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2010/06/29

愛嬌のある酒つながり愛嬌のあるブックフェア愛嬌のある本。

2010062112170000きのう、夕めし仕度の買い物に出たついでに、東大宮駅東口のよってってちゃぶだいによった。カウンターに、よく見かける酒が強そうな常連の女子がいて、紀伊國屋書店さいたま新都心店のフェアで『みんなの大衆めし』を買ってきたところだという。そういわれるとうれしいやら気恥ずかしいやら、恐縮。職場でも宣伝しておきますといわれ、さらにありがたいやら、恐縮。

きょう、さいたま新都心店の担当女子からメールがあった。21日にスタートして一週間が過ぎたフェアの、たぶん好調といってよい、立ち上がりを知らされる。よってってちゃぶだいのタイショーの大いなる力のおかげだ。

前にも書いたが、担当女子とは、よってってちゃぶだいで、タイショーに引き合わされた酒縁だ。思い返してみると、そもそも、この本は、瀬尾幸子さんと制作チーム編集担当の佐々木香織さんに引きずり込まれるように始まったのだが、このお2人とおれはそれぞれ知ってはいたが、初めて一緒に顔を合わせて呑んだのは、ある日本酒の飲み会だった。その飲み会に誘ってくれたのは、武井メグミさんというカメラマンで、おれが彼女と初めて会ったのは、一緒に仕事をした『談別冊 shikohin world 酒』、おれの故郷の酒蔵、高千代酒造の取材だった。というぐあいに、なんだか、とことん酒縁がらみなのだ。しかも、みんな清酒が好きである。

おなじ酒を呑んでも、愛嬌のある酒かどうか、大いに関係しそうだ。と、思った。それに、大きな組織に属しているかどうかではなく、「個人」の愛嬌が大事なのだな。いってみれば、愛嬌つながり。

とはいえ、紀伊國屋書店さいたま新都心店のフェアは、始まったばかり。まだ一月以上は続けるためにも、これからだ。さらに、みなさんのご支援、よろしくお願い申す。

おれはといえば、きのう、そのよってってちゃぶだいで会った酒が強そうな常連の女子と、彼女が行きつけのほかの飲み屋にも連れて行ってもらう約束をし、愛嬌のある酒つながりを広げ深めるべく、ぬかりなく努力しているのだった。『みんなの大衆めし』で、愛嬌めしくって、愛嬌力をつけ、力強く楽しく生きよう。

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2010/06/28

愛想と愛嬌。

好みの問題だが、おれは豚骨スープ系のラーメンは、さほど好みでない。それから、あの黒色を基調にした内外装に、店員一同が黒装束というスタイルも好みでない。ところが、この2つの条件が重なる店が、少なくない。

が、しかし、コッテリ系と黒色のダブルパンチをくらうのを覚悟で、ときどき入る。ま、そのう、味覚の探究というやつでしょうか。そして、ま、味は、ふつうのうまさなのだろうが、やっぱり、おれには合わないと思うのだ。

先日も、そういうことがあった。黒色とステンレス・シルバーの内外装、カウンターの中には、黒装束の店員。店員の愛想は悪くないのだが、そのカラーリングは、どこか威厳的威圧的で、なにより愛嬌が感じられない。

そのカウンターで、あれこれ考えた。

北九州の小倉で、といえば、たいがい豚骨系ラーメンに決まっているが、有名店でも、慣れ親しんできた中華大衆食堂に見られる、赤と白の「中華色」が基調だったと思う。黒色は、店員の衣装も含め、記憶にない。そして、豚骨系ラーメンは、黒色のカラーリングより、このほうが愛嬌があって味覚的にもよいのではないかと思った。だけど、関東だけなのかどうかは知らないが、黒色基調が多いようだから、なにかワケがあるのだろうか。

とか、考えていたとき、サンデー毎日の著者インタビューで、岡崎武志さんが「愛嬌」を持ち出したことを思い出した。その愛嬌のことは、きょうの午前中にもどしたゲラにもあって、文章の最後を締めくくる内容である。先日のインタビューのとき、岡崎さんが、愛嬌のことを言い出したのは、おれがまちや大衆食堂のことについて発言するとき、その言葉を使ったことがあるからだが、よく覚えていられたというか、調べられていて、おどろいた。

自分自身の記憶では、まちと大衆食堂の愛嬌、あるいはまちの愛嬌としての大衆食堂について、初めてふれたのは、2006年7月のカルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション「闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡」における「報告2 大衆食や大衆食堂から見た東京の町」でだったと思う。そのあと、それほどひんぱんに使っている言葉ではない。

4月に発売になった、木村衣有子さんの『大阪のぞき』では、巻末で木村さんと対談して、おれは「結局、街の個性は、大きなビルの奥にいるような企業家やそのコピーではなくて、街に顔を出している生業者のような人たちで決まるんだよね」という言い方をしている(p166)が、この「街の個性」というのは「街の愛嬌」のことであり、こう表現した方が、おれの考え方としては適切だったかも知れない。

『みんなの大衆めし』では、横浜市南区の横浜橋通商店街の惣菜店5店を取材して掲載している。とくにそのように決めていたわけではなかったが、選ばれた店は、みな生業店だった。愛嬌という言葉は使っていないが、やはり、愛嬌と味覚は、切り離しがたく存在しているというのが、そこに書いた文章だ。

愛想のよさは、かなり、企業的あるいはシステム的な訓練で可能だと思うが、愛嬌は、そうはいかない。

とはいえ、コンニチでは、愛嬌のよさより、洗練された実務的なサービスがありさえすればよいという考えも、とくに東京圏では、少なからず感じる。

そのことと、押し出しの強い重い豚骨系黒色装束ラーメン店が関係するかどうかは、よくわからない。ちかごろ、いわゆる「ダイニング系」の居酒屋チェーンなどでも、黒基調を見かけることが多いが、これは、どういうことなのだろうか。

よく話題にしている、東大宮のよってってちゃぶだいも、黒基調のようであるが、ここはタイショーが好きなようにやっているので、阪神タイガースのユニホームがぶらさがっていたり、基調の黒は崩れ不揃いな愛嬌にまみれている。(と書いたあと、確認のため、酒を呑むのは、とてもイヤなのだが、よってってちゃぶだいへ行ってみたが、もはや、「黒基調」とはいえないほど、愛嬌にまみれていることが確認できた)

サンデー毎日の著者インタビューは、このままなにもなければ、7月6日発売の号に掲載の予定。岡崎さんが撮影した、瀬尾さんとおれのツーショットも載るでしょう。

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2010/06/27

自己愛はほどほどに、冷や汁をくらおう。

いろいろなことがあって、とても書ききれない。面倒ばかり多くて、さっぱり進展なし。そんなこともある、というより、そういうことのほうが多いか。

「幼稚化」とか「幼児化」という言葉を聞く。たいがい、例の、「いまの若いものは」含みであることが多いようだが、どうやら男が「幼稚化」し日本が「幼稚化」していることを憂いているみなさんがいるようだ。むかし、1990年ごろか?「ピーターパンシンドローム」という言葉が流行ったことがあった。それと似たようでもあり、チトちがうようでもある。

こういう言葉は、たいがい批評やら評論やらの「言論業界」において多く使われ、たいがい論者の都合のよいように、なんにでもあてはめられ、いったい何を指しているかはっきりしないことが多い。そもそも「男が幼稚化」しているとか「日本が幼稚化」しているなんて、そういう言い方こそ、きわめて幼稚なものではないか。そんなふうに思えて、ま、現状把握や政策立案遂行能力のない、幼稚な言論界の先生方が稼ぐためのネタ、と思っていた。少なくとも、おれの、まわりには、そんな男はいないよと思っていた。

しかし、今回、うーん、これはチョイと30歳代の男が、幼稚すぎるんじゃねえのと思ってしまったことがあった。高学歴である、2つ並んでいわれるトップクラスの私大の片方を出ている。英語、ペラペラ。えーと、あと、なんだ、とにかく「高」ずくめ。だけど、なんていうのでしょうか、あまり詳しく書けないが、って、ここまで書けば当人は、もうこれでわかっちゃうし、さんざん話したあとだからよいのだが、基本的に、親のスネをかじっている小役人がクルマでドライブスルーで買い物するようなことしかできない。って、これも、もう当人に言ったことだからよいと思って書くのだが、「親のスネをかじっている小役人……」ってのは、親元で暮らして親離れせず、かつ組織の庇護下にあって、舗装された道路でクルマから降りずに買い物をするように、ビジネスをやろうとする。って、これは、うまい例えだと思ったが、おれが考えたことでなく、尊敬する某コンサルタントが言ったことなのだ。

たしかに、自分の好きなことについては、すごく夢中になり詳しい。たとえば、音楽やサッカーとなると、そりゃもう、すごいものである。だけど、たとえば、植木には、水をやらなければいけないという原理については知らない。こういう男に、プロジェクトをまかせると、植木を枯らすように、ダメにしてしまう。

ま、たぶん、こういう現象を、「男の幼稚化」というのかも知れないと思ったが、そういうふうに「整理」してしまうのは、大いに問題があるようだ。なにせ、そういう男を飼っている、家庭があり、大組織があるのだ。恐ろしい話だが、これは「幼稚化」なのか。

「幼稚化」というかぎり、かつては「大人」だった「男」がいて「日本」があった、ということだろう。どうやら、「幼稚化」を問題にする論者は、そういうことで、例によって自分は幼稚ではない大人であることを前提か、強調したいようだ。そこんとこが、「幼稚化」より、はるかにアヤシイしアブナイ話ではないか。

「幼稚化」といったレッテル貼りより、さまざまなイキチガイやトラブルがあっても、一ずつしっかり解決していく関係をつくることが大事だろう。お互いに、そういう力をつけなくてはならないのだ。「幼稚化」を問題にして、自分だけは大人のような顔をしている、幼稚な家庭や大組織こそ問題だろう。

ともあれ参院選下、日本は、中央マスコミをもって、サッカーと相撲業界の野球賭博に熱中しているあいだに、財政再建のためには消費税10%やむなしが「世論」になっていくらしい。サッカーと野球賭博問題に情熱を傾けると同じように、「財政再建」問題に情熱を傾けられない、これも「日本の幼稚化」として片付けられるのだろうか。

まちで入る食堂や酒場ですら、選びマチガイがないように、ネットやガイドブックで情報収集し、自分の好みにあった「安心」を選ぶ。これも、「幼稚化」と言えないことはない。店に入ると、すぐ「オススメ」を気にする。これも、「幼稚化」と言えないことはない。

