« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010/10/31

感情的にならない、怒らないことが、オリコウな大人と思っている、アナタへ。

Dobaka_00

いや、アナタに向かって、こう言いたいわけじゃない。これ、何かの本をコピーしたものが、ヒラヒラと一枚出てきたのだが、何の本だったか思い出せない。

とりあえず、きょうは、これを載せておくのである。

Dobaka_01

リード文に、「マイホームを手に入れて、電気冷蔵庫を買って、マイカーを乗りまわしてご満足の皆さん、あなたは最近、怒らなくなりましたね!」とあるが、これ、昭和51年つまり1976年ことだ。いっとき怒った「全共闘」も、長い髪を切って、もとのお坊ちゃんやお嬢ちゃんにもどったころ。

あれから、さらにますます、オリコウでコリコウ、やさしく上品に知的にイイ人間ぶることがはやり、訳知り顔の「クール」だの「クレバー」だのがもてはやされるようになったのだが、それって、うまく飼いならされているだけじゃないの。という気がしないでもない。ほんとうは貧乏人、「高級とり」といっても賃金労働者、アーチストだの芸術家だのといったって日雇い労働者の賃金も稼げないくせに、エグゼクティブクラスやインテリ中流文化人ぶっちゃってさ。

人間だもの、もっと、熱く、燃えなくてはなあ。おれは、どちらかといえば温厚なほうだとは思うが、熱く燃えているのだ。燃えているぞ~。くそったれ。この中に「くそったれ」がないじゃないか。

Dobaka_02

Dobaka_03

以前、こんなことを書いていた。
2008/10/22やさしい、ていねい、洒脱もいいが、乱暴にも馴染んでほしい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010/10/30

『四月と十月』10月号(Vol.23)発行。

003a無事に、10月中に発行になった。

同人参加に、たぶん初めての石田千さん(千さんの絵、おれは初めて見る)、立花文穂さんは誌面には登場しているのだが同人参加は初めてだと思う、そしてひさしぶりのセキユリオさん。

新連載「父のこと」と題して、「1960年代から『平凡パンチ』『アンアン』『ブルータス』など、雑誌のアートディレクターとして活躍し絵本作家としても傑作を残した」、堀内誠一さんのことを、長女の堀内花子さんが書き始めた。

先日亡くなられた、「柏木江里子さんを偲んで」の追悼など。

おれエンテツの連載「理解フノー」は5回目で、「かわいいコワイ」。

詳しい紹介は、あとで。

四月と十月│画家のノート 美術同人誌
http://4-10.sub.jp/

005

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/29

バカバカしさ満載。モンティ・パイソン 関西風味スケッチ集。

テキスト=東野ひろあき、監修=須田泰成。発行=プリズムギフト(笑和堂)@経堂。

経堂の「さばのゆ」のご近所さん、出版社兼本屋兼カフェときどきイベントBarという、「笑和堂」
http://shouwadou.net/

関西弁というか大阪弁というか、全面オオサカンテイストに置き換えられたモンティ・パイソン。とにかく、おもしろい、「方言ブンガク」としても傑作。詳しくは、あとで。

007

0041

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/28

なにもありゃしないよ。

前のエントリーに、まだたいして時間がたっていないのに、「なにかあったのですか」というようなメールが2通。そんなに愛してくれて、ありがとう。

だけど、残念ながら、なにもありゃしないよ。おれが、「うしろを向いて生きていこう」と言ったって、おれが向いたほうが、おれの前なんだよ。

このあいだ、おれは叙事的な文章ばかり書いているから、たまには「抒情的な文章」を書いてみたいナ、なーんて思ったのは確かで、そしたら、たまたま、何かに「寒くなると心まで寂しくなる」というような表現があって、もしかするとこういうのかなと思って、最初の書き出しで試してみただけさ。だけど、叙情的か抒情的か知らんけど、よくわからん。屁でもたれていたほうがいいや、と思ったら、もしかしたら「へたれ」って「屁たれ」からきたの?と思ったのだが、どうなのだろう。そのう、「冷たい屁の風が、さらさらと僕の迷える寂しい心を臭く撫でた」とかいうの、抒情的というのだろうか。

とにかく、そういうわけで、おれの書いていることなんぞ、あまりキマジメに考えないでちょーだい。そもそも、キマジメは、ほどほどに。人生は、みなジョーダン。虚実コントン、ありゃさっさ。近々、贈呈いただいた、新刊の「モンティ・パイソン」本を紹介しまする。タイトルは、『モンティ・パイソン 関西風味スケッチ集』。

たいして酔ってないが、深夜便でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寒々しい気分で、「ロードサイド文化」「まちづくり」とか。

寒いねえ。身も心も、寒い。あったかい酒を呑んでも、心までは温めてはくれない。さみしく心残りなことには、さっさとオサラバして気分を切り換え、あったかい酒を呑みなおせば、しだいに心もあったまるだろう。いいことを追いかけていても、しかたないのさ、もうトシだもの。これからは、うしろを向いて生きていこう。ひとの心も、季節も、まちも、みな変る。

ちかごろ、「抒情的」文章というのを書いてみたいと思っているのだが、どうもうまく書けないなあ。

こんにちのサムイ文化を象徴するような、「ロードサイド文化」とかいうものなんぞを調べていたら、検索でヒットしたなかに、五十嵐泰正さんのブログ「・・・・・まだまだこんな風に生きてみた」のエントリーがあった。五十嵐さんは、まだ筑波大に「就職」する前だね。

August 04, 2004
ここは「どこ」だろう?

その一部。

「それより、僕らはそろそろ、南彦根の8号線沿いのような「名前のない郊外」に名前をつけていくという方向性を、真剣に考えなければならないのじゃないだろうか?
生活空間が、どこでもない取替え可能な風景に包囲されるのを嘆くだけでなく、それが必然であるのならば、少なくとも自分の主観にとってだけは、どこでもない場所ではないような何かを充填し、読み替えてゆくこと。それが、言葉の真の意味で「住まう」ということなのだろうと思う。」

そして、こうあった。

「※コレはずいぶん前に書いた記事ですが、最近遠藤哲夫さん(この方との愉快な邂逅については、またエントリをあらためて触れようと思っているが)が書いた記事に、とても似たような問題意識があるように思えたので、今更ながらにトラバさせていただきます(2005.4.3)」

アレッと思って、リンクをたどったら、おれのブログのこのエントリーだった。

2005/04/03「観光」で東京はナントカなるのか?

そうそう、これ、大事なことだ。しかし、書いちゃうと、すぐ忘れちゃう。

ようするに、「まちづくり」とかいうけど、「まちづくり」というと、すぐ建物や道路や公園や観光や交流…あるいはイベントといったことになるけど、もっと大事なことがある。

その場所で、ほかでもない自分は、どういう暮らしの物語をつくりたいかということがないと、ダメなんだということ。そうでないと、サムイ話になってしまうのだ。

それは、五十嵐さんが書いている「少なくとも自分の主観にとってだけは、どこでもない場所ではないような何かを充填し、読み替えてゆくこと。それが、言葉の真の意味で「住まう」ということなのだろうと思う。」に通じる。

このあいだ書いた、盛岡の桜山問題は、あれこれ議論になっているようだ。さっそく署名に協力いただいた方、ありがとうございました。

ネットで見るかぎりでは、そこでも、その場所に、あるいは盛岡に、どういう暮らしの物語をつくりたいかの考えはないままの意見が、けっこうある。よくありますね、さもさも理論正しく公平な根拠ありげに、相手の欠点や言葉尻をとらえる、あれである。

そもそも、「まち」とか「都市」とかいうが、これは人間がつくるもので、あるいはつくってきたもので、じつに不合理と不条理をはらんだ、人間とおなじ生きものなのだ。だから、やはり人間がつくったものであるがゆえに不完全な法律のアレコレを持ち出し検討したところで、「正しい結論」など出ない。

みな現実的にやってきて、不合理と不条理を抱えたなかで、たぶんそれぞれ最善をめざしながらも、もろもろの関係で、べつの不合理と不条理を抱えた新しいまちをつくってきたのだ。

各地の「国史跡」にしても、そうだ。それはもう、そうたくさん見てきたわけではないが、じつに現実的な「史跡」の姿である。東京の、「常盤橋門跡」など、よい例だろう。ここはかつての江戸城の正面にあたる。そういう意味では、盛岡城に対する桜山と同等の位置かもしれないが、とにかく有名な「日本橋」より史的価値が高いのではないかと思われるが、関心があるかたは、ネットで検索し、その変遷と現在を見て欲しい。なにも、この景観もへったくれもない姿をヨシとするわけじゃないが、この周辺の高速道は無くしても、ほかのビルまで潰して、ここをかつてのように復元することは、ありえないだろう。

ようするに法律が絶対ということはなく、生きる営みが、いつも現実的に行われてきたということである。

それから、横丁や路地の存続のことになると、とかく「防火防災」のことが問題になる。アブナイから潰せという、これにキタナイから潰せが加わる、乱暴な意見だ。近年、おれも取材したことがあるが、「横丁や路地からのまちづくり」の研究がすすんでいるし、火事で焼けた法善寺横丁の再建のように、横丁や路地を残しながら「防火防災」を整える方法だって工夫されてきた。そういう事例は、けっこうあるのだが。そもそも、東京の住みたいまちで、なぜかいつもトップの人気の吉祥寺にして、あの駅前正面に闇市時代のままのハモニカ横丁、これがあっての吉祥寺である。これについてはイノケンさんの研究労作があるね。そうそう、高円寺なんぞは、横丁と路地で成り立っているようなまちじゃないか。

ようするに、法律だのハードの対策などは、自分たちがどういう暮らしの物語を残したいかによるのだな。

おれには、もうサムイさみしい明日しかないが、どうか日本のみなさん、寒々とした明日ではなく、あたたかい明日を迎えられるような暮らしの物語を、期待します。

まったく抒情になっていない。
やはり、日頃から、もっと抒情的な人間でなければ、そういう文章は書けないのだな。
抒情より、暖房がいつでも使えるよう、エアコンの掃除だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/27

モノから東京のまちの発見がある。ミーツの『新 手みやげを買いに』。

005

ミーツ・リージョナル別冊の東京篇では、08年7月に、『手みやげを買いに』が出ている。それから約2年後、以前もよい出来だと思ったが、今回は、さらに格段に向上したように思う。

いうまでもなく、これは、一つの「土産物カタログ」である。まず、その「土産物カタログ」としての、充実がある。スペックもしっかりしている。だけど、いまどき、それは珍しいことではないだろうし、この情報社会にあっては、当然のことだろう。

ミーツ・リージョナルのミーツ・リージョナルらしさは、すぐれたカタログでありながら、それで東京のまちを掘り下げ、語っていることにある。カタログを楽しみながら、東京のまちを、深く散歩できちゃうのだ。見ていくうちに、はあ、東京というのは、こういうところかという新しい発見がある。東京というまちの「まち文化」が、ギッシリ詰まっている。東京憎らし大嫌いなおれが、思わず東京のおもしろさに惹かれ、表紙の肩書にあるように「手みやげは"わざわざ買いに" がおもしろい」にうなずき、行ってみたくなっちゃうのだ。

