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2010/08/31

大宮・いづみや、のち、王子・山田屋、泥酔帰宅。

153852418aきのうは、ボチボチ仕事をしていたら、経堂のさばの湯と下北沢のスロコメのオーナーにしてスローコメディ広告社の代表かつコメディ・ライターあんどプロデューサーの須田泰成さんから電話があって、大宮まで来るとおっしゃるので、テキトウに仕事を片付けて、15時すぎに落ち合った。

東口周辺をザッと案内して、いづみやへ。呑みながら、経営やら、男と女やら、ギョニソやら、あれこれ盛りだくさんの話し。

そうそう、ぐうぜんにも、須田さんもおれも、太田尻家の智子さん制作のイラスト入りTシャツ姿。

そうそう、近くのテーブルで中年男子3人が、おれたちより前から呑んでいたが、1人が、激しく連続的にクシャミをして鼻水をたらしているので、おれのティッシュをあげた。おれも、酒を呑むと鼻水が出るので、必ず持って歩いているのだ。すると、連れの1人が鼻水男に向かって、「埼玉はいいところだろ、これが六本木あたりで、そんなにクシャミをして鼻水たらしていたら、変な目で見られて恥ずかしくて店を出なきゃ行けなくなるぞ」てなこと言った。そして、おれたちに、ホッピーをごちそうしてくれた。

153890766aたっぷり呑んでいるうちに込み合ってきた。さて、どうしょうか。須田さんが王子の山田屋へ行ったことがないというので、では、と王子まで足をのばす。

もう王子に着いたときは、泥酔状態だったけど。また生ビールを呑んで、トウゼン、高千代の辛口にする。

なんと、多田さんがあらわれる。以前にも、ここで中原さんと呑んでいたときに、1人であらわれたのだ。どなたかと待ち合わせだったらしいが、しょっちゅう来ているらしい。それなら、会いもするか。

そうそう、須田さんがiPhonでおれを撮影しツイートしたら、浪曲師の奈々福さんがからんできて、見せてもらった。奈々福さんも、ツイッターやっていたのだ。楽しげなり。

003ま、ようするに、あとは、まいどのように、泥酔よく覚えてない帰宅。
どうしたことか、東大宮でさっちゃんと会った。

デジカメをチェックしたら、こんな画像があった。なんで、こんな写真を撮ったのだろう。21時頃の撮影。どうやら王子駅らしい。

(追加)須田さんのツイッターから写真を無断拝借。上は、いづみや本店。むかしの建物で天井が高く、高い窓から西日が差し込むのも気持がいい。昼間から、おやじたちがたくさんくつろいでいた。下は、山田屋。このメンチカツ、うまいねえ。

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2010/08/30

空を失う歴史としての東京の歴史。

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JR日暮里駅南口改札を出たところ。このあたりの景観は、すっかり変った。

得たものをみるときは、かわりに失われたものはないかと考え、失われたものをみるときは、得たものを考えるとして、空を失ってきた東京は、その住民は、何を得たのだろうか。

それはともかく、土地の権利は、地下は40メートルまでというのは知っていたが、上空は何メートルまでなのだろうかと気になって検索した。いくつか回答があったが、これがイチバンわかりやすく実態に即して正確であるようだった。

土地の上空、地下はどこまで権利ありますか?
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4319795.html

これによれば、上空の権利は、土地所有者のもので高さの制限はない。だけど、実際的に、地面に与える影響によって制限される。なるほど、日照権などは、そういうことかとナットクできる。

ちかごろは「景観権」なる言葉が流通しているようだが、景観というのは、難しい。

『四月と十月』で「東京風景」を連載している、元東京人副編集長の鈴木伸子さんは、最新の22号に「超高層ビルの眺め」を書いている。

「山もいいけれど、超高層ビルだって悪くない。なにしろ、子どもの頃から見続けている風景だ。新宿も池袋も、ビルの数が増えて、ビル群の幅も広がって「これでいいのかな」と思う反面、私にとっての慣れ親しんだふるさとの風景は、この超高層ビル群なのだとも思う。」

「私にとっての慣れ親しんだ」というのは、個人的なものであり、公共が基準ではない。そして、ちかごろの「景観」というのは「公共の価値」として注目を浴びている。だけど、たいがい、直接日照などの影響を受けないひとは、個人的なもので判断するのではないだろうか。もともと、東京に暮らしているなら、どこかで日照を失うことによる損失より、得るものを価値として過ごしている。それは、すでに見かたによっては、常軌を逸しているかもしれないが、それなりに自ら根拠を見つけるのは、難しくない。

景観のため、都心の街頭の広告やネオンを規制しろという意見がある一方で、そんなヨーロッパ流の景観論を持ち込むな、あの街頭の広告やネオンこそ、東京らしい景観ではないかという意見もある。

003画像は、日暮里駅南口から西側の谷中墓地をぬけてやぶさいそうすけへ行く途中で撮影した。日暮里駅をはさんで、西側は「山の手」だけど、いまは「下町」といわれる谷根千。このビルは東側の低地、いってみれば「下町」側に建った。撮影している場所は、「山の手」の谷中墓地。ここ5年ぐらいのあいだに、歴史的な大変化が起きた景観だ。

この北口の東側広場そばの、高いビルが建つ前や工事中の様子は、たまたま撮影のチャンスがあったし、かつては「まねき」という大衆食堂があったところなので、ザ大衆食のサイトに載っている。…クリック地獄

日暮里の景観のスゴイところは、この位置より、このビルとおなじ北口にありながら、西側の「夕焼けだんだん」という都内有数の「3丁目の夕日」的レトロ風景との対比だろう。

分裂症的アンバランスこそ、東京らしい景観なのかも知れない。東京は何かは知らないけど、何かに向かって暴走している。その暴走のなかを心地よく疾駆することに慣れているひとたちもいるようだ。

鈴木さんも書いているが、「これでもまだまだ東京のビルは低すぎるそうで、都心の利便性の高い土地には、もっと高い超高層をガンガン建てないと、世界の都市間競争に勝てないと主張する人もいる。」

そして、リーマンショック以前は、都心の不動産に対するアメリカ資本の投資が活発だったが、いまは都心のマンションオーナーに中国人が増えているというウワサが駆け巡っている。

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2010/08/29

スロコメ@下北沢で、9月26日(日)古墳トークと昭和ブルース・ナイト。

先日、須田さんから電話があって、あれこれしゃべっているうちに、「やろう」ということになったトーク。スロコメのブログを見たら、告知されていたので、本決まり。
http://slowcomedyfactory.oyucafe.net/schedule

9月26日(日) 古墳トークと昭和ブルース・ナイト♪
          出演:大衆食堂の詩人ことエンテツこと
             古墳にも詳しい遠藤哲夫さん。
             BLACK&BLUE(古墳好き女子代表)

じつは、BLACK&BLUEさんのこと、ほとんど知らなかった。とにかく、歌手の方で、スロコメでもライブをやっている、古墳好きの女子、と、須田さんの情報は、いつも大雑把で、そしておれは、大雑把にコトをすすめる成りゆき次第が好みである。

検索したら、ブログを発見。この「まり」さんという方にちがいない。
Black&Blueブログ
http://music.ap.teacup.com/blackandblue/

2010/8/10「ボ部に入ろう!」のエントリーに、こんなことが書いてある。

それにしても、スローコメディーのオーナー、須田さんから凄い情報が…!!

…なんと「古墳部」というものが存在するらしい!!

それ、あたしメチャメチャ入りたいんですけど…!!
宮内庁管轄外の古墳とか一緒にまわりたいってば!!
…あたし、かけだしですが、それでも宜しければ入りたいです~。


楽しみだねえ。四月と十月の古墳部は、いま「アナザー古墳部」の時代になったのだが、これは、部長のスソアキコさんはじめ、部の方々にもご来場願いたいところだが、スソさんはじめ、激しく忙しそうだから、はたして?

ま、まいどのことですが、ワタクシは、泥酔しながらやらせてもらいます。

とにかく、「古墳トークと昭和ブルース・ナイト」、張り切ってやろう。
みなさん、大いに宣伝し、参加してください。
スライドもたくさん用意します。古墳だけではなく、縄文から古墳まで。

そういえば、昨夜も呑みながら、古墳の話しをしていたな。都内にも、けっこうありますよ。上野公園にもあるし。浅草橋の西口やきとんから近い鳥越神社も古墳だし。

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谷中やぶさいそうすけ、西川郷子ソロライブ。

きのうのこと。谷中やぶさいそうすけで18時からの、上々颱風のボーカル、西川郷子さんのソロライブに行くため早めに家を出る。暑い。

まずは、鶯谷の信濃路で生ビール。カウンターは、単独の、比較的若い肉食系にみえる男子のみ。おれが呑んでいるあいだに2人帰ったのだが、1人は480円、べつの1人は8百数十円の勘定。おれはといえば、1110円で切り上げ、電車で一駅、日暮里で降り南口改札から谷中墓地をぬけて、やぶさいそうすけへ。

あたりは、諏訪神社の祭礼で、チョウチンがぶらぶら。周辺の路地をぶらぶら散歩して、10分前ぐらいに、やぶさいそうすけ。前の道路に、一週間前の土曜日の角文研東京支部の暑気払いで会った、上々颱風MGさん。暑気払いのときの泥酔ぶりについて立ち話。

元燃料氷屋の木造の建物を、そのまま使っているやぶさいそうすけは、冷房設備はない。全面板張りの壁に囲まれた、元店舗空間が会場で、ただでさえ暑いのに暑い。吉川さんは、汗まみれで奮闘。

少し遅れて始る。始る直前、仕事で来れないかもしれないといっていた、瀬尾さんとてらやんがあらわれた。会場はぎっしりの満員、30人ぐらいか、さらに暑い。聴衆も大変だが、うたう西川さんとギターの小沢あきさんが、いちばん大変だろう。西川さんが挨拶で、この空間が気に入って、ここでライブをやりたと言い出したのは自分だけど、企画したころは、暑い季節だということは頭になくて…。

しかし、西川郷子さんの独特の高い清んだ声は、草原を吹く風のようにさわやか。脳みその血管が、さわさわ、さわさわと開いていくようだった。この感じが、たまんなく、よかったですね。休憩をはさんで、約2時間。一曲だけ、中島みゆきさんのカバーだったが、ほかはオリジナル。上々颱風のときとは、ちがって、さわさわ、さわさわ、草原の風に身をゆだねているようで。なんとなく「場所の記憶」をうたいあげているような印象。暑さなど関係なく、いいライブだった。

016おわって、まいどのことながらが、瀬尾さんが銭湯へ行こうと、しかも近くに黒い温泉があるからと。てらやんと3人で銭湯温泉、池之端本町の「六龍鉱泉」と申します。高い天井、ぶっとい梁。確かに、湯が黒い。なかなかよい温泉だった。

8時半ごろ出て、藍染町あたりまでぶらぶら歩き、てらやんの案内で中華屋へ。ここが、よさそうだったのに、満席、残念。では、ということで、地下鉄根津駅近くの小松。生ビールから燗にきりかえ、きょうも朝早くから撮影だから、あまり遅くまで呑めないといっていた瀬尾さんも燗にして、2合とっくりを、もう一本、もう一本いっちゃうか、という調子。話が、おもしろすぎた。

何時だったのでしょうかねえ、泥酔。根津駅で、2人と別れ、西日暮里でJR。東大宮に着いて、泥酔してから、さらにもう一軒というのは、覚えていないし無駄だからやめようと、カタク決心したのに、泥酔しているから役に立たない、足が勝手に動いて、ちゃぶだいへ。もう板チョウはおしまいの時間で、酒だけを呑む。いつごろ、どう帰ってきたか、記憶なし。タイショウと、蓮田で飲む約束をしたことは、ちゃんと覚えていて、手帳にも書いてあった。

おどろいたことに、2010/08/24「「不採算」を理由にする「企業の論理」は公共を救うか。」にいただいたコメントに返事を書いている。午前1時半ごろ。まったく記憶なし。読んだら、チョイと頓珍漢なおかしなところがあったので、少し修正したが、なんだか、まだ噛み合っていないような。ま、いっか。