レッテルの貼り合いなんて、つまらない幼稚なことだ。

大人になるためには、『みんなの大衆めし』片手に自分でめしを作ってみるという手があるかな。と、ここで無理矢理、『みんなの大衆めし』に話しをつなげよう。

いま、明日午前中にサンデー毎日にもどす、岡崎武志さんの著者インタビューのゲラが手元にある。『みんなの大衆めし』を特徴ずけるように、「スパゲティ・ナポリタン」が話題になっている。「今だけはアルデンテを忘れよう」と、ゆでたてスパゲテイを1時間置く作り方だ。これが日本料理である、大衆めしである、「スパゲティ・ナポリタン」なのだ。

毎日のようにブログで『みんなの大衆めし』の宣伝をしてくださっている、「よってってちゃぶだい」さん。きのうの26日は、「阪神ネタからスパゲッティナポリタンへ…徒然に。」と、やはり、このスパゲティナポリタンを話題にしている。
http://chabudai2009.jugem.jp/?day=20100626

少し前になるが、逗子の中原さん宅で飲んだとき、中原さんは、この本にある「青梗菜(チンゲンサイ)と油揚げの煮びたし」を作ってくれた。そして、6月20日に、こう書いている。
http://ho-bo.jugem.jp/

『みんなの大衆めし』(瀬尾幸子・料理/遠藤哲夫・文/小学
 館)に、エンテツさんのサインをしていただく。今度、瀬尾さん
 にあったら瀬尾さんにもお願いせねば。
 『みんなの大衆めし』の、なにが素晴らしいかというと、例え
 ば「スパゲティ・ナポリタン」。
   スパゲティをゆでる。表示の時間より2分ほど長くゆでて
   ざるに上げ、サラダ油少々をからめて1時間以上おく。

 「スパゲティ・ナポリタン」はアルデンテなんて関係ないのだ。
 銀座の「ジャポネ」をみればわかる。ゆでて時間のたったス
 パゲティを使っている。
 それにスパゲティの量も、瀬尾さんは150gである。ジャポネ
 の場合小盛りで180gですよ。
 気取ったイタリアンの一人前70gなんて、片腹痛し。


……引用おわり。
この本は、料理本なので、このようにレシピが話題になるのは、うれしい。
また話題にできる「大人」がいるのであるから、「幼稚化」なんぞは、クソクラエだ。

読み返している坂口安吾『堕落論』角川文庫版には、「青春論」が収録されていて、その最後は、こういうふうに終わっている。
「要するに、生きることが全部だというよりほかに仕方がない。」
大衆めしは、働き生きるためのめしだ。

「宮崎牛問題」についても書こうと思っていたが、めんどうになったので、またこんど。
かわりに、ヨウツベから、「柴草玲 あんたの冷や汁」。柴草玲さんは宮崎出身なのか。
冷や汁もカレーライスも、同じ日本の汁かけめしとして、もっと食べられるといい。
http://www.youtube.com/watch?v=Ih7ueM8tPrY

「ザ大衆食」のサイト「ガツンの冷や汁」に、宮崎出身の鈴木さんが作る冷や汁が載っている。…クリック地獄
世界中とびはねて歩いている鈴木さん、いまごろどこにいるのやら。たまには、連絡くれ~。あっこさんもな。

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2010/06/25

牧野伊三夫個展と武藤良子個展の案内。

ふたりの画家から、個展の案内が届いた。ふたつ並べて眺めていたら、なんだかおもしろい。
画家からの案内は、作品でもあるから、スキャンして調整するにも気をつかうんだよね。でも、もとの感じは出せない。

どちらも、見逃せない。どちらも、お買い得とはおもうが、毎日の酒代にこと欠く有様だから、絵に払うカネがない。仮にあっても、呑んでしまうだろう。その点、絵描きは、牧野さんにしても武藤さんにしても、絵を描きながら呑めるし、呑みながら絵も描けるわけで、両方手に入るからいいよな。

牧野伊三夫個展 7月1日~12日 台東区谷中1-2-16 ギャラリーやぶさいそうすけ
               http://yabusai.net/
武藤良子個展「曇天画  曇天こそが東京の、わたしの青空」
                武藤さんのサイトhttp://www.toshima.ne.jp/~mryoko/
        6月30日~7月11日 豊島区西池袋2-15-17 ブックギャラリーポポタム
                 http://popotame.m78.com/shop/
        8月10日~22日 岡山県倉敷市本町11-20 蟲文庫(むし・ぶんこ)
                 http://homepage3.nifty.com/mushi-b/

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2010/06/24

夕日に向かって「酒は、やめた!」と、叫ぶ、わけはないよな。

えーと、あーと、なんだか酔っているのか正気なのかの境目もわからないまま時がすぎてゆく。書き落としていたことを、書いておこう。

2010/06/20「よく飲んだ土曜日。ロコロジ直営大衆バール。」を書いた、20日の日曜日は、一仕事片付けた夕方、ぼんやりした頭でウチを出た。東大宮駅反対側にある重松荘シアターの、「キャンドルナイト」とかいう、チョイとおれには縁がなさそうなものに顔を出してみようかと。

その前に、重松荘シアター関連のエコ見沼関連の「かぎろひ」に寄った。暑くなって思い出した、ここで売っている奈良県吉野のそうめんがうまいのだ。わざわざでも買いに行きたくなるものなのだ。しかし、そうめんは売り切れでうどんしかなかった。うどんでもよいから、3束残っていた全部を買う。つぎ酒屋に寄って、缶ビールを買って重松荘へ。アパートの入口のところから、すでに、びんにローソクがともっている。おっ、なかなか酒を呑むに、よい雰囲気ではないか。

入口をのぞくと、オーナー女子さんと男子が1名。ノートPCの動画を見ている。あん、キャドルナイトだから、暗くして動画を見るのか、なるほど、これはいいや。「キャンドルナイト」というと、おれは「キ~ヨ~シ~ この夜」とかやる、清廉で謹厳な堅苦しい正しい静かなイメージだったが。しかも映像は、ウルトラマンシリーズ。

と、その男子が、「ウルトラマン、ご存知のおトシですよね」ときた。もちろん、というわけで、ウルトラマンやら実相寺やら70年代やらの話し。おお、よいキャンドルナイトだ。

買い物に出ていたチエさんが帰ってきたあたりから、かえってきたウルトラマンではなく、坂口安吾の話へ。彼、男子は、おれより30歳ほど若いのだが、新潟の寄居浜はもちろん、安吾ファンだかオタクがめぐる、安吾ゆかりの地を訪ね歩いているほどのファンだった。で、おれは、新潟県生まれってこともあり、ま、多少はかじっている。いや、ま、このブログでも何度か引用しているが、嫌いじゃないのだ。

おれの一作目『大衆食堂の研究』に、安吾の影響をみたひともいるのだが、彼がいうには、いまのこのブログにも時々それを感じていたとか。で、まあ、ひとくさり、安吾だのなんだのしゃべっているうちに、21時の東大宮駅にさっちゃんが着く時間となり、買い物をして帰った。キャンドルナイトは、それからのほうがにぎやかだったらしい。

いやあ、しかし、ひさしぶりに脳の中の安吾ミューロンが刺激されたようで、また安吾を読んでいる。

のんだくれているあいだに、ドイツのかなたpfaelzerweinさんから「思う存分飲み食いしてみろ!」と、2010/06/18「思い切り食べ、思い切り飲む。生きる力としての欲望を我慢しない。」に、たぶんエールの、リンクをいただいていた。…クリック地獄

地元東大宮の「よってってちゃぶだい」のタイショー、ここんとこ毎日のように、ブログで、紀伊國屋書店さいたま新都心店のフェアの画像入りだ。きのうはちゃぶだいは休みで、なので、さいたま新都心店まで行ってくださった。そして、このように、きょうのブログに書いている……クリック地獄

お目当ては「みんなの大衆めし」

娘2人にそれぞれ一冊ずつ。そして、自分用に一冊。

そういえば、一昨日のお客様も一冊買ってくれたと言ってたっけ。

もっとたくさんの人に読んで頂けますように…


……と、書いてくださっている。ありがとうございます。いやあ、やはり、タイショーは人格がちがうね。もっと、多くの人たちに見習ってもらいたい、うん。

おっと、時間だ。

画像は、きのう。きのうは、夕方になっても、前夜の酒の影響で、デレッとしていたから、しかたない、駅向こう側の韓国家庭料理の「李香苑」まで行き、ガツンと焼肉を食べ、そして生ビールと、けっきょくマッコリも飲んでしまった。

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2010/06/23

鶯谷・信濃路のち池袋・永利、満腹泥酔記憶喪失帰宅。

003きのうのこと。午後3時から、岡崎武志さんによる『みんなの大衆めし』の著者インタビューだった。やはり、鶯谷の信濃路が便利だし広くてインタビューも写真撮影もやりやすいかと思い、2時半から予約しておいた。瀬尾幸子さんと小学館の長尾さんが先に着いていた。

しかし、おどろいた、その時間、信濃路は満席状態なのだ。しかも、ほとんどの客が、アルコールをやっている。大衆食堂というより、居酒屋。まさに居酒屋食堂ってことだな。ま、もちろん、おれだって、その一員として合流。

岡崎さんが到着して、さっそく始まる。サンデー毎日の「著者インタビュー」のページ、1ページに掲載されるのだ。岡崎さんは、ブログの様子からも、取材の用意は周到な方だと想像していたが、その通りだった。細かいメモ書きを用意していた。

話は、瀬尾さんとおれの出会いのころから始まる。何度か書いているように、牧野伊三夫さんに誘われて瀬尾さんの風呂会に参加したのが最初だ。銭湯に入って飲むだけ。

インタビューの最中、おれはどんどん生ビールを飲みながら、ふりかえれば、『みんなの大衆めし』は、Web連載の「わははめし」のときから、銭湯に入り酒を飲んでいるうちにできたのだと思う。瀬尾さん宅での撮影の最中も飲んでいたし、撮影が終わってから、銭湯へ行って、(しかも牧野さんも一緒のこともあった)、そして飲んだ。横浜橋通り商店街の撮影のときは、ロケのときも飲んでいたし、牧野さんと待ち合わせて銭湯へ行って飲む予定だったが、撮影の関係で銭湯の待ち合わせには間に合わず、とにかく飲んだ。そんなぐあいで、このインタビューも、酒を飲んで笑っているうちに終わった。