これは、もう店とモノの選択も含め、企画と編集と構成の力だろう。とりわけ東京のファンキーな面に対する目配りは特徴的。そういう意味では、なかの文章は、それぞれのライターにより、チョイとズレが感じられるものもあるが、そんな個々の表現の差など、全体の力のなかで溶解しちゃうのだ。

おれが買いに行きたいと思ったところを、悩んで3つに絞ってみた。いやいや、その絞る過程が、これもいいな、ここにも行ってみたいなと、楽しい。いろいろな角度から、たいへん欲望を刺激する、困ったカタログだ。

それで、3つをあげると(文章の良し悪しは関係なしね)。築地の「とと一」の丸干しイカ、三宿の「レストランOGINO」のパテ、錦糸町の「山田家」の人形焼(画像下。これを結婚式の引き出物に使ったという佐々木香織さんが書いている。2代目店主の山田昇さんの「山の手の人たちはおいしいものがちょっぴりあればいいんでしょうけど、下町はおいしいだけじゃダメ。大きく安くないと」という言葉を拾った文章が、モノを育てたまちの風俗を語って、いい)。

この一冊を持って散歩に出かけたくなるのだが、各店のデータには地方発送の可否があって、ざっと8割ぐらいの店(あるいはもっと)は、「地方発送可」である。東京を網羅する約145店収録、手みやげカタログとして充実していながら、通販カタログとしても使える、すぐれた東京まち文化ガイドブックなのだ。

いやあ、ミーツの編集力には感心するばかり。上の表紙の画像の写真は、近代東京ブルジョワ文化の「深窓に育った」池袋は自由学園JMショップの缶入りクッキー。

003

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/26

31日「ギョニソナイト」さばの湯@経堂。6日「古墳ナイト」スロコメ@下北沢。

告知おくれましたが、今月の31日(日曜日)は、さばの湯@経堂で「ギョニソ・キャラクター・コンテスト発表会」がありまして、審査員だかなんだかで参加するのでした。17時から。とにかく、楽しく呑みましょうぞ。

11月6日(土曜日)の、古墳がおもしろい「第2回古墳ナイト」、せまってきました。ますます、おもしろくなるはず。Black&Blueのまりさんとトーク、そして、まりさんの古墳ブルースの予定。スロコメ@下北沢、19時ごろのスタート。チャージ、今回はどうなるのかな、もしかすると500円のチャージ。大いに、よろしく。楽しく呑みましょうぞ。

前回の、まりさんの古墳ブルース「麗しの仁徳陵」は、こちらで視聴できます。終わりのほうで、爆笑。すばらしい、おもしろ~い。
http://www.twitvid.com/C7PLP

ツィッターでも、古墳が話題になっているねえ。
http://pcod.no-ip.org/yats/search?query=%E5%8F%A4%E5%A2%B3
この検索見ていたら、前回の古墳ナイトに来ていただいた、テリー植田さんのツイッターも「麗しの仁徳陵」を紹介している。テリー植田さんは、「古墳銀座」ともいえる、奈良県桜井の出身なのだ。きょねん、桜井に行ったけど、また行きたい。岡山も、熊本も、西都原も…、古墳を考えていると、行きたいところが、どんどん増える、また諏訪にも行かねば、宮城も山形も行きたいところがあるな……。韓国も、か。行った先で、大衆食堂や酒場に入るのも、楽しみなのであるね。

100935a

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/25

雨の高円寺で、あれこれ仕込む。

きのう、夕方、雨の中、高円寺。前からの段取りだったが、なんだかきのうは、あちこちのイベントとバッティングで、相談すすめられるほどの人が集まらず、ま、でも、出かけて行き、打ち合わせはできたからよいか。ゆっくりでいいのさ。

しかしなんだね、あちこちで、「まちおこし」イベント盛んだけど、どこもかしこも似たようなことやっていると、競合が多くなって、客のとりあいになり、逆に、何もしないまちってのが魅力的になるかも知れないな。よそが何かやっていると、自分たちも何かやらないと不安になるかも知れないけど、そういうコンプレックスからやるものは、どうも必然性が弱く長続きしないような気がする。インチキくさい「プロデューサー」なんてのも、多すぎ。広告宣伝費にくわれる企業のような「まち」ができてもねえ。

とにかく、約2時間もちろん缶ビールなんぞを呑みながら、8時過ぎに終わって、雨足強くなるなか、大将北口店へ。やきとりつまみながら、生ビール、ホッピー。9時すぎ、忙しい武井ちゃんあらわれ、さらに酒を2合ほど。みうらじゅんと峯田に村上春樹から始まり、仕事よもやまいいことチョットだけ、新宿からの終電に間に合うよう11時ごろ高円寺駅でわかれ帰る。ま、したたかに、ってことか。

きょうは、長話電話が多い。このあいだから、あまり興味がないので、相手先のカタカナ名の覚えにくい社名も覚える気がしないテレビ番組制作会社から、何度か問い合わせと出演依頼があって、相談にはのるが、番組には出る気がしないので、のらりくらり。とやっていたら、また別の制作会社のスタッフから電話。どうやらリサーチャーらしいが、問い合わせの内容が、アジの開きのことで、なかなかおもしろいところに目をつけていたから、あれこれ話にのる。最後に、企画が通ったら出演してくれるかというので、いやそれはちょっと、とアイマイに返事。テレビ番組には出ないと決めているわけじゃないが、仕事のすすめ方がバタバタで、とにかく、興味がわかないものはしょうがない。

本を書く資料の整理をせっせと。仕事の関係で、ツィッター使うとよさそうなことがあるのだが、イマイチその気になれず、思案の最中。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/10/24

貧しい精神の優劣観と「豊かさ」。

コツコツ、資料を整理している。まだしばらく整理は続く。

自分は優れている、人より上でありたい、人の上に立ちたいというのは、どうしてそういうことになるか、仕組みはよくわからないが、そのネタを食べ物に求めるのは、なんとも貧しい精神を感じる。

人は、それぞれの生活に応じて、いろいろなものを食べて生きているものなのに、自分や自分たちが食べているものが優れていると、主張してやまない。自慢するだけでなく、他を見下し、ときによっては、これを「悪」と決めつけバカにする。

「B級グルメでまちおこし」なるものが盛んだが、そこに優劣競争意識が強く入り込んできているようだ。ま、競うのは、そんなに悪いことではないと思うが、なにをもって競うかだろう。

そもそも「B級グルメ」というのは、たいがい大衆食のものであり、生活のものではないか。味覚の、差違で競うのすら、生活がちがえば味覚もちがうのだから、ばかばかしいが、「消費量」や「消費額」で競うなんて、愚の骨頂だ。

「餃子日本一」巡りしこり?浜松のまつり、宇都宮は辞退
http://www.asahi.com/national/update/1017/TKY201010170285.html

 全国各地の餃子(ぎょうざ)を堪能できる「浜松餃子まつり」が23、24日、静岡県浜松市中区中央1丁目のアクト通り東ふれあい公園で開かれる。ご当地餃子がそろう中、浜松餃子の最大のライバル「宇都宮餃子」は直前になって参加を見合わせた。背景には、“両雄”の思惑や感情的なしこりがあった。

 4回目を迎えるまつりでは、北海道から九州まで9地域の餃子や地元店の新作など約2万食が即売される。しかし、チラシの「販売イベント参加国」に名を連ねていた「宇都宮餃子」の文字は、開催10日前までに黒く塗られた。「1カ月を切った時点でキャンセルされた」。まつりを主催する浜松餃子学会の斎藤公誉(きみたか)会長は嘆く。

 一方、宇都宮餃子会は「今年7月に参加を打診されたが断った」と話す。B級グルメが競い合う「B―1グランプリ」にも距離を置いてきた同会は、「他の餃子と競合しようという気持ちはない」との姿勢を貫いてきた。

 同会によると、浜松の祭りに参加予定だった宇都宮餃子の店舗は、会としての不参加決定を知らず、個別に出店を打診され、いったんは了承したらしい。平塚康(こう)専務理事は「最終的に店側が参加しないと決めたようだ」と話す。

 同会は餃子店経営者らが中心になり1993年に発足。地元の「家食」餃子に着目し、「宇都宮餃子」を全国レベルの観光資源に育てた。国の家計調査で宇都宮市が「1世帯当たりの餃子の年間購入金額日本一」 に輝き続けた経歴もPR上の強みだった。

 この「先駆者」のプライドを傷つけたのが、2007年に「こちらが日本一」と名乗り出た浜松餃子だった。

 浜松市が06年に行った独自調査に基づく宣言だったが、国の調査とは方法も対象数も異なるため、宇都宮サイドは「客観性がない」と静観を決めた。浜松市は政令指定都市移行後に国の調査対象となり、宇都宮市と同じ土俵に乗ったが2年連続で苦杯をなめた。


……以下略。といった記事があった。この根っこは、深い。

大衆食ではなくても、自分が食べるものなんぞは、ひとにひけらかして自慢し競うようなものではないと思う。ま、そのあたりは、「宇宙観」「世界観」の問題なのだろうが、じつに貧しい精神ではないか。おたがいに、楽しく食べ、おもしろく楽しく生きることが大事なのではないかと思う。

だけど、なんでも、どうしても人の上に立ちたい、というやつがいるものだ。

そういう貧しい精神が、たしか「B1グランプリ」にしても、楽しむ祭典だったのだが、ちかごろは、その大雑把な採点方法が問題になったりするように、優劣をつけることに関心が動いているようだ。それには、グランプリに輝くと、多額な「経済効果」があることも関係する。

そもそも、自分が食べるものごときをひとに見せびらかしたいという精神は、どういうものか。商売の人は、自分の料理を自慢するのがトウゼンだろうが、それだって、過ぎれば嫌われる。

かつて、「三種の神器」といわれたものがあった。えーと、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、だったかな? 「新三種の神器」というのもあった。えーと、クルマ、エアコン、カラーテレビ、だったかな?

