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2010/07/12

信濃路で泥酔しながら、1980年代後半から始まった大きな変化を、あらためて考えたのだった。

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きのうは夕方から鶯谷の信濃路。五十嵐泰正さんと会ったのは、いつ以来か。たしか前回も何かの選挙の投票日だったような気がする。五十嵐さんに、10日に発売になったばかりの、『POSSE』7号(NPO法人POSSE・発行)と『多文化社会の<文化>を問う』(岩淵功一・編著、青弓社)をいただく。おれは、『みんなの大衆めし』をあげて、ブック交換しながら、学生さんへの宣伝を頼んじゃったりして。

ずいぶん呑んで、何時ごろどうやって帰ったか、まったく覚えがないのだが、話しの中身は、けっこう思い出せた。じつに楽しかった。

五十嵐さん、プロフィールをあらためて見ると、1974年千葉県生まれ、筑波大学講師、専門は都市社会学、国際移動論ってことだ。いまでも千葉県人。五十嵐さんの話しは、おもしろいのだが、あちこちに書く文章も、とうぜん大学の先生のものではあるけど、なかなかおもしろいのだ。

「『銭ゲバ』は貧困にどこまで迫ったか」なーんてことで、09年1月から3月に放映されたドラマ、ジョージ秋山原作の『銭ゲバ』を解剖して、いまどきの日本はこうなっているんだと見せてくれたり、上野の西郷銅像の周囲わずか数平方メートルの範囲から上野や都市の歴史を掘り起こして見せてくれる、そういうやりかたは秀逸で、学者の文章という感じがしない。その縦横無尽の編集力は、ミーツ・リージョナルと並びますね。あっ、そうそう、なんかのまち情報誌で、千葉の自分のまちを案内したりしてますね。

先日ちょっとだけ紹介したが、『POSSE』7号の特集は「地方から「新しい公共」を!」であり、五十嵐さんは「北の荒野」を往く ~「成長の爪痕」と向き合う旅~」を書いている。東北の仙台市や岩沼市あたりから北関東までクルマで走り、開発主義の「遺産」を、21ページにわたってルポしている。リゾートやら郊外やらシャッター商店街やら群馬のブラジリアン・タウンやら八ッ場ダムも。五十嵐さんが13年前に働いていたという工場も。いやあ、これだけ一度に写真を見ちゃうと、やっぱり80年代中ごろから、日本は相当イカレていたのだと、あらためて思う。

五十嵐さんは、ルポの最後で、ごくふつうに考えれば、「街」とはこういうものでなければならないという話しをしている。

いま、多くの地域で、地域ブランディングと観光に力を入れ、集客し交流人口を増やす「開発」にカネを投じているけど、それはこれまでの愚かしい「開発主義」の繰り返しになる危険性がある、そもそも発想がおなじではないか、もっと違う有効なカネの投じ方に舵を切るべきなのだ。

『多文化社会の<文化>を問う』は、第3章の「「地域イメージ」、コミュニティ、外国人」を書いている。まだザッと読んだだけだが、やはり、「ここ十数年来、日本中で観光をはじめとした集客の増大を目論んだ「まちづくり」が花盛りだ」「しかし、本書の問題関心からすると、そのような地域アイデンティティの醸成は、特に都市部では必ずしも手放しで称揚できるものではない」と、問題提起している。

いま必要なのは、なにごとも足下をよく見て、ごくふつうにふだんの周囲の暮らしを大切にしたり、大切にできるまちを、考えることかも知れない。

おっと、こうしてはいられない。ま、とにかく、ゆっくり読んで考えよう。

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コメント

いまアップしたばかりなのに、素早いコメント。
きのうは、どうもありがとうございました。

そうでしたか、あまり泥酔できなかったのは、もしかすると選挙速報が気になっていたのでしょうかね、ちょうどあそこにテレビがありましたし。

私は、どうやって別れたかも思い出せません。

「大衆めし」、もちろん、まだ数ヶ月は絶版にされることはないと思いますから、よろしくです。

また呑みましょう。

投稿: エンテツ | 2010/07/12 22:42

昨日はお疲れ様でした!
いつものことでとても楽しく飲ませていただきましたが、僕はわりと泥酔できなかったすね。
なんでやろ?

本の紹介もいつもながらありがとうございますm(__)m
こちらも「大衆めし」、ちょっと売り込んでみます。
筑波は早めで、もう夏休み入っちゃいましたけど、雑誌と違ってそれほど急ぎませんよね?

また近々!

投稿: yas-igarashi | 2010/07/12 22:33

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