岡崎さんと雑談しているうちに、佐々木さん登場。長尾さん帰ったり、岡崎さん帰ったり、のちだったと思うが、てらやんとやぶさいそうすけさんが加わる。そして、なぜだか、池袋の永利へ行くことに。みなさん、よく食べた。永利へ行くと、みな旺盛に喰っているから、がんがん食べちゃうね。それに4,5人いたほうが、いろいろ食べられてよい。おれは、紹興酒を1本、ほとんど1人であけたような気がする。勘定払って出たの、覚えがない。帰宅途中、覚えなし。

目が覚めたら、2階のベッドの中で、1階にズボンが脱いであった。

画像は、上が神社になっている、というか、神社の下にあるというかの、信濃路の奇観。

岡崎さんのブログにも、きのうのことが書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/okatake/20100623

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2010/06/21

紀伊國屋書店さいたま新都心店でフェアがスタート。

『みんなの大衆めし』がドカーンと。『深夜食堂』も、大竹聡さんの『今夜もイエーイ』なども、たっぷり。とにかく、大いに宣伝、行って、見て、買ってね。応援、よろしく~。

2010062112170000

http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/saitama/04.htm


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2010/06/20

よく飲んだ土曜日。ロコロジ直営大衆バール。

きのうのこと。さびしがり名人中原さんから声がかかり、午後2時から、逗子の中原さん宅で飲むことになった。ここ東大宮からは、湘南新宿ライナー逗子行きに乗れば、乗換えなしの一本で行ける。でも、所要時間は1時間40分。ってことで、12時8分の電車に乗った。

忙しいから簡単に書こう。ようするに中原さんが次々に繰り出す料理を食べ飲んだのだ。中原さんが仲人をしたご夫妻と、近所の友人男子2名。ビールのあと、めずらしく赤ワイン、そういう料理だったのですね、そしてまいどのキンミヤ炭酸割り。泥酔のなか、たちまち6時すぎ。

神田神保町の路地と人、7時からのトークライブ「色気と食気」に予約をしておいたのでそちらへ。だけど着いたら8時で、話は終わりのほうをチョイと聞いただけになってしまった。でも言水さんたちとオシャベリしながら、ビールとカップ酒を飲み、さらに酔いを深める。

何時に路地と人を出て、何時に東大宮に着いたか、まったく記憶がない。とにかく、よってってちゃぶだいによってしまった。まずいクセがついてしまった。もう飲んでもしかたないのに、しかもわざわざ駅の向こう側で飲む。これじゃあ、ちゃぶだいのタイショーをよろこばせるだけだ。なんとかやめなくてはならないが、酔ってしまうとわからないからなあ。とにかく、泥酔記憶喪失帰宅。

朝、頭痛く、のどがかわいてしかたないので、冷蔵庫を見ると、記憶のない買い物のあとがあり、発泡酒なんぞも買っているのに、カンジンの、ウーロン茶のような冷たい飲み物がない。まだ飲むつもりだったのか。

くらくらする頭で、ウーロン茶を買って来て、午前中にやらなくてはならない仕事を片付ける。

ぼんやりした頭で、中原さんのところで、佐野さんたちが立ち飲み屋を始めたと聞いたことを思い出す。佐野さんたちから話しを聞いたのは、いつだったか。どうなったのかなと思っていたが、スタートしたらしい。

自らの広告会社を解散し、脱消費社会の可能性を模索していた佐野さんと、常盤さんはサントリーをやめての創業。藤沢という自分たちが生まれ育った場所の力を生かすビジネスをめざし、株式会社ロコロジを設立。そして、「やすくてウマイ、ロコロジ直営大衆バール」を開業した。大いに楽しみ。こちらの公式サイトをごらんください。http://www.locologi.jp/

中原さん作詞で、鈴木常吉さん曲うたの「さびしい時には」は、ジョーダンでなく、10月ごろにCDが発売になる予定だそうだ。これも、大いに楽しみ。たくさんCDが売れたら、年末の忘年会は中原さんが招待してくれる、という話は、なかったかな。

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2010/06/19

しまっていこう。

さて、日が変わって土曜日になった。深夜のホロヨイ便だ。

といっても、もう書くのがメンドウになっている。だけど、寝ておきると忙しいから、ブログを書いていられないかも知れない。

「しまっていこう」は、「しまってこう」と言っていたような気がする。ようするに「体育会系」的発声ですね。「気合を入れる」というか。若き高校の山岳部時代に覚えたことですよ。誰かが「しまってこう」と叫ぶと、「おう」と反応するわけです。体育系サークルでは、みなやってましたね。

これは「体育会系」だけのことだと思ったら、高校大学で音楽サークルだった、いまも音楽家で活躍している女子もやっていたと聞いたことがある。彼女は、音楽は「体育会系」ですよと説明してくれて、ナルホドと納得したものだった。

やや精神主義的ひびきはあるが、声に出さないまま「しまっていこう」と思うことがある。

チョイと、そういう気分で動かす企画に手をつけるのだ。たぶんエヴェレストに登るより難しい。だから、「しまっていこう」と、気を引き締めるにふさわしい。ま、これは、少し長期戦になる。急死しないようにしなくては。でも、どうしたら急死しないようにできるのだろう。もっと食べ、もっと飲み、もっとヤル、とか? 最後だけありえないという声が聞こえそうだ。

来週は、『みんなの大衆めし』のプロモーションに関わることもある。

一つは、紀伊國屋書店さいたま新都心店で、酒本のフェアが始まる。酒本のフェアだが、『みんなの大衆めし』も加えてもらえた。ま、いまや、めしと酒は切り離せないし、酒本に瀬尾さんの著書は欠かせないしね。瀬尾さんとおれの色紙、そして大竹聡さんにも頼んで、色紙を用意してもらった。しゃくなことに、担当の女子は、大竹ファンなのだ。おれは、大竹さんの色紙を調達することで彼女の関心をつなぎとめる、きわめて弱い立場にある。うーん、フェアの最中に、なんとかせねば。彼女は手づくりでデコレーションを用意するほか、東大宮のよってってちゃぶだいから提供されたデコレーションも使われるはずだ。よってってちゃぶだいのタイショーの手引きで、彼女とおれが出合ったことで一挙に進行した。つまりは、地縁と酒縁が、生きているのだ。いいねえ、こういうの。

だから、スタートの日が決まったら、あらためて告知するけど、埼玉県民、さいまた市民、見沼区民、東大宮住民のみなさんには、このフェアに、大いなる支援をお願いしたいと思っているのであります。って、どれぐらいの人たちが、このブログを見ているかわからないが。

もう一つ。来週は、なーんと、古本ライターや書評家として知られる岡崎武志さんが、『サンデー毎日』の著者インタビューで、瀬尾さんとおれを取材してくださるのだ。岡崎さんに取材される。うれしいねえ、キンチョーするねえ。
岡崎さんのブログ…クリック地獄

ああ、眠い。

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2010/06/18

思い切り食べ、思い切り飲む。生きる力としての欲望を我慢しない。

YOMIURI ONLINEの「本よみうり堂」の「著者来店」に、「名も知らぬ遠き島より」の山口智子さんが載っている。
http://www.yomiuri.co.jp/book/author/20100614bk1a.htm
その冒頭で、山口さんのモットーが紹介されている。つまり、「思いっきり食べて、寝て、欲望を我慢しない」がモットーの女優だそうだ。

まったく同じであるかどうかは、これだけでは判断がつかないが、『みんなの大衆めし』のモットーも、そのように表現することができる。

『みんなの大衆めし』は、小学館Webサイトで連載の「わははめし」を受け継いでいる。その「わははめし」は、「めしが3杯くえるおかず」がモットーだった。言いかえれば、思い切りめしを食べる、ということである。なんていうかな、もっと野性的に、食欲のままに、わっしわっし食べようということなのだ。

004前にもチョイと書いたが、いま発売中の『ミーツ・リージョナル』7月号は、酒特集で、「今飲みたい街の酒手札60軒」ってわけだが、「キチッと旨いハイボール、日本酒イベント席巻中、クラフトビールは樽生で、どこでもサングリア、爽やかカクテル入門....」と幅広く酒を網羅し、そして「特別企画<珠玉の酒エッセイ集>」である。

その珠玉の酒エッセイ集たるや、あがた森魚、安西水丸、いしいしんじ、太田和彦、大竹聡、勝谷誠彦、柴崎友香、夙川アトム、次松大助、山田かおり、山本精一といった、まさに珠玉のエッセイを書くにふさわしい人たちが、ズラリ。

と、そこに、まったく珠玉にならないパチンコ錆玉のエッセイを書くおれが、名前をつらねている。

いやあ、ほんと、謙遜じゃない。タイトルだけ見ても、おれは、じつに非情操的というか、文学的な装いすらない、ストレートに欲望丸出しなのだ。だってね、「もっと飲ませろ!」ですよ。もっと食わせろ! もっとやらせろ!と、同じレベルの表現ですよ。

ほかのみなさんのタイトルは。あがたさんは、「稲垣足穂とボブ・ディラン」。安西さんは、「酒を飲む人でよかった」。いしいさん、「バーの精」。太田さん、「酒が人間をつくる」。大竹さん、「落下する人々」。勝谷さん、「酒道家の嗜み」。柴崎さん、「酒と謎」。夙川さん、「お酒と言われても」。次松さん、「お酒についての肖像」。山田さん、「泥酔の果てに~オン・ザ・ロック」。山本さん、「酒と泪と泪と酒乱」。

どーです。みなさんタイトルからして珠玉ですね。ありがたそうです。なのに、おれは、ただ「もっと飲ませろ!」です。いやはや、じつは、こうなるだろうとは想像ついていたのだけど、想像通りこうなってみると、やはり、ウフフフ、まっとうなのはおれだけだったか、と、思ったりして。でも、まっとうでないのは、おれなのだ。

このようにみんなの想像や期待の範囲におさまる予定調和が、情操をわきまえたおとなの生き方というものですね。みなさん、そこんとこをわきまえている。

おれは、ああ、しかし、「もっとやらせろ!」と言ってみたいものだが、、、おっととと。

日本の飲食は、というか欲望は、長いあいだ主に文学と教育を通して、情操にからめとられてきたわけだが、「思いっきり食べて、寝て、欲望を我慢しない」がモットーの女優が、天下の大新聞に登場するにつけ、情操のありかたも欲望のありかたも、変化のなかにあるのかも知れない。

