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2010/07/31

上野火事騒ぎ、御徒町浅草泥酔、またもサウナ泊朝帰り。

006きのうはアラサー女子に囲まれて飲む日だった。約束時間より早めに上野駅忍ばず口を出ると、消防車が騒がしい。野次馬根性で、火事はどこかと追う。上空に取材活動らしいヘリが数機、まわっている。アブアブの前で、はしご車がはしごを最上階までのばし、先端の箱に消防士がいるのが見えた。だけど、消火活動をしている気配はなく、窓の割れているところもなく煙のあともない。ボヤだったのか。群れた人たちの半数ぐらいは、携帯カメラやデジカメをかまえていた。おれもその一人となる。

19時チョイ前、御徒町駅近くの羊串焼の「故郷味」へ。入口で会った大竹聡さんと3階の予約席につき、数分後、つぎつぎにおもしろいミーツ別冊をつくりだす、のりにのっているエルマガ社東京編集室のアラサーたち。肉姫さん、いちえさん、初対面のばやしさん。チョイ遅れて木村衣有子さん。いずれも酒豪にして健啖。まいどのごとく、食べ飲みしゃべる。ばやしさん帰り、2軒目。これが、もう酔っていて、どこをどう歩いたかわからない、ピンク店とラブホがひしめく細い路地にある居酒屋だったような気がする。3軒目、浅草観音裏のいつもの居酒屋。この段階で、すでに帰宅はあきらめている。ゴロゴロ会館の並びにサウナがあるのを確認しておいたから、腰をすえて閉店まで。午前1時すぎだったかな。はて、しかし、なにを話していたのか。

サウナはカプセルに。ケチをして上段にしたら、酔っていたものだから、のぼるに苦労した。おかげで、いくぶん正気がもどったようだったが、無事にのぼると着替えもしないで崩れるように眠る。朝起きて、ひと風呂浴びて、サウナを出る。人気の少ない浅草寺境内をぬけながら、はなやしきの塔と押上あたりで工事が進んでいるナントカという塔を写真に撮り、地下鉄に乗った。

ミーツ別冊できたてほやほや「東京スイーツ大全」の肩書がある『おやつ手帖』をもらった。帰ったら、ウチには、大阪からミーツ本誌9月号「日本酒と和食」特集が届いていた。ウム、どちらも、よくできている。あとで紹介する。つもり。

きょうは、このあたりの祭らしいのだが、夕方までにヨレヨレの肉体が回復するか?

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2010/07/30

8月8日(日)、ギョニソナイト。ゲストで参加、村上航さんの朗読も。

え~、このあいだの日曜日に、経堂の「さばの湯」で泥酔論番外編「北九州の角うち」をやったばかりだが、きのうオーナーの須田泰成さんから電話があって、8月8日と15日がギョニソ(魚肉ソーセージ)ナイトだそうで、ゲストで来てくれないかということだった。15日は予定が入っているので、8日だけ参加することにした。

まだ何をやるのか、よく知らないが、さばの湯のスケジュールを見たら、猫のホテルの村上航さんの朗読もある。となれば、ちょうど前回のエントリーに紹介した、『みんなの大衆めし』の人気レシピ、ギョニソと紅しょうがの天ぷらのレシピの朗読は、ぜひやってほしいものだ。とにかく、きょねんのスロコメ@下北沢での泥酔論以来の、村上さんとの顔合わせは楽しみだ。

おれとギョニソの縁は、ハンパじゃない。子どものころから食べまくった、ということだけじゃなく。そのことは、ザ大衆食のサイト「したたかな魚肉ソーセージ」にちょっとだけ書いた。つまり、「1971年、おれはもう20歳代の後半だった。なんと、その年の秋、某企画会社に転職したおれが「企画担当」という肩書の名刺を持って担当したクライアントが、魚肉ソーセージで有名な、いまのマルハ、当時の太洋漁業の宣伝課や市場調査課や販促課だった。そして、下関の工場で、この魚肉ソーセージなるものが、どのようにして出来るか、詳細を見学取材し、……」ということなのだ。…クリック地獄

ま、おれが、大衆食なるものに、とりわけ興味を持つようになった、最も初めのころの食品といえる。
8日は、どんな話しをするのか、わからないが、大いに飲んで楽しみましょう。

2007年8月、北九州市で『雲のうえ』の取材を終えた帰り、電車で下関へ出た。初めてギョニソの工場を見学取材して以来だった。そのときのことは、当ブログ2007/09/20「雲のうえにいたる下関」に書いてある。…クリック地獄

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2010/07/28

『みんなの大衆めし』人気レシピ。

この数日、いろいろな人にあって、『みんなの大衆めし』を知らないひとのほうが、はるかに多かったのだけど、すでに買っているひともけっこういて、感想をいろいろ聞いた。

実際つくってみた人は、かなり少なかったが、作ってみたいも含めて、圧倒的な人気だったのが、「おとなのビンボーめし」119ページの「紅しょうがと魚肉ソーセージの天ぷら」だった。

おれはまだ作ったことがないのだが、これはビールのつまみにもよさそうな感じだ。それも、この暑い夏に人気のワケかも知れない。

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2010/07/27

『四月と十月』4月号(vol.22)が発行になりました。

「理解フノー」の連載、今回のタイトルは、「健康と酒と妄想と。」です。作品参加の同人に、きのう初めてお会いした、ミロコマチコさんが加わった。仕事場訪問は「石井保子の写真」。

『四月と十月』と古墳部と「理解フノー」…クリック地獄

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26日、「女子美に集まって、四月と十月の話しをします」。

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女子美の相模原キャンパスに朝9時半集合だったので、前夜泊まった下北沢のサウナ「ミナミ」を出て相模大野へ。『四月と十月』牧野伊三夫編集長から声がかかって、夏季集中講義「女子美に集まって、四月と十月の話しをします」に、出席。午前2時間半、実質3時間以上? 午後4時間ぐらい講義、そのあと中庭での懇親会、そのあと相模大野駅近くの飲み屋で「反省会」と、長丁場をこなしているうちに帰れなくなる。落雷で電車も遅れ、またもや下北沢のサウナに泊まることにする。

たくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました。

くわしくは、のちほど。→以下、28日に追記。

サウナに泊まったので、朝起きて風呂に入り、ヒゲもそることができた。二日酔い気味ではあったが、気分は悪くなくスッキリな感じだった。一緒に泊まった野暮連のシノさんタノさんとサウナを出て、7時半ごろ下北沢駅。彼らは新宿方面、おれは下りの急行で相模大野へ。

9時半集合には、かなり余裕があるので、キャンパスに早く着いたら、どこかで寝てようというつもりだった。ところが、相模大野に着いたら、腹がすいてたまらん。立ち食いそばを探すがない不毛の地。駅前のコンビニでにぎりめしとお茶を買い、バス停の木陰のベンチで食べる。

腹ごしらえができバスに乗るべく、付近の案内図を見て、グリーンホール前バス停へ向かう。駅から、けっこう歩いて着いたバス停だが、行き先が相模大野駅だ。停留所一つ歩いたらしい、これではもどることになる。ならば近くに女子美行きの停留所があるはずと、道路の反対側をもっと先に向かって歩く。気温はグングン上がって暑い。停留所はない。総務省のナンタラ施設があって守衛がいたので聞くと、そのバス停は、駅前の伊勢丹のすぐ隣だという。また駅近くまでもどらなくてはならないのだ。

余裕だった時間がなくなり、急いで汗流しながらもどる。ちょうど出るところだった女子美行きバスに乗り、座る。ウトウトしてハッと目が覚めた。運転席上の次の停留所と料金の案内に、つぎは「じょしだい前」とある。たしか終点のはずだが、もう着いたのかと思っているうち、じょしだい前は通過しちゃったので、あわてて停車ボタンを押し、つぎの停留所で降り、もどってみたら、そこは相模女子大で、まったくちがう。ならば、「じょしだい前」のバス停で、乗り直せばよいものを、また先ほど降りた一つ先の停留所までトボトボ急いで歩いた。

やはり二日酔いだったのか、動いて酔いがぶりかえしたのか、朝からおかしなことをやり、やっと乗った目的地までのバス。前々夜、神保町の路地と人で一緒に飲んだ言水ヘリオさんがいた。言水さんは以前に一度このバスを利用したことがあるそうで、とにかく女子美までは、けっこう時間がかかる。なかなか着かない。こんなにバスに乗るんでは通学の意志がくじけちゃいますね、自分なら学校へ行かなくなってしまう、などと話し合う。

バスは20数分はかかっただろうか。もう9時半の集合時間を少しすぎていた。指定されていた、4号館の研究室へ。すでにみなさん揃っていて、川原真由美さんから、牧野さんたちと一緒のバスで来る途中で、おれが歩いているのを見つけた牧野さんがエンテツさんは女子美まで歩くつもりなのかと言っていたと聞く。いやあ、とても歩ける距離じゃありません。

正しくは、ヴィジュアルデザイン夏季集中講義ということで、ヴィジュアルデザイン専攻の学生が対象。同専攻の講師で『四月と十月』同人の鈴木安一郎さんを中心に簡単な打ち合わせ。助手の方が、徹夜でいろいろ準備してくれていた。と、見たことのある顔が、立花文穂さんだ。それで知ったのだが、立花さんはヴィジュアルデザインの准教授なのだった。ってことで、立花さんは、打ち上げの飲み会が終わるまで、一緒だった。

女子大だが、大学院は男子もいるのだそうで、男子便所はどうなっているか、まず気になっていたのだが、便所がある位置には、女子より半分以下の広さのようだが、男子便所もあり安心した。

午前の部は224号教室で、2年生と4年生が対象。同人の青木隼人さんのギター演奏で始まる。鈴木さんの司会で、牧野さんが『四月と十月』の紹介。同人で『四月と十月』の表紙デザインを担当している内藤昇さんと本文デザインの青木さんと牧野さんの打ち合わせや制作風景をビデオで紹介。見たことがない現場なので、ふむふむ、美術作品のデザインは、とりわけ難しそう。