昼になっても、二日酔い、頭がいたい。

上々颱風のオフィシャルサイト
http://www.shangshang.jp/blog/blog.html
西川さんのブログ「ニシカワ通信」
http://mandi.blog.ocn.ne.jp/satoko/

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2010/08/28

日々の料理あるいは日々の楽しみ。

前のエントリー、日刊ゲンダイのコピーと一緒に、読者ハガキのアンケートと一通の手紙のコピーが送られてきた。いずれも、プロフィールの部分のコピーはないので、わからないのだが、文字の感じや内容で、男女のちがいや中年以上か以下ぐらいかの想像はつく。

一通の手紙は、きちょうめんな字で、ていねいに書かれたものである。こういうものをいただくと、うれしくて、身が引き締まる。「みんなの大衆めし おもしろかったです。満足しました。」で始る。地元の肉屋や惣菜のヤキソバが好きで、その話しなどが、とても楽しく書かれてある。どうやら簡単なもので缶チューハイを飲むのが、日々の楽しみらしい、愉快な方だ。

アンケートに「この本を最初に何でお知りになりましたか」という質問がある。おれのHPを見てという方が一人だけいたが、いちばん多いのは、圧倒的に「書店で見て」だった。ということは、料理本のコーナーに足を運んでいるひと、ということになるのだろうか。

「レシピは何を参考にすることが多いですか」という質問には、料理本、雑誌、ネット、携帯ネット、テレビ、新聞から多い順に選ぶようになっているのだが、ほぼ全員が、料理本をトップにしていた。そして、ほぼ全員において、ネット、携帯ネットが下位だった。

フリーアンサーを見たところでは、みなさん、日々料理を作ることに親しんでいたり、作る意欲が感じられた。

何人かの方からメールをいただいているが、ほとんどの方が、レシピのどれかを作ってみている。そのまんまではなくても、よいヒントにしているひともいる。

おれも、この本を手にしてから気がついたのだが、今夜は何にしようかなあとおもったとき、これをパラパラ見ると役に立つことが多い。

日々、ウチで料理を作らなくてはならない、作ろうとおもっている、いずれにせよ「日々」ということになると、一日に一度ぐらいは、夕飯は何をつくろうか、明日の朝は、弁当を作るひとは弁当のおかずは、とか考えるものではないだろうか。

料理に対する関心、興味はいろいろだが、この「日々」があるかどうかで、大きなちがいにつながるような気がする。

『みんなの大衆めし』は、「日々」を基準にしている。大衆食堂や惣菜店も、「日々」が基準だ。いや、『みんなの大衆めし』は、大衆食堂や惣菜店の「日々」を、基準にしているというべきか。特別な食材や高級な食材や珍しい食材を使ったり、複雑な調味や、手間をかけたりすることに、高度な美学や求道や趣味的な楽しみや優越感などを求めようというものではない。

「「体にいいから」食べるんじゃなくて、「食べたいから」食べるごはん。これを食べると、なぜかほっとする、また頑張れそうな気持ちになるごはん。あったかくてくつろげるごはん。」なのだ。この表現、いま気がついたが、「ごはん」って、やはり料理本だから、女子を意識してのことだろうか。

「食べたいから」食べる。「日々」の必要は、これだろう。このストレートでシンプルな欲求と快楽は、人びとの長い歴史のなかで継続してきたにも関わらず、近年の「健康」やら「グルメ」な知識と情報によって、ゆがめられてはいないか。長い目でみれば、「健康」や「グルメ」に大きくゆがんだのは、ここ20年ぐらいのもので、この「異常」は、普通なら定着するとはおもえないのだが。

とくに都会では、このような「作る日々」が基準にならない生活もある。成人男子の、おそらく6割以上はそうだろうし、東京となれば女性も含め、けっこういるだろう。だからといって、料理に関心や興味がないわけではない、ある。メディアの舞台で目立つのは、この傾向が多い。つまりは、「話題性」で、「話題性」を、飲食しているんだな。「健康」「体にいいから」も、その一つだろう。

そんなこんなで、だから、「「食べたいから」食べる」を、主張する意味があるわけだ。

『みんなの大衆めし』は、2010/08/25「生活のニオイ。」に書いた、浅草でいえば、ニュー浅草本店のようなものなんですね。あるいは鶯谷の信濃路、あるいは大宮のいづみや、あるいは…。

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2010/08/27

日刊ゲンダイ8月16日、よみがえれ、食欲!

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小学館の編集担当さんからコピーが送られてきて知ったのだが、「猛暑で衰えた胃腸を活性化するためのグルメ本」として『みんなの大衆めし』が紹介された。

リード文は、こうだ。「オレは草食系の若者とはちがうぞ、と自信にあふれていた肉食系中年男子も、さすがにこの夏の暑さでゲンナリしているのでは? 性欲はともかく、まずは食欲を回復させよう。おいしそうな料理の写真が載っている本を読めば、胃腸が刺激され、生つばゴックンとなること、間違いなし。本の中から一押しメニューとともに紹介する。」

ってことで、90ページの「ハムとマカロニのサラダ」と共に登場。ほかに、4冊。

おなじ紙面の下2段の左半分は、「エクスタシーショット」なるコーナー、ピンク小説の紹介。「あああぁ、いいの……オーナー、イキそう……うぐぐ」「いやああっ……あああんっ……いっ、いいいーっ!……」というぐあいの本が2冊載っている。やっているほうは冷房のきいた部屋だろうからいいだろうが、読んでいる方は暑苦しい。その右半分のコラムは、「とっておきのエロ話」で、「サルも売春するし、ポルノも買う」と。

そして、なんと、これは偶然なのだろう。グルメ本のスペースは上6段3分の2を使用しているが、その隣3分の1は「私の本の捨て方、残し方」となっている。ここに、元「薔薇族」編集長の伊藤文学さんが登場しているのだ。

伊藤さん、お姿を拝見したのは、何年前になりますかね、浅草の神谷バーで、辺境の旅人を送る宴会のときだな。写真も載っている。ちょっと老けた感じはあるが、あいかわらずタフで元気そうだ。しゃべっていることも元気そのもの。

このような記事に囲まれて、『みんなの大衆めし』は、すげえなあ、シアワセ。日刊ゲンダイさんは、目が高い、ありがとう。食欲も性欲も、がんばろう。

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2010/08/26

小鹿野町の〔つつっこ〕。

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お盆のときもらってきた〔つつっこ〕を食べた。梅干としょうがの酢漬けと食べたが、いつものように、うまかった。つつっこのことは、03年7月10日、ザ大衆食のサイトに詳しく書いている。…クリック地獄

それぞれの家によって作り方は少しずつ違うようだが、これは、モチゴメとキビとアズキを栃の葉で包んで茹でる。この味覚のコンビネーションがよい。

いちおう、雑穀料理の範疇に入れてよいだろう。さらには、そのザ大衆食の記事にも「郷土料理」として紹介しているように、一般的には、そういうものである。

おれとしては「郷土料理」という表現は、あまり使いたくない。「郷土」という言葉は、歴史的に、中央コンプレックスと外国コンプレックスが含まれて使われてきたとおもうからだ。本来は、「○○地方の料理」である。つつっこは、埼玉県の秩父地方の料理というのが、いまのところいちばん正確のようにおもう。それならば、「東京地方の料理」も存在するし、「東アジア地方の料理」も存在する。あるいは、いま書いていて気がついたが、「地方」は「地域」でもよいかも知れない。と、迷いながら「郷土料理」という言葉を使っている。

最近の雑穀ブームがいつごろから始ったか把握しにくいが、ザ大衆食につつっこを初めて紹介した、03年7月ごろは、まだそんなにハッキリしたものではなかったとおもう。

きょねんの4月1日発行の月刊誌『Tasc Monthly(タスクマンスリー)』4月号(TASC 財団法人たばこ総合研究センター)に、おれは「雑穀ブームの居場所」を寄稿している。とにかく、そのころがブームの頂点だった。

この文章を、さきほど読み返したが、雑穀ブームを俯瞰しながら、「主食」や嗜好の動向を視野に入れて、なかなかよくまとまっている。と、自画自賛したくなるできばえだ。当時より雑穀がそれほど騒がれなくなった、現在のほうが、説得力があるというか示唆に富んでいる。おれは先見性が、ありすぎるのかな?ナンチャッテ。

長文なので、全部を紹介できないのは残念だ。といっても、そんなに読みたいひとはいないだろうけど。この文章は最後にどうまとめられているかというと、こんなぐあい。以下引用……

 雑穀ブームはどうなるかわからない。「白米原理主義」の優位は変らないだろうけど、かつてほどの求心力はない。もともと生活の実態としては、白めしは、パンや、蕎麦やうどんなど麺類と共存関係にあり、それほど強固なものではなかった。そこに雑穀の居場所が続く可能性は大きい。白米も唯我独尊じゃなく、共存を追求すべきだろう。
 注目したいのは底流だ。「身体」や「いのち」に目覚める人びと、雑穀や焼酎のように少々クセのある味覚に親しむ人たち。さらに増え続けるような気がする。その精神や嗜好が、何を選択するか。たぶん、本当の多様化は、これからなのだ。
 ブームのついでに、雑穀と汁かけめしの歴史に興味が持たれ、「米食憧れ」に偏向した歴史が見直されることになったら、うれしい。あまり期待してないが。

……引用おわり。

「本当の多様化は、これからなのだ」ってとこが、ヘソなのだが、この引用部分だけじゃ、伝わらないな。ま、いっか。

おれは、新潟の米どころの生まれ育ちで、一日一度は米のめしをくわないと腹が落ち着かない。だけど、米食の歴史は、とくに戦後、かなり偏向しているとおもっている。稲作は、あまりにも「政治的」すぎて、生活の実態と矛盾が激しくなっている。つまりは、生活の実態に即した、正常な食糧政策を逸脱している。そもそも、まっとうな食糧政策としての稲作なんぞは、存在しなかったにひとしい。だから、いまごろになって、稲作を、食糧のためではなく、「日本の原風景」として守らなくてはならないような議論にまでなっているのだ。かつての「五穀豊穣」の精神は、何処へ行ったのだろう。と、話しを広げるのは、やめておこう。とにかく、稲作に偏向してきた政策は、いろいろ無理が生じている。

このつつっこに使われているキビは、安い輸入物を使うとマズイのだそうで、高い国産を買って使っている。だから、かつては、地域や自家の産物だけで作っていたものだが、いまでは高価なものになった。

雑穀の国内生産は、たかだか1000トンぐらいのものだ。たしか、国内流通量の80~90%は、輸入品。この輸入品を、飼料用にしてしまうと付加価値がつかないから、食品としての付加価値をつけたい。といった思惑が、某大手商社などにあり、そこらあたりが雑穀ブームの火付け役だったような気配も感じられる。

下の画像は、わかりにくいが、つつっこを包む葉がなる栃の木だ。家の前の川の畑にあった。まだ木が小さく葉も小さいので使えない。栃の木といえば、トチの実を使ったトチ餅は、ここ10数年のあいだに急激に姿を消しているんではないかとおもう。縄文期から食べられてきた、長い歴史を有するトチの実だが。

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2010/08/25

生活のニオイ。

小沢昭一さんの『ぼくの浅草案内』(ちくま文庫)に、ひさご通りの米久が載っている。ここは、いまでは観光名所で「大衆店」とは言い難いが、かつては日常の「大衆店」だった。

小沢さんは、「高村光太郎の詩集『道程以後』の中の「米久の晩餐」は有名」と引用する。だけど『道程以後』は持っていないので、小沢さんの引用から、さらに省略しながら引用する。