明日の土曜日は、神田神保町の路地と人で、「色気と食気」と題するトークイベントがある。毛利悠子さんが港千尋さんをゲストに招く。どちらも未知の人であるし、どんな話になるかわからないが、色気や食気について大いに語りあうことは、もっと必要だと思う。
http://rojitohito.exblog.jp/

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2010/06/04「発売中『ミーツ・リージョナル』7月号、酒特集にエッセイを寄稿。」…クリック地獄

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2010/06/17

死ぬひと、死なないひと。

飲んだくれてなくても、ボーキャクは人につきものだ。ボーキャクだよ~。そんなことは、忘れたよ~。

「約束」が強調されるのは、世間はボーキャクで成り立っているからなのだ。ボーキャクは、自然。

せめて、飲んだくれてボーキャクしないうちに書いておこう。今月の6月26日は、小諸の揚羽屋のオヤジの祥月命日。亡くなったのは、2005年のことだった。…クリック地獄

そして、日にちを聞くのを忘れてしまったが、王子のさくら新道のバーリーベのマスターは、去年の6月に亡くなった。

2009/11/21「北区・王子で泥酔、さくら新道「リーベ」でマスターの死を知る。」…クリック地獄

どちらも、おれと一歳とちがわない。どちらも、いい酒飲みだった。

えーと。もっと、ずっと若い「たつ!」さんが急逝したのは、5月30日で、おれがその知らせを受けたのは、6月2日のことだった。このブログに書いている。2006/06/02「たつ!さんこと、坂本達哉さんが急逝」…クリック地獄

そこにリンクがある、ブルースを愛した「たつ!」さんのブログは、いまでも、そのままだ。
http://downhome.blog19.fc2.com/

1967年東京・阿佐谷生れ
ただいま修業中のブルース・ギタリスト、ボーカリスト
シカゴ・ブルースと大衆酒場を愛する

サイドバーには、おれが企画や執筆に関わった『東京定食屋ブック』や、おれの『汁かけめし快食學』の画像が載ったまま。[2006/05/2703:15] の絶筆。中野のライブハウスで会ったのが、最初で最後になった。

おれのこのブログは、有料ワクでフリーではないから、広告が入らないけど、おれが死んで、そのうちニフティにカネが払い込まれなくなれば消え、このように残ることはないのだろうな。よかったね。

そりゃそうと、まだ死なないで生き残っているあんたら、どうするの。
あっ、おれもか。

よーし、来週から、ワーオ、だ。
あっ、まだ、今週末が残っていた。ワーオな、今週末。
午前0時直前の、ヨツパライ深夜便でした。
しかし、なんだか、きょうは、コマゴマ忙しかった。

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なにもかも、騒ぎのネタになって消費されるだけだから、スタンダードに還って「みんなの大衆めし」。

知り合いが参加した関係もあって、このブログにも高円寺の円盤のカレー道場のことを書いてしまったが、ことしはチト様子がちがうようだ。

ツイッターの自己紹介に「エンテツ野暮連所属」と奇怪な自己紹介をする、東田妹暮らし(harachobu)さんのツイッターに、こうある。読みやすいように、つぶやいた順に掲載する。
http://twitter.com/harachobu

昨日のカレー道場、試合前に田口店長から重大発表が! #currydoujou

「このイベントは自分がうまいカレーが食べたいから始めた企画だったのに、今期はイベントが知れ渡ってただ友達と騒ぎたい奴が参加している!(続く)」 #currydoujou

「(続き)正直、今期のカレーのレベルは非常に低い。カレーが嫌い、つくった事がないってどういう事なんだ! しかもまずいカレーを食べさせられるなんて我慢ならん!(続く)」 #currydoujou

「(続く)ですから、7月で一回戦が全て終わった時点で勝ち上がった16名から8名を選抜して二回戦を行います!」 #currydoujou


……引用おわり。

まったく、ためいきが出るような、クソッタレな話だ。最近の、沖縄基地問題、宮崎牛問題なども、そのような消費の対象になっているように見える。なにかのネタに、よってたかって、騒いで、またつぎのネタに移っていく。ふわふわふわふわ……「漂流する消費」とでもいえそうだ。

「レベルが非常に低い」ところで興奮し騒ぐ「漂流する消費」が、日本の上っ面を席捲している。

しかし、「漂流する消費」が押し寄せてこないネタもある。あまりにも地味で、ネタになりにくい。興奮しにくい。たとえば、ぶり大根やさば味噌煮や、パラパラに炒めるチャーハンとは違うやきめし…。『みんなの大衆めし』に載っているような、スタンダードなものだ。

そもそも、スタンダードというのは、スペシャルな話題性や興奮する要素が少ない。だから、気どっていないし、飽きがこない。だから、日々のめしとして続いている。

スペシャルな話題性や興奮する要素がないと、「レベルが非常に低い」人たちは、群れて騒ぐことができない。

それはともかく、先日、まいどの値下げシールが貼られる時間帯にスーパーへ行ったら、ぶりのアラが30%だか50%だったか忘れたが値引きで、150円ぐらいでタップリあったので、大根と買ってきた。「ぶり大根」を作るのである。

で、『みんなの大衆めし』を見た。このぶり大根については、WEBでの「わははめし」連載の撮影のときから、一部を瀬尾さんに教えてもらいながら撮影するシーンがあって、作ることに部分的にタッチはしていたのだが、レシピをちゃんと作るつもりで読むのは、初めてなのだ。

な、なんと、瀬尾さんのレシピは、これまでのおれが知っている、どちらかといえば「一般的」なぶり大根のレシピと、かなりちがうのだ。そもそも「材料」に砂糖がない。なぜ、砂糖がないか、なくてもよいのか、やってみてわかった。

こうして、おれは、スペシャルな「レベルが非常に低い」人たちから、また離れてしまった。本が売れるためには、「レベルが非常に低い」ところに群れて騒ぐほうがよいのだが。でも、何度も書いているように、おれの興味は、現代日本食のスタンダードなのだ。何かを生み育てるには、スタンダードがちゃんとしてなくては、ダメだと思う。

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2010/06/16

今週の土曜日。ドタキャン以下をしのぐときは。

酔っていても大事な約束は覚えている。だけど、こちらが大事と思っても、相手にとっては、大事でないこともある。そんな、イキチガイは、よくあることだが。何度もあったことだからあてにはならないと思っていてもイチオウ確認すると、こちらが酔って忘れていることを期待されていたらしく、あからさまに相手にされなかった今週の土曜日は、これが気になる路地と人の「色気と食気」。それにしても、酔って覚えていないことを期待されている存在…。ま、そんなものだな、なんとしよう、この軽さ。

路地と人では6月18日から7月3日まで、毛利悠子個展「ワンデイ ダラス One
Day Dallas」を開催いたします。
毛利悠子の3つの個展の第2弾となる「ワンデイ ダラス」。
数年かけて集めた機械や道具による“巨大物音オルゴール”の「エブリデイラオ
ス」とは対照的に
路地と人というスペースから生む、独自のスコア生成器(?)を発表します。


●●毛利悠子個展「ワンデイ ダラス One Day Dallas」●●
会期:2010年6月18日(金)ー 7月3日(土)
時間:13時ー19時
休み:水、木曜日
会場:路地と人(東京都千代田区神田神保町1-14英光ビル2階)
お問合せ:路地と人 rojitohito@gmail.com
ブログ: http://rojitohito.exblog.jp/

また、期間中は下記の催しも予定しております。

その1 ■ 6月19日(土)「色気と食気」 トーク・ゲスト=港千尋(写真家、批
評家)
料金:1000円(1ドリンク込) 19時~ 
※会場の都合により定員20名の予約制とさせていただきます。
ご希望の方はお名前と人数を明記の上、路地と人までお申し込み下さい。

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2010/06/15

さびしい時には、めしを炊こう。『みんなの大衆めし』

うれしいね、水族館劇場だが、浪曲師の玉川奈々福さんが、最終日に行ってくれたのだ。「ななふく日記」の6月11日に書いている。…クリック地獄

そして、きょう、きのうのエントリーをご覧になってだろう、メールをいただいたのだが、「真後ろに並んだお客さんに「奈々福さんですね」といきなり声かけられました。浪花節と水族館劇場を同時に見る人はエンテツさんと私だけじゃなかったんでびっくり。」と。

いやあ、愉快だ。浪花節と水族館劇場の両方を楽しむひとが、もっと増えてほしい。奈々福さんは、このブログを見て、水族館劇場が気になっていたそうだが、奈々福さんの浪花節も、水族館劇場と規模は違うけど負けず劣らず楽しいから、まだの方は、ぜひご覧になってくださいよ。

001さてそれで、その水族館劇場のプロデューサーといえば、中原蒼二さん。きのうのエントリーに書いたように、作詞・中原蒼二、曲とうた・鈴木常吉の、「さびしい時には」デモCDをもらって帰ってきたのだ。あるいは、酔っていたから、もしかしたら借りたのかも知れないが。

中原さんは、いろいろな顔を持っていて、ゼンボウが把握しにくいのだけど、とにかく、そのブログを見ていると「さびしがり名人」であることは、まちがいない。

「名人」というのは、いうまでもなく「虚実皮膜の間」をきわめた人である。それはもう、中原さんのさびしがりようといったら、たいへんなものだ。大丈夫ですか、さびしがり悶死してしまうんじゃないの、明朝まで無事かしらと心配させる力を持っている一方、なんだかのん気が漂いアヤシイ。なーんだ、またどこかの女の気を引くためか上手にさびしがっているねえ、楽しんでいるねえ、とか思いたくなる。その虚実がさだかでない。もう、「名人」としか言いようがないのだ。

で、このデモCDを聴きました。ほら、まちがいない、あの鈴木常吉さんの曲とうたですよ。いま、鈴木常吉さんといえば、あの「深夜食堂の」といった肩書がつくのでしょうか。

おれはあまり詳しくなくて、鈴木常吉さんのライブは、2回ぐらいしか行ったことがないけど、この画像の文字は、いかにも鈴木常吉さんの感じがするのだが、どうだろう。

そして、きのうから何度も聴いているのだけど、やっぱり、なんだか「さびしい」ことを、中原さんは楽しんでいるようにも、聴こえるのですよ。

さびしいときは ふろにはいろう……
さびしいときは めしをたこう……
さびしいときは よるをまとう……

これがそれぞれ1、2、3番の出だしで、最後は、「ただ眠ろう」でおわる。
もうこれなら優雅な暮らしで、さびしさのみじめさは、ない。
風呂に入って、湯船からざあざあ湯をあふれさせたり、夜になって灯がともるころ横丁へ、という感じなのだ。ようするに、「風呂」「めし」「酒」「寝る」ですよ。これだけ揃っていれば、上等じゃないですか。どこにも、さびしさにつきまとう、「みじめ」「落ち込み」な感じがない。楽しげですらある。そして、曲も、なんだか、ははんさびしいね、どうよさびしいね、ふふんははん、鼻歌気分という感じもある。