いずれも、マスコミがつくりあげた、中流意識の消費をリードする言葉だった。こういうモノを持つことで、小市民的生活と「豊かな」中流意識を獲得する道へ導かれた。こういうモノを持って、ひとに見せびらかしたものである。つまり、自分がいい生活をしているということを、「自慢」あるいは知ってほしい、知ってもらって、満足できるという困った「豊かさ」。その就縛が、まだ続いているようだ。

90年ごろ、バブルの最中、「豊かさとは何か」が問い返され、モノに頼った「豊かさ」が問い直される動きがあらわれた。だけど、そうは簡単にモノ離れはできない。モノと「豊かさ」に対する執着が、あまりにも強いというべきか。

バブル崩壊後の長く続く「不況」下で、「豊かさ」に対する執着は、どうなったか。その一つは、B級グルメと「粗食のすすめ」にむかった。ようするに、なにかしら、モノが頼りなのだ。

そして、もう一つ、別のカタチでモノにとらわれたがゆえに、モノを拒否することにこだわる、カルト新宗教やスピリチュアルなるものが、盛んになった。それは、ココロの「豊かさ」と関係があるらしい。

なんにせよ、高度経済成長期をリードした「豊か」という言葉に、とらわれてしまっているのだ。

ちかごろは、「断捨離」というのがハヤリだそうだ。ま、モノを捨てる、あまりモノを持たない生活らしい。

しかし、人間、何かしら楽しみが必要だろう。その楽しみを、モノが頼りだったり、「豊かさ」が頼りだったりしたのとは違う「なにか」を獲得しなくては、「豊かさ」でバブルのようにふくれあがった脳ミソのままでは、「断捨離」は難しいのではないかと思う。そこに、「宇宙観」「世界観」のモンダイがあるわけだ。

とにかく、ちかごろは、かつての三種の神器にかわって、B級グルメや無農薬有機栽培の「粗食」や「自然食」、ナチュラルぽいアートぽい道具や小物や雑貨、といったモノが、小市民的いい生活である「豊かさ」の「神器」になっているようだ。

捨てなくてはならないのは、かつてマスコミがつくりあげた、根拠のない「豊か」という概念、それを追い求める「宇宙観」「世界観」だろう。

ま、おれは、そう見ているということなのだが。なんとか、普段の食べ物は、それぞれの生活に返してほしい。
どうしても、人の上に立ちたいなら、食べ物にせよ、すごい高価なモノで競うべきである。
不況でカネが無いからと、普段の生活の料理、大衆食レベルのネタで優劣を競うなんて、あまりにも情けなくあさましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/22

すごいニュース。スソアキコさんの帽子がパリのコレに!

いやあ、すごい素晴らしいニュースが続くなあ。スソさんからのメール、前回9月26日の古墳トークあんどブルースに来る予定をしていたが、どうしても都合つかなくなったのは、この仕事をしていたからなのだ。


10月2日 パリで行われた 
タオ・コムデギャルソンのショウでは
スソアキコの帽子が使われました。

デザイナーの栗原たおさんの依頼を受け、
彼女の希望をもとにデザイン・制作しました


ま、スソさんのブログで写真をごらんになってくださいよ。
http://news.suso.biz/?eid=1059819

| | コメント (0) | トラックバック (0)

王子で打ち合わせ、泥酔記憶喪失帰宅。

きのうは、担当編集のN女さんと王子駅そばの洒落こいたカフェで17時の待ち合わせ。なんと、ほったらかしの出版企画書を見せてもらったら、06年8月のこと。あれから、すぐ取り掛かるようなことを言って、なんだか忙しいことが多くなったとはいえ、よくもこれだけほっておいたものだ。そして、これだけほっておいたにもかかわらず、よくぞチャラにしないでいてくれたN女さんに感謝でありますね。これはもう、なにがあっても、原稿を書き上げなくてはならないでしょう。

ってことで、打ち合わせのあとは、楽しみの酒。といっても、おれは打ち合わせの最中も生ビールだったのだけど。ま、とにかく、山田屋へ。このために王子で打ち合わせにしたようなもの。生ビール2杯のあと、高千代辛口の4合瓶。いやははは、清酒が呑める人との仕事は、いいねえ。どんどん呑んで、一緒に呑むのもひさしぶりだから、いろいろ話もはずんで、愉快ゆかい。山田屋の閉店まで。

王子で別れて、東大宮に着いて、自然に足がちゃぶだいに向く。イチオウ生ビールを呑んでから、燗酒。2本目あたりで、酔いが深まる。ホッケの刺身ってのを初めて食べた。サエキさんと東京おとなクラブの話なんぞをしていたのは、ちゃんと記憶にある。が、しかし、店を出たあたりから覚えがない。

今朝、目が覚めたら、ズボンのチャックを下げた状態で、着替えもしない布団もかけずに寝ていた。ま、野宿でなくてよかったか。

冷蔵庫を開けて、あきれた。エビドリアと、安ワインのメルシャン・ミラージュがあるではないか。途中のコンビニで買ったものらしいが、酔って記憶がない買い物はこれまで何回もあるが、ワインを買ったのは初めてだ。きのうは、出かける前に、はすみふぁーむのワイナリー完成のニュースがあったからだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/10/21

祝はすみふぁーむ、ワイナリーついに完成しました。

いま急いでやることがあって忙しいのだが、たったいま、すごくうれしいニュースがメルマガで届いた。だから、ナニハトモアレ、書いておく。

このブログでも何度も紹介している、長野県東御市の、ニック蓮見さんの「はすみふぁーむ」のワイナリーがついに完成したのだ!

ニックさんの文章も、すごくうれしそう。ほんと、感無量だろう。


夢のワイナリーついに完成しました。
この6年間の集大成なので感無量です。 

現在駐車場等の整備、家具の取り付け等をおこなっています。

そして完成したばかりの建物と私ニック蓮見に地元長野県の
テレビ局が取材をしてくれました。

その時の映像をYou Tubeにアップしましたので、
是非ご覧下さい。
http://9026.teacup.com/toumi/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DoItfXJNnnCA%26feature%3Dplayer_embedded


このYou Tube、ぜひご覧あれ。ニックさん、結婚したのだ。そして、生活が不安定でも農家のヨメを選んだ奥さんの一言を聞いてみてちょうだい。

ワイナリーを設立して夢を叶えるブログ
http://ameblo.jp/hasumifarm/

それはそうと、つながりのあるマリリンのやどやゲストハウスも、いよいよ完成が近い。おなじぐらいの年頃の、おなじころスタートした、2人の、それぞれの夢が、前後してカタチになるのだな。すばらしい!

さらなる応援、よろしく~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/20

「まちづくり」、もっと「毒」や「菌」を吐きたいのだが。

桜山問題を書いたエントリーに、アクセスが多い。それもツィッターから。関心が高く、議論になるのは、いいことだ。とことん話し合ってほしいものだ。

おれは、この件に関しては、ほんとうは、盛岡市の「お城をシンボルとした、風格とにぎわいある魅力都心」を標榜する「「お城を中心としたまちづくり計画」案」に、根源的なモンダイがあると思っている。が、ま、いまはそのことは、いいだろう。

「まちづくり」には、プロもアマもない。もちろん、老若男女もない。プロはアマを罵倒しながら、アマはプロを罵倒しながら、ジジババは若者を罵倒し、若者はジジババを罵倒し、大いに渾沌するなかで、真実が浮かんで来るものなのだ。

にぎわいのあるまちほど、いろいろな人が渦巻き渾沌としている。「悪書追放」のようなキレイゴトを並べ立てたようなまちや、まちづくり計画からは、にぎわいは生まれないし育たない。

新宿のヤミ市あとの「思い出横丁」は、「しょんべん横丁」と呼ばれ嫌われ愛されながら、数年前には火事も出て、それでは再開発が進むかと思ったら、再開発組合は解散。かえって、にぎやかになった。いまや韓国などのガイドブックにも紹介され、韓国や台湾のガイドブック片手の若いカップルが憎らしくイチャイチャし、白人の団体がデカイ身体で狭い通路をふさぐ。店も入れ替っているし、古い店のリニューアルがすすむ。そういう意味では、むかしの面影はなくて、おれなんかもうツマラナイから行かないと悪態つきつつ、しようがねえなあと行っちゃうのだ。ゴールデン街も、しかり。

「にぎわい」というのは、新旧がゴチャゴチャ入り混じるところにある。つまりは、まちを「プロ」の手で一挙にぬりかえるより、人びとにもまれながら、渾沌の中で生き方をみつけていくのが「まち」なのだ。そうそう、きのうのエントリーに引用した「てくり」の名言、「渾沌の中に、真実は在る。」だ。

とりわけ、これまでの、「プロ」の計画屋がやる、開発投資がかかり、あとは維持経費の負担に苦労するような「まちづくり」は、もうたいがい時代にあわなくなっていることは、知られてきている。

飲食店もなあ、これまでの「高級感」を軸にしていると、とんだことになるだろうね。「まち」だって、おなじだよ。「風格」だの「高級」だのといった感覚とはちがう、楽しさやおもしろさを発見しなくてはなあ。

だから、
2010/01/20
「アートの力を信じる」…地域とは、好きでもないやつと暮らす場所。

そんなわけで、「居酒屋は大人の駄菓子屋である」という論が、飲食店だけじゃなく、まちづくりにも生きてくるのだな。と、この校正は、きのう無事に終わったから、11月1日発売の「ミーツ・リージョナル」12月号に注目!

つまりは、これからは、大衆食堂な「まち」や大衆食堂な「まちづくり」だってこと。

あっ、そうそう、まちづくりといえば、北九州市戸畑区のまちづくり推進課の企画で「地元再発見 みんなのおつまみ講座」ってのがあるのだ。その第1回が、「大衆めしとおつまみ」ということで、瀬尾幸子さんが講師。パネリストに、北九州角打ち文化研究会会長の須藤輝勝さんだ。こちら、須藤さんのブログに詳細があります。
http://blogs.yahoo.co.jp/sudoteru/33317315.html

これぞ、大衆食堂的まちづくりだねえ。この企画は、2年ほど前に、小倉駅の北側の角打ちで須藤さんたちと飲んだときにも一緒だった、Tさんによるものだ。Tさん、「さっそく「みんなの大衆めし」アマゾンで購入して読みました。いままでにない視点でおもしろかったです。白滝のたらこ煮はすぐつくりたくなりました。瀬尾さんのはすぐつくりたくなるのがよい」と、メールをくださった方だ。これからの「まちづくり」を考えるには、『みんなの大衆めし』を読むことだね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/10/19

盛岡市桜山問題、その後の動き。太田和彦さん反対表明。署名に協力を。

え~、チトきょうは忙しいのだが、2010/10/16「あさましく寒々しい再開発計画。岩手県盛岡市桜山地区。」は出かける前に急いで書いたことでもあり、十分ではない。その後、現地では説明会があったり、いろいろな動きがある。

16日の地元紙「岩手日報」の論説は、「桜山地区の再整備 ひざ詰めで語り合おう」を載せている。続いて、同紙の18日の論壇に、太田和彦さんが計画に反対する理由を2点あげ、寄稿している。

きょう、計画の対象となる地元の内丸第2町内会と東大通商業振興会が、「桜山参道地区の「勘定所・土塁・門・堀」計画、公園緑地化計画に反対し、愛する桜山界隈商店街を守る請願署名」を始めた。

「岩手日報」の論説「桜山地区の再整備 ひざ詰めで語り合おう」は、この問題を、最も正確にまとめているように思う。その書き出しは、こうである。………

 盛岡市内丸の官庁街の一角にあって、「昭和」をイメージさせる古い家並みが市中心部の名所ともなっている「桜山地区」で、一帯の整備論議が再燃している。

 同地区は、国史跡「盛岡城跡」の指定区域内。現在、約100店舗が商業地を形成する。史跡管理者の市は、国の取り決めに従って史跡に関係ないものは撤去するのが基本方針。商店主らは、先代から営んできた60年余の歴史を背景に徹底抗戦の構えだ。

 史跡は紛れもなく文化財だが、戦後、今に至るまで庶民の生活とともにあった歴史も「文化」だ。その意味で立場は互角。議論は平行線だが、このままでは、問題はまたも次代へ先送りということになりかねない。

 地域主権が叫ばれる時代にあって国と地方、あるいは行政と住民の関係は刻々変化している。事の成り行きは県内外から注目されるだろう。市はスケジュールに固執せず、まずは双方がじっくり語り合うところから始めたい。