「八月の夜は今米久にもうもうと煮え立つ……/顔とシャッポと鉢巻と裸と怒号と喧騒と、/麦酒瓶(ビールびん)と徳利と箸とコップと猪口(ちょこ)と、/こげつく牛鍋とぼろぼろな南京米……ぎっしり並べた鍋台の前を/この世でいちばん居心地のいい自分の巣にして/正直まつとうの食欲とおしゃべりとに今歓楽をつくす群集、/まるで魂の銭湯のやうに/自分の心を平気でまる裸にする群集、/……のみ、むさぼり、わめき、笑ひ、そしてたまには怒る群集……まつ黒になつてはたらかねばならなぬ明日を忘れて/……自分でかせいだ金のうまさをぢつとかみしめる群集、/……」

この引用のあと、小沢さんは、こう書く。「老舗の情緒に風流めいた詩情を寄せるのではなく、牛丼の吉野家であり、つけ麺大王であるような、新興の大衆料理店に「美」を発見してうたいあげた高村光太郎の詩心に、ただただ脱帽のほかはない。どうも、浅草という街の本質は、実はこの詩にあるような気がして、少し長く引用した次第。」

「牛丼の吉野家であり、つけ麺大王であるような」はともかく、「浅草という街の本質は、実はこの詩にあるような気がして」というのは、たしかだったような気がする。

拙著『汁かけめし快食學』にも書いたと記憶するが。かつては鋳物で有名だった川口の鋳物工場で働く小僧が、めしにソースをかけて食べ、ためた小遣いを持って浅草を楽しんだ。浅草は、そういうところだった。銀座が気どった中流階級の都だとしたら、浅草は気どらない労働者や田舎者の都だったのだ。

高村光太郎の詩の風景は、1970年代になっても、浅草の言問い通り(浅草寺の裏の通り)と雷門通り(雷門の前の通り)のあいだの、まち全体を覆っていたと記憶する。松屋デパートの前あたりの飲食店でも、そういう感じがあった。浅草に限らず東京でも、大衆食堂や大衆酒場を舞台にみれば、ほんの最近まで、こうだったのではないかとおもう。

「下町酒場巡り」や「居酒屋巡り」といったブームなどのなかで、しだいに、その「場」にあった、こうした生活のニオイは消えていった。そして、「粋」だのなんだのと、老舗や下町の情緒に風流めいた詩情をよせたりするひとたちが幅をきかすようになった。なにやら生活のニオイのない、風流人ぶった男たちが、テレビや雑誌や本が提供する風流めいた詩情や自ら幻想する風流に酔うところとなったのである。そんな下町酒場観光名所が増えた。

東京のまちから生活のニオイが次第に薄らいだのは、まちの構造や社会の変化もあるが、そこで生きる人間の生活のニオイが薄らいでいったことも関係するのではないかと、フトおもった。

フトおもったとき、柳沢きみおという漫画家が描いた漫画を思い出した。漫画の題名は、覚えていない。ひとつの漫画ではなかったかもしれない。そこに登場する男や女、そしてまちを見たとき、あまりのニオイのなさに、違和感を覚えた。その記憶が残っている。たしか80年代以後のことだろう。その「絵」は、あきらかに「下町」ではなかったが、東京のまちは、そのようになっていたか、なりつつあった。

「粋」だの「人情」だのといった絵空事を求めて「下町」の大衆食堂や大衆酒場へ繰り出す動きは、失われた「生活のニオイ」の絵空事を買い求めてのことなのかも知れない。

だとしたら、しかし、なぜ、買い求めるだけでなく、自分自身の生活の中に生活のニオイを発見し大切にしようとしないのだろうか。

それには、それなりの「事情」があるわけだ。

とにかく。浅草についていえば、おれはニュー浅草本店をよく利用してきた。凡庸な酒場である。が、ここへ行くと、1960年代におれが感じた、そして高村光太郎が詩にした「群集」の生活のニオイが残留しているようにおもうのだ。まだ、そういうところは、ほかにもあるが。

「自分でかせいだ金のうまさをぢつとかみしめる群集」のひとりになるのは、難しいことなのだろうか。

ってことで、では、お時間のある方は、上々颱風「メトロに乗って浅草へ」
http://www.youtube.com/watch?v=w_bJOzC2C3o&feature=related

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2010/08/24

夏はゆく。残暑は厳しい。スタミナのつく大衆めし。

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花火をした夏は去ろうとしている。雲のカタチ、風のカンショク、聴こえるオト、確実に秋は近づいている。

だけど、残暑は厳しい。これからが、スタミナ勝負だ。負けてなるものか。

力がわく『みんなの大衆めし』は、楽しく元気よく生きるため、ガッチリめしをくおうというものだが、とりわけスタミナのつくめしが多い。豚肉のしょうが焼き、レバにら炒め、にんにくステーキ、名前からして「スタミナ餃子」、ねぎとんカツ、豚もつのみそ煮……台湾風豚肉飯、これはやってみたが、じつにうまくて、めしがおそろしいほどくえる。バテすぎた胃には、サクッとやさしく力がつく、しらす丼などもある。瀬尾レシピならではの、失敗がない作りやすさとうまさ。

今朝は、じつは、この本にはない、冷しおでんでめしをくった。とにかく、朝から、食べておくことだ。
ぶっかけめしも、いいねえ。
生きにくい気候と生きにくい世を、大衆めしの力で、ガツンとぶっとばすのだ。
そして、うまい酒を呑もう。

なんだ、やっぱり、酒か。

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「不採算」を理由にする「企業の論理」は公共を救うか。

137_4ある町の町役場敷地内にある、「観光案内所」のような所に貼ってあった、町役場の貼り紙。「観光案内所」のようなものは、江戸期の木造の町家風にこったもの。しかし、無人で、チラシのたぐいが、やる気なさそうに置いてあるだけ。冷房もなく、冷水器は壊れたまま。一方、そばの役場庁舎内は、広いスペースに、のんびりムードの役人がぱらぱら、蛍光灯が煌々と輝き、冷房がガンガンきいていた。

おれなんかが指摘するまでもなく、企業の価値と公共団体の価値がおなじであるはずはない。だけど、ちかごろは、「企業の論理」を公共の場に持ち込めば、公共は採算がとれ「健全」になるかのような論理が横行している。公共の価値が成り立つ論理もわきまえない、公共が大手をふるっている。そして、公共の価値を高めるビジョンと政策の貧困を、「不採算」にすりかえる。

公衆電話をなくすことが悪いというのではない。なんのてらいもなく「不採算」を堂々と理由に掲げる、公共を疑いたいだけだ。貧すれば鈍するとは、このことだ。

これは、ほんの一端。この町だけではない。いまや、こういう論理がフツウになりつつある。まるで公共の論理がなくても、企業の論理があれば公共が成り立つような、企業の社長と公共の首長の区別もつかないようなやからが、公共を支配しつつある。あまりにも短絡した「採算意識」と「官僚的手法」、そんなもので複雑多様な公共を救えるのか。

公共の価値を高めなくては、公共は成り立たない。役人は、もっと、そのために知恵をしぼり身を粉にすべきではないのか。「不採算」を理由にした一片の紙ペラでことを解決しようとするような役人根性が、「不採算」を生んできたのだ。

公衆不在。

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2010/08/23

ナスの丸ナス。

005_2最初の画像は、きのうのエントリーに書いた、バッグのなかにあったナスだ。品種がわからないが、カタチからすれば、よく見かける部類だろう。これは、中原さんからもらったもので、もちろん中原さんが作ったものだ。けっこうな大きさなので、今日明日中に、鶏肉と一緒に煮てくおうとおもう。

この夏のお盆には、2010/08/20「生きるために耕し、耕し生きる。」に書いた山の畑で、珍しいナスに出合った(2番目の画像)。というか、このナスが畑になっているのを見たのは、1962年に田舎を出て以来、初めてではないかとおもう。仕事の関係もあって、北海道から沖縄まで、あちこちの畑を見たが、このナスを見たことはなかった。

073いまどきの普通のナスになれてしまい、このナスのことは、いつしか記憶から消えていた。きょねん、故郷の南魚沼は六日町の万盛庵で食べたナス漬で、思い出すアリサマだった。

「丸ナス」といって、おれがガキのころは、これが普通のナスだった。むかしは、地域によって、とれるナスがいろいろあって、新潟では(ほかにも作っている地域があるらしいが)、これが普通だった。それが、この夏の秩父の山の畑にあったのだ。

その家人老夫婦に聞くと、苗を買いに行ったとき、初めての珍しいものだから、少しだけ買って来て、ほかのナスと一緒に作ってみたということだった。はたして、どう食べてよいか、困っていた。

いま普通に広く出回っているナスは、皮をむかないで料理するのが普通だから、そのようにすると、このナスは皮がとてもかたくて食べられない。皮のまま煮て、皮がやわらかくなるほど煮たら、なかの実はどろどろになる。だから皮をむく。漬物は、丸ごと漬けるが、食べるときには、手でちぎって食べる。

いまは、どうか知らない。おれがガキのころの盆踊りのうたは、やぐらのうえで太鼓に合わせて誰かがうたった。その歌詞に決まって、「はあ~ 盆だてがんに~ ナスの皮の雑炊だ~」というのがあった。この歌詞になると、踊っているひとも一緒に声をはりあげた。

「盆だてがんに~」は、「盆だというのに」ということだ。「雑炊だ~」のところは、「ぞぉせえ~だ~」という感じで、思い切り力を入れてうたう。あきらめとヤケクソの哀調が、ただよった。いまおもえば、当時の盆踊りの会場である神社の境内は、やぐらのまわりに少しばかりの白熱灯がぶらさがっているだけで、ほかはロウソクの提灯で、薄暗かった。

この歌詞は、この丸ナスだからこそ、生まれたものだろう。

「盆だてがんに~」だから、盆ではない普段はもちろん、捨てるか豚のエサにするような、かたい丸ナスの皮を、雑炊に入れていたことになる。おれは、この雑炊を食べた記憶はないが、もしかすると、しょっちゅうやっていた雑炊のなかに刻んで入っていたのかも知れない。

もともとナスにもナスの皮にも、貧乏はない。それを食べる生活が、やりきれない貧乏だったから、食べるものまで貧乏くさくおもうようになった。ということだろう。秩父の山の畑で育った丸ナスの実を食べてみたが、いま広く出回っているナスより、実が詰まっていて、芳醇な旨みがあった。

下記のエントリーに、万盛庵の丸ナスの漬物の画像と、これを食べたときの話しを書いている。
2009/06/20「料理写真を見ているうちに、万盛庵へ行きたくなる。」

山の上のナス畑。

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水やりが必要なときは、沢から水を引く。

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2010/08/22

角文研東京支部主催、エロテロ的暑気払い。

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「角文研」とは、「北九州角打ち文化研究会」のことであり、これをおいてほかにない。その東京支部主催の公開飲み会は、すでに、当ブログで何回か紹介している。じつに風紀アヤシイものだが、今回も激しいエロテロな開催だった。須藤会長、こんなエロテロですみません。と、誰も反省のイロなし。

きのうのこと。18時から、場所は、ほぼ定例化している、「日本で三番目にキタナイ飲み屋で有名な、あの例の「味とめ」です」である。

早すぎたので新宿で生ビールをやって渋谷へ、田園都市線が二子玉川の花火大会でひどい混雑。少し遅れて三軒茶屋の会場に着いた。

生ビールで乾杯。酔わないうちにと、かんからさんから『みんなの大衆めし』2冊にサインを求められ、ヘタクソなサインをする。そのころには、すでにあやしいエロな雰囲気になっていた。いきなりトップギア。

タニガワさんは、以前は髪をのばしていたのだそうで、佐藤浩二に似ていたのだそうで、それでかんからさんは惚れてのしかかったのだとか。ってことで、おぼえている出席者は、ほかに支部長の中原蒼二さん、エロモリタ夫妻、ホモ宣言タナカさん、パンクスアサノ青リンゴサワーさん、ちはるちゃん、ナカムラ夫妻、ソムリエCCCPさん、上々颱風MGさん、ああ、泥酔状態であとから来たひとはよく覚えていない。とにかく、多士済々のエロテロリスト。

