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2009/08/31

自律的で自立的な「地域づくり」と「地産地消」と「まちづくり」の行方。

今回の「日本で最も美しい村」連合の取材では、いろいろ面白いことがあった。なんといっても、極端な東京一極集中のなかで、東京=中央ほど、何かカンチガイが多いらしいことに気づいたことだ。地方から見てみれば、東京=中央ほど、自律性と自立性に欠けているところはない。つまり何かに依存しまくっている。という見方も可能だが、また、東京=中央の人間ほど、自分たちが自律的で自立的だとカンチガイしているひとが多そうだ。情報に依存した食べ飲みは、まさに大都市住民らしさでもある。

そのことについて、考えたことがない東京=中央の人が多いのではないか。東京一極集中のシステムにのっかって、自分たちは「能力がある」「正しい」と思い込んでいるというか。そういうことが多い気がした。なるほど、「能力がある」「正しい」として、それはどういう「能力」「正しさ」だろうか。

食育基本法の「地産地消」の滑稽さは、何度か書いてきたが、そもそも地方に依存している人たちが人口の1割も固まっている首都東京を考えれば、「地産地消」という空虚は、すごいものがある。「地産地消」による自律と自立は、地方でしか可能でない。首都圏市場は、大きく、地方と輸入に依存している。そして、現実的には、東京あるいは中央の人が、食育基本法をタテに地方の人に「地産地消」を説く滑稽は、まだ続いている。

この滑稽は、深刻だ。というのも、地方の経済の実態としては、農産品を大都市に出荷することで成り立っている。見方を変えれば、地方に依存せざるをえない大都市が「吸い上げ」ている。昔からあったことだが、良質であるがゆえに東京の市場で高値で取り引きされるものは、「地産地消」といいながら、地元では入手困難である。吸い上げていながら、「地産地消」を説き、農家の経営努力が足りないがゆえに国産は高くつくから、安い外国産を輸入するのであるという。

しかし、たとえば、北海道の農業のばあいを例にすれば、国の政策で多くをすすめてきた。それは、いわば東京=中央の意志だった。北海道の農業は、今回訪問した美瑛町もそうだが、周辺の都市を消費地にして成り立つ構造は、最初からない。最初から、東京=中央と一体の構造なのだ。だから、とくに農業のばあい、北海道の経済は東京都の経済と一体のものとして、同じ自治体であるぐらいのツモリで考えてみる必要がある。というふうには、東京=中央は考えない。いまとなっては、お荷物だから、自分でなんとかせよという。そういう、ま、「能力」「正しさ」なのだな。その「証明」のために、「有識者」が活躍する。

前にも書いたが、「地方税」と「国税」というが、「地方交付金」というが、そもそも「地方税」と「国税」の割合は適正なのか。たくさん吸い上げておいて、おまえのところは「赤字」だ、中央へ依存するなということは、ありはしないか。

そもそも、これも前に書いたが、全農中央が自動的に取り引きの1割をピンハネする仕組みはなくなったが、おなじような仕組みは、ほとんどの領域にある。たとえば、一軒の農家の生産に、どれぐらいの不要で不用な役人や団体がおんぶしているか。それは、ほかの分野にもいえる。地方交付金を問題にするが、東京に本社や本部をおく企業や団体が、どれぐらい国税におんぶしているか。そういう計算をしてみるのもよいのではないかと思う。ま、おれも、いろいろな補助金がらみの仕事をしている。周囲にも、少なからずいる。

ま、でも、そのように、お互い説教しあったり、ののしったりしても始まらない。お互いえらそうな顔はしないで、自律的で自立的な「地域づくり」をやろうという動きが、一方では、広がってもいる。そこに「地産地消」が関係している例は、それなりにうまくいっているようだ。「援農」という、援農にも交流にもつながる動きも広がっているようだ。うまくいくばあい、ある条件があるようだ。それは、そのうち書くとして。いま「まちづくり」といわれるなかには、「地域づくり」のない「まちづくり」がある。たいがい政令都市クラスの大都会のそれである。これは、けっこうおかしなことだと気がついたのだが、そのことも、そのうち書くとしよう。

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2009/08/30

風化が早すぎはしないか、2007年松岡農水大臣の自殺。

4年ぶりの衆議院選挙だそうだ。この間に、責任力のある自民党と公明党の連立政権の首相は、安倍、福田、が政権を投げ出すことをした。が、それは、まあ記憶されているひとも多いだろう。

だけど、食にからむことで、忘れられるのが早すぎはしないかと思うことがある。農林官僚あがりで農水族の政治家、安倍内閣の現職農水大臣、松岡利勝さんが自殺したことだ。いま気になって調べたら、自殺は2007年5月28日。ま、ふれないほうがいいことがたくさんあるのだろうが、たった2年で忘れてしまっていいことでもないだろう。とくに、それが、食に深く関係する行政部門の現役の大臣だったのだから。農林水産行政=食行政は、利権の闇の中のままだ。「食育」なんぞというのなら、こういうことも覚えておこう。

そうそう、食育といえば、民主党は食育基本法に反対だったのだが、政権についたら、どうするのだろう。食育基本法に反対していたおれは、どうなるのだろう。

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2009/08/29

「わははめし」更新。御前崎へ。

「小学館ブックピープル」の「わははめし」を見たら、毎月1日更新予定だが、すでに更新されて、第2回「開き直りのあぶらめし」が掲載されていた。…クリック地獄

先日撮影があった「わははめし」の原稿、テーマごとのコラム4本、料理ごとの一言コメント16本、なんとなく書き始めている。いま掲載中の前の撮影の分は、とくに一言コメントはイマイチだなという感じが多い。すみません。先日の校正でも、いつになく大直しをしてしまった。今回は、少しは、全体の方向性も、自分の考えも、見えてきた感じがあるから、もう少し、「うまく」書けるか。どうか。

9月になると、つぎのお出かけは、いまの予定では御前崎だ。講演をするのだ。だいぶ前に話があって、日時だけあけておいたが、だんだん近づいてきた。先日、主催者の方からメールをいただいた。そろそろ準備を始めなくてはならない。

まず、どうやって行くか調べたら、どう行くにせよ、だいぶバスに乗らなくてはならない。新幹線で静岡、そこからバスで1時間以上かかるようだ。講演は午前10時からだから、前日に行っておいたほうがよい。

ここんとこ、お出かけというと、山形の大蔵村、北海道の美瑛町、長野の大鹿村だった。美瑛町は旭川空港から近いしローカルにせよJRの駅もあるが、ほかは最寄り駅から公共交通機関はバスしかないし、けっこう時間がかかる。ま、そういう不便なところだから、この塵埃にまみれた日本にも、「日本で最も美しい村」が、存在しうるということか。同行のカメラマンが自分のクルマかレンタカーを運転してくれたので、往復に問題はなかったが。とにかく、「過疎」とか「僻地」とか、そういうところは、たいがい生産地でもあるのだが、日本は、なんだか、消費地の都会栄え、生産地の町村衰退で、チョイとかなりオカシイとおもうことが、たくさんあった。またもや、御前崎も、そういう土地か。

それはそうと、講演というが、どれぐらいの時間話せばよいのかも正確に聞いてなかった。今朝、主催者の方と電話連絡がとれ、打ち合わせした。話すのは1時間か1時間半ぐらい、ほかの行事もあるから大まかの時間割りらしい。静岡駅まで迎えに来てくださるという。ありがたい、これで、御前崎まで着く段取りはできた。

ネットで調べると、御前崎は、いま御前崎市になっているが、例の平成の大合併で隣の浜岡と合併して市になった。どうやら、御前崎町の方が人口は少なく減少傾向で主たる産業だった漁業は沈下傾向、とはいえ観光地としては、浜岡より名が知られている。浜岡町は、原発の町だから、経済は問題ないだろうが、その東海地震区域の原発ということで、そんなによいイメージではない。ということも関係して市名は「御前崎」をとり、市庁舎は「浜岡」にというバーターが成り立ったらしい。

講演は、NPO法人「手火山」が主催する、「鰹節in御前崎2009」という全8回の連続講演のうちの6回目だ。案内のチラシには「カレーとねこまんま」とある。

「地域に伝わる漁業・水産加工を継承し伝統的食文化を再発掘しそのすばらしさを広く情報発信し、同時にブルーツーリズムを支援し町おこしや地域の活性化に貢献するNPO」

最近、「御前崎カレー」なるものも売り出し中のようだ。

御前崎といえば、かつて登山の関係で覚えた天気図作成のため、毎日ラジオを聴いていると、「御前崎、南南西の風、風力●……」といったぐあいに耳に入ってくる地名だった。それから、美しい灯台を、なにか映画で見たようにおもう。

とにかく、ここは、「かつて」という言い方にならざるをえないのだが、近海漁業、なかでもかつお漁の基地だった。「手火山」といわれる鰹節の製法が、いまでも継承されているようだ。

1年ほど前、「美味しいまちづくり」の取材で、岩手県一関と青森県八戸を取材した。どこでも「食」でまちづくりは、いまやメインのテーマになっている。今回の「日本で最も美しい村」にしても、農業による自律と自立を志向しているが、食との関係が密接だ。

それは、主として、とりあえず、「観光まちづくり」ということになる。「観光まちづくり」は、生産地が「観光」という新しいサービス業で消費市場に手を伸ばすことであり、都会の消費を促す活動になる。これは、ヒジョーに大きな問題をはらんでいる。それは、簡単にいえば、本質的に生産地であった地域が、観光というサービス業で再生や救いが可能なのかいうことだ。いや、可能の地域もあるだろう。でも、それは、ほんのわずかの地域になるに違いない。しかし、とりあえず、観光は、疲弊を深める町村の「外貨」稼ぎとして、取り組まざるをえない。

じつは、この問題は、都市にはねかえる問題なのだが、いまのところ、まだ逼迫はしていないから、都市住民は集権の中でのんびりしている。現場を見ると、地方とくに基幹産業が農林水産業だった地域は大変な状況だ。いったい、なぜ、こうなってしまったのか。それは、直接的には、ここ10数年の自公政権と官僚支配の結果であるのだけど、ここまできてしまった状況に対する、とくに都市の無関心の根は深い。「食」を生活として楽しく美味しくする素養を積むのではなく、目先のエンターテイメントの具にし飲食の情報や知識を集め披露することに快感してきた。流行の食べ飲み歩きの何分の一かの関心でもいい、生産へ関心がまわれば、少しは状況は変るだろう。情報を追いかけまわす消費から、自分の生き方としての自律的な判断で、消費と生産の関係を築く志向が、これから必要な気がする。ま、そうはならんだろうけど。

政権を変えても、自分たちが変らなくては、何も変らない。

そんなことをアレコレ考えて、酩酊しておわる、25時なのだった。

NPO手火山…クリック地獄

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2009/08/28

それぞれの愛、ソースの愛。

ブログの日付では一日とんでしまったが、まだ、きょうの25時なのだ。さきほどメールを見たら、前のエントリーのソースの写真を説明せよというのがあった。

ソースは、ソースで、ようするに種類がたくさんあるのだ。きみは、おぼえているだろうか、ソースを、さつまいもの天ぷらにかけて食べたことを。って、知らないか、あれは1950年代後半だったか? ソースといえばソースだと思っていたのに「とんかつソース」という名前だったか、そういうのが出た。そのときだって、新潟県の片田舎のおれのウチじゃ、それまでのソースを「ウスターソース」だなんていわずに、「とんかつソース」が出たんで「ふつうのソース」といっていた。