………ここでいう「史跡」とは「国史跡」であることが、この問題をメンドウにしている一つの要因なのだ。

つまり、一面では、市は、国の下請けをやらされている。だから、市民より国に媚へつらうような、あさましいことがおきる。そして地元住民は、国史跡であるがゆえに、「戦後、今に至るまで庶民の生活とともにあった歴史も「文化」」の生活を支える建物は、老朽化しても、建て替えや改築が自由にならないという問題を抱えている。

なので、論説は、こう結んでいる。………

 商店主らの要請で13日に行われた市側との懇談で、市幹部は「国史跡は盛岡市だけのものではない」と言った。商店主からは、昭和30年代前半には周辺に土塁があったが市が撤去したという話が持ち出された。一帯が参道のレトロ商店街として県内外に知れ渡る中で、いつまでも国の意向を盾にする姿勢は住民側の感情を硬化させるだけだ。

 「勘定所」風の施設を建てるとするに至っては、残存資料の乏しい施設が史跡内に建設可能かどうか。整備後の効果も見通せない計画で、市民より国へのメンツが大事ととられては市も不本意だろう。

 土地や建物に絡み、個々の権利関係が複雑という現実的な問題もある。地域主権の本質は「住民主権」だ。実現性そっちのけの計画作りより、地元住民と行政がひざ詰めで語り合う環境づくりを優先すべきではないか。

………全文は、こちら。
http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2010/m10/r1016.htm

太田和彦さんの寄稿は、盛岡と浅草のW木村さん経由で届いたファックスで見た。太田さんは「盛岡桜山神社前の飲食店街は日本一の居酒屋横丁であると思っていた」と述べている。要点をまとめる。

「宿泊客が安心して夜の町をゆっくり楽しめる「土地の居酒屋で一杯」ができる地域がまとまっていることは、盛岡の大きな観光資源になる」「同趣旨で、全国地方都市に屋台村がたくさん作られたが、成功も失敗もあるのは人工の横丁だからだ。桜山横丁は歴史がつくった「本物」が大いなる財産で、無くすのは経済資源としてまことにもったいない」

さらに太田さんは、桜山のような社寺門前町が、人を集め栄える例として、大阪の法善寺横丁を例にあげる。桜山は、そういう名所になりつつある。そこに史跡の土塁をつくることは、「人の集まる所を廃し人を寄せ付けなくすること」だと。「桜山横丁がなくなると、盛岡は随分寂しい町になる。土塁が人を集めるとは思えない。この計画を破棄し、逆に現状を保持整備するのが、盛岡の観光名所をつくることになると考える」

まったく、そのとおり。

さてそれで、「桜山参道地区の「勘定所・土塁・門・堀」計画、公園緑地化計画に反対し、愛する桜山界隈商店街を守る請願署名」だが、東大通商店街のホームページからダウンロードできるので、ぜひお願いしたい。ホームページ右下にあります。
http://east-street.net/

この署名は、「●盛岡市策定の「桜山神社参道地区の将来像について」および「勘定所・土塁・門・堀」計画案を白紙撤回すること」「●桜山参道地区を公園緑地化することをやめ、都市計画を現状に即した商業地域指定に変更すること」の2点を、盛岡市長と市議会に請願する署名です。

「都市計画を現状に即した商業地域指定に変更すること」は、地価の高騰など新たな問題が起きる可能性はあるが、まずは太田さんのいう「現状を保持整備する」ためには、市の計画の対案のためにも、一歩すすめる必要はあるだろう。ただ、「商業地域指定に変更」以外にも方法があるような気がするが、それは今後の課題。

盛岡市民以外の方の署名も有効です。自分一人だけの署名でもよいので、大いに協力したい。「市幹部は「国史跡は盛岡市だけのものではない」と言った」そうだが、桜山の横丁だって、盛岡市だけのものではありませんからね。なにしろ、いま盛岡で行列のできる店といったら、ここにある「じゃじゃ麺」の「白龍(パイロン)」なんですから。おれも行きましたが、盛岡以外からも行くところなのだ。ああ、また行きたい。

とり急ぎ、いじょ。下の画像は、桜山を特集した、盛岡の町雑誌「てくり」5号(07年6月)。ほんと、老若男女に愛されているまちなのだ。この右ページの扉には、画像では読みにくいが、「渾沌の中に、真実は在る。」とある。名言だ。

002

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010/10/18

ギアを、そろりと、ニュートラルからローに入れる。

2010/09/27「経堂・さばの湯→下北沢・スロコメ→経堂・太田尻家→泥酔野宿。」に書いた野宿をしてから、人間が生まれ変わったように、調子がよいというか、チョイとカビやサビがついた感じだった肉体と精神が野性をとりもどしたようで、メチャクチャ自由闊達に妄想がヒラメキほとばしり、アフリカのジャングルにいる女に襲いかかろうかという気分が盛り上がったりする。アブナイなあ。でも、野宿は、いい気分転換になる。今年中に、もう一度ぐらいは、やりそうな気がする。

そこで、やる気ムンムンの妄想を、遠いアフリカのジャングルの女なんぞではなく、近くのキミにアゲル、である。そう、しばらくほっておいた、つぎなる本に取り掛かるとする。まずは、担当編集女子との仕切り直しの打ち合わせの日時が決まり、ギアを、そろりと、ニュートラルからローに入れるべく、資料を揃えて読みくだいているのである。ま、この先、どうなるかわからんが。

11月1日発行の「ミーツ・リージョナル」12月号「居酒屋特集」に掲載予定の原稿、「居酒屋は大人の「駄菓子屋」である」(タイトルは、このままじゃないけど、そういう趣旨ね)の校正も出ている。

Eniza01画像は、経堂で野宿した記念すべき日に、野暮連から67歳の誕生祝にもらった、かまぼこのタイにナイフを入れる直前。撮影は、元愛人8号、シバさん。どうも、ありがとう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

好きなことだけやっていたい、嫌なことはやりたくない。

ちかごろ、こういう発言に、ふれることが多い。もちろん、現実は、そうではないから、こんなことを言いたくなるのだろう。リッパな考えだと思う。

しかし、そう言っているひとの「好きなこと」というのが、けっこうツマラナイ、なんだ、好きなことってそんな程度のことかと思うことも、少なくない。

そもそも「好き」「嫌い」でモノゴトを考え、「好き」「嫌い」でモノゴトをのべるひとたちは、単純なアタマの構造をしていて、せっかく複雑怪奇で渾沌としている世の中で生きているのに、そのおもしろ楽しさを知らない場合が多いのである。

「好きなことだけやっていたい、嫌なことはやりたくない」=直接自分に関係ないメンドウはやりたくない。そのていどの考えは、たとえれば、料理を作るメンドウや片付けのメンドウはしたくないが、おいしい料理を食べたい、というていどのことが多いのだ。つまりは、「おいしいところだけいただく」という考えである。

そういうコザカシイやつが、メディアがらみやクリエイティブがらみの仕事をやっている連中に、けっこう増えているような印象がある。

むかし、たぶん70年代中頃まで、クリエイティブだのクリエイターを志向する人たちが、胡散臭く見られ、まっとうな人間ではないと思われていたころは、「好きなことだけやっていたい、嫌なことはやりたくない」は、それなりに「志」やスピリッツがあったように思うが、いまやクリエイティブだのクリエイターだらけになって、そういう考えが共感を持って迎えられる場面が多くなると、むしろ、じつにタイクツでミミッチイ生き方を意味するようになった、ように見える。

もっとも、ご本人たちは、「好きなことだけやっていたい、嫌なことはやりたくない」同じ仲間のなかで集団的興奮のうちに、自分はよい生き方をしていると思っているようである。

話はちがうが、ここのところ「出版不況」「本離れ」「電子書籍」といったことが騒がれる。その騒ぎの中心にいるのは、たくさん本を読み、けっこうな知識を持っているはずの、業界人である。ところが、その議論の幼稚性は、どうだろう。

なかでも極めつけは、「問屋不用論」に通じるたぐいの発言だ。かつて、この種の議論が盛んだったことがある。本を、たくさん読んでいる人たちは、そのことを知っているはずだろう。60年代の、いわゆる「流通革命」がいわれたころだ。スーパーマーケットの進出や、「産地直販」は、そういう「論」で普及した。たしかに、問屋制度の不合理はあったのだが、では問屋は不用だったかというと、そうではない。そして、食品などの流通においては、問屋は、まだ依然として機能している。そのナゼを、「出版不況」「本離れ」「電子書籍」議論の中心にいる人たちは、考えたことがあるのだろうかと思わざるをえない。

この世は、不合理や不条理を抱えながら成り立っている。「好きなことだけやっていたい、嫌なことはやりたくない」という考えは、その渾沌を「悪い」「嫌い」と決めつける可能性が高い。

白黒をはっきりさせることが、かっこよいと思っている、幼稚な知識人も少なくないようだ。短絡した、白黒をはっきりさせる話のほうが、単純で一般受けしやすいということもあるだろう。そこに、声を張りあげ、危機を叫び、新しいことに興奮して、ジャーナリスティックなバカ騒ぎをしているだけで、ナニゴトか解決し進化しているかのような錯覚も生まれ、混沌は、ますます深まる。

もしかすると、「好きなことだけやっていたい、嫌なことはやりたくない」は、そういう時代の閉塞を、ますます閉塞に導いているのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/17

神保町な夜の痛飲泥酔やっとこさ帰宅。

いちおう朝から起きてはいるのだが、身体中ぼんやりで、何も手につかない。まだ酔っている感じで、まぶたが重い。とにかく、きのうのことを書いておこう。

きのうのエントリー「あさましく寒々しい再開発計画。岩手県盛岡市桜山地区。」だが、その盛岡から、いまや全国的に有名になった盛岡のタウンリトルマガジン「てくり」の木村敦子さんが東京に来られるというので、飲み会に誘われていた。

きょうの午後、南陀楼綾繁さんの「出版者ワークショップ」のゲストに、木村衣有子さんと木村敦子さんが招かれていて、ま、その前夜祭?のようなもの、でもなく、ようするに飲むのである。

19時に小川町の「みますや」集合だった。なので、その前に、神保町の「路地と人」でやっている「やっぱり彫刻が好き」展が、ブログを見るとおもしろそうで気になっていたから、寄って見ようと早めに出た。もっと早く出たかったのだが、「あさましく寒々しい再開発計画。岩手県盛岡市桜山地区。」を書くために、ネット上の資料をあれこれ見たりしていたら、遅くなり、「路地と人」に着いたのは18時を過ぎだった。

「路地と人」では、何度かお会いしている出展者の一人、儀保克幸さんが、すでにビールを飲んで半分酒場をやっていた。初めての女子が一人。おれも、ビールをもらう。飲みながら、作品を見る。儀保さんから話を聞く。いやあ、びっくりおもしろく、彫刻を見て、こんなに興奮したのは初めてだ、もっと早く来てゆっくり見たかった。でも、短時間でも、すごい刺激になった。これ、残念ながら、きょうまでなんだよね。いまからでも間に合う方、ほんと、オススメっです。
http://rojitohito.exblog.jp/11371554/

