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2010/11/30

大阪・西成から、SINGO★西成がミーツ1月号に登場、そして『ホームレス・スタディーズ』。

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ミーツ・リージョナル1月号をいただいた。特集は、「ベスト・ヒット100」ってことで、「2010年心底惚れた店と、2011年を熱くする店」であります。

で、レギュラーページの「ミーツのひとびと」に、SINGO★西成さんが登場だよ~。うれしいねえ。文を中村悠介さんが書いているが、書き出しから、いきなりSINGO★西成さんらしさが爆発で、とても愉快、快快。

「親しみというにはクドい、ホットというには暑苦しい関西弁とサービス精神。そんな西成発の“素”をストリート文脈で解釈、口角泡を飛ばすラッパーだ。彼が先月3年半ぶりのアルバム『I・N・G』を発表した。その内容はもちろん、インタビュー(いわばフリースタイル?)でもパンチライン連発!舌・好・調。」

いやあ、そのインタビューの中身を書きたいが、これは読んでもらわねば。舌好調さ加減をチョットだけ語録で。「ズルムケたら、こうなりました。でもオレの人生、まだまだ包茎やと思います」「ヒップホップはリスナーが歩み寄れっていうのが多いけど、オレはこっちから近づきたい。男の哀愁ラップです」

ところで、ちょうど、先日東京に来られて、浅草で一緒に飲んだ原口剛さんから、そのとき話題になった「過去十年間の研究の集大成です、気合い入れました」という本の案内をメールでいただいた。

原口さんが参画寄稿している本は、まだ入手してないが、
『ホームレス・スタディーズ 排除と包摂のリアリティ』
青木秀男 編著、ミネルヴァ書房
http://www.minervashobo.co.jp/book/b79069.html

原口さん、たしか博士号は「文学」だったとおもうが、過去十年間の研究といえばメインは「寄せ場」なのだ。つまり、日本の三大「寄せ場」といえば、東京の山谷、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎が「有名」で、ほかにもあるのだが、この三大「寄せ場」は、いつのまにか「ドヤ」から「ホームレスのまち」として「有名」になった感じだ。

とにかく、釜ヶ崎といえば、西成。SINGO★西成さんと原口さんとおれは、きょねん3月の大阪市立大学都市研究プラザ高原記念館におけるシンポジウム「場所の力――歩きながら考える」で顔をあわせたが、そのあと

2009/05/17「動物園前一番街のココルームで「場所の力」的再会。」に書いたように、西成は動物園前1番街のココルームで、野狐禅の解散を惜しみつつ、その曲を聴きながら一緒に飲んだ。

ま、そんな、西成な、きょうは、これまで。
ところで、この「ミーツのひとびと」、もうひとりの対面は、宮島達男さんである。いかにも、ミーツならではの揃い、というか。

しかし、ミーツは、もう「2011年を熱くする店」なんてやっているが、おれは、まだこれから1月6日発行の雑誌の締め切りの原稿やらなんやら……。

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2010/11/29

「キング・コーン」を見た。

おとといのことになるが、夕方、買い物がてら重松荘シアターで映画を見た。買い物がてらに映画が見られるなんて、ほんと、東大宮は、いいところだ。だけど、残念ながら、重松荘シアターは、建物が老朽化のため取り壊しで、来年の1月でおわりなのだ。うーん、ならば、「エンテツ居酒屋あんどシアター」を開業したいところだが…。

16時すぎ、差し入れの缶ビールを買って、はやめに到着。チエさん、ミチコさんとオシャベリ。そうそう、ミチコさんが『みんなの大衆めし』を買ってくれてあって、それにサインしたり。おわってからも、少しオシャベリ、買い物があるからゆっくりできなかったが、楽しかった。

しげしげ日記「重松荘シアターは終了します。」
http://shige-st.blogspot.com/2010/11/blog-post_28.html

映画は、見たかったドキュメンタリー、「キング・コーン」。見終わって、たくさんのひとに見て欲しいなあと思った。

キング・コーンのオフィシャルサイト
http://www.espace-sarou.co.jp/kingcorn/top.html

このサイトに、三つのコメントがのっている。

おれは、最初のルー大柴さんのコメントに同感。なにしろ、「実証」にこだわるアメリカ人ならではの作品といえるだろうか、観念的なオシャベリは排して、トコトン実態を追いかけているのがいい。

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素晴らしいムービーです。

コーンを通して見えるアメリカの農業と食事情。お金を稼ぐことと食の安全を守ることの両立の難しさ・・・

色々と考えさせられました。何が良くて何が悪いのか?このムービーをウォッチして皆さん一人一人シンクしてみてはいかがでしょうか?

ルー大柴(タレント)

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農業―食べ物をつくり出す現場は人間の命の原点だと畑に行くたびに感じます。

食べ物はモノではなく、命あるもの、そして命を繋ぐもの。この映画は改めて自分が口に入れるものについて考えるきっかけをくれます。

柿沢安耶(かきざわ あや)  (パティスリー ポタジエ オーナー)

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グローバル経済のチャンピオン、“キングコーン”。

その正体は、大地と人々の暮らしを破壊する怪獣。

この映画は、黄色く染め上げられたアメリカの、 寂寞たる地平線の上に現れた小さな希望だ。

辻 信一(文化人類学者・環境運動家)

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2010/11/28

飲食の「枠組み」あるいは「フレーム」と勘定科目。

電話でだが、きょうは久しぶりに勘定科目の話をしてしまった。ほんとうは「フレームワーク」のことだったが、「枠組み」だの「フレーム」だのといったことを、よくわからないひとに説明するには、勘定科目を例に話すことが多かったから、そのクセが出てしまった。

勘定科目だって、めんどうくさいのだが、でも、会社員のばあい、取引先との飲食を、どういう勘定科目で処理するかについて、たとえば、接待交際費か会議費か、販売費あるいは販売促進費か、とかいった例で経験していることが多いから、あるていどの知識はある。

企業会計は、法的にずいぶん細かい決まりがあるが、家計のばあいは、「勘定科目」なんていうカタイことはいわず、単に「項目」だったりして、かなりバラバラだ。でも、たいがい「飲食費」というのはある。

飲み食いは、外食だろうとなんだろうと、「飲食費」にする家計もあるようだ。これだと、飲食に関してのフレームは、ないにひとしい。だけど、実態としては、最低でも、「外食」と「中食」と「自炊」になる。もしなんらかの対策のために、実態を把握するとなったら、それぐらいの「枠組み」は必要になるだろう。それでも、これでは、生活費としての飲食か、ほかの飲食かの区別はつかない。

1人の会社員を例にみると、飲食代は、まず「会社のカネ」と「自分のカネ」というフレームになるにちがいない。会社が、どういう勘定科目で処理しようが、「一個人」からすれば関係ない。そして、「会社のカネ」と「自分のカネ」を合わせた飲食代をもって、自分の1か月の飲食代にするというフレームが、習慣的にできている人たちが少なからずいた。

ところが、長引く不況で、自分がつかえる「会社のカネ」が減少し、あろうことか、ほんらい営業費や販売費で落とせるハズの飲食まで、会社や上役の心象をよくしておくためや、いろいろな事情から、自腹負担となり、「自分のカネ」が圧迫されている。

というわけで、これまでのように「会社のカネ」も「自分のカネ」の気分で、都心の赤坂、青山、六本木あたりの「中ぐらい」の店で飲み食いしていた男たちが、自分のねぐらがあるまちの大衆的な居酒屋や、ちょいと横道それても安い「下町」の大衆酒場などに顔を出すようになった。

ちかごろ、そういう話をきく。住宅地域の居酒屋や、「下町」の大衆酒場あたりで、ときどき耳にするのは、このひとたちが来るとマナーが悪くて、店の雰囲気が悪くなる、という話だ。「中ぐらい」の店で飲み食いしていたひとたちが、マナーが悪いとは、これいかに、なのだが。

あっ、その話じゃなかった。

えーと、つまり、いずれにせよ、ひとことで「飲食」といっても、いろいろであり、まず、「会社のカネ」の飲食か、家計から出るカネの飲食かで、ちがってしまう。

家計には、「息抜き」や「癒し」や「娯楽」といった飲食や、「付き合い」の飲食などが、あるだろう。このあたりは、「生活」がせっぱつまってくると、「削減」の対象になるから、「小遣い」というフレームにもなるか。

これを企業会計の勘定科目で考えると、「付き合い」の飲食は、たいがい接待交際費だろう。「息抜き」や「癒し」や「娯楽」といった飲食は、実態はともかく考え方としては「福利厚生費」になるだろうし、福利厚生は、「生活」というフレームとして考えるべきだろう。

よく家計にみられる「教養娯楽費」は、クセモノだ。この場合の「娯楽」は、福利厚生的な娯楽とはかなりちがうようだ。ようするに蒐集的あるいはゲーム感覚の「グルメ」、あの店とあの店は「攻略」したとか、それにバカバカしいほどのウンチクの蓄積、これを「教養」とみるにせよ「娯楽」とみるにせよ、福利厚生=生活のフレームにはおさまらない。これが「生活」であるならば、一般人とはちがう「道楽者」とでもいえるか。

たしかに「教養」としての飲食もある。これは、「美容」「化粧」とでもいったほうがよいかもしれない飲食もある。自分を高尚に美しく見せるための飲食とでもいおうか。企業会計なら、広告宣伝費、広報費といったあたりになりそう。

だから、飲食を語っているようでいて、じつは、飲食のフレームに入らないことがある。

おなじ事項や言葉でも、フレームの定め方(フレームワーク)で、ずいぶんちがってくる。

忙しいし書くのがメンドウになったので、これでオシマイ。

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2010/11/27

「古墳作ったー」、やってみたー?

こういうものが出来ているぐらいだから、古墳は、ますますおもしろくなりそう。

http://shindanmaker.com/28928

「エンテツ」でやったら、「エンテツの古墳は瓢箪塚古墳という前方後円墳です。そして副葬品は捩文鏡でした。」となった。

でも、この「瓢箪塚古墳」って、あちこちにあるんだよね。副葬品が「捩文鏡」となると、静岡、あるいは東海から東か…とか探したり推理してみるのも楽しい。

タダだからあなたもやってみて、12月21日の東京カルチャーカルチャー@お台場の「古墳でコーフンナイト」に、ぜひ参加してちょうだい。古墳は、ほんと、おもしろいよ~。

2010/11/07
第2回古墳ナイト、そして、東京カルチャーカルチャーに12月21日登場。

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2010/11/26

年末だから、年末だけど。

今月中に、ここまでやって。年内には、ここまでおわらせておきたい。という少し長丁場の仕事があって、あまりいろいろなことを引き受けたり、あまり飲まないように用心しようと、抑え目にスケジュールを組んでいるはずだが、気がついたら、けっこうタイトな状況に陥っていた。

ま、年末とは、そういうものか。いっちょまえに年末が来たということか。

雑誌はもう、2月号の仕事になっているし。きょうのメールのやりとりに、「神保町でバレンタイン」なんていう文言があって、えっ、どうして?なに?とおもったら、そういう時期なのだ。

しかし、まあ、不景気な話が多いねえ。その割には、生活より「国家」や「政局」が大事らしく、あまり話題にならない。「愛国」「正義」で騒いでいればメシがくえる連中が多いのだろうか。うらやましいなあ。自民党なんか、バカ仙石の給料1カ月分を取り引きしたぐらいで「成果」をあげたつもりになっているし。上野駅周辺のホームレスは、すごい量になっているのになあ。

そうそう、その都のトップに立っているやつは、今年の年末派遣村には手をかさないというようなことをいったらしい。それはまあ、それなりのちゃんとした考えがあるならよいのだが、そうでもない。その理由が、「甘えがある」とかなんとか。これねえ、ワレワレ平民が、そのていどの判断力ならまだしも、役人を率いているひとのいうことじゃないね。「甘え」があるなら、その規準を見定めて、ちゃんと政策的に明確にし、援けるべきひとをたすけるのが政治であり行政じゃないか。ホームレスをいっぱひとからげにして、アイツラは…なんてのは、これじゃ、まるで、ワレワレ平民レベルとおなじで、政治家や行政の長として、無能だよ。こんなやつに高級を払うのこそ、バカどもを「甘え」させるもとになる。

ワレワレ平民は、「好き」「嫌い」で判断したり、むやみに「不安」になるのは、それはフツウにありうることだが、政治家ともあろうものが、おなじレベル。それどころか、自分たちの無策を棚にあげ、「好き」「嫌い」「不安」をあおる。こういう連中を、これ以上あまやかしておいて、いいのか。

こういうヘンな時代は、「エロ」と「愛」こそが救いだが、そこにもまた「正義」がしゃしゃり出てきて、うっとうしいったらありゃしない。どうやら警察官の性犯罪が多いのは、刺激の強いエロ漫画の読み過ぎらしいし、都庁の役人は、エロ漫画を見るとタダチに手当たり次第に、エロ漫画のままにやりたくなるものらしい。それにしても、子どもの権利を守るというのなら、もっと大事なことがあるのだから、これは「表現の自由」の問題もあるけど、ある種の倫理の押し付けだね。倫理の押し付けは、宗教の押し付けとおなじだ、と、押し付けがましいカルト妄信集団のような宗教が「嫌い」なおれはおもう。その意味でも憲法違反じゃないの。倫理だの不倫だのは、それぞれの判断と責任でやることでしょ。だから、もっとオリコウな政策を考えたら、どうかと、政策的無能に甘えて給料をとっている連中にいっても仕方ないか。

とか、こういう忙しいときに、こういうロクでもない連中のことは、ツィッターにでも書いていればよいのだが。ツィッターはやってないし、忙しくて、こんな連中の相手はしていられない。不倫の相手ならします。

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2010/11/24

「ふだん」を上手に語る『てくり』の魅力。

「『てくり』のクオリティについては、いつか書きたい。」と、2010/05/04「岩手県盛岡「てくり」と、てくりブックレット『盛岡の喫茶店』。」に書いたままだった。

この「まち雑誌」というか「タウン誌」というかの魅力は、すばらしいものがあるなあ、とおもいながら、イザそのことについて書こうとすると、なかなかうまく書けない。

001この雑誌の肩書には、「伝えたい、残したい、盛岡の「ふだん」を綴る本」とあるのだが、おれがおもうに、「ふだん」を語るのは、とても難しい。

たいがい、「伝えたい」「残したい」ものは、「ふだん」「ふつう」より、なにかしら「特別」で「非日常」で「群をぬいている」ことに寄りかかって偏りがちだし、世間の「文化財」だの「職人技」だの、「まちの誇り」というものは、そういうことで伝わり残っている。

ある種、そういう「制度」があって、それに飼いならされて、メディアを受け取るほうも、それを期待している面があるとおもう。だからだろう、「名人」「名店」「名手」「逸品」「絶品」「厳選」「自然」「珠玉」「至高」「秘伝」「粋」……といった、なんどか書いたが、かざせば権威を持つかのような、だけど内容のない「印籠語」がメディアに氾濫している。

そういうメディアを無批判に受け入れている人たちは少なくなく、おれもある店を取材したとき、おれの原稿は店主にチェックされるわけだけど、商品の説明に「秘伝」をいれるよう直しが入ったことがあり、もちろんそんな大それた言葉を使うような内容ではなかったので直さなかったが、もうそういう言葉自体が何の意味もなくなるほど、ズサンに惰性的に流通している。この傾向は、飲食の分野において、とりわけ濃厚なのだ。

それは、とりもなおさず、「ふだん」「ふつう」の生活を上手に語れない、なにかしら人前で語るとなると、そこに「文化的」「芸術的」に高度な雰囲気をもたらす「言葉」が必要であるという、その結果、先のような「印籠語」がもてはやされるというのは、なんとも貧困な文化であるのだが。

それはともかく、いただいた『てくり』の最新号の特集は、「お酒とわたし。」である。これを見て、そこんとこが、はっきりしたのだが、酒などは、いちばん印籠語が活躍する舞台なのに、それに類する表現は、まったくない。

それでいて、こんな人がいる、こんな仕事や働きがある、こんな生き方がある、盛岡の暮らしっていいよね、という感じがビンビン伝わってくる。書き手が前面に出てくるような文章でなく、登場人物の具体的な言葉が、ビンビン胸にひびくのだなあ。つまり、そういう言葉を持っているひとがいるということが、盛岡の文化の魅力であり盛岡のまちの魅力だと、おもう。

もちろん、自意識過剰な編集者やライターでは、たとえそういうひとがいたとしても、その言葉を伝えきれないのだけれど。自分のことをふりかえっても、そこんとこが、なかなか難しい。そこを、『てくり』は、上手にクリアしている。

003_2「盛岡の人々に愛され続けているベアレンビール」をつくりあげた社長の木村剛さん(1968年生れ)と、木村さんが働いていたことがあり、木村さんを見守り続けてきた「ヌッフ・デュ・パプ」の伊東拓郎さん(1964年生れ)の対談。

伊東さんが、「剛くんはここで働いてお客さんと触れたりお客さんの顔を見て、ベアレンの形をまとめていったんじゃないかなと思う」という。木村さんが「そうなんです」「ここで働いて知ったのは、(お客さんが)本当においしいと思って飲んでいる時とそうでもない時とでは、表情が違うということ。それと、おいしいものというのはもう一杯手が伸びる。そういう現場を見ると、「2杯目が飲みたいな」とか「明日も飲みたいな」というのが大切なんだと感じました」という。

親父さんが倒れたのがきっかけで、サラリーマンをやめ、奥さんの純子さんと盛岡にもどって家業の酒屋をついで「良酒専門店 吟の酒 きぶんね」をやっている、村井守幸さん。「この四国の酒なんか10人いたら1人しか「うまい」って言わない個性的な味」でもうちはそれでいいと。「人間が好きなんです。だからまず蔵元に惚れて「あの人のお酒を広めたい!」ってのが先。酒の味は進化していくものだから、育てる気持ちでつき合っていきます」

もう、みなさん、リクツをふりまわさず、とことん「現場主義」というか、じつに皮膚感覚を大切にしているというか、『てくり』そのものも、そうなのだ。こういうまちには、全面的にということはありえないだろうが、きっといい人間関係があるにちがいない、いいねえ、とおもうのですね。

「みかん」の林みかんさんは、なぜ呑み屋を始めたかについて、こう語る。「店をやろうと思ったのは、わりと最近。ある日、ふっと。つれあいが亡くなって、そう頻繁に人を招いてばかりもいられないし料理欲を満たすという意味では、店をやるのがいいかなと」

002写真もすばらしく、ふだんの現場を語る。「平興商店」という酒屋さんには、「もっきり」のコーナーがある。そこで、買った酒やつまみを楽しむことができる。非立ち飲みの「角打ち」のようなものか。そのコーナーには、「平興学校」と手書きのノレン風のものが下がり、「コップ酒で語らいの店」とある。

飲食つまり生活には物語がある。それは、まちの物語と地続きであるはずだ。そこを丹念にほりおこして、まちに生きるひとの言葉で語っている、だから『てくり』は魅力的なのだとおもう。こういう文章や表現は、あまり文芸的には評価されないのだけど、とても難しい。そして、なぜか、文芸的な手練手管で読者を酔わすようなものが、「名文」として、高く評価される。どこかオカシイんじゃないの。『てくり』を読もう。

てくりのサイト
http://www.tekuri.net/

木村衣有子さんが企画と文の『北の服』も、この『てくり』と同時に発行になっている。まだ入手してないけど、『盛岡の喫茶店』に続く「てくり」のブックレット、よろしく~。

関連
2010/05/04もう一度『盛岡の喫茶店』。まちに生きる言葉、文章、表現。

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北九州角文研の須藤会長と瀬尾さんが、いい感じ。

2010/10/20「「まちづくり」、もっと「毒」や「菌」を吐きたいのだが。」に、

「北九州市戸畑区のまちづくり推進課の企画で「地元再発見 みんなのおつまみ講座」ってのがあるのだ。その第1回が、「大衆めしとおつまみ」ということで、瀬尾幸子さんが講師。パネリストに、北九州角打ち文化研究会会長の須藤輝勝さんだ。こちら、須藤さんのブログに詳細があります。」と紹介した。

その講座が、18日に予定通り行われたようで、須藤さんのブログに報告があって、須藤さんと瀬尾さんが、いい感じで写真に納まっている。こちら
http://blogs.yahoo.co.jp/sudoteru/33574903.html

これは、背景からすると、おれも須藤さんと呑んだことがある、小倉駅北口近くの酒屋「井出商店」の角打ちでないかな。ああ、おれも行きたかった。

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2010/11/23

浅草「喜美松」で下町と飲食業が抱える先端的課題に関わる雑多な飲み会。

五十嵐さんから、大阪の原口さんが来られるというので、飲み会の誘いがあったのは10日ほど前か? もちろん参加ですということで、きのうが、その日だった。場所はどなたかが「喜美松」を予約されていたようだが、浅草ビューホテル前、18時半集合。

なんとまあ、またもや先日亡くなられた溝口さんに無関係ではなく、2010/11/20「大竹聡、小説デビュー。大竹さんも一緒に仕事をした、溝口久美さんのこと。」に、溝口さんの写真も載せたが、そこは西九条で、原口さんが住んでいるところ。取材先だったトンネル横丁も、その前日に西成で原口さんたちと飲んだときに大いに話題になった。

ということで、溝口さんの姿を見た最後の舞台である大阪の西九条から来た原口さんと、ほかは初対面の方たちで、行ってから知ったが、五十嵐さんが編著の『越境する労働と<移民>』が出来たばかりで、その本がらみのみなさん、みな30代の若い研究者や専門の編集者で、ものすごいアカデミックな顔ぶれだった。

『越境する労働と<移民>』は、大月書店から刊行の『労働再審』という全6巻のシリーズのうちの2巻目で、原口さんも、4巻目の『周縁労働力の移動と編成』に「地名なき寄せ場」というお得意のテーマで執筆することになっている。

そんなわけで、エート、そのアカデミックな顔ぶれは、五十嵐さん、原口さんのほかに。五十嵐さんと同じ筑波大学の明石純一さん(専門は国際政治経済学。上記の本の第1章「外国人「高度人材」の誘致をめぐる期待と現実…日本の事例分析…」を執筆)、津崎克彦さん(一橋大学、大東文化大学ほか非常勤講師、専門は社会学、雇用、労働研究。上記の本の第4章「フィリピン人エンターテイナーの就労はなぜ拡大したのか…歓楽街のグローバリゼーション…」を執筆)、編集担当の岩下さんに、以前『オルタ』の編集者だったが辞めてフリーの編集者になった細野さん。男ばっかり、おれを含めて7名。

五十嵐泰正さんと初めてあったのは、何年前だったか忘れたが、一橋大学院生だった。そのあと名刺をもらったことがなかったので、きのうもらったら、「筑波大学大学院人文社会科学研究科国際公共政策専攻 准教授」というひとだった。専門は、都市社会学と国際移動論。原口剛さんは、06年のカルチュラル・タイフーンのとき初めてあって、そのときは大阪市立大学院生で、その後なんどかあっているのに名刺はもらってないから、詳しく知らないが、とにかく専門は地理学で、「寄せ場」に関しても調査や研究を重ねている。という感じかなあ。

「喜美松」は、気がついたら、きょねんの12月以来だった。まったく1年たつのが早いと実感。

で、とにかく、まあ、みなさん若い男ですからね、精力的に呑んで食べてしゃべりました。ときどき、アカデミックな会話がチラチラまじったりするけど、なにしろワイルドで雑多な方たちだし、しかもフィールドワークが豊富なので、あちゃこちゃ話も雑多でおもしろいのですなあ。

地元浅草の店の若旦那だったり、300坪も畑を借りてもう趣味とはいえない農業をしていたり、五十嵐さんも農業はしてないようだが明朝は野菜市だから「手伝ってよ」と大阪から来ている原口さんにいったり、築地の某バールの再生問題になったり、フィリピーナの舞台裏とか、いまどきのツィッターとかとか、それに東京の東-北方面が多いこともあって、そちら方面の談義になったりと。まあ、話はとっちらかり放題で、たいへんにぎやかなうちに、酒もグイグイすすみ、楽しく酩酊したのだった。

そもそも五十嵐さんもそうだし、だからだろう、五十嵐さんのまわりには、観念や教条をふりまわしてエラソウにする知識人はいないもんで、おれなんかでも好き勝手をいいながら気安くお付き合いさせていただける。よくねえ、なんかの本にはこう書いてあるとか、おれはナントカと知り合いでと有名人の名を口にして、なーんて話ばかりする知識人がいるし…とかく、トシをとると、そういう話になりやすい。それはそれなりに意味を持つ世間があるのかも知れないが、おれはそういうひとも世間も、ツマラナイしあまり興味がない。生きているイマの複雑怪奇な実態に関心があるのであって、そのテの話が満載だった。

酔っぱらって東大宮に着いたのは23時45分ごろではなかったかと思う。そしたら、ひさしぶりに足が勝手に動いて、東口のちゃぶだいへ。刺身ならできるというので、黒鯛の刺身に、秋鹿の生酒を一合、そしてもう半分呑んだあたりから記憶がない。

きょうのタイトル「下町と飲食業が抱える先端的課題に関わる雑多な飲み会」だけど、下町や飲食業は「越境する労働と<移民>」の最先端を行っているわけで、そのことをチョイと書こうと思ったのだが、めんどうになったから、この本の紹介とあわせて後日ってことで。

やはりなんですね、世の中どんどん動いているし、その動きの中で、あれこれ調べ研究し、あれこれやっている若いひとたちと話していると、おれの老人脳はいろいろ刺激され燃えるのだった。

国境を越える現場である「やどやゲストハウス」のまりりん女将が、「旅人文化ブログなんでも版」で、おもしろいことを書いている。
http://blog.tabibito-bunka.com/?eid=938442
このエントリーの前の「 外国人が東京から離れている」も、おもしろい。

盛岡の木村敦子さんから発行になったばかりの『てくり』の最新号をいただいているのだが、この紹介も後日ということで。

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2010/11/21

たかりのドラナカGと雑司ヶ谷みちくさ市のち池袋ふくろ。

2010/11/16「「長崎県、青島かまぼこ。」に、「佐世保のナカGから、クール宅急便で、青島かまぼこが送られてきた。あいつが、タダでモノをくれるというのは、チョイと薄気味悪く、あとでとんでもないことになるのではないかと心配だったが、とにかく、食べた。」と書いたが、ヤッパリ、だった。そのかまぼこが、まだ食べきれず残っているうちに、親戚の結婚で東京へ行くから、「飲ませろ」という、たかりのメール。

やつは、おととい来て、きのう結婚式、明日までいるという。なので、どうせなら、やつは「古物」が好きだから、わめぞグループが参加の雑司ヶ谷の「みちくさ市」に連れて行ってから飲もうと、きょうは雑司ヶ谷駅改札で、13時半に待ち合わせ。のところ、副都心線の池袋のホームで、遭遇。やつは、おれより年下、還暦だが白髪が増え、おれの頭を見て、「オッ、だいぶ後退したな」。

みちくさ市ぷらぷら。わめぞの向井透史さん、ネギさん、武藤良子さん、退屈さん、ユーセンさんら、そして岡崎武志さんや塩山芳明さん。ま、まいどの顔ぶれに挨拶しながら、鬼子母神へ。その間に、やっぱり古物好きなナカGは、本やCDを買いこんでいた。見たら、買いたくなる。おれも本を3冊ばかり。

ちょっとだけ雨がちらついたが、そんなに寒くなく、テレビの「アドまち」の影響もあったとかで、すごい人出だった。今年最後のみちくさ市、大賑わいで、けっこう、けっこう。

鬼子母神から古書往来座の外の棚をチョイと見て、びっくりガードを抜け、池袋東口の「ふくろ」。さあ、飲もう。がんがんビール。

話は、たんまりあった。そのうえ、思い立って、長らくご無沙汰のアゴに電話をしてみると、通じた。アゴのやつは、なんと、フリン相手のユイと会社をつくり一緒に仕事をしているのだと。えっ、それって……こいつらは、以前から抜け目なく、フリンもビジネスもしているのだが、まだ続いて、会社までつくったとはなあ。おれより上手だぜ。よほどウマがあうのだな。

着ているニセ皮ジャンパーを指差して、「これ、女が買ってくれた(古物屋で500円!)」というナカGといい、この連中は、マジメだけど、テキトウにインチキくさく楽しいところがあって、おもしろいのだな。金儲け好きで抜け目ないようでいて、どこか間抜けでドジであるとか。人生や商売を楽しんで、せこくないのが、いいね。

アゴの電話を切って、ちょっとしたら、ユイから電話。なーるほど。まったく、この2人は、湘南と千葉に離れていながら、中間の新橋に会社をつくり、このようにつながっているのだ。

ひさしぶりに聞くユイの声は、チョイとババアくさくなっていた。アゴは、52になったといっていたから、ユイはいくつだ? 以前は、某クラブのチーママで、男をだまして稼いでいたのだが。いまじゃ、いんちきアゴと組んで、さらにだましまくっていることだろう。

なんにせよ、電話で、たちまち以前のまま、冗談をとばしバカ話。ようするにね、「付加価値」なんていうものは、「ダマシた価値」ということですよ。誰かをダマスのだから、フリンも商売も誠実でマジメじゃなきゃいけない。年内は無理だから、新年会をやることにして、電話を切る。

ナカGは、神保町へ行って、またべつの男にたかるというので、16時過ぎ「ふくろ」を出る。おもしろい話がたくさんあったが、そのうちネタにしよう。

出かける前、岡崎さんのブログを見ると、このブログの溝口さんの急逝にふれていたので、コメントをした。
http://d.hatena.ne.jp/okatake/20101120

そのことで、古本を並べて座っていた岡崎さんと短く話した。岡崎さんは、「黒岩さんは亡くなるし(先日亡くなられた黒岩比佐子さんのこと)、溝口さんも、若い人が亡くなって寂しいけど、われわれ年寄りはがんばりましょう」というようなことをいわれ、おれも、「そうですね」なんていったのだが…。岡崎さんは、おれのような完全ジジイと比べたら、はるかに若いのだった。

それはそうと、その溝口さんに何かあったのではないかという「胸騒ぎ」が、なぜ起きたかというと、このブログにアクセス解析がついていて、どういうワードで検索があったかが残るようになっている。18日の午後だったと思うが、「溝口久美」という検索が増えた。夕方すぎると尋常ではない件数。こういう例は、かつて、このブログのサイドーバーにあるおれの戯画を描いた内澤旬子さんが、テレビの「情熱大陸」に出たとき以来だった。溝口さん、なにか有名なテレビ番組にでも出たのだろうかと思っていたのだが、そのうち、「溝口久美」だけではなく、「事故」「交通事故」というワードも一緒に検索されるようになった。

不安のまま19日の午前がすぎようとして、気になるので、ミーツ副編集長の藤本和剛さんのツイッターを見た。
http://twitter.com/fujimotokazu
すると、そこに、「尊敬する先輩の机にある、力士人形と鳩車と八咫烏。そして花瓶の白菊。ただただ涙が止まらない。http://www.youtube.com/watch?v=RHU8REWR6fY&feature=related 」とあるではないか。それでもう、じっとしていられなく、東京のミーツ別冊編集の肉姫さんに電話をした。19日のエントリーにある、youtubeのリンクは、藤本さんのリンクとおなじ、忌野清志郎さんの 「ヒッピーに捧ぐ」なのです。

みちくさ市で3人ほどの方に、「エンテツさんが溝口さんに酒を飲ませすぎたんでしょう」などとからかわれたが、みなさん、酒には気をつけましょうね。

それにしても、一日百件にものぼる検索が、きょうも続いていて、かつて溝口さんが仕事をしていた福岡からも多い。いかに溝口さんが多くの人たちに慕われる人気者であったかを、あらためて知る。

話はちがうけど、向井さんに、このあいだから気になっていたことで、よい話を聞いたので、後日ネタにします。

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2010/11/20

大竹聡、小説デビュー。大竹さんも一緒に仕事をした、溝口久美さんのこと。

さて、気分を切り換えて、このニュースだ。

「酒とつまみ」創刊編集長として知られる大竹聡さんが、文芸誌に小説デビューした。

大竹さんが小説家を志し、べつのペンネームで「酒とつまみ」などに小説を発表していたのは、知るひとぞ知るところ。

『もう一杯!!』(産業編集センター)、『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』(ちくま文庫)、『今夜もイエーイ』(本の雑誌社)などの著書、あるいは最近のミーツ・リージョナル別冊『銀座本』などに彼が書いている文章を読んだひとは、そこにある種の文芸のかおりを心地よく感じたはずだと思うが、それは、やはり小説家を志すものでなければ書けない、ま、志したところで書けるとはかぎらないが、そういう文章だろう。

かれが、今年中に小説を発表する「決意」をしている話は、どこかで聞いていた。かれは、だらしない飲兵衛のふりをしているが、それは芸人がだらしないふりをするのとおなじで、じつはナカナカ計画的に律儀に着々とやる男なのだ。だから、今年中の小説を期待していた。

おととい、その小説が載る雑誌が発売になる連絡のメールがあった。うれしさがメールの文面にふくらんでいた。きのう、東大宮の2軒の本屋へ行ったら、まだ並んでいなかったが、扶桑社の年3回発行の文芸誌『en-taxi(エンタクシー)』2010冬号である。

このサイトのページを見たら、特集には、荻原魚雷さんや浅生ハルミンさんも書いているではないか。いやあ、みなさんご活躍で、けっこうなことだ。
http://www.fusosha.co.jp/en-taxi/

とにかく、おれもこれから入手するのだが、大竹聡の小説デビューを大いに祝って、この一冊をゼヒお買い求めください。そして、とにかく、もうさあ、名前見ただけで読む気のしない業界の垢だらけのような作家はいらないから、大竹聡のような作家を、大いに後押しし、業界の垢を落としましょうよ。

この『en-taxi』も、「超世代文芸クォリティマガジン」などと、まったく文芸的じゃない、節操なさそうな破れかぶれ断末魔な肩書をつけているけど、大竹聡や荻原魚雷や浅生ハルミンが登場しているぐらいなら、まだ可能性があるかもしれない。

まずは、大竹聡が、なにかの文芸誌に連載小説を書けるよう、大いに応援したい。

よろしく頼んだよ。

さてそれで、やっぱり、きのうに続いて、亡くなった溝口久美さんのことになる。大竹さんも溝口編集と仕事をしている。きょねん発行の、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』のことだ。これは、大竹さんとおれも大阪へ行って、取材して書いたのだが、このときが溝口さんと会った最後になった。

いまとなっては、これがなかったら、3人で飲む機会はなかった。おれが2日間かけて溝口さんと一緒に大阪・神戸・京都を取材し、大阪にもどり東京へ帰る新幹線に乗る前に、これから溝口さんと取材になる大竹さんが大阪駅に着いて、落ち合った。それから、おれがウチまで帰る新幹線のギリギリの時間まで、取材に付き合って飲んだのだった。

それらは、「『酒とつまみ』大竹聡がゆく 環状線高架下酒場紀行。」として6ページ、「めしの鬼・エンテツ(遠藤哲夫)のめし屋酒のススメ。」として6ページ、『酒場の本』に、まとめられた。

おれが溝口さんと会うのは、これが3度目だったが、仕事は初めてだった。2日間、ほぼ朝から晩まで、溝口さんと一緒に動きながらアレコレ話をし、この『酒場の本』に、溝口さんがどんな考えと思いをこめているかを知った。

この一冊は、「飲兵衛・溝口」の、それまでの、ある意味「中間決算」でもあった、といえる。そして、そのときは「中間決算」だったはずだが、いまとなっては、これが「決算」でもあり、「言い残し」になった。

冒頭のリード文の最後のセンテンスは、こうである。

酒場を流行軸でとらえることの無意味さに気づいたいま、
われわれが酒場に求めるのは、
そこで過ごす「何ものにも代えがたきひととき」なのではないだろうか。
さあ、そんな酒場へと、還ろう。

これは、彼女の熱い肉声でありメッセージなのだ。彼女は、このように酒場を愛し、この言葉を残し、べつのところへ還ってしまった。

いままた、この文章を読み、あのとき彼女が、この自分の考えや思いを伝えるために、いろいろおれに語ったことを思い出す。こういう編集者に起用され仕事ができたことは、ライター冥利につきる。

ほんとうは、大竹さんの小説デビューのニュースは、きのうのエントリーに書こうと思っていたのだが、あまりに胸騒ぎがするので、ミーツ東京編集室の肉姫さんに電話して、溝口さんの亡くなったことを知った。

すぐさま、大竹さんにもメールで連絡した。折り返し、ご冥福をお祈りし献杯する旨、返信があった。きのうは、離れたところで、一緒に飲んだのである。

ということで、きょねん、5月15日の写真を掲載します。

大阪駅で落ち合ったあと、1軒目は福島駅そばの高架下で一杯、そして2軒目が西九条の高架下、「トンネル横丁」の「三平」だった。そのトンネル横丁の入口で仕事中の溝口久美さん、そして大竹聡さん、写真の本野克佳さん。

三平で飲んで、おれは新大阪駅へ向かうため、つぎの取材地へ向かう溝口さんたちと、西九条駅の階段のところでわかれた。それが、溝口さんの姿を見た最後になった。

きょうの午後、溝口さんは故郷の大分で荼毘に付される。ご冥福をお祈りします。

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けっきょく、気分は、あまり切り換わらず、溝口さんのことになった。仕方ないだろう。

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2010/11/19

ミーツ別冊編集、溝口久美さん急逝。きょうは、泣いています。

きのうのエントリーで、人間いつ死ぬかわからないというようなことを書いたが、なにか虫の知らせだったのか。たいへんお世話になった、とても素晴らしい方が、それを書いたころには、すでに亡くなっていた。

きのうから、ちょっと気になることがあって胸騒ぎが落ち着かないので、さきほど(昼ごろ)、溝口さんの会社の東京の後輩に電話したら、不安が的中だった。

交通事故死のため、調べが終わってからの公表になるようだ。ご遺体は、故郷の大分へもどられたそうだ。

京阪神エルマガジン社 ミーツ・リージョナル別冊編集
溝口久美さん。41歳。

残念だ。

死んじまったんだよー。

きょうは、何もしないで、泣きながら酒を呑もう。だいたい、涙が流れて、仕事にならないや。
http://www.youtube.com/watch?v=RHU8REWR6fY&feature=related

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2010/11/18

残りの計算法。

親しいが、ご無沙汰しっぱなしの知り合いの男から、前立腺がんになり手術して、いま自宅で療養中だというメールがあった。チョット会わないでいると、そのチョットが数年になり、その間に、いろいろなことが起きる。

もっとも、きのう会ったばかりなのに、そのあと亡くなってしまった、なんてこともあるのが、人間のイノチだ。3ヵ月ほど前に、やはり親しくしているが、あまり会うことはない男から電話があり、おれより3歳ばかり年下だが、おれに向かって「60を過ぎると、いつ死ぬかわからない、いつ死んでもよいようにしているか」という。おれは、そんなことは考えもしない、一寸先のことはケセラセラだよ、だけど、いま死んでも困ることはないよ、といった。「いつ死んでもよいように、身辺整理することがないのか、死ぬまでに書いておきたいことはないのか」というので、「ない」。やつの電話は、「とにかく、いつ死んでもよいようにしておかなくては」ということで、切れた。

前立腺がんの男は、50歳の手前で、まだ40代だ。前立腺と精巣を摘出したというから、ある意味、男でなくなったということだ。それがどういう重みをもつか、当事者でないおれには、実感がわかないが、「平均寿命まで30年。自分にとっては新しい人生のスタートになりました」とあって、とにかく「新しい人生のスタートになりました」というのは、理解できたつもりだ。

とはいえ、「平均寿命まで30年」というのは、事実の数字だが、たいして意味はないなと思った。

なので、「たしかに、身体が新しくなって、新しい人生のスタートということで、大いに意欲と志を持って、ま、でも、マイペースで楽しく生きてください」とメールで返信した。

かれは天下の大会社の社員であり、もっと若いころ「大いに意欲と志を持って」そこへ転職したのだった。わかりやすく書けば、いまどき、「ロマン」のある男なのだ。

おれは「ロマン」などといった、ナマッチョロイものは持ち合わせていないが、持っている人間は嫌いじゃない。「ロマン」のない男は、タイクツでツマラナイと思っている。

かれは、たしかここ5年ぐらいのうちに、転勤先の交通事故で骨折し入院、中学生だった子どもがチョイと問題を抱えたりで、落ち着かないことが続いた。いずれも、予想していなかったことだ。前立腺がんも、そう。

「平均寿命まで30年」、たしかにそうだが、明日で終わるかもしれない。わからない。

ここのところ、周囲の40代の男女が、体調を悪くしていることを、ウワサで聞いたり直接聞いたりした。20代、30代のつもりでやっていると、肉体がダメージを受けることは、おれも体験している。ひとりに、「みなさん、仕事のほうが脂がのってきても、体力はまがり角ですからね」「そして、体調が悪いときは、さっさと思い切って1か月ぐらい休んで入院したほうが、身体がオーバーフォールされリフレッシュされ、きれいになりますから、またガンガン仕事もできるし、ガンガン大酒も飲める、というのが、ワタシの体験的見地です」と、メールに書いた。

先の予測はつかないが、イチオウ明日はあると思ってめしをくい生きるのが今日なのだ。

いま死んだら、心残りのことがなくはないが、これまでも「正しい人生」を生きてきたわけじゃないから、いまさら、おれは正しい人間だったという締めくくりを用意する必要はないし、かっこつけることはない、死ぬまでに、どうしもこれだけは書いておきたいということもない。生きているあいだは目の前のことをやり、死んだら、すべて中断である。おれのばあい、そういうことなのだな。

残りの計算法は、ない。強いていえば、「自然に」ってことになるか、好きなら好きなようにふるまい、気にくわないなら気にくわないねといい、嫌なことは、おもしろくやる。

そういうわけで、いまは朝の9時半すぎなのだが、これから仕事にかかりまする。おっと、その前に、朝酒だ、例のかまぼこがあるし、それに、ボジョレーじゃないが、箱入り赤ワインがある。

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2010/11/16

長崎県、青島かまぼこ。

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佐世保のナカGから、クール宅急便で、青島かまぼこが送られてきた。あいつが、タダでモノをくれるというのは、チョイと薄気味悪く、あとでとんでもないことになるのではないかと心配だったが、とにかく、食べた。これが、えらくうまいのだ。

ナカGは、店に行ったことがないのでよくわからないが、ジャズバーか、ようするにジャズ酒場のようのものをやっている。ジャズは、何かの奏者であったり(トロンボーンだったかな?)、プロデュースみたいなこともしていたと記憶するが、ジャズに限らず、音楽的センスは、なかなかのものだ。それに、料理にもかなり詳しく、もちろん作ることもするしうまいが、とにかく、その割には食通ぶらない。

音楽にしても料理にしても、自慢めいたことを一切いわないが、なかなかのものだということは、言葉のはしはしからも、作ったものからも感じられた。で、音楽も料理も趣味だったのだが、なにしろ、仕事より女と音楽と酒が好きという、なかでも女をたらしこむのが好きで上手でもあり、そうこうのうちに会社をリストラになり、そのジャズ酒場のようなものを始めて、だいぶたつ。ま、道楽息子の、これが天職といえるだろう。

とにかく、そいつが、「自分の店でも出していましたが、食べると必ず客の箸が止まり‥‥‥「こ‥これは?」‥‥‥て品です」とメールで知らせ、送ってきたのが、これだ。

そうそう、かれは、このメール文のように、控えめであり、ひとをたて、自分は味覚や食べ物に詳しいかのような言動は、ゼッタイとらないのだ。

ま、音楽や食べ物は、楽しむものであって、自慢のネタにするなんてチョイと恥ずかしいとワレワレは思っているあたりが、たぶん共通している。

前置きが長くなったが、この「青島かまぼこ」は、ほんと、「こ‥これは?」‥‥‥て品だ。

2種を、それぞれ3個ずつ送ってくれた。

一つは「えそかま」つまりエソのかまぼこだ。いまや、エソが入っているだけでも、得がたいと思うのに、エソ100パーセントと塩だけのかまぼこ。

もう一つの「かまぼこ」は、その日によって材料が変わるらしい。これは、スズキとサゴシとアジと食塩のみ。スズキとサゴシとアジは、原材料名のところに手書きである。いかにも、きょうの材料です、という感じ。

どちらも製造者は、長崎県松浦市星鹿町青島の新松浦漁協青島加工所だが、「えそかま」には「青島女性加工部手作り」、「かまぼこ」には「青島加工部手作り」のシールが貼ってある。

松浦市の青島という島の人たちが作るのですね。

いやあ、とにかく、うまい。身がものすごくギッシリ詰まっていて、プリンプリンのコリコリだから、1~2ミリぐらいの薄さに切って食べた。醤油はつかわずに、ワサビをちょちょっとつけて。酒は、ビールと清酒と焼酎でやったけど、どれともピッタシ。歯ごたえよく、かみしめると、旨みがシッカリ、口にあふれる。しあわせ~。うれしい~。

あまり、ナカGとかまぼこのことをほめたり、よろこんだりしていると、あとでたかられてオソロシイことになるから、やめておこう。

これ長さ13センチほどで、内容量180グラム。ネットで調べたら、2個で税込み1950円で売っているところがあった。
http://shop.yumetenpo.jp/goods/d/namibrand.jp/g/1403/index.shtml

食べごたえからすれば、そんなに高価ではないと思うが、それにしても6個という出費である。ナカGのやつ、金まわりがよくなって、これまでおれがたかられた分を返すつもりなのだろうか。それとも、前にもあったが、カネ持ちのオンナをたらしこんだのか。

でも、女にはマメだが、ほかのことはモノグサの男が、わざわざ送ってくれただけあって、たしかにうまい。ありがとう。

これはオススメです。島の仕事も応援したいしね。

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『大衆食堂の研究』から。三平、渋食、聚楽。

前のエントリーの関連になるが、『大衆食堂の研究』で、三平食堂と渋谷食堂と聚楽についてふれているので、その部分を転載する。

ご存知の方もいると思うが、『大衆食堂の研究』は、だいぶ以前に全文を、こちらに掲載してあって、ごらんいただける。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm

下記に転載するのは、この中の「思えば…編*田舎者の道」から。いまはもう、こういう文章を、書きたくても書けないねえ。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_5_03.htm


*三、食堂でなければありえない*

  一九六〇年の二月、東京都の電話番号の局番は三桁になった。その年の都区内の職業別電話番号簿の「食堂」の項を見る。各頁の下段には、小さな広告がならんでいる。ほとんどが、大規模有名店である。田舎者になじみの深いところでは〔聚楽〕〔渋谷食堂〕〔食堂三平〕といったところが広告を出している。
  これらの店は、デパートの「お好み食堂」のように、和洋中華なんでもありのスタイルの「大衆版」だった。安い価格帯のカレーライス、ハヤシライス、チキンライス、ラーメン、丼物などは必ずあったが、だいたい店の大きさによってメニューの数がちがった。大きい店ほど種類が多い。単純明快である。
  デパートのお好み食堂は、続々と開業した。しかし、高島屋の「大食堂」はレトロの風格で残っているものの、ほとんど姿を消した。
  かわって、あいかわらずの欧米劣等感と本物伝統劣等感をひきずった、安直でつまらない「専門レストラン街」というのが、デパートやショッピングセンターや駅ビルなどに出現した。
  が、あの猥雑でおおらかなお好み食堂にくらべると、いじましい雰囲気である。コンプレックスを出発点にするとどこか偏狭になる。照明は明るいが気質は暗い。ああいうとこでめしくっていると、自分がどんどんおおらかさを失ってゆくようで気分が滅入る。
  昔のデパートのなんでもありのお好み食堂にしたって、大衆的ではあった。けっこう猥雑でおおらかではあった。しかし、都会生活に馴れてない田舎者貧乏青年にとってはまばゆい存在だった。都会の有閑マダムや成金ファミリー御用達という感じであった。なんとなく敷居が高い、お値段のほうもチト高そうだ。そこへいくと三平などは本当に安いといえるかどうかはわからないがヤスい気分で利用できる、というわけである。
  渋谷の「渋食」と新宿の「三平」は、学生仲間でも有名で、田舎者御用達の大衆食堂の双壁だった。これに「聚楽」をくわえて田舎者御用達大食堂御三家。
  あのころの有名の法則は、一に値段が安いかヤスい気分、二に量がある、三がなくて四がうまい、である。キレイだのオシャレなんて評価言語はなかった。
  聚楽は、これは、食文化史からはずせないであろう須田町食堂として知っている旧い人もいる。が、おれたち田舎者にとっては老舗かどうかなんて関係ない。どちらかというと、おのぼりさん用という位置づけだった。
  安くない。田舎からトウチャンカアチャンジイチャンバアチャンが上京してきたときなどは、ここにスッか、などと上野の聚楽や新宿駅東口の聚楽を利用するのであった。
  そういう意味では、聚楽などは田舎者の大集会所みたいなもので、その状況は、数年前に上野の聚楽にはいったときも同じだったのでおどろいた。御三家の中で、昭和三〇年代にして一九六〇年代の面影をとどめて残っているのは、上野の聚楽だけになってしまったのだ。

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2010/11/15

古い電話帳から、その4。聚楽と渋食。

前回の2010/11/13「古い電話帳から、その3。味覚の民主化。」には、まちがいがあった。

一つは、コメントで「東大宮先住民」さんに指摘いただいた、「紀伊國屋書店の創業者である田村茂一→田辺茂一」であり、直した。「東大宮先住民」さん、どなたか見当がつかない、たぶん会ったことがない方だろう。どうもありがとうございました。

もう一つ。その画像は、1回目2回目とおなじ1951年の電話帳の複写だろうと思い込んでいたが、よく見たら、電話の局番が3桁である。51年版のころは2桁だから資料を調べたら、60年2月に発行の電話帳だった。なので、訂正し書き換えた。

Denwacyo_jyurakuきょうは、その60年版から、まずは「聚楽」である。比較的あたらしくは「じゅらく」という店名もあった。

この広告には経営主体の名前があって「大日本食堂株式会社」とある。この会社が「聚楽」と「須田町食堂」を経営していたということだね。

住所の表示がないのだが、ほかの資料によると、本社は神田淡路町だと思われる。「新宿聚楽」は、新宿東口の駅前、いまは何のビルになっているか、記憶があやふやだが、たしかヨドバシカメラがまだあるなら、その右となりあたりだったと思う。「京成聚楽」は、上野の京成上野駅の広小路口の前にあったものだろうと思うが、あのビルは、近年いろいろ変わって、いまは何になっているのだろう。ヨドバシカメラだったかなあ。「聚楽台」は、ザ大衆食に載っている。入っていたビルが再開発改築のため、08年4月21日に閉店のときには、おれはテレビ局の依頼で出演した。…クリック地獄

「上野駅聚楽」と「メトロ聚楽」の区別がつかないのだが、いずれにせよ、いまはぜんぶ姿を消した上野地下飲食街にあった。たぶん、JR上野駅の不忍口改札を出て、すぐ左にあった地下道あたりの「さくら」のとなりにあったのが、上野駅聚楽だろう。メトロ聚楽は、京成上野駅と地下鉄銀座線上野駅をつなぐ通路あたりにあったのではないかと思うが、確かな記憶がない。

この広告には、ほかに「須田町食堂」がある。

須田町食堂を大衆食堂の「元祖」というのは、はっきりした根拠がないばかりでなく、同時代にあったほかの食堂を無視するもので、まちがっている。ま、大衆食堂の歴史については、『大衆食堂の研究』でもふれているし、あちこちに書いているから、いまは書かない。

須田町食堂は、「聚楽」の会社沿革に、「大正13年 (1924) 東京神田須田町に、「簡易洋食」ののれんを掲げた 「須田町食堂」 を創業」とあるように、当時の状況から見れば、神谷バーやヤマニバーやカフェなどの「洋食堂」の流れに位置するもので、どんな意味でも大衆食堂の「元祖」にはならないと、おれは考えている。

須田町食堂の件については、2008/02/15「「宮沢賢治の詩の世界」と「大衆食堂の研究」の出会い」にも書いた。宮沢賢治の研究者と思われる方が、じつにていねいに調べていて、おどろいた。

ところで、この「聚楽」の会社沿革によると(クリック地獄)、「昭和9年 (1934) 「株式会社 聚楽」 設立。外食産業の確立を目指し、昭和10年代に89店のチェーン網を築く。しかし終戦時の残存店舗はわずか5店」とある。だけど、広告によれば、経営主体は「大日本食堂株式会社」だ。このへんの事情は、調べてないから、よくわからない。

Denwacyo_shibuyokuもう一つの画像は、渋谷の駅前、たしかハチ公の広場に面してだったか、道玄坂入口の西村フルーツパーラーの前あたりだったか、どっちにしても同じようなものだが、そこらへんにあった、渋谷食堂だ。当時の渋谷駅周辺は、ヘドロのドブと化した渋谷川のニオイが漂い、すばらしく臭く汚かった。

