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2010/07/10

『旅の手帖』8月号、みんなの大衆めし、ああ中学1年の夏。

001『散歩の達人』なども発行する交通新聞社の『旅の手帖』の編集、H岩さんから、小さなスペースだけど『みんなの大衆めし』を紹介したいと電話があった。10日に発行になった掲載誌の8月号が送られてきた。見たら、本と映画のページに、写真も大きく、要領よくまとまった上手な紹介をいただいている。どうもありがとうございます。『みんなの大衆めし』のような料理本が、こういう雑誌で紹介されることはないので、とてもうれしい。旅に出たら、各地にある大衆めしに大いにふれてほしいものだ。

003ほかに掲載されていた本は、『しあわせ農泊』(宮田静一、西日本新聞社)、『ゴーカイ 岩手チャグチャグ新聞社』(飛鳥あると、講談社)、『新幹線の運転』(にわあつし、㏍ベストセラーズ)、『古代大和の謎』(大和文化会編著、学生社)、『ねぶた祭』(河合清子、角川書店)。いずれも、おもしろそう。

それで、この号の特集が、「夏の露天湯」ということで、ワイルドというか豪快というか、大自然の中の露天湯がある温泉宿が紹介されている。そこに、新潟県の群馬県境に近いところ、苗場山中腹にある、赤湯温泉山口館が載っている。ここは、おれが中学1年の夏休みに、丸1月間湯治をした、思いで深いところだ。

50数年前のことか。標高約1300メートルの谷底にあって、いまでは、登山口までタクシーで行けば2時間の徒歩だが、当時はそんなに奥までクルマは入らず、どうしたって歩いて8時間はかかった。その山奥で、送り迎えに両親が来たほかは、与えられた一部屋に一人で寝泊りし、決められた時間に温泉につかるのだ。

部屋は、宿の主人たちがいて食事などする囲炉裏がある本館の上の別棟で、囲いも戸もない縁側のような廊下にむかって、障子で仕切られた6畳ぐらいの小部屋が並んでいるだけだった。イチオウ部屋だったが、いつも大声を出さないと声が聞こえないような谷の流れの大きな音に包まれ、内も外もないようなところだった。

002川原のどこを掘っても温泉が出てくるところで、場所によって「赤湯」とは限らず、ブルーだったり、湯の色がちがった。退屈しのぎに、砂地を深く掘って石で囲んだ「湯舟」をつくって遊んだりした。もちろんランプしかなく、その掃除の手伝いなどもしたが、夜、寝る前に風呂に入らなければならず、ランプを岩の上に置いて入っていると、ヘビが悠々と目の前を泳いだりした。

宿でも、中学生の子どもが一人で湯治をすることはなく、両親も寂しがらないか心配したようだが、まったくそういうことはなく、じつに気ままで楽しい日々だった。

いまでもそのようだが、秋が深まれば閉まり無人になるところだ。この写真の、湯舟の位置は、当時とそのままではなく、何度かこの山口館そのものが雪崩に流され、湯の位置も少し変ってはいるのだが、ほぼこの位置に同じように、もっと小さかったが、最も大きい湯舟の最も湯治によい湯があった。湯に入っていると、横の登山道を登山の人が歩いていくのである。

当時おれは、カメラを持っていて、現像と焼付けも自分でしていた。このときもカメラ持参で、あちこち撮りまくった。この写真の位置より、もっと先の湯舟の向こう側、谷が狭くなり蛇行するあたりで、早朝、日が差し込むところを撮影した。それを小学館の雑誌「中学1年生」の写真コンクールみたいなものに応募したら、入選し雑誌に掲載になった。なんだか忘れたが景品を貰ったりした。なんてことを思い出すのだな。

つぎからつぎと忘れていたことを思い出すが、おれはこの湯治で、性格まで変ったのではないかと思われるほど、身体が丈夫に変ってしまった。それまでは、軟弱児童もよいところで、医者の診断では胃弱体質ということだったようだが、毎年夏バテをし夏休みの大半は寝て過ごし、月に一度は風邪で学校を休むようなアンバイだった。気は優しく力もない。どうにもよくならず、医者が最後の手段ですすめたのが、この湯治だったのだ。

おれは湯治のあいだに、とにかくヒマだから山をかけめぐり、初めて2000メートルをこえる苗場山の頂上に立った。それから登山が好きになり、高校では山岳部に入った。ま、おれの人生の大きな転換期になった湯治といえるか。なにしろ、ふつう以上に頑健な身体と、大雑把で野蛮な神経を持った男になったのである。

たいした人生じゃないが、1月間の湯治など、その後はやってみたいと思ってもやれるものじゃない。その翌年には、長年の結核が悪化した母親が一年間、柏崎の国立療養所に入院し手術をすることになった。一人結核患者がいれば一家が傾くといわれたとおり、その治療費は莫大で、わが家は商売の傾斜もあったが、借金が膨らみ、おれが二十歳のころにいたり、ついに再生することなく破産、家も土地も失った。

もっとも、破産で家と土地を失うのは、わが家にとっては、2度目のことだった。ふりかえると、親父は、家族の病気の治療のためにつくしながら、二度の破産、それから、もっとひどい目にもあっている。それで、84歳まで生きた。母は、59歳で死んだ。おれは今年67歳になるが、84まで生きる自信も展望もない。

それはともかく、最後の画像は、松本英子さんのイラストによる「かけ湯くん」だ。松本さんとH岩さんのコンビは、『散歩の達人』の「プロジェクト松」時代、天下無敵縦横無尽のおもしろさだったが、『散歩の達人』から姿を消したあと、ここで毒を放っているのだな。ひたいに「H」のあるキャラクターも、ちゃんと登場している。『散歩の達人』のころと比べると、少々毒が弱くなったような気がするが、ま、トシもあるか。大いに鋭い毒をふりまいて欲しい。

このコンビが、『散歩の達人』から姿を消すときのことは、2008/06/22「おれは「俺」でゆく。」に書いた。

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