急ぎ足で「みますや」へ。19時チョイ前に着いたが、まだ誰も来ていない。生ビールをもらって飲む。間もなく、W木村さんとサキさん。敦子さんは11時ごろ着いて、3人であちこち歩きまわっていたとか。とにかく、乾杯。敦子さんは、初対面だが、このブログでもコメントいただいているし、最近の敦子さんのツィートでは、おれのことを「エンタツ」と書いて楽しんでいたし、初対面のような気がしない。

「みますや」を予約してくれたネギさんは、姫路に出張で、ちょうどおれたちが飲み始めるとき、新幹線に乗ってこちらに向かうとメールがあり、なんとまあ。

とにかく、話は、まずは、その桜山問題から、盛岡のあれこれだった。そして、つぎにあらわれた、東京堂書店の名物女子で、話の流れは自然に、出版やリトルマガジンのことに。名物女子の名物名言も飛び出し、いろいろおもしろい話を聞けたが、ちかごろ「てくり」やてくりが発行する印刷物のパクリが、あちこちで生まれ、そのまんま真似たものもあり、いくらなんでもクリエイターとして恥ずかしいことじゃないのってのが増えているらしい。ま、「てくり」が人気の証明ではあるが、そりゃいくらなんでもひどいパクリ例をネタに、楽しく飲む。

みますやは22時閉店。ラストオーダーが終わった直後、ネギさん到着。ダイエットして痩せたという話は聞いていたが、ほんと痩せて、病気じゃないかと心配になるほど。さらに、三省堂書店本店の名物女子があらわれ、神保町的飲みの度合いが深まる。が、おれは、そのころには、生ビール3杯ほどのあとチュウハイを2、3杯やり、2合とっくりの燗酒を何本かあけていた。やや泥酔記憶喪失状態に近い。

みますやを出て、とにかく神田駅近くで飲もうということで、高架下の酒場。マグロブツとサンマかイワシの刺身、かきフライは覚えている。新政を燗で飲んだのも覚えている。

豪勢な顔ぶれで、にぎやか楽しい秋の夜の宴だった。ああ、何時だったのでしょうか。おれは、東大宮までの電車はない時間で、0時45分大宮駅発の深夜バスに間に合う時間だったが、バス停に行くと、土曜日なのでバスは運行していないのだった。タクシー待ちの列に並び、財布を見ると、千円札2枚と5百円玉一個に十円玉と一円玉がパラパラ、酔眼にうつる。で、気がついた、ウチまでタクシーに乗ると、二千六百数十円だから、足りない!

金を引き出すため、ふらふらと列を離れ、眼に入った、コンビニへ。カードを入れると、使えない。別の、コンビニへ。そこもダメ。そんなはずはない、このあいだ使ったばかりだ。酔った頭でヨロヨロ、コンビニを求め試みるが、どこもダメ。何軒目かで、店員を呼んで、オカシイという。店員、おれのカードを見て、「お客さん、このカード、ひびが入っていますよ、たぶんそのせいでしょう」。そういや前からヒビが入っていたが、それが磁気テープのところまで及んでいた。

そういうわけで、酔った頭でどうするか考えた結論は、タクシー運転手に二千五百円のところまでと頼むことだ。どのコースを走るかによるが、乗ったタクシーの運転手が、いまどき珍しく若い親切な男で、ウチに近いコンビニの前で、ちょうど2420円だったかな?

そこで、再び記憶はなくなり、とにかく朝無事に目が覚めた。まもなく、13時。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/16

あさましく寒々しい再開発計画。岩手県盛岡市桜山地区。

盛岡市の桜山には、07年の7月に行った。昼どきだったので、周囲のサラリーマンに混じって、白龍(ぱいろん)の「じゃじゃ麺」を食べた。その折、あたりを歩いて、ここはゼヒとも、夜に飲みに来たいと思ったが、その夜盛岡を発つ新幹線に乗らなければならなかった。

チャンスがあったら、行きたいと思い続けている。ところが、そこが、再開発によってなくなる計画が動き出していると知った。

またもや、例のオロカシイ再開発である。が、この再開発計画には、暗然とした。これまで、少なくない再開発計画なるものを見てきたが、これほど寒々しい計画は、なかった。

桜山地区は、盛岡城址の城郭内になるのだが、ここで営業してきた店をとっぱらい、あとは、ここにかつてあった勘定所なるものを造り公園にするのだという。いや、勘定所の復元なら、まだ少しはわかるが、そうではなく、かつての勘定所のかっこうをした物産土産店をつくるというのだ。ようするによくある、カタチだけ江戸期風に真似た建物である。いまそこで生活している100店ほどを追い出し、できるのが、これだ。

ところで、盛岡で「桜山」といえば「昭和レトロな飲食街」として、城址よりご存知の方もいるだろう。とりわけ、居酒屋ファンのあいだでは、太田和彦さんを初めとする著名の案内人の方が紹介していることでもあるし。

そうそう、おれの知人で、その太田和彦さんや吉田類さんなどより全国の居酒屋を歩いて知っていると豪語する男がいる。おれよりはるかに若く、うまい店知っている自慢のただならぬ男で、自分の価値観を押し付けること激しく、たまらん男だが、なぜかその激しさがかわいくて憎めない。

こいつは、そういう男だから、自分の価値観にあわないものは、トコトンけなす。で、おれが盛岡へ行って来たと知って、かれはただちに「盛岡のどこへ行った?」と詰問するように聞いた。もう、おれの行ったところにケチをつけてやろうという態度が、あからさまだった。つまり、自分がヨシとするところへ行ってないと、ナンダそんな所へ行って、ここを知らんのか、こんなことも知らんのか、と、威張るやつ、よくいますね、うまいもの好きといった連中に、アレですよ。そのように、じつに横柄なやつで、ガキのようで憎めない。

おれが「桜山」といったら、オッ、とおどろいた顔をして「よしっ、さすが」と言った。なにが「よしっ、さすが」だ、ほんと、生意気な野郎で、よくこれまで殺されずに生きて来れたと思うのだが、憎めない。食品のマーケティング屋をやっているが、こんなに偏向していて、よくやれている。ま、つまりは、桜山は、すでにこの種の連中のあいだでは、「聖地」のようなものに近い存在なのだ。

というのも、おれは、このとき盛岡へ行って、初めて桜山地区を歩いて知ったのだが、東京でいえば、新宿のションベン横丁やゴールデン街、あるいは浅草あたりにかつてあった昭和の飲食街横丁を、小規模にまとめた風情である。それもそのはず、戦後のヤミ市あとなのだ。いまや、都道府県庁所在地で、このように「昭和」な飲食街の一角が、そのまま残っているのは、まれで珍しい。どこに行ってもあるような城址より、はるかに珍しく貴重だ。

もちろん、この一角の人気は、一朝一夕のものではない。その場所にある人のつながりは、まちの無形の財産で、簡単につくれるものではないはずだ。そこをなくして、再開発されたまちになるのとも違い、カタチだけ真似た、いわば江戸期マガイモノ勘定所の店舗を造ろうという。

その計画の背景は、さらにお粗末だが、きょうはここまで。

とりあえず、まずは、この「くぼた屋ウエブログ」の「 【桜山問題】盛岡・桜山地区の史跡保存計画まとめ(関連リンク集)[1]」を、ご覧いただきたい。
http://kubotaya.exblog.jp/12054952/

おれは、じつは、「地形」が趣味で、登山が趣味だったのも、それが関係するし、古墳なども関係するし、かつてのマーケティング稼業には大いに関係したが、中学ぐらいから「地形」が好きである。なので、地方の都市へ行くと、高いところへ登って眺め、あれこれ考える。盛岡へ行ったときも、城址に登って眺め、まちを歩いて、このまちはこんなふうになるといいなあ、ということを考えた。つぎは、その件について書いて、この再開発計画が、いかに未来に対して見当はずれで、あさましいものであるか、検討しよう。と、いっても、例によって、ほかに書きたいことがあると、いつになるかわからないが。

070730morioka01_3
この画像の、右手方向に桜山地区がある。周囲は官庁街で、にぎわいがある。
070730morioka02
桜山の飲食商店街は、桜山神社の参道に古くからの門前町のように馴染んでいる。大衆食堂もある。
070730morioka05
亀ヶ池に囲まれて。
070730morioka06

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/15

西江雅之さんのオコトバ。

 もし、食べるという行為が生命を維持するためだけのものならば、人びとの腹を満たすのに必要な食料が供給できさえすれば十分なはずだ。
 しかし、人間の食べ物には文化が付きものである。世界中、如何なる人間集団の中に入っても、何を、いつ、どこで、誰と、何を使って、どのように食べるか。それによって、たとえ同じ料理でも味は大きく異なってくる。(『Tasc Monthly』8月号(財団法人たばこ総合研究センター TASC発行)、「聖なる煙に導かれて」第8回「ビンロウのこと」より)

0041で、おれ、エンテツは思った。しかし、何を、いつ、どこで、誰と、何を使って、どのように食べても、自分こそホンモノのうまい味を知る人物であると、能書きをたれ、言い張るひとは少なからずいる。よくビジネス上の、わずかな期間のわずかな業界での成功を、世間と人生を知りつくす達人であるがごとく、貧しい言葉で教訓をたれ、吹聴する厚顔無恥と同じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/14

上品にオリコウぶる味覚。

遅くなったが、映画「かもめ食堂」を観た。すでに公開から話題になり何年間のときが過ぎているので、おれのアタマには「かもめ食堂ブーム」の印象のほうが先に入り込んでいたから、いまどきの小市民的文化系女子コンプレックスのかたまりのような、文芸ぶったクソッタレ上品オリコウぶった映画なのだろうと思っていた。だけど、まったく、ちがうのである。

そりゃまあ、映画にしろ印刷物にしろ、公開され発行されたら、一人歩きしちゃうものだけど、いくらなんでも、こりゃひどいんじゃないの。じゃあ公開したてのころ、これを見てブームを牽引した連中は、どういうアタマの構造をしているのだと考え込んで、帰りに東大宮のギョウザの満州で、便所に入って小便してからビールにギョウザにみそラーメンにレバニラ炒めを食べてしまった。

まったくなあ。とにかく、そこで、おれは、「上品にオリコウぶる」ファッションや味覚なるものを、あらためて考えてみようと思った。

そのことを、忘れないうちに、こうやってタイトルにした。

「上品にオリコウぶる味覚」の根は、深い。やっぱり、断固、パンクである。「居酒屋エンテツ」は、おれなりのパンクなのだ。と思っていたら、PUNK(なのかもしれません)さんからメールが入っていた。予定を確かめて、あとで返事しますよ~。

それとは、関係あるかどうか。

一度寄稿してから毎月送られてくる月刊誌『Tasc Monthly』(財団法人たばこ総合研究センター TASC発行)には、TASCフォーラムという、この雑誌のメインとなるページがある。たいがい研究者による座談であり、ときどき当ブログで取りあげているが、ここのところ刺激的な内容が続いている。もとは「政府系」団体だが、民営化と禁煙権力の横行のなかで、いろいろ試行錯誤があるのだろう。試行錯誤はいいことだ。