さびしい、いいじゃないか。の気分。

だから、ほんとうにさびしいときに聴けば、楽しくなるうたであるに違いない。そのように、「さびしがり名人」がつくった「さびしがり名作」なのだな。と、ナットクした。ちなみに、このブログを見ている方は、ご存知だろうが、おれは「名人」だの「名作」だの「名品」だの「名店」だのといった「名」な言葉は、よほどでないと使わない。

これは、いま増加しつつある、中原さん世代(いわゆる「ダンカイ」ね)以上の高齢者が、1人1枚は持っていてよいCDだと思う。そして、ああさびしいなと思ったら、まず、これを聴く。一人暮らし老人の自殺は、激減するだろう。だってね、「風呂」「めし」「酒」「寝る」、これで明日までイノチがつながるんだもの。

もっとも、「さびしい」というのは、ただ「さびしい」のであって、プラスもマイナスもない、人間は「さびしい」存在なのだろうとは思うが、そこんとこをマイナスイメージ、ネガティブにとらえる世間があるのではあるまいか。もっと「さびしい」を楽しんでよいのである。

さて、それで、おれは聴く前から、中原さんのことだから、「めし」が出てくるに違いないと思っていたが、やっぱり、2番に出てきた。「さびしいときは めしをたこう」

で、この話しを、なんとか『みんなの大衆めし』につなげようと思って書き出したのだが、うまくつながらなかったので、これでオシマイ。

そうそう、だけどさ、めしを炊いて、おかずをつくるぐらいは、男でもできるようになっていないと、このうたのようにはいかないのだな。だから、とくに男たち、『みんなの大衆めし』で、定番のものぐらい自分なりにできるようになっておこう。一人暮らしを始めた子どもたちに、この本を贈って、スタンダードなめしぐらいつくれるように、ってのもいいだろう。めしのしたく、料理をすることだけは、早くから慣れ親しんでいたほうがよい。

ああ、これで、なんとか話がつながったか。本の宣伝も、たいへんだ。

中原さんのブログ…クリック地獄

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2010/06/14

水族館劇場総打ち上げのちよってってちゃぶだい泥酔記憶喪失帰宅。

001かなりな二日酔い。きのうは出がけに、地元東大宮西口の大雅で、生ビールと餃子。18時ちょうどに始まる予定の、水族館劇場総打ち上げへ。駒込大観音境内は、例年のように、芝居小屋の解体がすすんでいた。中原さんが「エンテツさん、遅い!」という。そんなはずねえだろ、まだ始まったばかりのはずなのに、みんなけっこうゴキゲンだ。そこで気がついた、16時開始を、午後6時とカンチガイしていたのだ。もう始まってから2時間もすぎている。

でも、酒だけはタップリあったから大丈夫。タニガワさん、エロモリタ夫人と青リンゴパンクスアサノさんたちと、エロテロな話しをしながら、大いに呑み笑う。清酒と焼酎。エロモリタ旦那に、初めて鶯谷の信濃路へ行って、すっかり気に入ってしまったというイワブチさんを紹介され、大いに呑む。中原さん作、キンミヤソーダ割りや、けっこう上等な赤ワインとか、もうめちゃくちゃ呑む。

おれとまりりんが行った、ラス前の6日の公演のビデオが流れ、前半最後の場面の爆水と最後の爆水の場面に、拍手が沸く。クマさん撮影の映像で見ると、爆水と光が交差する様子が、より鮮明であり、音楽も効果的。今回は、アコーデオン、ヴァイオリン、ドラム、トロンボーン、ギターの生演奏の音楽がよかった。音楽監督は、自らギターも弾いた、マディ山﨑(山﨑真泥)。

酒におぼれながら、役者のみなさんと語り合いながら、今回の公演を噛み締める。うーん、後半の始めのほうに登場する、覧会屋に扮した小林虹兒の、モノローグのようなセリフと熱演、続いての千代次扮する水姫ぼろとの再会と別れの場面が、おれは要だったと思うし印象に残った。

002最後に脚本演出の桃山邑さんの挨拶があった。タイガースユニホームのズボンで挨拶する桃山さんを撮影したつもりだったのに、酔っていたのか、タイガースユニホームのケツの写真になってしまった。でも、1年休んで復活する、というふうに受け止めてよい内容だったと記憶している。

005帰り際、宣伝美術担当の近藤ちはるさんに、ポスターを貰った。もちろん彼女のデザインで、すばらしい。水族館劇場では、音楽、舞台美術、宣伝美術など、それぞれ実力ある人たちが活躍している。デザイナーの近藤さんも、その1人。今回は、入場券のデザインも、凝っていた。芝居でも使われる、ある意味主人公役の小道具ともいえる紙幣が、入場券にもなっていた。それが、紙の表面まで少しヨレていて、使い古しの感じを出している。ポスターの片隅、千代次扮する水姫ぼろのところに、近藤さんのサインをもらった。

中原さんから、作詞・中原蒼二、曲とうた・鈴木常吉の、「さびしい時には」デモCDをもらった。これは、あらためて紹介する。

007大観音境内を出ると、いったん記憶は完全に消え、記憶の場面は東大宮のちゃぶだいへと一気に飛ぶ。ご常連の婦人と、なにごとか話している。たぶん清酒を呑んだのだと思うが、なにを呑んだか思い出せない。ゴキゲンでオシャベリしていたのは、まちがいない。それにカウンターの女子率が高かった記憶がある。

朝、目が覚めたら、またもや着替え途中で寝たらしく、下着姿だった。ま、とにかく、身体がクタクタしている。

そうそう、こうやって書いていると少しずつ思い出す。エロモリタ夫人とホモ宣言タナカさん、2人とも『みんなの大衆めし』を「買うつもりだけど、まだ買ってない」と、なにか言い訳していたな。思い出したぞ。エロ話しとホモ宣言はよいから、はやく本を買ってちょうだいよ。遅れたぶん、たくさん買って、宣伝すること。ほんと、仲よく酒を呑んでいても、こういうふうに頼りにならない連中が、おれのまわりにはたくさんいるんだよね。ま、みなさん、また信濃路あたりで呑みましょう。その前に、くどいようだけど、早く本を買って、宣伝してちょうだい。

010

今季の水族館劇場、当ブログ関連リンク。今回は、最初のキックオフ集会にも参加し、初日から3回観た。このブログを見て行ったひとも少なからずいるようだ、ありがとうございました。


2010/04/25
今年も、水族館劇場の季節がきた。
2010/05/22
無邪気に楽しむ。忘却、追憶、流浪、「驚愕のカーニヴァル」水族館劇場。
2010/06/03
酒に酔い、突っ走る水族館劇場に酔い
2010/06/07
きょう、水族館劇場最終日。

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2010/06/12

楽しく売る。難しいこともある。

ひさしぶりに本が出たおかげで、ひさしぶりの人たちから電話やメールがある。電話でお互いの近況から話していると、けっこう時間がくわれる。時間は失われるけど、そうやって、わざわざ電話をかけてくれる人は、ありがたい。ほとんどは、出版関係ではなく、以前からの付き合いのフツウのビジネスの人たち、というのも、うれしい。ま、おれは、あまり出版関係の人とは、本が出たからといって電話やメールをいただくほどの付き合いは、ほとんどない。とにかく、物売りの現場(サービスの現場も含めて)の人と話していると、やはり出版関係というのは、ずいぶん特殊な感覚の人たちが多いなあとあらためて思う。「文系女子」とか「文系男子」とかねえ。

もっとも出版関係でも、出版社とその周辺の編集制作関係の人たちと、書店の人たちとは、また違うようだ。書店の人たちは、フツウのビジネスの人たちである。つまり日々客と向かいあってモノやサービスを「売る」という感覚がある。それと、出版社というのは、やはり「会社」としても特殊のように感じるが、会社組織の書店はフツウの会社である。

「客商売」という感覚が、日常どのていど存在しているかの「差」ということになるだろうか。おれも、マーケティングの現場からは遠ざかる一方だから、「客商売」という感覚は日常あまり用はなくなっている。そして、たまに、その現場の人たちと話していると、むかしの血が騒ぐ。

ま、そんなふうに、きのうもアレコ仕事をしながら、そういったアレコレの電話やメールで過ぎて行った。ブックフェアで必要な瀬尾幸子さんの色紙が宅急便で届き、あけてみたら、さすが書道を長年続けている人の文字におどろき、こういうのとおれのどうってことないヘタ文字の色紙を並べるのかと思いながら、近くの文房具屋へ色紙を買いに行く。

いつもヒマそうにしているオヤジが、ヒマつぶしの相手が来たとみたか、ちかごろのマスコミ批判を始める。もうマスコミの「政治とカネ」の話しなんかウンザリだよ。政治家はみなカネに汚いことは知っているんだ、自分のこんな商売だってカネにキレイでばかりじゃいられない、そんなことより、この景気をどうするかだよ。だけどマスコミの連中は、政治家のアラさがしばっかりで…。宮崎が大変だというけど、こっちの商売なんて、もうずっと10年以上も大変なんだよ…。これが「街場」の感覚なのかも知れない。

出たついでに、東大宮駅西口の本屋、文教堂へ行ってみると、棚に表紙を出して重ねてあった『みんなの大衆めし』が、最初は何冊あったか知らないが数日前よりは減っていて、あと2冊になっていた。帰ると、ある書評家の方が、ある週刊誌で、『みんなの大衆めし』の著者インタビューをしたいという申し込みがあったと版元から電話があり、その段取を組んだりという、うれしい話もあったりして、夜の9時に「よってってちゃぶだい」で、某大書店の担当の若い美女と待ち合わせ、おれと瀬尾さんの色紙を渡す。大竹聡さんのも用意するはずだったが、彼がドタバタ忙しいうちにはもちろん深酒も入っていたと思うが、おれとの受け渡しの段取が予定通りいかず、書店に直接送ってもらうことにした。ま、問題なし。

