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2010/08/20

生きるために耕し、耕し生きる。

128今回は、3年ぶりの夏だったので、山の上の畑へ行ってみた。

2010/08/18「山間辺境のお盆。」に書いた、バスのあたりで振りかえると、こんな風景だ。この2軒が下の集落の最後で、バスが行く道路を登ると、谷間が開けて、つぎの集落が見える(2番目の画像)。バスの終点になる集落だが、ひとが住む集落は、まだ先まである。

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101畑へ行くには、上の画像の旗が立つあたりの右に、登り口がある(3番目の画像)。ここから険しい崖の上に出る(4番目の画像は道路わきの崖を見上げたところ、この上に畑がある)。

山を登りながら考えた。とくに近年、都会人のあいだでは、土を耕し収穫を得ることが、「生きる」ことを離れ、自然や「命」と親しむ高尚な趣味・教養のようにもてはやされるようになった。それそのものが、たぶんにペットを可愛がるように、自己愛的だと思うが、さらには、「人間は生かされている」だの「命は生かされている」だのという、知ったかぶりのタワゴトまでいうようになった。「生きる」感覚を失った消費主義、ここにきわまれり。

102日本の「農」は、どう破壊されてきたかと考えれば、一方には「工業」と「東京」優先の政策があり、その表裏として、趣味・教養としての「農」があった、といえる。つまり、趣味・教養としての「農」は、本来の「農」の存在を精神的に不在あるいは曲解破壊せしめる役割を果たしてきたともいえるわけだ。

土地と「農」と人の関わりは、むかしから単純ではない。都会で、少々の畑をやっているぐらいで、いい気になるんじゃないぞと、自戒をこめて、思うのだった。

もちろん、趣味や教養は勝手だが、より生産地のものを合理的に流通させる工夫の追求は、はたして十分だろうか。ちかごろの都会のお手軽菜園には、自己愛に陥りやすい都会人の空虚を感じる。いっそのこと、都会に住んでいたら、耕作などに手を染めず、生産者や生産地や生産物と、どういうよい関係を育てるかを追求する方が、潔いし、全体的にはよい方向が生まれ育つとおもう。といった件について、実際、あなたのまわりで、お手軽菜園をやっているひとに、問うてみれば、ほとんどアイマイの答えしか返ってこないだろう。貧しい消費主義による「生産」はかなしい。

064この地は、とりわけ、強固で峻険な岩から出来ている。平地を得るのも、土を得るのも、容易ではない。畑のために平地を得る手積みの石垣に、「生きる」強い意志を感じる。

どれぐらいの年月が過ぎたのか、以前に、このあたりの江戸期の書付を見たことがあって、そこには、すでにさまざまな収穫と馬などの当時としては「豊かな」資産のあった痕跡がうかがえたから、その前からだろう、石を積み、あるいは砕き、山を焼き、畑をつくってきた。いま見渡すと、杉と檜が多いが、これは戦後の景色だ。戦前までは、雑木が山肌を覆い、焼畑もやっていたと聞く。

065そうやって拓いた畑だが、この写真のように、いちおう荒れないように草は刈っていても、耕作されないところが広がっている。これはまあ、過疎のすすむ地域では、よくあることだし、減反政策もあって不耕作地の拡大は、「趨勢」なのだ。

とはいえ、畑が多く失われたのは、戦後すぐのころからだった。一つは、杉や檜がカネになるといって、畑を杉や檜の林に換えることをすすめる「山師」が出没したことにより、そして、先物取引のうまい話にだまされるように飛びついたため。一つは戦前から続いていた養蚕のための桑畑への転換だった。

いまでは、どちらも、カネにならず、桑畑はほとんど姿を消し、杉や檜の林は、一部をのぞき手入れも行き届かず、もちろん売れもせず、放棄されたままだ。

067この家も、この畑の上にさらに、数年前までは耕作していた畑があり、さらに登ると、杉や檜が、家が2軒は建つといわれるほどあるが、いまは荒れて、そこまで行くのも容易ではない。しかし、この畑だけは、「死守」するかのように、見事に耕され、イノシシなどの野獣を防御する頼りない囲いのなかで、いろいろな野菜が元気よく育っていた。

081畑の周囲には、クリ、カキ、ユズなどの実のなる木が植えられている。つまりは、食べられるものばかりである。そして、クリやカキは、食べごろになると、果実を得るため野獣たちと人間が先を争うのだが、たいがい野獣の方が勝つらしい。ジャガイモなども、激しい競争になるとか。

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畑から谷間を見下ろすと、谷川をはさんで向かい側に建つ家(最初の画像の右側の家の母屋)が見える。ずいぶん高低差がある。なぜこんなところにまで、畑を作ったのだろうかと、何度も考えた。こんな住みにくい、生きにくいところに、なぜ棲みついたのか。先祖は、まちに住めない犯罪人や落人だったのか、とか妄想をめぐらしたり。が、しかし、何度か来て、見て、調べているうちに、少しみえてきた。そのことは、またそのうちに。

山間の暮らしの歴史や実態は、都会や、とくに米がとれるようになった平野部の「常識」とは、かなりちがうようだ。そして、昭和30年代ぐらいまでは、こうした暮らしの地域は、少なくなかった。

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