« いろいろ、あります。 | トップページ | 気になる秩父。近代、現代、コンニチ。 »

2010/08/16

気になる秩父鉄道。近代、現代、コンニチ。

006

おれは、神も仏も信じちゃいないし不信心不道徳このうえない人間だが、無神論や不信心不道徳を気どることを、かっこいいともエッヂが立っている生き方とも思っていない。そもそも、エッヂが立っているなんて、かっこいいものでもなく、かっこつけの、うすっぺらな脳みそが表出しているように思う。

なにはともあれ、信仰や神様仏様と人びとをめぐるさまざまは、文字以前から始っているのであり、人間が創りだしたもっとも古い物語であり、なかなか興味深いものがある。その現場に接すると、ときには、歴史というのは、ほんとうに、「古代」「中世」「近代」といったふうに、誰かが考え出し、そして学校で教わったり本から知ったような「言葉」の流れであるのか、疑問になることが多く、おもしろい。そんなわけで、「お盆」など、けっこう好きなのだ。

14日、この世の義理とあの世の義理を重ね合わせたようなお盆の義理をなすべく、東大宮をたち、大宮で高崎線、熊谷で秩父鉄道に乗換え秩父駅に着いた。反対のホームに、ちょうど、蒸気機関車が進入して停車したところだった。

おれが小学生ぐらいまでは、蒸気機関車は日常の風景だった。修学旅行も蒸気機関車だった。やがて上越線は電化され、とくに大人はよろこんだ。おれは、電化も蒸気機関車も、あまり関心はなかった。電気機関車になって、窓を開けて乗っていても、石炭の粉塵が眼に入る心配がなくなったことだけは、うれしかったように思う。

SL趣味もなければ、SLに郷愁を感じる昭和趣味もない。だけど、蒸気機関車を見ると、つい写真を撮りたくなるのは、なんだかこの図体に愛嬌を感じるのだ。この写真、じつは、おれの背後には、蒸気機関車のゼンボウを撮るべくたくさんの大人や子どもがいる。おれはその人たちのなかに入らず、機関車のそばに近づいて撮影した。きっと、彼らはおれのことを邪魔に思っているにちがいないから、素早く1枚だけ撮って移動した。

そういうことは、どうでもよいのである。モンダイは、秩父鉄道なのだ。秩父鉄道は、かなり個性的だと思う。その沿線の食文化も含めて、特徴がある。

関東地図を広げると、鉄道網は東京の山の手線を中心に、放射状に広がっている。「網」とはいえないほど、ほとんどの鉄路は、東京都心に集中するツリー型のシステムである。そして、その放射線をつなぐように、わずかに1本、東京都心を中心点とする環状の武蔵野線がある。これは、いわば、山の手線の外環である。もとは貨物線で、沿線の人口増加にともない客も運ぶようになった。近年では、東京駅にまでつながり、環状ではあるが、他の東京都心に集中する鉄路と、たいして変らない。武蔵野線独自の文化は存在しない。

秩父鉄道は、関東北部・埼玉県北部にあって、東西に走る鉄路として、きわめて特異な存在だ。つまり、熊谷で東京都心に集中する高崎線と交叉し、東の端は羽生駅で、西の端は三峰口駅。

あまりあてにならないウィキペディアによると、1901年(明治34年) 熊谷 - 寄居間が開業。1921年(大正10年) 羽生 - 行田(現行田市)間が開業。1922年(大正11年) 熊谷 - 行田間が開業。1930年(昭和5年)羽生 - 三峰口間、全線開通となる。他の幹線鉄路と比べても、旧さにおいてはそん色ない。

秩父というと、近頃は、あとからしゃりしゃり出てきて、東京都心に集中する西武線の西武秩父駅のほうがにぎわっているようだが、秩父の方から見たら、あんなものは東京の成り上がり新参者にすぎない。

秩父鉄道の気になるところを、あげてみよう。

この沿線には、粉食の文化が根強い。もちろん、うどん、そば。おやき、おきりこというはっとのようなもの。「行田のフライ」は有名になったが、「たらし焼き」など、似たものがいろいろある。ほかにも、だご汁、魚を使わない冷汁など…。

とくに古墳時代、ヤマト朝廷成立期に、有力な豪族がいた。東の行田には、丸墓山古墳や二子山古墳などで知られる、さきたま古墳群ある。一方、西の秩父は、古事記だったか日本書紀だったか、その両方だったか、景行天皇の記述に登場する有力者がいた。記紀の記述では、景行天皇は140年ぐらい生き、在位60年ぐらいだから、一人の人物ではないだろうとか、いろいろ疑問の点が多い。ともあれ、実在したかどうかわからない景行天皇の時代の記述には、日本料理史に関わる重要な記述が、2つばかりあって、そのうちの一つが、東国の12人の有力者たちが景行天皇に、食物を貢ぎ、同時にその料理人も献じたというものだ。そこに秩父の有力者が含まれている。

その部分の記述を、いま探し出すとなると資料をひっくりかえさなくてはならないからメンドウ、記憶で書くが、食物を貢ぎ、同時にその料理人も献じたというのは、服従を意味している。「料理人」と、いまの言葉で書いているが、当時は「膳夫(かしわで)」だったか、地方の有力者の子どもであり、ま、人質であるという解釈も成り立つ。

ともあれ、行田の古墳群の実態とあわせて考えると、この景行天皇の記述は、行田に有力者がいたころとおなじころと考えた方が合理的なのだ。あまりあてにならないウィキペディアにも、景行天皇の「実在を仮定すれば、その年代は4世紀前半かと考えられている」とある。

とうぜん、秩父と行田の有力者のあいだには、交易か敵対か、なにかしらの関係はあったであろう。そのように、埼玉北部の東西を結ぶ、秩父鉄道の鉄道以前は、かなり歴史が古い。そして、江戸から明治、この地域には、産業が勃興する。これが、直接的には、早くから鉄道を開く「力」となる。なるほど、蒸気機関車は「文明開化」によって「外」からもたらされたが、その普及は地域によって大きなばらつきがある。鉄道以前からの「場所の力」がものをいっているのだ。

鉄道以前といえば、道路も気になる。現在の道路、秩父と熊谷を結ぶのは国道40号線、そして、熊谷から東へ行田、加須を通ってのびる国道125号は、千葉県香取につながっているのだ。このように東西をつなぐ国道は珍しい。おなじ埼玉、おなじ関東でも、このあたりは、東京都心を同心円とする文化の圏外といえるようだ。

そのあたりに、秩父鉄道沿線独特の文化や食文化が関係ありはしないか、前から気になっている。

|

« いろいろ、あります。 | トップページ | 気になる秩父。近代、現代、コンニチ。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30930/49165565

この記事へのトラックバック一覧です: 気になる秩父鉄道。近代、現代、コンニチ。:

« いろいろ、あります。 | トップページ | 気になる秩父。近代、現代、コンニチ。 »