「健康ブーム」のなか、健康という概念を捨て、健康至上主義を乗り越える。
「ヘルシズムの究極は「健康のためなら死んでもいい」というジョークですよ。」
ジョークどころか実際に、健康のためといって、山に登っては死に、マラソンをしては死に、もしかして、酒やたばこをやめてイライラして死んでいるかも知れない。近年の「健康」は、なんだかヒステリックで、高圧的ファッショ的で、不健康や不自然を感じているひとは少なくないだろう。
近年の健康を支配する健康至上主義、つまり「健康自体が目的化している」ヘルシズムは、どういう現象であるか。もともと健康とはどういうものであり、いつごろからどんなふうにヘルシズムに偏向していったか。実在しない健康、そのなかで「生活習慣病」のように、日本の行政がリスクを疾病化する動きが強まった。まだ病気でないものまで、病気にされてしまったのだ。なぜ、そんなことになったか。
健康のために「何かをし続けるなかでしか安心感を得られない。そんな状態とも思えます。するとどうしても、楽しみよりも不安や恐れが、色濃く生き方に現われるのではないでしょうか。」
健康は、いまや誰も抵抗できない、正義の御旗のようなアリサマだが。「日本では、ヘルシズムと医学が強固に結びついています。」
「ヘルシズムや健康不安が広まるなかで、どうしたら自分の生きる楽しみを見つけられるのでしょうか。」「健康という概念を捨てることです。」
佐藤純一さんと上杉正幸さんの対談は、現代の健康を明快に裁き、ヘルシズムを乗り越え、正しく身体や健康や病気と向かい合う方向を提起する。
対談の最後は、食育として、お弁当づくりを導入している学校の話から。「食育は、栄養バランスが取れた規則正しい食事の指導を目的としていますが、子どもたちは栄養のことなど頭になく、生まれて初めて包丁を持ったことに興奮し、嬉々としてお弁当をつくり、友だち同士でのぞき合い、実に楽しそうに自慢し合っている。その姿が健康を映し出していると思います。日々人々は何にこだわり、何を喜びながら楽しく生きているのか。その中にこそ、実は一人ひとりの健康があるのでしょう。」
いやあ、おもしろくて、目からウロコぼろぼろ、B5版7ページを一気に読んだ。
『みんなの大衆めし』の版元、小学館が、この本の紹介をネット販売店のあちこちに載せているが、その冒頭には、こう書かれている。
「「体にいいから」食べるんじゃなくて、「食べたいから」食べるごはん。これを食べると、なぜかほっとする、また頑張れそうな気持ちになるごはん。あったかくてくつろげるごはん。」
そう、この本では、健康だの栄養だのといったことには、まったくふれてない。先日発売になった『サンデー毎日』の著者インタビューでも、瀬尾さんは「身体にいいから食べるっていうんじゃないよね。カロリーや塩分とか油とか気にしていたらおいしくない。あとは自己責任なのよ。」「料理って、やっぱり楽しく作らないとおいしくならないのよ。」と言っている。
ヘルシズムの究極と一対をなすのが、うんちくにまみれた究極追いのグルメであるが、そのあいだで、食べることは大きくゆがんでいる。
もう一度、先の対談の引用の最後のところを引用しよう。「日々人々は何にこだわり、何を喜びながら楽しく生きているのか。その中にこそ、実は一人ひとりの健康があるのでしょう。」。食べることも、そこにあるのだ。
ゆがんだ健康とグルメを蹴散らせ! 気どるな、力強くめしをくえ!
そうそう、この対談は、きょねん依頼があって寄稿してから毎号贈呈いただいている、きのう届いた『Tasc Monthly(タスク・マンスリー)』7月号に掲載されている。このような議論が、もっと広まってほしい。タイトルは「ヘルシズムを乗り越える ~自らの健康を語り始めること~」
編集発行、財団法人たばこ総合研究センター(TASC)。
http://www.tasc.or.jp/
午前1時の深夜便だが、これを読んでいたら、酔いがさめてしまった。
当ブログ関連
2010/06/18
思い切り食べ、思い切り飲む。生きる力としての欲望を我慢しない。
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