いやあ、おれの右ホッペには、パンクスアサノ青リンゴサワーさんのぶちゅキスの感触が残り、バッグあければなぜかナスが一個、そういえば中原さんの持込みで「珈琲酒」を呑んだな。これが、アブナイうまさで、すっかり酔ってしまった。「偏愛名人」の中原さんは、キンミヤ偏愛で、珈琲酒もキンミヤでなければならん、といっていた。

すべての女たちにのしかかられそうだったが、無事に帰れてよかった。

上の画像、撮影した記憶がないのだが、これを見て気がついた。「味とめ」はキタナイだけじゃなく「うつぼたたき」なんてのがあるのか。

下の画像も記憶にないのだが、新宿だろう。渋谷で乗ったはずだから、埼京線でも赤羽まで行くものを、なぜ新宿の画像があるのだろうか…。22時50分ごろの撮影。

東大宮に着いてから、「ちゃぶだい」。泥酔記憶喪失帰宅。

そうそう、谷中「やぶさいそうすけ」での、上々颱風のボーカル、西川郷子さんのソロライブは、今週の土曜日28日ですよ。

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2010/08/21

行き詰まり打開か、さんまのみそ焼き。

昨年末からとりかかった企画で、アイデア段階はよしとして、具体策で行き詰まっていたものがあった。それが、ひょんなキッカケで糸口がつかめ、するするすると解決…ということになるかどうか、とにかく、一歩前へ進める状態はつくれそうなので、重かった扉が開いた感じだ。なんとか年内スタートにこぎつけたい。

しかし、ちかごろの環境の不安定さは、かつてない。半年のあいだに、状況がコロコロ変る。「うまくいっている」からといって安定することはなく、うまくいっていながらマイナスが生まれたり、うまくいっていることがマイナスになりトツゼン事態が暗転するというぐあいで、長い時間をかけて企画を練り上げるのが難しい。だから、ま、短期アイデア勝負に流れてしまうのだろう。

繁盛しているようにみえた飲食店が、トツゼン閉店ということになりかねない。ま、そういう例があった。

ともあれ、うまくいっている足下から崩れてしまうから、きょうの繁盛もあてにならない。でこぼこ道にハンドルをとられないような運転が必要というわけだ。そのまえに、でこぼこ道を走っているという認識を失わないことが大事か。

004それはともかく、先日、東大宮西口にある「ふくまる」という居酒屋へ行った。そこで、さんまのねぎ味噌朴葉焼きなるものを食べた。朴葉味噌とサンマをあわせたようなものである。なかなか工夫があってよかったが、おれにとっては、みりんがチョイとききすぎだった。ま、それで、そうだ、『みんなの大衆めし』にある「さんまのみそ焼き」をやろうと思い立った。

スーパーで解凍サンマを買い、瀬尾さんのレシピとは少しかえてやってみた。みそにしょうがを混ぜ、うちはガスではなく電気なので、焼き方を変えた。うーん、瀬尾さんが作った、目からウロコのようなうまさとはいかなかったが、それなりに酒のつまみにもなり、めしもうまく食べられた。この秋は、このセンを、あれこれやってみよう。

料理というのは、一度「うまい」とおもったり、「うまい」とほめられたりすると、そこからなかなか離れられず、「これが一番うまい!天下ごめんのうまさだ!」と、こだわることになりやすい。だけど、そんなセコイものではないのだ。大らかな可能性、これこそ料理であり、楽しい。ま、大らかになれないセコイひとに、こういう話は「説教」になってしまうかも知れないが。

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2010/08/20

小鹿野町の戸田牛乳は、うまい。

戸田牛乳のことは、あちこちに何度か書いている。とにかく、うまい。

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生きるために耕し、耕し生きる。

128今回は、3年ぶりの夏だったので、山の上の畑へ行ってみた。

2010/08/18「山間辺境のお盆。」に書いた、バスのあたりで振りかえると、こんな風景だ。この2軒が下の集落の最後で、バスが行く道路を登ると、谷間が開けて、つぎの集落が見える(2番目の画像)。バスの終点になる集落だが、ひとが住む集落は、まだ先まである。

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101畑へ行くには、上の画像の旗が立つあたりの右に、登り口がある(3番目の画像)。ここから険しい崖の上に出る(4番目の画像は道路わきの崖を見上げたところ、この上に畑がある)。

山を登りながら考えた。とくに近年、都会人のあいだでは、土を耕し収穫を得ることが、「生きる」ことを離れ、自然や「命」と親しむ高尚な趣味・教養のようにもてはやされるようになった。それそのものが、たぶんにペットを可愛がるように、自己愛的だと思うが、さらには、「人間は生かされている」だの「命は生かされている」だのという、知ったかぶりのタワゴトまでいうようになった。「生きる」感覚を失った消費主義、ここにきわまれり。

102日本の「農」は、どう破壊されてきたかと考えれば、一方には「工業」と「東京」優先の政策があり、その表裏として、趣味・教養としての「農」があった、といえる。つまり、趣味・教養としての「農」は、本来の「農」の存在を精神的に不在あるいは曲解破壊せしめる役割を果たしてきたともいえるわけだ。

土地と「農」と人の関わりは、むかしから単純ではない。都会で、少々の畑をやっているぐらいで、いい気になるんじゃないぞと、自戒をこめて、思うのだった。

もちろん、趣味や教養は勝手だが、より生産地のものを合理的に流通させる工夫の追求は、はたして十分だろうか。ちかごろの都会のお手軽菜園には、自己愛に陥りやすい都会人の空虚を感じる。いっそのこと、都会に住んでいたら、耕作などに手を染めず、生産者や生産地や生産物と、どういうよい関係を育てるかを追求する方が、潔いし、全体的にはよい方向が生まれ育つとおもう。といった件について、実際、あなたのまわりで、お手軽菜園をやっているひとに、問うてみれば、ほとんどアイマイの答えしか返ってこないだろう。貧しい消費主義による「生産」はかなしい。

064この地は、とりわけ、強固で峻険な岩から出来ている。平地を得るのも、土を得るのも、容易ではない。畑のために平地を得る手積みの石垣に、「生きる」強い意志を感じる。

どれぐらいの年月が過ぎたのか、以前に、このあたりの江戸期の書付を見たことがあって、そこには、すでにさまざまな収穫と馬などの当時としては「豊かな」資産のあった痕跡がうかがえたから、その前からだろう、石を積み、あるいは砕き、山を焼き、畑をつくってきた。いま見渡すと、杉と檜が多いが、これは戦後の景色だ。戦前までは、雑木が山肌を覆い、焼畑もやっていたと聞く。

065そうやって拓いた畑だが、この写真のように、いちおう荒れないように草は刈っていても、耕作されないところが広がっている。これはまあ、過疎のすすむ地域では、よくあることだし、減反政策もあって不耕作地の拡大は、「趨勢」なのだ。

とはいえ、畑が多く失われたのは、戦後すぐのころからだった。一つは、杉や檜がカネになるといって、畑を杉や檜の林に換えることをすすめる「山師」が出没したことにより、そして、先物取引のうまい話にだまされるように飛びついたため。一つは戦前から続いていた養蚕のための桑畑への転換だった。

いまでは、どちらも、カネにならず、桑畑はほとんど姿を消し、杉や檜の林は、一部をのぞき手入れも行き届かず、もちろん売れもせず、放棄されたままだ。

067この家も、この畑の上にさらに、数年前までは耕作していた畑があり、さらに登ると、杉や檜が、家が2軒は建つといわれるほどあるが、いまは荒れて、そこまで行くのも容易ではない。しかし、この畑だけは、「死守」するかのように、見事に耕され、イノシシなどの野獣を防御する頼りない囲いのなかで、いろいろな野菜が元気よく育っていた。

081畑の周囲には、クリ、カキ、ユズなどの実のなる木が植えられている。つまりは、食べられるものばかりである。そして、クリやカキは、食べごろになると、果実を得るため野獣たちと人間が先を争うのだが、たいがい野獣の方が勝つらしい。ジャガイモなども、激しい競争になるとか。

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畑から谷間を見下ろすと、谷川をはさんで向かい側に建つ家(最初の画像の右側の家の母屋)が見える。ずいぶん高低差がある。なぜこんなところにまで、畑を作ったのだろうかと、何度も考えた。こんな住みにくい、生きにくいところに、なぜ棲みついたのか。先祖は、まちに住めない犯罪人や落人だったのか、とか妄想をめぐらしたり。が、しかし、何度か来て、見て、調べているうちに、少しみえてきた。そのことは、またそのうちに。

山間の暮らしの歴史や実態は、都会や、とくに米がとれるようになった平野部の「常識」とは、かなりちがうようだ。そして、昭和30年代ぐらいまでは、こうした暮らしの地域は、少なくなかった。

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2010/08/19

発売中、CREA(クレア)9月号「料理が作りたくなる本」。

005うちにはテレビがないから、お盆の田舎で、初めて「竜馬伝」を見た。そもそもおれは「佐幕派」だから明治維新など評価してないのだが、なんじゃこれは日本は明治維新コンプレックスの紋切り型からまだぬけられないのかと、あきれながら途中で見るのをやめ酒に専念した。ということには関係ない。

クレオ9月号の表紙、見たことがある顔だと思ったら、先日初めて見たばかりの竜馬役の福山雅治だった。ということは、どーでもよいのであって、このクレオ9月号197ページ、

ブックコンシェルジュが指南 テーマ別オススメ本ベスト3 「料理が作りたくなる本」に、紀伊國屋さいたま新都心店の宇治佐和子さんが、『みんなの大衆めし』を一番にオススメしてくださっている。

オススメの言葉は、「お酒とご飯を一層美味しくしてくれるのは心のこもった料理。写真とレシピのバランスが絶妙で、巻末には著者お二方の心底楽しそうな笑顔。何だかこちらまで幸せな気持ちになれます」と。

宇治さんは、ほんとうは文芸書担当なのだが、こんなにまで肩入れしてくださり、感謝感謝であります。

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クレオ9月号の特集は「読書という冒険」で、いまどきの読書界のマーケティングな傾向が、漫画から文芸書まで、哲学から実用書まで、デザインから印刷まで、など、情報的に広く網羅されていて、それなりにおもしろく俯瞰できる。

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2010/08/18

山間辺境のお盆。

124平成の大合併で、かつての秩父郡の大半は秩父市になったが、小鹿野町は両神村と合併して残った。その小鹿野町の中心部からバスで約40分。10年前ぐらいまでは1時間に1本ぐらいあったバスは、1日に5本ぐらいになり、スクールバスの導入で、いまでは2本か3本。過疎化と衰退は加速する。「もう10年すれば、残っている家は何軒もなくなる」と口にするひともいるし、黙って耐えているひともいる。

都心には600メートルをこえるテレビ塔がたち、それがあたかも「国力」を象徴するかのような騒ぎであるが、おなじ標高600メートルのこのあたりのバスの本数の減退こそ、「国力」の実態をあらわしている、ともみることができる。

なぜ、いつまでもこんなところに住んでいるのだ、さっさと都会なりまちへ出ればよかったものを。そういうグズたちがいる集落は無くなって当然なのだ。早々に田舎の暮らしを捨て都会人になったひとのなかには、そういう考えもあるようだ。そういう考えと、ここで暮らすカクゴの人たちを結ぶところ、東京の栄華と田舎の衰微をつなぐところに、「公共」が存在する、とでもいうように、本数は減ってもバスは運行している。

上の写真のバスの位置は、下の写真の道路の上のほう、ガードレールが右から左へカーブして切れるあたりだ。このへんは、この地域でも最も谷間が狭くなり、道路も急な登りになる。そこには2軒の家が谷川をはさんで建っているが、それ以外の隣家は見えない。

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ガードレールが切れたあたりから、川原を見た写真が下。

043午前10時前から、前の川からにぎやかな声が聞こえる。向かいの家に里帰りしている親子たちが、川遊びをしていた。

画像の中ごろから手前は、道路と川原のあいだにある、中段の2メートル×5メートルほどの平地だ。少しでも平らな土地があれば畑にする、というのがこの地域の「生き方」であり、いろいろなものが植えられている。紫蘇の手前のコンニャクの木は、今年は育ちがよいそうで、確かに勢いのよいのが何本も生えていた。ほかには、豊作のミョウガ、ショウガ、里芋、カボチャ、などなど。その一番上手に、下の写真、芭蕉がある。