で、さつまいもの天ぷらに、それまで「ふつうのソース」をかけて食べて、うまいといっていたのに、「とんかつソース」のほうがうまいと言い出したやつがいた。おれのオヤジだ。じゃあ、ほかの天ぷらのばあいは、どうなんだ。ってことになったが、ようするに、とんかつソースの出回りだしたころってのは、とんかつソースが、なんだか「高級」なイメージでうまそうで、なんにでもかけて食った。そういうことなのだ。よそのウチのことは知らんけど。

つまり、ソースにもいろいろあるから、それぞれ愛の相性があるだろうってことだな。ソースをなめくらべてみたのは初めてだが、味では、辛味、酸味、甘味が主要な要素で、そのバランスが、それぞれ違う。苦味は比較の対象になるほど気がつかなかった。それに、食感、風味など、あわさって、それはそれはソースな世界なのです。どのソースも、めしにかけるとうまい。

ま、そういうこと。チト酔っているんで、これぐらいにしておく。日が短くなりました、おれの残りの人生も短くなっていくのですね。

2009/08/23「盛況御礼。昨夜のスロコメ「泥酔論」は、村上航さんで勝負だった。」に、「取り込み中につき、文章あとで」と書いたまま、ほっておいたが、書き足した。といっても、その夜の様子を、とてもうまく書いてくれていたブログがあったので、そこにリンクをはっただけだけど。

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2009/08/26

激しく疲れることもある。「瀬尾幸子のわははめし」撮影、2回目。

003きのうは、寝不足と、やや疲労感が残る状態で、わははめしの撮影に臨んだ。前々日、前日、前夜をかけて、ついにこの夏の大仕事をおわりにした。苦労の甲斐があって、「日本で最も美しい村」と「地域づくり」の実態と本質と「愛」に肉薄する、けっこう、よい原稿が書けた。最終的に400字詰換算40数枚といったところかな。さらにチョイと、きのうまでにやらなくてはならなかった、企画書づくりもあって、午前2時ごろまでかかった。

撮影は、前回同様、瀬尾幸子さんのお宅に、11時集合だった。なんだかんだで1時間半はかかるから9時ちょいにはウチを出た。

「わははめし」の詳しい紹介はまだ当ブログでしてないが、小学館の担当編集さんは、瀬尾さんの『ちゃぶ台ごはん』(この本は4月発売以来、爆発的とはいえないが、着々と売れ三刷目だ)を担当した長尾純子さん。わははめしチームの編集担当は、フリーライターでもある佐々木香織さん、撮影は鵜澤昭彦さん、スタイリングは松下久子さん、いずれも『おつまみ横丁』からの強力スタッフだ。さらに、きのうの撮影では、「酒とつまみ」のアイドル石川葉子さんが、瀬尾さんのアシスタントして加わった。

011前回の撮影は6月だった。一日に4テーマ、1テーマにつき料理4品だから、1日16品の撮影になる。これを隔月ごと続け、WEBサイトに掲載し、最後に本になる計画でスタートした。ところが、なかなか好評でもあり、巻いて進行することになった。つまり、撮影は、隔月に1回から毎月1回になった。来月の撮影日も、もう決まっている。そして、一日に4テーマ、1テーマにつき料理4品は、おなじ。なので、11時にスタートすると、あとは怒涛のごとく。おれは、食べながら、メモ。もちろん、おれだけ、アルコホルも飲むのだ。これは、めしのおかずというよりつまみだろう、とかいいながら。

終わったのは、前回同様19時ごろだった。瀬尾さんは、かなりハイテンションが撮影が終わるまで持続する。おれは、今回は、揚げ物が多いだけじゃなく、最後の4品目が揚げ物だったから、さすがに胃にもたれた。だけど、おもしろい文章が書けそうな、内容だった。

おれとしては(つまりおれが書く文章としては)、この企画は、従来の料理本の「頑迷」といっていいほど特徴である、「正しい教育」的予定調和くさいところを、破壊的に突破できる可能性があって、おもしろい。

終わって、企画書と資料を届け、飲みに誘われたが、さすがにその元気もなく、電車の中で立っているのがやっとの状態で帰りついた。

「瀬尾幸子のわははめし」は、1か月に1回の更新で、9月1日に2回目の更新があります。さらに、おもしろいでありますよ。…クリック地獄

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2009/08/23

盛況御礼。昨夜のスロコメ「泥酔論」は、村上航さんで勝負だった。

こんなに集まったのは初めてだ。ギッシリ。しかも女子が7割ぐらい。まさに村上航効果。オーストラリアのアレックス、フィンランドの名前忘れた女子、とグローバル化。

ゲスト、瀬尾幸子さん。渡辺航さんの朗読と熱演。取り込み中につき、文章あとで。
……と書いたのだけど、日にちはすぎ、早や27日の25時にならんとすの軽酔い深夜便。なので、その日のスロコメの模様や村上航さんの朗読を、とてもうまく書いてくださっている、2つの「はてな」にリンクをはって、逃れることにした。両方を見ると、お二人は友だちらしく、一緒に来ていたことがわかる。かつ、おれは初対面だったけど、一緒のテーブルで飲みながら話をした。かつ、いつものことだが、「泥酔論」なので、おれは、そうとう酔っていた。ということもわかる。ありがとうございました。

桃色スパイダーさんの2009-08-23「自主的夏休み3日目。」…クリック地獄
ねこまたぎさんの2009-08-23「週末日記」…クリック地獄

この日は、12時半から、渋谷で玉川奈々福さんの浪曲を予約してあった。そのあと、チョイと青山で用を足して、スロコメへという予定だったが、まったく仕事が片づかず、どちらもキャンセルして、スロコメへ直接行くことになったのだった。もちろん、まったく準備なしだったが、瀬尾さんと村上さんに助けられた。

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2009/08/21

マニフェストも村上春樹も読む必要はない。バッキー井上の本があれば。バッキー井上とおれがいるから。

001きのう届いた。ありがとう。えーと、これは「京都 店 特選」がタイトルで、「たとえあなたが行かなくとも店の明かりは灯っている」ってのは、キャッチフレーズってことかな?

天才関係ない、読めばわかる。「ミーツ・リージョナル」などで、足と胃袋と筆をつかって、天才だから頭はちょっとだけつかって大いに活躍の、京都・錦町市場の漬物屋オヤジ、バッキー井上さんの本。140Bから発売。

140B、知らない? この、クセが大ありの編集集団には、大いに注目すべきだ。いま教えている時間がない。右、サイドバー→トラックバック「エンテツさんの「街的」(編集集団140Bブログ) 」をたどるなり、こちらのサイト「オモロいか、オモロクないか、それが重要課題です」を見よ。
http://www.140b.jp/index.php

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おれがミーツ別冊の「酒場の本」で取材した、「山乃家」も載っている。
まだよく読んでない。きょうは、たぶん読んでらんない。あとでボチボチ書き足す。

きのう一日別のことでつぶれたから、きょうこそ原稿をおわりにしなくては。

きのう、「瀬尾幸子のわはははめし」第2回の校正をおえた。更新は、8月31日か9月1日。ああ、もう9月だ。

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明日のスロコメ「泥酔論」は、村上航さんの朗読で勝負だ。

四方八方から襲いかかる敵を、バッタバッタとなぎ倒しの気分のなかで仕事をしながら、明日のスロコメどうするかと思い出し、瀬尾さんに電話。

これこれで、それそれで、あれあれで、ようするに、なにも準備できない。というと、「いいでしょ、村上さんの朗読があるから」。でも、それそれ、あれあれで、ようするに今回は、ブログのトップ↑に告知したままだから、どれぐらい参加者がいるかわからない、来るひといるのだろうかというと。「いいでしょ、きっと村上さんのお客さんが来てくれるから」。ま、あのひとは、そーいう調子なのである。

なので、明日は、村上航さんの朗読を聞く、ってことですね。
前回は、「せおつまみ」からだったけど、今回は「おつまみ横丁」になるハズであります。
おれんのは、別のものを用意できなかったから、もしやるとしたら、何回聴いてもよいハズの、ミーツ別冊『東京ひとりめし』から「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話」になるとおもいます。

どーか、みなさん、誘いあって来てください。投げ銭方式だとおもうから、村上さんのために、たくさん来て、たくさん投げ銭してください。

ああ、それから、やはりトップ↑に告知の、「瀬尾幸子のわははめし」もよろしく。忙しくて、まだ詳しい紹介してないうちに、もうすぐ9月1日で2回目の更新。そのうえ、次の撮影も、その次の撮影も決まり、好評につき、本になる発行月の予定まで決まって、おもっていたよりバタバタすすむことになってしまったけど。よろしく、よろしく。

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2009/08/20

「責任力」をいうなら、責任をとってからいうべきだ。

べつに、民主党を応援したいわけでもないし、そもそもいま大マスコミが誘導しているような自民か民主かの「二大政党政治」を前提としたような、「政策選挙」「政権選択選挙」といったものには、まったく興味がない。エセ「二大政党政治」で生まれた政権は、どのみち、どうでもよい日本の問題の解決にならない。だいたい、いまの「政策」とやらだって、理念や目的レベルのことは、訴えても票にならないとかで、現世利益主義のような目先物取り主義に応えるような政策ばかりが話題になる。そのレベルで、財源がどうのこうのいっている。そんなの政策議論じゃないだろ。

だいたいね、「改革」といいながら国債発行を増やした小泉に、さらに大幅上乗せする国債発行をやった麻生政権が、財源だのなんだのいえるのかね。「責任力」があるのかえ。借金してばら撒いて票を集め、それで「責任力」をいうなら、おれだって首相になれらあ。

だから、こんなことを書いてみたくなるのさ。

だいたいね、景気が回復すれば、これぐらいの借金は返せるなんてのは、なんの根拠もない。馬券があたれば返すからと金を借りて財源を調達したようなものじゃないか。そもそもだよ、かりに景気が底を打って回復にむかったとしても、以前のようにはもどらないのだよ。アメリカの責任ある政府は、ちゃんとそのように分析しているし、責任あるアナリストなら、そういう結論になるはずだ。が、日本の首相の「責任力」は、どうだ。おはなしにならない「責任力」だ。ま、「政策選挙」「政権選択選挙」だなんていっても、そんなばかげたレベルのことなのだ。

それに、民主党のなんだかで国旗をやぶって何かにしたとかのことを、鬼の首をとったようにあげつらね、そりゃまあ、いまの麻生にとっては、民主党は鬼みたいなものなんだろうけど、そんなことで「責任力」を主張するのはおかしいよ。だいたいね、自分は「陳謝」してすまして「責任」とってないんだから。「陳謝」しまくりで逃げようという選挙じゃないか、それで陳謝しているひとの鬼の首をとったようにして自分の「責任力」をいうなら、そりゃ天にむかってツバしているようなものだ。

そもそも、「責任力」なんて、アイマイな言い方でなく、もっと正面から、これにむかってこうやるというものを打ち出すのが政策選挙じゃないのかね。「責任力」なんてのは、実績で判断するものなんだよ。いま政権の座にあって、総選挙に打って出た責任者としての自覚がなくては、どうにもならん。