8月号の対談は芹沢一也さんと佐々木中(あたる)さん。タイトルが「暴走する<民意>良心・善意というパターナリズム」。「良心・善意が必然的に産み出してしまう排除のメカニズムの本質について」語り合っている。

エコロジーなるものも、そうだと思う。おれもスーパーに行くときはトートバッグを提げて行くが、とにかく「良心・善意」が横行しているのである。(おれがトートバッグを持って行くのは、トウゼン良心や善意などクソクラエなのであって、単に齢のせいだろう、スーパーの買い物袋では、手が痛いし重くてかなわん、肩からかけたいからにすぎない)。ともあれ、「良心・善意」の横行と、「上品にオリコウぶる味覚」は、栄養がナンタラ有機だの純米だのホンモノがなんたらと言いながら他を見下すということも含め、深く関わりがありそうだ。

その座談会の最初の見出しは、「治安悪化の幻想、防犯意識の快楽」だ。この過剰なほどセキュリティが整った国で、いま起きている治安悪化の幻想や相互チェック防犯意識の快楽。これは、なんだか、「安全、安心、おいしい」を掲げて食品や飲食をチェックしランキングする快楽に似ているぞ。

簡単に書こう、見出しは「自殺の増加、犯罪者排除に潜む自助イデオロギー」「ロスジェネ~中産階級のアンダークラス化」「セキュリティという見えない権力」となる。

「ロスジェネ~中産階級のアンダークラス化」は、とりわけおもしろい内容で、アンダークラス化したくない、アンダークラス化している現実を受け入れたくない、中産階級の意識と、その動向について語っている。

最後の方で、佐々木さんがフーコーを引用しながら、まとめている。「フーコーが言っているのは次のようなことです。社会を運営していくにあたっては、誰もが手を汚さない訳にはいかない。私の手だけは汚れていない、私の手だけは綺麗だというのは幻想です。ただ、この手の「汚し方」を変えることはできる」

そういうことであるが、おれが近頃つらつら思うのは、良心だの善良だの綺麗だのと「上品にオリコウぶる」傾向には、なんだか魅力あるスピリッツが感じられないということだ。

フト思った。私の手だけは汚れていない、私の手だけは綺麗だというように、上品にオリコウぶる傾向が、「かもめ食堂」という映画を消費のブームに変質させたのではないか。

「かもめ食堂」は、どこのどんな人生も、何かツライことを背負っているものである、それでも人間は生きていかなくてはならない、生きていくには「食べなくてはね」ということを、シンプルに語っているにすぎない。

食べ物のウンチクすらない。一つだけ、コーヒーをおいしく入れる話が出てくるが、オマジナイをするだけだ。それは、おなじコーヒーを入れるのにも、おいしく飲みたいというスピリッツを持つことが大事であるということを語ることで、生き方を示唆している。

出てくる料理は、コーヒーにシナモンロール、サーモン(さけ)、トンカツ、とりカラアゲ、豚しょうが焼きなどに(『みんなの大衆めし』じゃないの)、日本のソウルフードとしてのオニギリであり、どれもありふれたものばかり。材料や料理についてのウンチクはナシ。つまりは、この映画は、ありふれたものをおいしく食べる心の持ちようを語ることで、それぞれのキレイゴトではすまないツライことを背負いながら、よりよい人生を生きなくてはならないと語っている。

かもめ食堂が満員になるころには、学生や、中流ビジネスマン夫妻、有閑マダムなどに混じって、ペンキのついた作業服の労働者も客になる。もたいまさこ演ずる「まさこさん」がこんなことをいう。変化する流れに身をまかせているから見えてくることもありますね。すべての現実を受け入れようということだ。

そういう映画がまあ、とんだ方角ちがいのブームになる。そのブームの「上品にオリコウぶる」ファッションの傾向には、ペンキのついた作業服の労働者が入る余地はないように見える。作品をこえて、暴走する<民意>によって、アブナイ「汚い人たち」は排除されているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/13

楽しい関係。ピーアールや販促の奥深いナゾ。

あまり時間がない。

さきほど、ツィッターを検索していたら、こういうつぶやきがあった。
存じ上げない方だが、これは、2010/10/07「北九州市『雲のうえ』13号、特集は「夜のまち」。」をご覧なってのことだろう。


http://twitter.com/forest2008/status/26700639021

最近とってなかったな。久しぶりに読みたくなった。でもこれエンテツさん一流の販促じゃないよね? :北九州市『雲のうえ』13号、特集は「夜のまち」。 http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2010/10/13-4aa0.html
9:33 AM Oct 8th webから
.forest2008
shinobu morisue


「でもこれエンテツさん一流の販促じゃないよね? 」に、楽しくて、笑ってしまった。いやいや、そうかも知れませんよ。そのへんは、『雲のうえ」をご覧になって、確かめてください。というと、これはもう、完全に販促になるか。

おっと時間がない、とりあえず、ここまで。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/10/12

出生率を上げるには。

チョイと調べることがあって、「となりの芝生」を見ていたら、調べていることには関係ないが、このデータが気になった。合計特殊出生率のランキング。「合計特殊出生率」については、後に解説がある。

日本は、これから、高齢化といまだかつてない人口減が予測されているわけだけど、出生率の向上には決め手がない状態だ。で、このデータを見て思ったのだが、とにかく、もろもろのモンダイは、極端な東京一極集中が問題であることが多いにもかかわらず、その東京が最も出生率が低い。しかもダントツ。こんなところを優遇し、税金をどぶどぶつぎこんできたわけだ。つまり出生率の低下に、カネをつぎこんでいるようなものだ。富やひとを東京に集中しながら、人口が減少しているわけであるね。

だから、出生率の高い県が、もろもろの補助金や助成などの優遇措置を受けられ、東京に集中している、いろいろな法的優遇措置も、出生率の高い県に有利にする、というぐあいに改めれば、各都道府県は出生率の向上に熱意をもち、かつ東京一極集中の悪弊も解決されるんじゃないの。なーんてことを、思ったりした。

このデータ、平均値がでてないが、ヒマなひとは計算してみてほしい。だいたい例年は1.3前後だ。仮に1.3とすると、37位以下は、平均以下で、みな大都市を抱えている都道府県。日本は集中し密集しながら滅ぶのか。集団的興奮が好きだからなあ。

1位 沖縄県 1.74%
2位 宮崎県 1.55%
3位 島根県 1.53%
4位 鳥取県 1.51%
4位 鹿児島県 1.51%
6位 福井県 1.50%
6位 佐賀県 1.50%
6位 熊本県 1.50%
9位 福島県 1.49%
9位 長崎県 1.49%
11位 山形県 1.45%
11位 大分県 1.45%
13位 長野県 1.44%
14位 香川県 1.42%
15位 滋賀県 1.41%
16位 岡山県 1.40%
16位 栃木県 1.40%
16位 山口県 1.40%
19位 岩手県 1.39%
19位 静岡県 1.39%
21位 新潟県 1.37%
21位 広島県 1.37%
21位 愛媛県 1.37%
24位 群馬県 1.36%
24位 愛知県 1.36%
24位 石川県 1.36%
27位 茨城県 1.35%
27位 岐阜県 1.35%
27位 三重県 1.35%
30位 秋田県 1.34%
30位 富山県 1.34%
30位 和歌山県 1.34%
30位 山梨県 1.34%
34位 高知県 1.33%
35位 青森県 1.31%
35位 徳島県 1.31%

37位 福岡県 1.30%
38位 兵庫県 1.28%
39位 宮城県 1.25%
40位 埼玉県 1.24%
41位 千葉県 1.23%
41位 神奈川県 1.23%
43位 大阪府 1.22%
43位 奈良県 1.22%
45位 京都府 1.19%
46位 北海道 1.18%
47位 東京都 1.02%

総務省統計局 『社会・人口統計体系』 (2008)調べ

【データ解説】
合計特殊出生率とは、15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計した値で、これは1人の女性が一生の間に生む子ども数の平均に相当します。なお、計算式は下記のように表されます。
合計特殊出生率=(母の年齢別出生数)÷(15~49歳女性の年齢別人口の合計値)
* 掲載されている数値は統計に基づくものですが、あくまで集計推定値となっております。

となりの芝生
http://www.tonashiba.com/ranking/pref_population/population_p/07010011

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひらめき、きらめき、ほとばしり。

003きのうの居酒屋エンテツはおもしろ楽しかった。野暮連の4人に来てもらった。

清酒は、アル添や三増酒のたぐい。もちろん紙パック。そのほか、合成酒や合成酒のようなリキュール類もいいだろう。焼酎も、これらに準ずる。ビールは、第3のビールや発泡酒。ようするに安酒。

つまみは、最もありふれた食材で作る。能書き、職人技、丁寧な仕事、繊細な心配りなどは、なし。ようするに安料理。

いい人いい酒いい料理に頼ることなく、自ら楽しく飲む人間をみがく。

という構想にしたがい、用意した酒は、「第3のビール」といわれるもの。ま、酒税法上は「リキュール(発泡性)①」というやつ。それと、画像の栃木は北関酒造の「豊醸富士」、原料に、米と米こうじのほかに、醸造アルコールと糖類と酸味料を使用した、俗に「三増酒」といわれ、「正しい人」たちに非難をあび毛嫌いされる酒だ。この2ℓの箱入りで600円台。

作ったつまみは省略するが、よいデータがとれたので、さらに検討とテストを加え、来年どこかでイベント的に「居酒屋エンテツ」をやりたいと思っている。いちおう場所の相談はしてあるのだが、やや流動的なのでどうなるか、来年になってから考えよう。来年は、このほかにも、すでに相談はしてあるのだが、準備が遅々として進まない、イベント的に「私が考える野菜炒め」というのを、やるつもりなのだ。と、もう来年の話か。

「いい人いい酒いい料理に頼ることなく、自ら楽しく飲む人間をみがく。」ってのは、あらためて、大事だし、おもしろ楽しい。

この世は、とかく、ありがたそうな「正しい」教条や知識とカネに流され、自ら持っているはずの、ひらめき、きらめき、ほとばしりが失われやすい。

どこそこの名産地の材料や、とれたての材料を使おうが、安物のパックされたもやしを使おうが、使う材料をこえて、感覚の、ひらめき、きらめき、ほとばしりがあるかどうか、そこなのだと思う。もっと、そういうものを愛するようになりたい。ツマラナイ人間か、おもしろい人間かのちがいも、そのへんになると思う。

しかし、この安酒の箱の酒。箱のてっぺんに堂々と、「越後杜氏 山崎忠一」の名前が印刷されている。とかく、「ほんものを知る」という人たちに軽蔑されるこのテの酒に、このように名前を刻む。その姿勢、よしとしたい。