続いて、同人や寄稿者の仕事の内容を中心にした自己紹介になる。同人の久家靖秀さんは出席の予定だったが、はずせない撮影が入り、ビデオで参加。久家さんが撮影するところは古墳部の旅行で見たことがあるし、撮らせてといわれてモデルにされたこともあるが、4×5を使う仕事の場面やアトリエ作業は初めて見るので、興味津々だった。

寄稿者の有山達也さんは、午後の部は出席だが、午前はビデオ参加。鈴木さんがアートディレクターの仕事についてインタビュー。有山さんが、見たものを見たまま表現しても、そのものが伝わるわけではない、「うそ」をすることで見たものが伝わる、というような「うそをつく」効用の話をしたのがおもしろかった。有山さんとはアリヤマデザインストアの事務所で打ち合わせしたことがあるが、有山さんのデスクや作業の部屋は初めて見た。10年間アシスタントを務める女子が、スタッフを紹介し「有山磁力」について話す。なるほど~。毎日終電だけど、近頃は土日が休めるようになってよかった、という話が印象的。どんな好きな仕事も休まなくては疲れますね。

同人の松本将次さんは、出席だがビデオが用意された。松本さんは『四月と十月』を印刷する大洋印刷の営業担当取締役なのだ。なので、印刷の現場を案内しながら、デザインや絵と印刷の関係を話した。ビデオ冒頭、大きな声で「営業の松本です」と始まる編集が、会場の笑いを誘った。松本さんは、あとのトークでも、マイクをにぎると状況に関係なく、熱く話す。それが無神経な押しの強さとうつらないで、笑いを誘う。純心オヤジ愛嬌のある方だ。

スソアキコさんは、『四月と十月』の前号のあと同人をやめたが、四月と十月山脈にあるし、またスソ山脈に四月と十月もあるという関係ではないかと思う。そのスソさんは、午前中は欠席でビデオ参加だった。思えば、スソさんとは、これまでの人生やら生活やら古墳やら縄文やらについては話し、トランプやカラオケに興じたりはしていたが、仕事についてはあまり話したことがない。このあいだの麦わら帽子の作品展で、初めて、帽子の作り方を聞いたという調子である。なので、アトリエで自分の仕事についてインタビューにこたえるスソさんは新鮮であり、じつにかっこよかった。いまさらながらだが、自分の仕事や責任について、しっかり考えているひとなのだと噛みしめた。

ビデオは、いずれも、専攻の助手のみなさんが中心に制作したものらしいが、すばらしい出来だった。なんてのかな、「人間と仕事のドキュメント」という感じに、うまくまとまっていた。

同人の川原真由美さん、発行になったばかりの『四月と十月』の最新号に同人参加の挨拶があるミロコマチコさん、そして鈴木安一郎さん。寄稿者の、言水ヘリオさん、鈴木伸子さん、そしておれは、スライドで自分の仕事を紹介した。

鈴木さんは、この春お会いしたときは、副編集長を勤めていた『東京人』4月号の撮影だったが、そのあと同誌を発行する都市出版を辞めた。都市出版が請け負っていた、外務省の出版物が「仕分け」にあって廃刊になったことは、記憶に新しい。鈴木さんは、その出版物ではなく、長年関わってきた『東京人』の編集だったのだが、とにかく当面フリーになったのだ。その新しい門出の本といえるか、河出書房新社から『大人の東京散歩』が出版になった。9月には『鉄道沿線をゆく大人の東京散歩』が発刊になる。写真も鈴木さんが撮影、そのスライドで、自分はどんな考えや視点で東京を見ているか語った。鈴木さんは東京生まれで、生まれ育った故郷・東京の、まだまだ知らない風景を追う視線があるようだ。大いに活躍してほしいと思った。

午前だけ、スペシャルゲストの方がいた。「超大物」というと、政治業界くさい言い方になるが。これはもう「牧野磁力」というか、葛西薫さんが、短い時間の滞在なのに、わざわざ来てくださった。サントリー烏龍茶のCMや最新のポスターを見ながら、葛西さんと牧野さんが話す。

自己紹介のあとは、「四月と十月」の魅力や自分と「四月と十月」の存在などを話す座談会、学生が制作したポスターの講評があり、午前の部は、大幅に時間が超過して終わった。終わる前、午後出席のスソさんが、学生席のほうに座った。おれが気がつくと「学食を食べたくて」といった。愉快なひと。

昼食は学食で食べるのだが、午後は14時開始であり、30分ぐらいしか時間が残っていなかった。カフェテリア式の食堂で、おれはカレーライスを選ぶ。トレーを持って並ぶと、前の、学生と思っていた女子が声をかけてくる。なんと『雲のうえ』の編集委員でもある、つるやももこさんだ。午前の講義を聴いていたし、午後も聴くのだと。つるやさんは、女子美のOBだったのだ。えーと、有山さんも到着。ほかに、ヤマゲンさんなど、なんだか「牧野磁力」だろうか、いろいろな方が来ていた。

午後の部は、1312教室で、1年生と3年生を対象に、午前と同じように進行。有山さんとスソさんが加わり、スソさんのビデオは午前とちがう作品展覧会紹介が中心になった。さらに、野村辰寿さんが、多摩美卒業制作のアニメーションビデオを持って出席。野村さんは、牧野さんに、その後の野村さんのアニメには、これを超えるものがないといわれると紹介したが、うーん、そうか。

この教室は、あとに授業があるので時間超過はできないと時間通りに進めるが、けっきょくポスター講評は別の教室でやることになった。なかなかおもしろかったが、詳しくは省略。

18時から、中庭で、学生が準備した懇親会「鉄板の会」となった。生ビールサーバーまで用意されて、やきそばにお好み焼、飲み放題食べ放題。やきそばもお好み焼も上手に作られていた。いまどきの女子大生と話す機会は、ほとんどないのだが、ま、話しを合わせてくれるのだろう、楽しくいろいろな人たちと話をしながら飲み食い。牧野さんは、ここでも、お得意の、角ハイづくりをやっていた。北九州出身の学生が声をかけてくれた。2年生の学生が、3年生になると夏休みは就活になるから、この夏休みは大学生活最後の夏休みといっていたのが印象的。途中から激しい雷雨となり、建物下に避けながら20時まで。

20時20分発の相模大野行きバスが最終なので、みなこれに乗る。相模大野駅近くの居酒屋で「反省会」という打ち上げ。あとから片付けの済んだ学生も加わり、いやあ、とにかくにぎやかで元気のよい打ち上げだった。前夜は下北沢のサウナ泊まりだったし、東大宮のうちまでは遠いし早く退散しようと思ってはいたが、途中で、また下北沢のサウナに泊まることに腹を決め、大いに飲む。

ちょうど、有山さんと立花さんが、それぞれテーブルの端に座った関係で、そばに焼酎と水やウーロン茶のセットが置かれた。なので、有山さんと立花さんが水割りやウーロン割をつくるのである。牧野さんは、立花さんにこんなことをしてもらうことなんてありえない、などとよろこびながら写真に撮る。おれも、「有山割り」と「立花割り」を楽しんだ。

23時過ぎ、店も閉店時間となり、駅へ行くと、雷雨の関係で電車が大幅遅れ。なんだか、スソさんと川原さんに、カラオケ行こうよ~と誘ったような記憶もあるのだが。とにかく下北沢に。電車のなかでは、隣に座ったミロコさんと話していたが、ずいぶんおもしろいひとで、また飲みなおしたいと思った記憶がある。

下北沢駅ホームで、井の頭線に乗り換えるスソさんと川原さんと抱き合って別れ、腹が減ったのでラーメン屋に入り、チャーシューで生ビールのちラーメンを食べ、朝出てきたサウナのミナミにもどり、風呂に入って寝た。

ああ、長々と書いたが、まだ書きたいことがタップリある一日だった。このように同人や寄稿者が一同に会して、自分の仕事などを紹介したり「四月と十月」について話すことはなかったので、貴重な楽しい機会だった。四月と十月山脈は、それぞれ磁力のある人たちの山脈であり、しかも変化に富んだ造山活動を続けているからおもしろいのであると、あらためて思った。

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25日、経堂「さばの湯」でトーク「北九州の角うち」。

やれやれ、無事に帰って来ました。けっきょく、下北沢のサウナに2泊しちゃいました。

25日は、小田急線経堂のさばの湯で、泥酔論番外編トーク「北九州の角うち」のち「大田尻家」で午前1時半ごろまで飲んで、泥酔。経堂からタクシーで下北沢のサウナ「ミナミ」。

くわしくはのちほど。酔っぱらって野暮連の2人と泊まったサウナの写真しかないから、これを掲載しておく。

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2010/07/25

神田神保町「路地と人」のち鬼子母神通り「みちくさ市」泥酔帰宅。

001路地と人で「うどん会」、14時半ごろ到着。17時半ごろ出て、雑司ヶ谷鬼子母神通りみちくさ市、着いたのが18時過ぎ。市は18時半までだから急ぎまわり、岡崎さん塩爺から一冊ずつ、ひぐらし文庫で木村さんの新著自家本『味見はるあき』、のち、鬼子母神盆踊り、銭湯・高砂湯に入り、アミでのわめぞの打ち上げに参加。泥酔、22時過ぎ出て、東大宮到着後ちゃぶだいで、賄いめしにビール、帰宅。詳しくはあとで。

きょうは、19時から経堂「さばの湯」で久しぶりの泥酔論トーク「北九州の角うち」だよ。画像をたくさん用意して行くから、角うちのマネをやりながら、大いに飲もう。

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2010/07/24

猛暑に負けないめしをくらえ!鬼子母神通りみちくさ市と経堂さばの湯。

あっちい日が続いている。

先日、玉川奈々福さんがブログで、「気どるな、力強くめしを食え!!!」と『みんなの大衆めし』を紹介してくれた。そのコメントに、「なんかあの本は、夏バテする今こそ、嬉しいですよ。」とあった。…クリック地獄
たしかに、そうだ。スタミナ・レシピがたっぷりのっているし、そもそも、めしをがっつりくう本なのだ。