049前にも一度このブログに書いたが、この谷川沿い地域では、たいがいの家の敷地か地所に、芭蕉があるのだ。なんとも場違いな風景を感じるのだが、しかも、この葉は、1年に1度だけ、お盆のときになくてはならない。それ以外は必要ないというもの。

つまり、お盆の仏壇前のお供えは、この芭蕉の葉を何枚かひいた上に飾る。そして、かつては、送りの日には、お供えはそのままこの葉に包んで、前の川に流した。ということだ。なので、この芭蕉の木を見るたびに、これはその昔、この地域に仏教やお盆の風習と共にやってきたものだろうか、そのとき、ほかにも何かもたらされたのではないだろうかと妄想するが、いまのところ何も手掛かりがない。

051最初のバスの位置より、少し上手の山側に墓所がある。どこの家も、墓所は、敷地内か所有する地所にある。だから、いたるところに、墓所や祠があるのだ。全体が「古墳」のようなものだ。先祖に囲まれて(守られて)生きているという感覚は、そういうところからも生まれるのだろう。すでに、この墓所にしてそうだが、墓石の数は、生きて住んでいる家族の数より多い。

下の写真は、お盆に限らず見られる風景だ。常食であるそばやうどんを打って茹でたあと、食べやすい束にして盛るザルが、日中このように乾される。滞在中、米のめしとみそ汁とおかずが出ることは、珍しい。うどん、そば、今回もあったが、ツツッコという一種の雑穀料理がふつうだが、酒を呑み続けの身体には、これがよいのだな。

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2010/08/17

気になる秩父。近代、現代、コンニチ。

お盆の地へ行くには、秩父鉄道秩父駅からバスに40分弱乗り小鹿野町へ、そこでまたバスに乗換え40分ぐらいという行程だ。小鹿野町へ行くバスまで約30分あったので、近くを散歩した。このあたりから、秩父鉄道御花畑駅周辺までが、このまちの核心部分で、レトロ趣味のひとたちがよろこびそうな建物が多い。いまそれらを観光資源とした「まちづくり」が進行しているようだった。

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秩父駅から、秩父神社の裏の通りをぬけると、広い通りに出る。大きな旧い建物が、いくつか並ぶ。この建物は、もとは商人宿だった。秩父鉄道が開通するより以前の、明治の始めのころに建った。比較的新しく、「秩父路」という土産物屋兼喫茶休憩所(生ビールもある)にリニューアルされた。

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秩父路の一軒おいて左隣にある、松竹秩父国際劇場は、数年前にも一度撮影している。そのときは1階部分に隣接する石材店の看板があって、倉庫になっていた。インターネットなどで調べたところによれば、明治33年の建物で当時は「秩父座」、昭和25年に前面をこのように改装し「松竹秩父国際劇場」となった。かなりの奥行きがあり、木造構造物としても優れものらしいが、いまはどう使われているのかわからない。

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この写真を撮影しているおれの背後には、前のエントリーに書いた記紀の記述に関係する、秩父神社がある。この神社を中心に秩父が栄えてきたことを語るかのように、秩父神社の門前通りには、かつてのモダニズムを感じさせる建物がいくつかある。ザ大衆食のサイトにのせた「パリー食堂」も、その一つ。…クリック地獄

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2010/08/16

気になる秩父鉄道。近代、現代、コンニチ。

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おれは、神も仏も信じちゃいないし不信心不道徳このうえない人間だが、無神論や不信心不道徳を気どることを、かっこいいともエッヂが立っている生き方とも思っていない。そもそも、エッヂが立っているなんて、かっこいいものでもなく、かっこつけの、うすっぺらな脳みそが表出しているように思う。

なにはともあれ、信仰や神様仏様と人びとをめぐるさまざまは、文字以前から始っているのであり、人間が創りだしたもっとも古い物語であり、なかなか興味深いものがある。その現場に接すると、ときには、歴史というのは、ほんとうに、「古代」「中世」「近代」といったふうに、誰かが考え出し、そして学校で教わったり本から知ったような「言葉」の流れであるのか、疑問になることが多く、おもしろい。そんなわけで、「お盆」など、けっこう好きなのだ。

14日、この世の義理とあの世の義理を重ね合わせたようなお盆の義理をなすべく、東大宮をたち、大宮で高崎線、熊谷で秩父鉄道に乗換え秩父駅に着いた。反対のホームに、ちょうど、蒸気機関車が進入して停車したところだった。

おれが小学生ぐらいまでは、蒸気機関車は日常の風景だった。修学旅行も蒸気機関車だった。やがて上越線は電化され、とくに大人はよろこんだ。おれは、電化も蒸気機関車も、あまり関心はなかった。電気機関車になって、窓を開けて乗っていても、石炭の粉塵が眼に入る心配がなくなったことだけは、うれしかったように思う。

SL趣味もなければ、SLに郷愁を感じる昭和趣味もない。だけど、蒸気機関車を見ると、つい写真を撮りたくなるのは、なんだかこの図体に愛嬌を感じるのだ。この写真、じつは、おれの背後には、蒸気機関車のゼンボウを撮るべくたくさんの大人や子どもがいる。おれはその人たちのなかに入らず、機関車のそばに近づいて撮影した。きっと、彼らはおれのことを邪魔に思っているにちがいないから、素早く1枚だけ撮って移動した。

そういうことは、どうでもよいのである。モンダイは、秩父鉄道なのだ。秩父鉄道は、かなり個性的だと思う。その沿線の食文化も含めて、特徴がある。

関東地図を広げると、鉄道網は東京の山の手線を中心に、放射状に広がっている。「網」とはいえないほど、ほとんどの鉄路は、東京都心に集中するツリー型のシステムである。そして、その放射線をつなぐように、わずかに1本、東京都心を中心点とする環状の武蔵野線がある。これは、いわば、山の手線の外環である。もとは貨物線で、沿線の人口増加にともない客も運ぶようになった。近年では、東京駅にまでつながり、環状ではあるが、他の東京都心に集中する鉄路と、たいして変らない。武蔵野線独自の文化は存在しない。

秩父鉄道は、関東北部・埼玉県北部にあって、東西に走る鉄路として、きわめて特異な存在だ。つまり、熊谷で東京都心に集中する高崎線と交叉し、東の端は羽生駅で、西の端は三峰口駅。

あまりあてにならないウィキペディアによると、1901年(明治34年) 熊谷 - 寄居間が開業。1921年(大正10年) 羽生 - 行田(現行田市)間が開業。1922年(大正11年) 熊谷 - 行田間が開業。1930年(昭和5年)羽生 - 三峰口間、全線開通となる。他の幹線鉄路と比べても、旧さにおいてはそん色ない。

秩父というと、近頃は、あとからしゃりしゃり出てきて、東京都心に集中する西武線の西武秩父駅のほうがにぎわっているようだが、秩父の方から見たら、あんなものは東京の成り上がり新参者にすぎない。

秩父鉄道の気になるところを、あげてみよう。

この沿線には、粉食の文化が根強い。もちろん、うどん、そば。おやき、おきりこというはっとのようなもの。「行田のフライ」は有名になったが、「たらし焼き」など、似たものがいろいろある。ほかにも、だご汁、魚を使わない冷汁など…。

とくに古墳時代、ヤマト朝廷成立期に、有力な豪族がいた。東の行田には、丸墓山古墳や二子山古墳などで知られる、さきたま古墳群ある。一方、西の秩父は、古事記だったか日本書紀だったか、その両方だったか、景行天皇の記述に登場する有力者がいた。記紀の記述では、景行天皇は140年ぐらい生き、在位60年ぐらいだから、一人の人物ではないだろうとか、いろいろ疑問の点が多い。ともあれ、実在したかどうかわからない景行天皇の時代の記述には、日本料理史に関わる重要な記述が、2つばかりあって、そのうちの一つが、東国の12人の有力者たちが景行天皇に、食物を貢ぎ、同時にその料理人も献じたというものだ。そこに秩父の有力者が含まれている。

その部分の記述を、いま探し出すとなると資料をひっくりかえさなくてはならないからメンドウ、記憶で書くが、食物を貢ぎ、同時にその料理人も献じたというのは、服従を意味している。「料理人」と、いまの言葉で書いているが、当時は「膳夫(かしわで)」だったか、地方の有力者の子どもであり、ま、人質であるという解釈も成り立つ。

ともあれ、行田の古墳群の実態とあわせて考えると、この景行天皇の記述は、行田に有力者がいたころとおなじころと考えた方が合理的なのだ。あまりあてにならないウィキペディアにも、景行天皇の「実在を仮定すれば、その年代は4世紀前半かと考えられている」とある。

とうぜん、秩父と行田の有力者のあいだには、交易か敵対か、なにかしらの関係はあったであろう。そのように、埼玉北部の東西を結ぶ、秩父鉄道の鉄道以前は、かなり歴史が古い。そして、江戸から明治、この地域には、産業が勃興する。これが、直接的には、早くから鉄道を開く「力」となる。なるほど、蒸気機関車は「文明開化」によって「外」からもたらされたが、その普及は地域によって大きなばらつきがある。鉄道以前からの「場所の力」がものをいっているのだ。

鉄道以前といえば、道路も気になる。現在の道路、秩父と熊谷を結ぶのは国道40号線、そして、熊谷から東へ行田、加須を通ってのびる国道125号は、千葉県香取につながっているのだ。このように東西をつなぐ国道は珍しい。おなじ埼玉、おなじ関東でも、このあたりは、東京都心を同心円とする文化の圏外といえるようだ。

そのあたりに、秩父鉄道沿線独特の文化や食文化が関係ありはしないか、前から気になっている。

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2010/08/14

いろいろ、あります。

世間は夏休みのピーク。たしか、きょねんも一昨年も、お盆のころは忙しく、ゆっくり休めなかった。ことしは、ヒマ。開店休業状態で、ヒマ。フリーにとってヒマは、あとの金銭難を意味する。来る秋は、酒を呑むカネもなくなるし、東京さ行くカネもなくなるだろう。そういうわけで、みなさんとは、会うこともなくなるでしょう。ああ、よかった。

そうそう、それで、貧すればアイデア湧くで、新商売を思いついた。
「インポで安全なわたくしが、貴女のよきパートナーとなるひととき」
梅コース、5千から。
竹コース、1万円から。
松コース、3万円から。
どこへでも参ります。宿泊旅行コース、人生相談コース、大衆食堂コース、究極のインポ治療ごっこコースなど、いろいろ、あります。各種コースの相談も受けたまわります。交通費、飲食代など諸実費は、お客様にご負担いただきます。

いろいろ、案内をいただいている。

まず、これは、16日の月曜日までだ。うーん、都合悪くていけない。残念だなあ、吉川知江さんや小迫愛子さんが出展するから、ぜひ見たかったのに、残念。谷中の工房・ギャラリー「やぶさいそうすけ」の、「夏のモビール展」。都合のつく方は、ぜひご覧になってください。28日には、上々颱風のボーカル、西川郷子さんのソロライブがある。あの独特の声、ライブで聴いてみたいねえ。いずれも、詳細は、こちら。
http://yabusai.net/

明日15日の日曜日は、経堂のさばの湯で、先週の日曜日に続き、「ギョニソナイト」がある。おれは都合が悪くてトークはないのだけど、村上航さんの朗読、それからギョニソのつかみどりなど、楽しいナイトが用意されている。ギョニソ、よろしく。

