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2010/01/04

貧乏くさく。

このブログは、毎年年間テーマみたいなものを決めていた。とはいえ、覚えているのは年頭のころだけで、しだいに忘れてしまう。去年は、そんなものがあったかどうかも、思い出せない。えーと、記憶にあるところでは、「好食」とか「キモめし、キモ酒」とか……。

今年は、「貧乏くさく」やりたいと思う。

おまえは、いつも貧乏くさいじゃないかといわれるかもしれないが、ならば、さらに、「貧乏くさく」やりたい。

そもそも昨年3月7日の大阪市立大学都市研究プラザ高原記念館におけるシンポジウム「場所の力――歩きながら考える」で、「都市の隙間――<貧乏くささ>の居場所をめぐって」の報告をしたときから、「貧乏くささ」は気になっていた。

「貧乏」というと、すぐあってはいけない劣ったことのように見なされる。だけど、貧乏とは、在るものなのだ。それを優劣のモノサシで見るのが間違っている。優劣のモノサシをあて、たとえば「都市再開発」のように、貧乏くささを「負の現象」として、排除しようとする。「貧乏→排除」という構造は、誰も否定できない経済成長戦略として機能してきた。貧乏くさい景色、それはたいがい「昭和レトロ」といわれ、「あのころは貧しかったけど心は豊かだったよね」なんていう、おためごかしの「神話」がふりまかれつつ排除され、オシャレに装った実務的な街路が生まれ、レプリカな「昭和レトロ」商店や商店街が造られてきた。

貧乏は在るものであり、その居場所は排除されるべきものではない。問題は「貧困」であり、「貧困」が解決されるべきなのだ。が、しかし、貧乏を否定し豊かさへ向かうことによって、貧困を生み出す構造は免罪されてきた。

という問題を「貧乏くさく」追及しようというのではない。

014先年末、梅屋敷商店街で、駄菓子屋を見た。最初から駄菓子屋だったのか、菓子屋が駄菓子屋化したのかは判断つかないが、駄菓子を売っている菓子屋があった。その建物も内装、それから菓子を入れるガラスの容器など備品にいたるまで、まさに「昭和」な古さだった。「貧乏くさく」過ぎ行く年月とまちの生活を抱えて、熟して熟しきって枯れに向かう豊かさを感じた。「貧乏くさく」かっこいい。

一方、約1年ぶりに見る年末年始の秩父路では、道路の両側に休耕田や耕作放棄地が一段と広がっていた。なんとも見るに耐えない「貧乏くさく」荒れ果てた景色だった。

「貧乏くささ」も、いろいろにあらわれる。その背後には、豊かさの追求や、経済成長だの、貧困があることもある。

今年は、「貧乏くささ」を考えるには、いい年になるだろう。素晴らしい「貧乏くささ」を考えたい。おれは、十分貧乏くさい男けど、さらに「貧乏くさく」やりたい。ちょうど、いま掲載中の「わははめし」の6回目は「貧乏めし」だ。ホッピーなんか、ずいぶん貧乏くさいものだぜ。

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コメント

おっ、店長、どーも。余った酒のブレンド、いいですね~。もしかして店長、秘かに自分だけで楽しんでいるのでは?

「昔はよかった」というひとには、それだってもったいないぐらい。合成アルコールにアジノモトと砂糖と水を混ぜたやつで十分。

そういえば、チョイと昔の酒の本には、飲むときに違う銘柄の酒を混ぜながら、自分の味を楽しもう、ってな話もありましたが、近頃は、そういうことを言うと酒蔵に嫌われるのか、あまり見ませんね。

私としては、「ちゃぶだい」で飲むときは、チェイサーの水が付きますから、それで800円ぐらいの酒を400円ぐらいに割って飲もうかと思ってます。貧乏くせえでしょう。

そりゃそうと、店長の投稿時間、その時間にコメント書いて遊んでいるようでは、ヒマなのですかね?

近々、寄らせてもらいます。

投稿: エンテツ | 2010/01/04 21:55

面白いですねぇ・・・。

うちもやりましょうか??

余った酒の・・・【ブレンド】

案外 イケチャッタリします( ̄ー ̄)

投稿: ちゃぶだい | 2010/01/04 17:33

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