おれは、ここのところ、毎朝みそ汁ぶっかけめしだ。やはり、ガツンと元気が出る。

猛暑のなか、わめぞは、きょう、鬼子母神通りみちくさ市だ。午後2時からだからね。…クリック地獄

そして、明日は、経堂のさばの湯で、おれの泥酔論トークがひさしぶりに炸裂、「北九州の角うち」をやる。午後7時ぐらいからデレデレと。…クリック地獄

暑くたって、いいじゃないか。猛暑に負けない企画に、猛暑に負けないめしをくらって、大いに参加しよう。

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2010/07/23

梅棹忠夫『文明の生態史観』と『汁かけめし快食學』。

0022_2去る7月6日に梅棹忠夫さんが亡くなった。梅棹さんといえば『文明の生態史観』であり、この本からおれは、料理や食文化の歴史を考える、すごく重要なヒントを得た。この本がなかったら、『ぶっかけめしの悦楽』や『汁かけめし快食學』で主張した、カレーライスは日本の汁かけめしであるとする考えは、難渋したにちがいない。

おれは、大学を出た人のような勉強もしてないし、あまり本も読むたちじゃないので、よく本を読むひとから見れば、なーんだそんなことも知らなかったのかといわれるかも知れないことを、この本で初めて知ったのだった。

画像は、いまおれの手元にある中公文庫版で1974年初版発行の改訂版だが、おれが初めて本書を読んだのは単行本で、江原恵さんと出会ったあとだったから、1975年か76年ごろだろう。その本は、おれが勤めていた企画会社の書棚にあって、なんとなく手にとったものだった。

おれは、この本で文化や歴史の見かたとして、系譜論と機能論があることを知ったのが、大きなかなり決定的な収穫だった。それで、系譜論と機能論を調べていくうちに、発生論にもぶつかった。

日本の料理や食文化の歴史の著述などは、たいがい道楽や趣味のものが多く、無責任な放言にちかい。それが、正当と正統であるかのように信じられてきた。いまでも、大勢は、そうなのだ。

そして、そのほとんどは、系譜論と発生論によるもので、機能論による検討はない。

おれは、まだ不十分にはちがいないが、汁かけめしとカレーライスについて、系譜論からも発生論からも検討を加え、機能論による展開を試みた。

悦楽でも快食學でも、「ようするに「丼物」とはなんだ」といいながら、「丼物とは」を考え「料理とは」「汁かけめしとは」にふれたのは、機能論を展開するためにほかならない。

もともと汁かけめしの歴史については、無視されてきたのだけど、そもそも「料理とは」についての機能的な説明は、これまでほとんどといってよいほど無かった。機能論的にまとめたのは、調べつくしてはないが、悦楽と快食學が初めてといってもよいぐらいだろう。

たいがいは、系譜論と発生論でヨシとしてきたのだ。

『文明の生態史観』の「系譜論と機能論」は、こう述べている。

「いままでのかんがえかたは、みんな文化の由来をもって日本の位置表示をおこなおうとしていた。あるいは、文化を形づくるそれぞれの要素の系図をしめすことによって、現在の状況をしめそうとしていた」

まさに、「カレーライス伝来説」がそうだった。

で、梅棹さんは、述べている。「文化の機能的な見かたをみちびきいれたほうが、話が、いっそうはっきりするとおもう。それぞれの文化要素が、どのようにくみあわさり、どのようにはたらいているか、ということである」「それは素材の由来の問題とは全然関係ない」

つまり、肉を使っているから西洋料理、材料が渡来だから伝来料理ということは全然関係ないのだ。

そして、このようにたとえて説明する。「共同体のもつ文化を、つみ木にたとえよう。ひとつひとつのつみ木の色は、いろいろあるかもしれない。しかし、個々の木片の色は、つみあげた構築物の形とおおきさには関係ない」

こういう考えを、生活や料理や汁かけめしやカレーライスにあてはめてみればよい。

おなじ名前だけど、ちがう料理、おなじ料理だけど、ちがう名前の料理は、そのようにして説明がつく。

すでにお知らせしたように、サンデー毎日の著者インタビューで、『みんなの大衆めし』の著者である瀬尾幸子さんとおれが、岡崎武志さんインタビューされた。瀬尾さんは、スパゲティナポリタンの話しで、こう述べているのが、活字になっている。

「結局、大衆めしってみんな和食なのね。スパゲティナポリタンだって」

瀬尾さん、おそらく、機能論的な考えがあってのことではなくて、料理研究家として、料理に自ら機能している体験から得た考えがあって、そう述べたのだろう。かつて、1980年ごろ、江原恵さんが、ハンバーグについて、「つまりは洋風つくね」と言ったのとおなじとおもわれる。その「考え」は、レシピと料理に反映される。

料理における自分の手わざの機能を素直に受けとめれば、無理のないアタリマエのことだ。

それならば、料理もしないで能書きたれているくい道楽者とちがい、手を動かして料理に機能している人たちは、ほんらいなら共通の体験と認識を持つはずではないか。しかし、ちがっている。

そこに、系譜論と発生論の、じつに深い痕跡をみることができる。その痕跡を深くしたのは、誰だろうか。

日本の料理について、あふれている情報や知識の9割ぐらいは、その実態と歴史を正確にとらえていない。そんなものを根拠に味覚が形成され、「うまければよい」という惰性を続けている。

せんずりを覚えて、せんずりを続けるサルみたいなものだ。

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2010/07/21

日暮里、又一順。昭和のレヴューなこころ。

シャンデリア、シーリングファン、そして階段。

山の手線日暮里駅東口の風景は、大きく変った。駅前広場に向かって左側つまり北側にあった、おもちゃ駄菓子の問屋街は痕跡をとどめることなく姿を消し、白っぽい高層のビル街に変った。さらに広場の頭上には舎人ライナーの高架。空が狭くなった。

だけど広場の右半分は、あまり変っていない。5階建ぐらいの小さなビルが数個ならぶ。その一番右端は、この並びでは比較的有名な「行列ができる店」になった「馬賊」がある。その左隣が「又一順」、その2,3軒左隣が大衆食堂の「いづみや」だ。

以前は夜は薄暗い一角だったが、馬賊は、今風に全面ガラス、蛍光灯で真昼のような明るさ、中の客が丸見え、いづみやは以前とほとんど変らず薄暗い店先には古臭い飾り提灯がぶらさがっている。又一順は、エントランス上を改装したが、この店らしい、ネオンのような雰囲気をあしらったモダンな感じを残している。

19日、又一順にひさしぶりに入った。この店は入ったとき、蛍光灯になれた、いまどきのひとの目には薄暗く感じるだろうが、おれのようなタングステン照明で育ったジジイには、すごく落ち着く照明である。

又一順には何度か入っているが、2階が多かった。今回は1階の座った位置の関係か、ひょいと横を見るとシャンデリアがあり、天井のシーリングファンが視界に入った。シャンデリアの向こうの階段と、その手すりの装飾を背景にした景色が、すごく郷愁を誘った。

ここの味は、この灯りのように丸みをおびやさしくあたたかい。と、考えたとき、馬賊の目を射るような蛍光灯の明るさと味を思い出し、もしかすると照明と味覚は関係するかも知れないと思った。落ち着いた明るさのなかで食べる味と、客の回転率を上げるような刺激の強い落ち着かない明るさのなかでは、味覚も変るのではないか。

又一順は、中国読み風の正しい呼び方があるらしいが、覚えられず、覚える気もなく、「またいちじゅん」と呼んでいる。経営者と思われるひとを見かけたことがあるが、中国人であり、働いているひとも、ほんとんど中国人であり、客も中国人が多い。

このあたりは昔から中国人が多い。ここの中国人客は、日本に長く住んでいる家族連れが多い印象だ。この店のように、渋い、オールドな感じがする。やはり中国人が多いまち、池袋の平和通り、そこにある「永利」は日本とは思われない中国語が圧倒する空間だが、まだ日本に長くないらしい若い中国人の客が多い。日本のなかの中国人世界も、新旧があるのだろう。

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トツゼンですが、経堂さばの湯で25日、泥酔論番外編「北九州の角うち」。

124あっちいですねえ。あっちいので、経堂の「さばの湯」で、ワイワイ飲むことにしました。すぐの日曜日、25日です。この日のさばの湯は、「北九州の「角打ち」コピー酒場」ということなので、おれが北九州市発行「雲のうえ」5号食堂特集の取材のときや、そのあと講演のようなもので行ったとき入った角うちや、「雲のうえ」創刊号の角うち特集、そして北九州の大衆食堂やまちなどを、たくさんの画像で紹介しながらシャベリます。一緒に、大いに、飲みましょう。

ばたばたウダウダやっていって、ブログに書いてなかったが、おととい19日は、経堂の太田尻家へ行って、まったり飲んで過ごしたのだ。

2010/07/16「ジャンク、パンク、先駆。気取るな!力強くめしをくえ!『大衆食堂の研究』15周年。」に書いた、『大衆食堂の研究』の装丁やイラストは、当時は「太田」だった、太田尻智子さんなのだ。あれから15年、その間に、太田さんは、いまの太田尻家の家長「田尻」さんと結婚して、太田尻家ができたというわけだ。なんとまあ、都合のよい苗字の結婚だ。ともあれ、そういうわけで、経堂のバー太田尻家もよろしく。

太田尻家の少し先にあった、カフェギャラリーで古本やら雑貨なども展示販売いろいろやっていたロバロバさんが、5月で閉店して、ロバロバさんは山口県のほうへ行ってしまって、そのあとどうなったか気になっていたのだが、別のひとが、カフェギャラリー「芝生」を開業した。まだ始まったばかりで、どんなカフェギャラリーになるかわからないが、注目したい。

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2010/07/19

京成佐倉上りホーム、「行商専用車です」。

025前のエントリー、17日の匡画廊の帰りは、画廊の主に案内してもらい、雑草の生えた道を通ったり坂を登ったりしながら、ほんのちい散歩をして京成佐倉駅に着いた。画廊の主と別れ、上野方面に向かう上りホームに出て特急を待っているあいだに、この看板を見つけた。