ブックフェアのアイデアをあれこれ、ちゃぶだいのタイショーも巻き込んで、ちゃぶだいの小物を彼女はもらったり。ようするに、ヒラが、フェアなど積極的に取り組もうと思っても、予算がつかない、彼女は自腹を切ってやるのだ。ウエは関心がないどころか出る杭を打ちかねない。ウエというのは、自分の無難な出世のために頭をつかう、それが積極販売につながらず保身に向かうことは、フツウの会社ではめずらしくない。自分は何もしないで、何かしら向上しようとしている人たちのアラを探してケチをつけ得点にする、どこか文房具屋のオヤジがいっていたマスコミの所業と似ているが、そういうマスコミの空気は全体の空気なのかも知れない。そんな難しさや悩みを抱えながら、それでも積極的に楽しく売ろうという。そういう人は、若い美女であろうとなかろうと、大いに応援しよう、一緒に協力して売りたいと思うのは、また人情というものだろう。彼女は、上り終電で帰り、それからチョイと呑んで帰る。

031画像は、この会社の本社は北九州にあるのだが、イシトビさんに送っていただいた。だいぶ前に届いていたのだが、どうもありがとうございました。これ、人気のストラップなのだ。じつは、この便座のフタが開いて、なかには「黄金」が輝いているというものがあって、イシトビさんはそれを持っているのだが、やはり製作の費用がかかるらしく、フタは開かない。でも、楽しい。そうそう、イシトビさんがやって見せてくれた、5円玉と輪ゴムをつかってやる「人心掌握手品」だが、このあいだ画伯が飲み屋で女子にやってみせていた。練習不足であり、女心掌握に成功したとはいえなかった。

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2010/06/11

雨宿りから「百合子、ダスヴィダーニャ」。

泥酔した話ばかりを書いていると、おまえはいいなあ、と言われる。おまえはいいなあ、仕事しないで酒ばかり呑んでいられて、と。とんでもない、そんなわけねーだろ。泥酔ヨレヨレのあいだに、仕事もやっているのだ。いちいち書かないだけ。

それで、きのうは、いろいろ予定が変りバタバタし、夕方の6時過ぎだったか、一段落したので夕飯のしたくでもしようと買い物に出た。すると、歩いているうちに、雨が降ってきた。かまわず歩いていると、駅近くに行ったころには、かなり濡れてしまった。このまま買い物をして、濡れて帰るのもよいが、「よってってちゃぶだい」でチョイと雨宿りするのも悪くないなあと思い、駅の反対側へ。

生ビールをもらって飲んでウダウダしているうちに、雨はやんだ。そろそろ帰ろうかと思っていたら、女子の二人連れが入ってきた。おれが座るカウンターの奥に座ろうとする。こちらから見えた1人が、なんと、重松荘シアターのオーナー女子ではないか。もう1人の背中は、チエさんのようだが、こんな時間から、このあたりにいるはずないなと思いながら声をかけると、やはりチエさんだった。

そもそも、まだ引っ越して間もなく、東大宮をよく知らないおれを、ちゃぶだいに初めて連れて来てくれたのは、この2人なのだ。

って、ことで、すぐ帰る雨宿りどころか、あれこれオシャベリするうち9時近くになってしまった。それから大急ぎ買い物をして帰った。こんな雨宿りがある地元の酒場は、いいねえ。

チエさんに、浜野佐知監督を支援するチラシをもらう。これは、浜野監督、山﨑邦紀・脚本のコンビが、「百合祭」「第七官界彷徨―尾崎翠を探して」「こほろぎ嬢」に続いて取り組む、いわゆる自主制作映画を支援するためのものだ。今年の秋クランクイン予定の、それは、沢部ひとみ原作「百合子、ダスヴィダーニャ」(文藝春秋)の映画化。

チラシから引用する。

湯浅芳子 ロシア文学者。「桜の園」「森は生きている」の翻訳者。1896年~1990年。
宮本百合子 作家。旧姓:中條百合子。1899年~1951年。代表作「伸子」「二つの庭」
大正時代を生きた、女二人の物語とは・・・運命的に出会った湯浅芳子と宮本百合子。まだ「レズビアン」という言葉がない時代、2人は「名前のない愛」を懸命に生きました。共に暮らし、学び、濃密な青春時代を送った2人。後に宮本百合子は日本共産党書記長宮本顕治と結婚し、湯浅芳子との関係を作中で否定的に描いていきます。一方、女性を愛する女性であることを隠さなかった湯浅芳子は2人の関係について、沈黙を守り続けました。湯浅芳子の晩年に寄り添うように取材した沢部ひとみの傑作「百合子、ダスヴィダーニャ」原作の、本当にあった愛の物語りです。

引用おわり。
これまでの3作も、話題作として注目あび、海外の映画祭でも高い評価を得たし、また「尾崎翠ブーム」を先導した。この作品についても、大いに期待したい。ってことで、詳しくは、山﨑さんのブログ「影への隠遁Blog」の「ツイッター、ツイッター!」をご覧あれ。…クリック地獄

そうそう、そもそもちゃぶだいの前にチエさんと知り合ったわけだが、そのキッカケは、山﨑さんが監督の薔薇ピンク映画であり、上野の世界傑作劇場閉館にあたっての上映イベントだった。ホモレズまみれ。

さて、きょうもまた、あれこれ忙しい。忙しくても、酒は呑む。そういうこと。

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2010/06/10

「いり豚」「ポテトフライ」…ビンボーめしと『みんなの大衆めし』。

0022010/06/04「『みんなの大衆めし』打ち上げ、朝帰り。」に、なんの説明もつけずに載せた、この画像は、十条の大衆食堂「天将」のいり豚だ。

いり豚のことは、2010/05/14「『東京あたらしい下町』、気になる「いり豚」「ポテトフライ」。」で、ちょっとだけふれた。

『みんなの大衆めし』の58ページには、天将の店内にあるサンプル・ショーケースの写真があって、「いりぶた」のサンプルが写っている。

それを、打ち上げの日に注文して食べた。『東京あたらしい下町』に載っている、浅草の水口食堂の「いり豚」は、カレー風味のようだが、天将のはトマトケチャップ風味の仕上がりだ。うまくて、みんなが競うように食べたから、すぐなくなった。

いり豚は、たいがい豚バラとタマネギをいためたものだが、天将で、それを食べながら、「むかしのいり豚はね、もっとタマネギが圧倒的に多くて、豚肉はチョッピリだった」と、まだなんとか30代だから若いといえる写真の齋藤さんに話したら、彼は、「これだって、いり豚という割にはタマネギが多いじゃないですか」と言った。

なるほど、そういわれるとそうだが、むかしは、肉がチョットでも入れば「肉」のほうを持ち上げた名前がついたのだな。「肉入り野菜炒め」だって、豚こまのコマみたいのを、やっと探し出すていどしか入っていなかった。それでも、肉入りならリッチな気分であった。わずかでも、肉が入るか入らないかが、リッチとビンボーの分かれ目だった、そのようにビンボーだった、といえる。

さてそれで、2010/05/14にも書いたし、写真も載せているが、『東京あたらしい下町』には、「ポテトフライ」が載っている。駒形軒の「ポテトフライ」だ。このポテトフライと、ほとんど同様のものが、『みんなの大衆めし』の「大人のビンボーめし」にある。厳密なことをいえば、もちろん、レシピは、少しちがうはずだが。

「ビンボーめし」なんてものは定義のしようがないと思う。ようするに、ビンボーな思い出や、「ビンボー」と感じる状態において食べたものという、きわめて個人的な体験的なものに左右されるだろう。実際、おれは、「ポテトフライ」について、「ビンボーめし」という感覚は、なかった。瀬尾さんは、なんらかの個人的な体験から、これを「ビンボーめし」に入れたと、おれは理解している。

おれなんぞは、ガキのころ、白菜漬けと、麩が入っただけのみそ汁で、ずいぶんめしを食べた。ほかのおかずを買うカネのない状態であったにちがいないのだが、「ビンボーめし」という感覚はなかった。というと、あのころは、みんなビンボーだったからね、ということになる。

あたかも、現在の大衆は、ビンボーから抜け出しているかのような「錯覚」がある。むかしより肉が食えるようになったから、ビンボーでなくなったというのは「錯覚」で、畜産振興やら輸入やらによって、肉の位置が、かつての白菜漬けのようになったにすぎない。たいがいのものが、そういうことであり、そして、たいがいの人たちは、余裕のない状態で働かなくては、食べていけない。つまり、本質的にビンボーなのだ。

ま、ビンボー談義は、よしとしておこう。

『みんなの大衆めし』に「ビンボーめし」が載っているのは、不況に媚びたわけではない。最後の、「巻末対談 ビンボーめしから「大衆めし」を語る」は、いわゆる「対談仕立て」でおれが書いたものだが、それは、このように始まっている。

エンテツ 料理本で料理の先生が「ビンボーめし」をやるのは珍しいね。でも「ビンボーめし」って、大衆めしのキホンかもしれないなあ。

そのあとの会話で、瀬尾さんが、こういう。これは、瀬尾さんが話したことを盛り込んだものだ。

瀬尾 ただ安いだけじゃだめね。たとえば、安い袋詰めの「もやしキムチ」があるでしょ。あれを袋から出してそのまま皿に盛っても料理にならないし、楽しくない。油で炒めておいしくしようとか、少しでも何か意図を持って手を加えるの。それはね、文化よ。

これは、料理が文化であること、文化であることの条件を、きわめてシンプルに語っているといってよいだろう。とかく、「高級」であるとか「上品」であるとか「おしゃれ」であるとかといったことが、あたかも「文化」の条件であるかのように語られることが多いのだが。そのあと、おれは、こう言う。

エンテツ なるほど。材料が安いか高級かではなく、何か意図を持って料理するかどうかってことだね。

ま、そういうリクツは、どうでもよいのであって、レシピ本は当然だし、料理や食に関する本は、それを見たら、見た読者が、何か作ってみようという気になるかどうかが、カギだ。料理は、作らなくては存在しないし、食べたらなくなる。

こういうメールをいただいた。某市の区役所に勤める40歳代男子である。どうもありがとうございました。

さっそく「みんなの大衆めし」アマゾンで購入して読みました。
いままでにない視点でおもしろかったです。
白滝のたらこ煮はすぐつくりたくなりました。
瀬尾さんのはすぐつくりたくなるのがよい。

