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2010/06/28

愛想と愛嬌。

好みの問題だが、おれは豚骨スープ系のラーメンは、さほど好みでない。それから、あの黒色を基調にした内外装に、店員一同が黒装束というスタイルも好みでない。ところが、この2つの条件が重なる店が、少なくない。

が、しかし、コッテリ系と黒色のダブルパンチをくらうのを覚悟で、ときどき入る。ま、そのう、味覚の探究というやつでしょうか。そして、ま、味は、ふつうのうまさなのだろうが、やっぱり、おれには合わないと思うのだ。

先日も、そういうことがあった。黒色とステンレス・シルバーの内外装、カウンターの中には、黒装束の店員。店員の愛想は悪くないのだが、そのカラーリングは、どこか威厳的威圧的で、なにより愛嬌が感じられない。

そのカウンターで、あれこれ考えた。

北九州の小倉で、といえば、たいがい豚骨系ラーメンに決まっているが、有名店でも、慣れ親しんできた中華大衆食堂に見られる、赤と白の「中華色」が基調だったと思う。黒色は、店員の衣装も含め、記憶にない。そして、豚骨系ラーメンは、黒色のカラーリングより、このほうが愛嬌があって味覚的にもよいのではないかと思った。だけど、関東だけなのかどうかは知らないが、黒色基調が多いようだから、なにかワケがあるのだろうか。

とか、考えていたとき、サンデー毎日の著者インタビューで、岡崎武志さんが「愛嬌」を持ち出したことを思い出した。その愛嬌のことは、きょうの午前中にもどしたゲラにもあって、文章の最後を締めくくる内容である。先日のインタビューのとき、岡崎さんが、愛嬌のことを言い出したのは、おれがまちや大衆食堂のことについて発言するとき、その言葉を使ったことがあるからだが、よく覚えていられたというか、調べられていて、おどろいた。

自分自身の記憶では、まちと大衆食堂の愛嬌、あるいはまちの愛嬌としての大衆食堂について、初めてふれたのは、2006年7月のカルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション「闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡」における「報告2 大衆食や大衆食堂から見た東京の町」でだったと思う。そのあと、それほどひんぱんに使っている言葉ではない。

4月に発売になった、木村衣有子さんの『大阪のぞき』では、巻末で木村さんと対談して、おれは「結局、街の個性は、大きなビルの奥にいるような企業家やそのコピーではなくて、街に顔を出している生業者のような人たちで決まるんだよね」という言い方をしている(p166)が、この「街の個性」というのは「街の愛嬌」のことであり、こう表現した方が、おれの考え方としては適切だったかも知れない。

『みんなの大衆めし』では、横浜市南区の横浜橋通商店街の惣菜店5店を取材して掲載している。とくにそのように決めていたわけではなかったが、選ばれた店は、みな生業店だった。愛嬌という言葉は使っていないが、やはり、愛嬌と味覚は、切り離しがたく存在しているというのが、そこに書いた文章だ。

愛想のよさは、かなり、企業的あるいはシステム的な訓練で可能だと思うが、愛嬌は、そうはいかない。

とはいえ、コンニチでは、愛嬌のよさより、洗練された実務的なサービスがありさえすればよいという考えも、とくに東京圏では、少なからず感じる。

そのことと、押し出しの強い重い豚骨系黒色装束ラーメン店が関係するかどうかは、よくわからない。ちかごろ、いわゆる「ダイニング系」の居酒屋チェーンなどでも、黒基調を見かけることが多いが、これは、どういうことなのだろうか。

よく話題にしている、東大宮のよってってちゃぶだいも、黒基調のようであるが、ここはタイショーが好きなようにやっているので、阪神タイガースのユニホームがぶらさがっていたり、基調の黒は崩れ不揃いな愛嬌にまみれている。(と書いたあと、確認のため、酒を呑むのは、とてもイヤなのだが、よってってちゃぶだいへ行ってみたが、もはや、「黒基調」とはいえないほど、愛嬌にまみれていることが確認できた)

サンデー毎日の著者インタビューは、このままなにもなければ、7月6日発売の号に掲載の予定。岡崎さんが撮影した、瀬尾さんとおれのツーショットも載るでしょう。

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