行商。よく「かつぎや」とよび、かつぎやといえば、「かつぎやのおばさん」である。電車が、こんなぐあいになっているとは、知らなかった。

以前、JRの国鉄時代に、常磐線でも総武線でも、朝の電車では「かつぎやのおばさん」たちを見かけたが、いまはどうなっているのだろうか。

上野駅の地下にあった食堂「グラミ」は、水戸の方の八百屋から野菜を仕入れていたのだが、もとはといえば、そこのおかみさんが行商時代に買ったのが始まりという、ずいぶん古いつきあいだった。

東京の東部には、そういう、見えない、行商によるネットワークが生きていたのだな。それはまた、農村とまちをつなぐ、食のネットワークでもあるが。「築地」を中心とするメジャーな食のネットワークとはちがう「正史」に残りにくいものだ。と、以前に、墨田区京成曳舟近くの京島地区で撮影した行商のおばさんを思い出したので、その画像を掲載する。調べたら、2005年4月の撮影だ。

050415hukihuneおばさんは、たしか八千代台から来ているといった。八千代台といえば、佐倉より数駅、上野寄りだ。米や餅菓子、野菜などを扱っていた。リヤカーを引いていたので、「そのリヤカーは?」と聞くと、曳舟駅の近くの個人宅にあずかってもらって、電車で担いで来たものをリヤカーに積みかえるのだといった。

午前11時ごろの撮影だから、おばさんは朝の電車で荷物を担いで曳舟まで来たのだろう。マンションにかつぎ売りは似合わない。似合わないだけでなく、実際に商売はやりにくいにちがいない。

前に何度か朝の電車で見たが、担ぐ荷物の量と重さは半端ではない。いったん床におろしてしまうと担ぎ上げられないから、シートの上に置く。そんなこともあって、専用車ができたのだろうか。

この「行商専用車」ってどんなアンバイなのか、ブログ検索したら、「シーピーの温故知新」さんが、きのう18日、様子がわかる画像を掲載していた。なかなか、力強い生活の景色だ。…クリック地獄

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2010/07/18

千葉県佐倉市「匡画廊」とloosen upてらやん「働く服展」。

きのうのこと。2010/07/13「働こう、「働く服展」に行き、働き生きるためのめしを作ろう食べよう。」に紹介した、佐倉の匡画廊へ行ってきた。

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01113時過ぎに家を出て、途中でギョウザと生ビールをやり、画廊に着いたのは16時ごろだった。

庭から建物、匡画廊の空間そのものが造形された展示物にみえた。
016計画的にデザインされたナチュラル派オシャレとはちがう、ルーズな廃物利用やテキトウで大雑把で細やかで無計画な秩序のオシャレを感じた。
014入口から洗濯物を乾すように展示がしてあった。エリつきのスモックのようなものや、胸までずぼっと入ってしまいそうな作業ズボンなど、気分よく働けそうなものがいろいろ。
017布も置いてあり、好きな布を選んで注文できる。展示物は最終日までもつのかと思うほど売れていた。周囲は比較的あたらしい戸建てが多い住宅地で、ご近所さんも多かった。
018画廊の主とてらやんと瀬尾幸子さんがいた。瀬尾さんは長いすに座って、せっせと針仕事をしていた。展示品の前掛けが、物干しにぶらさがっていた。気に入った前掛けがあったので買った。
030画像ではわかりにくいが、大きなポケットが2つある。2千円、安い! たいがい、ギャラリーモノは高くて手が出ないのだが、よいもので買えそうな値段のものが、けっこうあった。買うと、一個2百円だか3百円の、瀬尾幸子さん手縫いの布製コースターを2個もらえた。

画廊は18時半で閉まり、てらやんと瀬尾さんとおれは、19時40分ごろの京成特急で日暮里へ出て、又一順で生ビールのんで食べて帰った。おれはのみ足りない気分だったので、東大宮に着いてから、ちゃぶだいで軽くのんだ。

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2010/07/16

ジャンク、パンク、先駆。気取るな!力強くめしをくえ!『大衆食堂の研究』15周年。

15周年というのが、どういう意味を持つか知らないが、『大衆食堂の研究』発刊15周年だということを、今朝の夢かうつつかのまどろみのなかで気がついた。

そう、『大衆食堂の研究』の奥付にある発行日は1995年7月31日だが、書店に並んだのは、それより少し前だった。この本が、おれの「出版デビュー」作で、「フリーライター」という肩書への転機になった。

なにも感慨はない。あるとすれば、よくまあ売れないものだ、ぐらいのものだ。15年かかって、新刊の『みんなの大衆めし』まで何冊もなく、ことごとく売れない。とはいえ、この内容あるいは書き方では、そう簡単には売れないだろうなあと思っているから、気にはならない。

『大衆食堂の研究』が出た前後から、大衆食の分野は「ブーム」といえるほどの状況に現在もあるのだが、おれはザ大衆食のサイトに「あたふた流行の言説にふりまわされることなく、ゆうゆうと食文化を楽しみたい」と書いているように、消費主義的な「ブーム」とは距離をおいている。ま、コツコツなのだ。

しかし、ほんのわずかだが、ありがたくも、書くチャンスを与えてくださる方がいて、新聞やら雑誌やら、あちこちに書いたものも、15年もたつと、けっこうある。

ふところは豊かにならないが、「気取るな!力強くめしをくえ!」と、気取ったキレイゴトに酒臭い息を吐きかけるように、いかがわしい空気をまきちらし、意気は衰えない。ジャンクでパンク、ニヒルでアナーキーは、お気に入りである。もちろん偏屈である。偏屈には、育ちの悪さに加え、老齢化の磨きがかかってきた。

まだまだこの調子でやりたいと思うのだが、本を出してくれる出版社や、安い原稿料でもよいから使ってくれる編集者がいないと、やれない。はて、これから、どうなりましょうか。

ともあれ、『大衆食堂の研究』、いま読んでも容色あるいは妖色おとろえず、なんら反省するところなくおもしろい。

ついでだが、『ぶっかけめしの悦楽』も、とくに『汁かけめし快食學』は、これからますます意味を持つのであり、理解する人が増える内容であると確信している。

ってわけで、初版でおわる売れないライターでも、懲りずに自信満々なのだ。こんなばかなおれの著作をご愛顧くださっている、ごく少数の貴重な皆様方、どうもありがとうございます。

それでは、、『大衆食堂の研究』から。

 食堂でめしをくう。それはたんに安いめしをくうのではない。ただ安いだけならガストもある、スタンドの丼屋もある。コンビニの弁当だっていいかもしれない。
 じゃあ、健康栄養か。ちがう。栄養素なんてごくささいな記号にすぎない。痩身美容健康長寿ちゃんちゃらおかしい。食堂のめしってのはそんなもんじゃない。食堂のめしはもっと生存の根源にかかわるめしなのである。
 栄養や料理や食文化については、うるさいほど騒がれた。しかし、生存について語られることがどれだけあっただろうか。語られるのは、あいかわらず、歴代上流階級・欧米上流階級を崇拝模倣する、「上品」で「文化的」で「芸術的」な、見栄ライフ、快楽シーン、物知り顔なウンチク。
 七〇年代あたりから饒舌になった、こういうグルメ・食文化もどきは、同じことを言う。日本は、やっと、食の文化を考えられるゆとりができたのだ、と。それまでは、くうだけで精一杯だった、と。ようするにくうことの心配がなくなったから、グルメ・食文化がやれる、ということである。これはほんとうだろうか。もちろんデタラメのウソだ。すくなくとも、料理評論家だ食文化評論家だというやつらが、「フード・ビジネス」にくわせてもらえるようになったのは確かだろうが。
 ようするに、七〇年代以後の華やかなグルメ・食文化ブームは、エサの心配がない生簀の魚にはグルメも文化もあるが、川や海で生きている魚にはグルメや文化はない、という理屈なのである。これを「生簀文化論」と呼ぼう。
  この生簀文化論の特徴は、生簀がなくても生存はあるし、生存があれば、そこにグルメも文化もある、というところは考えないのである。

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『東京定食屋ブック』は企画協力と一部原稿の共著。

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2010/07/15

なんてことだ。

消費増税、来年度から段階実施を=税率「15%」提示―IMF対日審査
7月15日5時40分配信 時事通信

 【ワシントン時事】国際通貨基金(IMF)は14日、日本経済に関する年次審査報告を発表、先進国で最悪の財政状況の改善へ「2011年度から消費税の段階的引き上げを含む財政健全化策の開始が必要」との分析を明らかにした。さらに「税率を15%に引き上げれば、国内総生産(GDP)比で4~5%の歳入増が生じる」と具体的な税率に言及し、財政健全化の必要性を強調した。


働けど生活保護に及ばぬ最低賃金…12都道府県

 2010年度の地域別最低賃金を労使代表が議論する「中央最低賃金審議会」の小委員会が14日開かれ、席上、厚生労働省が、最低賃金で働くより生活保護を受けた方が高収入となる「逆転現象」が起きている地域が12都道府県に上ったとする調査結果を公表した。

 厚労省によると、各都道府県が決めている最低時給が、その地域で1か月に支給される生活保護費を一定の方法で換算した時給より低かった自治体は、北海道、青森、宮城、秋田、埼玉、千葉、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫、広島の12都道府県。このうち、差額が最も大きかったのは神奈川県の47円だった。

 最低賃金法は、逆転現象の解消を目標にしており、昨年度は45都道府県で最低賃金が引き上げられ、生活保護の時給換算額を下回ったのは10都道府県に縮小していた。現行の最低賃金は全国平均が時給713円だが、この日の小委員会で経営側は「景気が先行き不透明。大幅引き上げは困難」との見方を示した。

(2010年7月14日20時08分 読売新聞)


