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2010/08/18

山間辺境のお盆。

124平成の大合併で、かつての秩父郡の大半は秩父市になったが、小鹿野町は両神村と合併して残った。その小鹿野町の中心部からバスで約40分。10年前ぐらいまでは1時間に1本ぐらいあったバスは、1日に5本ぐらいになり、スクールバスの導入で、いまでは2本か3本。過疎化と衰退は加速する。「もう10年すれば、残っている家は何軒もなくなる」と口にするひともいるし、黙って耐えているひともいる。

都心には600メートルをこえるテレビ塔がたち、それがあたかも「国力」を象徴するかのような騒ぎであるが、おなじ標高600メートルのこのあたりのバスの本数の減退こそ、「国力」の実態をあらわしている、ともみることができる。

なぜ、いつまでもこんなところに住んでいるのだ、さっさと都会なりまちへ出ればよかったものを。そういうグズたちがいる集落は無くなって当然なのだ。早々に田舎の暮らしを捨て都会人になったひとのなかには、そういう考えもあるようだ。そういう考えと、ここで暮らすカクゴの人たちを結ぶところ、東京の栄華と田舎の衰微をつなぐところに、「公共」が存在する、とでもいうように、本数は減ってもバスは運行している。

上の写真のバスの位置は、下の写真の道路の上のほう、ガードレールが右から左へカーブして切れるあたりだ。このへんは、この地域でも最も谷間が狭くなり、道路も急な登りになる。そこには2軒の家が谷川をはさんで建っているが、それ以外の隣家は見えない。

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ガードレールが切れたあたりから、川原を見た写真が下。

043午前10時前から、前の川からにぎやかな声が聞こえる。向かいの家に里帰りしている親子たちが、川遊びをしていた。

画像の中ごろから手前は、道路と川原のあいだにある、中段の2メートル×5メートルほどの平地だ。少しでも平らな土地があれば畑にする、というのがこの地域の「生き方」であり、いろいろなものが植えられている。紫蘇の手前のコンニャクの木は、今年は育ちがよいそうで、確かに勢いのよいのが何本も生えていた。ほかには、豊作のミョウガ、ショウガ、里芋、カボチャ、などなど。その一番上手に、下の写真、芭蕉がある。

049前にも一度このブログに書いたが、この谷川沿い地域では、たいがいの家の敷地か地所に、芭蕉があるのだ。なんとも場違いな風景を感じるのだが、しかも、この葉は、1年に1度だけ、お盆のときになくてはならない。それ以外は必要ないというもの。

つまり、お盆の仏壇前のお供えは、この芭蕉の葉を何枚かひいた上に飾る。そして、かつては、送りの日には、お供えはそのままこの葉に包んで、前の川に流した。ということだ。なので、この芭蕉の木を見るたびに、これはその昔、この地域に仏教やお盆の風習と共にやってきたものだろうか、そのとき、ほかにも何かもたらされたのではないだろうかと妄想するが、いまのところ何も手掛かりがない。

051最初のバスの位置より、少し上手の山側に墓所がある。どこの家も、墓所は、敷地内か所有する地所にある。だから、いたるところに、墓所や祠があるのだ。全体が「古墳」のようなものだ。先祖に囲まれて(守られて)生きているという感覚は、そういうところからも生まれるのだろう。すでに、この墓所にしてそうだが、墓石の数は、生きて住んでいる家族の数より多い。

下の写真は、お盆に限らず見られる風景だ。常食であるそばやうどんを打って茹でたあと、食べやすい束にして盛るザルが、日中このように乾される。滞在中、米のめしとみそ汁とおかずが出ることは、珍しい。うどん、そば、今回もあったが、ツツッコという一種の雑穀料理がふつうだが、酒を呑み続けの身体には、これがよいのだな。

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