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2010/06/09

酒を呑むのも疲れる。

休肝日といったイキな日は設けない。野暮にとぎれることなく呑んでいる。そんな日々だが、なかでも激しい酔いのスペシャル泥酔デーが続くことがある。今回のそれが、いつかといえば、6月2日から4日の夜だった。

そう、2010/06/03「酒に酔い、突っ走る水族館劇場に酔い」に書いた。2日の夕方、水族館劇場へ行く前に、かなり呑んではいたが、もっと直接的なダメージは、水族館劇場打ち上げの一杯のあとだった。

024中原さんに声をかけられて行った、近くの団子坂の「おかしなラーメン屋」だった。カウンターだけ10席ほどの店だ。おれたち一行5人と中原さん、真鍋女子一行3人が並んだ。カウンターの中には、あとでわかったのだが、おれより1歳上のオヤジが1人。

この店、かつては谷根千らしい店のはずだろうが、いまや谷根千らしからぬ店とみられるのではないだろうか。それぐらい谷根千は変ってしまった。

まずビールを呑み、おれはポン酒に切り替えた。そのポン酒だが、注文すると、カウンターの上にのっている、キクマサピンの箱だった。それを勝手に注いで呑むのである。オヤジは好きなように呑んでいいよという。自分でコップに注いで呑むのだ。箱を手に持つと、ヌルッと油の感触。カウンターの上で中華鍋の油を浴びていたのだ。箱も、なまあたたかい。

その間に、中華以外のものはメニューにないし頼んでもいないのに、メザシの焼いたのが出てきたりする。なぜか女子には、赤ワインがコップでくばられる。

キクマサピンは、2杯ぐらいでなくなった。そこで、女子が残している赤ワインをもらって呑んだ。残しているわけだ、かなりなまぬるくまずい。でも、おれはかまわない、残っているものはもらって呑む。オヤジが、「安い、早い、まずい」と言いながらくりだす料理が、なぜかうまい。まずいはずのキクマサピンも、赤ワインもうまい。うまく感じるのだ。

オヤジが、これはどうだと差し出したのが、寶焼酎のペットボトル2ℓだか3ℓ。このオヤジ、大雑把のようでいて、じつに酒飲みを心得ているようで、氷入りのグラスと、半分に切ったレモンを惜しみなくカウンターにおいた。焼酎オンザロックにレモン汁をしぼる。牧野さんも中原さんもおれも、好きな飲み方だ。もう、これでイッちゃいましたね。何杯呑んだか。で、勘定は、「ひとり千円でいいよ」。

閉店時間の23時は、とうに過ぎていた。東大宮まで帰る電車は、とうになくなっていた。大宮駅発0時45分の深夜バスに乗って、東大宮駅に着き、午前1時過ぎに、やっと家にたどりついた。

翌日3日、目が覚めると、頭が激しく痛い。こんなに頭が痛いのは珍しい、完璧な二日酔い。だけど、『みんなの大衆めし』の打ち上げがある。まだ身体の芯に酒が残っている状態で、しかも、18時に十条の大衆食堂「天将」に集合なのに、どうせならその前にそばの齋藤酒場で飲もうと早めにでかけ、齋藤酒場に17時15分ごろ着いた。瓶ビール2本あけ、天将へ。着いたら、まだ誰もいないから、生ビール。揃って乾杯、そのあとは、ずっと生ビールだったのではないかと思うが、もうこのあたりからはっきりした記憶がない。

つぎは、池袋西口の「ふくろ」3階のテーブル席。何を呑んだかも思い出せない。そしてカラオケへ行ったのは、まちがいない。すでに書いたように、電話の音で目が覚めたら翌日の午前5時、カラオケルームに1人で寝ていた。この間のことが、しだいにあきらかになりつつある。

Nazoメールで写真が一枚送られてきた。その写真の男は、クラブのホステスが着るような、薄地のドレスをまとって、にっこり笑っている(プライバシー保護と公序良俗のため顔は載せない)。もちろん、おれであろうはずはない。だって、おれは、ちゃんとシャツと登山用ズボンで行ったのだから。そう思って、写真を見た。ほかの情報によると、その男は、その写真のドレスのほかに、もう一種類の黄色いヒョウ柄のドレスがあって、それも着ていたとか。そのかっこうでうたった、「雨上がりの夜空に」と「アカシアの雨がやむとき」、とっても素晴らしかった、とか。そうか、おれは記憶になくて残念だ、その男がそのかっこうでうたう、そのうたを聴きたかったなあ。

まだ、このあと、4日の夜があった。地元東大宮の「よってってちゃぶだい」に21時ごろということで、若い美女と待ち合わせしていた。午前5時に池袋のカラオケを出たおれは、ウチに帰りつくと、崩れ落ちるのように寝た。目が覚めたら、午後だった。少し食べなくてはと思い、食べ、少し呑まなくてと思い、呑む。

呑みすぎだけではなく、騒ぎすぎか、身体のあちこちが痛く、疲れている。身体に力が入らない。しかし、若い美女と会うためなら、なんのこれしき。21時ごろちゃぶだいへ行ったが、ビールしか呑めそうにない。で、呑んでみると、やっぱり、うまいんだね、これが。

彼女が来て、これはオシゴトなのだ。そう、彼女は、某大書店の店員さんで、今月中ごろからのフェアで、『みんなの大衆めし』を売ってくれるというのだ、うれしいじゃないか(この件、詳しく決まったら、このブログでお知らせします)。彼女はポン酒好きであり、「ねえ、お酒呑みません?」。はいはい呑みますとも。

そして、しかし、彼女が帰ったあと1人になると、やはりポン酒は身体にきつい。タイショーのおすすめに従い、角ハイジョッキにする。それで、何時になったのか、帰るころはヨレヨレモウロウ状態だった。どうやら着替えている最中に、そのまま突っ伏して寝てしまったらしい。翌朝、目が覚めたら、パジャマを敷いて寝ていた。

だからさあ、『みんなの大衆めし』、よろしくね。
ごらんになって、よろしかったら、お知り合いや、ネットでも、すすめてください。
よい本でも、情報に埋もれると姿を消す時代だから。

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2010/06/07

きょう、水族館劇場最終日。

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きのう、ラス前の水族館劇場を観た。先月21日始まった、駒込大観音境内における見世物テント小屋での公演も、きょうが最終。来年は休演が決まっているので、お見逃しなきよう。きのうもかなりの混雑で、おれの席の頭上からは足がぶらさがっていた。きょうも大入りになることまちがいない状態のようだが、ラストならではの舞台が観られるだろう。

とりあえず、きょうの最終舞台、いまからでも遅くない。

愛人6号まりりんと行き、北九州系の人たちも一緒になった昨夜のことは、たぶん、あとで書き足す。下の画像は、先週の水曜日2日の水族館劇場で、毎回おこなわれる打ち上げのとき、大観衆を前に乾杯の音頭をさせられたときのもの。H岡女子が撮影、送ってくれた。どうもありがとう。

2010/06/03
酒に酔い、突っ走る水族館劇場に酔い

2010/05/22
無邪気に楽しむ。忘却、追憶、流浪、「驚愕のカーニヴァル」水族館劇場。

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2010/06/06

いま、息の長い暮らしを感じ取り、見つめ直す。『銀天街で会いましょう』と『みんなの大衆めし』。

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えーと、動き回り酒を呑み、食生活も睡眠も乱れ、ダメージを累積しながら、仕事もやっていたが、なにしろあまりにも疲れすぎると、パソコンに向かってキーを打つ気も起きないのだった。

『雲のうえ』編集委員の大谷道子さんから、『北九州の商店街を歩く 銀天街で会いましょう』をいただいた。去年1年間、北九州のケーブルテレビ局の雑誌連載文をまとめた商店街情報誌で、『雲のうえ』の別冊的位置付けだそうである。

発行は、北九州市とジェイコム北九州。『雲のうえ』編集委員の、大谷道子さん、牧野伊三夫さん、有山達也さん、つるやももこさんという、いつものメンバーに、写真は、やはり『雲のうえ』に何度も登場の、長野陽一さんと久家靖秀さん。もう、文句なしの、強力制作陣。

『みんなの大衆めし』の、「大衆めし探訪2 商店街編」でも、北九州の商店街(市場)については、ちょっとふれているが、なんと、大いに重なるところがある方向性と内容なのだ。これは、なかなか、おもしろいことだとおもった。

たしかに、「大衆めし探訪2 商店街編」の、写真・齋藤圭吾さんとおれは『雲のうえ』でも仕事をしたし、瀬尾幸子さんと牧野さんとおれは、一緒に銭湯へ行ったり呑んだりしているが、仕事は、それぞれまったく別の動きなので、お互いに、どんな内容の仕事をしているかは知らない。

そして、できあがったものを見ると、なにか、同じような興味や関心を感じる。それは、個人的な興味や関心もあるだろうが、「いま」という時代から生まれる、何か共通したものがあるようだと、くらべて見ながら思った。

『みんなの大衆めし』を、ごらんいただいた方から頂戴したメールに、このようなことが書かれていた。


今やレシピ本は百花繚乱ですけど、
何か違うんですよ。
何だろう?
小手先の技っぽいんですかねぇ?
ルーツを感じないっていうんでしょうか?
今日生まれたけど、明日消えちゃいそうな感じ。


だけど、『みんなの大衆めし』は違うのだと。『銀天街で会いましょう』のリード文には、こうある。


「昔はよかった」としょんぼり言う人もいるけど、昔は昔。
今、ここにあり、目の前で手渡されるものがすべてなのだから。
歩いて探した、立ち止まって見つけた、
生きている街、生きている商店街、その現在形をお見せします。


ま、そういうことなのだな。そして、もう少し付け加えるなら、いまを生きているおれたちとして、その「現在形」と、どう向かい合うかということなのだ。

なかには、単なる「ノスタルジー」「レトロ趣味」「アナクロ趣味」あるいは「絶滅種蒐集趣味」で、向かうひともいるが、おれは、何度も書いているように、そういうことには興味がない。

また、『銀天街で会いましょう』も『みんなの大衆めし』も、そのビジュアルで一目瞭然だと思うが、「ノスタルジー」「レトロ趣味」「アナクロ趣味」とは縁がない。

自分の「まち」や「生活」のなかには、「今日生まれたけど、明日消えちゃいそうな感じ」のものとはちがう、息の長いものが息づいているのである。根っこのある「まち」、根っこのある「生活」。それは、過去形ではなく、アクティブな現在形としても、楽しくおもしろく、よいことが多いのだ。