同じ日の2つのニュースが、じつにシンプルに、日本とミンナの生活が置かれた現実を伝えている。大マスコミも、このようにシンプルに事実だけを伝えていればよいのだ。考え判断するのはミンナなのだ。

ミンナには、選挙権がある。ミンナは、インターネットでつながっているひとが多い。仮に中央の大新聞やテレビがアメリカや日本の大企業の代弁者だとしても、「電子民主主義」という言葉がとびかうほどネットが普及し、ツイッターなるものでは「短くてタイムリーなメッセージ」をこまめに交換できるほどのコミュニケーション手段もあるはずだ。それに、ミンナは、高学歴を有している、知識も豊富だ。

でも、選挙しつつ、ネットでつながりつつ、より状況が困難になっているのは、なぜだろうか。

東京。ここに東京がある。極端な東京一極集中のもとで、全国から富を吸い上げているはずなのに、これはどうしたことか。東京だけではない、埼玉、千葉、神奈川、京都、大阪、兵庫、そして広島。ミンナがあこがれる大都市があり、ミンナがあこがれ集まる文化的な趣味的なアートな生活があるところ。だけど、つまり、それは、大メディアを通じて映し出される上辺の「イメージ」であり、ネット上で、まるでテーマパークで遊んでいるようにはしゃいだりしている一部の人たちのことらしい。何度も書いているように、東京は、もうモデルにならない。いや泥沼未来のモデルになるか。

ついでだが、統計にはあらわれにくいのだが、最低賃金に満たない時間給で働かされている人も、けっこういる。

このままいけば、数年のうちに、かなり荒っぽい事態を迎えることになるのは、まちがいない。ミンナは、それを望んでいるのだろうか。あるいは、なにか「特需」を待っているとか?

ま、気どるな、力強くめしをくえ! ってことです。特別なものでなくても、有名なものでなくても、本物でなくても、エコでなくても、健康でなくても、話題にならなくて注目されなくても、ビンボーでも、楽しめるよう鍛錬をしておこう。

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2010/07/14

関西の人がうらやましい。

右コメント欄で、2010/07/08「ますます偏屈と悪態のままに。」にヤマザキさんからコメントをいただいている。そこに「京都の特集は、一般映画館=京都シネマと、ピンク映画館=本町館がタッグを組んで、浜野監督の自主制作作品3本と、旦々舎のピンク映画3本を上映するという、珍しい企画です。ピンク3本のうちの1本が拙作『美尻エクスタシー 白昼の穴快楽』です。」と案内があります。

浜野監督の自主制作作品3本とは、ヤマザキさんが脚本の、『百合祭』『こほろぎ嬢』『第七官界彷徨-尾崎翠を探して』だ。そもそも、この3本を上映というのもすごい。それにピンクも合わせて。堂々パンクを感じますね。東京でも、こういう企画やって欲しい。なにしろ、『美尻エクスタシー 白昼の穴快楽』は傑作。検索してみると、ネットでも評判がよいですね。

まずは、ヤマザキさんのコメントをごらんあれ。映画館の案内リンクもあります。

2010/07/10「『旅の手帖』8月号、みんなの大衆めし、ああ中学1年の夏。」は、とりあえず写真だけだったが、文章を書いた。

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2010/07/13

働こう、「働く服展」に行き、働き生きるためのめしを作ろう食べよう。

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やれやれ、やっと案内状が、それも画像がメールで届いた。今週の金曜日のオープンだというのに。

ま、でも、みなさん、この名前がいいじゃないですか、「働く服展」!

「loosen upが制作したエプロンやかっぽう着」の展示販売なのである。

よーするに、近頃ときどき、このブログに牧野伊三夫さんや、あるいは瀬尾幸子さんややぶさいそうすけさんたちと登場する「てらやん」が作るエプロンやかっぽう着なのだ。てらやん、考えてみたら、彼女とは自然に何度か呑んでいて、名刺交換をしたことがないから、正しい姓名は知らない。瀬尾さんが「てらやん」と呼ぶから「てらやん」になったが、寺西さんという。名前は知らない。やぶさいそうすけさんも、いつも「やぶさいそうすけ」さん、あるいは「やぶさい」さんと呼んで、自然に一緒に呑んでいて、名刺交換をしたことがないから、正しい姓名を知らない。このあいだも苗字を聞いたのだが、使わないから忘れてしまった。

とにかく、てらやんは、ワンピースやブラウスを作ったり、今回はエプロンやかっぽう着、ってことは、なんていうのだろう、服飾デザイナーというのだろうか、服飾制作家とでもいうのだろうか、そういう人なのだ。

で、働く服展は、16日から20日まで、千葉県佐倉市の匡画廊で開催される。なんで、そんな千葉のド田舎でやるのだ!とか言わないでほしい。ここんとこ当ブログも、ミーツ別冊『千葉の本』、そして千葉人の五十嵐泰正さんと、千葉がらみである。そう、もうこれからは、なんでも東京中心という極端な東京一極集中は終わっていくのだ。

と、話しを広げることはない、この際、佐倉へ行こう。佐倉には、国立歴史民俗博物館をはじめ、いろいろあるし。

しかし、なにより、この名前がよい、「働く服展」!
働く生きる人びとのめし『みんなの大衆めし』と共に、「働く服展」をよろしく。
そうそう、これを忘れてはいけない。ここには、このどさくさにまぎれて、瀬尾さんが手づくりの何か、聞いたけど酔っていたので忘れたが、食卓まわりか台所まわりの布物の小物も、展示販売されるのだ。

匡画廊
佐倉市鏑木町69-1
http://kyo.kosakosabo.com/

loosen upのサイト
http://shinkanokatei.net/loosenup/index

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2010/07/12

信濃路で泥酔しながら、1980年代後半から始まった大きな変化を、あらためて考えたのだった。

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きのうは夕方から鶯谷の信濃路。五十嵐泰正さんと会ったのは、いつ以来か。たしか前回も何かの選挙の投票日だったような気がする。五十嵐さんに、10日に発売になったばかりの、『POSSE』7号(NPO法人POSSE・発行)と『多文化社会の<文化>を問う』(岩淵功一・編著、青弓社)をいただく。おれは、『みんなの大衆めし』をあげて、ブック交換しながら、学生さんへの宣伝を頼んじゃったりして。

ずいぶん呑んで、何時ごろどうやって帰ったか、まったく覚えがないのだが、話しの中身は、けっこう思い出せた。じつに楽しかった。

五十嵐さん、プロフィールをあらためて見ると、1974年千葉県生まれ、筑波大学講師、専門は都市社会学、国際移動論ってことだ。いまでも千葉県人。五十嵐さんの話しは、おもしろいのだが、あちこちに書く文章も、とうぜん大学の先生のものではあるけど、なかなかおもしろいのだ。

「『銭ゲバ』は貧困にどこまで迫ったか」なーんてことで、09年1月から3月に放映されたドラマ、ジョージ秋山原作の『銭ゲバ』を解剖して、いまどきの日本はこうなっているんだと見せてくれたり、上野の西郷銅像の周囲わずか数平方メートルの範囲から上野や都市の歴史を掘り起こして見せてくれる、そういうやりかたは秀逸で、学者の文章という感じがしない。その縦横無尽の編集力は、ミーツ・リージョナルと並びますね。あっ、そうそう、なんかのまち情報誌で、千葉の自分のまちを案内したりしてますね。

先日ちょっとだけ紹介したが、『POSSE』7号の特集は「地方から「新しい公共」を!」であり、五十嵐さんは「北の荒野」を往く ~「成長の爪痕」と向き合う旅~」を書いている。東北の仙台市や岩沼市あたりから北関東までクルマで走り、開発主義の「遺産」を、21ページにわたってルポしている。リゾートやら郊外やらシャッター商店街やら群馬のブラジリアン・タウンやら八ッ場ダムも。五十嵐さんが13年前に働いていたという工場も。いやあ、これだけ一度に写真を見ちゃうと、やっぱり80年代中ごろから、日本は相当イカレていたのだと、あらためて思う。

五十嵐さんは、ルポの最後で、ごくふつうに考えれば、「街」とはこういうものでなければならないという話しをしている。

いま、多くの地域で、地域ブランディングと観光に力を入れ、集客し交流人口を増やす「開発」にカネを投じているけど、それはこれまでの愚かしい「開発主義」の繰り返しになる危険性がある、そもそも発想がおなじではないか、もっと違う有効なカネの投じ方に舵を切るべきなのだ。

『多文化社会の<文化>を問う』は、第3章の「「地域イメージ」、コミュニティ、外国人」を書いている。まだザッと読んだだけだが、やはり、「ここ十数年来、日本中で観光をはじめとした集客の増大を目論んだ「まちづくり」が花盛りだ」「しかし、本書の問題関心からすると、そのような地域アイデンティティの醸成は、特に都市部では必ずしも手放しで称揚できるものではない」と、問題提起している。

いま必要なのは、なにごとも足下をよく見て、ごくふつうにふだんの周囲の暮らしを大切にしたり、大切にできるまちを、考えることかも知れない。

おっと、こうしてはいられない。ま、とにかく、ゆっくり読んで考えよう。

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関西だからなのか、ミーツ・リージョナルだからなのか。

『ミーツ・リージョナル』8月号、特集は、「みんなの行きつけ教えます」。忙しい。酒を呑むので、忙しい。前回のエントリーも含め、文章は、あとで。みんな、大衆めしくって、大衆酒のんだくれよう。

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2010/07/10

『旅の手帖』8月号、みんなの大衆めし、ああ中学1年の夏。

001『散歩の達人』なども発行する交通新聞社の『旅の手帖』の編集、H岩さんから、小さなスペースだけど『みんなの大衆めし』を紹介したいと電話があった。10日に発行になった掲載誌の8月号が送られてきた。見たら、本と映画のページに、写真も大きく、要領よくまとまった上手な紹介をいただいている。どうもありがとうございます。『みんなの大衆めし』のような料理本が、こういう雑誌で紹介されることはないので、とてもうれしい。旅に出たら、各地にある大衆めしに大いにふれてほしいものだ。

