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2009/10/31

「ミシュラン」の黄昏 4。文芸性あるいは芸術性とスノビズム。

よく買物をするスーパーでは、確実にトリの値段が上がっている。不況で、安かったトリの需要が増え、値段が高いほうに振られているのだろうか? 

まいど贈呈いただいている『ミーツ・リージョナル』の12月号、きのう届いて、まだよく読んでないのだが、特集は「トリのトリコ」ってことで「トリ」である。その「老舗トリ・ストーリー」に、「旧き佳き焼鳥店」の主人の話がある。「昔はねえ、鶏料理屋というのが、いま一つ下に見られてたでしょう」。

つまり「差別」や「偏見」を背景にしての「格付け」が、あらゆる面にあった。「牛」が上等で、「豚」がつぎ、トリは「下」という「格付け」だ。それは、店の「格付け」や、つくる人や食べる人に対する「格付け」でもあった。焼鳥屋も客も「下等」だったのだ。ま、ほんとうは「下等」ではなく、「ふつう」だったのだが、「ふつう」という概念は希薄だった。そもそも、「ふつうにうまい」ことが、評価されるようになったのは、近年のことだ。みんなで「上等」や「一等」を追いかけているなかでは、「ふつう」は評価されない。

名刺の肩書にしてもそうだが、日本では、「格付け」ということが、特別の意味を持ってきた。権威が評価した「いい」が、特別の重みを持つ。「名店」「名品」「名人」…「いい酒」「いい料理」「いい人」が評価される「格付け」のなかで、「ふつう」は「下」であり「格外」「等外」であり、ときには「ダメ」の烙印を押されてきた。

そういう環境のなかで、前回の続きだが、「自分流」の「自分の嗜好に忠実」な飲食は、簡単なことではない。ワレワレの味覚が「格付け」から自由になるには、どうしたらよいか。味覚の楽しみは、もっともっと素晴らしいものなのだ。ってなことについて書こうとしたが、用ができたので書けない。あとで、ってことにしたいが、きょうは泥酔しそうだからなあ。

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001ミーツのトリの生解体写真による部位解説は、なかなか見ごたえがある。

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