その村上航さんも出演する、表現・さわやかの舞台。もちろん、作・演出は池田鉄洋さんで、「アラン!ドロン!」。これは、ゼッタイ行きたいと思っていたら、うふふふ、招待券をいただいてしまった。ありがとうございます。必ず行く。フライヤーを見たら、「表現・さわやか」の肩書に「苦笑系コントユニット」とあるのに気がついた。みなさんも、必ず行き、苦笑しましょう。
東京公演、9月1日~14日、下北沢 駅前劇場。
大阪公演、9月18日~21日、HEP HALL。
北九州公演もあるよ、9月25日26日、北九州芸術劇場。
村上さん、北九州へ行ったら「角打ち」やってきてください。
そうそう、今月は、北九州角打ち文化研究会東京支部の暑気払い飲み会があるのだった。この日時場所は、公開できない。

埼玉県秩父市在住の画家、浜田賢治さんは、ここのところ精力的に個展をやっているが、この秋も、連打。
9月12日~21日、ここ東大宮に近い、アートギャラリーこはくで、「浜田賢治展」。
9月3日~14日、浦和の「アートプレイス」で、毎年恒例の「浜田賢治展 何処から・・・何処へ」。
10月8日~12日、おなじ「アートプレイス」で、画廊企画による「第1回 序章として“触し観ずる”骨董展」。浜田さんは、秩父の骨董屋さんでもあるのだ。

最後に、2010/08/01「8月だあ。8月になったぞー。」に紹介した、吉祥寺のパルコ地下2階の書店LIBROにて、好評開催中のフェア「すみれ洋裁店のKichijyoji camp」お見逃しなきよう。すみれさんのブログを見たら、「吉祥寺を見てさらに下諏訪まで来て下さったお客さま」がいたそうだ。
http://sumire-yousaiten.blogspot.com/
おれは来週中に行けるかな。

ま、とりあえず、こんなところで。きょうはお盆休みなので、告知だけでオシマイ。

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2010/08/13

ギョニソ(魚肉ソーセージ)のコンニチ性と「価値創造」。

ちかごろ、贈呈されたり必要があったりで、カタイ本や雑誌を読む機会が多い。なかなか刺激的な内容に刺激されて、ブログのタイトルも、カタイのである。

先日のギョニソ・トークについて、お褒めをいただいたメールに、「過去の社会的使命は終わり昭和の臭いを残す古臭い食品になってきていますが、スポットライトの当て方によってはまた新たな存在価値が生まれるのではないかと日々考えています。」とあった。

とくに90年代中ごろからの「昭和ノスタルジー・ブーム」は、昭和のモノやコトを古臭いものとして過去に追いやりながら、昭和を懐かしがり消費し、一方で新奇なものに飛びついてきた。

「価値創造」は、そうした動きの中で、近年よく聞かれるようになった。たとえば、「これからの成長は「拡大」ではなく「価値創造」と「永続性」です。」といったふうである。たいがい、コンサルタントやプロデューサーやデザイナー、プランナーといった人たちの、「評論家」的なはったり言葉遊びのようなものが多い。

とはいえ、いろいろな実践もあるのは確かだ。「これからの成長は「拡大」ではなく「価値創造」と「永続性」です。」という表現についていえば、「これからの成長は」という言い方は、どうかな、「成長」ではなく「これから生き抜くには」ではないだろうか、「成長」に価値をみていては「価値創造」など、とても無理だろうと思ったりするのだが、「価値創造」と「永続性」については、いろいろな実践が生まれているのも事実である。ちょうど1年前ぐらいに取材した、「日本で最も美しい村」連合なども、その一つだろうし、「就農」という動きも、そのようにみることができる。

「価値創造」には、新しいモノやコトの開発にカネを投じるというやりかたのほかに、建築方面などで盛んである「リノベーション」や「リニューアル」がある。

新しいモノの開発は、どこも財源不足で困難になっている。そこで、カネがかかるモノや新規の開発は押さえ、カネがかからないハズの「アートでまちづくり」や「B級グルメでまちづくり」が盛んになっているという事情もある。そこには、あいかわらず、「成長」「拡大」を夢見ている傾向もあって、玉石混交なのだが。

それはともかく、リノベーションやリニューアルには、対象に永続性や継続性を発見し生かすという作業がつきまとう。「新しさ」「古さ」に価値の基準があるのではなく、永続性や継続性に価値を発見し、手を加える創造といえるか。

『みんなの大衆めし』も、古臭い貧乏臭いとみられていた、大衆食堂のめしや惣菜屋の惣菜に、「古い」か「新しい」かではなく、「あったかい。くつろぐ。力がわく。飽きがこない」といった永続性ないし継続性に価値を見出し、瀬尾幸子さんなりの料理の仕方で新しくとらえなおしたもので、これは一つのリニューアルといえる。これまでの「家庭」をこえるような表面上の目新しさはない。だけど、リニューアルされている。その象徴を、「紅しょうがと魚肉ソーセージの天ぷら」に見出すことができる。

もともと、魚肉ソーセージが盛んに食べられていた1970年以前だって、メーカーの宣伝以外に、料理の先生方の出版物で、ギョニソやサケ缶などの加工食品が料理の素材になることはなかった。

食品や料理についていうと、大きな問題が一つある。それは優劣観にしばられ、「うまいものはうまい」とする考えが、まだ未熟であることだ。とりわけ、生モノ信仰や生モノ信仰に連動する産地信仰は根強い。

その背景は、『汁かけめし快食學』などに何度も書いているが、日本に特殊な「日本料理」の構造であり、そこにある価値観だ。プロの「日本料理」が上であり権威で、「家庭料理」はシロウト料理で劣っていて下という価値観。

その価値観の奇妙奇天烈を、江原恵さんは、1974年の『庖丁文化論』で指摘している。「料亭の板前が、大衆食堂の丼物やうどんそばの類を指して、『あんなものは料理のうちに入らないよ』と、よく言ったりするのは、そういう価値観を端的に裏付ける言葉である」「大衆食堂の料理人が研鑽の末、飯の炊き方をも含めて独特の味を出すまでに熟達していても、自分と同列の料理人とは認めない。そしてふしぎなことに、世間もそれを是認しているのだ」

生モノ信仰や産地信仰は、料亭の板前の価値観がもたらしたものだが、この構造の奇妙奇天烈は、「ふしぎなことに、世間もそれを是認しているのだ」ということにある。

自分たちが日々食べているものに誇りが持てないどころか、こんなもの「料理」じゃないと卑下するのである。ギョニソなど使った料理は料理じゃないというコンプレックスが存在した。

こういう価値観と構造のなかで、うまいマズイが語られ、大衆食といわれた、カレーライス、ラーメン、そば、うどんなどは、近年、しだいに「普通」であることからはずれ、スペシャリティを競い大衆食から脱落していったものが多い。まだまだ「普通」を楽しめないコンプレックスな味覚の大衆は少なからずいる。

が、しかし、瀬尾さんの料理本もそうであるし、このあいだの経堂さばの湯の「ギョニソナイト」でも感じたことだが、そのように世間に広く存在したコンプレックスは、根強いには根強いが、とくに若い層を中心になくなりつつあるようだ。

前にも書いたように、ギョニソを素直にみれば、安く、そのままでも料理素材としても使い勝手のよい、よい食品なのだ。原材料や生産販売コスト、さまざまな面からみても、継続性の強い食品なのだ。そこは、もっと普通に評価されてよいはずだ。

ブログ検索をしたら、浜田信郎さんの居酒屋礼讃の比較的新しいエントリに、「〔この一品〕 渋谷「とりすみ」の魚肉ソーセージエッグ」というのがあった…クリック地獄

ザ大衆食のサイトの「したたかな魚肉ソーセージ」にもリンクいただいているが、居酒屋の人気メニューにもなり、愛されている状態は、これからの「価値創造」の希望だと思う。

「新しさ」「古さ」ではなく、現在の永続性や継続性を評価する。身近なところに価値を発見し育てる。これからの「価値創造」に欠かせないだろう。

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2010/08/11

「創造的ビジネス」という、どんずまりか、それとも。

「産業が変り、都市で主流となったサービス業や創造的ビジネスは、、、、、」といったぐあいに、「創造的ビジネス」ということばが使われる。「サービス業」と区別されていることに注目。だが、その実態は、「都市で主流」になっているらしいにも関わらず、わかりにくい。

ここから想像つくビジネスというと、ちかごろはやりの「アート」がらみである。兼業も含めて、ギャラリーが増えた、ライブハウスも増えている印象である。都心には、美術館なども増えているようだ。そこは、アーチストやクリエイターと呼ばれる人たちの舞台。そうそう、「アートでまちづくり」ってのも、創造的ビジネスな人たちにとっては稼ぎ場所になるのだろう。

おれのようなフリーライターは、単なる「サービス業」だろう。在来のオールド・メディアにすがりついて、サービスを提供する。

と、あれこれ考えてみるのだが、大きな疑問が2つ残る。

ひとつは、いったい、その「アート」なり「創造的ビジネス」なりに、誰がカネを出しているのか。

そもそもだよ、アートにカネを出すのはカネ持ちなのだ。カネを出すスポンサーがいて、アートは成り立ってきた。そういう意味では、バブルのころに「芸術」が流行ったのもうなずける。だけど、いまは不況、日本経済は「底がぬけた」といわれる状態だ。ビールより発泡酒、発泡酒より第三のビールと、大衆は価格に敏感に反応している時代だ。ま、少なくない税金が、ばら撒かれていて、それが全部オカシイということではないが…。

もうひとつ。では、「創造的ビジネス」には、どんな未来があるのだろうか。

かつて、あちこちに芸術文化のための芸術的な建物やスポーツのための芸術的な建物をつくらせた連中の大風呂敷を、おれは思い出す。

ちかごろ考えるのは、このことなのだ。一次産業もダメにしてきた、二次産業もダメにしてきた、三次産業もダメにしてきた、その屍は、とくに地方へ行けばゴロゴロ転がっている。それでたどりついたのが、「創造的ビジネス」だとしたら……。

ま、とりあえず、このことだけはいえる。大きな話しや、大風呂敷は、どんなにアートな人たちがいうことでも、疑ってかかる必要がある。だけど、みな、大きな話しや大風呂敷に弱すぎ。

アートだろうが、なんだっていいが、自分の眼が届く自分の手のひらにのることから育てたい。おれは、そう思っている。「創造的」とは、そういうことではないのか。「一流」だの「日本一」「世界一」だのではなく、まちの大衆食堂のようにやることだろう。

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2010/08/10

全日本オヤジ選手権とギョニソ(魚肉ソーセージ)。

001すでに書いたように、大笑い発売・レンタル中のDVD「全日本オヤジ選手権」の冒頭に、蛭子能収さんとおれが、ギョニソのメーカーを当てっこするシーンがある。これは、勝俣州和さん、時東ぁみさん、よゐこの有野晋哉さんと濱口優さんが、まちを歩きながら全日本オヤジ選手権に出場するにふさわしいオヤジを探し集めるという設定のシーンだ。

DVDからキャプチャできないから画面を撮影したもので紹介しよう。買って見てちょうだい、レンタルもやっているよ。

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とあるところで(撮影場所は浅草の商店街だが)朝から酒を呑んでいるオヤジ2人。蛭子さんとおれで、実際は、蛭子さんは酒が一滴も呑めないで、おれだけホッピーをガンガン呑んでいたのだが。そこに、勝俣さん一行が来る。
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ちょうど、店に注文したギョニソ野菜炒めが、できあがって出てきた。そこで、おれたちはギョニソ育ちだから、食べればどこのメーカーのものかすぐわかると見栄を切り、では、ということでメーカーの当てっこになる。下の画像。出てきたギョニソ野菜炒めは、この店のレギュラーメニューなのか、特別に頼んで作ってもらったのか知らないが、うまかった。ギョニソ野菜炒め、居酒屋メニューとしても、なかなかいけますよ。
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用意されたギョニソは4本、つまり4社のメーカーのものだ。
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中の1本は、見ただけで、わかった。食べないでもわかるといい、そこを指差して説明しているが、このメーカーだけは、金属の環をつかっていない(左から2本目)。
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トウゼン、正解。
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残り3本は、味見をする。
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マルハは、すぐわかる。ケーシングをむいたあとの、ギョニソの肌からしてちがう。簡単に正解をとる。
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残り2本。ビニョーに太さと長さがちがう、そのカタチにまどわされて、まちがえてしまった。
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そういうわけで、どういうわけか、全日本オヤジ選手権に挑むことになる。競う種目は、ダジャレ風呂、自慢話対決、メタボ腹筋対決、足クサ大王対決、オヤジダンス対決、ビンビン口説き対決、絶品グルメ対決の7種。