003ほかに掲載されていた本は、『しあわせ農泊』(宮田静一、西日本新聞社)、『ゴーカイ 岩手チャグチャグ新聞社』(飛鳥あると、講談社)、『新幹線の運転』(にわあつし、㏍ベストセラーズ)、『古代大和の謎』(大和文化会編著、学生社)、『ねぶた祭』(河合清子、角川書店)。いずれも、おもしろそう。

それで、この号の特集が、「夏の露天湯」ということで、ワイルドというか豪快というか、大自然の中の露天湯がある温泉宿が紹介されている。そこに、新潟県の群馬県境に近いところ、苗場山中腹にある、赤湯温泉山口館が載っている。ここは、おれが中学1年の夏休みに、丸1月間湯治をした、思いで深いところだ。

50数年前のことか。標高約1300メートルの谷底にあって、いまでは、登山口までタクシーで行けば2時間の徒歩だが、当時はそんなに奥までクルマは入らず、どうしたって歩いて8時間はかかった。その山奥で、送り迎えに両親が来たほかは、与えられた一部屋に一人で寝泊りし、決められた時間に温泉につかるのだ。

部屋は、宿の主人たちがいて食事などする囲炉裏がある本館の上の別棟で、囲いも戸もない縁側のような廊下にむかって、障子で仕切られた6畳ぐらいの小部屋が並んでいるだけだった。イチオウ部屋だったが、いつも大声を出さないと声が聞こえないような谷の流れの大きな音に包まれ、内も外もないようなところだった。

002川原のどこを掘っても温泉が出てくるところで、場所によって「赤湯」とは限らず、ブルーだったり、湯の色がちがった。退屈しのぎに、砂地を深く掘って石で囲んだ「湯舟」をつくって遊んだりした。もちろんランプしかなく、その掃除の手伝いなどもしたが、夜、寝る前に風呂に入らなければならず、ランプを岩の上に置いて入っていると、ヘビが悠々と目の前を泳いだりした。

宿でも、中学生の子どもが一人で湯治をすることはなく、両親も寂しがらないか心配したようだが、まったくそういうことはなく、じつに気ままで楽しい日々だった。

いまでもそのようだが、秋が深まれば閉まり無人になるところだ。この写真の、湯舟の位置は、当時とそのままではなく、何度かこの山口館そのものが雪崩に流され、湯の位置も少し変ってはいるのだが、ほぼこの位置に同じように、もっと小さかったが、最も大きい湯舟の最も湯治によい湯があった。湯に入っていると、横の登山道を登山の人が歩いていくのである。

当時おれは、カメラを持っていて、現像と焼付けも自分でしていた。このときもカメラ持参で、あちこち撮りまくった。この写真の位置より、もっと先の湯舟の向こう側、谷が狭くなり蛇行するあたりで、早朝、日が差し込むところを撮影した。それを小学館の雑誌「中学1年生」の写真コンクールみたいなものに応募したら、入選し雑誌に掲載になった。なんだか忘れたが景品を貰ったりした。なんてことを思い出すのだな。

つぎからつぎと忘れていたことを思い出すが、おれはこの湯治で、性格まで変ったのではないかと思われるほど、身体が丈夫に変ってしまった。それまでは、軟弱児童もよいところで、医者の診断では胃弱体質ということだったようだが、毎年夏バテをし夏休みの大半は寝て過ごし、月に一度は風邪で学校を休むようなアンバイだった。気は優しく力もない。どうにもよくならず、医者が最後の手段ですすめたのが、この湯治だったのだ。

おれは湯治のあいだに、とにかくヒマだから山をかけめぐり、初めて2000メートルをこえる苗場山の頂上に立った。それから登山が好きになり、高校では山岳部に入った。ま、おれの人生の大きな転換期になった湯治といえるか。なにしろ、ふつう以上に頑健な身体と、大雑把で野蛮な神経を持った男になったのである。

たいした人生じゃないが、1月間の湯治など、その後はやってみたいと思ってもやれるものじゃない。その翌年には、長年の結核が悪化した母親が一年間、柏崎の国立療養所に入院し手術をすることになった。一人結核患者がいれば一家が傾くといわれたとおり、その治療費は莫大で、わが家は商売の傾斜もあったが、借金が膨らみ、おれが二十歳のころにいたり、ついに再生することなく破産、家も土地も失った。

もっとも、破産で家と土地を失うのは、わが家にとっては、2度目のことだった。ふりかえると、親父は、家族の病気の治療のためにつくしながら、二度の破産、それから、もっとひどい目にもあっている。それで、84歳まで生きた。母は、59歳で死んだ。おれは今年67歳になるが、84まで生きる自信も展望もない。

それはともかく、最後の画像は、松本英子さんのイラストによる「かけ湯くん」だ。松本さんとH岩さんのコンビは、『散歩の達人』の「プロジェクト松」時代、天下無敵縦横無尽のおもしろさだったが、『散歩の達人』から姿を消したあと、ここで毒を放っているのだな。ひたいに「H」のあるキャラクターも、ちゃんと登場している。『散歩の達人』のころと比べると、少々毒が弱くなったような気がするが、ま、トシもあるか。大いに鋭い毒をふりまいて欲しい。

このコンビが、『散歩の達人』から姿を消すときのことは、2008/06/22「おれは「俺」でゆく。」に書いた。

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「健康ブーム」のなか、健康という概念を捨て、健康至上主義を乗り越える。

「ヘルシズムの究極は「健康のためなら死んでもいい」というジョークですよ。」

ジョークどころか実際に、健康のためといって、山に登っては死に、マラソンをしては死に、もしかして、酒やたばこをやめてイライラして死んでいるかも知れない。近年の「健康」は、なんだかヒステリックで、高圧的ファッショ的で、不健康や不自然を感じているひとは少なくないだろう。

近年の健康を支配する健康至上主義、つまり「健康自体が目的化している」ヘルシズムは、どういう現象であるか。もともと健康とはどういうものであり、いつごろからどんなふうにヘルシズムに偏向していったか。実在しない健康、そのなかで「生活習慣病」のように、日本の行政がリスクを疾病化する動きが強まった。まだ病気でないものまで、病気にされてしまったのだ。なぜ、そんなことになったか。

健康のために「何かをし続けるなかでしか安心感を得られない。そんな状態とも思えます。するとどうしても、楽しみよりも不安や恐れが、色濃く生き方に現われるのではないでしょうか。」

健康は、いまや誰も抵抗できない、正義の御旗のようなアリサマだが。「日本では、ヘルシズムと医学が強固に結びついています。」

「ヘルシズムや健康不安が広まるなかで、どうしたら自分の生きる楽しみを見つけられるのでしょうか。」「健康という概念を捨てることです。」

佐藤純一さんと上杉正幸さんの対談は、現代の健康を明快に裁き、ヘルシズムを乗り越え、正しく身体や健康や病気と向かい合う方向を提起する。

対談の最後は、食育として、お弁当づくりを導入している学校の話から。「食育は、栄養バランスが取れた規則正しい食事の指導を目的としていますが、子どもたちは栄養のことなど頭になく、生まれて初めて包丁を持ったことに興奮し、嬉々としてお弁当をつくり、友だち同士でのぞき合い、実に楽しそうに自慢し合っている。その姿が健康を映し出していると思います。日々人々は何にこだわり、何を喜びながら楽しく生きているのか。その中にこそ、実は一人ひとりの健康があるのでしょう。」

いやあ、おもしろくて、目からウロコぼろぼろ、B5版7ページを一気に読んだ。

『みんなの大衆めし』の版元、小学館が、この本の紹介をネット販売店のあちこちに載せているが、その冒頭には、こう書かれている。

「「体にいいから」食べるんじゃなくて、「食べたいから」食べるごはん。これを食べると、なぜかほっとする、また頑張れそうな気持ちになるごはん。あったかくてくつろげるごはん。」

そう、この本では、健康だの栄養だのといったことには、まったくふれてない。先日発売になった『サンデー毎日』の著者インタビューでも、瀬尾さんは「身体にいいから食べるっていうんじゃないよね。カロリーや塩分とか油とか気にしていたらおいしくない。あとは自己責任なのよ。」「料理って、やっぱり楽しく作らないとおいしくならないのよ。」と言っている。

ヘルシズムの究極と一対をなすのが、うんちくにまみれた究極追いのグルメであるが、そのあいだで、食べることは大きくゆがんでいる。

もう一度、先の対談の引用の最後のところを引用しよう。「日々人々は何にこだわり、何を喜びながら楽しく生きているのか。その中にこそ、実は一人ひとりの健康があるのでしょう。」。食べることも、そこにあるのだ。

ゆがんだ健康とグルメを蹴散らせ! 気どるな、力強くめしをくえ!

そうそう、この対談は、きょねん依頼があって寄稿してから毎号贈呈いただいている、きのう届いた『Tasc Monthly(タスク・マンスリー)』7月号に掲載されている。このような議論が、もっと広まってほしい。タイトルは「ヘルシズムを乗り越える ~自らの健康を語り始めること~」

編集発行、財団法人たばこ総合研究センター(TASC)。
http://www.tasc.or.jp/

午前1時の深夜便だが、これを読んでいたら、酔いがさめてしまった。


当ブログ関連
2010/06/18
思い切り食べ、思い切り飲む。生きる力としての欲望を我慢しない。

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2010/07/08

ますます偏屈と悪態のままに。

チョイとさあ、みんな忙しすぎるんじゃないの。たいした能力もないくせにあるツモリになって、やりすぎなんだよ。自分のばかさ加減を自覚しろーい。

とか、言ってみたくなりますね、こんちくしょう。しわよせのシワシワが、おれのような弱いフリーライター、弱い老人、気も弱ければ、精力も弱い、そういうところに押し寄せて、ただでさえシワだらけの顔がシワシワシワで、脳みそのシワのほうは、のびっぱなしのツルツル。となると、こっちはせいぜい口の悪さと偏屈なままに対応せざるをえない。

そういや、おれは年とともに、偏屈度と悪態度が増しているらしい。ようするに、ただでさえ悪い口が、ますます悪くなっているらしいのだが、本人はあまり自覚がない。だから、なぜこうもひとに疎まれ世間が狭くなっていくのかわからない。こういうのも「老人力」というのだろうか。

でもね、口の悪いやつには悪い人間はいないといわれるように、まったく、バカがつくぐらいお人よしのいい男なんだがなあおれは。と、ぼやいても始まらないか。

何を書こうとしていたか、忘れた。なんか、いろいろ日程が詰まってきたなあ。いろいろお楽しみもあるが。

そうそう、上野オークラ劇場が、8月1日に「上野オークラ劇場・新館 オープン記念 女性限定上映会「ピンク映画館へ行こう!」 というのをやるよ。

上野オークラ劇場のブログ、こちら…クリック地獄

うっかりしていたが、上野オークラでは、山﨑邦紀監督の「美尻エクスタシー 白昼の穴快楽」を、きょうまでやっていたのだ。同じブログの7月5日「さすが山﨑監督!」を、ごらんあれ。

この映画については、試写会を見て、2010/04/16「山﨑邦紀監督は、希望である。」に書いている。これは、オススメ。単に「抜きたい」人には、あまり効果的ではないような気がするが、もう一度観てもよいと思っていた。コメディとしても、そうとうおもしろい。もちろん、映像のつくりは、山﨑監督だもの、すごいこだわりで。

浅草あたりの映画館で、この上映があったら、観て浅草で呑むというのを、やや盛大に野暮にやりたいと思っていたのだが、上野オークラはきょうで終わりだとしても浅草の映画館ではどうなのだろうか。でも、どのみち、忙しくなってしまったから、そんなメンドウを計画する気がなくなった。誰か計画して、その日にちがあいていたら参加するのならよいが。

ついでといってはなんだが、同じようにチョイとアカデミックな方面のことだが、五十嵐泰正さんのブログが1年弱ぶりぐらいに更新され、『POSSE 第7号』特集「地方から『新しい公共』を」で、「北の『荒野』を往く ~『成長の爪跡』と向き合う旅」というルポあるいは紀行文を掲載しているとのことだ。…クリック地獄

すごい興味深い。「日本で最も美しい村」連合の取材をしたのは、きょねんの夏だったが、ようするに「まちづくり」だの「まちおこし」だのチャラチャラした話ではなく、「新しい公共の価値」をどうするかってことが、このまあ人口は減る一方で出口がまったく見えてこない閉塞のなかで、ますます重要なテーマになるだろうことは、まちがいない。

それも、地方公共団体のことだけでなく、たとえば、食堂や居酒屋などの飲食店の経営にしても、その経営が地域に位置づこうとするなら、地域の公共の価値として、どう位置づくかということがテーマになるだろうということが、これまでと違ってくる。ただうまければよいということではなく、その「うまさ」が、地域の公共の価値として、どういう関係になるかということなのだな。一つの経営の存続は、新しい公共の価値と密接にならざるを得ないのだ。

その点、きのう簡単に紹介したが、今回のミーツ別冊『千葉の本』は、「もう二度と、「千葉は何もない」とは言わせません」と、じつは「新しい公共の価値」を掘り起こしている。それは意図的にされたことではないだろう。編集前記で、本誌編集にして千葉市在住歴28年の白井いち恵さんが書いているが、「出身地コンプレックス×地元音痴が加速するのも無理はない」状況の千葉をテーマにした結果なのだ。

そして、極端な東京一極集中化のもとでは、同じような状況下にある「地方」がいくらでもあるということを考えれば、『千葉の本』は、情報誌という枠組みでありながら、「新しい公共の価値」を提起しているといえる。それができたのは、ミーツならではの編集力だと思う。ま、おれはそのように見た。

『POSSE 第7号』特集「地方から『新しい公共』」は読んでないから、どういうことかわからないが、うまく日程があえば、五十嵐さんと会って、本誌をいただけるようだし話しも聞けるようだから、それからもっと考えよう。

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2010/07/07

願いはしても期待はしない。と、いざ、言われてみると……。

007あまり七夕に興味はないのだが、先週の土曜日3日、東大宮東口のちゃぶだいへ行ったら、盆栽のような鉢植えの「竹やぶ」があって、客は小さな荷札のようなものに「願い」を書きぶらさげるということをしていた。タイショーが、おれにも荷札を二枚くれたので、何か書いてぶらさげたのだが、酔っていたこともあり、何を書いたかまったく覚えがない。

ちゃぶだいへ行ったのは、2010/06/29「愛嬌のある酒つながり愛嬌のあるブックフェア愛嬌のある本。」などに書いたように、いま紀伊國屋書店さいたま新都心店では、『みんなの大衆めし』がたくさん並ぶブックフェアを開催中だ。そこで、著者の瀬尾幸子さんにも来て見てもらい、さらに、フェアの担当女子とおれの出会いの場であり、フェアの震源地であるちゃぶだいで飲もうということだった。

17時ごろ、さいたま新都心駅で、瀬尾さんと待ち合わせ、チョイとふらふら時間をつぶしてから書店へ行った。17時半に、担当女子の勤務が終わるので、一緒にちゃぶだいへ。とにかく、飲んで、食べ、おしゃべり。

もうだいぶ前の感じなので、詳しく書く気がしない。電車の時間の関係で、遠方の都内から来た瀬尾さんがまず帰るのを、担当女子とおれは改札口まで送って、またちゃぶだいにもどり飲んで、それから大宮までの最終電車で担当女子は帰った。おれはまだ飲んで、まいどのように泥酔帰宅となった。

えーと、いろいろあったな。新しい、楽しそうな企画の話しも、少なからずあった一方で、くそったれな連中との付き合いの話しもあったり。ま、いいや、テキトウに書いておこう。

なんといっても、理解フノーは、女子大生の前でしゃべることになったことだ。まいどのように、よく考えず、オモシロソウというだけで引き受けてしまった。

きのう、きょうと、準備のための詳細がメールで送られてくる。見ると、大学の正規の夏季集中講義ってやつで、午前と午後、それぞれ250人づつを前にしゃべるのだ。あったりまえのことだが、女子大だから、聴講するのは、みな女子大生だ。考えただけで、クラクラする。

当日配布用冊子のために書く原稿の項目を見たら、「20代前後の女子へ向けて、メッセージをお願いします」ってのがある。大いに酒を呑み、大いに愛しちゃってセックスだの不倫だのなんでもやってめし食っていれば、なんとかなるよ、とでも書こうか。

いやはや、どうしてこういう展開になったかは、今月下旬の、それが終わってから、ここに書こう。

ミーツ・リージョナルの別冊が、エルマガ社の大阪からと東京から、それぞれ届いている。まいどの、高好調子。大阪は「LOVE カレー」。おれは、これを見ているうちに、ひき肉となすのカレーが食べたくなり、作って食べちゃった。東京は「千葉の本」だ。よくやった、千葉の本、とうぜん、「埼玉の本」ってのもやって欲しい。パラッと見たら、スソアキコさんが「古代の千葉を探して」をやっている、その写真が久家靖秀さんと豪華な顔合わせ。きょうさきほど届いたばかりだから、これからゆっくり見たい。

そうそう、ここんとこ、チョイとたて続けにあったトラブル。引っ越して1年半以上たち、イチオウ仕事などの関係には、葉書やメールで住所変更の知らせをしてあるハズなのだけど、前の住所に資料などが送られるということがあるようだ。それが、クロネコのメール便だと、差出人にもどることもなく、こちらに転送されることもなく、「行方不明」ってことがあるようなんですね。

以前の「浦和区」に発送されている方、現在の見沼区に住所変更をお願いします。

えと、それから、書くのがめんどうになった、とりあえず、これでおわり。

そうそう、タイトルの「願いはしても期待はしない」というのは、電話で某女子と話していたら、七夕がらみから、こういうことを彼女が言った。少し前だが、20歳代後半の独身女子と飲んでいるとき、彼女が母親から「期待はもたないほうがよい」というようなことを教えられながら育ったという話しをした。「期待しなければ、失望することもない」とか。ま、たしかにそうではあるけど……。

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2010/07/06

きょう発売の週刊誌『サンデー毎日』の著者インタビュー。

更新がとどこおっていた間のことは、あとで書き足すとして。それから、いろいろメールをいただいていますが、すみません、あとで順次返信させていただくとして。

すでに告知してあるように、書評家の岡崎武志さんの構成による『みんなの大衆めし』著者インタビューは、きょう発売のサンデー毎日に掲載です。ぜひ、ごらんください。

岡崎さんのきのうのブログにも、「今週「サンデー毎日」読書ページに『みんなの大衆めし』著者インタビューが掲載されています。瀬尾、遠藤両氏の写真もぼくが撮ったのですが、なんと、シャッターは一回切っただけ。一発オーケーでした。」とあります。岡崎さん、ありがとうございました。
http://d.hatena.ne.jp/okatake/20100705

広く見渡しても、こうした読書のページに料理本が載るのは珍しいことです。見て読んで楽しい、もちろん作って楽しい、『みんなの大衆めし』ってわけで、よろしく~。

(追記)

さきほど、たまたま、アマゾンの『みんなの大衆めし』をのぞいたら、きょうの日付でレビューが加わっていた。…クリック地獄

レビュアーは、 GR8ER (TOKYO) さん。(VINEメンバー) (トップ1000レビュアー)
5つ星のうち 4.0 。
「まさに“大衆”」というタイトル。
そして、「タイトルと中身がこれほどマッチしている本もなかなかないような気がします。」という書き出し。
後半に、こう書いてある。………