書くまでもなく、きのうは激しい泥酔。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/10/11

居酒屋は大人の「駄菓子屋」である。居酒屋エンテツ。

2010/10/02「「居酒屋エンテツ」構想。」を書いたあと、コトのはずみで「居酒屋エンテツ」をやることになった。

きょうの15時ごろからの予定。きのうは準備をしなくてはと、あせっていたが、買い出しだけで、そんなにやることはなかったのだ。だから、こうやってブログを書いている。

きのう締め切りの原稿の1本は、ミーツ・リージョナルの11月1日発売の12月号。今回は「居酒屋特集」なのだ。そこに、「居酒屋に人が集まる本当の理由」なる読み物企画を組むとかで、おれも書かせてもらった。以前から書きたいと思っていたが、なかなか書くチャンスがなかった、「居酒屋は大人の「駄菓子屋」である」という「論」を展開した。編集さんにも気に入っていただいたようで、OKが出た。あとは校正が出るのを待つだけ。これは、きのうも書いたが、新書一冊になるようなテーマと内容を2千字にまとめるのに苦労したが、なかなかおもしろいと思うよ。楽しみだなあ。

しかし、きょうあたり原稿締め切りで、レイアウトは明日以後だろうしイメージ写真も撮影するらしいのだが、それで11月1日発行ができるのだから、コワイぐらい早くなったものだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

中小零細の生き方。

2010/10/06「埼玉35酒蔵、大試飲会。蔵の生き方、人の生き方。」に、「泥酔なので、あとで書くが、しみじみ、「蔵の生き方」に「人の生き方」を考えるようなことがあった。食べる、飲む、という行為は、そこに人の生き方をみることだと、あらためて思った。」と、書いたままであった。

じつに、印象に残る景色だった。

会場は、35のブースに、それぞれの酒蔵が出品していた。入場者は入口のところで、利き酒用の小さな猪口を受け取り、ブースで試飲したい酒を選んで酒蔵の方に注いでもらう。

一人、じゃまで気になる若い男がいた。30前半といったところか、こいつが、ちょどおれの前に立つことが多い。しかも、こいつ、自分で大きなマイぐいのみを持っていて、それについでもらうのだ。それだけでも、バカであることがわかる。さらに、たくさんブースに群がっている人がいるし、酒蔵の方は、待っている人に注ぐので忙しいのに、いつまでもブースの一番前に立って、酒蔵の人に質問し、なにやら仔細らしくノートにメモするのである。いかにも、なにやら、専門家風評論家風を気どって話す。

もう、まったくのバカですねと思っていると、あるブースで、またその男がおれの前にいた。デカイぐいのみを突き出して。その酒蔵は、辛口に特徴があったのだが、そこで、そやつは、酒蔵の方に向かって、こう言った。「言った」というより、「とがめた」というのが正確だろう。つまり「いまは、こういう辛口は、ハヤリではないのでは」。

すると、そう言われた、白髪をたくわえた初老の酒蔵の男は、グッと一呼吸息をのんで、敢然とした態度と眼と口調で、こんなことを言ったのだ。「うちは、むかしからこの味でやっています。この味一筋です、流行は関係ありません。これが、うちの酒造りで、うちの味だと思ってください」

おれは、酒蔵の男に、声を出して喝采を送りたかった。

出品している埼玉の酒蔵は、みな中小零細だ。数年前までは40以上あったが、いまは35。しかも、平成の創業が1社あるが、明治期創業などは「若い」ほうで、江戸期創業がめずらしくない。だけど、みな中小零細だ。それぞれの造り方をし、それぞれの味を醸してきた。だから、中小零細であり、大きくなれなかった、ともいえる。だけど、多様な味覚と文化は、そのおかげで保たれているともいえるわけだ。

日本酒というと、「日本酒離れ」が話題になるが、中小零細の酒蔵の経営を厳しくしている本質的な問題は、そこにあるのではない。酒蔵に限らず、中小零細の経営環境は厳しい、それは地方経済の衰退ともリンクしている。ようするに、政府の政策に大問題があるのだ。

そのことは置いておくとして、いったい、ここに書いた若造のような「消費者」は、味覚を何だと思っているのだろう。こういう人たちは「グルメ・ブーム」以後ふえているのだが、そもそも、人間の多様性や味覚の多様性について、まったく理解していない。その意味では、大問題の政府の政策や、画一化や均一化を進めるマーケティングと一対補完の関係で、特色ある中小零細や地方の経営を厳しくしている。といえるだろう。

残念ながら、こういう人たちは、少なくない。「うまいものを知っている」なら、より謙虚であろうはずだと思うが、そうではなく傲慢なのだ。ようするに自分が「優秀」であるということを、味覚において主張したいらしい。こういうことが、いまの日本の味覚文化を、かなりゆがめている。

中小零細の生き方、フリーライターのおれも「零細」の極致だが、たしかに流行にのるというテもあるだろう。だけど、それが生き残りの保障にはならない。中小零細には、「保障」なんてないに等しいのが、コンニチ的日本なのだ。であるから、潔く、ワタシはワタシの道を行くという選択もある。どうせ、流行なんて、コロコロ変るものなのだ。試飲会でマイぐいのみを出すようなバカどもと、心中はしたくない。

しかし、会場の半数以上は、60歳以上だったが、この連中のマナーの悪さも目立った。いま、飲食の話題に群がる連中は、バカが多いのかと、情けなくなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/10

いろいろありすぎて、書けない。

いやあ、きょうは10日じゃないですか。この2、3日は、数か月だったような、数秒だったような。そもそも、明日中に仕上げなくてはならない、依頼が早すぎて忘れてしまっていた原稿と、もう一つの原稿。だけど、明日は、「居酒屋エンテツ」を試験的に開催する日なので、今日の早めに原稿は仕上げて送り、明日の準備にかかりたい。

一本の原稿は好きな、書きたいことがあったテーマで、かなり没頭集中して書いた。激しい集中力。新書一冊になりそうなテーマと内容を、2000字にまとめた。

とにかく、原稿は仕上げて送った。ところが、原稿を書くため資料をひっくりかえしていたら、封を切った手紙が出てきて、見たら原稿依頼。その締切りが8月末なのだ。どうしたことだ、暑かったからか、酒の飲みすぎか、まったく記憶になかった。泥酔の最中に封を切って、そのままになったのだろうか。これ、どうしよう。その後、音沙汰ないのである。はて。

しかし、えーと、何本電話があった? いろいろ相談長話もあった。ほんと、世の中、いろいろありすぎだよ。いつの時代にもありそうなことも、いまの日本だからありそうなことも。経営者も社員も大変。メールも、いろいろあったな。とても連休中とは思えない。

バツイチが再婚という、めでたい話もあったが、残念な話もあった。たくさん感じ、たくさん考え、頭がハチ切れそうだ。書いて吐き出したいが、どこからどう書いたものか。

19時になる。とにかく、明日の準備に取り掛かるとしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/07

北九州市『雲のうえ』13号、特集は「夜のまち」。

002

難しい。どう紹介したらよいのやら、『雲のうえ』なのに、こんなに困ったことは、これまでなかった。ま、感じたままに書けば、「どうしたことだろう」ということだった。まとまりがイマイチというか。そりゃまあ、齋藤圭吾さんの写真と、有山達也さんのアート・ディレクションで、あいかわらず魅せるヴィジュアルではある。それだけでも、価値があるだろう。

だけど、なんてのかなあ、読んでみると、個々の文章も悪くはないのだが、どうもその、ようするに、これって全体的にテーマがこなれきっていないんじゃないの、という感じがしたのだ。

だいたい「夜のまち」って、かりに「昼のまち」とやってみればわかるように、ちょっと大雑把すぎると、おれのような大雑把な男が思うのである。もうちょっと、ブレイクダウンがなくてはなあ。それに、「夜のまち」というのは、「昼のまち」とちがって、そのまちと芋づる式につながる、ある種の「入口」のような店があるはずだと思うけど、そのへんの押さえどこもイマイチなのは、やはり、このテーマでどうしたいってあたりがアイマイだったのではないかと、思ってしまった。

でも、まあ、それぞれ力がある表現者のことゆえ、そんなことは問題にならず評価されるだろう。めんどうくさく考えずに、「夜の飲食徘徊録」というあたりで、いいのかも知れない。まいどのように、おもしろく見やすく読みやすく楽しめるのである。これまでになく、文芸的な嗜好の強い、ある種レベルの高さも感じる。それが、プラス評価になるか、マイナス評価になるかは、わからない。今回は、賛否がわかれそうなところが、いくつかあって気になる。いろいろビミョーな「問題作」であるようだ。あえて、そういう挑戦をした、ということかも知れない。よくわからない。

ま、とにかく、見てみてよ。

003

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/06

トークとブルースの古墳ナイト、2回目噴火は11月6日。

午後になっても、きのうの酒がけだるく身体に残っている。ああ、アンニュイだなあ。ボンヤリした頭のなか、須田さんから電話があって、まりさんとの日程を調整していただき、2回目の古墳ナイトが決まった。

11月6日、土曜日。下北沢のスロコメ(スローコメディファクトリー)です。まだ時間が決まってないけど、19時ごろのスタートになるでしょう。

前回は、飲みすぎて、トークが長くなったうえに、おれは野宿というおまけまでついてしまったが、こんどは、あまり酔っぱらわないように気をつけよう。と、イチオウ、思っている。

もちろん、まりさんのブルースもあります。楽しみ~。
みなさん、大いに都合をつけてご参加ください。

古墳とブルースに燃える、Black&Blueまりさんのブログ。
http://music.ap.teacup.com/blackandblue/

前回の様子は。
2010/09/27
経堂・さばの湯→下北沢・スロコメ→経堂・太田尻家→泥酔野宿。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

埼玉35酒蔵、大試飲会。蔵の生き方、人の生き方。

002

泥酔なので、あとで書くが、しみじみ、「蔵の生き方」に「人の生き方」を考えるようなことがあった。食べる、飲む、という行為は、そこに人の生き方をみることだと、あらためて思った。

いま、酒蔵は、避けがたい「縮小」するマーケット、ようするに「斜陽」を、運命づけられている。どの酒蔵も、そのことを、ひしひしと感じながら、自らの生き方を選択しているのだな。それが「味」に表現されるのだ。

人間がつくる「味」というのは、「うまいまずい」で片付けられないものを含んでいると、あらためて思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/05

旅もめしも酒もエッチも大好き!