書評家の岡崎武志さんも、ブログで、このように書かれている。コメント欄も、ごらんくださいよ。ありがとうございます。…クリック地獄

画像は、いずれも、左側の小さいサイズが『みんなの大衆めし』。

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2010/06/04

発売中『ミーツ・リージョナル』7月号、酒特集にエッセイを寄稿。

いつも、毎月1日発売日の前に届くミーツだが、今回は、なぜだかまだ届かない。とりあえず、買った。「特別企画<珠玉の酒エッセイ集>」ってのがあって、寄稿しているのだ。

ただいま二日酔いにつき、とりあえず、画像だけ掲載しておく。

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『みんなの大衆めし』打ち上げ、朝帰り。

002きのうは、夕方になっても、まだ前夜の酒が身体の芯に残っている感じのまま、『みんなの大衆めし』打ち上げへ行った。この本のデザイナー、津村正二さんは大阪の方で、打ち合わせで東京に来られるのにあわせ、この日になったのだ。

18時に、十条の大衆食堂「天将」に集合だったが、おれはその前に齋藤酒場で一杯やろうと、早めに向かった。

17時15分ごろ齋藤酒場に着いて、ビール。一足先に酔って、それからはもう、怒涛の呑みだった。

ああ、チョイと、まだ酔いが覚めていないので、あとで書き足すかも知れないということにして。結論を言えば、電話の音がして、目が覚めたら、池袋のカラオケの部屋に1人で寝ていた。5時だった。頭が痛い。電話の向こうで「お客様、お時間ですが、延長にしますか」とか言っている。延長のわけないだろ。

痛い頭で、思い出せば、天将から池袋の「ふくろ」、そのあとカラオケをやって、みんなはおれを残して帰ったのだ。冷たいやつらだ。冷房で身体が冷えて死ぬところだった。

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2010/06/03

酒に酔い、突っ走る水族館劇場に酔い

004_2観るのは2度目。初日に観た渾沌の中から、まさに「立ち上がる」ように、物語の図柄が浮かび上がった。シーンは整理され、舞台のつくりも変化していた。観るたびに変わって、初日と最終日は、ちがうドラマといえるほど「進化」したとしても、水族館劇場のばあい、不思議ではない。初日には初日の楽しさがあり、今夜はまた今夜の楽しみがある。それが、水族館劇場。

来週7日まで。始まるといろいろな仕掛けと演劇的見世物的要素がてんこ盛りのシーンが怒涛の展開、怒涛の水が流れ落ちておわる「恋する虜」、駒込大観音境内のテント小屋で。これで、休演になる、ラストラン、お見逃しなきよう。

初日の様子。
2010/05/22
無邪気に楽しむ。忘却、追憶、流浪、「驚愕のカーニヴァル」水族館劇場。

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絶好のビール日和だった。ワレワレは、16時45分に、西日暮里駅で待ち合わせた。ワレワレといっても、牧野伊三夫さん以外は、初対面の方ばかり。会社をテキトウに抜け出してきたらしいから、社名と名前を書くわけにいかないな。H岡女子、S木男子、A根女子なのだが、A根女子は遅れるってことになり、ようするに「喜多八」で一杯やってから行こうということですよ。

おどろいた、開店17時の5分前ぐらいなのに、行列ってほどじゃないが、待っているひとたちがいる。これ、大竹さんが、なにかに書いたからじゃないの。おれが竹屋食堂に通っていて、竹屋食堂が閉店になるまでは、こんなことはなかったとおもうが。ま、いいさ、4人で座れたのだから。瀬尾幸子さんとおれを引き合わせたのは牧野さんであるし、できたての『みんなの大衆めし』を一冊進呈させていただいた。

それで、もう水族館劇場なんか、どうでもいい、ってぐらい、話はおもしろいし、酒はうまいし、一時間だけのつもりが、18時半までギリギリ飲みました。

ああ、眠いから、これでオシマイ。

水族館劇場、まいどのように、芝居が終わったあとの打ち上げにも参加して、そのあと、中原さんも一緒に一杯ってことで、近くに唯一開いている、「安い、まずい、はやい」と店主がいう、いいラーメン屋で呑みました。えーと、「札幌や」だったかな。真鍋さんも一緒だった。真鍋さん、前よりスレンダーになっていて、わからなかった。と、書くとよろこぶだろう、ってことじゃなくて、ほんとに、そうだった。

この店主、たのまないものまでいろいろ出して、たのまないものまで飲ませてくれて、それで、1人千円ずつでよいという。若い女子が多かったせいか?なんにしても、おれより1歳年上というが、もっと若く見えるおもしろいオヤジだった。

牧野さんは、役者の(主に若い女優の)オーラをたくさん吸収して、よろこんでいた。中原さんも、初日の様子に書いたように、クタビレジジイという感じではなくて、ツヤツヤと元気そうで、おどろいた。やはり、オーラを吸収しているのだろうか。

ああ、なにを書いているか、わからない。
いやあ、しかし、ことしの水族館劇場、脚本演出の桃山さんの気合がちがう。最終日に向かって、もっとシーンを増やすといっていた。どんどんやってくれ~。

それから、やっぱり、生演奏がいい。タンゴが、切なくよかった。

とにかく、おれは、東大宮までの終電がなくなり、大宮発12時45分の深夜バスで帰ったのだが、これは、なかなか便利だし安上がりでよいね。うふふふ、これで、もう少し長く都心でのめるというわけだ。でもね、おれは、ことし67歳だから、そんなに遅くまでのんでいると、くたびれるの。

ヨツパライ深夜便でした。

追記。そうそう寝ておきておもいだした。毎日、芝居のあとには役者と観客一緒の打ち上げあるのだが、そこで、おれは中原さんにトツジョ指名され、乾杯の音頭をとらされた。最前列から観客席を見上げると、ほぼ満席ぐらい、たくさんの人が残っていて、おれは役者じゃないのに、役者の気分でしゃべり、乾杯をしたのだった。

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2010/06/01

『みんなの大衆めし』は「雑兵物語の世界」か。

先日、チエさんから、埼玉県立歴史と民俗の博物館で「雑兵物語の世界」という展示があるときいた。大いに興味がわいて、行こうと思って博物館のサイトを見たら、もうその展示は、終わっていたのだが、案内文にこんなことが書いてある。

「「 雑兵 (ぞうひょう ) 」とは、足軽などの最下級兵士の総称です。彼らの活動が顕著となるのは、戦国時代から江戸時代初頭であり、その姿は「雑兵物語」という書物に生き生きと描かれています。雑兵は、合戦の最前線で戦うため被害は大きく、歴史の中で埋もれてきました。」

この「雑兵」は、おれが『汁かけめし快食學』の第8章「かけめし風雲録」に書いた、汁かけめしをくいながら上昇する庶民=田舎サムライにほかならない。「雑兵」たちが、「歴史の中で埋もれて」きた存在であったように、彼らの食べ物だった汁かけめしも、歴史の中で埋もれてきた。

「雑兵」は、現代におきかえれば、「経済戦争」の最前線で「戦う」、働き生きる人びとということになるだろう。

実際の「戦争世界」では、現代でも、将官や士官と雑兵では食堂がちがい、別のものを食べるというのは、フツウであるようだ。世間一般は、制度として、そのようになってはいないが、「士官的文化」と「雑兵的文化」のちがいは、存在するようにおもう。

と、考えると、『みんなの大衆めし』は、雑兵的文化のものであるといえる。

長いあいだ、「文化」だの「芸術」だのというと、「士官的文化」以上のものが語られ、あこがれであった。雑兵などは、めしくってクソしているだけで、文化なんてものはないと無視されてきた。

しかし、そうではない、汁かけめしもだが、雑兵には雑兵の文化や美意識がある。雑兵が歴史の中に捨てられてきたように、かえりみられることがなかっただけなのだ。そういうことは、『汁かけめし快食學』にも書いたが、「雑兵物語の世界」展の案内でも、雑兵の「美意識」について述べている。

埼玉県立歴史と民俗の博物館のサイト…クリック地獄

「大衆めし」の世界は、これまでも「家庭料理」として語れることは少なくなかった。たとえば「おふくろの味」、たとえば「ふるさとの味」。しかし、それらの多くは、「雑兵的文化」を、そのまま肯定的に味わい楽しむというより、低い劣ったものとして否定的にとらえ、「士官的文化」に向かって昇華あるいは「装う」傾向が強かったといえる。べつの言い方をすれば、「中流意識」の満足である。

それはまあ、そういう需要があるのはわからんでもないのだが、無理しているねえという感じでもある。雑兵の「戦う日々」つまり労働の日々の飲食を、もっと雑兵らしい文化として肯定的に楽しみ、そして楽しみながら雑兵的文化として、「高級化」ではなく、昇華し向上するということがあってもよいのではないか。というのが、おれの考える「大衆食」なのだ。

イチオウ今回の『みんなの大衆めし』でも、その点での突き抜け感は、ある。「イチオウ」とあえてつけるのは、100%の突き抜け感ではない、ということだが、料理本業界と食文化の現状からすれば満足すべきという感じだからだ。

009aとにかく、発売日がせまり、版元の小学館は、すごく「売る気」満々なのである。チョイと気恥ずかしさも覚える、店頭プロモーション用のツールまでつくって…。これ、こっていて、上部の「みんなの大衆めし」の文字があるのれんは、本物のようにヒラヒラする布が、貼り付けてある。いやあ、おどろき。

かつて食品メーカーの仕事を手伝っていたときに、よく使ったようなもので、そのころを思い出してしまった。小売店から注文を取るときに、まとめて何個注文いただけば、こういう店頭販促ツールがつきますと、まとめ買いを促進するわけだが。買取り制ではない本の流通では、どんな仕組みなのだろうか。

もちろん、本だからといって、気どって、そんなことをする必要はないということではない。本も、ここまでやるようになったのかという感慨である。ま、本も、フツウに商品になったということだろう。よいではないか。

ま、たいがいの人は雑兵であるし、大手出版社とはいえ、編集も営業も、そうなのだ。その雑兵の、気持が、本をつくりながら、少しずつ、糸をよるように、この本にまとまってきた感じはあった。あとは、世間の雑兵のみなさんが、この本をどう受けとめてくれるかだけだ。

雑兵たち、ガツンとめしをくって、力強く生きようぜ。ってことさ、この本は。

小学館のサイトで連載の「わははめし」のページは、更新され、全面的に『みんなの大衆めし』の紹介になっている。「試し読み」といった、便利なものまである。ごらんください…クリック地獄

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