争点なら、農政どうするか、つまり、おれたちの食料の問題、食うためのことを、やってもらいたい。いまの農水省の、やり方を問うべきだろう。日の丸のはちまきをして、おらが先生を応援してきた農村は、いまどうなっているか。

そりゃそうと、そんな「政策状況」なのに、大マスコミが、なぜこのように、かつてサッカーが盛り上がったときに、「野球が好きか、サッカーが好きか」キャンペーンをやったように、「政策選挙」「政権選択選挙」をいうのだろうか。そこに、なにか、あるのだとおもう。おれは、そんなテには、のらないよ。

自民党でも民主党でもいけないし、自民党でも民主党でもよい。そのていどのものだ。ただ、官僚は、悪いね、いまの日本は。とりあえず自公政権はやめてもらって民主党にというなかには、官僚に痛い目にあったひとや、もう族議員は信用できない、官僚政治にふりまわされるのは真っ平というひとは、けっこういるね。でも、そういっていながら、投票は別ということも、けっこうあるんだな。そのへんが、ま、人間のおもしろいところか。

選挙の日は、昼間から飲み会をセットしてあるし。

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そろそろおわり。懐かしさもあって。

もうそろそろ、この原稿もおわりにしないと、ほかのいろいろが重なってきて、まずいことになりそうだ。8月22日は、スロコメだが、なんの準備もできてない。そのスロコメ前に、ひさしぶりに浪花節へ行こうと予約して、さっき気がついたら、ダブルブッキングになっていた。浪花節は時間が決まっているから、その前に片方を変更してもらうよりしようがない。すると午前中からになってしまうじゃないか。やれやれやれ、少々つかれたなあ、てな感じでもあるなあ。慰めがないねえ、求めてもいないが。あの気まぐれは、どうしているのだろう、慰めがないねえ。

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写真パラパラ見ながら、最後のツメをやっていると、こんな写真があった。美瑛町で撮影したのだな。数年前、札幌へ行ったときも、すすき野あたりで見かけたけど、ネオンごちゃごちゃのなかで、なんとも感じなかったが、今回は、なんだか何もないところに、空気もきれいだったし、このロゴマークがドーンで、懐かしくて撮影してしまった。

これは、北海道のひとなら知っているだろうコンビニだ。調べたら、いま北海道地区だけで、9百数十店あるようだ。やはり、いま調べたら、おれが「プランナー」の肩書で、ここの仕事をしていたのは、たぶん、この間だとおもう。

1976年 NACS(全米コンビニエンスストア協会)に加盟
1981年 店舗数100店達成

NACS加盟は、ぼんやり記憶にあるから、このころボチボチ始めて、だんだん仕事が拡大し、たぶん82年ごろ手をひいたのではないかな。

しょっちゅう札幌へ行っていた。店舗数が100店になったところで、1000店目標にもろもろシステムを変えることになり、いわゆるCIのようなことをやって、このロゴマークが生まれた。変えたのは、ロゴマークだけではなく、店舗システムやデザイン、あらゆるものだ。とにかく関係する人間が多くて、大変だった。

ニューヨークに本社がある、イタリア人が社長でイタリア人が多い「CDI」という社名の会社だったとおもう、あちらのセブンの北部地域などの仕事をしていたはずだ。そことのジョイントで、おれは日本側の「チーフ・プランナー」というハッタリな役回りだった。でもまあ、コンセプトってやつをまとめるのは、おれの仕事だったから、それなりにやったのだが。

でも、イタリア人社長がクライアントにおくってくる、請求明細のチェックまでさせられて、それが何十何セントの単位まであって、まいった。取り引きがデカイんだから、そんなの切り捨てろと言いたいのだが、そうもいかず、クライアントの専務の女性秘書が、ま、わりと好みのタイプだったので、コレどういうことでしょと色っぽくいわれると、うんうんどれどれ、それはねと、チンプンカンプンな英語の請求書、カタカナ英語で書くと、インポ、じゃなくて、インボイスを一緒にながめ、ああでもないこうでもないやったりした。

ロゴーマークや店舗システム(店舗システムってのは、主に売場構成ね)の基本は、CDI側、アプリケーションは日本側というやり方だった。だから、ロゴマークは、CDIの制作。

セブンが進出してきても、圧倒的にこちらが強かった(いまでも、このチェーンは、セブンを押さえて北海道ではトップの店舗数のはず)。で、セブンは、すごい手を打ってきた。それは、ま、書かないほうがよいだろう。そして、それに、おれが最も信頼する仲のよい一緒に苦労することが多かった、相棒のコンサルが巻き込まれた。札幌財界をゆるがす、一大事件になった。かれは、札幌の土もふめない立場になった。とうぜん、このコンビニの仕事から手をひかなくてはならない。おれは、直接関係ないから続けてもよい立場だったし、そうすすめられたのだが、おれは仕事より友だちを選ぶよとカッコイイこといって、手をひいた。それ以来、こことはぐあい悪い。でも、友だちを選んだほうが、よかったのさ。

ま、そんなことを思い出したりしたのですね。1976年は33歳、81年は38歳か。自分の人生の痕跡を街角に見た感じだったが、懐かしいけど、感動のない再会といったところ。

あまり酔ってない、深夜便でした。

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2009/08/19

理解しようとしなかったら、なかなかわからないものだ。ということを知らない幸と不幸。

取材したひとの話を、切きざんで短くしたり、捨てたりするのは、好きでたまらん女とわかれるような気分だ。ってのは、例が悪いか。好きでたらまん女とは、わかれないようにすればよい。相手に嫌われたらあきらめればよい。だけど、取材したひとの話には、そのひとの必死に生きている思いの深さが、含まれていることが少なからずある。とくに自然環境も社会環境も厳しいなかで生きて、取材など、めったに受けたことがない、自分のことなど話す機会はめったにないひとの話は、そういうものであることが多いようだ。それを切り捨てなくてはならないときは、自分の肉体を刻んで捨てるような思いがする。痛たたたたたたた、いてえよう、いてえよう、おれの肉体は、もだえ続けだ。苦しい、切ない、ウンコだが、痔というのはかなり痛いらしいが、おれは知らない。

最後、適切な原稿量におさめ、仕上げようとするときの難儀は、技術的なことより、その痛さに耐えるのが大変だ。トシのせいか、痛みが激しいと、ちょっとやっては休みが繰り返される。

人口の多い地域では、対象をよく理解しようとする必要もなく、知識つまりどれだけ何を知っているかが勝負になる。そもそも対象と向かっている時間は、そんなになく、はったり知識をぶちかましたりしていれば、その場は保ち時間がすぎておわる。

ところが、人口の少ない地域では、なにをやってもおなじ顔ぶれだ。毎日、おなじような景色のなかで、おなじような人と、おなじようなことを繰り返している。なので、こちらに、いわせれば、それはもうよくご存知でしょうとおもうのだが、彼らはそうは思わない。

たとえば、毎日一緒にいる女が、どんな女であるか「知っている」のと「理解」しているのとでは、だいぶちがうことを考えてみよう。「知っている」ことなど、たいしたことないのだな。

地域のひとの顔、みんな知っている。ともすると、財布の中身、選挙の時には誰に投票する、そんなことも全部知っている。プライバシーなどくそくらえというぐらい知っている、だけど理解できているとおもっていない。だから、いつもほとんど一緒にいるような関係なのに、「わからない」という。こっちにいわせれば、それだけ知っていれば十分だろうと思うのだが、それは単に知っているだけで、理解をしているのとはちがうと思っている。だから、理解するために、こういうことをしているという。それは、聞けば、大変な努力だ、そこまで理解しなくてはいけないものかと思う。たぶん「人情」とはそのように生まれ育つのだろう、それゆえときにはわずらわしい。

だけど、小さな村で、どんどん人口が減って、三位一体改革じゃ「やっかいもの」扱いにされ切り捨てごめんの仕打ちが、いまでも続く。まったく夢もチボーもありません状態の地域で、一緒に活路を見出そうとするなら、そこまでやらなくてはならない。

そして、たしかに、60歳のジイサンたちと、30歳ぐらいの人たちでは、希望の持ち方は、まるでちがう。いま流布されている、農村の希望のなさや危機感は、ほとんどジイサンたちレベルの話で、若い人たちは、まるでちがうってぐらい、ギャップがあったりする。そのギャップは、しょっちゅう一緒だから気がついている。モンダイは、そこから先だ。気がついても知っているだけで、理解しようとしないことだってあるのに、理解しようとする。それは、「生きる」ためだ。

「生きる」ため、そのことを毎日のように考えなくてはならない。だから「知っている」じゃだめなのだ。

そういうひとたちの言葉を、切り捨てるのは、ツライなんてものじゃございません。難しい分厚い本を読むのと比べものにならない時間と努力のなかで、獲得された言葉なのだ。

理解しようとしなかったら、知らないことがたくさんある。だけど、知ったつもりになることはできる。それが、たいしたことない知識だと気づく機会もなく、開陳する。これが、ま、だいたいの都会のスタイルや関係だとおもうが、田舎じゃ、そうはいかない。

そして、どんなに知ったかぶりしても、たいがい見抜かれる。それを知っているからって、なんなんだと見抜かれる。おまえは、それをしているあいだ、おれがなにをしているか理解しようとしているのか、おまえがそれをして、そのことを知っているあいだ、おれは別のことをして、別のことを知っているんだよ、そのことを理解しているのか。という目で見られる。しかも、それが自分に直接の害がなければ、相手をテキトウにおだてたり、テキトウにあしらっておく。それが、よいほうに向かったり、悪い方に転がったりする。悪い方に転がったら、深い山でも眺めてタメイキをつく。そして、また理解しようとする。たぶん、そうやって、農業や農村は続いてきたのだ。

あまり酔ってない深夜便でした。

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2009/08/18

脳みそが豆腐カスになりそうなのに、燃えるワタシ。

ある意味では、悪戦苦闘だな。積んでは崩し、また積んでは崩し。どうも自分で構成しながら書くのは、自由がありすぎて、やりながら、あっ、こっちがよいこっちにしよ、なんて、ふらふらふら、浮気な女のようにコロコロ気がかわり、やってみると、やっぱりうまくいかない、やめましょわかれましょ。紆余曲折をものともせず、気まぐれ女とつきあうようにやってみては、でもやっぱ気まぐれを追いかけていてもよいことないし、仕方ないおわりにするかという感じで、もうほとんど書きあがりかけているのに、写真をエレクト、じゃないセレクトしながら、そこにつける文章を考えていると、また本文の文章を変えたくなったり……。愛人が何人もいるような状態でこまります。ああ、そういえば、愛人6号は帰国したのね。

そのあいだに、そういえばそうなのだが、あいまに頼まれたことを、ああいいよと気軽に片づけた。つもりだったら、文章のばあい校正というのがあるのだな。それが、もともと急ぎで乱入したことだから、まったなしの時間の校正だ。そりゃ、いまこっちはこっちの相手と燃えているのだから、浮気なんかしたくねえんだよと、そっちでオナニー校正でもやってくれと、いいたいところだが、やはり校正というのは気になるから見る。そのあいだに、初めての出版社から原稿依頼があったり、また別の校正が届いたり、あとなんだ、とにかく、きのうはやたらメール多くて、急ぎのメールばかり、ついでに気まぐれ女にメールをしてみたり。メールを打っているときは、原稿は打てない。でも、おれは、売れっ子ライターじゃないし、もてるわけじゃない。たまたま重なるだけだ。売れないもてない男の盆はたらき、ほかが休んでいるから使われるだけ。