「渋食」といわれ、大衆に親しまれていた。おれは2度ぐらいしか、利用していない。そのころのおれが貧乏すぎたのか、おれの感覚としては、三平のように、チョイ高くついた印象があった。ま、おれにとっては、ション横のつるかめや、そのテの大衆食堂があっていた。ともあれ、60年代前半、渋谷食堂、三平食堂、さらにチョイと高めで聚楽あたりが、「大規模」で有名だった。

渋食はいつなくなったのか記憶がない。新宿の角筈にもあったようだが、まったく知らなかった。ネットで調べたら、現在渋谷区宇田川町にある、各種飲食店を経営する「万葉会館」が、その後身とのことだ。

「万葉会舘の歴史」に、「万葉会舘の創業は先々代高木三九郎が大正15年、青雲の志をいだいて新潟県より上京し渋谷駅前に大衆食堂「渋谷食堂」を開店したのがその始まりです。波瀾に満ちた昭和の歴史と共に歩み、今年は満74周年を迎えました」とある。おお、おれと同県人ではないか。…クリック地獄

とりあえず、こんなところで。

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2010/11/14

Black&BlueのMARIさんとゴールデン街のマチュカバーがホームページを開設。たぬきの手みやげ。

すでに2回、スロコメ@下北沢で一緒に古墳ナイトをやった「相棒」と言ってしまうが、Black&BlueのMARIさん。こんどは12月21日に、お台場の東京カルチャーカルチャー@niftyで、古墳部長のスソアキコさんもまじえて3人で「古墳でコーフンナイト」をやるわけだが、彼女から「あたしのホームページが出来たので是非見に来てください」とメールがあった。

もちろん、見た。おれは、古墳ブルースしか聴いたことがないMARIさんだが、「女の情念」をブルースするらしいMARIさんのホームページには、なにやら情念が漂っていた。「ふしあわせという名のアザがある」なんていうシビレル言葉が、ふしあわせそうなあやしげな書体で書かれている。淺川マキさんをおもいおこすひともいるか。

ねえ、あんたの情念どうしたの、消費の快楽に捨てたのでしょうか。仕事と買い物や飲食の話ばかりしてないで、男と女の情念を燃やしましょうよ。

おれの情念、かっか燃えてるよ。どうしてくれるんだ。

って、もう一つ、ゴールデン街で女の情念を燃やしているか、マチコ女王様のマチュカバーもホームページを開設したのだ。先日行ったばかりだが、これはもう先立つものは情念という感じが、線の1本1本にまで漂う漫画を描く東陽片岡さんが店長の、「おスナックナイト」の夜だった。これからも月イチの予定でやりたいと東陽さんも言っていたから、このサイトでチェックしときましょう。

どちらにもリンクのページがあって、このブログやザ大衆食のサイトにリンクをいただいている。どちらさまも、どうかよろしく。12月21日の「古墳でコーフンナイト」もよろしく。マチュカバーもよろしく。東陽片岡さんもよろしく。おれのことも、よろしく。

MARIさんのサイト
http://blackandblue1224.web.fc2.com/index.htm

マチュカ・バーのサイト
http://www.macskabar.com/

えーと、それから、先日マチュカバーへは佐々木さんが一緒だったのだが、そのときなんと、彼女は錦糸町の山田家の人形焼を、おれに買って来てくれたのだ。

2010/10/27「モノから東京のまちの発見がある。ミーツの『新 手みやげを買いに』。」に、

001「おれが買いに行きたいと思ったところを、悩んで3つに絞ってみた」「築地の「とと一」の丸干しイカ、三宿の「レストランOGINO」のパテ、錦糸町の「山田家」の人形焼(画像下。これを結婚式の引き出物に使ったという佐々木香織さんが書いている。2代目店主の山田昇さんの「山の手の人たちはおいしいものがちょっぴりあればいいんでしょうけど、下町はおいしいだけじゃダメ。大きく安くないと」という言葉を拾った文章が、モノを育てたまちの風俗を語って、いい)」と書いたのだが。

003こうやって書いておけば、きっと佐々木さんが買って来てくれるだろう、と思ったわけではなく、書いたこともすっかり忘れていた。それだけに、うれしかった。

おれは、左党だけれど、甘いものもけっこう食べるのだ。左も右も、好きだよ。いやあ、このたぬきの人形焼、ほんと、大きくて、餡がギッシリ入っている。重さが、ちがう。外の皮だけを焼いた、もみじも、うまい。こういうのを食べながら、お茶なんぞ飲んでいると、また酒がたくさん飲めるのです。

新宿からの帰り、手にぶらさげないで、バッグに入れて担いでいたし、酒のせいだろう、それが入っていることも忘れちゃっていたから、翌日開けてみたら、人形焼は箱の片側にかたまっていた。それを、なるべく元にもどして撮影。箱の包装には、たぬきの縁起である、「本所七不思議」が、宮尾しげをの絵で印刷されている。

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2010/11/13

古い電話帳から、その3。味覚の民主化。

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前のエントリーの続き。

三平食堂のことは、『大衆食堂の研究』に書いたし、この電話帳広告についてもふれている。

1951年1960年は、まだ「民主化」がショーバイになったのだろうか。いや、当時でも、「民主化」をショーバイにつなげた経営者は、そうはいないだろう。ましてや「味覚の民主化」とは、いやあ、エライ!

が、この電話帳の発行は3月のことだが、すでに、60年2月のことだが(電話の局番が3桁になっている)、すでに51年には、日本の支配者GHQ占領軍のマッカーサーは、「民主化」なんぞやめて、戦前の旧体制の推進者の公職追放を次々と解除し、日本の再軍備の必要を説いていた。そして、9月、日米安保条約調印。「民主化」の時代は、わずか数年でおわっていた。しかし、60年といえば、その安保条約をめぐって、改定反対闘争が盛り上がっていた最中ではある。

「味覚の民主化」を掲げた三平は、目先がきいていたのかきいていなかったのか。とにかく、おれが上京した62年、新宿東口のアチコチで、三平は繁盛していた。メニューは、和洋中をそろえたデパートの大食堂の廉価版といったところ。

おれが、たまーに利用したのは、東口の武蔵野館通り、三越裏のへんに2軒ほどあった店だった。『大衆食堂の研究』にも書いたが、三平は、ション横の「つるかめ」などに比べると、やや出費が多くなるので、あまり利用してない。おなじ東口の駅前にあった「じゅらく」なんぞは、上野のじゅらくにしてもそうだったが、三平より「高級」で非日常的な場所で、大衆食堂という認識はなかった。

この広告の三平の本社住所は、新宿区角筈1-1。角筈1丁目は、現在の新宿3丁目。おそらく、三平ストアがあるところだろう。この広告によれば、食堂は、東口周辺に5店のほか、西銀座5丁目、渋谷宇田川町、浅草、神田にも出店していたのだな。

おれが行っていた三平は、70年代前半ぐらいまでは、あったような気がするが、いつのまにかみな消えた。いまでは東口界隈で、居酒屋の三平酒寮を何軒かみかける。三平ストアの上あたりの別館の三平酒寮には、ときどき利用している。きょねんぐらいまでは、まだ饐えた新宿のニオイを残していたが、ことし行ったら改装され、ただのチェーン安居酒屋に近い感じになって、若者で込んでいた。

P603005006年の夏。古墳部の旅で諏訪へ行き、諏訪大社上社の本宮も訪ねた。近くの古墳を見学するため、その本宮から出ようと、大きな立派な石の鳥居をくぐるとき、鳥居の柱の裏側の文字が目にとまった。そこには、「東京都新宿区 株式会社 三平」「会長 小林平三 社長 小林莞侍」の名が刻まれていたのだ。古墳部の同行のひとたちも、ほかの参拝者たちも、みな気にしないで通り過ぎていた。

60年代70年代、新宿の飲み屋あたりで聞く、地元の有名人といえば、「名士」として紀伊國屋書店の創業者である田村 田辺茂一であり、そして「名士」とはチョイとニュアンスがちがって「立志伝中のひと」ということで、三平の創業者があがった。たしか、「甲府商人」の出と聞いていたのだが。ま、諏訪と甲府は近い。故郷に錦を飾った、ということになるか。

三平食堂で食べたものというと、大きいがかたいカツライスが記憶にあるぐらいで、忘れてしまった。

はなしはちがうが、この鳥居の前に並ぶ茶店で食べた、名物のトコロテンはうまかった。

この鳥居とトコロテンのことは以前に書いている。2006/08/29「諏訪大社新宿・三平鳥居前の茶屋トコロテングルメに襲われる」

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2010/11/12

古い電話帳から、その2。大衆酒場の元祖。

2010/11/10「古い電話帳から、大衆食堂のむかしを探る。」の続き。この電話帳、1951年(昭和26年)3月30日発行の、日本初の職業別電話帳「東京都市職業別電話番号簿」だった。

そこから、きょうは、もったいつけて、ひとつだけ。

なんと、この広告、「大衆酒場の元祖」とあるのだ。かつて浦和にあった、大宮いづみやと同じ経営の「いづみや」には、「元祖居酒屋」という看板があったのだが。

この「三岩酒場」は、検索したが見つからない。住所は大田区入新井4丁目あたり。といっても、いまは「入新井」という地名はない。「入新井」のついた施設や公園があって、大森北4丁目あたりになるようだ。

はたして、大衆酒場の元祖「三岩酒場」は、どうなったのだろう。

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ちなみに、2010/10/17「神保町な夜の痛飲泥酔やっとこさ帰宅。」に登場の、明治38年創業という「みますや」は、「元祖大衆酒場神田みますや」だ。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13000630/dtlrvwlst/1367481/

そうそう、おれはかつて、2006/05/01「「元祖」のススメ」で、「もし、売れる本を書くライターになりたい人気のサイトを作りたいという野心のある人がいたら、この「元祖」を名乗るものを食べ歩いてまとめたら、よいのではないかな」てなことを書いている。どうです、おもしろそうな企画でしょう。売れますよ。

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東大宮操車場をひとめぐり。

あまりこんをつめて考えていても、よいアイデアが浮かぶわけでなし、心身にもよくない。

ことしも、もうおわりのようなもので、とはいえ、おわるまえにやりたいことはあるわけで、もうこんな状態ならおわりにしちゃおうかなということもあるわけで、とりあえず、アレコレ考えながら散歩でもしようかと出かけた。

ここにひっこして、見沼たんぼの東大宮操車場にかかる陸橋を、こちら側から真ん中へんまではいったことがあるが、向こう側まで渡ったことがなかった。なので、きょうはいったのだ。

まずは、この夏に撮った、こちらからの画像

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つぎは、きょう、陸橋の真ん中へんから、見沼たんぼの川でいえばくだり方面、電車でいえばのぼり大宮方面を撮影。

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そして、向こう側からの写真。陸橋の、ウチがある側には、高校と中学と小学校があり、反対側にも高校があるので、よくこの陸橋を生徒たちがランニングしている。

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陸橋を渡りきったところに「見沼田圃の散歩道⑤」という標識があった。左、東大宮親水公園、右、東大宮操車場、とある。おれは、親水公園のほうから来て、操車場のほうへ。道にそって、タップリの水の用水路。

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私立のなんたら小学校や、操車場の横を通って、川でいえば下り方面、電車でいえば上り方面にある、別の陸橋をわたって、もどるコース。その陸橋の真ん中へんから、さきほどの陸橋が見えるほうを撮ったのだが、写真では陸橋がわからない。

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その陸橋から、さらに見沼たんぼの下手を眺め、東北本線である宇都宮線の電車が走るところも撮影。左手がくだり、東大宮、右手がのぼり、土呂になる。

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この陸橋は、夜中に大宮からタクシーで帰るときに通るのだ。たいがい泥酔状態だけど。

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で、さらにウロウロして帰ってきた。けっきょく、歩いて眺めるのが楽しく、なにも考えなかった。鉄ちゃんでなくても、陸橋の上から線路や電車を眺めているとロマンだねの気分だったし。とにかく気分よく散歩できたのであった。

そうそう、田舎にもどっていた新宿下層民のキモ男、やっぱりまたもとのネグラに帰ってきた。おれも、「キモイ」なんて、いわれたことがあったな。ま、おれはともかく、キモ男はまだ若いのだから、よろしく頼むよ。

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2010/11/11

やどやゲストハウス本館@中野オープン、のち東陽片岡@ゴールデン街マチュカバー。

005きのうは、濃い良い日だった。

まず2010/09/11「中野でペンキ塗り、のち、新宿で4軒はしご酒。泥酔。」に掲載の、やどやゲストハウスの本館にあたるビルの工事がおわり、オープンハウスのイベント。ざっとのことは、そこに書いたが、とにかく、感慨ひとしおの日だった。たぶん、まだ若いこれまでの人生のなかで最良の日の部類ではないかと思われる、よろこびの女将まりりんを、としさんと一緒に撮影。18時過ぎ、場所をやどカフェに移し、パーティー。

宿泊中の台湾とフランスからのゲストが料理をつくり、それに、なんと30年ぶりぐらいになる高知県人の奥さんが手料理を持って参加。到着したばかりのカナダ人や、ゲストではないが知り合いの外国人やら日本人いろいろ、工事のために力を貸していただいた人たち、やどやゲストハウスらしい、多国籍なパーティーとなった。

おどろいたことに、これも20数年ぶりの男、ヤマウチさんが来場。白くなったヒゲをたくわえていたので、すぐにはわからなかったが、おれと彼が、友人の結婚パーティーで写っている写真まで持参してくれた。彼とやどやのボスとおれは、80年前後に出あった。おもえば、おれはあのころから、なんだかんだとオープンな飲み会をやっていて、そこで知り合い交流を深めたのだな。3人で、あのころの話になった。おもしろいことが、たくさんあった。よく明け方まで飲んだし、出あったことで、アレコレのおもしろい展開があった。やどやのボスとおれは、当時アメリカと日本をまたにかけての仕事をやったりしたが、それが、中断はありながら、いまのやどやにもつながっているわけだ。えーと、おれたちの出あいは30年前ぐらいだから、おれは37歳、彼らは、もう少し若かったのだな。

やどやのボスが、あいさつでいっていたが、ワレワレは「宿泊所」をやりたかったわけじゃなくて、ま、世界中に広がる素晴らしい楽しい人間関係をつくりたいという思いが、ずっとあって、そのためにいろいろやってきて、「宿泊所」という器も、そのために必要とした、というような。ま、そういうことなのだな。これは「ビジネス」であるけど、ワレワレが考えるビジネスは、一貫してそういうものだった。

008ビルの外壁には、まだ前の酒屋の看板が残ったままだが、これがニッポンのふだんらしくて、ゲストを迎えるにはよいかも知れない。なーんて思ったりして。

とにかく、多くを語る必要はない、めでたし。そして、これまでは助走みたいなもので、これからが、本格的な展開になる。ようにしたいね。

9時すぎに、盛り上がるパーティー会場を出て、向かったのは、新宿ゴールデン街のマチュカバー。このあいだ、そうそう、前回マチュカバーに行ったのは、先の2010/09/11「中野でペンキ塗り、のち、新宿で4軒はしご酒。泥酔。」のときだったのだが、そのとき一緒だった佐々木さんも誘って、9時半にマチュカバーで会うことにしていた。

ここで、東陽片岡さんが店長をつとめる「おスナックナイト」の日なのだ。東陽さんには、99年発行の『ぶっかけめしの悦楽』のカバーのイラストや挿絵を描いていただき、続いてちくま文庫の『汁かけめし快食學』もお願いした。だけど、ハガキのやりとりはあったが(東陽さんのハガキは漫画入りで、すごくよいのである)、なかなかお会いできる機会がなかった。マチュカバーでの店長イベントも、今回で3回目、やっと都合よくお会いすることができた。

もう、大感激である。東陽さんがつくる、オススメのシークァーサーなんぞを飲み、楽しくオシャベリ。東陽さん、まちこ女王様とカウンターのなかに立ち、よくこまめに動き、なかなか似合っていた。

宇都宮線の終電に乗るため、11時ぐらいに出て、新宿駅で佐々木さんと別れ、あまり泥酔もなく無事に帰宅。といっても、どこかの線で人身事故があった影響で、大宮で30分近く停車、ウチに着いたのは1時近かった。

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2010/11/10

古い電話帳から、大衆食堂のむかしを探る。

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いやあ、『大衆食堂の研究』を書いたころは、インターネットなんぞという便利なものはなく、いろいろ調べるのにずいぶん苦労したのに、こんな資料を集めたことも、すっかり忘れていた。

これ、いま忙しいので正確なデータはあとで調べるが、まだ「外食券食堂」や「東京都食堂協会」とあるから、たぶん1950年ごろの電話帳のコピーだろう。コピーといっても、ニコマートELで撮影し、紙焼きしたものだ。まだほかにもオモシロイのがあるから、そのうちスキャンして掲載しよう。

常盤食堂は、『大衆食堂の研究』に書いた笹塚の常盤食堂で、ここに名前が載っている内山さんは先代だ。

ま、とにかく、インターネットなんぞという便利なものができ、裏づけをキチンと調べていくような誠実で愚直な仕事は、おれもそうだが、あわただしさもあって失われがちだから、気をつけないといけないね。

なにしろ、チョロチョロ歩きまわって、チョロチョロ聞きかじったていどで、チョロチョロテキトウなことを書いたり言ったっりしていれば、というより、むしろテキトウにやっつけたり、なにやら権威ありそうなハッタリをかましていれば、通りがよいという状況もあるし。政治と食の分野なんか、その代表的な存在。

こういう写真を掲載すると、さっそく昔の電話帳広告をネタに何かして売り出そう、ということを考えそうなやつの顔が浮かぶのも、セコイいやらしい世の中になった。が、おれは、そういうセコイやつらをバカにするけど、けっこう好きだよ。

セコイやつがたくさんいないと、おれのように誠実で愚直な仕事をする人間の価値が上がらないものね。まだ、みんな、いい人間すぎる。なーんてね。いや、それはともかく、フマジメは大事だよ、正義だのなんだのより、よっぽどよい。正義には愛がないが、フマジメには愛がある。マジメな正義より、フマジメな愛を。

きょうはこれから、そんな、おれにとってはビッグなことが2つもあるのだ。パソコンのまえに座ってなんかいられないぜ。

でも、つぎの本の構成の難しいところは、突破した感じ。といっても、またつぎの難関があらわれるかもしれないが。

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2010/11/09

「一般受け」って?

いきなりエラそうなことをいうが、おれは運がよかったのかバカな編集者と仕事をしたことがないので、あまりバカバカしい思いをしたことはないが、このあいだ、じつにバカバカしい話を聞いた。

Aさんは、ある分野に精通しているし、仕事も有能で高く評価され、もうおれよりはるかにアチコチで名を上げ知られているひとだ。もちろん文章も書いているし、イラストなんか上手、有名人のファンも、たくさんいる。そのAさんの本を出したいという某出版社の編集者に応えて、Aさんが案を提出した。ところが、その編集者は上司に「もっと一般受けする案を」といわれたそうで、「もっと一般受けする案をつくってください」と、Aさんは言われたというのだ。

これ、思い出しても、バカバカしい話だ。もう、腹も頭も煮えくりかえって、手がブルブルふるえ、キーが打てない。これじゃ、「丸投げ」じゃないか。普通の会社、たとえばメーカーの商品開発じゃ、ありえないよね。担当者は、もっとちゃんと、企画をまとめて説明できるよね。

そもそも企画を立て、それにもっともふさわしい、人選や素材を整えていくのが、担当の仕事じゃないか。いまどき「一般受け」なんていう基準で、企画を考えスタートさせるなんてこと、やっているような会社、あるかもしれないが、「一般的」じゃないよね。斜陽のマスコミあたりには、ありそうだが。

出版業界では、けっこう、こういう話を耳にする。

おれは、こう言ってやりたいね。いまどきの「一般」は、雑誌を買うことはあっても、本なんか買わないんじゃないのかい。それなのに「一般受け」とは、どういうわけだ。本なんか買わなかったひとたちに売ろうという意欲があるのか。それに、たとえば「一般受け」と言いながら、1万部や3千部ぐらいしか刷らないって、どういうわけ? 

ほかの分野のメーカーなどを考えれば、こういう「商品企画」をする会社は、潰れるのがトウゼンだろう。だけど、出版業界では、会社が潰れると、「本離れ」「出版不況」といった理由がならぶ。ほんとうかい。上司がOKするような企画を自分で立てられない担当者も担当者だが、その担当者に「もっと一般受けする案を」なんていっている上司の脳ミソは問題にしなくてよいのか。こんな上司のもとで、まっとうな編集者や出版社が育つのか。

いや、ま、お互いにボールを打ち返しあって、相手の弱点を叩いているだけじゃなく、ちゃんとしたプランを持たなくてはな。

とにかく、腹立たしくて、これだけ書いたところで、きょうの写真も、古い紙焼をスキャン。1959年に開業し、数年前に無事に引退閉店した、いまはない某大衆食堂の厨房です。「厨房」というより「台所」といったほうがよいでしょうか。チト旧式ではあるが、「一般的」な家庭の台所でしょう。「ウチは、家族が食べているものとおなじものを、お客さんに出しているの」とご主人はいっていた。だから、この台所でよいのかもと思っていると、そばにいた奥さんが、遠慮がちに、「でも息子たちにはハンバーグなんかも作っているよ」といった。店のメニューには、「洋風」は、ほとんどなかった。

とにかく、この台所で、半世紀近く、ご主人のご両親が亡くなり、二人の息子さんが生まれ成人し就職し、そしてご夫妻が老いるまで、この家族の食事と、この家族が食べていけるだけの客の口を賄ってきたのだ。偉大ではないか。

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2010/11/08

文京区根津のかめや食堂。

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つぎの本のための資料の整理をアレコレやっている。アレコレやりながら構成の細部をつめるのだが、古いメモや紙焼きを見つけると、ついつい手がとまって、見入ってしまう。すると、ボケ頭の中でおぼろにかすんでしまった記憶が、いくらか取り戻せる。

この最初の写真なんぞは、とてもめずらしい。いまでは、こういう状態は、ほとんど姿を消した。

幸いなことに、撮影をした日のメモもあった。1997年7月17日、文京区根津の〔かめや食堂〕だ。入口を入ると、すぐのところに、当時のありふれたスチール製の事務机があって、その上に「サンプル」がのっていた。そして、先代の女将さんが、ここに座っていた。ここで注文をし、勘定をする。

机の上、「サンプル」の右側の、斜めに立っている木のケースには、たしかセルロイドかプラスチックの色違いの小さな札が入っていた。これを使ったところは見た記憶はないが、むかしの食堂にはよくあった、一種の食券なのだ。

いま「サンプル」と書いたが、この写真のたいがいは、ホンモノの、その日に作ったサンプルである。机の右のケースのなかも、そう。

かめやさんが改装したのは、いつだったか、2002年8月に発行の『東京定食屋ブック』を見ると、すでに現在のように改装されている。このあいだ8月末に、近くのギャラリー〔やぶさいそうすけ〕へ行ったついでに、写真を撮った。『東京定食屋ブック』の写真では、のれんの文字は「定食」だったが、現在は「御食事処」である(一番下の画像)。

Kameya_97santatsu改装前の外観も撮影したはずだが、紙焼きが見つからないので、1997年3月発売の『散歩の達人』4月号の「大衆食堂の逆襲」を見ると、のれんの文字は「大衆食堂」だった。つまり、のれんの文字は、ここ10年ちょっとのあいだに、「大衆食堂」→「定食」→「御食事処」と変った。これは、もしかすると、この地域にフリーの客が増えた「観光地化」と関係あるのかもしれない。とくに「御食事処」となると。

改装前、ここで大衆食の会もやった。改装後も、何度か利用した。サンプルがのった事務机はなくなり、先代のご夫妻の姿を見かけることもなくなった。息子さんご夫妻が、店を仕切っていた。根津周辺も「観光地化」して、しだいに行く機会も少なくなり、最後に入ったのは、いつだったか?

様子は、いろいろ変ったかめやさんだが、目立つもので一つだけ変らないものがある。それは、店の前のスタンド型サインで、そこには「東京都指定食堂」の文字がある。戦後、一時は1000店以上の加盟があったといわれる、東京都指定食堂協同組合の、数少ない生き残りの加盟店なのだ。その誇りは、代替わりしても、続いているように思う。ここで、食事をするたびに、それを感じた。

いわゆる「谷根千」は「下町」とはちがうと思うが、このあたりは、いわば「谷底」であり、かめや食堂がある通り周辺には下町の雰囲気がある。いまでも、かめやさんの前には銭湯があるし、以前は近所に長屋も残っていた。

数ヶ月前、このあたりをSさんと歩いたとき、Sさんは東京の下町、というより場末のような下町育ちなのだが、「なんだか昔の下町みたい、おなじような狭い間口の家が並んでいて、家と家のあいだの微妙な隙間が、私が育ったあたりとおなじで懐かしい感じがする」というようなことを言った。なるほど、だった。このあたり、店はかなり入れ替ったか改装で、イマ風になっているが、建物の間口や並びは変っていない。

と、古い写真を見ては、こんなことを書いていると、なかなか先にすすまない。

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2010/11/07

第2回古墳ナイト、そして、東京カルチャーカルチャーに12月21日登場。

昨夜は、スロコメ@下北沢で、またまた楽しい古墳ナイトだった。

あまり酔わないようにやろうと思っていたのだが、チョイと新宿のション横の岐阜屋に寄ってしまい、ビール一本とやきそばとぎょうざを頼んだら、ビール一本が空いても、まだやきそばがタップリあって、仕方ないさらにビール一本追加となってしまった。スロコメでは、ホッピー、焼酎を多めに入れてもらって…。というわけで、口はなめらか、頭もイイカゲンでなめらか、まいどのことだがストーリーなんか考えてないから、とにかくたくさんある画像を映しながら、またまたオシャベリが長くなってしまい、終いにはマリさんにまかれて、無事終了。

少し休憩して、お待ちかねマリさんの古墳ブルース。一曲目は、新曲で、さきたま古墳群の将軍山古墳への思いをこめて、だったのだが、タイトルを覚えなかったので、ただいまマリさんに問い合わせ中(返信があって、「さきたまの悲劇」でした)。とにかく、さきたま古墳群へ行って、将軍山古墳を見たかったのに、埴輪を作ったり名物ゼリーフライを食べたりしているうちに、見られなくなってしまった、それゆえ思いはつのるという「悲劇」。といった、笑っちゃうような愉快な内容を、たっぷりの声量と叙情で滔々とうたうのである。二曲目は、「麗しの仁徳陵」。いやあ、どちらも、いいねえ。

マリさんは、さきたま古墳群で作った埴輪を持ってきたのに、袋から出したら手が折れていて、悲しんでいた。あまりに悲しみが深そうなので、おれは、手が折れていたほうが埴輪らしくていいじゃないかと言ったのだけど、慰めにはならなかった。

うたにも酒にも酔いました。なんとか宇都宮線の最終に間に合って泥酔ヨレヨレ帰宅。

ところで、昨夜は、前回来られる予定が、パリコレ出品という大事業に追われて来られなくなった、スソアキコ古墳部長が参加。そして、前回も来られた、古墳銀座の奈良県桜井出身で、東京カルチャーカルチャーのプロデューサー、テリー植田さんも参加。

で、ついに、古墳ナイトは、お台場の東京カルチャーカルチャーに進出と決まったのだ。わーい。

12月21日火曜日、19時から、「ホレっ!古墳めぐりの旅へ行こう!」。
テリー植田さんの司会で、出演はスソさんと、マリさんと、おれ。もちろん、古墳ブルースもあります。古墳型のオムライスなども企画中。

詳しくは、こちら。お得な前売り券もあります。
『古墳でコーフンナイト!』 ~古墳めぐりは、永遠のロマンの旅~
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_101107203252_1.htm
みなさん、いまから予定を組んで、大いに誘い合ってご参加ください。ことしの忘年会は、ここでやっちゃいましょうよ。なにしろ出演料は、入場料の売上げで決まるもので、たくさん参加してちょうだい。宣伝、お願いしますよ。

そうそう、年明けには、スソさんの帽子展が都心のスゴイところであるのだ。その件は、またいずれ告知します。

前回のマリさんの、「麗しの仁徳陵」は、こちらで視聴できます。
http://www.twitvid.com/C7PLP
さあ、おれは、とにかく本の原稿を、せっせとやりましょう。

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2010/11/06

いまからでも遅くない。今夜は古墳ナイト。

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古墳がおもしろい。好評古墳ナイト…クリック地獄

日本のカマドは、古墳時代に始った。古墳時代までは、文字文化も、なかった。

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2010/11/05

パソコン直りました。

どーも、ご迷惑かけました。
パソコン全面回復しました。
いまからいただいていたメールなどを拝見、返信や電話などしまくります。

明日の、古墳ナイト、スロコメ@下北沢、よろしくお願いします。

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2010/11/02

ミーツ・リージョナル12月号は「居酒屋」特集。「居酒屋に人が集まる本当の理由シリーズ」に寄稿。

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ええ、引き続き、つぎの本のための資料整理と、構成を練るのでアタマを使っていますです。酒を呑むのも疲れるけど、頭を使うのは、もっと疲れますね。とにかく、まだパソコンが動いているうちに、宣伝しておこう。

033_21、新説・居酒屋は“駄菓子屋”だった YESなアテから考える存在理由

 おれ、エンテツが書いた。編集さんがつけた肩書が、「大衆めし研究家」。
 1ページ約2000字で、「居酒屋は大人の「駄菓子屋」である」という「衝(笑)論」を展開。新書一冊になる内容。

以下、つぎのように、各1ページの構成。

2、27歳のハローワーク モラトリアム男子居酒屋の厨房に入る
  ミーツ丁稚編集者 福山嵩朗

3、逆説のカンバンムスメ学 恋愛対象だと思ってはいけない
  カンバンムスメ番記者 松本賢志

4、笹屋式・居酒屋ビジネス革命 現場を引っ張る指揮力
  ミーツ新婚編集者 松尾修平

5、バンドマンの生態から考える 居酒屋飲みニケーション
  パンクライター 廣田彩香

そして、6、最後のとりが、この人。「酒コラムニスト&うどん居酒屋オーナー」の勝谷誠彦さんによる「居酒屋はなぜ潰れるのか? 身近な店からはじめる居酒屋人生学」

どれも、おもしろいよ~。これだけでも、定価420円(税込み)の価値、大いにあり。

こちらで「立ち読み」できます。
http://www.lmagazine.jp/magazine/meets/back_issue/1012/index.html

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2010/11/01

パソコンがこわれそう。

おとといぐらいから、パソコンの状態が不安定で、ときどき勝手に電源が落ちてしまいます。悪いやつが住み着いている様子はないのですが、もしものことがあると、いつ再び、ここにもどれるかわかりません。カネがないので、壊れたら、たぶん買い替えはできないから、もうパソコンを止めなくてはならないかもしれない。そうなったら、みなさんとお別れですね、シクシクシク、ああ、よかった。

そうそう、これだけは。
こんどの土曜日、6日は、下北沢のスロコメ(スローコメディファクトリー)で、Black&Blueのまりさんと古墳トークあんどブルースですよ。大いに誘い合って来て下さい。まりさんの古墳ブルース、楽しみ。どうせ遅れて始るだろうけど、午後7時スタートの予定。チャージ500円のようだ。

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ギョニソ(魚肉ソーセージ)キャラクター・コンテスト。さばのゆ@経堂。

文章、あとで。

きょう発売の『ミーツ・リージョナル』12月号(京阪神エルマガジン社)、特集は「まいど!居酒屋」の「居酒屋に人が集まる本当の理由シリーズ」に寄稿しています。これは、オススメ、熱く、オススメ。あとで、詳しく紹介。

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