最初のダジャレ風呂、なぜかおれの股間だけ「自粛」マークがついている。おれんのだけ写っていたのだろうか、そんなにおれのモノって大きいのだろうか。試してみたいかた、メールください(男子お断り)。
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アシスタントの女子は、はるか悠さんと柳田やよいさん。これが、腹筋の強さがものをいう、メタボ腹筋対決。こうすれば、男はみんな腹筋が強くなり、メタボ腹が減るかも知れない。メタボたち、妻や愛人にお願いしてみよう。おれは、紳士的に、柳田さんのオッパイにはさまれたマシュマロを口にくわえとったあとは、フツウに腹筋しただけで、でも柳田さんの乳首まで、腹筋の回数分(30回以上)ながめられたわけで。
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さあ、この画像は、なんの種目か。この2人の、あやしくもよい雰囲気。ついに、はるか悠さんは、ほんものの涙を流したのだった。
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こうして、おれは、7種目のうち2種目で勝ちをとった(しかも、この2種目だけ、なぜだかなんでか、軽いエロな刺激のあるものだった)のだが。はたして、グランプリは?
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とにかく、バカバカ爆笑おもしろいから見てちょうだい。ギョニソで酒を呑みながら見るとよいかも。一緒に「鑑賞会」をやりたい方は連絡ください。

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2010/08/09

経堂さばの湯ギョニソナイト。泥酔トークと村上朗読の炸裂。

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で、きのうのギョニソナイト、経堂について、まずは太田尻家に届けたいものがあって、19時の開店と同時ぐらいに入る。渡すものをわたし、のどが渇いていたので、ただちに生ビール!うまい!もう一杯! これからトークがあるし、今回はスポンサーさんも来るから、あまり酔わないでやろうとおもっていたのに、一気に2杯も飲んでしまった。19時半近くになったので、あわてて太田尻家を出て、急ぎ足でさばの湯へ。歩いているうちに酔いがまわる。

さばの湯についたら、もう入口のところから一杯の熱気。今年になってから、下北沢スロコメでの泥酔論をやってないから、ひさしぶりのひとがいる。更紗さんにとみきちさんカップル、そして、最年少の学生カップルの男子のほうはあとで聞いたら20歳になったとか、堂々と酒を飲めるようになって、めでたし。まいどの野暮連からは、このあいだ下北のサウナに一緒に泊まったシノとタノあんどひさしぶりの愛人8号…といったところが顔なじみ。ほかにたくさんの初めての方。

マルハニチロ食品のタナカさんがあらわれ挨拶されたが、チョイと某所の女子に似た感じだったので間違えてトンチンカンな挨拶を返す。タナカさんに、ギョニソを担当する男子の方2人を紹介される。あとから課長さんまで来られて挨拶。おれが担当していたころのひとは、もう年齢的にも退社しているのだけど、一人だけ当時の担当の課長でのち部長になったひとの名前を言ったら通じた。その課長は、かなりクセのあるひとだったから、「個性的」ということで、いいのか悪いのか評判だったようだ。が、この課長のおかげで、おれは怒られながらも、いろいろ好きなようにやらせてもらい、チョイとできない体験もさせてもらった。とにかく話しているうちに当時の忘れていたことをいくらか思い出し、懐かしい気分になる。

タナカさんが持参のギョニソのマニュアルを見せてもらいながら、あれこれ話す。魚肉ソーセージは、下関の工場のほかに、宇都宮にも工場があって、こちらの方が新しく、見学コースも整っているとか。ぜひ見に行きたい。内部の写真を見ると、とうぜんだけど、おれが下関の工場を見たときとはラインの設備がかなりちがっている。

てなことのうちにホッピーをガブガブ水を飲むように飲む。ああ酔いよいのうちに、まずはDVD「全日本オヤジ選手権」の冒頭の、蛭子能収さんとおれがギョニソのメーカーの当てっこをするシーンを見てもらう。何度見ても、おもしろい。

須田さんの挨拶があってトークに入る。イチオウ話の筋書きは考えていたのだが、もう酔ってどうでもいい気分、けっきょく泥酔論のように、だけど泥酔論よりスライドを用意してないぶん話がアチコチにとび、酔いにまかせて、いろんなことをしゃべって、話が途切れたところでオシマイにする。

村上航さんの朗読は、もう朗読をこえて、なにしろ厨房のなかを走ったりしながら、一人芝居のような熱演だった。最初は、瀬尾幸子さんの『せおつまみ』から御名御璽風に、つぎ、なんとまあ、マルハのギョニソのチラシである、そして最後に『みんなの大衆めし』から。いやあ、爆笑爆笑でした。

終わって懇親。うーん、もうとにかく酔ってましたからねえ。野暮連のクマさんにそっくりのひとがいたのには、おどろいた。このひとが、なんだかギョニソに詳しい。あー、北九州出身のひともいた。うろうろいろいろなひとと話したけど、たくさんいたから、挨拶もできないままおわった方もいる。またの機会に。

マルハのタナカさんは、どっさりもってきたギョニソをくばっていて、なんだかつかみ取りゲームみたいな状態だった。タナカさんたちは、いつ帰られたか、あるいはおれのほうが先に帰ったのか、覚えがない。

カウンターに座って村上さんと話しているうちに、投げ銭の分け前でサウナに泊まるぶんぐらいは須田さんにもらったから、また下北のサウナに泊まる気分になりかけていたが、村上さんが携帯で最終を調べてくれ、「エンテツさん時間」といって便所に立ったところで、話が途切れたのがよかった。じゃあ帰るかと、終電で泥酔帰宅。

とにかく、楽しくおもしろく、そして懐かしさも加わったギョニソナイトだった。
いやあ、ギョニソは安くてよい大衆食です。あれは、魚のすり身をつかった、かまぼこの仲間だからね、値段の安さや昔のビンボーなイメージにまどわされず、ちゃんと食べれば、よい食品なんですよ。こういうありふれたよい食品を、料理して使いこなしてこそ「文化」というものでしょう。

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2010/08/07

経堂さばの湯「ギョニソ(魚肉ソーセージ)ナイト」の前に。

001すでに告知したとおり、明日は経堂さばの湯「ギョニソ(魚肉ソーセージ)ナイト」。おれはゲスト参加でギョニソ・トーク。猫のホテルの村上航さんは朗読をする。

村上さんの朗読は、『みんなの大衆めし』の人気レシピ「紅しょうがと魚肉ソーセージの天ぷら」や、以前にスロコメでも朗読した、やはり瀬尾幸子さんの『おつまみ横丁』から「魚肉ソーセージ焼いただけ」などを用意している。

ところで、この「ギョニソナイト」は、9月のひと月間、経堂を舞台にしておこなわれるギョニソ・フェスタのプレイベントという位置づけで、協賛スポンサーがマルハニチロなのだ。

で、そのマルハニチロさんから宅急便が届き、ドドーンと、いろいろな製品をいただいてしまった。マルハニチロ、その前のマルハ、かつての大洋漁業は、何度か書いているし、2010/07/30「8月8日(日)、ギョニソナイト。ゲストで参加、村上航さんの朗読も。」にも書いたように、おれが28歳のとき企画会社に転職して最初に担当した会社だ。その会社には、たしか、1971年9月1日に初めて出社したのだとおもうが、その日から、東京丸の内の新丸ビルにあったマーケティング部に、ほぼ毎日のように通った。マーケティング部は、その後、製品事業本部ができたときに、その販促課に改編のち販促部。

当時の大洋漁業は、クジラや鮮魚主体の水産会社から「総合食品メーカー」「総合食品商社」へ急ピッチの展開をしているところで、加工製品の開発が活発であり、おれはそのほとんどに関わった。各地にある工場や生産基地も訪ねたが、一番最初に行ったのが、下関にあった、いまもある、魚肉ソーセージの工場だった。あのときは、そのあと、長崎ののり工場と、長崎、佐賀、熊本、福岡のスーパーなど大洋漁業の取引先などのヒアリングもした。

ざっと、新商品や新市場の開発で関わった製品をあげると、冷凍エビ、冷凍エビフライ、冷凍コロッケ、エビ缶詰、レトルトごはんシリーズ、ユーフーとドクターペッパーのドリンク類、など。これに、のり、砂糖、缶詰、魚肉ソーセージなどの在来品分野。

当時は、「チクロ問題」をきっかけに、添加物や防腐剤などが大幅に見直され、製造方法が転換する時代だった。ギョニソも、製造方法が大幅に変った。コールドチェーンの普及も、製造や流通システムの変革を加速させた。冷凍技術の発達などは、見えない部分で変化をもたらし、生産加工流通は、大きく変る最中だった。

いただいた製品に混ざって、通販のカタログが入っていた。大手食品会社が、冷凍鮮魚を直接通販するなんて、当時はまだ想像できなかったが、その端緒は始っていたのだな。

ともあれ、「大衆食」というと、地場産業と密着したローカルな食品が中心だったのだが、一方にはナショナル展開のメーカーの食品が欠かせない「日常」が、このころ成立した。ギョニソは、その最も早い先駆けといえるだろう。ついでにいえば、鯨の大和煮缶詰などがある。つまり、おれの体験から言っても、戦後の最も早い時期に、この缶詰やギョニソによって、遠く離れたところ東京あたりにあるらしい全国展開の食品メーカーを認識した。しょうゆも味噌も、もっとローカルなものだった。

ま、こういうことを書いていると、いくらでも書けちゃうからやめよう。そのように、いろいろなことが思い起こされるいただきものなのだ。

ってことで、明日は、大いに楽しくやりましょう。19時ごろからボチボチ始まり、トークは20時ごろのスタートになります。ちょうどさきほど、貸してあったDVD「全日本オヤジ選手権」がもどってきた。この冒頭は、おれと蛭子能収さんが、ギョニソの話しをしギョニソを食べてメーカー名の当てっこをするシーンから始るので、これも持参します。

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2010/08/06

学生さんへひと言。

0042010/07/27
26日、「女子美に集まって、四月と十月の話しをします」。のとき、集中講義に出席の学生に、簡単な「出席者の栞」が配られた。四月と十月の参加者の顔写真、メッセージ、プロフィールをまとめたものだ。

さきほど机周辺の資料のなかをかきまわして探しものをしていたら、それが出てきた。あらためて見ると、みなさん、なかなかよいことを書いている。さすがですねえ。が、ここに無断で載せるわけにはいかないだろうなあ。おれの文だけ、どんなことを書いたかというと、こんなぐあいだ。


この世のことは、わずかな上辺をのぞいて、ほんとんどわからない。未来も、幸せも、何がカネになるかも、わからない。理解フノー。だから、わからないことに興味を持ち、好きなことをやり、ナニゴトも目の前のことを力一杯やり、思索を深める。そのうち、なんとかなる。なんとかならないうちに終わっても悔いは残らない。ようするに、何をやりたいかだろう。


いま読むと、最後の「ようするに、何をやりたいかだろう。」は、いらないような気がする。それに、学生を意識したから「好きなことをやり」と書いたが、これもいらなかったかも知れない。

写真も一枚といわれ、アワテテさがしたが、どれもこれもひどい酩酊状態なものばかり、なかでも比較的フツウかとおもって、東大宮のコタツという居酒屋で、サキさんが撮ってくれたものを送った。サキさん、無断使用ですみません。「エンテツ」と書いてボトルキープしたキンミヤ焼酎と写っている。比較的フツウとおもって送ったが、ほかの方の写真とならぶと、やはりフツウではなかった。

