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2009/12/08

安酒の研究、その後。安酒酒蔵の「新酒祭り」。

001たしかに、おれは、たまーに非安酒純米酒を飲む。だけど、このブログに書いたていどしか飲んでない。ほんと、たまーにだ。最近では、東大宮東口の「ちゃぶだい」で秋鹿や田酒や鶴齢などを飲んだぐらいか。ほかは、普通酒か本醸造酒だ。おれにとっては、本醸造酒も普通酒の感覚である。そもそも、いまの酒の種別などは、税法上のもので、味覚上のものではない。税法上のものを、味覚にスライドさせて、ま、早い話が、高額税金のものほど「上等」「うまい」ということになっている。

そのことは、とりあえずどうでもよい。普通酒でも、純米酒でも、「安酒」といえるものがある。2009/11/06「安酒の研究。」に書いたように、その安酒が気になっている。

「安酒の研究」なんていうと、安酒はうまいかまずいか、どの安酒がうまいか、ということになりやすい。そのことに関心がないわけではない。だけど、おれの場合、少しちがう。こうやって「安酒の研究」なんて書いていると、安酒をいろいろ買って昼間から飲んでも、誰からも文句をいわれないだろう、もしかするといろいろな人から、おれが知らない安酒が貰えるかも知れないという、卑しいコンタンがあるだけなのだ。こういうコンタンは、ほんとうは隠しておいたほうがよいのだが、書いてしまった。

安酒を飲んでいると、あらためて、味覚の不思議に気づく。うまい、まずいのことも含め、人間の味覚のことは、安酒を飲んでわかることもある。と思った。

とくに味覚の喜びである。安酒には、味覚の喜びはないか、といえば、まちがいなくある。そして、もし「うまい」という言葉が、味覚の喜びを感じたときに発する言葉なら、安酒も、まちがいなくうまい。

味覚の喜びは、そのものが、ニセモノであるとか、ホンモノであるとか、純米酒か、醸造アルコール添加の普通酒か、といったことに関係なく「存在」する。

ちかごろ会ってないが、資産家がいる。そうですねえ、青山あたりに、いくつかのマンションやビルを持って、ま、普通の労働をする必要もなければ、カネに苦労することはない。酒を買うにも、飲むにも、費用を考えることはない。こういう人たちが、本来数千円の焼酎や清酒を、二万円も出して買う。そして、高いからモノはまちがいないと思っている。だってね、コレ普通なら4千円ぐらのものを2万円で手に入れました、めったに手に入らない幻の酒ですよ、うまいに決まっています。ということなのだ。

ウチの近所のスーパーでは、最近また一段と、「第三のビール」の売場が拡充している。不況下、おうちで安酒が拡がっているのだろうか。「安酒ブーム」があるのかどうかは知らないが、清酒にしても、安酒の紙パックが店頭に増えた。これらの安酒を買う人たちと、この資産家のような人たちとは、酒や味覚に対する「本気」加減が、まったくちがうようだ。懐具合を計算し、3軒のスーパーのなかで、どこで買うのが一円でも安く買えるかを追求し、手に入れて飲む酒の喜びは、カネで買えるものではない。

これに類する話が、何かの小説にあったと思って探していたが見つかった。「本気」と「真の喜び」と「労働」と「カネ」の関係についてとでもいおうか。

『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳、早川書房)で、大富豪の娘と結婚しているテリー・レノックスが、主人公の探偵フィリップ・マーロウに話す。これは「家庭生活」をめぐってのことだが、マーロウに「満ちたりた家庭生活なんだろうな」といわれたレノックスは、「家庭生活なんてものはないよ」という、「大作だが、ストーリーがない」と話す。「大作」というのは、いうまでもなく巨額な製作費を投じた映画のたぐいだ。その話から家庭生活だけではなく、いまこの酒や味覚に関係しそうなところだけを抜き書きすると、こうなる。

「働く必要がなく、費用に頭を使う必要もなければ」「そこに真の喜びはないんだが、連中にはそんなことはわからない」「本気で何かをほしがることなど連中にはないんだ」

普通は労働しカネを得て、そこから酒や味覚を手に入れる。そこに、それぞれの生活のストーリーがある。それぞれの本気や真の喜びがある。それについては、非安酒純米酒しか飲まないひとも、安酒しか飲めないひとも、たいしたちがいはないだろう。毎日の安酒をひかえて、1週間に1回ぐらいの非安酒純米酒を楽しむ人もいるだろう。どう選ぶかは、それぞれの生活のストーリーであり、いずれにせよ本気で酒をほしがり、真の喜びを味わっているのではないだろうか。

なのに、「一般的」に、非安酒純米酒は偉そうにし、安酒は卑下される。非安酒純米酒は敬われ、安酒は軽蔑される。安酒は悪い酒でありニセモノであり負の存在であり、排除されるべき、といった感じの主張まである。それが、それを造るひとから、飲む人にまで影響を及ぼす。これは、おかしい。

おれなんぞは、たしかに、非安酒純米酒をたまーに飲むが、日々は安酒ですごせるから、たまーに非安酒純米酒を飲めるのだ。非安酒純米酒に対する感謝は、安酒に対する感謝を抜きにはできない。ハートのエースだけではカードゲームはできない、という言い方もあるが。

それで、今日の話は、こういうことだ。都内で有名な安い居酒屋といえば、「清龍」をあげるひとは多いだろう。とくに高田馬場あたりで学生を経験した人たち、池袋で飲む人たちは、たいがいご存知のはずだ。この居酒屋は、清龍酒造という酒蔵が経営しているのだが、清龍酒造は、ここ東大宮から東北本線で一つ先の蓮田にある。

その清龍酒造の「新酒祭り」が、今週の週末12日(土)13日(日)にある。詳しくは同社のサイト…クリック地獄

清龍酒造の酒は、このサイトを見てもわかる通り、安い。純米酒だって安い。なぜこんなに安くできるのかという興味を持って行ってみるのもよいだろうと思う。とかく、酒蔵めぐりというと、「上等」な「名酒」を求めていくが、それはそれとして、清龍酒造のように大衆の暮らしに応じた酒を造っているところも訪ねてみたい。

蓮田には、「名酒」として評判の「神亀」の酒蔵がある。蓮田の駅を降りて、右の東へ行くと神亀、反対の左の西側に清龍がある。駅をはさんで、2つの方向性のちがう酒蔵があるというのもおもしろい。

ともあれ、高かろうが安かろうが、つくるひと、のむひと、たべるひとが、一緒になってストーリーをこしらえていく関係が、よろこびやうまさのために必要だと思う。

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コメント

ありがとうございます。

イチオウ酒を呑みだす前は、前の失敗を思い、あまり呑みすぎないようにしようと思ってはいるけど、呑み始めてしまうと、そんなことは簡単に忘れてしまい…というわけで今朝は昨夜の酒で二日酔いなのに、また昼からの酒に備えて、体調を整えているところであります。

これから仕事の方も、クリスマスで忙しくなりましょうし、忘年会などで飲む機会も多くなりましょうが、無事に乗り切りましょう。

投稿: エンテツ | 2009/12/12 09:47

最高です。自分が思ってることが、うまいこと文章になってるのを見ると。とても爽快ですね。ほんと勉強になります。昨日は久しぶりの休みに、昼酒呑んで、記憶喪失になるわ、ケータイなくすわ、どっかでコケて、おでこにタンコブとキズだらけで・・・無茶苦茶です。
でも、酒やめられませんよねー。

投稿: giraud | 2009/12/11 16:30

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