【こんな人向き】
大衆食堂や惣菜屋さんを始めたい人。
大衆食堂ごっこや惣菜屋さんごっこをしたい人。
庶民であることを誇りに思っている人。

【読まない方がいいタイプ】
グルメの人。理屈っぽい人。

巻末には「大人のビンボーめし」というコーナーがあります。
もう“ここまでやるか!?感”たっぷりです。

楽しみながら読みましょう。


………おれは、膝を打って笑い、「合点」「御意」と、見えない相手に頭を下げた。レビューと本の中身がこれほどマッチしている例はなかなかないような気がします。

ふだんの食事のレシピ集として、優れていると思うのだが、見る読むだけでも楽しいということだな。

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2010/07/03

『みんなの大衆めし』の核心と願い。

まりあさんは神戸のひとで、何年か前に一度お会いして、そのあとは、きょねん、「場所の力」シンポジウムのとき会場の大阪市立大学まで、ご主人のからすさんと来てくださった。それ以外は会ってないし、一緒に飲んで泥酔したこともない。

だけど、今回の『みんなの大衆めし』では、あたたい心遣いをいただき、ほんとうにお世話になった。こういうときこそ、近頃はめったやたら使われすぎて価値が磨り減ったようで使いたくなかった、「感謝」という言葉を使いたくなる。

ま、まりあさんにすれば、たいしたことではない、「自分でよい本だと思えば」のフツウのことなのだろうが、おれのようにイヤミな男にとっては、めったにないことで、冷淡に扱われてフツウ、今回もおれはまりあさんがイヤミに感じすることを言ってしまい、たぶんいくらか気分を悪くされたと思うが、とにかく、うだうだ書くとまたいらぬことを言ってしまうといけないから、やめておこう、まりあさんの愛嬌がありがたかった。

と、この文章が、いつもと少し違う調子で、なぜこんなふうになってしまうかというと、たぶん、いま金井美恵子さんの本を読んでいるからか。と、考えてみたり。なんとか、もとにもどそう。

で、まりあさんのおかげで、神戸・元町の海文堂といえば、地元で有名な大きな書店なんだが、そこの福岡店長が、店長棚に『みんなの大衆めし』をドーンを並べてくださるってことになり、瀬尾さんとおれの連名の色紙と版元がこって作ったスタンドPOPを送った。おりかえし、福岡さんからお礼のメールをいただいた。福岡さんも、何年か前、まりあさんたちに会ったときに、初めて一度お会いしただけなのだ。…と書いていると長くなってしまう。きょうは、あまり時間がない。簡単に終わろう。

まりあさんが、掲示板に、『みんなの大衆めし』について紹介してくださった。これが、まさに、この本の、というか、瀬尾レシピの核心にふれている。

『みんなの大衆めし』にのっているレシピをざっと見ただけだと、よくある料理が大半を占め、なーんだ作ったことあるものばかりだと思われかねない。さらに、チラッとレシピを見たぐらいでは、えっ、こんな作り方でいいのとも思われかねないかも知れない。

だけど、先日も紹介した中原さんや、まりあさんのように、よくふだんの食事のしたくでおかずを作っているひとは、この本の瀬尾レシピの特徴が、すぐわかるはずなのだ。そして、ふだんあまり料理をしてないひとは、このレシピのまま作れば、ほとんど失敗がない、楽しく料理し、うまいめしが食べられる。

とにかく、まりあさんは、このように紹介している。………


先日買った『みんなの大衆めし』さっそく作ってみました。
確かに、マカロニサラダのマカロニは8分茹ででしたが、10分のほうが美味しい。玉ねぎのスライスに今までは塩したことなかったんですが、少し塩してしんなりさせたほうが美味しいですね。

ほとんど、作ったことのある料理ですが、ここがツボみたいなところがわんさかあって、1,050円は安い。


………引用おわり。

とかく料理本というと、新奇のレシピを追いかけがちだ。大げさに言えば、明治以後の日本のメディアの主流は、新奇ばかりを追いかけてきたといえる。その一端が、食文化にも反映していると言える。新奇ばかりを追いかけていると、自らの姿を見失いがちになるように思う。近年は、「レトロ」という新奇を追いかける傾向もあり、古い大衆食堂や大衆酒場を食べ飲み歩き回る傾向もあるが、では、自身のスタンダードについて、どれほど理解あるいは把握しているだろうか。

それから、料理や味覚のことになると、とかく教条的すぎる。いまや、外食ですら、ガイドブックなどにしたがった、教条的悦楽の追求で、どの店でどういう楽しみ方をするかのスタイルまで教条的である。自らの精神や感情の自由な躍動が乏しいように見える。そこでも、自らの姿を見失いがちであるように思う。自炊にせよ外食にせよ、もっと精神を自由に働かせ、楽しむべきだろう。

おれは、まりあさんの掲示板の書き込みのあとに、このようにレスをしておいた。

『みんなの大衆めし』に掲載の料理のほとんどは、みなさんご存知のありふれたものばかり、それをどううまく食べるかというところに、瀬尾さんの研究があると思います。新しい料理を覚えるのも楽しいですが、ながく愛されてきたスタンダードをよりおいしくというのが、この本の願いといえます。


海文堂さんのサイト
http://www.kaibundo.co.jp/
海文堂書店日記
http://d.hatena.ne.jp/kaibundo/

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2010/07/02

ガールズバー前の婆ガールズ。

おもしろい話がたくさんたまっているのだが、とりあえず、これだけ書いておこう。6月29日、日本×パラグアイ戦の夜だ。東大宮東口のよってってちゃぶだいには、テレビがない。そこで、まもなくキックオフの、夜10時過ぎたら生ビールと角ハイは200円にするセールとなった。それをねらって、ちょうど雷雨がやんだあと行った。

なんだかんだで、イタチョーも帰ったあとだから12時を大分すぎて、ちゃぶだいを出た。ちゃぶだいからすぐの駅前広場に出て駅を西口に渡るのだが、広場に面して、2010/03/23「東大宮に「ガールズバー」ができたんだぜ。」に書いたように、ガールズバーがある。

人通りは、まったくなかった。ガールズバーの前にさしかかると、むこうからおばちゃんが2人、肩を組んで歩いてきた。ふらふらふら、酔っている。50歳後半といった感じだが、2人とも身体と化粧にカネをかけているらしく、かといって成金風でもなく有閑マダム風でもなく、トシの割には中年太りは感じさせない締まった身体に、こざっぱりとした服装と化粧で、悪くない感じだった。というのが、酔っていたおれが一瞬のうちに観察した結果だ。

そのまま夜のしじまのなかで、すれちがうばかりだった。ところが、ガールズバーの前で、おばちゃんの一人が看板を見上げ、こんなことを叫んだのだ。

「ガールズバーだって、ふん、だったら、わたしだってガールだよ、雇ってくれ~」

おれは、吹き出した。ガールズバーの前の薄暗がりには、客引きの現役ガールが1人立っていたが、彼女も身体を折って笑っていた。おばちゃんたちは肩を組んだまま、ふらふら去って行った。

東大宮にも、楽しい酔っ払いがいるってこと。

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2010/07/01

武藤良子個展のち牧野伊三夫個展、泥酔帰宅。

きのう。コマゴマしたことがなかなか片づかず、池袋駅でさっちゃんと落ち合ったのが16時半。缶ビールを買って、武藤良子さんの個展「曇天画  曇天こそが東京の、わたしの青空」の会場、ブックギャラリーポポタムへ。さっそく缶ビールを呑みながら、曇天画を見る。武藤さんのナマ画を見るのは初めてだ。印刷物で感じていた、武藤さんの可能性は、やっぱり、ただならぬ気配。これから、さらに、めきめき、むきむき、よい仕事が生まれそう。

偶然にも、ナンダロウアヤシゲさんが登場。一緒に、絵と、絵より、絵は使い古しの画板にはって展示されているのがほとんどなのだが、その画板をアレコレ楽しみながら話す。カネがあったら買うだろうものを3点ほど選んで、もちろん買わずに、谷中のギャラリーやぶさいそうすけへ行くため辞す。時間がなくなって、Tシャツなども販売していたようだが、見る間もなく。会場の写真も撮り忘れた。

腹がすいてたまらんので、池袋駅近くの日高屋で、ラーメンとギョウザと生ビール。生ビールがうめえ、効いた。

やぶさいそうすけでの牧野伊三夫さんの個展は、きょう1日からなのだが、19時からオープニングパーティーなのだ。「廃墟とポルカ」「カルデラ」。とくにカルデラには、牧野さんの新たな生気を感じた。もう、のりにのっていますね。しゃくにうらやましい。

よいワインがたっぷりあって、どんどん注がれるままに呑む。やぶさいそうすけのオーナーさんとてらやんは、先日、鶯谷・信濃路から池袋・永利と食べ飲みまくったばかり。S社のMさん、有山達也さん、昨年末以来か。つるやももこさんは2年半ぶりぐらいか? 石田千さん、いちおう初対面のような挨拶をしてから、確か以前にBOOKMANの会で会ったことはなかったか聞くと、やはり会っていた。みなさんと近況などを話しながら飲む。そうそう、思い出した、Mさんは異動なのだ。

「以前は氷屋さん兼炭屋さんとして使われていた建物を少し手直しして、工房・ギャラリー やぶさいそうすけ」とした建物、使い込まれた壁板が、牧野さんの絵と人物にピッタリだ。装飾によさそうな、牧野さんの絵が入った、マグカップや器なども販売していた。

空にあかりを残したまま日が沈んだ20時、場所を根津交差点近くの居酒屋に移動して飲む。10人ぐらい。やぶさいそうすけで、赤ワインをしこたま呑んでいたので、たちまちモウロウの酔っ払いになる。生ビールのち焼酎をガンガン。石田千さんが隣にいたのに、まともに話しもできないほど酔う。テキトウにとっちらかった話しをしながら、いやあ、とにかく、楽しかった。おれとさっちゃんは、電車の時間で、一足お先に失礼。

きょうは、午後になっても、身体が酔っていた。
考えたら、どちらの会場でも、何も買わず、飲んでごちそうになっただけじゃないか。
そうそう、「六月と十二月」とささやかれ、その6月も去って、いつでるの?『四月と十月』は、小耳にはさんだところによると、印刷入稿したとかするとかの段階らしい。もう少しお待ちを。

2010/06/25
牧野伊三夫個展と武藤良子個展の案内。

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下の画像は、やぶさいそうすけの2階。

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