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2010/08/05

フケ義夏原作「夏のおもひで」。

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かあさん、ボクのむぎわら帽子は、どこへいったんですか。ほら、あのおいしそうなむぎわら帽子ですよ。
ああ、あんなものは、あんたのおとうさんが、ゴンゾレラフェットチーネフトメンツケメンターレにしてくってしまったよ。
ボ、ボクのおとうさんて、かあさんの愛人のことですか。
ああ、そうだよ、だけど、おまえ、どの愛人かわかるのかえ。ほら、行列ができるラーメン屋に並んで食べることを生きがいにしているロクデナシのことだよ。
あれっ、それでは、最近よく店に来る愛人とちがいますね。あのひとは、ほんものの酒を知る人間は、ほんものの芸術を知る、ほんものの芸術を知る人間は、ほんものの酒を知る、なんて、ボクでもわかるウソを言っているじゃないですか。
ああ、あいつかい、安心しな、あれはあんたのおとうさんじゃないよ。芸術家ともてる男と善人を気取るインチキヤロウさ。
でも、かあさんの愛人でしょ。
あいつはね、おだてておけばよいだけだから、めんどうがないの。チョイと惚れたふりして、おだてれば、客とカネをひきつれて来てくれるの。自惚れと自慢のかたまりだからね。よい人も、よい酒も、よい芸術もわかっちゃいないのさ。
それじゃ、ぼくのむぎわら帽子のおいしさなんてわかりませんね。ねえかあさん、ボクに新しいむぎわら帽子を買ってくださいよ。スソアキコさんがつくったむぎわら帽子が、おいしそうでいいなあ。

2人の頭上には、東大宮の夏の空が広がっていた。それは、関東平野の夏の空だった。

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2010/08/04

太宰治の「食通」。

004ま、「作家」の肩書がつかなくても、文章が書ければ、たいがいのひとが「食」について書く。だから、太宰治が書いていたとしてもおどろくことはないが、タイトルが「食通」となれば、アイツが何を書いているのかと興味がわく。

短い文章で、以下のようなアンバイだ。《》はルビ。

 食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいうのだと真面目《まじめ》な顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。
 安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。
 いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老《えび》の鬼がら焼きを、箸《はし》で器用に剥《む》いて、おかみに褒《ほ》められ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。

青空文庫にあった。…クリック地獄

底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
初出:「博浪沙」
   1942(昭和17)年1月5日発行

「食通」という言葉自体が、文学者のあいだでも、テキトウだったとわかる。安くておいしいものをたくさん食べる、これが食通の奥義なら、たしかに、文句はない。えらそうな能書きたれまくるコンニチ的グルメや食通より、健康な精神を感じる。つまり、ここには、飲食のことで、知識や情報の優劣を競うような「不健全」は見られない。「当たり前」を誇る精神がある。

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セークスピア原作「真夏の夜の屁」。

セックスしたい、と銀杏してみたところで、相手がいなきゃ屁をするしかない。それならば草枕といくか。草枕、妄想の旅に出る。地に働けば畑ができるのに、山に登ればツアー客が死んでいる、沢を行けばマスコミも死ぬ、マスコミ死んでも事件にならない。とかくこの世はマスコミのまま。マスコミにサオをさせば流される。サオはマスコミにさすものじゃない、好きな女につかうものだ。坂道をのぼるのはツライから転がり落ちながら考えた。私は病気だ、肝臓が悪い、と地下室ですごすのも陰湿なメロディ。そもそも肝臓は悪くないし地下生活者でもない。しかし、地下生活者にはなれそうだが、地価生活者にはなれそうにない。ならば、そうだ、めしをつくろう。「みんなの大衆めし」があるじゃないか。米びつをさがしたが米びつがない。「ライスボックス」というのだよ。なんだかカビがはえそうな名前だ。足の指に生えるカビは水虫、股にできるのはインキン。インキンかゆい。高校生のときだった、カビくさい部室で股をひろげインキンにキンカンぬり、頭のなかが真っ赤に燃えるような痛さにもだえながら考えた、女はインキンになるのか、と。とかくこの世はカビだらけ。ならばカビで絵を描こう。そこで私は一人の女とおぼしき後姿をみる。うすい透けて見えそうな浴衣を着ている。あれは砂町銀座のお水ファッションの店で買った、563円のペラペラなワンピース浴衣にちがいない。ボディラインからフェロモンむんむん。そうだこいつとやればよいじゃないか。やはり旅に出てみるものだ。おっとあぶない、前にまわってみたら、浴衣の前がはだけ、全身カビだらけだった。おどろいて起き上がり、屁を放ったら、夢だと気がついた。

今野雄二、自殺の訃報。いまの日本、まっとうな大人なら自殺を考えるだろう。そして、意志の強い大人だけが、ほんとうに自殺する。

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2010/08/03

B級グルメに、どんな未来があるのだろう。

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浅草寺境内。

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2010/08/02

偏屈で不器用で非効率。

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おれは、牧野伊三夫編集長の美術系同人誌『四月と十月』に、「理解フノー」というタイトルで連載をしている。この雑誌、同人参加のみなさんが、自分の美術作品(必ずしも完成品とかぎらない)と文章を載せている。みな、美術系の専門家であり、ふだんは文章を書く「専門家」ではないのだが、いつも、とてもよい文章が載る。

ほかに、連載を寄稿しているのは、鈴木伸子さん「東京風景」、有山達也さん「装幀のなかの絵」、言水ヘリオさん「画廊の外の展覧会」、蝦名則さん「美術の本」、牧野伊三夫さん「仕事場訪問」だ。いずれも、タイトルでわかる通り、美術がらみであるし、鈴木さんをのぞいて、「書く」ことを職業にしているわけではない。そして、鈴木さんは、東京人副編集長だった技量の持ち主だ。

とにかく、みなさん、すばらしい文章を書く。そのうえ、美術の方面では、高い評価を得ている人たちだ。いま、これだけの内容の雑誌は、チョイとないだろう。そうですねえ、とびきりうまいといわれる各地の酒を集めて飲んだ気分になれる。

「エンテツさん、やりにくいでしょう」と中原さんにからかわれたことがある。たしかに、やりにくい、書きにくい。「書く」ことを職業にしていないみなさんが、よい文章を書く。それに、それぞれ高い評価を得ているアーチストでありクリエイターであり、その「眼力」や「知識」は並ではないと、その文章からもわかる。ヘタは書けないな、と思わないことはない。

でも、まあ、ほんとのところ、書くときは、そういうことは気にしてない。牧野さんが書かないかといってくれているのだから、おれでも何かとりえがあるのだろうと、ずうずうしく開き直って書いている。

とにかく、これだけの雑誌が、500円ちょっとで手に入るのだから、すごい得だよなあと、いつもおもう。

あれまあ、いきなり話がズレてしまった。

先日発行になったばかりの『四月と十月』の最新号は、26日の「女子美に集まって、四月と十月の話しをします」のときにいただいて読んだ。

有山さんの「装幀のなかの絵」が、「涙と不器用と」だった。

『ku:nel(クウネル)』という雑誌、数冊しか買って読んだことがないが、ご存知の方が多いだろう。有山さんがアートディレクションをやっている、ビジュアルも人気のようだ。『ku:nel』で仕事をしたといえば、クリエイターとして、それなりの実績になる方面もあるらしい品質の高さが評価されるが、高級誌ではない。マガジンハウス発行。

その創刊を企て、有山さんとku:nelの核を創ってきた編集人の岡戸絹江さんが、44号を最後に退社した話が、「涙と不器用と」なのだ。

冒頭の書き出しは、事務所の打ち合わせテーブルを挟んで、有山さんと岡戸さんが30分以上口もきかず、空気が凍りついている場面だ。10年前、ku:nelの一冊目。沖縄まで撮影に行った表紙案が会社の判断でOKにならないという事態。岡戸さんが、有山さんの「我が儘」と会社との板ばさみで、涙を一筋見せたらしい場面だ。

そのあと、どのようにして今の格好になったかのエピソードが続く。雑誌づくりとしても、会社を舞台にしたシゴトということでも、おもしろい。これを詳しく紹介したら、ここに全部をさらすようなことになってしまうから、500円ちょっと出して『四月と十月』を買ってちょうだい。損はしないから。

有山さんの文章の終わりのほうを、勝手に切り取ってみよう。

「ku:nelは岡戸さんそのもの。「偏屈で不器用で非効率」。どれもマイナスな響きを持った言葉だが、ここにこそku:nelが詰まっている。」 略 「これをなし得る多大なるエネルギー、上に立つ者の孤独感、やりたいことと売上げの狭間におけるプレッシャー。これは当人にしかわからないもの。私の我が儘と会社の間に挟まれたことは二度や三度じゃない。岡戸さん、おつかれさま。疲れましたよね。ゆっくり休んでくださいな。私はあなたより若いのでまだ頑張りますよ。新しい編集長と新しいku:nelを作ります。」

ここで有山さんは、長年一緒に仕事をしてきたひとの苦労を、わかったふりせず(たいがい別れの時ぐらいは、知っているふりをするものではないだろうか)、「これは当人にしかわからないもの」と突き放すように言い切る。それは事実だろうし、公平な見方だろう。有山さんらしい、クールといえばクールだが、かえって、読んでいて岡戸さんと有山さんの信頼関係が想像され、ぐぐっと胸がしめつけられるのだった。

そのように、意識された文章のテクニックではないのだろうが、コニクラシイほどいい文章を書かれてしまうので、おれなんぞは、ヒジョーにやりにくいわけですよ。

文章のオベンキョウや鍛錬などないまま成りゆきでライターになってしまったおれにとっては、『四月と十月』は、とてもよい「教材」でもある。

ま、それにつけても大事なのは、人間ですね。

ああ、宵の口から、軽くヨツパライ。

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2010/08/01

8月だあ。8月になったぞー。

013

ぐちゃぐちゃに飲んでいるうちに7月が終わった。猛暑バテなのか、飲み疲れなのか、わからない状態だ。どっちだっていい、さらに飲んで元気をつけよう。

えーと、とりあえず、このニュースから。

諏訪のすみれ洋裁店が吉祥寺パルコのリブロに出現。名づけて「すみれ洋裁店のKichijyoji camp」。

8月4日(木)から夏の1ヶ月ほど、吉祥寺のパルコ地下2階の書店LIBROにてフェア「すみれ洋裁店のKichijyoji camp」を行います。過去に掲載された雑誌や書籍、信州の旅ガイドなどと一緒に、1日1枚作るハンカチーフや新作小物も並びます。
夏休みの1冊とすみれを探しにどうぞお出かけください。

と、すみれ日記にある。…クリック地獄
下諏訪まで行かなくても、すみれ洋裁店がやってくる。すみれ洋裁店とは、どんなところか、何者か、その、手づくり観(仕事観)と手づくり感(仕事)にふれるよいチャンス、お見逃しなきよう。

そうそう、きょねん、取材で長野県大鹿村へ行く途中、下諏訪とすみれ洋裁店を訪ねたのは8月4日だった。

つぎ、愛媛県西条市の、藤田家族の食卓から、レシピ集の第二弾がついに登場。今回は「春夏野菜」です。…クリック地獄

藤田さん、百姓やりながらがんばるねえ。これもまた、藤田家族の手づくり観と手づくり感の結晶といえるか。前回も好評だったが、みなさん、よろしくね。まだ『みんなの大衆めし』を買ってないひとは、両方一緒に買ってちょうだい。

そうそう、このあいだ「路地と人」から帰るとき、建物を出たところで、安岐理加さんとバッタリ会った。日焼けして。瀬戸内国際芸術祭に参加の作品制作で、故郷の小豆島に帰っていたのだとか。瀬戸内国際芸術祭、安岐さんの作品も見てみたいが、チト遠いなあ。行けるひとは行ってみてちょうだい。安岐さんのブログはこちら。…クリック地獄

仙台でも、なにやら動きがありそうだし。
経堂の太田尻家の近所、ロバロバカフェあとのカフェギャラリー芝生のスケジュールを見たら、8月21日からのグループ展「そだてる もの」に、Tattkaさんや小迫愛子さんの名前があった。…クリック地獄
暑い中でも、みんな、熱くやっていますねえ。

はて、おれの8月は、どうなるのだろうか。

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