斎藤嬢のメールに、「アシスタント君のヘアヌード写真は使用できませんのであしからず」とあったので、そうそうと思い出し、テキトウに流してみたままの千五百何十枚かの、秋山カメラマンの写真をよくみた。なかに、いかにも湯治場らしい、いい風呂の写真が、ずらずらずら。と、ぎゃははは、ヘアヌードって猥褻物もあるじゃないか。おっ、しかも、おれまでヌードで、ヘアのあいだにチロッとナニらしく見えるものがある。誰もかまってくれないから、そんなところに出ている。これ、斎藤嬢は見たのか。アシスタント君のと単純にくらべられると困るなあ…。いや、若い男と張り合うことはないか。どうです、ワシのモノだって、それなりの味わいですよ。いやはや。っと、しかし、写真のセレクトは、全体の構成がからんで大変だ、ヘアヌードメールのやりとりをしながら、表1、4と扉の写真だけは、決まったが。ヘアと猥褻物はともかく、おれのヌードも悪くないから、使うか。なーんて、ほんと、バカをやっているようだけど、脳みそが豆腐カスのようになりそう。

それにしても、この原稿に燃えているワタシは、燃えて燃えて、チョイとやりたいことができてしまった。ちゃんとおえてから、やろう。そのように、8合目か9合目あたりで、燃えているのだった。ぼうぼうぼう、ヘアはぼうぼうじゃないけれど。

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2009/08/15

「ミーツ」9月号、カレー特集。「雲のうえ」11号、生誕百年の松本清張特集。大竹聡「中央線で行く東京横断ホッピーマラソン」(ちくま文庫)。

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いただきものがたまっている。とりあえず、これだけ画像で紹介しておこう。

松本清張さんは北九州市の小倉育ち。1909年生まれ、ってことは、おれの親父と同じ年。おれの親父は、新潟県の片田舎で、百姓の次男に生まれた。百姓の次男三男に生まれるなら、生まれない方がよかったともいわれれる「アシュラ」な生まれ。その次男が、おれだ。だから、「雲のうえ」の松本清張、って、つながらないか。内容紹介と申し込みは、こちら北九州市。フリーペーパー、遠くの人は送料のみ。…クリック地獄

しかし、この担当課、「都市ブランド創造課」って名前になったのだけど、なんだかな~、なんかまちがっているような気がする。いやさ、かりに、そのこころざしはよいとして、こんなふうな名前を堂々と出してやることなのだろうか。たとえば、この「雲のうえ」を手にして、奥付をみれば、そこにこの名前があるわけだ。見たひとは、どう思うか、考えたことがあるのだろうか。なにか、役所的手前味噌なひとりよがりをかんじる。

そのへんの感覚が、どうもね、ズレているかんじがするし、何百年と続く「公共財」としての在り方、「まち」についての思索が欠けているようにおもうね。ブランディングなんていう、電博流の流行ものは、もう遅すぎ。「創造課」を名のるなら、もっと、創造をめざしてほしい。状況は、もっと先へ、変化している。大丈夫か「雲のうえ」。「北九州市民憲章」を載せているような感覚で、大丈夫か。あの、ぐっと「雲のうえ」の未来をうかがう、腰の据わった姿勢を失ってはいないか。なーんて、いま、おれは、資料に埋もれて、「公共財」としての自治体、「公共財」としての農業に、考えをめぐらせているから、こんなことをいってみたくなるのだな。

「公共財」といえば、静岡の地震で、だいぶ前に講演の話をいただき引き受けていた、御前崎を思い出していたら、今朝メールをいただいた。そろそろ準備をしなくては…。これも「まちづくり」の一環なのだが、御前崎の前途は、どうなるのだろうか。

大竹聡さんの「中央線で行く東京横断ホッピーマラソン」(ちくま文庫)は、思い出したが、これ、おれの「大衆食堂」をまとめる企画とおなじころ始まった話で、もしかすると一緒のころ出せるかも知れんなと話していたこともあったな。が、おれのほうはまったくすすんでない。貧乏ライターは、安酒を呑むていどのカネとヒマはあっても、書き下ろしなど、やっている余裕はないのだ。大竹さんのこの本は、自前の「酒とつまみ」連載にプラスしたもの。しかし、大竹さん、連打ではないか。「オーイッ! そんなに本を出すと、早死にするぞ~ッ! もっと酒を呑んで怠けろよ~」祝新刊。

いずれも、まだパラッを見たていどなので、詳しく紹介できない。ミーツは、パラッと見ただけでも、あいかわらず元気そうだからヨシッとしたい。ところだが、なんだか、少しチョイと違和感が残るのは、なぜだろう。いまは、考えたくない。

ま、ほんの気分転換でありました。

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2009/08/14

新潟県六日町、ホテル宮又の「ニタリのおばあさん」が亡くなった。

原稿書きが快調に進んでいる。のかどうか、徒然なるままに、故郷の南魚沼市六日町、万盛庵のまんちゃんのブログ「万盛庵通信」をみて、おどろいた。8月12日に「ニタリのおばあさん…」のタイトルで、万盛庵の近くの、おれがよく泊まるホテル宮又の「ニタリのおばあさん」が亡くなったとある。
http://mansean.exblog.jp/11710674/

「ニタリのおばあさん」なんて呼び方を始めたのは、ほかならぬ、このおれだが、「ニタリのオバアサン」を初めてつかったのは、まんちゃんがリンクしておいてくれた、ザ大衆食「残雪と山菜と酒と温泉、六日町満足泥酔紀行。……ホテル宮又編」でのことだろう。2004年4月。…こちら

ホテル宮又に泊まって、ニタリのおばあさんの元気な姿を見たのは、去年2008/09/13「稲刈り近い南魚沼は六日町、万盛庵泥酔、ホテル宮又温泉泊。」に書いたときが最後だろうか。そのあと、あれから六日町に行ってないような気がする。忙しくしていると、ろくなことがない。

ほんと、お世話になった。泥酔状態で、23時ごろ電話して泊めてもらったこともあった。とにかく、いつも夜は、泥酔して転がりこんでいた。

ぐっと、さみしい気分だ。

2007/02/14「暖冬小雪の故郷」に、やはりホテル宮又に泊まったことを書き、そこに、以前から食堂の壁に短冊に書いて貼ってあった、おばあさん作のうたを紹介している。

人々と父母より受けし生命を
大地に立って
八十路を歩く

これは、いつごろから貼ってあったか、思い出せない。とにかく、おばあさんは80歳代後半であろう。
このうたのように、堂々としていた。
あの「ニタリ」は、黙ってやさしくあたたかくひとを見つめる笑い、そして、ものに動じないふうでもあった。
まんちゃんのブログのコメントにも書いたが、大往生だとおもう。
ほら、空を見上げてごらん、ニタリのおばあさんがニタリと笑っている。

黙祷。

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長野県高遠「本の家」とブックフェスティバル。

高野麻結子さんという、おもしろい編集者がいる。そのおもしろさを書けといわれたら、いま書いている原稿量を、かなり上まわることになる。なみのおもしろさではない。2002年8月発行の『東京定食屋ブック』(散達ブックス)の担当者であり、その後いくつか仕事をいただいたが、いまは別の出版社にいる。当ブログには、そのままの名前や略称あるいはテキトウな名前で何度か登場し、今年の1月には、猿を食べに誘われた。おれを使った編集者だから、まちがいなく優秀である。

それはともかく、彼女と北尾トロさんの編著による『新世紀書店』(ポット出版)がある。「新世紀書店」というのは、「「本屋はもっと楽しく、わくわくする場所であっていいんじゃないか」という素朴な会話をきっかけとして、渋谷パルコのロゴスギャラリーで行われた本屋さんをテーマにしたイベント」だ。つまり、そこで、数週間、自分たちがつくりたい本屋の仮店舗営業をしたのだ。2004年11月のことだった。その本を読むと、そのイベントの背景には、北尾トロさんたちが訪ねた、ヨーロッパの「本の町」があることがわかる。

『新世紀書店』の出版は、06年4月のことで、高野さんから贈呈いただいた。そして、たぶんその本に書かれたおもいをこめてだろう、いまは伊那市に合併した、長野県高遠町に「本の家」ができた。

本好きでもないおれが、一度は訪ねてみたいとおもったのは、高遠というところへ、2回ほど行っているが、けっこう好きだったことがある。それから、このことは前に書いたような気がするが、こころざしがあって、未来へ向かって何か起こすなら、人が集まりやすい大都会ではなく、田舎の可能性に賭けるべきだという考えがあるからだ。

それは、ま、自分の体験でもあるが。かりに失敗しても、田舎の可能性に賭けたほうがよい。得がたいものが残り、短期にみれば失敗でも、長期にみれば、そうともいいがたく、長い人間関係やコミュニティにとっては貴重であることが少なくない。長い歴史のなかでは、いっときの騒ぎより、そういう積み重ねが大切だとおもう。

そんなこともあって、高遠への出店は、さすがだなあとおもっていたし、興味津々だった。

前置きが長くなった。2009/08/07「「日本で最も美しい村」連合、長野県大鹿村。下諏訪すみれ洋裁店経由。」に書いたように、大鹿村の取材の帰り、そのまま国道を北上し高遠へ行った。店の正確な名前も住所も知らないが、行けばなんとかなるだろう。

高遠は、以前の印象と、かなりちがっていた。2回行ったのは、80年代のことだから、変わるのは仕方ないにしても、チト方向がまちがっていやしないかという印象だった。なぜ伊那市と合併したのだろうとも、おもった。

秋山カメラマンは、高遠は初めてだった。おれの記憶にしたがって、テキトウに行くと、観光案内所があった。クルマを駐車場にとめ、カウンターのおばさんに、「本の町のようなことをやっている店」ときいた。おばさんは、真っ直ぐ前を指差し、「あそこが、その主宰者の方の店です」といった。道路の反対側に、その店は、あった。おもっていたより、小さく、どちらかといえば小粒な古本屋というかんじだった。だけど、ほーらね、オリコウでセンスがよい知的な本好きが集まるところですよ、という感じではなく、「ただの店」という日常感がただよい、ようするに八百屋や魚屋と変らない本屋なのであるという感じの佇まいがよいなとおもった。

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なかは、おもったより奥行きがあり、しかも実際のスペースより、広くゆったりした雰囲気につくられていた。喫茶店でもあり、古本屋さんでもありといった造りだ。見た目は、外観のように、とくべつ本屋を気どったところはない。まっこと、本好きではないおれにとっても、居心地がよいのだ。

入る前に、一冊も買わないにしようとおもっていたのに、つい二冊も買ってしまった。秋山さんなどは、買いたい本を、テーブルのうえに何冊も積み、うーむと考えては、またもどしてみたり、かなり悩んだ末に、しぼって何冊か買っていた。そして、近くの温泉銭湯を教えてもらい、気分よく「ありがとう、さようなら」したのだった。

たぶんこの店には、本好きを魅了する何かと、本好き以外でも好きになれる店としての本屋の要素があるにちがいないとおもったが、それが何かまではわかる時間はなかった。とにかく、とかく東京の本好きや本屋やブックカフェなどに感じる、おもわず引いてしまいたくなる、下世話な人間が近寄りがたい、「独特の雰囲気」「敷居の高さ」は感じられなかった。まちがいなく「まちの本屋」なのだ。なんとなく、北尾トロさんらが考えていることが、体験として感じられた。

帰って来て、サイトを見たら、店に入って、すぐ左側に、たくさんの雑貨がならんでいて、よく見なかったのだが、どうやら「わめぞ」の旅猫さんの出展だったようだ。

さて、それで、長くなったが、ここからが大事なこと。

8月29日(土)・30日(日)、「第一回高遠ブックフェスティバル」ってのが開催される。ぜひ、ぜひ、応援したい。ので、ここに書いているのだな。内容が、ちょいイマイチだなという気がしないでもないが、ま、一回目だ、いいではないか。可能性に賭けよう。

いじょ。

本の家
http://hon-no-machi.com/

高遠ブックフェスティバル
http://takatobookfestival.org/

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2009/08/13

農林水産業と食物のあいだ。

こまったことに、日本語には「食糧」と「食料」という表記がある。そして「食糧」は、とくに「主食」をさし、「食料」は、とくに「主食」以外の食物をさす。かなりアイマイな表現が増えているとはいえ、そういうことできた。これを、まとめると、なんとなるか。「食物」ってことだろうか。「食品」では、チトちがうようだ。

農林水産業は、食糧や食料を生産しているのだけど、とりあえずまとめて「食物」を生産しているということにしよう。だけど、農林水産業を、「食物生産業」とはいわない。80年代ごろから、「生命維持産業」とよぶ人たちも一部にはいたが、「生命維持」は、医業だって薬業だって、やっている。

「鉱業」は、鉱物を生産する。「建設業」は、建設する。「金融業」は、カネを融通してくっている。なのに、農林水産業は、食物を生産するが、「食物生産業」とはいわない。

言葉には、マインドが背景にある。農林水産業には、食物生産のマインドが希薄だった。食物を消費する大都会の消費者も、農林水産の当事者においてもである。

その状況は、「安心安全の食べ物」を求める機運の高まりで、変りつつあるようだ。

農林水産業を、「食物生産業」としてとらえなおす傾向が、顕著な大きな流れになってきた。それは、べつの見方をすれば、「農林水産業」という表現でやってきた秩序の崩壊を意味している。といえる。その、あらわれのひとつは、「農業」という趣味である。

いまでもあるかどうか、「趣味の園芸」という、NHKの番組があった。ベランダ園芸、一坪貸し農園なども含め、ようするに「農業」の趣味版だろう。つまり、それで生計を成り立たせようというわけでなく、生活のわけでなく、なにかしらの精神的満足、「癒し」とか、「自己充足」とか、あるいは近年は「オタク的」「マニア的」情報の満足とか、簡単にいってしまえば、主観的な満足感のなかに成り立っているものだ。「経営マインド」や「生計マインド」といったものは、必要ない、存在しない。

ちかごろの「農業ブーム」といわれるなかには、この「趣味の園芸」の「大規模化」がみられる。ベランダや一坪貸し農園をこえて、「本格的」な取り組みだ。しかし、そこには、やはり「経営マインド」や「生計マインド」といったものはなく、生きていくための「作付け計画」やら「飼育計画」といったものもない。ようするに、世界一周旅行の豪華客船のうえで農業をするようなものであり、テマ、ヒマ、カネと手をかけて楽しむ、趣味である。趣味というのは、どう客観的にみても、とどのつまりは経営や生計とは関係ない主観的な満足であるから、これは「生産」をしているようだけど、かなりゼイタクな消費活動である。

「農林水産業」という表現でやってきた秩序の崩壊のカタチのひとつが、そのような趣味となってあらわれている。そこから、「食物」の真実に迫ることはできないし、「食物生産」の現実的なビジョンは生まれない。

ついでだが、似たようだけど、少しちがうのは、「自給自足」的営為だ。そこには、いわゆる「カウンター・カルチャー」はなやかなりしころから続いている、いわゆる「ヒッピーという生き方」がある。ヒッピーな消費的趣味もあるけど、ほんとうに自給自足を追求しているヒッピーさんもいる。

食物や飲食との関わりを、趣味的にとらえるのは、なんども当ブログで書いてきたように、ここ30年ほどの消費主義の特徴だ。それが、稲作をしたり畑を耕したり、ヤギやニワトリを飼ったりと、「生産」の分野にまで拡大した。ラーメン好きが高じてラーメン屋を始めたり、酒好きが高じて自分でドブロクをつくるようなものだ。「農業体験施設」や「観光農園」などは、そのお手軽版だろう。

いまのところ、そんなアンバイだろうか。

「食物生産業」のなかで、もっとも辺境あるいは極北に位置するのが、林業にちがいない。農業と水産業を「食物生産業」と考えることは容易でも、林業となると遠い。林業なんて、家や家具の材料のものでしょ、てなところだ。ヒッピーさんはともかく、稲作をしたり畑を耕したり、ヤギやニワトリを飼ったりしても、林に手を出すひとは、ほとんどいない。関心も低い。飲食について語っても、林について語れるひとは少ない。

036美瑛町のばあいは、営林と畑作が一体のところがあったが、「日本で最も美しい村」にも、林業が壊滅状態のブナ林があった。農業や食への関心の高まりは、林にたどりつくだろうか。林業を、食物生産業に位置づけられるだろうか。とくに大都会の消費者のあいだでは、すでにそうであるが、飲食の「オタク的」「マニア的」情報の満足のなかに遭難する恐れは十分にある。それに、「食物生産業」を意識することで、たとえばハウス栽培や野菜工場のように、生産に直接関わること以外は排除するという機械的な考えがはびこる傾向もある。

趣味としての美味や農業ではなく、生活のなかの美味や食物生産を広げることの先に、林があるとおもう。うふふふふ、酒を飲みながら日本の森林を再生させる、日本森林再生機構の意義は、大きい。まだまだ、飲み方が足りない。

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2009/08/12

カントリー・ロード、苦労しながら佳境へ、出られるか?

400字40数枚ばかりの原稿量は、多いのか少ないのか。これでうまくいくとおもって書き始めた構成が、うまくいかず、ゆきつもどりつ。時間が過ぎていくが、気持は、さっぱりあせらない。まったく根拠はないのに、うまく書き上げられるという自信だけはあるのだから不思議だ。

なので、チョイとこれやってくんないかな、なんていう割り込み電話があっても、ああいいよと、そちらを片づけてしまう。ほんとうに、これで、なんとかなるのだろうかと自問してみるが、おれのなかのおれが、大丈夫と自信満々である。

じつは、最初に取材した、大蔵村の取材録音が、いまどきのしかし旧型のデジタル・レコーダーを使用したのだが、それを持って、つぎの美瑛町へ行って、さて使おうとしたら大蔵村のファイルが、そっくり消えていたというジケンがあった。旧型なので、パソコンに落とせないから、バックアップがない。

なぜそんなことになったか、おもいあたることがない。空港の持ち物検査で、そんな事故が起きるとも、考えにくい。だけど、とにかく、消えているのだ。頭のなかが、一瞬、真っ白になった。だけど、もともとカラの頭だから、白くはならず、カラのままなのだ。さいわいなことに、どうしたわけか、いつもあまりメモをとらないおれが、大蔵村のときだけは、録音しながら、かなり克明なメモをとっていた。原稿を書くには、さしつかえない、あわてふためくことはないとおもった。

しかし、美瑛町から帰るとき、旭川空港から乗るわけだが、どうもやはり、あの持ち物検査が気になる。原因がわからないだけに、考えると不安がつのる。バッグのなかから、レコーダーだけ取り出して、財布やキーなんかとトレーにいれた。検査を通過して、すぐレコーダーを動かしてみた。問題なかった。最後の大鹿村は、重いアナログのカセットテープ・レコーダーを持っていった。おれは、ばかにされるアナログ人間だから、これがいいのかも知れない。

ま、そういうこともあった。収録され無事に残っている、美瑛町と大鹿村の取材の、合計6時間近くのテープを聴く。美瑛町長のインタビューは、圧倒的に、すばらしい内容だ。インタビュアのおれが、すばらしい、のではない。町長の考えが、しっかりしているのだ。チョイと、こういう話は、なかなかない。いい取材ができた。たくさんのひとに聴いてほしいぐらいだ。

はて、この内容を、どれぐらい原稿に生かせるか。とか考えながら、写真なども見て、いろいろ確認したりする。ああ、また行きてえなあとおもいながら、写真をながめている。そんなことしていると、どんどん時間が過ぎちゃう。「やばくね」とおれのなかのおれがいう。「大丈夫、だいじょうぶ」とおれのなかのおれがいう。おれは後者のおれを支持する。

Biei028

美瑛町で、クルマを走らせていた。なんとなく「カントリー・ロード」が鼻歌になりそうな風景だった。麦畑でコンバインが動きまわり収穫作業をしていた。すごい迫力だった。コンバインも、大型で、かっこいい。取材中に見た、いちばんカッコイイやつだ。たぶん新しい型だろう。クルマをとめて、秋山カメラマンが撮影を始めた。

Biei032と、クルマをとめたむこうから、大きなトラックが、こちらの車線を走ってきた。われわれの停めたクルマに向かって、猛然と走ってくる。なんだ、なんだ、なぜ左車線を走らないのだ、どういうことなんだ。

おれがボーゼンとしていると、とめたクルマの手前で荒っぽくカーブを切って、ボーゼンとしているおれの横で、ブレーキをかけた。高い運転台から、作業帽のおやじさんが顔を出した。夢中でコンバインを追いかけている秋山カメラマンのほうをアゴでしゃくりながらいった。「おい、にいちゃん、いいカメラで撮っているんだから、せっかくだ、あの運転台に乗らせてもらいな。2階にあがったみたいだよ。迫力あるよ」

Biei030おれが、「はあ?」ってな感じのうちに、おやじさんはトラックを勢いよく発進させた。50メートルほど先で、畑の中の道に突っ込んでとまった。おやじさんは、コンバインに近づき、とめさせ、秋山カメラマンを乗り込ませて、去った。

秋山カメラマンからきいた話によると、運転席のおにいさんは、27歳だったかな? 髭ズラでいい顔している。冷房がきいている運転席で、ヒップホップをガンガンに鳴らしている。あのおやじさんは、このあたりで農業を共同経営している「顔役」なんだそうだ。おにいさんは、おやじさんの従業員ってことらしい。

Biei031おやじのふるまいといい、景色もひともコンバインも、みんな、すごくカッコイイのだった。いやあ、なかなか、めったにないことだ。こういうことがあると、一層また美瑛町がよくおもえちゃうのだな。

それが、この一連の画像ってわけだ。それにしても、コンバインの大きさ、画像でわかるかな。とうぜんのことだが、農業も、農業するひとも、いろいろ変化している。

この麦畑は、形状と周囲のようすから、もとは水田だったにちがいない。減反による転作だろう。

と、書いている最中に、ピンポーンが鳴って、秋山カメラマンから、CDに焼いた写真が届いた。千五百数十枚あるらしい。「見るのも大変だと思いますが、軽くしてありますので、それほどストレスなく表示できると思います」「執筆大変かと思いますが、陰ながら応援しております」と調子のいいことも書いてある。ありがとう。

はてさて、写真のセレクトだけでも、大変だ。原稿、予定通り書けるのか?大丈夫、だいじょうぶ。

それでは、オリビアの「カントリー・ロード」です。
http://www.youtube.com/watch?v=zSSYgpH58dg

実際のところ、もっとあせらなくてはならないのだが。おれのなかのおれが、あせってくれない。

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2009/08/11

山形、北海道、長野、そば産地の蕎麦。

山形県、北海道、長野県といえば、むかしからそばが有名だ。ちかごろは、どこでも、減反の転作でそばの作付けが増えているのだが、それでも、この三つの道県は、そばの作付け面積だったか生産量だったかで、ベスト5に入っているはず。

というわけで、ってことでもないが、大蔵村でも美瑛町でも大鹿村でも、蕎麦をたべた。「産地」という気分があるかもしれないが、どこも、そばの香りが強く感じられた。もちろんいずれも、手打ちで、だしにも、それぞれ特徴があった。

028山形県大蔵村のそば畑は、まだ種まき前だった。土をおこした畑を写真に撮った。

7月16日13時すぎ、役場から四ヶ村棚田へ行く途中の、郷土料理伝承施設「ふるさと未来館」で食べた。ここは、伝承料理としての蕎麦であるから、家庭で蕎麦が常食であり、蕎麦を打つのは「おふくろ」の仕事であったのだろう、そのおふくろさんたちが料理をつくり、彼女たちが打った蕎麦を食べさせる。

Ookura009「もり」にあたる「板そば」が800円。「鳥そば」という地鶏のダシのきいた汁の蕎麦が700円。両方を一つに膳にした「とりもり」1000円を食べた。みるからに素朴な、やや太い麺、家庭料理らしい、力がつく蕎麦だった。

北海道美瑛町では、2009/08/03「さまざまな新規就農、あるいは移住者。美瑛町では、フツウのスタイル。」に画像があるように、そばの花が咲き誇り広大な美しい景観をなしていた。収穫直前といったところか。

1688月1日13時ごろ、美馬牛の上富良野との境の丘のうえにあって、眺望のよい「花人庵(はなびとあん)」に入った。若い、夫婦とおもわれる二人で、50席以上もありそうな大きな食堂を切り盛りしていた。そば以外のメニューも、いろいろあったが、ご主人は、眺望のよい窓際で蕎麦を打っていた。おれも秋山カメラマンも、もり700円一枚では、腹の虫がおさまらず、うまいことでもあり、もう一枚ずつ追加した。
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Oosika227長野県大鹿村は、そばの花を見かけたような気がするが、全体的には、これからのようだった。

8月6日11時ごろ、標高千メートルほどのところにある「するぎ農園」の「山の食堂」で、食べた。ここは、耕作放棄地が広がりそうな地域に、村が農村体験施設としてつくったものだ。しかし、いずこもおなじ、「官」の商売はうまくいかず、経営はゆきずまった。ちょうど、小泉改革の規制緩和で、税金を投入した官の施設も「民」に貸すことができるようになった。そこを、たしか神奈川県からだったかな?5年前に移住し新規就農したご夫婦が借りて始めた。蕎麦打ち体験もでき、観光できたらしい家族の子どもたちがそばを打っていた。

Oosika230

もり蕎麦、700円は、蕎麦もだしも、とても香りがよくうまかった。蕎麦は、平地で食べるより高地の、やや湿気をふくんだ、それでいて冷たい締まったかんじの空気のなかで食べると、一層うまいような気がした。空気も、薬味というか、おかずというか、なのだな。

今回は、ほかにも食べまくっている。なにしろ、そもそもカメラマンというのは、健啖家であることが多いようだが、秋山さんの食べる量は、ほれぼれするほどすごいのだ。なので、安心して、しゅっちゅう食べ、たくさん頼むことができた。

しかし、美瑛町で入った居酒屋は子連れの家族が多い大衆食堂のような居酒屋だったが、なんの気なしに、あれもこれも頼み、出てきた量の多さに、二人で思わず「ぎゃあ」と声をあげてしまった。その声を聞いて、ついたてをはさんで隣にいた地元の客が、そんなので驚いちゃいかん、これを見よ、と自分たちのものを見せてくれたが、ほんと驚いた。しかも、ただ量が多いだけじゃなく、料理に工夫があって、うまい。われわれは残すのがもったいなく、もう馬になった気分で、真剣に格闘し馬食したが食べきれず、残ったのは容器に入れてもらい持ち帰り、民宿のひとにあげたのだった。機会があったら、そのスゴイ量の料理も紹介したい。北海道の広さのような馬食、おそるべし。

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2009/08/10

混沌としたなかで負けずにファンキービジネス。

171最初の画像は、長野県大鹿村で、標高千メートル弱の赤石荘へ行く途中。撮影している位置は、標高7百~八百メートルぐらいかな。この集落は、わりと人家がおおいほうだった。撮影している位置から左へ歩くと、二番目の画像、耕作放棄されたところがあった。カタチからみると、かつては棚田というところだったであろう。水がはられ稲が植えられた状態は、なかなかよい景観だったにちがいないと想像できた。

Oosika176減反の結果か、離農か、原因は、わからない。こういうところは何か所もあり、このように耕作放棄された土地は、たちまちやぶになり、そこは獣たちにとっては、よい住処となる。かくて「獣害」との戦いが、営農の課題になる。

が、それは土地が自然に還りつつあるのだ、なんで、このけっこうな文明の御時勢に、こんな山奥で暮らしている必要があるのだ。そんなところに税金をつかうのはムダ。という、都会の価値観による、「現実主義者」「合理主義者」もいないではない。

「地方分権」が、いま話題になっている。一部の知事連中が、それを錦の御旗に野心を満足させようという、うさんくさい悪臭もする。そもそも「地方分権」というのは、いわゆる「三割自治」なる状態の解決を図るという文脈だったはずだ。

国税だろうが地方税だろうが、おなじ国民一人ひとりの財布から吸い上げられている。おれの財布のなかの、この分は国税、この分は地方税と決めているのは、おれじゃない。ま、カタチとして、代議制を通し、おれも参政しているから、まったく責任がないわけじゃないが。

とにかく、財源の七割を国が吸い上げて、そこから「地方交付税」として、まるで国が独自に稼いだカネであるかのような顔をして「交付」する。そういえば、おなじようなアンバイで、ついこのあいだ「定額給付金」なんてのもありました。

ようするに「自治」というが地方自治体が自分の意思で決められるのは、財源的には3割。この構造において、中央官僚は、絶大な力を握っている。これまでの政権党も、必ずしも仲よくとはかぎらないが、二人三脚でやってきた。とくに「族議員」なんてのは、その大将の見本のような、かつて「サメの脳みそ」なんて失礼な揶揄を浴びた森元首相なんてのが、そのサメの脳みそで首相が決まるとウワサされるほど実権をもっているらしい。そして、誰が見てもオカシイ、官僚の天下りすら、たったそれだけのことすら、いまの政権党は、手をつけられなかった。あなおそろしや中央官僚。

それを、では、いったい、何割が国の財源として妥当かどうかは知らないが、とにかく大幅に財源を地方に移そうというのが、「地方分権」であり、それを「自民党をぶちこわしてやる」といいながら小泉元首相は断行しようとした。エライ。そして、財源を移すのだから、税金をつかってやってきたこともやめちゃえ、民間でやれることは民間でやればよいじゃないかと、「丸投げ」が流行った。

かなり大雑把であるが、以上は復習。

小泉元首相の「改革」の評価については、とにかく、いまやみんな悪いことは小泉改革のせいにしているから、正確のところはわからない。あれっ、規制緩和で、こんなことができるようになったの、いいじゃない、なんてことが、今回の取材でもあったのだが…。「いい面」とか、「わるい面」とか公平ぶったことより、働き生きるものにとっては、どう現実が変ったかの把握のほうが大事だろう。

とにかく、事態は、混沌としてきている。小泉元首相がふるった「規制緩和」のナタは、意外なところで、自由度が増しているかんじがある。規制緩和とは、一方では、自由の拡大であり、自由の拡大は、安定からみたら混沌なのだ。中央官僚支配のもとでの安定は、もはや崩壊しかないだろう。ようするに混沌へむかっているのだ。

安定になれた身体は、混沌を不安におもい嫌うかもしれないが、なに、いっときのことだ。そこに含まれる自由に気がつけば、それを利用したビジネスなりなんなりで生きることを考えるようになる。今回の取材でも、そういう事例をみた。けっこうファンキーに、混沌としたなかで負けずに生きている。また混沌としたなかでこそ、以前に何度か書いた「ファンキービジネス」が生きる。もちろん、本である『ファンキービジネス』そのままがあてはまるわけじゃないが、渾沌という変化を生きるには、ファンキービジネスである。

Oosika_akaisi137美瑛町で会った、二人の新規就農者は、とてもファンキーな感覚の持ち主だった。大蔵村にも大鹿村にも、おなじようなひとたちがいた。

なんだか、まだまだおもしろくなりそうだ。なんだか、やる気が、わいてくるのだ。「日本で一番精力的な65歳」と書かれて、来月には66歳になるのだが、そんなにやる気を出してどうするのだ。せめて老人性インポぐらい直したい。

ばかなこと書いてないで、原稿を書かなきゃ。

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2009/08/09

美しい景観のなかの、おかしなおかしなこと。

けっきょく、自公政権は、減反政策の見直しを見送った。このブログでも、なんどか、おかしなおかしな農業政策をネタにしたきた。ま、農政は戦後政治のウミの溜り場みたいなかんじであり、かなり複雑なことになっている。それは、痛みをともなわないかぎり解決しないからこそ、「痛みをともなう改革」と称されるものが行われてきた。その痛みたるや、だれが負ったかといえば、「格差」がブームになり、かつ定着した実態が示している。

そういう政策レベルのことは、おいとくとして、農業の現場に少しだけふれているあいだに、ふとおもうことがあった。それは、たとえば、「4割減反」とは、どういうことかということは、都会で農業と直接関係なく暮らすおれのようなものにとっては、関心がないか、関心があっても政策レベルのことだったのではないかということだ。

現場のひとの、この言葉に、おれはハッとした。「4割減反というのは、収入が4割カット、その状態で生活しろということなんですよ。東京の人たちだって、収入が4割カットなんてことになったら大変なことでしょ」

減反政策を、このブログで話題にするときでも、そこんところは考えたことがない。たしかに、生活レベルでは、そういうことなのだ。コメがなくては生きていけない都会地で、4割減反を、そのように理解しているひとは、どれだけいるだろうか。それこそ、みんなの生活問題としての食糧問題ではないのか。

減反政策と平行して離農が進行し、耕作放棄地は増える一方だ。新規就農の比較的おおい地域でも、離農がそれをうわまわる。生活できない仕事は、だれもやりたがらないのは、当然だろう。新規就農のばあいでも、稲作は先がないといわれ、自家用米以外は、野菜や果物の施設園芸が主流になっている傾向があるようだ。

農業ブームにみられる、農業を食うためではなく、ボランティアや趣味として取り組むのは、それは、あるいは何もしないよりマシかもしれないが、食糧の根幹に関わることを、やっても食えない状態のままでは、なにか大きくゆがんでいる不自然を感じる。

農水省が棚田百選を認定したのは、1999年7月のことだ。「農林水産省は、農業収入や兼業のみでの棚田の維持が難しいと考え、観光地化を目的とした日本の棚田百選を選定した」。一方で農水省は、大規模化と減反政策という、棚田つぶしの政策を実行してきた。

Ookura018そして、じつにおかしなことが起きている。観光資源となりうる棚田の景観は、そこで耕作が継続することで維持されてきた。耕作が放棄されたら、荒地と化し、景観どころではない。だけど、4割減反政策を町村で厳密に実行すると、単純計算で棚田の4割は作付けができなくなる。とくに棚田があるような、平地の少ない山間では、もともと水田は少なく、棚田をはずして減反を実行できないし、他の地域とのバランスもあり、棚田だけを優遇することはできない。かくて、棚田百選に選ばれた「日本で最も美しい村」の棚田に、作付けできない棚田が生まれる。国による全国一律の減反政策のなかで、耕作しなければ維持できない棚田の景観維持と、4割減反という、相反することを村の行政はせざるをえない。

金銭や人手に余裕があるなら、減反の地を荒地にしないですむ。しかし、4割収入カットに人口減過疎化で、とても手が回らない状態が少なくない。観光客に見られても、みっともなくないように、草ぼうぼうにならないようにするのがやっとだ。画像は、山形県大蔵村の棚田百選に選ばれた「四ヶ村(しかむら)の棚田」。右端の濃い緑は作付けされた稲田で稲が生長している色だが、それ以外は、作付けがない。下の画像もおなじ。中央部から上段に作付けしてないところがある。
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この「棚田米」は、雑排水はまったく含まれない飲料にできる湧き水の清流のみをつかい、高所にあって農薬も少なくてすむところから「水田環境米」に鑑定されている。だけど、この良質の米を生産する水田で営農していくことは、困難である。地域のこころざしある人たちによって保存活動が行われ残ってきたが、「棚田百選」とは、農水省から引導をわたされた場所、とみることもできそうだ。
Ookura017

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2009/08/08

「日本で最も美しい村」と「大規模化」そして「味覚」の選択の課題。

さて、山形県大蔵村(7月15,16日取材)、北海道美瑛町(7月31日8月1日取材)、長野県大鹿村(8月5,6日取材)の原稿を来週中にまとめなくてはならない。A4サイズ、本文40ページのうち16ページが、割り当てられている。そのうち6ページは写真が中心でキャプションていどの原稿量だが、10ページは横組でタップリの量の原稿になる。

書くとなると原稿量が多いのも悩ましいが、もっと悩ましいのは、当初の予定より、たくさん取材してしまったことだ。打ち合わせのときの構成(毎号たいがいルポをまとめるパターンは決まっている)では、整理がつきそうにない。

もとはといえば、役場の各町村長と担当者を取材してまとめるものだった。だけど、行政サイドの取材だけじゃおもしろくないよなあ、いろいろな、そこで働き生きる人たちの話を聞きたいという気持が根にあるものだから、チャンスがあると、ついそちらへ身体が動いてしまう。そして、気がついてみれば、「取材のしすぎ」で、それを生かすとなると、構成から考え直さなくてはならない状態だ。

「ちょっと取材しすぎて、整理が難しくなりそうだ」という感じは、おととい大鹿村の取材の途中か、帰りのクルマのなかで気づいた。取材もおわりになって、没頭から覚めたというか。秋山カメラマンに、その話をしたら、「ぜいたくな悩みだから、いいじゃないですか」といわれた。そりゃまあ、そうかも知れない。少ないネタを、うすめてのばす原稿を書くより、充実したものができるだろう。だけど、時間がないなかで、写真のセレクトだけでも、大変なことになるにちがいない。

ほんらい、構成は編集者の仕事だけど、ここまでやると自分でやらなくてはならないし、やって完成させたいという気分にもなる。整理しながら、そんなためいき。

「日本で最も美しい村」の「美しい」という言葉から、かつて首相の座をほおりだすという「美しい」ことをやりながら、影響力を保っているらしい安倍元首相の「美しい日本」を連想するひともいるようだ。それはそれでかまわないだろう。それぞれのおもいの「美しい」があるし、それがごちゃごちゃ混ざり合いながら、「日本で最も美しい村」連合は、うごめいているようだ。

だけど、「美しい日本」には、「強大な日本」のイメージが少なからずある。その部分についていえば、「日本で最も美しい村」の「美しい」は、そういうものではなく、「小さくてもよい美しく生きよう」というあたりが、コアになっていると感じた。

それは、取材のなかで、あるひとがいった「どう自分たちの地域を残すかということに非常に力を入れている」という言葉にあらわれている。

「日本で最も美しい村」という表現は、なにやら観光的キャッチのようだが、本質は、そうではない。平成大合併大合唱のなかで、日本中が「大規模化」を競っているとき、「どう自分たちの地域を残すか」と模索した結果なのだ。たしかに、フランスの例がキッカケではあるが、自分たちがそれをしなくてはならない動機が、十分すぎるほどあった。

「大規模化」の流れは、いまに始まったことではない。とくに、都会では感じることは少ないとおもうが、農業の大規模化は近年はげしく進行している。これまでの大規模化の失敗を、さらなる大規模化できりぬけようという、官僚無責任根性もみえかくれする。「もう農水省は大規模化しか考えていない、それが既定の路線なんです」と、取材のなかで聞いた。そのように小規模営農が大部分を占める小規模町村は「危機感」をもち続けている。

「そのうち、土のことも作物のことも知らない、派遣会社の作業員がバスでのりつけ、機械で作業しては帰っていくような農業になるかも知れない」という農家のひともいた。実際、それに近い形態は、すでにある。

農業の大規模化は、一方では、「味の画一化」だ。つまり大規模農業というのは、工業的標準化によって大規模生産が可能になるわけで、その結果は、「味の画一化」にゆきつく。「大規模化か、小規模で生きていけるのか、私たちは悩んでいる、さきの絵が描けない。都会の消費者は、どうなんでしょうかね、味の画一化がすすんでもよいのでしょうか」「だれがどこでどんなふうにつくろうがよい、大都会のビルの地下でつくろうが、どこかの工場みたいなところでつくろうがよいとなってしまったら、農業の意味はなくなるとおもいます」

おれは、何もいえなくなってしまうことが、何度かあった。「大規模化」の選択は、消費者にとっては味の選択であるが、味にうるさいひとでも、そこまで考えているひとは少ない。「農業ブーム」といわれるけれど、総選挙だからといって、グルメな大騒ぎほど、農業の大規模化が争点になりはしない。その消費者の選択が、大規模化を決定づけている面もある。

というわけで、「大規模化」という既定の路線のなかで、「どう自分たちの地域を残すか」と、自律的に摸索する町村もある。そこには、守り育ててきた、伝え残すべき「美しい」何かがあるからなのだが、いずれも小規模営農が基盤にあってのことだ。

「日本で最も美しい村」連合の会長にして美瑛町の町長の浜田哲さんは、「農村は、農業を離れ観光客を集めていくことだけを考えては駄目だと思います。観光は流行のようなところもありますから、そこに重点を置くのではなく、まず、農業を中心とした地域づくりを先に進めていくことが大切です。そんなところから、この「日本で最も美しい村」の活動の基本計画も立てています」と述べている。これは、『日本で最も美しい村』(佐伯剛正、岩波書店)のなかにあるのだが、今回の取材では、もっと突っ込んだところを聞いた。ま、それは、原稿のほうに書くわけであります。だいたい、この町長さんはおもしろいのだけど、おもしろいことが書けそう。都会の価値観を「使用後」に、農村の価値観を「使用前」にたとえた話なんぞは、鋭くおもしろかった。「えっ、それ、書いてもよいのですか」と念を押して、「書いてもいいですよ」といわれたこともある。書くのが楽しみだ。

それにしても、離農で耕作放棄の「遊休地」が広がるありさまは、まさに「地域」が消滅しつつあるありさまであり、そこで暮らしてきたひとたちにとっては、自分の肉体の一部が欠けていくおもいなのだけど、そのなかで希望を失わず力強く生きているひとたちもいるのだなあ。

こうしちゃいられない。

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2009/08/07

「日本で最も美しい村」連合、長野県大鹿村。下諏訪すみれ洋裁店経由。

Sumire013「日本で最も美しい村」連合の取材は、山形県大蔵村、北海道美瑛町のあと、最後の大鹿村が、5日と6日だった。

おれは前日の4日、11時ちょうど新宿発のあずさに乗った。下諏訪で降り、ふらふらし、14時過ぎにすみれ洋裁店の、古いペンキのドアを開けた。みどりさんと06年夏以来の再会をよろこびあい、短いがたのしい時間をすごした。ほんとうは、一緒に酒を飲みたかったのだけど、みどりさんと酒を飲みだすと、翌日の取材に差し支えあるほど飲むことになりかねないから、前回の北海道取材前夜の飲みすぎの教訓を生かし自重。あらためて、飲みにだけ来訪する約束をし、辞した。

ひとりで、諏訪大社を詣で、温泉銭湯などに入り、湯上りに酒屋の店先で地ビールを飲み、うな富のうなぎなんぞを食べながら飲み、日没時を諏訪湖まで歩き、下諏訪駅にもどって列車に一駅乗り、20時ごろ岡谷のホテルに入った。ここんとこの疲れがたまっていたのか、すぐ寝てしまった。

Oosika064おかげで、5日朝は快調なスタートだった。10時20分ごろ、岡谷駅前で、都内からクルマで来た秋山カメラマンに拾ってもらい、中央自動車道松川インター経由で大鹿村へ。鹿肉ハンバーグの昼食を食べ、約束の13時に役場に着いた。

担当の吉田さんに話を聞き、14時から村長さんのインタビュー、予定どおり1時間でおわって、産業振興関係を担当する課長さんに話を聞く。16時ごろ役場を出て、村内の取材やら撮影。標高約千メートルのところにある山荘のような温泉宿、赤石荘に宿をとったので、そこへ向かいながら、こまめに動きまわった。

通りすがりのひとに話を聞く「突撃取材」だが、みなさん、とてもよく対応してくれる。ほんと、よい印象のひとたちばかり。たまたま、20年ほど前に移住したという方に、二人も出あい、この村は、むかしから移住者が多いことを知る。

そのひとりの中年の女の方に、「「マチとムラの幸福のレシピ」ってのが、取材のテーマなんですよ」というと、ふと考えるようにしたのち顔をほころばせ、声をひそめ、「いいこと教えてあげる、この村は、幸福がたくさんあるの」と言われた。その顔は、少女のようであり、そして、いかにも幸せそうだった。

赤石荘についたのが、17時半ごろ。着いてからわかった、赤石荘は、「日本で最も美しい村」連合の会員企業だった。名簿には「有限会社多田」としかなかったので知らなかった。入口や受付カウンターの壁に、美しい村のマークポスターが貼ってあった。なんという偶然だろう。個人経営旅館で、こういう会員になろうというのだから、まだ30半ばの男主人は、こころざし高く、研究熱心でもあり、熱いものがあった。それは、料理にも、あらわれていた。

大鹿村は、名前のとおり鹿がとれる。とれるどころが、獣害に悩まされている。この鹿が、うまい。赤石荘では、ステーキと刺身をたべた。ステーキは、8400円の一泊二食の代金に含まれている。ソースに地元の名産である、ブルーベリーをつかう工夫がしてある。しかも、ほかにも、虹ますの姿揚げがついたり、食事はうまくタップリあった。

鹿肉も、猪肉も、これまでけっこう食べてきたが、野生のものだから場所などによって、味や肉質がちがう。大鹿村の鹿は、かなりよいものだとおもう。刺身なんぞは、上質のレバ刺しみたいだった。そして安い。いいジビエを食べたいとおもったら、都心なんぞで場所代に高いカネとられるより、そのカネを自動車道につかい、大鹿村へ行ったほうがよい。鹿肉以外にも、野菜や蕎麦など、うまいものがたくさんあるしね。

Oosika_akaisi130

Oosika168きのう6日は、朝5時におきた。赤石荘の露天風呂からの眺めがいいねえってことで、撮影。クルマで出かけ、いま大都会のスイーツ流行もあって、評判が高い夏イチゴの朝摘みを取材した。

トツゼンの乱入なのに、おばさんは手を動かしながら、自然にカメラにおさまってくれた。話もしてくれた。このおばさんは、朝の5時から正午まで、こうやってイチゴを摘みながら面倒をみている。ごらんのとおり、「土」は使わない「農」であり、いまや珍しいことではない。じつは、建設会社が営農するイチゴハウスなのだが、ゆき届いた管理で良質のものができる。土は使わない水耕栽培でも、品質は、場所の気象条件に左右される。つまり、良質の夏イチゴのためには、ここならではの気象条件がなくてはならないのだ。

村内あちこち撮影しながら、もどって朝食。9時すぎ、赤石荘を出た。引き続き、村内あちこち取材。11時ごろ、移住者がやっている農園に着き、そばを食べた。

218雨は降らないが、はっきりしない天気。赤石岳などの3千メートル級の高山には雲がかかりっぱなしで、山岳風景のなかの農村景観を撮影しておきたいのだが、すっきりは晴れそうにない。だんだん雲は濃くなり、ときどきパラッと水滴が落ちてくる。あきらめて、国道を北へ向かい、中央構造線が露出しているところなどを撮影しながら、大鹿村を離れた。

そのまま国道を北上し高遠へ。ぜひ見たいと思っていた、北尾トロさんらが始めた「本の家」へ行った。のち、近くの温泉につかり、一休み。伊那インター経由で新宿駅まで送ってもらった。新宿着は、18時過ぎ。帰宅。

北九州市発行「雲のうえ」最新号、松本清張特集が届いていた。

とりあえず、そういうこと。

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2009/08/03

さまざまな新規就農、あるいは移住者。美瑛町では、フツウのスタイル。

088

7月31日、旭川空港に着いてレンタカーを借り、相棒のカメラマン秋山さんの運転でむかったのは、最初の取材先、4年前に新規就農で移住したサワダさんの御宅だ。美瑛町は、新規就農支援に力をいれているようだったし、なぜ北海道そして美瑛町を選んだのかも知りたかったし、ぜひお会いしたかった。

サワダさんは、ある大手メーカーを辞めて就農した。年収は半分になったという。自家用の稲作のほかに、トマトとアスパラで営農している。トマトもアスパラも、ハウスでやるので施設園芸といわれる。トマト7棟、アスパラ2棟のハウスが、サワダさんの生産施設だ。

きょうは、また出かける準備で忙しいから、そのうち詳しく書こう。ひとことで「就農」といっても、なにをどれぐらいやるかの計画、それは資金力や年齢つまり体力や場所なども関係する。さまざまなのだ。もろもろの条件が、うまく噛み合うか、うまくかみ合わせることができるかどうかである。

018サワダさんが、昼食を食べに案内してくれた先も、サワダさんより一年後に新規就農された方だ。一年前にはレストランも開業、Webサイトもあって、見ると貸しコテージや野菜の直販など、「多角的」にやっている。

「ファーム 雨読舎」、いただいた名刺の名前には、「百姓」の肩書。入口の看板には、「農家のランチ」とある。レストランは、営農の一貫だから、昼だけの、曜日も限られた営業なのだ。

上の蕎麦畑が広がる画像の右端の中頃に、黒っぽい屋根が写っているのだが、そのあたりにある。このへんは、丘陵地帯で、「北西の丘」展望台などがある、「丘のまち 美瑛町」のメジャーな観光地だ。ということは、きのう書いたように、広大な畑作地でもある。

雨読舎のサイト
http://www.udocsha.jp/

サワダさんの地域は、ここからクルマで15分ほど旭川空港に近い、稲作もできる平坦地であり、いわゆる観光地ではない。それなりに、よい風情ではあるのだが。

移住者は、新規就農者とは限らない。観光産業に関係する、ペンションや飲食店やギャラリーなどを経営するひとが多いようだ。

ともかく、サワダさんと雨読舎さんのばあい、まず「就農」ありきというより、古い言葉になるが「脱サラ」、「自営」の選択が先であり、その自営の一つの選択肢として営農があった。ということなのだな。

それぞれ東京圏と京都からの移住だが、北海道を選んだのは、どうせやるなら、アイマイ中途半端はしたくないからだといった。つまり、ほかの収入源に手を出しやすい地域ではなく、働くときは一所懸命に農をするより仕方のない地域ということになるだろうか。そういう「覚悟」の固め方のようだ。であるから、雪のない働く季節は休まずトコトン働き、冬の数ヶ月は、何もしないで過ごす。

それは農家にかぎらないらしい。泊まった民宿クレスも、これが町中のとてもよい民宿だったので後日紹介したいのだが、冬は休むといっていた。全部が全部そういうことではないが、そういうスタイルがフツウに存在する場所なのだ。

そんなふうに生きるスタイルなり覚悟を決めてしまったひとたちの「美しさ」に、チョイとふれた気がした。これも、「日本で最も美しい村」を支える「何か」なのかも知れないが、こういう人たちにかぎって、アンガイ「日本で最も美しい村」連合の存在に無頓着であるようだった。民宿の若い女将は、「日本で最も美しい村」のことは、まったく知らなかった。そういうものなのかも知れないし、それでいいのかも知れない。

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2009/08/02

「日本で最も美しい村」連合には「なにかある」。北海道美瑛町。

Biei2032009/07/18「「日本で最も美しい村」連合、山形県大蔵村で、いろいろな「美しさ」に触れた。」のつづき。北海道美瑛町を取材した。7月31日午前7時25分羽田発で旭川、8月1日午後5時ごろ旭川発で帰途。東京都区部をあわせたぐらいの、広大な面積の美瑛町を駆け足の取材だった。新規就農の農家の方や、町役場の町長さんや担当者の方、通りすがりの農家の方など、親切にしていただきお世話になった。

これで、「日本で最も美しい村」連合の、大蔵村、美瑛町と二つ取材した。どちらも、2005年の全国7町村でスタートしたときからの加盟町村だ。とくに美瑛町の浜田哲町長は、「言いだしっぺ」で会長をつとめる。

考えてみれば、政府主導の「平成大合併運動」のなかで、厳しい農村環境にありながら合併を選択しなかった、しかも全国見渡せば、たくさん町村があるなかで、たった7町村で「やってみよう」と旗をあげたのだから、そういう町村長には、「なにかある」し、それは町村長個人の資質や何かもあるのだろうが、そういうひとを培った、「場所の力」というか、やはり「なにかある」ということを、今回は強く感じた。

ひきつづき、スタート7町村のうちの長野県大鹿村の取材だ。美瑛町の町長さんや担当者の方も、年次総会の三回目が大鹿村であったとき、「なにか変った」というほど敬服されている大鹿村である。またもや時間がなく、駆け足になりそうなのだが、楽しみだ。

10月には、「日本で最も美しい村」連合の第五回総会が、先に取材した大蔵村である。今回で加盟町村は30をこえる勢いだ。

浜田町長の取材では「地方分権」が話題になった。いま「中央」で「政治」として「地方分権」が騒がれているが、その言葉ではあらわし切れない、「自律的」「自立的」「自主的」な動きが、いろいろあるのだな。ひとの数ほど生き方があるように、町村の数ほど町村の生き方があるのだ。いまの「中央の眼」からだけでは、そのことが見えてこない。

厳しい農村の現状をみれば、「日本で最も美しい村」連合で万々歳順調というわけにはいかないのはもちろんだが、とにかく未来への布石として「なにかある」。今回は、その「なにか」に触れた気がした。つづいてすぐの大鹿村の取材では、そこをもっと掘り下げてみよう。

ってことで、ばたばたしている。でも、どんなに忙しくても、酒だけは、よく飲んでいる。出発の31日の朝は、前夜飲みすぎて、飛行機に遅れそうになり、酒のにおいを発散させながら飛行機に乗った。美瑛町でも、いい飲み屋をみつけた。地域の気質や実態にふれるには、飲み屋や銭湯など、けっこう大事だ。なので、飲むのも、銭湯や温泉に入るのも、「取材」なのですね。

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美瑛駅前の中心街。この過疎の町の中心地に、銭湯が2軒もあるのは、どういうわけか気になったが、取材する余裕がなかった。しかし、今回の一連の取材は、天気に恵まれている。大蔵村も美瑛町も、その前後は雨なのに、ちょうど取材の2日間は晴れだった。北海道は全域で、例年とまったくちがって、7月は梅雨のように雨の日が多く、農作物の生育にとってかなり打撃になる状況のようだ。ということは、とくに小麦、じゃがいも、トマトなどの市場動向に影響がでる可能性もある。
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Biei146美瑛町の、いわゆる「ビューポイント」は、自然そのもの、あるいは観光用につくられたものではない。北国の、しかも平らな土地の少ない丘陵地帯で、土質も緑肥を大量に投入しなくてはならないという、農耕には不利な環境での、農業と生活がもたらした結果の景観なのだ。農作業には、どっと押し寄せる観光客は迷惑が少なくなく、農環境の破壊にもなりかねない。観光客にとっては道路をふさいでゆっくり移動する農作業車などが観光の「利便性」をそこなう。そういう、ややこしい風景もある。が、小麦の収穫期、ゆっくり走るコンバインのうしろに観光バスが従う姿は、「正常」であるような気がした。
Biei174
このあいだの死者を出した美瑛岳遭難の人たちは、ここから十勝岳経由で、雲に隠れている美瑛岳へむかった。この日も中高年の登山ツアーの観光バスでにぎわっていた。その様子は、なんだかな~、だった。大都会の価値観や感覚のなかで、いじりまわしている「自然」は、自分の価値観や感覚のなかにあるもので、その外にある本来の自然とはちがうものなのだ。そこの区別がつかなくなった、とくにいまどきの「自然志向」な中高年の「都会文化」が、はびこっているのかも知れない。「登山歴10年のベテラン」なんていう表現の報道があるが、それはたいがいここ10数年の「百名山ブーム」のなかでの「名山消費登山歴」で、しかも中高年になってからの10年では「ベテラン」といえるかどうか。
Biei147
富良野線、美馬牛(びばうし)駅。

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