004当ブログは、京阪神エルマガジン社と、その代表的雑誌『Meets Regional(ミーツ・リージョナル)』の勝手に社外広報部のような感じになっているが、きょうは、2010/09/29「さあ、ポン酒を飲もう!埼玉の酒を飲もう! 埼玉35酒蔵 大試飲会。」に紹介したように、埼玉県大宮で埼玉県の35の酒蔵の大試飲会がある日だ。

大試飲会は、エルマガ社とは関係ない。エルマガ社からは、ここ数日のあいだに、「ミーツ・リージョナル」の別冊(いわゆるムックですね)の、大阪版「京阪神から行く一泊五食の うまい旅」に東京版「うまい旅 関東篇」、そして、単行本『あんこの本』『大阪のぞき』に続く『ひさうちせんせの Hの學校』を、たて続けに贈呈いただいた。

その件について、書きたい。のだが、とりあえず、きょうは大試飲会へ行く前にやることもあって忙しいので、写真だけ掲載しておく。大試飲会の一般の部は、午後4時から7時まで(入場は6時半まで)、当日参加歓迎だそうなので、いまからでも遅くはない。おれと一緒に行く野暮連の連中は、半休をとって参加というのもいる、けっこうな「酒愛」である。埼玉の酒も、めきめきよくなっている。

007

002

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/04

「67歳の地図」。

いやはや、たった一本の写真のキャプションに難渋した。考えたら、写真のキャプションを書く機会は、あまりない。ほぼ初体験といえるのが、06年3月発行の『談別冊 shikohin world 酒』における、酒蔵ルポ「風土と市場そして宿命と技術……高千代酒造を訪ねて」で、けっこう点数のある写真にキャプションをつけることだった。

この写真の撮影は、いまや主に料理写真の分野でひっぱりだこの多忙をきわめる武井メグミさんだった。彼女と一緒に仕事をしたのは、それが初めてだった。その後は、ときどき、酒デートに付き合ってもらってはいるが、残念ながら仕事のチャンスはない。とにかく、ライター仕事としてキャプションを書いたのは、それが初めてではないかと思う。

キャプションを考えないで写真を見るときと、キャプションを書こうと思って写真を見るときは、見え方が違ってくるということを、そのとき初めて体験したといえる。簡単にいってしまえば、「言葉」が浮かんでくる写真が、おれにとってはよい写真なのであるという発見があった。酒造工程の写真が中心だったから、実務的な説明になりやすい。が、そこに、どう土地や会社の風土や人の雰囲気を盛り込むかだった。キャプションというのは短い。武井さんの写真が、そこに盛り込む「言葉」を浮かび上がらせてくれた。それ以来、どんな写真を見ても、何か「言葉」が浮かばない写真には、あまり興味がわかない。

プロの写真家とは、ほとんど付き合いがなかったのだが、武井さんと、たまーに酒デートをするようになって、あるとき、おれが資料用の写真を撮るために、デジカメが壊れていたので、以前に使用していたフィルムカメラのニコマートを持っていた。それを彼女が取りあげて、店内のテーブルに座ったまま外の通路に向かってシャッターを切った。数秒のことである。その紙焼きを見て、おどろいた。まったく何気なく撮った一枚だが、じつに多くを語るのだ。まさに、こういう写真は、「言葉」に苦労しない。

おれが写真のキャプションを大量に書いた仕事は、そのあとは07年の『雲のうえ』の食堂特集になる。写真は齋藤圭吾さんで、どんどん「言葉」が浮かんだ。最近の『みんなの大衆めし』も、おれがキャプションをつけた写真は、齋藤さんだった。そういうわけで、おれは、写真のよしあしに関する「論」やゲージュツ的な薀蓄などは、まったく信用していない。

今回の写真のキャプションに苦労したのは、自分で撮った写真だからだ。ダメな写真である。「言葉」が浮かばない、ただ写っているだけの、構図はそれなりにあるが、力のない退屈な写真。ま、使用の目的があって撮ったのではなく、たまたま今回のテーマに使えるかなと、有った写真から選んだのだが、それにしてもお粗末。

料理についても、おなじようなことがいえる。高級であるとか、安物であるとかは、関係ない。「型どおり」というのは、型どおりの言葉しか浮かばない。

ま、写真を撮る方や料理を作る方は、また違う考えがあるだろうが、おれとしては、そういうことなのだ。

とつぜん、話は変るようで、関係あるのだが、「詩とは、次のような願望のことです。」と、宗左近さんは、『日本美 縄文の系譜』(新潮選書)に書いている。

 詩とは、次のような願望のことです。

  見えないもの、それを見たい。
  聞こえないもの、それを聞きたい。
  触(さわ)れないもの、それを触りたい。
  嗅げないもの、それを嗅ぎたい。
  味わえないもの、それを味わいたい。
  感じられないもの、それを感じたい。
    そして
  無いもの、それをあらしめたい。


って、本日のタイトルとまるで関係なさそうなことを書いている。タイトルは、中上健次さんの『19歳の地図』から思いついた。『67歳の地図』だって、あるのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/10/03

酒々(ささ)の会。

003毎年10月1日の「日本酒の日」にちなんで開催される、「酒々の会」が、きのう国際フォーラム「宝」であった。前回は2006年の参加だったから、ひさしぶり。料理と出品酒は下記のとおり。このほか、試飲酒が数種。

参加者約80名。うち、アラサー、アラフォーを中心に女子が8割ぐらい。おれたち総勢6名も、武井さんと佐々木さんと林さんに初対面の1名は、そんな年齢の女子で、男子は初対面の40代独身某広告代理店たぶん有能経済力あり裏千家師匠いい男ヨメ募集中の菊池さんとおれだけという構成。みんな仕事も酒や料理がらみで大活躍の酒豪。呑み始める前に、例によって、武井さんに悪酔いしないという錠剤をもらう。

ひやおろしが中心の酒は、めんどうなことを言えばイマイチというのもあったが、日本酒の味と料理を堪能できた会だった。会費7500円だから、といっても、酒だけシッカリそろえて料理がダメだと満足感に欠けるのだが、そういうことはなく、十分満足できた。(追記)そのうえ、さきほど午後になって冷蔵庫を開けたら、画像の司牡丹酒造の純米酒720mlをお土産に貰ったのを忘れていた。すごく得した気分。

おれたちのテーブルには、秋田県由利本荘市の天寿酒造の社長、大井建史さんが座った。愉快な方で、楽しく談笑できた。しかし、酒蔵が生き残る道は、単純な数字からも険しい。

21時ごろ終わって、林さんは離脱、ほかは有楽町駅前のビアホール。清酒をタップリ飲んだあとの生ビールが、うまいんですね。そのあと、もう一軒行くということになるが、おれは、今日中にやらなくてはならない校正があるので、終電を逃さないよう早めに離脱。あとは知らない。

◆先付:菊花おひたし、酒盗チーズ

 獺祭発泡にごり酒50〔旭酒造・山口県〕
 末廣ひやおろし純米吟醸原酒〔末廣酒造・福島県〕

◆お造り:鯛の柚子香味漬け

 人気一ひやおろし純米大吟醸〔人気酒造・福島県〕

◆焼物:イベリコ豚のロースト

 作ひやおろし穂乃智源之酒〔清水醸造・三重県〕
 船中八策ひやおろし(超辛口・特別純米生詰原酒)〔司牡丹酒造・高知県〕

◆温物:秋味(秋鮭)と秋野菜の味噌煮込

 純吟酒呑童子赤の大鬼〔ハクレイ酒造・京都府〕

◆蒸し物:金目鯛養老蒸し

 純米強力氷温ひやおろし〔千代むすび酒造・鳥取県〕
 純米酒奈良萬ひやおろし〔夢心酒造・福島県〕

◆揚げ物:薩摩軍鶏と京芋の揚げ出し

 純米吟醸「鳥海山」〔天寿酒造・秋田県〕

◆稲庭うどん

001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/02

「居酒屋エンテツ」構想。

清酒は、アル添や三増酒のたぐい。もちろん紙パック。そのほか、合成酒や合成酒のようなリキュール類もいいだろう。焼酎も、これらに準ずる。ビールは、第3のビールや発泡酒。ようするに安酒。

つまみは、最もありふれた食材で作る。能書き、職人技、丁寧な仕事、繊細な心配りなどは、なし。ようするに安料理。

いい人いい酒いい料理に頼ることなく、自ら楽しく飲む人間をみがく。

「オトナの生活とは、他人の目を気にすることなく、つねに独自に決断をくだせるゆとりを、自分の生活の守備範囲に堅持しつづけることである。」自分の生活の守備範囲にゆとりを確保することで、「そのゆとりが楽しさやバイタリティになる。」……『大衆食堂の研究』より。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/10/01

ようするに制度の更新力か。ミーツの力ほとばしる11月号。

009_3きのうのエントリーに対して、これならどうだ!といわんばかりに、ミーツ・リージョナル11月号が届いた。タイミングよすぎ。まいど、いただき、ありがとうございます。

何度も書いているが、いまいちばん刺激的な雑誌といえば、ミーツと、『四月と十月』と、北九州市の『雲のうえ』だろう。その『四月と十月』に連載の「理解フノー」5回目の校正も、ちょうど、きょう届いた。

ミーツの表紙と本文の一部のデザインを担当するのは、『みんなの大衆めし』のデザインもやっていただいた、津村正二さん。ここのところ、ミーツの表紙は従来の「定型」を、自らゆさぶっているように感じる。手にするたびに、うならせる。それは、編集の「脱皮行為」の反映でもあるようだ。飽くことのない自らの脱皮行為。いってみれば「更新力」が、編集に限らず、制度の腐敗や陳腐化を防ぐのだと思った。

002_2特集は「やっぱり!なんば・心斎橋」である。その地域的な特徴もあり、いつものミーツらしい横丁・路地と合わせ、このまちならではの、雑居ビルの中の小ハコと、「高島屋、大丸、なんばパークの遊び方」といった大ハコも、横丁・路地の通りと一つつながりに、まちが編集されている。そう、ちゃんと、まちが編集されている。

おれは、昔よく行っていた、新宿や池袋の盛り場の、いかがわしいあやしげな雑居ビルのなかの、「スナック」だの「バー」だの「クラブ」だのといった、呼び方はちがうが、そのう、大都会ならではの雑居ビルの中の小さな飲み屋が、気になる。これらを抜きに、「東京らしさ」や「大阪らしさ」を語るのは、大いに片手落ちだと思う。

ま、そのあたりは、ミーツの編集者たちのほうが、よくわかっているわけで、その雑居ビルの記事が充実していて、おれはよろこんでしまったのだ。

007_3とくに、モノクロ7ページにわたる「気がつけば、NIPPO」は、ほんと、感動感激ものだ。たとえば、扉の、この話だけでも、そうである。

「NIPPOってどんなお仕事をするところ?」に、「ミスター日宝」こと営業部次長・晒田要さんが答える。

「本日は私たち日宝の仕事、中でも業務の中核を担うレジャービルの運営・管理についてお話しします。現在、ミナミでは大小合わせて自社ビル43棟・約2,500テナントを25人の営業マンで担当しています。管理会社に業務委託するところが多い中、当社は担当営業マンが窓口となって、電球切れからトイレの詰まり、水モレなど細かな要望に基本的に担当営業マン自身が現場に出向き対応しています。また、家賃も基本手回収です……」と。

「家賃も基本手回収」まで読みすすんで、おれはカーッと胸が熱くなった、身体中熱くなった。だってね、これ、お互いの信頼関係がないとやれないことじゃないか。これだけ、たくさんのテナントを抱えて、それをやれているなんて! そういう人たちがいるまちって、すばらしい。いやあ、ミスター日宝さんの話は、「非効率に思われるかもしれませんが」と続くのだが、とにかく、このモノクロ7ページを見るだけでもいいから、このミーツはオススメ。

ああ、思わず熱くなって、ながなが書いてしまった。

005_2制度の更新といっても、自分の安っぽい観念から出発するのではなく、このように「まち」に足をつけふんばっている人たちから出発しなくてはなあ、と思うのだった。『みんなの大衆めし』も、まちの大衆食堂や惣菜屋から出発したものなのだが、「まち」には、大事なことがたくさんあるのだな。ちょいと本をたくさん読んでいるぐらいで、知ったかぶりするのは、まちがい。

わしらも、大いにまちのエネルギーを感じ、大いに噴火しよう。

003

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »