ち食いや赤ちょうちんや競馬やゴルフなどに進出するが、おやじめしに進出することは少なかった。いまもって、女子の姿は増えているとはいえ、大衆食堂はおやじワールドだ。

ってことで、はて、何を書こうとしたのか、はなしの行方がわからなくなった。

とにかく、おやじは「コメのめし」をくう動物であることが、ギャルの出現によって相対的に強く認識されて以来、おやじめしが表舞台で騒がれることは、あまりなかったのだが、ちかごろ、少し、変化を感じる。

じつは「コメのめし」が好き、一日に一度はコメのめしをガツンと食べたいという女子も、昔からいるのであり、彼女らが表舞台をにぎわしつつあるらしい。というより、女子の進出が、おやじめしにまで及びつつあるというべきか。豚肉しょうが焼きなんぞで、どんぶりめしをワッシワッシ食べる女子も、大衆食堂でみかけるようになった。

おやじめしは、労働と共にあるめしという面を強くもっていたのだから、労働の場に進出した女子が、おやじめしをかっくらうようになったとしても、不思議ではない。全体的な傾向とはいえないが、フェミニズムなどの影響もあり、働くこともめし食うことも「おやじと対等」という意識も感じられる。

Oyajigal001いつだったか、ある編集女子から、『ビッグコミック オリジナル』の安部夜郎作の「深夜食堂」の話をきき、たまたま機会があって3月20日号を買ってみた。「第48夜 缶詰」。ここで描かれている食堂は、その缶詰料理のめしも含め、おやじめしワールドだ。それを女子が好んで食べている。ワッシワッシ食べる雰囲気とはちがうが、コメのめしをうまそうに食べている。そこには「缶詰なんて」という差別的な意識はなく、「うまいものはうまい」とするめしの食べ方が息づいている。もちろん、中尊寺ゆつこさんが描いた、消費性向の強いオヤジギャルやオヤジとはちがう、めしの世界だ。

で、あらためて考えるのだが、おやじは、どんなコメのめしを好んできたか、ということなのだ。そのばあい、「どんなコメのめし」というのは、主に「おかず」で決まる。たしかに、丼物のような、汁かけめしが好きだということもあるが、どんぶりの上にかけるもの、のせるものを「おかず」と考えれば、どんなめしかは「おかず」で決まる。

Narikin008まず浮かぶのが、脂っこいものが好きだ。ということだろう。ほかには? コメのめしをうまく食べることについては、おやじは、なにかしら一言、もっているのではないだろうか。それは、「サケの皮」をカリッと焼いたのさえあればよい、というような「哲学」レベルのことも含め。

そんなことを考えているのだった。

ところで、昔の「オヤジギャル」は、いまは「何に」なっているのだろう。

ご参考。
大手小町「昔、オヤジギャルだった皆さん! 」
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/1227/161981.htm

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2009/06/07

スロコメ@下北沢となりのカレー屋さん「般°若(パンニャ)」の看板。

Panya001スローコメディファクトリーの隣には、スロコメ日記でも紹介されているけど、松尾貴史さんのカレー屋さんがある。「この店の看板、大野さんの鎚絵でつくることになったという話を聞いていたのだが」と、2009/03/12「取材とはいえ午後2時から飲み続け、泥酔ヨレヨレ。」に書いた。

そのあと4月の下旬、泥酔論のトークライブをやる日にスロコメへ行ったとき、看板を撮影したのを思い出した。思い出したのは、大野さんの最新のブログを見てのことだ。大野さんのブログ、匿名なので、リンクしてよいかどうかわからない。とにかく画像をアップ。

この看板、どっしりした鉄製だ。北九州市に本社がある、鎚絵が制作。鎚絵の技術力というかアート力というかは高い評価を得ている。東京の責任者の大野さんは去る4月、「SENSEWARE」に同行しミラノサローネにも行ってきた。

カレーもよい、看板もよい、「般°若(パンニャ)」。だけど、それだけじゃ、店は成り立たない。みなさん、よろしく~。とにかく、食べてみてよ。

「般°若(パンニャ)」のサイト。
http://www.pannya.jp/

東京ウォーカーの最速レポ。「下北沢に誕生!松尾貴史のカレー店「般°若(パンニャ)」」
http://news.walkerplus.com/2009/0308/5/

関心空間の「般°若(パンニャ)」
http://www.kanshin.com/keyword/1754320

Panya002

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眠れない夜に夢から締め切りに気づき、書評のメルマガの原稿を書く。

いつもすぐ寝付くのだが、こんなことはめずらしい。なんだか、「USB」後遺症か、酒を呑んでから前のエントリーを日が変わるギリギリに書き、床に入ってもなかなか寝付けず、夢は「USB」を駆けめぐる、ってことじゃないが、うとうとまどろみながらおかしな夢ばかりみた。たくさんの夢を見たようだ。

夢の中で、おれが呑もうと誘ったとき「妊娠しているからだめ」と断った女が、おれが入った呑み屋で、若い男と楽しそうに酒を呑んでいた。この女は、あるライターに似ていた。若い男は、どこかで見たことがある顔だが思い出せない。おれがそのテーブルに近寄ろうとすると、へんな仙人のようなヒゲをはやした白い服の、知っている男のようだが、顔が思い出せない男があらわれ、その女に、締め切りの原稿はどうなったと怒鳴る。女が、だから妊娠中だからだめなの、とか言っている。おれは女といた若い男に、おまえは妊娠しているのかときくと、トツゼンその若い男は、女とバックでやり始める。その女の顔は、別の女に変っていて、それは「USB」にあったような場面のような気がする。そのバックでやっている二人に向かって、仙人のような男が、締め切りの原稿はどうなった、約束を守れと、また怒鳴っている。

なにせ夢のことなので、はっきりしないが、そんなことがまどろみの中で続いて、どこからか、「書評のメルマガ」の締め切りだぞという声が聞こえたような気がして、床から抜け出して、パソコンのメールを開き、編集のナンダロウアヤシゲこと河上進さんからのメールを見ると、「早い号 6月5日(金)遅い号 6月10日(水)」とある。このへんで、クッキリ目が覚めた。おれの締め切りは、早い号で5日のはずなのだ。

現在の編集体制の「書評のメルマガ」は今年で、終わる。あと、この号を含めても4回なので、今回は、どうしても紹介したい、本ではなくWEBサイトの「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」に決めてあったし、ときどき見ているサイトだ。どんなふうに書こうか考えてもあったので、すぐ取りかかれた。

そういうことで、なんだか、へんな夢を見たあとの「書評のメルマガ」の原稿、発行は中旬ごろになると思うけど、タイトルは「こういう仕事を大切にしたい。」で、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」なのです。すごいですよ、このWEBサイトは。こちら。ブログも、おもしろい。
http://www.zukan-bouz.com/

あーあ、まもなく朝の9時だけど、なんだか眠い。でも、原稿があまり遅れなくてよかった。

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2009/06/06

発酵が足りない。

渋谷シネマライズ、10時50分からの「USB」を観た。もともと前売りを買っておいたのだが、招待をいただいたので甘えさせてもらった。

招待をくださったかたには申し訳ないが、おれは、あまり上品な社交術を持ち合わせていないので、ストレートな表現になってしまうのだが、一言でいえば、水で薄めた酒より呑めない、発酵の悪い酒のようだった。

思いがけなく、ナオコさんもいらしていて、座席指定も並んで観た。終わったあと、そのような感想を話し合った。

もしかすると、奥秀太郎監督の「意識」が先走りすぎて、脚本レベルでの発酵が足りなかったような気がする。そういう詮索を招いちゃうこと自体、映画としてはマズイのだろうな。舞台挨拶で、監督の話もあったが、じつにむなしかった。

とりあえず、きょうのところは、これだけ書いて、おしまい。たぶん、気分が静まってから、書き足すかも知れない。

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2009/06/05

再び水族館劇場。堪能。もう一度観たい。来週月曜日まで。

2009/06/01「水族館劇場「メランコリア 死の舞踏」明日2日から最終週。何処へ向かうか飛行船。」に書いた水族館劇場を、きのうもう一度観にいった。

Suizokukan001_2きょねんもそうだったが、一度目が悪いというわけじゃないが、二度目のほうがグーンとブラシアップされている。今回は、このあいだの日曜日に観たときより、シーンが増えたり、順番が入れ替わったり、セリフも増えたりカットされたりで、なんてのかな贅肉を落とし、ぎゅっと凝縮された感じになっていた。

初日に観たという古書ほうろうの宮地さんと、終演のあとの打ち上げのとき話したのだが、ほんと、わかりにくかったところが整理されて、まるで違う芝居のようなできあがりだった。新聞でも紹介され、小屋の外にコピーがはってあった。

脚本・演出の桃山邑さんはじめ、俳優さんたちも、自信に輝いて勢いがあった。桃山さんは、さらにもう1シーンぐらい増やし調整するようなことをいっていた。まさに「歩きながら考え、やりながら直して、よくしていく」という感じだが、それが短時間のあいだにできるというのが素晴らしい。来週月曜日まで、きょうを含めて、あと4日になった。一年に一度、駒込大観音に出現する芝居小屋の「場所の力」にふれるのは、いいことだろう。どうかお見逃しなきよう。

Suizokukan003うそとまことをいったりきたりの、あやふやな人間の世の中だからこそ、「永遠」を求める。そして共に生きようとするするところに「永遠」は存在する。きょねんから続くテーマというかメッセージだ。

という物語もさることながら、つぎからつぎへと展開するシーン、小道具の細部まで念の入った美術や大掛かりの装置など、見世物小屋性が楽しく、舞台に魅了される。2時間という時間を感じさせない芝居のおもしろさが堪能できる。もちろん最後の大洪水で、観客は歓声をあげる。

一年前、2008/05/24「水族館劇場、白骨島スペクタクルに驚愕。」に、このように書いている。ことしもまた、おなじことを思う。

たぶん、この芝居は、芝居や表現の専門家風の鑑賞、つまり仔細に演技や発声などの表現の一つ一つをチェックし、その完成度を、似非グルメが料理に星をつけて採点するように鑑賞するなら、あまりよい得点は得られないのではないかと思う。だけど、ちかごろの、そうした表現者のための表現のようなものは、「究極の完成度を求めて」生活の現実から逸脱しすぎたオシャベリ、おしゃれで上手で如才ない生き方のようで、まったくつまらない。

セオリーどおりの表現は、写真だろうとイラストだろうと文章だろうと、どんなに完成度を高めても、無難に行きつくだけだろう。そういうのが、ちかごろは多すぎる。

現実をえぐったもの、場所の物語を伝えよう、考えようとするなら、表現上の技術的な完成度は、そこそこのほうがよい。高い完成度は、思考の自由やエネルギーを奪うからだ。もっとも、完成度を知ったうえで、それを一歩か数歩か数十歩か手前で抑えたり崩したりしながまとめきるのは、至難のワザだが、そういうチャレンジは必要におもう。ちかごろ、そんなことを強く思うことが多かったので、この芝居は、とてもよかった。考えてみれば、少なくともおれは、表現の完成度を求めて芝居を見に行っているのではない。

……以上。

さて、明日からは、奥秀太郎監督、渡辺一志、桃井かおり、峯田和伸(銀杏BOYZ)ら出演の映画「USB」が、渋谷のシネマライズで公開になる。明日の招待をいただいているのだが、行けるか? なんとか行きたい。水族館劇場も、できたら最終日にもう一度観たい。

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2009/06/04

奈良のまち、路地歩き。

チョイとあわただしいから、きのうの続きのような写真をアップしておしまい。

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Nara_roji125この「奈良で唯一のヌードスタジオ」は、閉館のようであった。
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2009/06/03

奈良「おんどり」と「まんぎょく」。

Nara120今回の古墳部の旅は、主に桜井市と奈良市で食べたわけだが、チョイとした発見があった。そもそも、関西の食文化というと、京都や大阪あるいは神戸になるが、京都の前に都があった奈良を、無視しすぎだろう。とくに奈良は京都の影になりやすい。

とかく好事家的な話に走りがちな味覚文化や料理文化というのは、大きくバランスを欠いている。そのことを痛感した。東京から100回は奈良へ通っているという伊澤さんの案内もあって、路地から路地を歩きまわり、いろいろ興味深い刺激があった。奈良、京都、大阪の食文化の相関関係を、もっと探る必要がある。そのなかで独自性をみるってことじゃないと、どうしたっておかしくなる。とうぜんのことだ。

いま奈良へ行くには、名古屋・三重から、京都から、大阪から、ということになる。大和八木で、この三方向の電車の路線がまじわっているわけだけど、かつての都だった飛鳥そして奈良の食文化は、西の大阪湾、東の伊勢湾、北の琵琶湖や若狭湾、南の熊野灘とつらなる「交差点」に成り立っていた。一国の食文化が、その都によって代表されるとするなら、この関係を、はずすわけにはいかない。若狭には、古くから「御蔵」という天皇家の「食糧基地」ともいうべきものがあった。つまり都は、飛鳥、奈良、京都というぐあいに、そのラインを北上したのち、内陸を離れ、大阪、江戸、となる。そのことと味覚の変化は深い関係にあるはずだ。飛鳥地方は、水もよく、農産物も豊かだ。かつて政権は、富の中核をなす食糧生産と密接な関係にあった。いまさらながら、そうしたことを強く感じた。

Nara142奈良市で、5月24日の夜、伊澤さん瀬尾さんと歩いたのち呑んだ酒場。一軒目は、通りがかりに「なんだかよさそう」ということで入った、7人で一杯の焼き鳥と鳥料理の店「おんどり」(左の画像、左一番手前にちょっとだけ写っている)。なかなかよい店だった。

二軒目は、伊澤さんが利用したことのある、いわゆるリノベーションってことで昔の花街や周辺の建物を利用した「まちづくり」が進んでいるようだが、その一つの居酒屋「まんぎょく」(下の画像)。見た目は敷居が高そうだが、メニューは居酒屋値段、といってもチェーン居酒屋とはちがうが。落ち着いた調度に囲まれて呑んだ酒は、梅の宿。満足。

25日は、大衆食堂に入った。詳しくは後日。一番上の画像は昔の花街。

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2009/06/02

豊橋駅(在来線)の立ち食いのきしめん。

Kisimen_toyohasi1765月25日、奈良からの帰り、豊橋駅の立ち食いのきしめんを食べた。豊橋駅は新幹線が停車するが、この立ち食いは、在来線の改札の中にある。なので、新幹線を途中下車しなくてはならない。つまり、京都から東京まで新幹線の特急券では前途無効になるから、京都から豊橋まで買って、豊橋で乗車のときに東京まで買う。とうぜん、高くつく。おまけに「こだま」の利用で時間もかかる。なのに、豊橋で下車して、このきしめんを食べた。これをバカとみるか、ま、オリコウとみるひとは、多分いないとおもうが、でも、わざわざでも途中下車して食べる価値があるといったひとはいる。たしか、名古屋で評判の新幹線ホームのきしめんより「うまい」という話ではなかったかと思う。とりあえず、そういうことで、300円のきしめんのために、そのような「努力」をして食べた。
Kisimen_toyohasi175ここからは、仮名小説風ってことにしよう。

私が、そのような「努力」をしても、研究熱心ということで評価されて、むしろ当然だろう。税務署だって必要経費に認めてくれるはずだ。私は、黙って静かに、そのような「努力」を重ねている。私は、もともと「努力家」なのだ。「努力」というのは黙って重ねるべきで、ひとに話すことではない。話したら、自慢になる。と、いいつつ話すのだが。

しかるに、わざわざ豊橋で途中下車しても食べる価値があるといったひとは、エムさんというのだが、昨年の夏、松本駅で中央線から一時間に一本ぐらいしかない大糸線にのりかえるとき、わずかな時間を利用して、そこの立ち食いそばがどうしてもうまいからと食べ、そのおかげで乗るべき大糸線に間に合わなかったことがある。これは、彼の職業にも関係ないし、税務署はもちろん妻も必要経費として認めないだろう。そのとき一緒に旅していたものは、微苦笑のうちにあきらめ顔だった。ようするに我慢のない食い意地というものだろうか。彼からそれがなくなったら、じつにつまらない男になってしまうかも知れない、そういう性質のもので、これは食文化ともちがう。

そのエムさんが、豊橋駅の立ち食いのきしめんを、わざわざ途中下車しても食べる価値があるといった、と私に話したのは、エムさんと長い付き合いのエスさんだ。彼女は、こう付け足すことを忘れなかった。「エムさんのことだから、きっと味が濃いんだと思うよ」。エムさんは完全にエスさんに読まれていた。私も、彼女の考えに同感だった。「そうだな、もしかすると、コーミソースどぼどぼの味かも」。まさか、きしめんにコーミソースはないと思うが、彼は、もしそこにコーミソースがあればやりかねない。

きしめんは、たっぷりのきざみ揚げときざみねぎをのせて出てきた。削り節は、なし。うまかった。いや、この際、うまかったという説明ではいけない。やはり、濃い味だった。ダシも濃厚、醤油の味も、なんだろう八丁味噌の味を連想させる独特の濃さが、そこはかとなく漂っていた。だけど、あと口はさっぱりで、のどにひっかかかるようなしょっからさはなかった。めんは、つるつるで、きしめんにはありがちなぶよぶよ汁を吸って切れることはなく、濃い目の汁をからめて口にツルッと入った。口唇期のひとがよろこびそうな感触だ。べつに文句はない。私は、ああ、やっぱり、エムさんが好きな味だなと思った。

私は、ここで、めん、つまり小麦粉をこねたものと汁の関係、それからめんの硬さなどの感触とフロイド的心理の関係について論じようと思うのだが、仮名小説風ってのは、めんどうだから、やめる。きしめんと一緒に、稲荷ずしもうまいと聞いていたが、一個80円の稲荷ずしは売り切れだった。稲荷の色と味は、なんとなく察しがついた。そのあと、ついでに、豊橋駅周辺を歩いた。

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2009/06/01

理解フノー、人間が複雑怪奇なのか社会が複雑怪奇なのか。

『四月と十月』に連載の「理解フノー」は、半年に1回のことだから、こんどはこれを書こうと思うことはあっても、メモをしないと忘れてしまう。メモをためて、締め切りの連絡がきたら、その中から選ぶ。

次の、10月号は、この話に絡んだことを書こうと思った。忘れないように、メモ。

前のエントリーに書いた、きのう水族館劇場へ行くにあたっては、やはり制作の中原さんから誘いの声がかかっていた瀬尾さんと一緒だった。とりあえず、わかりやすい西日暮里駅で、余裕を持って17時半に待ち合わせた。開演は19時で、その前に受付し入場の番号札をもらうにしても、かなり余裕だ。

おれは、17時すこし前に西日暮里に着いてしまった。しかたない、腹も空いているし一杯やろうと、ガード下を見たが、喜多八などは休みで、さくら水産しかやってない。ま、いいやと入った。

飲んで食べ、17時25分に席を立って、勘定をし、さくら水産の自動ドアを出るところで、入って来た男とすれ違った。つばの長い野球帽をかぶり、しかも、顔をかくすようにつばを下げている。その姿は、見覚えがあるというか、このあたりで、そのかっこうといえば、一人の男が思い浮かぶ。おれは、駅へ急ぎながら、アイツに違いないと確信を深めた。

改札出たところに瀬尾さんがいた。どうしようか迷ったが、このままにするのも気分が晴れないから、瀬尾さんに一緒に飲むことになってもいいかと断って、ついてきてもらった。ま、めったな女を道連れにするわけにいかない相手なのだ。

さくら水産にもどって、一人客だけが座っているコーナーを見ると、彼は帽子をとって座っていた。まちがいなくアイツだった。声をかける。おれだと気がついたようだが、それにしても、ここで偶然あうとは、すぐには信じられない。こっちだって、そうだ。おたがい数秒のあいだ確認しあい、トツゼン、手をにぎりあった。

そのようにして、もう会えないかも知れないと思っていた、いまではいずれもなくなった、南千住の大利根や西日暮里の某食堂の常連だった男と再会したのだった。そして、つぎからつぎへと、ほかの連中の消息の話になり、まっとうな死に方をしなかった、ここ数年のあいだに死んだ連中の話しになった。

彼は、3年前ぐらいだったか? その某食堂が閉店になる前、失業状態にあった。すでに50をすぎていたし、そのために、つばの長い帽子を目深にかぶっているのだが、顔半分に障害があり片目が不自由だった。あれから、どうなったか、気になっていた。食堂の人たちの行方も気になっていた。

話しながら、懐かしさ以上のものがあった。おれたちは、あのアル中で次々くたばった連中も、あまりにも、まっとうでなく、そして、あまりにもまっとうすぎた。

そう、おれより5歳ほど若かったが、金型工としては世界の頂点に立ったことがあるし、実際にいい腕を持ち続けながらアル中で死んだコバヤシさんのことになると、彼は感情をこめて、「いいひとだった」といった。世間では、ロクデナシのコバヤシさんだ。コバヤシさんは、おれたちのあいだでも、もっともエピソードの多い男だった。そして、ミナベも! 世間ではロクデナシだし、女のオッパイやシリはすぐさわってしまうし、狼藉は数知れず、それ以上に女にだまされ、カネの貸し借りで困ったことになったひとも少なくないはずだが、だれも悪くはいわない。

ミナベさんが死んだときのことは、このブログに書いてあった。
2006/05/16「某大衆食堂の常連の死を知る」

みな「いいひと」なのに、どうして、なぜ、場末でアルコールにまみれてくたばっていくのか。彼らはみな「いいひと」すぎて、いまの世間からは、はみ出してしまうのだ。そんなことが、ふと、頭に浮かんだ。まさに「虫も殺せぬ」やさしい男たちなのだ。彼も、以前とくらべると、かなりアル中に近づいているようだった。

フツウは直接見聞きすることは少ない、東京ボーダーの話しだから、偶然の連れにされた瀬尾さんはおどろいたことだろう。

彼は酔いの限界にさしかかっているようであり、ということは、これ以上一緒に飲んでいてもろくなことにならない。彼を置いて席を立った。そして、開演時間がせまる、水族館劇場へ向かった。

某食堂があった京成線の高架下は更地になってしまったそうだ。あとかたもなく、あの場所は、消えた。そして、高架下に住みついていた「いいひと」たちを追いたて、更地にしてしまう連中が、尊敬され信用されるのである。

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水族館劇場「メランコリア 死の舞踏」明日2日から最終週。何処へ向かうか飛行船。

Suizokukan001一年に一度だけ、文京区駒込大観音に小屋掛けして公演の、水族館劇場「メランコリア 死の舞踏」は、今日は休演で、明日から最後の週の公演になる。最終日は、来週月曜日8日。開演から雨続きだが、客足は衰えず、今週の金・土・日は、かなりの混雑が予想される。なるべく平日に。お見逃しなきよう。

忙しくて行けなかったが、やっと、きのう観ることができた。記憶を掘り起こし、つなげ、あるいは埋め、あるいは掻きまわし、編んだりほぐしたり。つぎつぎに、目と耳を襲う、ビジュアルと言葉と音楽。ときどきタテのストーリーがみえなくなるが、いいのだ、めし屋が繰り出す大量のおかずから好きなものを選ぶように、混沌の中から、自分で好きなように物語を選んで楽しむ。おいおい、ふふん、そうそう、むむっ、げっ…。これは、おれがガキのころ、すぐ隣人に「コジキ」や「キチガイ」や肉体的精神的不具合のひとがフツウにいて、一緒の町内で生活しているのがフツウの時代の話し…ひとは、みな、いつの時代も、病んでいるのだな。そのことを深刻に考えるかどうかや、「対応」のちがいはあるけど。

最後は、例によって、大量の水で流す。めしのあと、お茶を飲むように? 雨なのに、舞台に、また大量の水が舞う。「死の舞踏」というより「水の舞踏」。雨の中、大勢の観客。

水族館劇場の公式サイト。
http://www.suizokukangekijou.com/

Suizokukan004プロローグは、雨の中、小屋の前で始まった。どうせ雨だから、あまり混まないだろうとタカをくくり、西日暮里で酒を呑み、じつに、それは、この芝居のプロローグのプロローグにふさわしいような、身体に不具合を持ちアル中とホームレス寸前にまみれながらボーダーで生きている男たちの一人と、数年ぶりで偶然に出会ったからだったが、ともあれ水族館劇場には開演ぎりぎりに着いたら、すでにたくさんのひとがいて、プロローグを横からのぞく始末。
Suizokukan008
横からのぞきこんでいると、頭上に動きあり。からくり芝居をみるような、目が離せない、おもしろい展開は、場内でも続いた。
Suizokukan010おわったあとの誰でも参加できる打ち上げに残り、最後の大洪水のあとを撮影。前回とちがい、最初から背景に外が見えていたが、より広くなった外の景色と一体化した舞台を見ながら酒を飲み交わすと、なんだか宇宙の地球で生きているという気がするのだった。この空間を共有する楽しみを、たくさんのひとに味わってほしい。

あと、一週間。水族館劇場の芝居は、去年もそうだったが、日々進化している。どんどん変っていくのだ。期間内に何回も観る楽しみがある。お楽しみは、これからだ。

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